2017年12月31日日曜日

■2017年舞台ベスト10

銀髪
  演出:広田淳一,劇団:アマヤドリ
よさこい節
  演出:岩田達宗,指揮:田中祐子
炎、アンサンディ
  演出:上村聡史,出演:麻実れい,栗田桃子ほか
ルチア
  演出:ジャン=ルイ.グリンダ,指揮:ジャンパオロ.ビザンティ
ジークフリート
  演出:ゲッツ.フリードリヒ,指揮:飯守泰次郎
タイタスアンドロニカス
  演出:木村龍之介,劇団:カクシンハン
ミカド
  演出:中村敬一,指揮:園田隆一郎
わたしが悲しくないのはあなたが遠いから
  演出:柴幸男,劇団:ままごと
女中たち
  演出:こしばきこう,劇団:風蝕異人街
サド侯爵夫人(第二幕)
  演出:鈴木忠志,劇団:SCOT

*並びは上演日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映画と美術は除く。
「2016年舞台ベスト10」

2017年12月30日土曜日

■Ryuichi Sakamoto:CODA

■監督:スティーブン・ノムラ・シブル,出演:坂本龍一
■角川シネマ新宿,2017.12.23-(アメリカ・日本,2017年作品)
■今年最後の映画だがこのような素晴らしい作品で終わらせることができて嬉しい。 2012年から5年間をかけて坂本龍一を取材したドキュメンタリーである。 より過去のフィルムも入っていて厚みが出ている。
東日本大震災で調律が狂ったピアノを前にして彼は不自然な音だと語り始め、原発のこと・映画音楽のこと・演奏公演のことを振り返り考えながら、壊れたピアノを再び弾いてこれは自然に戻った音だったのだと感慨を新たにして幕が下りる。
ところで先日「100分de名著」(NHK総合)の「ソラリス」を見たのだが、以前から違和感を持っていたアンドレイ・タルコフスキー版の疑問が解決した。 それは終幕に主人公クリスが故郷で父親と再開する場面である。 作品が持つ大事なものをここで壊してしまった。 読んでいなかったので知らなかったがこの部分は原作に無いことを知る。 スタニスワフ・レムのタルコフスキー批判も理解できた。
話を戻すが坂本龍一はタルコフスキー版「ソラリス」は音楽映画だと言っている。 これは新鮮に感じた。 バッハのコラール前奏曲のことしか頭に無かったからである。 水や空気、草木からの音は映像の振動数と共鳴しコラールと溶け合い不思議な感動を呼び起こしているのを思い出させてくれた。 この流れは今春に美術館で出会った「async」に繋がっている*1。
「ソラリス」の次はベルナルド・ベルトルッチだろう。 「シェルタリング・スカイ」の砂漠の音や話題が出なかった「暗殺のオペラ」の飛んでくる夏虫の音を思い出しながらみていたが、ここは音ではなく音楽としてまとめている。 それも苦労した裏話ばかりで楽しい。
坂本龍一は闘病生活を続けている。 自身の肉体が崩れていくのをみて、自然と一体である生物として「調律」の不自然さを噛み締めているようにも思えた。
*1、「坂本龍一,設置音楽展」(ワタリウム美術館,2017年)
*作品サイト、http://ryuichisakamoto-coda.com/

2017年12月24日日曜日

■ダンシング・ベートーヴェン

■監督:アランチャ・アギーレ,振付:モーリス・ベジャール,音楽:ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン,指揮:ズービン・メータ,出演:ジル・ロマン,モーリス・ベジャール舞踊団,東京バレエ団,演奏:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
■新宿武蔵野館,2017.12.23-(スイス・スペイン,2016年作品)
■年末に第九を聴けるので一石二鳥ですね。 でも舞台作成過程のドキュメンタリーの為そうはいかない。
生舞台は観ていません。 動きの構造は円形のようです。 ダンサーは円を描くがローザンヌ地方の宗教的な形らしい。 また合唱付きのため声と踊るのはとても楽しいとダンサー達は言っている。 楽器ではなく歌唱と舞踊の出会いはどこかで宗教性を帯びるはずです。 円形もそれを助勢している。 同時に「人類は皆兄弟」の思想が貫かれているのを感じます。 スタッフやキャストにもこれが浸透している。 気持ちがいいですね。
でも、映画は冬のローザンヌ・春の東京・夏のローザンヌ・秋の東京と進んでいくがどれも同じ内容に見えてしまう。 風景は変わるが練習の進捗が明確でないし時間が前後して作品が均一化されてしまっている。 編集が悪いのかもしれない。 監督(映画)の責任でしょう。
モーリス・ベジャール自身が踊る1950年代の映像を観た時は震えが来たことを覚えています。 それは脳味噌を飛び出し脊髄にまで広がる強烈な感動でした。 「彼は瞬間を生きるダンサーだった」と(誰かが)語っていましたがその通りだと思う。
ところでジル・ロマンが登場したときはジョージ・ハリスンに、特に顎鬚が伸びているところは、似ていますね、話し方もです。 彼の娘マリア・ロマンがインタヴュアーで登場しますが上手いとは言えない。 三浦雅士にインタヴューする時でも円環はともかく面白い話を引き出せていない。 まっ、しょうがないでしょう。 一瞬映ったパンフレットのベートーヴェンの似顔絵が三浦雅士にそっくりで笑ってしまいました。
*作品サイト、http://synca.jp/db/

2017年12月21日木曜日

■新世紀、パリ・オペラ座

■監督:ジャン=ステファヌ・ブロン,出演:ステファン・リスナー,パンジャマン・ミルピエ,オレリー・デュポン,フィリップ・ジョルダン他
■Bunkamura・ルシネマ,2017.12.9-(フランス,2017年作品)
■オペラ座ドキュメンタリーの中でフランス観客動員数NO.1の作品と聞いたので早速行ってきたわよ。 ・・なるほど、動員数の多い理由が分った!
過去のドキュメンタリーはバレエ中心、しかも主要ダンサーに焦点を当てていたので観客が偏っていたのかもしれない。
今回はオペラにも多くを割いているし経営者や従業員の姿も煩雑に登場させている。 人員削減やストライキ光景、チケット料金議論、子供プロジェクトなどオペラ座の運営を含めた全体像を描き出しているのが当たりの理由ね。
そして三面記事も集めているから普段オペラ座に行かない人も楽しむことができた。 本物の雄牛の登場やミルピエの電撃退任、公演直前のキャスト降板などをね。
今までのドキュメンタリーとは一味違うからフランス人以外でも満足できたわよ。 特に舞台本番の袖中でのキャストと職員のやり取りは面白い。 だけど公演や事件をあやふやな終わり方にしていて締まりの無いのが欠点かもね。 垂れ流しのようなストーリーだった。 21世紀オペラ座の不安を表しているのかしら?
*作品サイト、http://gaga.ne.jp/parisopera/

2017年12月18日月曜日

■北国の春  ■サド侯爵夫人(第二幕)

■吉祥寺シアター,2017.12.15-24
■北国の春
■原作:鹿沢信夫,演出:鈴木忠志,出演:SCOT
■ひきこもりの話のようだ。 ネットワーク時代のなか情報過多で疲労してしまうとどこにも逃げらない。 主人公大介もこれに飲み込まれ頭の中では妄想の宴会が続いている。 大介の身体に他者が侵入してくるのだ。 そして大介の両親がチンドン屋で登場し「北国の春」を演奏し歌う。 しかし息子を助けることは最早できない。
両親と4人の脳内他者が登場し大介と緊張感溢れる遣り取りをするが、母子と家族関係・仕事に結婚問題など切実なテーマが次々と浮かび漂って集中できない。 「北国の春」も大介に届いていない。 役者たちの力強い様式を持つ動きと声が印象に残った。
*2018.10.20追記. この作品は「家庭の医学」を基にしているとある雑誌に書いてあった。 雑誌名は忘れたが管孝行の記事だったはず(?)。 調べたら1979年12月に新宿ディスコ・フルハウスでこれを観ている。 とても感動したことが甦ってきた。 主人公十川念(?)が頭を抱えてのたうち回る場面も眼に浮かぶ。 1980年に入ると池袋アトリエの作品は駄作が多い。 利賀山房に力を入れた為かもしれない。 山房公演「宴の夜」の連続4作品は観ていないが「家庭の医学」は東京公演での1970年代最後の傑作だとおもう。
■サド侯爵夫人(第二幕)
■作:三島由紀夫,演出:鈴木忠志,出演:SCOT
■「北国の春」終演後90分の休息を挟んでの上演である。 科白がビシビシと脳味噌を叩く。 声は役者の口からではなく全身から発せられ観客の耳だけではなく全身に伝わってくる。 それにしても変わった構造を持つ台詞だ。
姉ルネと妹アンヌの対話で始まり、その母モントルイユ夫人を入れての鼎話、次にサン・フォン伯爵夫人の登場と激白、妹と伯爵夫人の退場、そして母と姉ルネとの厳しい遣り取りで幕が閉じる。 母とルネが後半ハイテンションになってしまった。 ここはもう少し抑えてもよい。 久しぶりに劇的感動を味わった。
観後は舞台の疑問など色々なことを考えながら帰る。 配られた資料を今読んで少し解決した。 「舞台上の対話は日常の再現でも模倣でもない・・」「それは思考に集中した人間持続によってしか生み出されない内面の言葉であり・・、論理的対話であり・・、論理的討論である」。 「日常では絶対に話されない言葉をリアルにしたのは三島由紀夫の力量」とあるが演出家の力も有り舞台は劇的さが倍増している。 数日間はこの作品のことが脳裏から離れないだろう。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/10/scot-3.html

2017年12月15日金曜日

■ペール・ギュント

■原作:ヘンリック・イプセン,演出:ヤン・ジョンウン,演奏:国広和毅,関根真理,出演:浦井健治,趣里,浅野雅博,キム・デジン他
■世田谷パブリックシアター,2017.12.6-24
■主人公ペール・ギュントは自分探しの旅に出る。 そこで多くのことを経験するが心が満たされぬまま年老いてしまい故郷に戻ることになる。 そして昔の恋人の腕の中で安らかに眠りにつく物語です。
美術は地味ですが衣装や小道具はカラフルで群衆群舞の多い賑やかな舞台です。 七場のトロール王国では「マッドマックス怒りのデスロード」、十三場は「猿の惑星聖戦記」をチラッと思い出してしまった。 演出家ヤン・ジョンウンは平昌冬季オリンピックも担当しているらしい。 この作品は幾つものショートストーリーで出来ているのでオリンピック開会式と構造が似ている。 演出家は同じノリで作ったのかもしれない。 来年のオリンピックが楽しみですね。
でも前半の舞台は戸惑いました。 場面ごとの話が積みあがっていかない。 ペールの経験が彼の成長に繋がっていくのがみえない。 彼の喜怒哀楽がぶっきらぼうで表面的な為です。 しかし後半に入り俄然調子が出て来た。 場面ごとの物語に深みが出てきたからです。 歳を取り経験だけを増やす虚しさがペールの科白や動作に加わったこともある。 終幕、恋人ソールヴェイが昔の母と暮らした家のミニチュアを持って登場します。 ペールが旅に出る前から自分探しの答えはそこにあったということでしょうか。
日本語とハングルの混在は違和感がありません。 そして演奏は歌唱も混ぜて物語を面白く持ち上げていた。 全体にキリスト教の影響が大きいですね。 科白に聖書の言葉が多い。 舞台美術や衣装にもそれがみえます。 韓国の宗教事情が現れているのでしょう。 席を見回すと9割は女性でしたが役者贔屓客のようです。
*日韓文化交流企画世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201712peergynt.html

2017年12月13日水曜日

■あしたはどっちだ、寺山修司

■監督:相原英雄,出演:寺山修司,九條今日子ほか
■シアター・イメージフォーラム,2017.12.2-(2017年作品)
■寺山修司の市街劇「ノック」に彼の生い立ちを重ねたドキュメンタリーなの。 親戚や同級生の話は驚くことばかりね。 子供時代の日常生活を彼は世間から隠したかった。 舞台のように語りは騙りに近づいてく。
彼は「市街劇を上演したい」と最後まで拘るの。 市街劇「犬」は市民生活の中へ過激に食い込んでいく内容にみえる。 家族関係を解放する為にね。 経験からこの解放が全てを解放すると確信していたはずよ。 しかし愛憎渦巻く母との関係はどうしようもない。 家族写真を破っては再び繋ぎ合わせるしかない。
「ノック」担当者は当時を振り返る。 「ノック終了間際に彼は不可解な中止を宣言してしまった」。 そして親族の一人も語る。 「作品の終わり方はいつも同じだ。 役者の一人ひとりに議論をさせるように台詞を喋らせて幕が下りる」。
寺山修司は家族の破壊と再構築を目指した。 でもどのように再構築すればよいのか結論が出なかったの。 その迷いが作品の終わり方にいつも現れている。 あしたはどっちだ!?、と。
「寺山修司展「ノック」」(ワタリウム美術館,2013年)
*作品サイト、http://www.planet-e.co.jp/ashitahadocchida/
*「このブログを検索」語句、 寺山修司

2017年12月11日月曜日

■「三月の5日間」リクリエーション

■作・演出:岡田利規,出演:チェルフィッチュ
■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2017.12.1-20
■この作品を観た2011年の時は不思議な感動が迫って来たことを覚えています*1。 そして今日、渋谷のラブホテルの話を聞いた途端に内容も思い出しました。 戯曲変更の有無は分かりませんが役者の話し方や動きが前回と似ています。
でも不思議な感動がやって来ない。 ホテルでのセックスとイラク戦争とデモがそれぞれ切り離されてしまったのが理由のようです。 有機的に繋がらない。 観客側にも問題があるようですね。 イラク戦争が時間的に遠くへ行ってしまったからでしょう。 同時に役者の発音や動き、照明や美術を含めた舞台の調和がとても大事な作品にみえます。 一瞬シラケル場面が何度かあったが演出家も言っているように役者のパワーを十分に楽しめました。
大きな箱のようなものが天井からぶら下がっていて圧迫感がありました。 作者の意図は理解できますが、役者のリズムにブレーキをかけているようで良し悪しですね。
*1、「三月の5日間」(KAAT,2011年)
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/sangatsu_cre
*「このブログを検索」語句、 岡田利規

2017年12月8日金曜日

■ソフィア・コッポラの椿姫

■原作:アレクサンドル・デュマ・フェス,作曲:ジョゼッペ・ヴェルディ,指揮:ヤデル・ビニャミーニ,演出:ソフィア・コッポラ,舞台美術:ネイサン・グローリー,衣装:ヴァレンティノ・ガラヴァーニ,出演:フランチェスカ・ドット,アントニオ・ポーリ,ロベルト・フロンターリ
■Bunkamura・ルシネマ,2017.11.25-12.8(ローマ歌劇場,2016.5.24収録)
■ヴィオレッタ役フランチェスカの健康的な椿姫が舞台を湿らせない。 再生を信じて聖母マリアの立ち姿で死んでいく終幕までブレなかった。 アルフレッド役アントニオは緊張していたけど二幕からは平常心に戻ったようね。 そして父親ジョルジョの存在が人体骨格のように物語を支えていた。
一幕パーティ場面はコッポラ「ゴッドファーザー」風の色彩と影のある照明から華麗な重みがずっしりと感じられる。 娘ソフィアと「バットマン」ネイサンのサクセスコラボね。 それにヴァレンティノの衣装が凄みを利かせている。 言うことなし! 
二幕は開放的な窓ガラスが印象的ね。 オペラは空を見せることが大事なの。 雲が移ろい陽の光りがゆっくりと傾いていくのはオペラに合う。 歌唱や演奏をより噛み締めることができるからよ。 後半、パーティの夜空で花火が咲くとは嬉しい。 そして空が白み始める夜明けの三幕は昇天しようとするヴィオレッタが天を見上げ立ち竦む形しか考えられない。 素晴らしい風景のうつり変わりだった。
字幕が柔らかく練られていて舞台を邪魔しなかったのは感動した理由の一つに掲げてもいいわね。 字幕を凝視するようなら失敗よ。 それとダンサーの衣装を周囲より明るくすれば踊りが一層映えたのに、少し残念ね。
*劇場サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/past/?y=2017
*「このブログを検索」コピペ語句、 ヴェルディ

2017年12月6日水曜日

■ヘッダ・ガーブレル

■作:ヘンリック・イプセン,演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ,出演:ルース・ウィルソン,レイフ・スポール
■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.12.1-7(NT,2017年収録)
■舞台美術がとてもいい。 白壁でほとんど何もない立方空間、壊れたようなピアノ、遮光カーテンから漏れる光、壁に埋め込まれたピストル、ヘッダが投げ捨てた花の散る床、焚火のような暖炉で燃えるアイレルトの原稿、・・。 ヘッダの心模様一つ一つが写像表現されている。
この作品もそうだが背景を現代にすることが多い。 インタビューで演出家は「言葉の裏の意味を探らない」、ヘッダ役ルース・ウィルソンは「エネルギーを内側に溜めない」と言っていたが、それを見越して現代社会はヘッダやテスマンの性格や生き方を分散させてしまったようだ。 でも乾いた孤独感が出ていてメロドラマ一歩手前で留まっている面白さがある。 イプセンを乾燥機にかけたような観後感だ。
そして暖炉の火と共に照明の色合い、ヘッダの衣装や化粧・髪型からバルテュスの室内画の女性たちを連想してしまう。 ところでテスマンが焼蕎麦?を食べる場面がある。 箸の使い方が鈍いので口に持っていく量加減ができていない。 食事はいつも気になる。 下手な食べ方は現実に引き戻される。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*作品サイト、http://www.ntlive.jp/heddagabler.html

2017年12月4日月曜日

■ばらの騎士

■台本:H・V・ホフマンスタール,作曲:R・シュトラウス,指揮:U・シルマー,演出:J・ミラー,出演:リカルダ・メルベート,ユルゲン・リン,ステファニー・アタナソフ
■新国立劇場・オペラパレス,2017.11.30-12.9
■よく観る作品だけど飽きない。 複雑な花びらを持つ薔薇のような楽曲は他オペラと違って何とも言えない感情に浸ることができるの。 特に一幕、元帥夫人の人生観にシックリ溶け込んでいく。 指揮者シルマーの演奏も良かったしメルベードは十分に応えている。 そして20世紀前半のドイツ映画の華やかな場面も思い出させてくれる。 二幕、三幕は喜劇が前面に出てしまうけど気にならない。
元帥夫人とオックス男爵は当時のドイツ語圏上流社会での表裏の関係で根っこは同じよ。 イタリア圏貴族のオクタヴィアンとファーニナルと対になっているのも舞台雰囲気で分かる。 ゾフィーは未だどこにも属さない。 ハプスブルク帝国の複雑さかもね。
演出も美術も前回2015年と同じだけど今回のほうが練れていた。 でもオックス男爵がちょっと慣れ過ぎよ。 もう少し抑えてもいい。 舞台美術はとても気に入っているの。 今年のオペラの取を飾るのに相応しい舞台だった。
*NNTTオペラ2017シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_009637.html
*「このブログを検索」コピペ語句、 シュトラウス

2017年12月1日金曜日

■管理人

■作:ハロルド・ピンター,翻訳:徐賀世子,演出:森新太郎,出演:溝端淳平,忍成修吾,温水洋一
■シアタートラム,2017.11.26-12.17
■粗筋も読まないで行くとドキドキする。 7月に観た「怒りをこめてふり返れ」(新国立劇場)と同じ遠近ある舞台だから奥窓に立つ兄アストンが大男にみえる。 少し勾配があるから役者は大変かもね。
次々にやってくる謎は深まっていかない。 アストンは統合失調症だから、多分・・。 作品がつくられた20世紀途中は精神疾患と文学は蜜月の関係だった。 でも21世紀のいま疾病世界は科学の下に晒され謎は遠のいてしまったの。 ガラクタを処分できないのもゴミ屋敷や強迫性障害のことが脳裏に浮かんでしまう。
老人デーヴィスだけが本物の人間にみえる。 弟ミックは既にアンドロイドかもしれない。 室内装飾を語る派手だけど表面的な知識、手足の仕草、目の据わり具合からね。 兄アストンもアンドロイド化しようとしている。 小走りに動き回る姿をみると手遅れだと分かる。
アンドロイドは人間が作り人間に近づいていくものだと思っていたけどそれは違う。 人間がアンドロイドに近づいていくのよ。 未来、ヒトはアンドロイドになる! ハロルド・ピンターはそれを無意識に知っていた。 精神疾患が先ずはその入口だと気付いたの。 先日観た「誰もいない国」のハーストとスプーナーの認知症的行動も同じはずよ。
三人の役者はなかなかネ。 老人デーヴィスのホームレスはホンモノだわ。 粘り強く意見を言うところは英国仕込み。 そして演出家はピンターの核心にまた一歩近づいた。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201711kanrinin.html
*「このブログを検索」コピペ語句、 森新太郎

2017年11月28日火曜日

■め組の喧嘩

■出演:中村勘三郎,中村扇雀,中村橋之助,中村勘九郎,中村萬太郎ほか
■東劇,2017.11.15-(平成中村座,2012.5収録)
■科白量が多いせいか密度の濃い舞台に仕上がっていた。 それも夫婦、親子、親分子分、喧嘩相手など多様な対話劇だから最高だ。 鳶職と相撲力士の対立も珍しい。 役者の身のこなしや喋り方が型にはまっているので観ていても惚れ惚れしてくる。 喧嘩の預かり方、煙草の吸い方、草履の履き方、法被の着方、契りの交わし方、茶代や心付けの出し方、喧嘩前の清め方・・。 全てが新鮮である。
何故こんなことで喧嘩を始めるのか? 帰って調べると江戸時代に実際にあった乱闘事件らしい。 しかし舞台の喧嘩場面は門切り型に見える。 大団円としてまとめた感じだ。 背景を開き東京スカイツリーが遠くに見えるなか現代の神輿が登場するオマケもある。
良質な科白のお蔭で江戸庶民の人間関係が生き生きと見えてくる舞台だった。 もちろん役者たちは申し分ない。
*シネマ歌舞伎第29弾作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/36/

2017年11月27日月曜日

■マルチプレックス沈清

■演出:イ・スンウォン,パンソリ:パク・ソンファン,鼓手:ソ・ヨンソク,舞踊:イ・ドギョン,俳優:ユ・ミギョン,映像:キム・ミヌ,アドバイザー:イ・ジェサン,劇団:イェチョン
■サブテレニアン,2017.11.25-26
■パンソリの素晴らしさを知ったのは映画「西便制」(林權澤監督、1993年作)です。 主人公が旅をしながら歌い踊っていく姿は今でも耳に目に焼き付いている。
本日の作品はマダンの一つ「沈清伝」です。 印糖水の波や物語の解説と俳優の演技が映像で流れ、舞台には歌手と演奏そして巫女の三人が立つ。 古典的マルチプレックスですね。
歌い手と演奏家の調子に合わせる掛け声でリズムに乗ってきます。 歌唱はハングルですが大凡のストーリーが分かるので歌手の声や身振りで情感が伝わって来る。 そして母を失い生贄になりながらも再生した沈清が登場し盲目の父との再会を踊って幕が下ります。
アジアの古典芸能は映画で知ることが多いですね。 パンソリもそうですがインド古典舞踊もサタジット・レイの映画、例えば「音楽ホール」(1958年作)などを見て病みつきになった時期がありました。 今日は久しぶりのパンソリに堪能しました。
*板橋ビューネ2017「生活者の表現を取り戻せ」参加作品
*主催者サイト、https://itabashi-buhne.jimdo.com/archive-1/2017-archive/
*2017.11.29追記。 「花、香る歌」をDVDレンタルする。 想定外の内容でしたが面白く観ることができた。 でも映画としての出来は良くない。
■花、香る歌(2015年作品)
■監督:イ・ジョンピル,出演:スジ,リュ・スンリョン,ソン・セビョク,キム・ナムギル他
*映画comサイト、http://eiga.com/movie/84238/

2017年11月24日金曜日

■椿姫

■原作:アレクサンドル・デュマ・フェス,作曲:ジョゼッペ・ヴェルディ,指揮:リッカルト・フリッツァ,演出:ヴァンサン・ルメール,出演:イリーナ・ルング,アントニオ・ポーリ,ジョヴァンニ・メオーニ他,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.11.16-28
■「乾杯の歌」で歌手も観客も緊張が解けたようね。 それまではヴィオレッタ役イリーナ・ルングがどう出るのか見守っていたからよ。 さすがに彼女は素晴らしい。 でもイタリア語には聞こえない。 彼女の声は取っ付き難く近寄り難いから。 まさに高級娼婦の声ね。 アルフレード役アントニオ・ポーリも同じく地に於いて適役よ。 前回よりも彼の声に伸びが感じられた*1。
鏡の冷たさに反射する舞台が社交界という非日常的な雰囲気をより強くしている*1。 父ジェルモンの2幕と終幕の歌詞歌唱をジックリ聞くことにより当時の社会の営みが見えて来るわね。 3幕になるとルングの声にも慣れてきたせいか死に近づく状況に共感できた。 同時に18世紀のパリを思い描くこともね。
やはりオペラは映画館ではだめね。 劇場空間を伝わって来る生の声には置き換えできない何者かが潜んでいるからよ。
*1、「椿姫」(NNTT,2014シーズン)
*NNTTオペラ2017シーズン作品

2017年11月22日水曜日

■ノルマ

■作曲:V・ベッリーニ,指揮:カルロ・リッツィ,演出:デイヴィッド・マクヴィカー,出演:ソンドラ・ラトヴァノフスキー,ジョイス・ディドナード,ジョセフ・カレーヤ
■新宿ピカデリー,2017.11.18-24(MET,2017.10.7収録)
■舞台は薄暗い灰青色で統一されていて静寂感が漂っている。 歌手たちの動きは少ない。 歌唱に専念できそうね。 1幕途中は淡々と進むから客席から鼾声が聞こえてきたわよ。
でも物語の飛躍が突然にやってくるの。 それはノルマとアダルジーザの場にポッリオーネが突然入ってきて三角関係が明らかになる場面、2幕に入りノルマがローマ軍に戦いを挑むところでポッリオーネが掴まり引き出される場、そしてノルマが「裏切者は自分だ」と宣言する場面。 この非連続とも言える3場面にスタッフ・キャストの賭けというか意気込みが感じられる。 神に繋がる愛にも拘わらず人間愛が微かだけど滲み出ているからよ。
今シーズンのオープニング作品に持ってきた理由が分かる。 歌唱も演奏も美術も全てが一つにまとまっている。 微妙な細部を詰めている。 リッツィも役者顔負けの指揮ね。 脂が乗り切った演出家マクヴィカー渾身の舞台だった。
*METライブビューイング2017作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/met/program/91/

2017年11月21日火曜日

■血と雪  ■カバネガタリ  ■荒漠器-かくも人間的な廃墟-

■神楽坂・セッションハウス,2017.11.18-19
■血と雪
■振付・出演:鯨井謙太郒,定方まこと
■台詞がある。 口上を聞くと明治時代のようだ。 なんと切腹場面から始まる。 言葉で迫ってくるので息を飲む。 「刀を左腹に刺し右へ動かし・・、腸が・・」。 次場面は二人が兵隊の姿で苦渋の顔をしながら歩く。 台詞はない。 そして上半身裸で正対する。 相撲取りのようにみえた。 と、こんな流れだった。
定方の声がいい。 緊張感ある内容だった。 背景がわからないので帰って調べる。 三島由紀夫と関係があるようだ。
■カバネガタリ
■振付・出演:奥山ばらば
■奥山ばらばのソロをみるのは初めてである。 彼は中肉中背の為か地面から離れると日常の肉体に近づいてしまう。 空中では全てを制御できなくなるからである。 足裏を床から離さない動きはとてもいい。 照明も影を付けると存在感が出る。
■荒漠器
■振付・出演:工藤丈輝
■灰塗りで地下世界から出て来たような容姿だ。 頭に巻き付けた包帯を解いていくと白目がギョロッとしていて凄みがある。 工事現場のような音響を聞いていると索漠とした現代社会と対峙している人間の姿にみえる。 
どれも上演時間が30分前後で毛色の違う内容のため断片化された記憶だけが残ってしまった。
*ダンスブリッジBUTOHプロジェクト作品
*劇場サイト、http://www.session-house.net/dancebridge4.html
*「このブログを検索」キーワード、 鯨井謙太郒 奥山ばらば 工藤丈輝

2017年11月20日月曜日

■芝居-PLAY-

■作:サミュエル・ベケット,演出:長堀博士,出演:杉村誠子,吉田奈央宇,大迫健司,劇団:楽園王
■サブテレニアン,2017.11.15-19
■先ずはト書きだけを上演します。 3人の役者が台本を持ちながら担当個所のト書を喋る。 役者への開始指示と簡単な状況、スポットライトの動きが主な内容です。 ト書き以外の個所は「・・セリフ」としか言わない。 結構なト書き量です。
一通り終わると次はセリフ部分だけを上演します。 消灯され真っ暗な場内になる。 役者は歩き回り控室や観客席の後ろで喋ったりする。 耳に空間的な目眩を覚えます。 光が無いので台詞を噛み締めてしまう。 言葉がクッキリと浮かんできます。 そして終幕、照明が灯き窮屈な壺の中にいる動きをしながら残りの台詞を喋って幕が下りる。
舞台は巧くまとまっていました。 面白い構成ですね。 作品を因数分解したような舞台でした。 役者が戯曲を因数分解した後に観客が展開し直して作品を組み立てる。 作品イメージが元戯曲からズレてしまう。 この差異でいろいろなことを考えてしまう。
前回観た「お國と五平」も役者と科白が一対一になっていなかった。 どちらも戯曲と舞台が多対多になり作品をあらゆる方向から演じ観ることができる。 いやー、マイリマシタ。
*板橋ビューネ2017「生活者の表現を取り戻せ」参加作品
*主催者サイト、https://itabashi-buhne.jimdo.com/
*「このブログを検索」キーワード、 長堀博士

2017年11月17日金曜日

■出てこようとしてるトロンプルイユ

■作・演出:上田誠,出演:ヨーロッパ企画ほか
■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2017.11.16-19
■トロンプルイユとは騙し絵のことらしい。 トリックアートですね。 画家の強い思いで描いたものが現実世界へ飛び出てしまう話です。 もちろん観客もそれを待ち望んでいる。
描いた怪獣が出てくる場面を何度もループさせるという演出家得意の構造で迫ってきます。 そのループ=反復は少しずつ変化していく。 しかも過去に描いた絵が現在を言い当てる可逆帰納法も取り入れている。 この反復構造と可逆構造で面白可笑しく舞台を進めています。
でもこの流れを保つ為に訳のわからない異次元人物を登場させ舞台を滅茶滅茶にさせてしまった。 サルバドール・ダリを出したからには最後まで画家でまとめないと作品に統一感がでない。 たとえば「芸術は爆発だ!」「なんだ、これは!」の岡本太郎のような人物を登場させたらどうでしょうか? そして反復構造は特有の飽きが来るので出口で反復を蘇生させるオチが必要でしょう。 これも不発に感じました。 以上二つを直せばグッと良くなる。
世界を形作る関係を構造として把握・表現していましたが、演出家はこれを「企画性コメディ」としてまとめているらしい。 絵画の次元構造をこの線に沿って取り上げたのは成功でしたね。
*ヨーロッパ企画第36回公演
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/detekoyou_t

2017年11月13日月曜日

■MR.GAGA ミスター・ガガ

■監督:トメル・ハイマン,出演:オハッド・ナハリン,マーサ・グラハム,モーリス・ベジャール,ナタリー・ポートマン,マリ・カジワラ
■イメージフォーラム,201710.14-(イスラエル,2015年作品)
■振付家オハッド・ナハリンの履歴ドキュメンタリーです。 彼はイスラエルのバットシェバ舞踊団の芸術監督を務めている。 題名のGAGAというメソッドは初めて聞きます。 GAGAとはどういうものか? 早速渋谷へ行き見てきました。
彼が身体を壊した時にGAGAを編み出したらしい。 でもよく分からない。 「声に出し身体を解放する」「鼓動を感じる」「からだの声に耳を傾け限界を越える」「呼応が大事」・・。 心身の調和を目指しているようですがなんとも言えません。
それよりも彼が子供時代にギブツを体験したことに答えが見つかりそうです。 彼の生い立ちの合間に作品の一部が映し出される。 振付思想が集団生活としてのギブツに行き着くように思えてなりません。 そこにイスラエルの国家状況が加わる。 彼は第四次中東戦争にも出兵している。 この二つの具体を煮詰め振付にしている。
しかし彼は今この二つから離れたい。 欲しかった子供が生まれたこともある。 GAGAに精神性を感じるのはこの距離からくるのかもしれない。 埼玉芸術劇場での先月上演「LAST WORK」は見逃してしまいましたね。 この映画をもっと早く観ていれば劇場に向かったでしょう。
*作品サイト、http://mrgaga-movie.com/

2017年11月12日日曜日

■ホリデイ・イン

■作詞・音楽:アーヴィング・バーリン,演出:ゴードン・グリンバーグ,振付:デニス・ジョーンズ,出演:ブライス・ピンカム,コービン・ブルー,ローラ・リー・ゲイヤー,ミーガン・ローレンス
■東劇,2017.11.10-14(ニューヨークStudio54,2016.10収録)
■息つく暇が無いくらい楽しい舞台だった。 でも隙間の無い流れが道草をさせてくれないからノッペラボウのような楽しさになってしまうわね。 歌と踊りのベクトルが強いブロードウェイ・ミュージカルらしさが出ている。
劇場は小さいようだけどニューヨークにはこの手の所が多いのよ。 演奏は工夫がいるわね。 独立記念日の場面で気が付いたけど祝日がキーワードになっているとは知らなかった。 「ホワイト・クリスマス」を含め一年の行事を入れることにより国民から支持され続けている作品にみえる。 背景のダンサーズは素晴らしかったわ。 リンダの踊りがイマイチだったけど文句なしの舞台だった。
*映画COMサイト、http://eiga.com/movie/87463/photo/

2017年11月11日土曜日

■一人の男と二人の主人

■作:リチャード・ビーン,演出:ニコラス・ハイトナー,出演:ジェームス・コーデン,トム・エデン
■TOHOシネマズ日本橋,2017.11.10-16(NT,2011年収録)
■ゴルドーニを意識しているが身体的躍動感はミラノ・ピッコロ座とは違う。 召使が三大疾病に繋がる身体を演じるからだろう。 召使フランシス役のコーデンはこれで主演男優賞を取っている。 主人役であるギャングのロスコーはその妹が変装して女優が演じ、もう一人の主人の犯罪者スタンリーはバスター・キートン風表情が楽しい。
舞台は1960年代の空気で満ちている。 それにしても観客(映画内の)がこんなにもゲラゲラ笑う舞台は近頃観たことが無い。 でも日本の喜劇をみて笑うようにはいかない。 言葉の背後にあるナマの生活が見えないので科白がときどき宙に浮いてしまうからだ。 全寮制高校の話、ブライトンやオーストラリアの位置付け、料理名からくる味覚や記憶、リンゴ・スターの評価などなど英国人との笑いの違いには考えてしまう。 また随所に演奏と歌が入るがメロディーと歌詞が60年代を重ねて来る。 このような作品をナショナル・シアターが作ってしまうところにイギリスの古さと強さが見える。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画COMサイト、https://eiga.com/movie/86634/

2017年11月8日水曜日

■四谷怪談

■原作:鶴屋南北,演出:串田和美,出演:中村獅童,中村勘九郎,中村七之助
■東劇,2017.9.30-(シアターコクーン,2016.6収録)
■予告編のような映像編集だったけど舞台を観てみたいと言わせる内容だった。 でも2時間もの予告編は長過ぎる!? 再演があれば即劇場に飛んでいきたい。  
お岩の醜い顔をみても周囲の人々はその本質を恐れず、あの世も現世のすぐ隣に広がっていることを当たり前のようにして生きていく人々の描き方がとても面白い。 そして背後に忠臣蔵を感じさせるのもストーリーを厚くしている。      
時代を越えた群衆をみて蜷川幸雄の演出かと勘違いしてしまった。 でも串田和美なの。 生を観ないとなんとも言えないけど、彼の演出作品でもベストの一つに入るんじゃないかしら?
中村獅童は眠狂四郎をより五月蠅いニヒルにしたような感じで素敵よ。 中村勘九郎は父勘三郎を武骨にしたみたいだけど気を抜いた時の一瞬の動きが似ている。 何はともあれ舞台を観ないとこれ以上書けない。
*シネマ歌舞伎第28弾作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/35/

2017年11月6日月曜日

■オセロー

■原作:W・シェイクスピア,演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ,出演:トネールグループ・アムステルダム
■東京芸術劇場・プレイハウス,2017.11.3-5
■老若男女が散けている客席は珍しい。 東京初上陸のホーヴェ・オセロにF/Tと東京芸術祭が重なった為かな? ・・理由にならない?
青いカーテンを取り払い劇場の壁を見せ、四方ガラスの寝室での同時進行や、軍服姿の役者たちが駆け巡る姿が、広い裸の舞台を巧く使いこなしている。 オランダ語らしい。 字幕を読みながら時々役者に目が行く動きになってしまう。
軍服調のせいもあるが役者たちは骨太で粗さがある。 しかし肝心のオセロの嫉妬が役者身体に浸み込まず科白上に塗られていくだけにみえてしまった。 字幕も微妙に影響しているようだ。 しかも嫉妬が確信に変わる前後と妻デズデモーナを殺す場面で何かが抜け落ちてしまっている。 これでオセロのひび割れていく心情がビシリと伝わってこない。
ガラス部屋での殺害場面は迫力があった。 視野も狭まり集中できる。 東欧とその周辺国はガラスで仕切る舞台が流行っているらしい。 この数年はよく出会う。 劇中劇とは違った舞台中舞台の面白さがあった。
オセロが我に返り絞り出す言葉は「・・国家より大切な個人の宝を失ってしまった」。 差別意識を描いているとチラシに書いてあったが、差別からの憎悲を嫉妬が越えてしまった。 恐ろしや!しっと・・。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater150/

2017年11月4日土曜日

■表に出ろいっ! One Green Bottle

■作・演出:野田秀樹,演奏:田中傳左衛門,出演:キャサリン・ハンター,グリン・プリチャード,野田秀樹
■東京芸術劇場・シアターイースト,2017.11.1-11.19
■何だこれは!?と観ていましたが、そのうちジワッと感覚的な楽しさが押し寄せて来ます。 それは遠い赤塚不二夫から始まったギャグ漫画が持つ弾けるような体感に似ています。 なぜ赤塚不二夫まで遡ったか? それは母親の衣装、特に髪型からです。 卓袱台での食事風景は当にバカボン一家でしょう。
鼓や太鼓の囃子演奏と仕手方能役者らしい父親の上手なのか下手なのか分からないような舞、部屋を仕切る意匠の濃い暖簾、伝統工芸を思い出させる金銀梨地面の壁や床、しかも父役が女優で母と娘が男優、愛犬の出産が原因で家族が災難に遭うストーリー・・。 皮膚がピリピリしてきますね。 災難が続く場面のノイズ映像も嵌っていました。
英語バージョンの為イヤホンが配られました。 でも「半神」の時のように最後迄リズムに乗れない。 日本語吹替担当大竹しのぶと阿部サダヲは野田リズムを助長するから尚更です。 野田演出の翻訳方法はいつも気になる。 家族同士さえも不寛容になってしまうストーリーでしたが終幕に訪ねて来たのは誰なのでしょうか? 現代風俗から古典芸能までを一緒くたにして漫画的に仕立てた装飾演劇と名付けてもよい舞台でした。
*劇場サイト、https://www.geigeki.jp/performance/theater143/

2017年11月1日水曜日

■ブランキ殺し、上海の春

■作:佐藤信,演出:西沢栄治,プロデューサー:流山児祥,音楽:諏訪創,振付:スズキ拓朗,出演:流山児★事務所ほか
■ザスズナリ,2017.10.28-11.5
■幕が開いて1分もしないうちに耳がキンキンしだした。 舞台は三面が壁なので音響焦点が合ってしまったのだろうか? この劇場で科白がこんなにも甲高く響くのは初めてである。
歌唱が入るのでマイクとスピーカがたぶん原因だろう。 床に近いところで喋ると問題が無い。 また日常会話レベルの音量なら普通に聞こえる。 しかし革命劇のため叫ぶ場面が9割もあるからどうしようもない。 役者の声は舞台作品ではとても重要である。 他の観客をみると問題なさそうである(?)。 私の耳がおかしいのか?
技術的問題ではないがもう一つある。 役者の舞台滞在時間が短すぎることである。 舞台に登場し演技をして退場する迄のサイクルが短い。 これが積み重なるとストーリが細切れになりテレビのバレエティ番組を見ている感じになってしまうのだ。
以上の二つで舞台から取り残されてしまい革命どころではなかった。
*Confettiサイト、https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=41739
*「このブログを検索」キーワード、 流山児祥

2017年10月29日日曜日

■女中たち

■作:ジャン・ジュネ,演出:こしばきこう,出演:三木美智代,堀きよ美,高城麻衣子,劇団:風蝕異人街
■サブテレニアン,2017.10.27-29
■膨大な科白量の芝居に時々出会いますが役者の天才的記憶力にいつも感服してしまいます。 科白を紙に書いて部屋全壁に貼り付け記憶している役者がいると聞いたことがあります。 観客からはスタッフ・キャストのこのような苦労は分かりません。 でも苦労を知らないほうが無難なようですね。
この作品も量が多い方でしょう。 三人の女優が血肉化された身体の一部のように滑らかに台詞を喋る姿を見るだけも驚きです。 最初は女中たちが演ずる中断と再開の多い劇中劇で戸惑いますが徐々に物語に入っていくことができた。 そして女主人の登場から妹クレールが毒入り茶を飲む終幕まで時間が経つのを忘れました。 喋る速度が役者身体の動きと合っていたのが心地好い。   
女主人の衣装が天井や壁に所狭しと並べられた舞台は派手さの中にアングラの雰囲気が漂っていて申し分ない。 演出家?が「1時間半だが我慢して観てくれ。 終わって劇場を出たとき爽快になれる・・」。 軽過ぎる感もあったが我慢しないで爽快になれました。
初めて観る劇団ですがまとまっていましたね。 寺山修司を意識した劇団というのも今知って嬉しい。 このブログの書き手たちも寺山修司大好き人間ばかりですから。
*板橋ビューネ2017「生活者の表現を取り戻せ」参加作品
*主催者サイト、https://itabashi-buhne.jimdo.com/archive-1/2017-archive/

■リチャード三世

■作:W・シェイクスピア,翻訳:木下順二,演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:佐々木蔵之介,手塚とおる,今井朋彦,植本純米ほか
■東京芸術劇場・プレイハウス,2017.10.18-30
■舞台三方の汚らしい布が堅固な牢獄の壁に見え天井まで聳え立っている。 そして手術台で使う不気味な照明灯が天井からぶら下がっているの。 「ルル」の医学部実験室からついに手術室へ行き着いてしまったのね。
加えて錆びた曇りガラスドアや骨格だけのベッドが20世紀東欧の長い戦後史を匂わせている。 その中で木下順二訳を取捨増幅した科白と役者たちの身体動作が同期して沈黙あるリズムが出現してくるの。 何もないけど過去の記憶が漂っている廃墟のような舞台だわ。
リチャード役は佐々木蔵之介。 ツッコミよりボケに片寄った演技が沈黙のリズムに似合っていたわよ。 切れ味が鈍くなったのは仕方がないけど、周りの男性ばかりの役者たちが冴えたボケを演じているから面白く共鳴できていた。 日本語日本人役者でもプルカレーテのエキスは煮詰まっていたようね。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater151/
*「このブログを検索」キーワード、 プルカレーテ

2017年10月22日日曜日

■犬狼都市-キュノポリス-

■作:澁澤龍彦,演出:金守珍,構成:水嶋カンナ,美術:野村直子,舞踊:奥山ばらば,劇団:ProjectNyx
■芝居砦・満天星,2017.10.19-29
■口上で色眼鏡とタートルネック姿の澁澤龍彦が夢の話をするの。 そして舞台は二人の朗読と役者演技が入り混じりながら進んでいく。 途中妹尾美理のピアノ演奏も5曲入って物語を膨らませる。 一休みにもなる。 この朗読と演奏が澁澤龍彦の硬さを持ってくるのね。 硬さがダイヤモンドに一層の輝きを与え麗子はその中へ・・。
奥山ばらばと神谷沙奈美のダンスがその硬さにドロッとした夢を被せようとするけど寄せ付けない。 作者=朗読と演出・構成家=役者の拮抗が面白い。 梁山泊やNyxが持っている夢の質が澁澤龍彦と違うからだとおもう。
奥山ばらばのダンスは素晴らしかった。 科白もよかった。 大駱駝艦は面白いダンサーを多く輩出しているのね。 水嶋カンナの朗読がイマイチだったけど。 それと沢山の絵画写真は気が散るのでいらない。 久しぶりに澁澤龍彦を思い出させてくれたわよ。
*澁澤龍彦没後30年記念作品
*ProjectNyx第17回公演
*劇団サイト、http://www.project-nyx.com/17_kenroutoshi.html

2017年10月18日水曜日

■班女

■作:三島由紀夫,演出:渡部剛己,音楽:本間貴士,出演:櫻井春菜子,秋葉由麻,劇団:体現帝国
■光明山東福寺・境内,2017.10.17
■雨が止んだので東福寺へ向かいました。 肌寒い。 山門前で使い捨てカイロが配られたので有難く使いました。 観客は50人前後ですか。 
本堂前庭が舞台です。 琴の演奏とともに実子が語り始める。 途中ヘリコプターが通り煩い。 そして花子が赤い衣装で登場。 新聞紙?に皺をつけて半分に折り扇にします。 決定的場面ではこの動作が必ずある。 実子と吉雄は一人二役ですね。 垣根や本堂、背景の木々、虫の鳴き声などを取り込んだ舞台でしたが上手くまとめていました。 野外は集中力が必要ですが上演時間40分で緊張感を保つことができました。 
多くの人は待って待ち続けて死んでいくものです。 待つ女が特別ではないので心情は伝わってきます。 でも待たない女はどこか空虚感を持つ。 待たないことを自分自身に説得させる必要があるからでしょう。 この作品は待つ女に比重が傾き過ぎて待たない女との対称性の面白さが欠けている。 戯曲がそうなっている。 でも舞台は実子の二役で役者の対称性が保たれていました。
そして対象の男が髑髏にみえるところが恐ろしい。 待ちすぎて男がモノに還元されてしまった? モノ化はよくあることです。 終幕二人がウヒャウヒャ笑い飛び跳ねながらの退場は見事にモノ化を振り払っていました。
*土方巽1960しずかな家Ⅲ参加作品
*作品サイト、http://hijikata1960.yokohama/index.html

2017年10月15日日曜日

■お気に召すまま

■作:W・シェイクスピア,演出:ポリー・フィンドレイ,出演:ロザリー・クレイグ,ジョー・バニスター
■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.10.13-19(2016年作品)
■シェイクスピアの喜劇は英語でないと面白くない。 特にこの作品はね。 終幕まで科白がビシビシ伝わってきて気持ちが良かった。 松岡和子訳のリズムもシンクロしていたわね。 これはロザリンドを含め女優が活き活きしていたからよ。 そして男優は脇役が光っていたわ。 歌唱も4曲入ったけど、どれも聴きごたえがあった。  
舞台は現代企業の事務所で始まるの。 現代設定にする意味は薄いけど美術や衣装が揃い易いのかもしれない。 その事務所の椅子や机を紐でつるし上げて木々にしたアーデンの森は面白い。 それと羊もね。 役者たちが白い服を着て四つん這いで歩き回るから笑っちゃった。 科白にも美術にも久しぶりに脳味噌が喜んだ舞台だった。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*作品サイト、http://www.ntlive.jp/asyoulikeit.html

2017年10月12日木曜日

■福島を上演する

■作:アイダミツル他,演出:金子紗里ほか,出演:マレビトの会ほか
■シアターグリーン,2017.10.7-15
■上演方法が昨年と同じです。 作者が8名、演出家6名の戯曲と演出が用意され毎回内容の違う舞台が上演されます。 本日は4題から成り立っているようです。 松田正隆の挨拶が昨年と同じように有りました。 
でも劇場が違います。 昨年は体育館跡の「にしすがも創造舎」だった。 今年は舞台が1/4の狭さになったのでより演劇に近づいている。 それは静かな演劇を観ているようです。 平田オリザ様式というより身体的な静けさです。 特に声が大きく変わった。 昨年は避難場所のようなガラーンとした体育館だったので余計に響いたのでしょう。 今年の役者の内に籠った声を聞いて福島が潜行していることを感じました。 見えなくなってきている。 「想像せよ、それでもなお・・」。 山崎健太も言っているが不安や弱さを振り払えるだろうか?
*F/Tフェスティバル・トーキョー2017参加作品
*F/Tサイト、http://www.festival-tokyo.jp/17/program/performing_fukushima_17/
*「このブログを検索」キーワード、 松田正隆

2017年10月10日火曜日

■わたしが悲しくないのはあなたが遠いから

■作・演出:柴幸男,劇団:ままごと
■東京芸術劇場・シアターウエスト,2017.10.7-15
■想像力を超える舞台に出会うことがある。 これがそれだ。 想像すらしない内容のため唸ってしまった。 舞台に求め続けている劇的さの質がいつもと違うが、このような芝居に出会えたことに感謝している。 舞台の枠を取り払い生の営みが世界に浸透していくような感じを持たせてくれる。 「わが星」もそうだった。
これから生まれてくる女の子が隣の部屋でこれから生まれてくる友達の存在に気付く。 それからというもの友達はいつも遠くにいる・・。 時間の流れと空間の距離がヒトの誕生・成長・死そして再生へと有機的に結び付けられ生物の歴史や宇宙の歴史にまで広がるのを感じ取ることができる。 昔SF小説に凝った時期があったが好きな傑作を読み終わった時の感動と似ている。 最高のSF舞台であった。
*F/Tフェスティバル・トーキョー2017参加作品
*F/Tサイト、http://www.festival-tokyo.jp/17/program/shiba_wtkn/

2017年10月8日日曜日

■神々の黄昏

■作曲:リヒャルト・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:ゲッツ・フリードリヒ,演奏:読売日本交響楽団,出演:ステファン・グールド,ペトラ・ラング,島村武男ほか
■新国立劇場・オペラパレス,2017.10.1-17
■序幕を観ても今までの流れを思い出せない。 今回は3シーズンに跨がったから色々な作品の記憶が混ざり合ってしまった。 最長でも1シーズン2作の2シーズンで完結をしないとだめね。 長編小説と同じで少しずつでも継続性が必要なの。 METライブビューイングで観た時の衝撃的感動は例え映画でも間をおかなかったからだと思う。
しかもこの4作目は枝葉の多い粗筋で物語の高揚感が乏しい。 「・・美しいアリアを歌うことではなく朗誦風に語ること、それもただの語りではなく「劇的語り」を歌手に要求する・・」。 「・・声域をまったく顧みないほどに音域が拡大し・・、とりわけ感情の高まりが並外れた音の跳躍となってあらわれる・・」。 岡田安樹浩も書いていたけど4作目は淡々と流れると演奏と歌唱の中で劇的世界を引き寄せるしかない。
ところで楽団員が黒シャツで統一されていた。 カッコよかったわ。 演奏もし易いと思う。 でも「暗殺のオペラ」を思い出してしまった。
*NNTTオペラ2017シーズン作品
*新国立劇場開場20周年記念公演
*作品サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/gotterdammerung/

2017年10月6日金曜日

■お國と五平

■作:谷崎潤一郎,演出:伊藤全記,出演:山口真由,中山茉莉,加藤好昭,劇団:7度
■サブテレニアン,2017.10.5-7
■幽霊になった友之丞が過去を語る劇中劇の構造です。 夫の敵討の為お國は従者五平を引き連れて友之丞を追う・・。 友之丞の髑髏が吊るされていて緊張感溢れる舞台でした。
お國と五平の対話で成り立つ物語前半は敵役友之丞が二人の科白を担当する。 でも二人を演ずるのは別の役者です。 二人は下着姿で無言でゆっくりと歩き絡み合う。 ときどき友之丞と斉唱のように台詞を喋ります。
後半、二人が友之丞と対面してからは三人の科白に戻ります。 五平が友之丞を切り殺す場面はありますが前半と同じゆっくりとした動作で事が続いていく。 そして友之丞が劇中劇の外に出て心情を語り美空ひばりの歌を聴きながら終幕となります。
芝居回数の多い作品と聞いています。 友之丞のお國への複雑さの有る一途な想いが観客の心を揺さ振るからでしょう。 友之丞が幽霊になっても再びこの世に出てきたい、そして語りたいのが痛いほど分かります。
*板橋ビューネ2017「生活者の表現を取り戻せ」参加作品
*劇場チラシ、https://itabashi-buhne.jimdo.com/archive-1/2017-archive/
*「このブログを検索」キーワード、 お國と五平

2017年10月4日水曜日

■極付印度伝マハーバーラタ戦記

■脚本:青木豪,演出:宮城聰,出演:尾上菊之助,尾上松也,中村時蔵,中村七之助ほか
■歌舞伎座,2017.10.1-25
■漫画や童話も悪くはないが、インドの壮大な物語は新作歌舞伎にバッチリ合うはずである。 ということで急遽チケットを購入した。
神々の子供を人間が生む神婚説話は多々あるがこの作品も半神半人が活躍する。 軍神帝釈天から生まれたアルジュラ(阿龍樹雷)と太陽神の子カルナ(迦楼奈)の戦争と平和を描く物語である。 好戦のアルジェラと非戦のカルナというところか。 しかし二人の立場は微妙に変化していく。 この変化こそが現代政治を思い返す要になる。 大詰で二人は道を踏み外し戦争になってしまうが最後には平和への道を探し出す。 これをみて神々は地上の支配を人間に任せようとする。
舞台美術や衣装はインド風、演奏にはパーカッションを取り入れているが日本の伝統衣装や音楽と巧く融合している。 「ベン・ハー」もどきの戦車も登場するが歌舞伎は何を取り込んでも消化できるらしい。 もちろん関係者にパワーがないと出来ないが。
三幕物だが多くの場では修飾や寄り道が満載なので飽きさせない。 特に二幕はドルハタビ姫の婿選び、ユリシュラ王子のサイコロ賭博、魔物シキンビの登場など遊び心が一杯だ。 カルナが手に入れた最強武器シャクティは核兵器のようなものかもしれないと考えてしまった。 後で使う場面があったが「スター・ウォーズ」のライトセーバーだった!?
神々の登場で始まり退出で終わる世界三大叙事詩の豊かさが溢れている舞台である。 そして裏には観客に現代政治を考え続けさせる厳しさも持っていた。
*2017年第72回文化庁芸術祭参加公演
*日印友好交流年記念
*作品サイト、http://www.kabuki-bito.jp/mahabharata/

2017年10月1日日曜日

■壁蝨

■作・演出:加藤拓也,出演:劇団た組,歌・演奏:橋詰遼
■シアタートラム,2017.9.29-10.1
■タイトルが読めなかったので調べると「ダニ」だに。 初めて観る劇団なのでウキウキしました。 30才前後の男性客が多い。 でも劇場に縁が薄い客層の為か少し不安です。
幕が開いて細かいリズミカルな動きと科白で作品に慣れを感じました。 観ていながら柴幸男・藤田貴大の舞台が一瞬過ぎる。 繊細感が似ているからでしょう。
しだいに母と娘の家族史らしいことが分かってきます。 娘は学校で虐められている。 性と結婚の話がとても多い。 いつしか娘は結婚し一人娘を産みます。 その子供が成長し学校で友人を虐めてしまう。 終幕、母の死を通して娘は子供に母から受けた同じ愛情を注ぐことに決める。 そして人生が世代回転していく・・。
表面はPOP調で明るく裏は歌謡曲調で濃影の有るホームドラマです。 橋詰遼のギターと歌が人生の虚しさを語ります。 母娘物語なのでチラシを見直すと男性演出家でした。 人生を上手に要約していますが発酵させればもっと熟成するはずです。
客層のことですが観終わって考えました。 今時の30才前後の男性は女性の一生がどういうものなのか知りたがっている。 母と一人娘の家族構成が多くなっていることもあるのでしょう。 役者ファンが居るようにはみえなかった。 ところでダニとヒトが似ているような話もあったが良いタイトルにはみえません。
*劇団サイト、https://takumi.themedia.jp/posts/archives/2017/06

2017年9月30日土曜日

■エフェメラル・エレメンツ

■演出:川村毅,出演:ティーファクトリー
■吉祥寺シアター,2017.9.22-10.3
■人工知能(AI)をよく耳にします。 それはビッグデータに機械学習や統計手法を駆使して結果を出していると聞いています。 この舞台ではロボットに感情が発生するその瞬間を描いている。 つまり人口知能の次の話らしい。 感情を司る意識の発現と言ったほうがよい。 結局は人工意識を作ることができるか?に行き着きます。
感情の元は青い光エフェメラル・・。 心は物質に還元してしまい少し興醒です。 でも話はエフェメラルから離れていく。 エフェメラルの人間性としての意味を探しにです。 意識は嫉妬や怒り悲しみ喜びに広げていく。 KZもロボットなのか?
量の投入で質に転化させようとしている芝居です。 でも物語にまとまりが無い。 母子問題も多く描かれるが熟れていない。 それでも全てを出し切った舞台ですね。 宝物からゴミまでが一緒くたになり濃密な舞台を作り出していました。
台詞の流れは流暢で場面転換も独特なリズムがあった。 乳母ロミーが歌う二度の場面には圧倒されました。 まさに第三エロチカと天井桟敷の融合された舞台が立ち現れていました。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/06/TF-EE.html
*「このブログを検索」キーワード、 川村毅

2017年9月26日火曜日

■HER VOICE、彼女の声

■原作:サミュエル・ベケット,演出:佐藤信,振付・出演:竹屋啓子,出演:伊川東吾
■WAKABACHO WHARF,2017.9,22-25
■竹屋啓子が台詞を喋るのかなと想像していたがやはり無かった。 この作品は何回か観ているので次々でてくる日用品と主人公ウィニの仕草で大凡の語りは思い出すことができる。
彼女の動きには率直な軽さがある。 演劇的はなく舞踊的コミカルを含んでいる。 ダンス舞台を観たことがあるが昔のことではっきり思い出せない。 歯を磨く髪を梳かす動作はもっとリアルにしたいが難しいところだ。 観客がこの作品にどれだけ馴染んでいるかで感じ方が違ってくる。 動作以上に顔の表情も大切になってくる。 竹屋啓子の素直な身体に重みが滲んでくるまで回を重ねていく作品のように思える。
音楽は2・3曲?だったがウィニーを助けていた。 それとストライプ衣装に黄色を加えれば彼女の特長がより映える。 ダブリンをはじめ欧州を巡業するらしい。 これは楽しい旅になるとおもう。 パリ上演はどちらに転んでもヒット間違い無い。
ところでこの劇場は初めて行った。 上演中に車やバイクの音、通りすがりの子供の話声が聞こえてくる。 今回は台詞が無いので逆に気にならなかったが作品によっては気にするだろう。 
*劇団サイト、https://www.kamome-za.com/

2017年9月24日日曜日

■誰もいない国

■作:ハロルド・ピンター,演出:ショーン・マサイアス,出演:イアン・マッケラン,パトリック・ステュワート
■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.9.22-28(2016年作品)
■ツマラナイようでオモシロイ。 のような感じの芝居かしら?  バーカウンタのある室内劇で登場人物は4人。 主人公は二人の老人で大学の友人らしい。 彼らの近況や心身状態、昔話に対話が弾む。 でも人物や背景がよくわからないまま進むから不可解な雰囲気が漂っている。 科白は難解な語彙が散りばめられていて舞台から抜け出してしまうことが度々あったわ。 二人は詩人でもあるらしい。 パブの評価やハムステッド・ヒースのこと、英語の優位性のこと、別荘や芝生の話からロンドンの生活が垣間見える。
しかもこれだけ飲む芝居も珍しい。 終わるまでにウィスキー・ウォッカ・シャンペンのボトルを5・6瓶は開けたかしら? 後半、昔の恋人の話をする場面が一番盛り上がったかな?
アフター・トークがあったのは嬉しい。 イアン・マッケランが二人は認知症にかかっていると言っていたけどどうかしら? でも納得できる場面が一杯ね。 そしてピンターが活躍していたイギリス地方巡業の話も出るから楽しい。
この作品にはピンターの俳優時代が詰まっている感じがする。 ひょっとしてウディ・アレンのコメディアン時代と似ていたんじゃない? そしてピンターの舞台はいつもどこか金属的な匂いがする。 話は飛ぶけどジョゼフ・ロージーの映画にはそれが無い。 これはロージーがピンターの金属色を消してしまったのよ。 ともかくピンター脂が乗り切っていた頃の一品だとおもう。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/86632/
*追記。 ピーター・ホールが12日に亡くなったのね。 なんとピンターと生まれが同じ年なの。 ホール演出のシェイクスピア作品では英国調科白の言い回しと役者の独特な存在感に圧倒されたのを覚えている。 でも彼に続くナショナル・シアターの演出家は大きく変わってしまった。 以降のNTやRSCは世界の潮流に飲み込まれていったのね。

2017年9月23日土曜日

■FALLING GOOD SUN

■振付:大橋可也,ドラマトゥルク:長島確,音楽:涌井智仁,映像:吉開菜央,出演:大橋可也&ダンサーズ
■豊洲シビックセンターホール,2017.9.21-22
■この劇場は上手と正面がガラス壁で出来ていて外の景色が望める構造になっています。 17時の開演からは少し暗いが太陽光だけで舞台を照らしています。 11人のダンサーは寝転がり動きがほとんど無いので芋虫のようです。 お尻を観客に向けているので人体のシルエットがふっくら美しく感じられる。
ダンサーを忘れて珍しい外の景色に目が向かってしまいますね。 豊洲公園を行きかう人々、晴海大橋のクルマの動き、その先にあるレインボーブリッジを走る車もライトの動きで分かります。 遠くには浜松町あたりのビル群の窓明かりが夕日が沈むとともに多くなっていく。 夕焼けも少しばかり空を赤く染めています。 何故17時開演なのかそしてチラシに日没時刻も記載されていたのか? 理由がここで分かりました。
ところで劇場の上手側に新しい建築工事が入っている。 これができると今の素晴らしい風景が遮られてしまいますね。
周囲が暗くなってから照明や映像で舞台を賑やかにしていきます。 寝転がっていたダンサーたちは立ち上がりゆっくりした動作で踊るというより動き回っています。 それにしてもダンサー達の存在感が薄い。 やはり外の風景が影響しているのでしょうか? 東京湾沿いの夜景をみていると「土地の記憶を吸う吸血鬼」には見えません。 このような劇場では他人事のように舞台をみてしまう。 演出家も苦労しているようでしたが19時半開演の第二部「BAD MOON RISING」を観なかったのでなんとも言えない。 個性ある劇場での観客は集中力と散漫力を上手にコントロールする必要があります。
*劇団サイト、http://dancehardcore.com/topics_theworld_2017.html

2017年9月18日月曜日

■DOUBLE TOMORROW

■演出:ファビアン・プリオヴィル,演出補:瀬山亜津咲,ドラマトゥルク:長島確,出演:演劇集団円
■吉祥寺シアター,2017.9.8-17
■「何をしようというのか?」。 観終わってチラシ文を思い返しました。 舞台には白くて二つに割れる大きな丸机と15個の椅子が置いてある。 登場した15人は舞台で群れたり離れたり机の上下周囲を動き回ります。 断片的な科白と視線、小道具を使い役者同士に関係性を作っていく。
どこまでも表層をなぞっていくだけです。 すべてが深まっていきません。 ダンスのような身体動作はちょっと鈍ってますね。 未完の稽古を見ているようです。 「何をしようというのか?」。
今これを書きながら「ドラマトゥルク/長島確」を読んで驚きました。 役者たちの演技が演出家の意図と違う(ようにみえた)、熟練より素人役者のほうが面白いはず(と感じた)、等々をここに書こうとしていたからです。
調味料の入っていない料理かもしれない。 制作過程を聞いて調味料などは求めない作品のようです。 でもそれに代わるものがみつからなかったようにもみえました。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/06/double-tomorrow.html

2017年9月10日日曜日

■VOYAGERボイジャー

■演出:花房伸行,音楽:金子ノブアキ,出演:enraエンラ
■世田谷パブリックシアター,2017.9.8-10
■パフォーミング・アーツ・カンパニーとはどんな舞台を見せてくれるのだろうか? 観客が宇宙船に乗り込んで月・木星そして宇宙へ飛び立つ想定らしい。 手前ピットには演奏家数人が入り舞台は7mX10mくらいのスクリーンを貼り映像を映し出す。
ダンサーたちは背景映像とコラボをとりながら踊る、というより動き回る感じだ。 バレエの振付やストリートダンスそして曲芸まで飛び出す。 映像はセンサー経由でリアルタイムに同期しているようには見えない。 それでもダンサーたちは映像に従属した動きをする。 前半は硬さがみられたが後半は身体が滑らかになったようだ。
しかし宇宙旅行はいつのまにか解体してしまった。 それらしき映像はあったが宇宙の深淵な時間・空間が表現されていない。 またドラマーの金子ノブアキを含め演奏は熱演だったが宇宙とドラムは合わないのでは? ダンサーたちも舞台状況とは切り離されていて踊りに無意味さを感じた。 アトラクション性の強い映像の優位性がその原因だとおもう。 真面目な現代風見世物小屋を覗いてきた観後感が残った。
*劇団サイト、http://enra-voyager.com/

2017年9月9日土曜日

■パッション・フラメンコ

■監督:ラファ・モレス,ペペ・アンドレウ,出演:サラ・バラス,ティム・リース
■Bunkamura・ルシネマ,2017.8.19-(2016年作品)
■サラ・バラス「ボセス フラメンコ組曲」の初演と世界ツアー公演をまとめたドキュメンタリーである。 映像とは別に彼女のインタビューでの語りをオーバラップさせていく構造になっている。 舞台場面もあるがむしろ彼女の生き方や日常生活が浮かび上がってくる作品のようだ。 
世界ツアーはパリ、メキシコ、ニューヨークそして東京と雰囲気の違う都市を回る。 それぞれの観客や知人の多彩さが出ていて面白い。 彼女の踊りは力強い。 「舞台では振付もステップも・・全てを忘れてただ解放感だけが残る」と言っている。 観客もその通りになれる。
沢山のことを詰め込んでいる作品なので時間が前後しているようだ。 このため公演の作曲や振付の問題など経緯がよく分からない。 2015年の来日公演は残念ながら観ていない。 でもフラメンコファンなら多くの場面から記憶を引っ張りだせるだろう。 最後にはサラ・バラスの全体像がみえてくる。
*映画comサイト、http://eiga.com/movie/86876/
*「このブログを検索」キーワード、 フラメンコ

2017年9月6日水曜日

■真夏の夜の夢  ■シンフォニック・ヴァリエーションズ  ■マルグリットとアルマン

■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.9.1-7(ROH,2017.6.7収録)
■真夏の夜の夢
■原作:W・シェイクスピア,振付:F・アシュトン,作曲:F・メンデルスゾーン,出演:高田茜,S・マックレー
■振付家フレデリック・アシュトン特集で3作品を上映。 身体全体で物語を紡ぎ出しす振付が素晴らしい。 腕や手首の一見ぎこちない動きが豊かさを伴って現れてくるの。 妖精たちも雑に感じるけど生き物として微妙にまとまっている。 ティターニア役高田茜も異界住人の雰囲気を持っていた。 シェイクスピアの国だけあって物語には強いわね。 ところで流れを中断して上半身だけをカットして映すのはダメ。 カメラマンの意見が入り過ぎてしまう。
■シンフォニック・ヴァリエーションズ
■振付:F・アシュトン,作曲:C・フランク,出演:M・ヌニュス,V・ムンタギロフ
■硬さのある作品でアシュトンの若さが感じられる。 表面の動きがよくみえるからダンサーたちも大変ね。
■マルグリットとアルマン
■振付:F・アシュトン,作曲:F・リスト,出演:Z・ヤノウスキー,R・ボッレ
■ゼナイダ・ヤノウスキーの引退記念公演。 彼女の全てが込められている舞台だわ。 長身美貌の彼女は高級娼婦としても言うことなし。 「古典よりコンテンポラリが好き」。 インタビュで彼女が言っていたけど「白鳥の湖」をみても分かる気がする。 身体から出てくるリズムがそれを求めているのね。 今回の特集でアシュトンとロイヤル・バレエが創り出す物語的厚さを再認識。
*英国ロイヤル・オペラ・ハウス2016シネマシーズン作品
*作品サイト、http://tohotowa.co.jp/roh/movie/the_dream.html
*「このブログを検索」キーワード、 ROH

2017年9月4日月曜日

■イマジネーション・レコード

■振付:矢内原美邦,出演:Nibrollニブロール
■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2017.8.29-9.3
■力強い足音で暗闇の中から現れて足跡が暗闇に消えていく。 激しく歩く姿が目に焼き付きました。 舞台の前半は暗さがあります。 衣装のせいもあるでしょう。 暗い水玉模様を何回か着替えながら明るいストライプに移っていく。
風景のこと、狼少年が来るぞ、出来事の時間経過について科白が語られます。 動きに合わせて激しく喋るので鬱積した時代の生きずらさが感られる。 デジタル時間表記やオオカミ少年は情報化社会を生きていく辛さが表れています。 風景を記録することも強迫的にみえる。 追い詰められていますね。 その活況場面で映像を面白く表現すればするほどダンスは薄くなってしまう。 映像も曲者です。 そして記憶と時間の関係も一筋縄ではいかない。 「生きられる時間」を取り戻すにはどうしたらよいのか? 舞台を観ながら考えてしまいました。
ダンサーたちは若さが溢れ出ていた。 振付や科白から飛び出そうとする力がみえました。 演出家の意図を良い意味で純粋にしていました。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/nibroll
*「このブログを検索」キーワード、 矢内原美邦

2017年9月2日土曜日

■ロメオとジュリエット

■原作:W・シェイクスピア,作曲:C・F・グノー,指揮:G・ノセダ,演出:B・シャー,出演:D・ダムラウ,V・グリゴーロ
■東劇,2017.9.2-3(MET,2017.1.21収録)
■この作品をオペラで観るのは初めてかも。 1幕出会い、2幕バルコニ、3幕結婚と決闘、4幕仮死、5幕墓所の全5幕。 幕単位で一気に物語時間を飛ばすから振幅の大きなリズムが感じられる。 台詞が少ないから芝居とは違う作品にみえるの。 演出家シャーは凝縮といっていたけど省略も多い。
ロメオ役グリゴーロの声は錆びていて相手に纏わりつく感じだわ。 でもジュリエット役ダムラウの歌唱はロメオを通り抜けてしまう。 最初は絡み合わなかったけど後半は慣れて来たわよ。
5幕の墓所は驚きね。 芝居ではロメオとジュリエットはすれ違いだと記憶していたけど、オペラではロメオが毒を飲んだ直後にジュリエットが目覚めて歓喜のデュエットが続くの。 ロメオの毒が回り始めそれを知ったジュリエットは短剣で自身の胸を刺す。 その時ロメオも刺すのを手伝ってしまう・・!?
舞台はヴェローナの街角だけど単色の暗さが重みを出していた。 同じ構成で全幕通すのもなかなかやるわね。 でも合唱団の衣装がとても豪華なの。 衣装担当がフェデリコ・フェリーニのファンなのよ。 しかも「カサノバ」を意識したらしい。 この妖しい衣装はロメジュリの恋愛には似合わない。
ロイヤル・バレエ団*1でこの作品を観た時はとても感動したことを覚えている。 でもオペラはシェイクスピアからも遠くなってしまった。 METだから? ロイヤル・オペラならどうかしら?
*1、「ロミオとジュリエット」(ロイヤル・バレエ,2013年)
*METライブビューイング2016作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/met/program/1617/#program_05
*2017.9.3追記。 中村雄二郎の訃報を新聞で知ったの。 舞台を話題にした著書が多いからよく手にしたわ。 鈴木忠志との共著「劇的言語」は舞台本ではベスト作品の一つ。 好きな作品は随筆「考える愉しみ」。

2017年8月28日月曜日

■ミカド

■作曲:アーサー・サリヴァン,台本:ウィリアム・S・ギルバート,指揮:園田隆一郎,演出:中村敬一,出演:松森治,飯嶋幸子,二塚直紀ほか,演奏:日本センチュリー交響楽団
■新国立劇場・中劇場,2017.8.26-27
■ディスカバー・ジャパンの活動を再開したような舞台美術だ。 衣装を含め外国人旅行者向けのメディア広告を見ているようだ。 オペラと巧く融合されていて面白い。 でも好みの分かれる舞台にみえる。 隣席の客は前半で帰ってしまった。
日本のようで日本ではない。 西欧植民地化を経験したアジアのどこかの国にみえる。 そしてコモンローを極端化したような法の話が多いのも変わっている。 さすが英国オペラ、というかチラシの通り「奇想天外抱腹絶倒歌劇」である。
日本語と英語の字幕が表示され分かり易い。 日本語オペラは歌手と一体になれる。 外国語だと歌手が何を考えているのか見当がつかないことがある。 歌詞の微妙な意味から、歌唱での微妙な表情から作品のあらゆる繋がりが見えてくるからである。 余裕を持って聞くことができた。
歌唱も演奏も心地よかった。 この劇場は音響がよくなかったが改築したのかな? 柔かなシットリ感を耳に感じる。 台詞の部分は意味も含めて過激だったが。 それはともかくマジで楽しい舞台だった。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_009646.html

2017年8月27日日曜日

■月に吠える

■振付:勅使川原三郎,出演:佐東梨穂子,鰐川枝里,マリア・キアラ・メツァトリ,パスカル・マーティ
■東京芸術劇場・プレイハウス,2017.8.24-27
■久しぶりに勅使河原三郎の舞台をみて生き返った。 それにしてもダンスと詩を結び付けると観る楽しさが変わる。 詩を朗読する場面があるが声がスピーカから流れるのだ。 やはり言葉は肉声で聞きたい。 でないとダンス身体と一体にならない。 音楽とは違うように感じる。
ダンサーは5人。 佐東梨穂子は知っていたが他3名は初めてである。 なかなかいい。 でも勅使川原が登場すると舞台が俄かに緊張する。 彼の動きは瞬間瞬間止まっているようにみえる。 身体にまとわりつく空間や時間の存在までも感じることができる。 そのときダンスをみる喜びがやって来る。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater155/

2017年8月26日土曜日

■野田版・桜の森の満開の下

■原作:坂口安吾,演出:野田秀樹,出演:中村勘九郎,市川染五郎,中村七之助ほか
■歌舞伎座,2017.8.9-27
■奥の深い作品である。 壬申の乱の権力闘争の中にあの世の結界を破壊することを重ね合わせているからだとおもう。 此岸と彼岸を結ばないと芝居は深くならない。 境界にいる鬼たちを背に縦横に動き回る夜長姫。 右往左往する主役の耳男との言葉の遣り取りはやはり野田版だと納得できる。 観客に合わせてどのレベルでみても楽しめるようになっている。 横幅のある舞台での歌舞伎座公演は相乗効果でレベルの幅も広がる。 舞台美術は春爛漫で納涼歌舞伎にしては涼しさは足りないが豪華な舞台は暑さも形になる。
*野田地図サイト、https://www.nodamap.com/site/news/363

2017年8月25日金曜日

■チック

■原作:ヴォルフガング・ヘルンドルフ,上演台本:ロベルト・コアル,翻訳・演出:小山ゆうな,出演:柄本時生,篠山輝信,土井ケイコ,あめくみちこ,大鷹明良
■シアタートラム,2017.8.13-27
■クルマの運転席を観客席に設置し役者が運転をしながら玩具の自動車を舞台に走らせるとは面白い。 小道具が映像や照明と混ざり合っていて新鮮でした。
粗筋を読まないで観たのですが出だしの30分は引き込まれました。 しかしマイクとチックのドライブは小さな事件を積み重ねていくだけです。 不安になります。 休息中にプログラムを買い野村萬斎の挨拶文を読んでどういう芝居か分かった。 二人が14歳だということが。 少年と青年の間に在るほろ苦い時期を描いた少青冒険譚ということですね。 しかし何故この芝居を見抜けなかったのか? それは・・
マイクとチックを青年として最初みてしまったからです。 マイクの両親がアル中や不倫が見え見え喧嘩も派手でで子供との距離感が掴めなかった。 それとチックが大人びているにも関わらず肝心な科白が一言も無い。 チックが見えない。
言葉の少ない作品です。 「他人の目は気にするな」と母は二度もマイクに言いますがそれだけです。 またマイクの独白する人生や死に対する言葉が前後と切り離されて浮遊している。 この状況のまま自動車事故に遭遇し幕が下ります。
この時期をテーマにした作品は映画ではよく見かけます。 少年と青年の間にある独特なリズムが必要なため舞台より映画の方が作り易いのでしょう。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201708tschick.html

2017年8月24日木曜日

■明るい小川

■音楽:ドミトリー・ショスタコーヴィチ,振付:アレクセイ・ラトマンスキー,出演:スヴェトラーナ・ルンキナ,ミハイル・ロブーヒン他
■Bunkamura・ルシネマ,2017.8.12-9.1(ボリショイ劇場,2012.4収録)
■コルホーズ収穫祭を背景にした恋愛ドタバタ喜劇なの。 農民や芸術家たちが登場し楽しさ一杯でソビエト礼賛にみえる。 でも当時のスターリン主義者たちには気に食わなかったようね。 その時の振付家は監獄行きよ。 しかも獄中死。 ショスタコーヴィッチも動揺したみたい。 70年ぶりに復活上演をした曰く付き作品ね。 でも1936年初演時に大衆受けしたのには納得。 当時の農民の生活が描かれているからよ。 今みても「現代の英雄」や「黄金時代」とは別の風景が浮かび上がっている。 作品復活はボリショイの時代の役目だとおもう。 ところで今調べたら「明るい小川」ってコルホーズの名前なのよ(苦笑)。
*ボリショイ・バレエinシネマ2016作品
*作品サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/17_bolshoi.html
*「このブログを検索」キーワード、 ボリショイ・バレエinシネマ

2017年8月23日水曜日

■シアンガーデン

■作:虎馬鯨,演出:天野天街,出演:少年王者舘
■ザスズナリ,2017.8.18-22
■淡々と流れていく詩的雰囲気を持っています。 夏休みの怠い季節をピリッとさせてくれます。 ミニマルな動作や言葉の遣り取りが心地好いですね。 ロボット周辺だけは張り詰めた空気で作品を程よく硬くしていた。 シアンという言葉は色や毒素など多くの意味で使っているようにもみえました。
役者が一瞬で入退場するのは時間が、壁に穴を開けて出入りするのは空間が飛んでしまったように見えます。 映像マッピングは検討の余地がある。 技術が向上しているからです。 ストーリーのネスティングを取捨選択して密度を上げ上演時間を1.5時間くらいに短くすれば身体と言語の切れがもっと際立つはずです。 終幕のダンスも味がでていました。
*劇団サイト、http://www.oujakan.jp/_images/cgo.jpg

2017年8月22日火曜日

■棒しばり  ■喜撰

■出演:中村勘三郎,坂東三津五郎,坂東彌十郎ほか
■出演:坂東三津五郎,中村時蔵,坂東秀調ほか
(以上タイトル順のキャスト)
■東劇,2017.8.12-25(順に歌舞伎座で2004.4及び2013.6に収録)
■坂東三津五郎特集で二作品を選んだようだ。 彼は二年前60歳に届かず亡くなっている。 中村勘三郎も同じだ。 歌舞伎役者はなぜ早死にするのか? 仕事上の酒付き合いが避けられないのだろう。
「棒しばり」は酒を飲む楽しさが伝わってくる。 現代演劇は飲食場面があると何故シラケルのか? そこで現実に戻されてしまう。 観ていながら考えてしまった。 床迄の距離も影響しているらしい。 この作品も床にベタっと張り付きながら酒を飲む。 これだと現実に戻されることは少なくなる。 テーブルでの飲食ではこうはいかない。 劇的感動と飲食は反比例していることは確かだ。
「喜撰」といえば百人一首で初めに暗記してしまう歌として覚えている。 坂東三津五郎得意演目らしい。 喜撰法師と祇園茶汲み女お梶の掛け合い仕草は楽しい。 坊主共と庵に帰っていく場面では観ていても心が晴れ晴れしてくる。
*シネマ歌舞伎第23弾作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/30/#sakuhin

2017年8月19日土曜日

■現代の英雄

■原作:ミハイル・レールモントフ,音楽:イリア・デムツキー,振付:ユーリー・ポソホフ,出演(ペチョーリン):イーゴリ・ツヴィルコ,アルチョム・オフチャレンコ,ルスラン・スグヴォルツォフ
■Bunkamura・ルシネマ,2017.8.12-9.1(ボリショイ劇場,2017.4収録)
■原作五話が三話に再構成されているらしい。 主人公は青年将校ペチョーリン。 3人が1役として主人公を演ずる。 恋人はベーラ、オンディーヌ、令嬢メリーだけどそれぞれ違うダンサーが受け持つ。 実は原作を読んでいないから肝心なところが分からないの。 この小説はロシアでは有名だから読んでいることが前提のようね。 でも主人公が毎幕ちがうから新鮮味は保たれている。 一幕はコーカサス山岳地、二幕は黒海沿岸、三幕は療養所のような体育館で舞台美術はしっかりしている。 前半は少し暗すぎるけど。 ペチョーリンはロシア的な雰囲気があり彼だけをみていると知っている小説たとえばトルストイの作品などを思い出してしまう。 でも比較するなら「エフゲニー・オネーギン」かしら。 イスラムも強くでている。 群舞ダンサーたちは黒服で顔を隠しとても力強く踊るからよ。 最初のベーラの場が気に入ったけど、そこでのペチョーリンはイーゴリ・ツヴィルコ、ベーラはオルガ・スミルノワ。 次のオンディーヌはエカテリーナ・シプーリナ、令嬢メリーはスヴェトラーナ・ザハーロワよ。 作品に厚みがでたのは3人のペチョーリンと3人の恋人たちのオムニバス風のおかげね。
*ボリショイ・バレエinシネマ2016作品
*作品サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/17_bolshoi.html

2017年8月18日金曜日

■タイタスアンドロニカス

■作:W・シェイクスピア,演出:木村龍之介,出演:カクシンハン
■吉祥寺シアター,2017.8.14-20
■「シェイクスピアの台詞は俳優に膂力(りょりょく)を与える」。 翻訳家松岡和子がチラシに書いてる。 観ていてそのとおりの舞台だと感じました。 エコーをかけた所もあったが役者の声が良く通ります。 現代的な荒々しい力強さを持った科白がビシビシ聞こえてきました。 この硬さが醒めた感動を持ってきてくれる。
それにしても人肉パイまで作って食べるとは凄い。 シェイクスピアもやりますね。 ラヴィニアの舌と腕から垂れている赤い電気コードで感電したり死んだ子供達の脳に突き刺して記憶を聞いたりする場面も残酷ある笑いと悲しみが表現されていました。 また美術界で流行りの二次元レーザ光線を取り入れたり、穴の位置を三次元移動させていくのも面白い。 衣装を次々変えていくのもチカラのある証拠です。 小劇場パワーを久しぶりに体感しました。
*劇団サイト、http://kakushinhan.org/others/titus-info

2017年8月16日水曜日

■コンテンポラリー・イブニング

(以下3作品を上映)
□「檻」,振付:ジェローム・ロビンス,音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー,出演:アナスタシア・スタシケーヴィチ他
□「ロシアン・シーズン」,振付:アレクセイ・ラトマンスキー,音楽:レオニード・レシャトニコフ,出演:ユリア・ステパノワ他
□「エチュード」,振付:ハロルド・ランダー,音楽:カール・チェルニー,出演:オリガ・スミルノワ他
■Bunkamura・ルシネマ,2017.8.12-9.1(ボリショイ劇場,2017.3収録)
■どれもボリショイにはみえない。 しかも「檻」は1951年振付のためかJ・ロビンスとは別人のようね。 当時のモダンダンスの流れに乗った作品のようだわ。 「ロシアン・シーズン」も同じ流れを下った作品かしら。 ダンサーの入退場や相互距離の取り方がミニマムぽくなっている。 二人づつ色分けしているから余計にそう感じるの。 面白かったのは「エチュード」。 スポットライトを多用した前半はつまらないけど後半に行けば行くほど目が釘付けになっていく。 そこで登場した女性ダンサーが素晴らしかった。 この人がオリガ・スミルノワかしら? 鋼鉄の動きをしていてボリショイ・バレエの精神を感じ取れる。 今日は彼女に出会えただけで満足よ。
*ボリショイ・バレエinシネマ2016作品
*作品サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/17_bolshoi.html

2017年8月14日月曜日

■黄金時代

■音楽:ドミトリー・ショスタコーヴィチ,振付:ユーリー・グリゴローヴィチ,出演:ニーナ・カプツォーワ,ルスラン・スグヴォルツォフ,ミハイル・ロブーヒン
■Bunkamura・ルシネマ,2017.8.12-9.1(ボリショイ劇場,2016.10収録)
■ロシア構成主義の幾何学模様に囲まれた舞台隅には「1923」と書かれている。 まさに黄金時代ね。 猟師ボリスが踊り子リタをギャングのヤシューカから奪い取る話よ。
ソビエト時代を感じさせる群舞で始まるけど器械体操のような動きもあって力強い。 一転して同時代の「シカゴ」顔負けのキャバレー場面になり振付がより複雑になっていくの。 男女関係をウルトラ級のリフティングで次々とこなしていくから目が離せない。
この激しい動きでもリタ役ニーナ・カプツォーワは汗一つかいていない。 しかも個性を出さないからどこにでもいる普通のお姉さんにみえる。 相手のボリス役ルスラン・スクヴォルツォフも真面目腐ったお兄さんだからお似合いね。 ギャングのヤシューカ役ミハイル・ロブーヒンはなかなかの適役だったわ。 
1930年初演は失敗したらしい。 ショスタコーヴィチはソビエト当局から形式主義とのレッテルを貼られ再演は1982年まで待たなければいけなかったようね。 これだからボリショイ・バレエには奇想天外な作品が多いのかも。 この作品も弄くり回しているからそれを感じる。
ところでルイス・ブニュエルの「黄金時代」も1930年公開時に右翼がスクリーンに爆弾を投げつける事件で50年間公開禁止になってしまった。 黄金時代はどれも同じような道を辿るのね。
*ボリショイ・バレエinシネマ2016作品
*作品サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/17_bolshoi.html

2017年8月13日日曜日

■女殺油地獄-杉本文楽-

■原作:近松門左衛門,作曲:鶴澤清治,演出:杉本博司,出演:鶴澤清治,竹本千歳太夫,豊竹呂勢太夫,豊竹靖太夫ほか
■世田谷パブリックシアター,2017.8.11-13
■文楽ときいて劇場へ向かったが色々と趣向を凝らした内容だった。 先ずは口上で近松門左衛門が登場する。 近頃の近松作品は作者本人の登場することが多い。 時代が遠くなっているので観客との距離を縮めたいのだろう。 戯けた恰好で週刊新潮や文春を持ち出したりワイドショーの話をするから楽しい。
次が三味線序曲「地獄のテーマ」。 鶴澤清治の新曲らしい。 「テーマ」とあるからキリスト教の地獄を思い出してしまった。 しかしこの演奏では地獄には行けない。 この世とあの世の境界線をさ迷っている感じだ。 お盆だからちょうど良いのかもしれない。
「下之巻豊島屋」は二部構成に分け「前」は素浄瑠璃形式で出演は竹本千歳太夫。 少し上を向いて語る。 顔の筋肉の動きが派手である。 太夫の顔を見続けてしまった。 意味不明の個所が時々でてくる。 上演台本そのままの字幕が表示されれば有難い。
次の「奥」は人形浄瑠璃にて上演。 与兵衛とお吉の掛け合いである。 素浄瑠璃と違って語りが聞き取れる。 人形でも身体の動きが加わると言葉は時代を越えて捕まえることができるのだ。
カーテンコールには杉本博司も登場する。 今回の舞台は美術家としての顔は見えなかった。 それでも結構楽しめた。 上演台本を買ったので家に帰り早速竹本千歳太夫の顔真似をしながら声を出して読む。 とても気持ちがいい。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201708sugimotobunraku.html
*「このブログを検索」キーワード、 杉本博司

2017年7月31日月曜日

■旗を高く掲げよ

■作:古川健,演出:黒岩亮,劇団:青年座
■青年座劇場,2017.7.28-8.6
■1938年、歴史教師ハロルド・ミュラーは親友の勧めでナチス親衛隊(SS)事務部門に転職する。 彼は乗り気ではなかったが給与も上がるし妻や娘もその社会的地位を喜ぶからです。 彼は次第にエリート集団であるSS組織の実力主義や新規事業に馴染んでいく。 「普段でも制服を着ていないと落ち着かない」と。 悩みながらもSS経済管理本部で中佐、大佐と昇級の道を進んでいきます。
舞台中央に大きな国民ラジオが置いてありト書きのようにニュースや音楽、群衆の歓喜が聞こえてくる。 シークエンス間をラジオスイッチのオンオフとフェードアウトで物語を繋ぎ合わせリズム有る流れになっています。 
場所はドイツですが日本に置き換えても不都合にはみえない。 戦争遂行国の国民の姿を定式に当て嵌めたような作品にみえます。 戦時での多くの民の行動はこうなる。 ユダヤ人や身体障がい者が周囲から次第にいなくなっていくのを見て見ぬ振りをすることです。 都合の良い情報だけを選んでいき無意識的に差別をやり過ごす。 終幕、米国に逃げていたユダヤ人友人がこれに近い言葉をミュラー夫妻にぶつけます。 二人は自殺未遂に追い込まれたにも関わらずドイツ冷戦時代を今までと同じように善良な市民として生きていくのでしょう。
*劇団サイト、http://seinenza.com/performance/public/227.html
*「このブログを検索」キーワード、 古川健
*2017.8.3追記。 夕刊に大笹吉雄が「ハロルドの歴史教師という設定が生かされていない・・」と書いている。 ハロルドはアーネンエルベ(祖国遺産協会)と関係していたことはそれとなく語られるが彼の歴史観は実際よく分からなかった。 「日本人が外国の歴史を素材にする意味が無ない」と大笹は厳しいところを突いてきます。 ハロルドを一般市民とは言わせない!ということでしょう。

2017年7月26日水曜日

■パリ・オペラ座-夢を継ぐ者たちー

■監督:マレーネ・イヨネスコ,出演:M・ガニオ,A・ルテステュ,U・ロパートキナ,オニール八菜,W・フォーサイス
■Bunkamura・ルシネマ,2017.7.22-(2016年作品)
■バレエ9作品の片鱗を繋ぎ合わせて練習風景に焦点に合わせたドキュメンタリー映画よ。 中心に立つのがアニエス・ルテステュ。 彼女が指導を受けた師の話を散りばめながら今の若いダンサーを教授するところが映し出されるの。
監督マレーネ・イヨネスコは同じような映画を沢山撮っているので観たのかどうか混乱してしまう。 何回みても気にしないけどネ。
マチュー・ガニオが初めてサンクトペテルブルクで「ジゼル」を踊る場面は、彼のジゼル論について、ロシアバレエについて、本番での心構えなどが語られドキュメンタリーの面白さが十二分に引き出されていた。 ロシア関係者が彼を再び招待したいと言っていたけどその理由が「堂々としていた」から。 トップダンサーを褒める核心の一言だとおもう。
再びガニオだけどギレーヌ・テスマーから「パキータ」を教わっている所も面白い。 テスマーの優しくて的確な指摘をガニオに与えていくけど教え方がとてもリズミカルなの。
それと「愛の伝説」のウリヤーナ・ロパートキナの骨と筋肉だけでできた細い身体はいつみても惚れ惚れするわね。
ところでルテステュはルドルフ・ヌレエフの指導は素晴らしかった、フォーサイスは天才だ、と言っているけど抽象的すぎてよくわからない。 しかも「PAS/PARTS」練習中の彼女はシックリ踊っていない。 「ラ・バヤデール」を若いダンサーに教えている場面でも感情表現の説明が的を突いているようには聞こえなかった。 教師としての言葉を彼女はもっと磨く必要があるわね。
*作品サイト、http://backstage-movie.jp/
*「このブログを検索」キーワード、 マレーネ・イヨネスコ

2017年7月24日月曜日

■Penalty killingーremix ver.-

■作・演出:詩森ろば,出演:粟野史浩,森下亮,三原一太ほか,劇団:風琴工房
■シアタートラム,2017.7.14-23
■アイスホッケーは氷球と書くらしい。 氷上の格闘技とも言う。 これを聞いたとき舞台に一番マッチする団体競技だと感じました。 競技場が大きい種目は動きと対話が拡散して工夫を凝らしても舞台の迫力は減ってしまう。 個人競技ではモノローグの多いボクシングが最強でしょう。 やはり条件は格闘技です。 
ストーリーはスポ根つまりスポーツ根性に近い。 このため試合が近づくにつれ段々と面白くなってくる。 監督と選手、選手同士の意見の対立と協調が激しくぶつかるからです。 そして試合というクライマックスが必ず有るのも物語構造として申し分ない。
その頂点をダンスでまとめるとは面白い。 格闘ダンスですね。 よくぞここまで考えたものです。 役者の動きや科白のタイミングは素晴らしい。 演劇にダンスを入れる方法は今の劇団なら失うものより得るものの方が多い。 風琴工房は何が飛び出すかわからない劇団ですね。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/82067
*2017.7.25追記。 作品の公式サイトみました。 実際のアイスホッケーチームをじっくり取材して作り上げたのでリアルに感じられたのですね。 舞台の盛り上がった理由が分かりました。

2017年7月21日金曜日

■ダンサー、セルゲイ・ポルーニン

■監督:スティーヴン・カンター,演出・撮影:デヴィット・ラシャベル,出演:セルゲイ・ポルーニン
■新宿武蔵野館,2017.7.15-(2016年作品)
■突然いなくなってしまったセルゲイ・ポルーニンのドキュメンターを観ることができて嬉しい。 ポルーニン自身の言葉から、家族や友人の話から彼の生い立ちや今の姿がみえてくる。
10歳を過ぎた頃からダンサーになるために生まれてきたのが素人目にもわかる。 19歳でのロイヤルバレエ入団時の実力はプリンシパル以上だわ。 それがあっという間に崩れてしまった。 いくつもの薬を飲み舞台に向かう姿は凄絶としか言いようがない。
「ポルーニンには子供時代が無かった」。 彼の親友(名前は忘れた)の言葉に頷いてしまったの。 子供時代は人生の宝よ。 そして家族の離散から彼は目標を見失ってしまう。 ポルーニンは両親、特に母と対峙していく。 ダブルバインドから抜け出せない。
彼はロシアに戻りバレエ団監督(名前は忘れた)に師事するの。 これは父親不在の補完で母親との関係の繰り返しかもしれない。 この作品は母と和解したようにして終わっているけどそうは見えなかった。 全てをバレエに捧げてきたことが素晴らしいことだったと心から納得するまではね。 それはいつか来る。
*作品サイト、http://www.uplink.co.jp/dancer/

2017年7月17日月曜日

■パリ・オペラ座「バレエ・リュス」

■指揮:ヴェロ・パーン,演奏:パリ・オペラ座管弦楽団,出演:パリ・オペラ座バレエ団
■Bunkamura・ルシネマ,2017.7.15-21(パリ・オペラ座ガルニエ宮,2009.12収録)
(以下より上映4作品のスタッフ&キャスト,感想)
□ばらの精
■振付:ミハイル・フォーキン,出演:マチアス・エイマン,イザベル・シアラヴォラ
■甘ったるい感じが舞台に出ている。 バラの精のどこかダラリとしているような雰囲気がいい。 腕や手のふりつけが中途半端にみえるところも楽しい。 笑ってしまった。 背景中央から緑の壁、窓そしてカーテンの構成と色そしてソファーの形も申し分ない。 終幕、少女?の夢だったのが全てを許す気分になれる。
□牧神の午後
■振付:ワツラフ・ニジンスキー,音楽:クロード・ドビッシー,出演:ニコラ・リッシュ,エミリー・コゼット
■この作品は何回か観ているがここまで原演出?に沿った舞台は初めてである。 牧神もニンフも横顔しか見せない。 しかも歩き方に拘っている。 牧神が拾ったニンフの衣装へのフェティシズム表現が面白い。 笑ってしまった。
□三角帽子
■振付:レオニード・マシーン,美術:パブロ・ピカソ,出演:マリ=アニエス・ジロ,ジョゼ・アルティネズ,ファブリス・ブルジョア
■舞台美術や衣装はピカソらしい。 単純で伸びのある村の平面風景と衣装のキュビズム的立体感がマッチしている。 特に代官たち衣装の縦じま模様が際立つ。 音楽と振付も楽しく共鳴している。 スペイン風ロシア風フランス風田舎舞台は当時都会へ出てきた観客なら故郷の祭りを思い出しただろう。
□ペトルーシュカ
■振付:ミハイル・フォーキン,音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー,出演:バンジャマン・ペッシュ,クレールマリ・オスタ,ヤン・ブリダール
■見世物小屋周辺の群衆と群舞は素晴らしい。 玩具箱をひっくり返したような人物たちの踊りは飽きさせない。 下町の遊園地のようだが民族が交差する市場の一角にもみえてしまう。 3人のパペットはバレリーナを除いて人形らしくない。 もっと強調すれば一層面白くなるだろう。
今回の4本をみると当時の人々は「バレエ・リュス」に新鮮な驚きを見たはずだ。 バレエというより総合芸術と出会った楽しさをである。
*セルゲイ・ディアギレフ生誕145周年記念特別上映
*劇場サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/17_balletsrusses.html
*「このブログを検索」キーワード、 バレエ・リュス

2017年7月15日土曜日

■怒りをこめてふり返れ

■作:ジョン・オズボーン,翻訳:水谷八他,演出:千葉哲也,出演:中村倫也,中村ゆり,浅利陽介,三津谷葉子,真那胡敬冶二
■新国立劇場・小劇場,2017.7.12-30
■LDK一部屋だけの奥行ある舞台は距離感が掴めなくて目眩がする。 大きな倉庫を改築したような感じね。 でも幕が開いたとき登場した役者が巨人のようにみえてビックリ! 慣れるまで時間がかかったわ。
ジミーが怒っている理由が解らない。 とにかく怒りっぱなしなの。 同居人はこれに慣れているみたい。 女優ヘレナが登場してからジミーの怒りの中身が少し見えてきた。 彼は思っていたより正面だということが。
そして彼は父親が亡くなった時の話をするの。 一人で父を看病したこと、ちゃんと葬儀をしたこと等々をね。 そしてここが怒りの発生場所だったことを彼自身が話すの。 でも理解も納得もできない。 新たな疑問よ。 次に病気で倒れた友人の母を見舞いそして葬儀をしてくる彼はとても律義のある人にみえる。 しかも彼は供花も送らない妻アリソンに不満をもらす。 教会の鐘は煩いと言っていながら宗教のある面は保守的にみえる。 階級についても制度で人々が固まってしまった考えや行動に対して怒っているようにみえる。 彼が妻アリソンを見初めたのは彼女がその中で自由にみえたからなの。 彼は制度そのものより運用や方法にケチを付けているみたい。 終幕、妻アリソンとの仲直りも今ある制度の中で慎ましくそして怒りながら生きて行こうとするようにみえてしまった。
この一線を越えないのが帝国崩壊や階級格差の1950年代英国を生き抜く知恵だったのかもよ。 制度と自由への彼の考え方だとおもう。 そして新聞とラジオだけのゆるやかな情報とロンドン近郊の田舎暮らしそれにキャンディ売り(?)がそれを可能にした。
登場人物5人は夫々の持ち味が生きていてとても楽しく観ることができたわ。 役者の個性も際立つ作品ね。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007983.html

2017年7月14日金曜日

■深く青い海

■作:テレンス・ラティガン,演出:キャリー・クラックネル,出演:ヘレン・マックロリー,トム・バーグ
■TOHOシネマズ日本橋,2017.7.7-13
■1950年頃のロンドン。 舞台はアパートを縦切りにして1階と2階住人の動きが分かるようにしているが暗い青色系照明のためはっきりしない。 「・・何不自由なく夫と暮らしていたへスターだったが、元空軍パイロットのフレディに心を奪われ駆け落ちしてしまう。 しかしフレディの愛に物足りなさを感じた彼女は・・」。 1階に住む主人公ヘスターの睡眠薬自殺に失敗する場面から始まる。
夫婦の愛を確かめる話のようだ。 夫フレディは妻ヘスターを嫌ってはいないが「感情の葛藤から逃れたい」普通の男にみえる。 反して妻には愛が残っているようだが複雑だ。 判事である前夫ウィリアムはヘスターに戻って来いと言うが彼女は従わない。
イギリス独特の雰囲気がある。 戦勝国の奇妙な余裕を描いているが米国とは違う。 画面の観客が笑う場面の半分は理解できない。 「イートンスクゥエア」で笑うのは何故か? ミラーを含めアパート住人たちの科白はヘスターが何者かを掘り下げてくれない。 結局は三人の対話に集中していく。 インタビューで演出家は夫フレディを持ち上げていたが彼は人並である。 謎はない。 この演出家の勘違いがそのままヘスターの複雑さをまとめ切れなかった。 謎としてもだ。 このブログを書いている間もヘスターがどういう人間だったか輪郭がどんどん薄れていく。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*作品サイト、http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/56769-the-deep-blue-sea
*「このブログを検索」キーワード、 ラティガン

2017年7月12日水曜日

■湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)

■作:深津篤史,演出:坂手洋二,劇団:燐光群
■ザスズナリ,2017.7.6-19
■湾岸線は新しさが高架下は古さが感じられます。 混ざり合ったタイトルの風景がよくみえない。 高架下はともかく湾岸線に住んだことが無いためかもしれない。 舞台はその近くのアパートの一室らしい。 登場人物も下着姿でいることが多い。 上手には四角い金魚鉢が置いてあります・・。
月曜午前4時、部屋に二人の男と一人の女。 火曜日午前4時、男一人と女3人。 水曜日午前4時、・・若干の違いはあるが以降は覚えていない。 これが金曜日まで15分前後の5場面で構成されている。
仕事のことや互いのカラダのこと、窓からみえる動かない浮浪者を思ったり、人皿で宴会をしたり、友人の爆弾製造の話などが続く。 会社を辞める話が2・3度あったが仕事に対する鬱積したものが底辺にあるようです。 爆弾製造もこれに関係しているらしい。 そして多くの対話は短い。  
燐光群は元気のいい劇団です。 芝居を観るといつも元気がでる。 作者深津篤史は知らないがこれはもっとジットリ感を出す作品ではないのか? 観ながらそう思いました。 でも演出家は役者たちのカラッとした身体と言葉で作者を乗り越えようとしている。 燐光群らしい。 これも現代を生きる男と女の「エロスとタナトスに満ち隠れた」一面だと言わんばかりに。
*「深津篤史演劇祭」参加作品
*劇団サイトhttp://rinkogun.com/wangansen.html
*「このブログを検索」キー、 深津篤史
*2017.7.12追記。 配布のチラシには湾岸線や高架下の風景そして動かない浮浪者は阪神淡路大震災に関係しているらいしと演出家が言っている。 しかも地震は午前5時過ぎに起きている。 作者も震災被害を受けたらしい。 これを知ってタイトル風景の謎がみえてきました。

2017年7月10日月曜日

■子午線の祀り

■作:木下順二,演出:野村萬斎,音楽:武満徹,出演:野村萬斎,成河,河原崎國太郎,今井朋彦,村田雄浩,若村麻由美ほか
■世田谷パブリックシアター,2017.7.1-23
■前半の平知盛と親族や部下との議論や駆引きが楽しい。 舞台に吸い込まれてしまった。 同時に衛星としての月の話や舞台背景の北斗七星その先の北極星を眺めていると源平合戦が小さな塵のようにもみえてくる。 宇宙を感じさせてくれる作品である。
後半、壇之浦の戦いに入っていく。 義経(成河)の身体性を伴う早口の声が気持ちいい。 動機として声が源氏の立ち位置をはっきり現わしていた。 しかし話が進むほど緊張感が逃げていくのは何故だろう? 戦闘場面の解説が多くて科白が単純になってしまったからだとおもう。 もう一つ知盛(野村萬斎)が声にこぶしを効かせてしまったのがいけない。 調子が出過ぎたようだ。 淡々と演ずるのがいい。
この芝居は「山本安英の会」で観た記憶がある。 今回は役者の動きが激しかったせいか終幕の影身(若村麻由美)の言葉で宇宙の静と人の動の対比の遠さを面白く感じ取ることができた。 作品の良さを引き出したダイナミックな演出だった。
*世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201707shigosen.html
*「このブログを検索」キー、 野村萬斎
*2017.8.2追記。 夕刊に池澤夏樹の記事が載っていた。 「古川日出夫訳にしたらどうか?」 現代訳に近いので観客はついていけそうだが。 「月の運行や愛馬の話で項羽本記を思い出した・・、平家物語の作者は史記を参照したのだろう」。 「この作品は左翼のルサンチマンがちらつく。 ・・大杉栄や荒畑寒村、管野スガの「冬の時代」をみたい」。 なるほど。

2017年7月8日土曜日

■血の婚礼  ■フラメンコ組曲  ■カルメン

■原作:F・G・ロルカ,振付:アントニオ・ガデス,芸術監督:S・アラウソ,出演:クリスティーナ・カルネロ,アンヘル・ヒル,アントニオ・ガデス舞踊団
■振付・照明:A・ガデス,芸術監督:S・アラウソ,出演:ステラ・アラウソ,ミゲル・ララ,A・ガデス舞踊団
■原作:P・メリメ,振付:A・ガデス,カルロス・サウラ,芸術監督:S・アラウソ,出演:バネッサ・ベント,アンヘル・ヒル,A・ガデス舞踊団
(以上タイトル順3作品のスタッフ&キャスト)
■東京都写真美術館,2017.7.1-14(マドリード王立劇場,2011年5月収録)
■テアトロ・レアルを見るのは初めてかもね。 劇場ファサードと周辺の景観、豪華な金銀色の場内装飾どれもが素晴らしい。
様式美からくる感動がある。 これはスペインの「能」ではないかしら? 最初にみた「血の婚礼」は特にそうおもう。 でも物語からくる感動は少ない。 決闘で二人が倒れ花嫁が悲しむ場面も、嫉妬に狂ったドン・ホセがカルメンを刺す場面も静かな感情でみてしまったからよ。
それより女性ダンサーの肉体が生々しい。 「カルメン」の群舞は闘鶏場の鶏たちにみえてしまった。 野性味満点だわ。 その中で「フラメンコ組曲」の最初の作品に登場した小太りオバサンのようなダンサーは凄い。 生々しさを技巧的境界線上で昇華して踊っていた。 身体が崩れそうで崩れない。 帰って調べたけど多分この人がステラ・アラウソかもしれない。
衣装も明暗のある照明に映えていたわね。 黒のマンティージャを付け扇子を持つカルメンを舞台でみるのは初めてかな? そして闘牛士が歪んだ鏡の前で衣装を着けていく場面も様になっていた。 舞台はミニマムだけどスペインがギュッと凝縮されていた3作品だったわ。
*館サイト、https://topmuseum.jp/contents/exhibition/movie-2810.html

2017年7月3日月曜日

■さよならだけが人生か

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団
■吉祥寺シアター,2017.6.22-7.2
■「劇団の出世作だ」とチラシに書いてある。 観ていて分かる気がしました。 それは・・
「・・もっともくだらない人情喜劇を描いている」と言ってるが恋愛と結婚のことのようです。 でも恋や愛の二人称ではなくて他者を介する恋愛つまり噂話のようです。 これでくだらないと言っているのでしょう。 それでも具体でも抽象でもない話が延々と続いていく気持ち良さが既にみえています。
青年団の舞台では「うるさい人」がよく登場する。 彼らは目立たないようにしてエンジンを吹かせストーリーの速度調整や観客の眠気を覚まします。 しかしこの作品の「うるさい男」は出突っ張りでしかも五月蠅い。 「静かな演劇」への過度期の面白さがあります。
そして縄文人が陰で動いている。 仮面を付けての登場で観客を別の世界へ連れて行ってくれる。 その入口で縄文人が現れるのを待つ。 舞台の原点が取り込まれています。 
以上3点が上手く生きていた。 役者の入退場や科白も邪魔をしていません。 出世作に納得です。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/03/76.html

2017年7月2日日曜日

■レミングー壁抜け男ー

■作:寺山修司,演出・音楽:J・A・シーザー,劇団:演劇実験室◎万有引力
■座高円寺,2017.6.23-7.2
■役者たちは寺山修司を咀嚼しながら演技をしているようにみえた。 丁寧に作られていて分かり易い舞台だった。 古めかしいシュールな美術で舞台を覆いながら、カフカとサルトル、郵便の取扱い方や時刻のお知らせ、鉱石ラジオやダンヒルライター、肩にはJALバッグそして牛乳の飲み方から終幕の通のアジテーション等々が1960年代を連れて来る。 今もあり続ける壁を崩すために! 「1989年、壁が無くなったと思った・・。 それから28年、壁はより強固になり・・、壁信仰の現代人内面を問う!」(高田恵篤)。
この作品は数回観ている。 紀伊国屋ホール1982年12月12日公演、終幕での闇の声がまだ耳に響いているなかホールを通ると、そこに寺山修司が横になっていた。 一瞬彼の顔の黄土色に目がいく。 「(だめかな・・・・)」。 何人かが取り囲んでいたが一般客は皆うなだれて無言でホールを後にしていた。 もう一度振り返って寺山修司の顔を見ようとしたができなかったことを覚えている・・。
*天井桟敷・万有引力創立50周年記念公演第2弾作品
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1694

2017年6月26日月曜日

■ジゼル

■音楽:A・アダン,振付:J・コラリ他,装置・衣装:V・オークネフ,照明:沢田祐二,指揮:A・バクラン,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団,出演:木村優里,渡邊喬峻郁ほか
■新国立劇場・オペラパレス,2017.6.24-30
■「ジゼル」は梅雨時の季節にとても良く似合う。 二幕、墓地でのウィリの群舞は最高だわ。 うーん、ヒンヤリしてきた! 美術も特に照明は効果抜群ね。
でも音楽や振付はどちらかと言うと率直なの。 だから感情移入するにはダンサーの力が必要。 ロマンテック・バレエの特徴かもね。 今日のジゼルとアルベルトは少し神経質だった。 それよりもっと存在感を増すことね。 そうすればグッと来るはずよ。
やっぱバレエを時々観ないと心身が緩んでしまう。 ほーら、元気がでてきた。
*NNTTバレエ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/giselle/

2017年6月21日水曜日

■三文オペラ

■作:B・ブレヒト,脚本:S・スティーヴンス,演出:R・ノリス,出演:R・キニア,R・クレイグ,H・グウィン
■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.6.16-22(オリヴィエ劇場,2016年収録)
■ぐいぐいと引き込まれるゥウー。 歌詞に潜んでいる性と暴力を歌手が直截に歌うから力強い舞台になっている。 役者たちの切れ味も良い。 このため舞台上すべての輪郭がクッキリ現れるので頭にビシビシ響いてくる。 当時の貧民街のヤクザや乞食、警察や娼婦の世界が想像できるの。 親子や結婚の意味付け、戦争仲間などの人間関係もね。
だから恩赦の場面は気が抜けてしまう。 緊張を持続させるためには終幕をテキパキ処理して上演時間は3時間にすべきね。 これをみると日本製舞台はぬるま湯に浸かっている感じがする。 「三文オペラ」の深層に辿り着いたという確信を持てたわ。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/86630/

2017年6月20日火曜日

■ブリッジ

■作・演出:松井周,劇団:サンプル
■神奈川劇術劇場・大スタジオ、2017.6.14-25
■舞台は円形劇場風で中央にカーテンのような緞帳が下がっている。 役者たちは司会者の真似をしたり寸劇を入れたりして時には観客を笑わせながら進めていきます。 テレビのバラエティ番組をスタジオで観ているようですね。
ストーリーは単純なようですがまとめ難いのでチラシの一部をそのまま載せます。 「モツ宇宙(コスモ)という腸の世界を宇宙の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者たちによる、・・」。 要約すれば「救い」の話です。 悩みを持っている人々が悩んでいる理由や教団ジョージと出会った経緯などを話し演じながら入会していくところを描いていきます。
「人々は「やや神」がいたらいいなあと思っている。 そして国家も科学も中途半端な神でしかないことはなんとなく分かっている」。 そこに「やや人間」を向き合わせる。 つまりフィクションを演じていく人間です。 「名前を貼り付け、衣装をまとい、家族や友人のように振る舞い、言葉を操り、ルールに従う・・」。
劇団サンプル10周年記念作品ですがここで活動を休止するらしい。 常に「変態し続けてきた・・」と演出家も言っていますが、動物の成長過程・植物の器官変形そして今回の舞台でも多彩に演じられた性欲嗜好としての「変態し続ける」ことこそが「やや神」と「やや人間」が出会う為の原動力です。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/the_bridge

2017年6月19日月曜日

■部屋に流れる時間の旅

■作・演出:岡田利規,音・舞台美術:久門剛史,出演:青柳いずみ,安藤真理,吉田庸,劇団:チェルフィッチュ
■シアタートラム,2017.6.16-25
■小さなダイニングテーブル、その花瓶には淡いピンクのバラ二本と水の入ったコップ、近くに椅子が二つ、床には扇風機のような轆轤のようなオブジェたちが静かに動いたり止まったりしている。 背景の青白いカーテンが時々風にゆらいでいる。 雑音が何かの清音のように微かに聞こえてくる。 透き通った静けさに満たされた水の中に居るかのようです。
死んだ妻の幽霊が夫に話しかる。 でも二人は互いに視線も身体も知らん振りです。 妻はあの時のことを夫の身体を掠めて話し続ける。 あの時とは震災の日の前後です。 幾つもの些細な行動に対して妻は夫に相槌を求めます。 ・・どう思った? ・・どう感じたの? ・・。
夫は新しい恋人を家に連れてきます。 妻は恋人にも知らん振りです。 夫と恋人は視線は合わせますが動きは緩慢です。 2人の時間は植物が成長するようにゆっくりと前進していく。 でも妻の時間は言葉に変換され声として響き続けているだけです。 「永遠の希望、死者への羨望、そして忘却・・」。 妻の声が美術や音響・照明とシンクロされ舞台に深みを与えていました
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201706heyaninagareru.html

2017年6月17日土曜日

■君が人生の時

■作:ウィリアム・サローヤン,翻訳:浦辺千鶴,演出:宮田慶子,出演:坂本昌行,野々すみ花,丸山智己,橋本淳ほか
■新国立劇場・中劇場,2017.6.13-7.2
■チラシの粗筋も読まないで劇場に向かいました。 サローヤンは中学?の授業で読んだ記憶がある。 日常風景を描いていた作家なので素面で観たほうが面白いと思ったからです。
幕が開いて、じわじわと冷や汗が出てきました。 役者と役者に距離感があり過ぎる。 科白も孤立している。 話がまとまらない。 人物が規則正しく間を置いて登場する為もある。 広い舞台が閑散としています。 一人ジョーがシャンパンを飲みながら勝ってに騒いでいる。 しかもカネを皆にバラまきながら。 近づき難い舞台です。 そのうち客席から鼾が聞こえてくる。 隣席もウトウトしています。 私が演出家なら不安で劇場から逃げ出したでしょう。
それにしても酒場の客はビールを美味そうに飲みますね。 こちらも喉がムズムズしてくる・・。 喉が乾いても今日は頭が冴えていたので我慢して観ていました。 そして中休みへ。 観客の8割は若い女性です。
後半に入り何とかリズムが合ってきました。 時代に翻弄されてきた人種の違う多くの人々が登場する。 湾港では労働争議が起きますが酒場はいたって呑気です。 売春を取り締まる警察との衝突も他問題と切り離されている。
「不穏な時代に謳い上げる人間賛歌」というのはガラーンとした舞台のようなものだと感じました。 役者も科白もモノも空間にばら撒き漂わせる。 得体のしれない緊張感を伴いながら、社会問題も乾燥した響きのある空間の中で分解していく。 米国1939年の風景が舞台にみえました。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007982.html

2017年6月13日火曜日

■ヒッチコック/トリュフォー

■監督:ケント・ジョーンズ,脚本:セルジュ・トゥビアナ,出演:デビッド・フィンチャー,ウェス・アンダーソン,黒沢清ほか
■フランス・アメリカ合作,2015年作品
■書店の映画コーナーで必ず目にする本「映画術ヒッチコック/トリュフォー」を10人の監督が語る映画である。 本の評判は耳にしていたが実は読んでいない。 トリュフォーがヒッチコックにインタビューをしてまとめたものらしい。
登場する10人の監督はヒッチコックをベタ褒めする。 「この本を読んで映画の撮り方が変わった・・」。 様式の美学、サイレントの魅力、アクターズ・スタジオ出身俳優の位置付け、カイエ・デュ・シネマで展開した作家主義の適用等々が話題になる。 後半は「めまい」と「サイコ」に時間を割いている。
監督たちの話には頷いてしまうが、何故今頃になってこのような映画を作るのか?の疑問は消えない。 ヒッチコックの面白さは別格だが時代は変わっている。 監督たちの話も新鮮さがない。 トリュフォーも付け足しにみえる。 本を読んでいないので大きなことは言えないが。
ヒッチコックの作品は1930年代後半からしか知らない。 「レベッカ」を観た後に監督がヒッチコックだと知って驚いたことを覚えている。 いつものヒッチコックとは別の面白さを感じたからである。 彼の作品からは真摯な娯楽性が感じ取れる。
トリュフォーの作品はほぼ全て観ている。 私版ベスト3は「大人はわかってくれない」「突然炎のごとく」「緑色の部屋」。 「突然炎のごとく」を初めて観た時の衝撃は大きかったが十数年後に再観したときの失望も大きかった。 多くは最初に出会った印象がいつまでも残る。 映画も一期一会である。
*映画com、http://eiga.com/movie/84626/photo/

2017年6月12日月曜日

■ザ・ダンサー

■監督:ステファニー・ディ・ジュースト,出演:ソーコ,リリー=ローズ・デップ
■新宿ピカデリー,2017.6.3-(2016年作品)
■登場するダンサーはロイ・フラーとイサドラ・ダンカン。 でも二人ともよく知らない。 絵画や短い映像でしか見たことがないの。 主人公ロイ・フラーの踊りは衣装や照明、舞台装置の重視からパフォーマンスに入ると思う。 でも何故その方向へ進むのか彼女の心情が伝わって来ない。 舞台芸術家として全てを統合したかったのかもしれない。 「私のダンスは衣装が全て・・」「あなたの踊りはダンスではない」。 フラー自身とダンカンの言葉よ。
いまWIKIを読んだらフラーの社会への関わり方が凄い。 化学系や照明関係の特許を沢山取得したり、科学者との交流に励みフランス天文協会会員にもなり、第一次世界大戦ではルーマニア支援や戦後美術館建築援助までしている。 日本舞踊団に興味を持つのも道具を駆使するパフォーマーの触覚感からね。
映画としてはまあまあだけどフラーの実話としての物語は初めてだったのでとても興味を持って観ることができたわ。
*作品サイト、http://www.thedancer.jp/

2017年6月8日木曜日

■ヴェニスの商人

■作:W・シェイクスピア,演出:蜷川幸雄,出演:市川猿之助,中村倫也,横田栄司,高橋克実
■新宿バルト9,2017.6.3-9(彩の国さいたま芸術劇場・大ホール,2013.9収録)
■シャイロック役は市川猿之助。 彼の演技が他役者とは別次元にみえる。 先日の「ジュリアス・シーザー」は役者間の均衡が何とか保たれていたがこの舞台はそうならない。 ここまで差がでてしまうと諦めるしかない。 猿之助は見事な過剰だが他役者たちが歌舞伎の真似をするのは頂けない。 ポーシャ役の中村倫也はオールメール・シリーズとしては適役で面白いが土俵が違う。 役者で左右される芝居はそれなりに楽しいのだが・・。 「じゃじゃ馬馴らし」は観ていないが演出家の役者に対する考えが複雑にみえる舞台である。
「間違いの喜劇」と同じように舞台中央の通りが建物に囲まれて背景彼方へ続いている。 これをみて再びヴィチェンツァのオリンピコ劇場を思い出してしまった。 世田谷パブリックシアターの客席天井の青空と白雲をみた時も同様な記憶が蘇ったことがある。 両作品は古代ローマやイタリアに深く関係しているので舞台を真似たのであろう。 このような真似を探すのは楽しい。
録音が自然に近くなっていたが響き過ぎの感もある。 蜷川幸雄一周忌で3本も観ることができて嬉しい。 どれもシェイクスピア科白の歯切れの良さが耳に残った。
*一周忌追悼企画蜷川幸雄シアター作品

2017年6月7日水曜日

■東海道中膝栗毛<やじきた>

■作:十返舎一九,演出:市川猿之助,出演:市川染五郎,市川猿之助,松本金太郎,市川團子ほか
■東劇,2017.6.3-(歌舞伎座,2016.8収録)
■東海道を駆け足ですね。 途中ラスベガスに立ち寄ったことでその風景は遠のいてしまった。 それでも東海道は箱根の山より川岸での場面や海の眺めが印象に残る。 ハチャメチャですがまとめ上げています。 信夫の若君伊月梵太郎と供侍伍代政之助の純真さが舞台を引き締めていました。
*シネマ歌舞伎第27弾作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/34/

2017年6月5日月曜日

■ジークフリート

■作:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:G・フリードリヒ,演奏:東京交響楽団,出演:S・グールド,A・コンラッド,T・ガゼリ,C・ヒュープナ,C・マイヤ,R・メルベート
■新国立劇場・オペラパレス,2017.6.1-17
■「ラインの黄金」も「ワルキューレ」もどのような舞台だったか2幕迄みても思い出せなかった。 でも3幕の炎を見たとたん記憶が蘇ったの。 1・2幕では根気よく待ち続ける作品なのね。
炎が消えた後はジークフリートとブリュンヒルデの心の動きが手に取るように分かる。 怖れや愛おしさを痛いほど感じる。 去っていくヴォータンの背中が何であるかも。 そして母親との関係もいろいろ考えてしまう。 3幕でこれほど感動したのは初めてよ。 後半の抽象化してきた舞台や日本語字幕も影響しているかもしれない。
この感動の始まりは2幕後半のジークフリートを導く小鳥たちの歌声から始まったようね。 小鳥たちはこの劇場の特性を掴んでいる。 ある条件での発声はこの広い劇場空間を通すと心身を豊かに振動させるらしい。 エルダやブリュンヒルデはこの特性を意識しないで歌っていたとおもう。 建物としての劇場構造はとても影響する。
早く「神々の黄昏」をみたい。 また全てを忘れてしまいそうだから。 でもこれは演出家の意図かもしれない。 前半、歌手の動作は細々しているし日常小道具で溢れている。 たくさん観ている舞台の一つとして直ぐに埋もれてしまうからよ。 でも条件が整えば再び思い出せる。 ワーグナーの心の動機で繋がっているから。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/siegfried/
*「このブログを検索」キー、ジークフリート・飯守泰次郎

2017年6月2日金曜日

■ABSOLUTE ZERO,絶対零度2017

■出演:勅使川原三郎,佐東梨穂子
■世田谷パブリックシアタ,2017.6.1-4
■舞台をみて勅使川原三郎はプロと言うより職人ダンサーを感じます。 彼の振付や動きはもはや職人芸です。 作品は4章で構成されている(?)。 
1章は二人の精密な腕の振りを中心にした速い動きで進みます。 佐東もピタリと彼に付いていきます。 痺れますね。 2章へ行く前に女性のワンピース姿の白黒連続写真が映し出されるのには戸惑います。 古さを感じます。 2章では音楽がピアノに変わり二人の動きはスロウダウンしていく。 最初はぎこちなかったが途中からシックリしてきました。 3章以降は勅使川原のソロになります。 手を加えた動きで身体や顔を撫でたりしてパントマイムを見ているようです。 見事と言うしかない。 天井から大きな女性の写真が下りて来る。 そして背景が青一色にかわり長い静止状態を組み込んだフィナーレで終章をまとめます。
見応えがありました。 特に1章は息を呑みました。 長いスパンでは年齢を感じるが瞬時瞬間にはそれを意識させない。 佐東が後半登場しないのはもったいない。 満足度十分ですが観後のスッキリ感が訪れない。 観客の自由度が少なかった為だと思います。 映像や写真は意味付を強要します。 絶対零度ですから意味も凍らせてほしかった。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201706absolute.html

2017年5月29日月曜日

■まつろわぬ民

■作・演出:林周一,音楽・演奏:辰巳小五郎,関根真理,ファン・テイル,出演:白崎映美,伊藤ヨタロウ,劇団:風煉ダンス
■座高円寺,2017.5.26-6.4
■劇団名から舞踊グループだと勘違いしていた。 でも観た時に演劇団だとわかったの。 今回はミュージカルのようだけどやはり演劇にみえる。
ゴミ屋敷が行政令により撤去されそうになるが住人の老婆スエはアラハバキの爪?を守りながら、捨てられた冷蔵庫やピアノや炬燵やアイロンたちの「まつろわぬ民」と一緒に解体を阻止しようとする。 ゴミ屋敷跡にショッピングモールや工場を誘致し町復興を計画する行政側は桓武天皇ミカド軍を差向けて戦争になる話よ。 老婆は行政側にいる「まつろわぬ民」の末裔を探し出し戦いを続けていく・・。 末裔の人々は大和朝廷つまり行政側の計画が間違っていると考えている。 東日本大震災を絡め千年を射程に入れたラディカルで楽しいストーリーだわ。
科白が少し淡泊だけどコッテリした美術と演奏でコクのある舞台になっている。 これで白崎映美の歌唱が一層存在感を持った。 でも劇場の構造からか歌詞が響いて聴き取れない。 歌唱と科白を技術的に融合させれば切れの良い舞台が現れたはず。 そして「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」「魁男塾」「キャプテン翼」「DRスランプ」の話が・・。 少年ジャンプの隅々までカバーしきれない! ともかく全方位志向の為か質より量の舞台だった。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1683
*「このブログを検索」キー、風煉ダンス・阿弖流為
*2017.5.29追記。 ところで皇室や政府要人などの暗殺やテロを計画するリアルな芝居は共謀罪にあたるのかしら? 現実と虚構の境界線に近づいていく法律はまるで演劇を観ているようね。
*2017.6.1追記。 「このブログを検索」キーと検索欄を追加したの。 1千件を越えた中から関連ブログを探すのに必要な為よ。

2017年5月28日日曜日

■間違いの喜劇

■原作:W・シェイクスピア,演出:蜷川幸雄,出演:小栗旬,高橋洋,内田滋ほか
■新宿バルト9,2017.5.27-6.2(彩の国さいたま芸術劇場大ホール,2006年収録?)
■男性キャストだけのシェイクスピアは「お気に召すまま」から始めたらしい。 当時の蜷川幸雄が「どのような観念が含まれた作品なのか、誰も手をつけてないところを発見できたら・・」と言っている。 歌舞伎や宝塚もあるから驚かないが演出家の言葉もよく分からない。 しかし本日観てみるとシェイクスピアの科白がビシビシ耳に届いてくることは確かだ。 ある種の異化効果が出ているのかもしれない。 以前中屋敷法仁演出の女ばかりのシェイクスピアを何本か観たが科白の効果は薄かったように記憶している。 観客側が男か女でも違うのかもしれない。   
それにしても舞台のライブシネマは音声もいただけない。 やはり劇場空間を通って来る声でないと感動が生まれない。 映画館空間は何故だめなのか? 先日の「ジュリアス・シーザー」はこの問題を無理やり隠すことができたが今回は漫才を聞いているようだ。 全男性キャストの欠点が逆に現れてしまった。
ところで企画第二弾「身毒丸」は同演出家・同役者で1998年にシアターコクーンで観ていたので外した。
*一周忌追悼企画蜷川幸雄シアター作品
*劇場サイト、http://www.saf.or.jp/arthall/information/detail/575

2017年5月23日火曜日

■NHKバレエの饗宴2017

■指揮:園田隆一郎,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
■NHK・Eテレ,2017.5.21(NHKホール,2017.4.8収録)
■「ナポリ3幕からパドシス,タランテラ,フィナーレ」,振付:A・ブルノンヴィル,音楽:ヘルステッド他,出演:井上バレエ団
■衣装はアルプス風だがナポリへ行ったことがないので風景が読めない。 タンバリンや箒のようなポールを持つからヨーロッパの村祭りにもみえる。 心が和む舞台である。 振付は細かいけれど淡泊である。 
■「死の島」,振付:森優貴,音楽:ラフマニノフ,出演:貞松・浜田バレエ団
■暗くて舞台全体が見えない。 どのような照明か感じ取れない。 雰囲気や息遣いが映像では伝わらない典型的な舞台だろう。 勅使川原三郎のカラスを思い出してしまった。 振付は振幅があり彼らより大らかである。 いま上演しているなら取り敢えず劇場へ駆けつけたいくらいだ。
■「テーマとバリエーション」,振付:G・バランシン,音楽:チャイコフスキ,出演:新国立劇場バレエ団
■音楽と同期が取れていて心地よさを感じる。 ダンサーは重量感がある。 その重力に逆らうリフトは計算され尽くしていて感動を覚える。 バランシンを選んだ理由も納得できる。 パリオペラ座、ボリショイバレエ、ロイヤルオペラなど有名なバレエ団を思い浮かべる時に所属する国はあまり意識しない。 このバレエ団も名前は良くないが国を忘れることができる。 他のバレエ団はどこか日本を感じてしまう。
■「眠りの森の美女から3幕」,振付:T・ウエストモーランド,音楽:チャイコフスキ,出演:牧阿佐美バレエ団
■微妙な面白さのある振付である。 ユーモアと言うよりウィットを感じる。 全体にオットリしている。 今年は4作品で少ない。 時代は違うがこれも日常世界を見つめる平凡さが背景に感じられる。 その世界も大事だと言っているようだ。
そして毎度のことだがカメラワークがいい。 テレビの前の観客に負担をかけない映像である。
*公演サイト、https://www.nhk-p.co.jp/ballet/archives.html

2017年5月22日月曜日

■乱鶯

■作:倉持裕,演出:いのうえひでのり,出演:古田新太,稲森いずみ,大東駿介,清水くるみ,劇団☆新感線
■新宿バルト9,2017.5.20-(2017.4.15収録)
■主人公鶯十三郎は鼠小僧のような窃盗犯です。 活躍した時代も天明と天保で数十年しか違わない。 怪我をした十三郎は堅気になり助けられた恩人の酒場で働いているが新たな事件で悪役奉行と盗賊一味を再びやっつけるという話です。
日本橋界隈の酒場や呉服店が舞台ですから江戸庶民の生活が描かれる。 その生活は事実から離れていてもいつもとは違ったリズムが現れています。 しかし真っ当な登場人物の多くが殺されていく粗筋はいかにもゲキXシネらしい。
この作品の欠点は秘密や記憶などがアヤフヤなところでしょう。 火縄売り砂吉の押込み強盗決行日時を事前におおやけにしてしまう、北町奉行与力黒部源四郎が酒席で十三郎を見抜けないなどワザとらしい。 御先手組組頭小橋勝之助はギャグり過ぎです。 この歌舞伎的なところが逆に面白いのですが。 もう一つは居酒屋主人勘助の幽霊を登場させたことです。 十三郎とお加代を結び付けたいが物語の流れからいっても深く突っ込みたくない。 お化けでお茶を濁してしまった。 それでも隅田川で花火を打ち上げられるのは新感線パワーが炸裂している証です。
*ゲキXシネ2017年作品
*作品サイト、http://www.geki-cine.jp/midareuguisu/

2017年5月20日土曜日

■ジュリアス・シーザー

■作:W・シェイクスピア,演出:蜷川幸雄,出演:阿部寛,藤原竜也,横田栄司,吉田鋼太郎ほか
■新宿バルト9,2017.5.13-19(彩の国さいたま芸術劇場大ホール,2014年収録)
■劇画を読んでいるような驚きがあり、新作歌舞伎を思い出したり、劇団新感線のゲキXシネを観ているようでもあり、鎌倉室町戦国時代の武士の心情をおもったり、等々飽きさせない仕掛けが山ほど入っている。 蜷川幸雄がエンタメ重視の舞台にこんなにものめり込んでいたとは驚きである。 昨年テレビで観た「元禄港歌」は36年ぶりの再演だったので近況が見えなかった。 
舞台はとても分かり易い。 観客がモヤモヤしているところは必ず言葉と態度で舞台で表現してくれる。 ブルータスとキャシアスの親密な友情も楽しい。 ただし後半の戦い場面は長すぎる。 ブルータスとアントニの演説は感動までには到達できない。 もっと緩急が必要だとおもう。
そして役者の声量があり過ぎアップも使い過ぎる。 激しいカメラワークでないと映画観客は喜ばないのかもしれないが。 とりあえず蜷川幸雄シアターもスケジュールに組み込んでいいだろう。
*一周忌追悼企画蜷川幸雄シアター作品
*劇場サイト,http://www.saf.or.jp/arthall/information/detail/575

2017年5月18日木曜日

■マリアの首、幻に長崎を想う曲

■作:田中千禾夫,演出:小川絵梨子,出演:鈴木杏,伊勢佳世,峯村リエほか
■新国立劇場・小劇場,2017.5.10-28
■チラシに書いてある粗筋だけ読んでいったのですが珍紛漢紛でした。 「ばってん」で九州の方言だとわかったが後に続く科白の意味がわからない。 全体の雰囲気から掴むしかない。 理解できてもストーリーの深部まで入っていけない。
女性たちが主人公の群像劇にみえる。 女性だと社会の接点から物語展開が想像できない。 しかもキリスト教徒です。 そして科白の中の単語に抽象語が多い。 例えば存在・実在・実体・自由・混沌・・。 以上4点が重なったのでお手上げです。 でも戦後の雰囲気は掴めました。 そして人々が現在と違った真摯や誠実を持って生きていたこともです。
演出家小川絵梨子の舞台は何回か観ています。 謎めいた作品も多いのですが結構面白い。 画面右上から「絵梨子」と入れて検索してみてください。 今回はいつもの謎や面白さとは違った骨太さが感じられる。 演出家より原作者が強かった。 その田中千禾夫は初めてでした。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007981.html

2017年5月15日月曜日

■春のめざめ

■原作:F・ヴェデキント,演出:白井晃,音楽:降谷建志,出演:志尊淳,大野いと,栗原類ほか
■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2017.5.5-23
■演出家白井晃の美術にはいつも感心させられます。 半透明のガラス板で囲まれた狭い舞台と青白い蛍光灯はギムジナムで生活している生徒の心を表している。 その板の奥は異界でしょう。 音楽の揺らぎもいい。 青春の死はいつも不条理ですから。
生徒の自慰やメルヒオールのヴェントラへの強姦もベトベトしない形で様になっています。 若い役者たちが素直だからでしょう。 それと合唱の無いコロス=群舞として喋り動くからだと思います。
生徒の周囲にいる大人たちの登場もどこからかやって来る感じです。 あの医者?もそうです。 彼がモーリッツの亡霊を引き離しメルヒオールを連れて帰る場面は大事な何かを思い出させてくれます。 たぶん人生としての思春期の終わりをです。 良き舞台だから思い出せるのでしょう。
ところであの医者は人生の黄昏時に再びやって来る人でしょうか? 次はメフィストと名乗って。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/harunomezame

2017年5月12日金曜日

■イドメネオ

■作:W・A・モーツァルト,指揮:J・レヴァイン,演出:J・P・ポネル,出演:M・ポレンザーニ,A・クート,E・V・D・ヒーヴァ,N・シエラ
■東劇,2017.5.6-12(MET,2017.3.25収録)
■舞台はシンメトリを崩さない。 歌手の立ち位置や動きを制限すればするほどモーツァルトの若さを隠すことができる。 三角関係を追ってもツマラナイ。 独唱と重唱を一つ一つじっくりと聴かせる作品のようね。 後半は静かな感動に浸れたわ。 3幕になって供儀とは何か真面目に考えてしまった。 終幕はキリスト教的な愛で決着がつくのはしょうがない。
*METライブビューイング2016作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2016-17/#program_08

2017年5月7日日曜日

■ファーズ Fase  ■時の渦

■東京芸術劇場・プレイハウス,2017.5.2-6
□ファーズ Fase
■振付:A・T・D・ケースマイケル,音楽:スティーヴ・ライヒ,出演:A・T・D・ケースマイケル,T・ドルヴェン
■20世紀の匂いがする。 1982年の作品らしい。 細緻だが力強い。 非の打ちどころが無い。 鋼鉄の仕上がりと言ってよい。 ミニマル・ダンスをみていると覚醒か睡眠のどちらかが訪れる。 中途半端は無い。 今回は前者が訪れた。
□時の渦 Vortex Temporum
■振付:A・T・D・ケースマイケル,音楽:ジェラール・グリゼ,演奏:アンサンブル・イクトゥス,出演:ローザス・ダンサーズ
■演奏者6人が登場するがその演奏が素晴らしい。 舞台に集中していける。 そして演者は入れ替わりダンサー7人が音楽無しで登場する。 上半身の振付は古さがある。 奏者が再登場し演奏しながら共に踊る。 とはいっても歩くような動きである。 指揮者が加わり背景で演奏しダンサーは舞台狭しに踊る。
演奏→ダンス→演奏+ダンス(混在)→演奏+ダンス(分離)。 このような流れだったとおもう。 混在とは演奏者もダンサーと共に舞台で動き回ること。 ピアノも人手で動かす。 
演奏はともかくダンスはなんともいえない。 ダンサーと演奏者との関係性が意図的で意識し過ぎてしまう。 みる側は関係性を無意識にやり過ごしたい。 舞台を楽しめないからである。 ダンスの楽しさが無い楽しさとでもいうような舞台だった。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater141/
*2017.5.22追記、夕刊に乗越たかおの論評が載っていた。 「無音で踊るところは前場面の演奏をダンサーが各楽器ごとに対応し踊っている」。 これは気が付かなかった。

2017年5月6日土曜日

■花粉革命

■振付:笠井叡,出演:笠井瑞丈
■シアタートラム,2017.5.5-7
■笠井瑞丈のソロは初めてかもしれない。 振付が笠井叡の為か後半に両手を空に突き出すような仕草をみると父叡が踊っているようにみえた。 身体の動きも滑らかである。 前半の日本舞踊風ダンスも見応えがあった。 衣装が着物、黒、白と変わっていく面白さも加わり豊かな舞台になっていた。
この作品は2001年に当劇場で観ている。 オドロオドロした衝撃的舞台だったことを記憶している。 肉体が崩れていく前半と肉体が再生する後半で構成されていた(勝手な解釈だが)。 日本舞踊風の動きの中で簪や鬘が外れ帯が解け着物が脱げていく姿は当に肉体が崩れていく姿にみえた。 梵鐘の響きが今でも耳に残っている。 後半、山本耀司?の白衣装に着替え踠く姿はどうしようもない肉体を持った人間の再生への叫びである。
今日の舞台を観ながらもはやオドロオドロしさを求める時代は過ぎ去ったことを知る。 先日の夕刊で即興から振付を固定したとの記事を読んだ。 再び即興で踊る時、21世紀身体に革命前夜がやって来る。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201705kahun.html

2017年4月24日月曜日

■フィガロの結婚

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:C・トリンクス,演出:A・ホモキ,出演:P・スパニョーリ,A・ミコライ,A・パルカ,中村恵理,J・クルコヴァ,演奏:東京フィルハーモニ交響楽団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.4.20-29
■白い立方体の内側は床が傾いているから目眩がする。 ダンボール箱が転げ落ちないか気が散ってしまう。 しかも幕開き顔見世は歌手たちがバラバラにみえる。 演奏と歌唱が馴染まない。 1幕のスザンナ中村絵理はここで全力を出し切るべきね。 外国歌手のパワーに負けた印象を与えてしまうからよ。 2幕は慣れてきたせいか舞台に集中できたわ。 スザンナとケルビーノ、伯爵の重唱で一気に物語世界へ。 終幕まで一気通貫だった。 ピエトロ・スパニョーリのインタビュを事前に読んでいたから当時の時代背景を考えながら伯爵の歌唱を楽しんだわ。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_007961.html

2017年4月21日金曜日

■城塞

■作:安部公房,演出:上村聡史,出演:山西惇,椿真由美,松岡依都美,たかお鷹,辻萬長
■新国立劇場・小劇場,2017.4.13-30
■牢獄のような薄汚い部屋は両側の壁が遠近法で造られていて安定感ある砦のようにみえる。 そして奥窓の赤いカーテンへ目が落ちて行きます。
男は男の父が朝鮮脱出劇をなぜ演じて来たのか明快に応えます。 戦争と企業の関係、そこから見えてくる国民の戦争の立ち位置をです。 男の妻や踊り子も男の裏を暴き出す。 謎は一つも無い。 昨年観た眞鍋卓嗣演出と思わず比較してしまいました。 面白さの質が違うのです。 今回ここまでハッキリ言い切っているのは社会に余裕が無くなっているからでしょう。
50年代のSF、「砂の女」から始まる衝撃の60年代作品、70年代「箱男」から「方舟さくら丸」の80年代中頃までのヒット小説を面白く読んだ時期があったが、「城塞」の二公演をみて安部公房が大きく一回転して始まりに戻ってしまったように感じる。 「終わりの始まり」の一つの形かもしれません。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007980.html

2017年4月18日火曜日

■ハングメン Hangmen

■作:マーティン・マクドナ*1,演出:マシュ・ダンスタ,出演:デヴィト・モリシ,アンディ・ナイマン,ジョニ・フリン
■TOHOシネマズ日本橋,2017.4.14-20(ウィンダム・シアタ,2015年収録)
■死刑執行人を一般市民に担当させるとは驚きです。 元執行人である主人公はパブの経営をしている。 20世紀中頃の英国地方が舞台です。
死刑執行場面から始まるのですが、その後に続く日常でのパブ店主と客たちの噂話が面白い。 主人の妻と娘も加わるが洗練さに無縁な地方のオバサンとムスメを演じます。 北部や南部を貶すことやビールの好き嫌いなどを聞いていると英国の素顔がみえてきます。 またシャイやユーモアの言葉の遣り取りも流石イギリスです。 大戦の話からドイツ野郎へ、フランス人の祈りの行動、モンゴメリ元帥からニーチェ、キェルケゴールまで話題に上る。 死刑執行時代の店主のインタビュー記事も当時の噂の質を見ることができる。
後半は誘拐殺人犯と間違えて青年を絞首刑にしてしまう。 いかにも芝居に戻った流れになってしまった。 60年代英国片田舎のパブを覗いてきたような楽しさが残ります。
*1、「スポーケンの左手」(小川絵梨子演出,2015年)
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/86629/

2017年4月17日月曜日

■エレクトラ Elektra

■演出:鵜山仁,出演:高畑充希,村上虹郎,中嶋明子,横田栄司,仁村紗和,麿赤兒,白石加代子
■世田谷パブリックシアタ,2017.4.14-23
■古手と若手の演技や科白の落差に最初は戸惑ってしまった。 特にエレクトラはギリシア舞台に現代が侵入してきた感じだ。
解説のような科白が続くが母クリテムネストラと娘エレクトラの対面の場から調子が出てくる。 なぜ夫アガメムノンを殺したのか? 母は女の憎愛の正当性を主張するが娘は殺人という一般論で反駁するだけである。 我慢のしどころが続くが、母を殺した後のエレクトラと息子オレステスの空虚感が上手く表現されていた。 クリテムネストラとアガメムノンの白石加代子と麿赤兒古手二人は後半ギリシアの神々として再登場する。 ここがまた楽しい。 終幕は新興宗教のような世界で終わるが突飛にはみえなかった。 期待に沿う面白さがあった。
*作品サイト、http://mtp-stage.co.jp/elektra/top.html

2017年4月16日日曜日

■オテロ Otello

■作:G・ヴェルディ,指揮:P・カリニャーニ,演出:M・マルトーネ,出演:C・ヴェントレ,S・ファルノッキア,演奏:東京フィルハーモニ交響楽団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.4.9-22
■この作品は出来栄えに左右されない。 いつも感動するの。 嫉妬を極限までに煮詰めているからよ。 この舞台は身体より歌詞からくる嫉妬が強い。 オテロの化粧が濃くて繊細な表情がみえないためもある。 ロボットのようなオテロだわ。 歌唱も嫉妬の濁りがない。 逆に彼の苦しみが現れていたのは硬直な身体のお蔭かもしれない。 デズデーモナも淡々と熟していた。 両者の均衡から来る安定のある内容だった。
幕開き、客席後方からのオテロの登場は最高ね。 でも旗持ちがいなかったのは残念。 花火や火の使い方も言うことなし。 ただし水はコスパが悪い。 舞台中央に一軒家を置いたのは型破りで面白い。 舞台の面に小物を置くと集中し難くなるからやめて! ところで今日は客の入りが少なかったようね。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_007960.html

2017年4月15日土曜日

■忘れる日本人

■作:松原俊太郎,演出:三浦基,劇団:地点
■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2017.4.13-23
■小舟の下に隠れていた役者がはい出して横摺足でラップのようなリズムで喋り始める。 小舟を神輿にして担ぐ時は観客も手伝いに参加するの。 ちょっとしたお祭り騒ぎね。 科白は社会や政治の言葉が含まれるけど断片的でまとめられない。 情報量過多のため世界を有機的に繋げられない現代社会のようだわ。 「忘れる日本人」だと忘れたことも意識しなくなってしまうようね。 このラップリズムは新しく取り入れたのかしら? 地点独自のリズムまでに磨かないと情報と同じでラップという均一化に絡めとられてしまう。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/w_nihonjin

2017年4月10日月曜日

■ 南島俘虜記

■作・演出:平田オリザ,劇団:青年団
■こまばアゴラ劇場,2017.4.5-23
■緑に囲まれゆらゆら揺れる天井の中にいると心休まりますね。 次の戦争の話らしい。 南島に収容されている日本人捕虜たちが主人公です。 彼らは拘束されているが結構自由にすごしている。 日本社会の縮図のようです。 でも前の戦争の軍歌が歌われiPodの配給もあるので時代も場所もあやふやになっていく。
これは「新・冒険王」の続編でしょう。 「新々・冒険王」と言ってもよい。 冒険王は捕虜に内心はなりたがっているのでは?
退屈についてチラシに書いてある。 しかし舞台に退屈は感じられません。 平田オリザの作品は退屈が見えない。 台詞と台詞の間に緊張感があるからです。 この緊張から役者の存在が立ち現れ、この存在が退屈を演じて観客は<退屈>を感じる。 でも舞台に表れている退屈は世間の延長である捕虜収容所に飽きている(楽しんでいる)だけにみえました。
坂口安吾の戦争の話も退屈とは言えない。 この舞台のように戦争で退屈は描けない。 退屈は人生にとって最高の贈り物の一つだからです。 戦争とは逆の方向にあるものです。 でも退屈な舞台は勘弁してください。 
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/4422

2017年4月8日土曜日

2017年4月2日日曜日

■どぼん

■演出:中村しんじ,振付:川野眞子,出演:ナチュラルダンステアトル
■座高円寺,2017.3.31-4.1
■ダンステアトルを演劇舞踊と訳すらしいがストーリーのあるダンスに近い。 もちろん科白はない。 通勤途中のサラリーマンがホームから転落して別世界に行く話である。 そこは昭和時代の田園風景が広がっている(らしい)。
田圃の小川で鯉や鮒、蛙やザリガニと踊る楽しくそして少し怖い舞台である。 子供時代と生き物の良き関係を「・・なくしたものの後悔と未来に続ける営み」として表現していく。
振付は大袈裟だが若いダンサーたちに似合っている。 ダンステアトルらしい楽しい動きだ。 ジャワ島出身ダンサーのリアントの独特な表現がまた素晴らしい。 島の生活と踊りが融合・昇華し宗教的な域に達している。 アニメーションも使う。 ゆるキャラのような被り物を付けて小川の生き物を演ずるので子供も喜びそうな内容である。 居酒屋の赤提灯や魚の姿造りをみたら「千と千尋の神隠し」を思い出してしまった。 この舞踊団は「文化芸術による子どもの育成事業」も行っている。 当時の田圃や小川で遊んだ人にはノスタルジアを若い人には小動物と接する身体的想像力をダンスを通して与えてくれる作品だ。
*作品サイト、http://natural-dance.com/cn2/pg208.html

2017年3月31日金曜日

■くじらの墓標

■作・演出:坂手洋二,劇団:燐光群
■吉祥寺シアタ,2017.3.18-31
■科白や役者の動きがなぜかギクシャクしています。 ストーリーもどこか途切れている。 前半は日常生活を扱っている場面が多いので特にそのようにみえますね。 みな謎を持った顔をしている。
捕鯨漁師の末裔イッカクの叔母や兄たちが登場し鯨との格闘、村の掟、海神との契約などを語り演じていきます。 そして全てがイッカクの見た長い夢だったことが終幕でわかる。
詩的で断片的な舞台は夢幻能の構造も有していたからでしょう。 歯の磨き方や耳掃除や洗面器でブクブクするなど古さの目立つ演技も25年前の作品のためかもしれない。 この二つが溶け合い荒さを持った不可思議な舞台を作り出した。
肝心な鯨とヒトの深い関係に到達できない。 鯨肉を焼いた匂いや鯨の習性などの解説が多すぎて想像力が熟成されていかなかったからです。 イッカクの婚約者チサの尼僧のような笑顔が劇中劇と舞台とを上手く繋げていました。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/01/2017.html

2017年3月28日火曜日

■ハテノウタ

■作・演出:土田英生,劇団:MONO
■東京芸術劇場・シアターウエスト,2017.3.24-29
■チラシにある100文字の粗筋を観る前に読んだことを悔やむ。 この演出家の作品は何も知らないで観に行くのが一番である。 薬の進歩で若さを保ったまま生きられるようになったが100歳で必ず死ななければいけない世界を描いている。
80数年前の高校時代の部活同窓会が舞台である。 集まった同級生は今年で100歳になる・・。 その日が決まっている死刑囚のようだが至って楽しく静かに進行していく。
部活顧問の薬に対する反乱や部長尼子が紗耶香の夫に頼む寿命の延期など極めて政治的な話が背後に蠢いているがやんわりと避けていく。 性の話もご法度らしい。 後味が悪くなりそうな予感を持って劇場に向かったが、この二つが無いことでサッパリした舞台に仕上がっている。 生と死について肯定的に考えられるヒントも与えてくれる内容だった。
死はいつか必ず来るが不安も無しに生きていけるのはそれがいつ来るか分からないからだろう。 死ぬ時が事前に分かれば人はこの芝居のように過去しか見なくなる。 記憶もあやふやだが過去形は強い。 以前観た「燕のいる駅」と違うのは死が明確になった時から死ぬまでの長さである。 今回のように何十年も前からと数個月あるいは数日しかない場合は人の意識や行動は違ってくる。 二つの作品の比較が面白い。
 *作品サイト、http://www.c-mono.com/hatenouta/

2017年3月27日月曜日

■亡国のダンサー

■作・演出:佐藤信,劇団:黒テント
■ザスズナリ,2017.3.25-29
■舞台の至る所に緊張感が宿っている。 台詞や役者の喋りや動作そしてダンスの振付にムリムラムダが無いからよ。 しかも小さな謎が次々と押し寄せるから自ずと集中していく。 
後方スクリーンに日本書紀巻二十四「乙巳の変」が写し出されコロスであるダンサーたちが科白にするの。 雨の降っている風景や争いの場面はまさに乙巳の変の再現かな?
でも役者たちは近未来の企業のお家騒動を演じている。 女性理事長をみて大塚家具問題を思い出してしまったわ。 なぜコロスは亡国を論じ役者は内紛劇を演じるのか? しかも後者の黒幕はコンピュータシステムが関わっているらしい。 この三つを繋げる鍵はチラシに書いてある「答えられるだろうか、未来からの問に。 ・・・。 わたし(たち)は今、何をしているのか、なぜ黙っているのか。」。 うーん、上手くまとめられない。 そして人工知能らしきものの登場でそうならない。 しかも「わたし」が蘇我入鹿になった理由が説明されたけど聞き漏らしてしまった。 「それは老人が・・・」。 
それでもカタルシスを感じられた。 役者たちの発声や動きからくる身体性の良さから来ているとおもう。 芝居構造は面白いけどコンピュータは曲者ね。
*作品サイト、http://www.ne.jp/asahi/kurotent/tokyo/dancer.html

2017年3月24日金曜日

■ミス・サイゴン

■制作:C・マッキントッシュ,脚本・歌詞:A・ブーブリル他,出演:J・J・ブリオネス,E・ノブルザタ,A・ブラマ
■TOHOシネマズ日劇,2017.3.10-(プリンス・エドワード劇場,2014.9.22収録)
■舞台の面白さは伝わって来ないが25年の上演実績の重みがライブシネマでも感じ取れる。 特にクローズアップの多用でミュージカルから演劇に近づいている。 衣装や小物もよく見えるからアジアを強く意識できる。 アジア系役者の多さもベトナム戦争を近くに感じる。 加えて少女キム、米兵クリス、狂言回しエンジニアの夫々が持っている地を壊さない演技がリアルさを出している。 このアップの緊迫感から観客は逃げられない。 ダンス場面では舞台を俯瞰したいがこれもさせてくれない。 金縛りにあったような変わった爽快感を持っている。
この作品はキムのクリスへの一途な愛にサイゴン陥落、アメリカ移住の夢、混血・孤児問題が追い打ちをかけ3時間半を少しも厭きさせない。 終幕の主人公の自死は物語を終わらせる為のようで気に入らないが「蝶々夫人」とは違った観後感を持つのは作品完成度が高いからだろう。 オリジナルキャストを迎えての特別フィナーレも楽しかった。
*作品サイト、http://miss-saigon-movie-25.jp/index.html

2017年3月21日火曜日

■ルチア

■作曲:G・ドニゼッティ,指揮:G・ビザンティ,演出:J=L・グリンダ,出演:O・ペレチャッコ,I・ジョルディ,A・ルチンスキ,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.3.14-26
■エンリーコが思っていた以上に歌唱に伸びが有り舞台に厚みを付けていた。 エドガルドは青臭いところがあったけどもう少し熟せば最高かもね。 ストーリーが単純極太だから歌唱がすべて、これに応えて主人公3人は澄み切った響きで劇場の広さを良い意味で実感させてくれたわ。 狂乱の場も荒涼感が漂っていて一味違う感動が持てる。
スコットランドの海を強調した舞台美術だけど物語とは繋がっていない。 舞台装置交換場面での数分間の空白もリズムが狂うわね。 モンテカルロ劇場との共同制作のため回り舞台を選択できなかったのかしら。
指揮者ビザンティは歌手に顔を向ける場面がとても多い。 こんなにも上を向いて歌手にタクトを振る人も珍しい。 初めてのスタッフ、キャストが多い作品は驚きがあってとても楽しく観ることができる。 グラスハーモニカもあり満足度満点だったわよ。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_007959.html

2017年3月15日水曜日

■白蟻の巣

■作:三島由紀夫,演出:谷賢一,出演:安蘭けい,平田満,村川絵梨,石田佳央,熊坂理恵子,半海一晃
■新国立劇場・小劇場,2017.3.2-19
■役者の演技や科白の輪郭が厚く塗られているような演出表現です。 三島由紀夫的厚化粧ですね。 ブラジルの湿気を含んだ暑さも影響している。 そして輪郭の中も次第に塗られていく・・。
珈琲農園主の刈屋夫妻と運転手百島夫妻のスワッピングへと進む話です。 複雑な経緯の結果としてその形が一瞬現れる。 刈屋妙子と百島健次は心中失敗の過去を持っているがそれを夫義郎は寛大にみている。 この寛大さの為か三人は<死んでいる>ように生活している。 妙子と健次の再密会のことを知った<生きている>百島啓子は再生したい義郎から妻の座を貰う。
刈屋妙子は新婚時代にNYで不倫をした、つまり健次は初めてではないと義郎は啓子に話す。 妙子の行動に戸惑います。 啓子ですが似たような人物は世間で出会うことがある。 4人の中で唯一<生きている>からでしょう。 義郎と健次の<死んでいる>ような生活をみて観客は己の人生と比較し不安を意識するはずです。 寛大さの牢獄にです。 でも現実社会ではこれが<普通>の生活でしょう。
終幕、二人はなぜ自殺をしないで帰ってきたのか? 啓子の策略を再び裏切る為でしょうか? いろいろ想像できる終幕でした。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007979.html

2017年3月12日日曜日

■西埠頭/鵺

■作:ベルナール=マリ・コルテス/世阿弥,演出:岡本章*1,劇団:鍊肉工房ほか
■上野ストアハウス,2017.3.8-12
■「かっ!・・」。 岡本章の最初の一声で鍊肉工房が戻ってきた。 「か・・な・し・み・・」。 「な・み・・だ・・」。 ダンサーと俳優のコラボらしい。 神経質な岡本の震える言葉、存在感ある笛田宇一郎・横田桂子、上杉満代の静かな身体に圧倒される。 「西埠頭」と「鵺」を交互に演じていく。 この二つの時代と場所が入れ替わる場面で劇的効果を強く感じる。 演劇に近い。 役者たちの身体が声に乗り舞台隅々まで拡張され伝わって来る。
岡本と笛田は少し力みすぎていたところがあった。 千秋楽で高揚したのかもしれない。 硬い単語もちらほら耳に残った。 作品の終わり方だが輪廻方式をとって最初の形に戻すとメリハリがでたと思う。 舞台芸術の面白さが十二分に出ていた。 15時半に終わったので「シャセリオー展」に寄り道する。
*1、「春と修羅」(2012年)
*劇団サイト、http://renniku.com/nishifu/

2017年3月11日土曜日

■エッグ・スタンド

■作:萩尾望都,演出:倉田淳*1,出演:松本慎也,曽世海司,岩崎大,劇団:スタジオライフ
■シアターサンモール,2017.3.1-20
■時代はナチス・ドイツ軍占領下のパリ。 踊り子ルイーズの部屋には居候の少年ラウルとレジスタンスのマルシャが共同生活をしている。 しかし生活の匂いはまったくしません。 時間軸に沿って最小限の編集で場面を繋げていく。 物語の表層だけが水のように流れていく。
殺人を犯し続けるラウルには重すぎる秘密があったのでしょうか? 見過してしまった? エッグ・スタンドの孵化しなかった卵は象徴的です。 これを補う台詞の断片も随所で語られる。 でも秘密は自身の奥にあり戦争の時代や世界とは抽象で結ばれているようです。 現実から遊離しているようにみえる。 舞台に入魂できなかったのは彼の秘密が人間関係世界にいるルイーズやマルシャンと深く繋がらなかったからでしょう。
「トーマの心臓」初演から20年経って初舞台化するのはそれだけ難しい作品なのでは? 原作を読んでいないので早速読みます。
*1、「アドルフに告ぐ」(2015年)
*作品サイト、http://www.studio-life.com/stage/eggstand2016/

2017年3月10日金曜日

■炎、アンサンディ

■作:ワジディ・ムワワド,翻訳:藤井慎太郎,演出:上村聡史,出演:麻実れい,栗田桃子,小柳友,那須佐代子,中嶋しゅう,岡本健一
■シアタートラム,2017.3.4-19
■親子兄弟の繋がりを知った時の衝撃は凄まじい。 チラシに載っているストーリーしか読んでいなかったからよ。 ギリシャ悲劇が現代に甦った畏れを感じる。
いま舞台を振り返るとナワルや公証人エルミルそしてニハッドの動きや科白は生き生きと思い出せるけど双子の娘息子はぼんやりとしたイメージしかない。 二人の存在感をもっと出せれば感動の質はまた違ったはず。
ストーリーを知らないということも重要ね。 「読んだら観るな、観たら読むな」。 今回とは理由が違うけど読んである長編小説の芝居・映画化は観ないようにしている。 媒体は何であれ最初の出会いが肝心よ。
*劇場サイト、http://setagaya-pt.jp/performances/201703incendies.html

2017年3月5日日曜日

■よさこい節

■原作:土佐文雄,作曲:原嘉壽子,指揮:田中祐子,演出:岩田達宗,演奏:東京ニューシティ管弦楽団,出演:泉良平,佐藤美枝子,所谷直生,日本オペラ協会合唱団,多摩ファミリーシンガーズ
■新国立劇場・中劇場,2017.3.4-5
■民謡替歌としては知っていたが鋳掛屋の娘お馬と和尚純信との悲恋物語を聞くのは初めてである。
結婚を許されない真言宗の戒律などから二人の愛は社会から追い詰められていく。 純信は世間をみて心揺れるがお馬の純真さと芯の強さで立ち直る。 二人は「恥じることはない」「思い残すことはない」愛の心情を持ち続ける。 「死を考えるのは仏道ではない」。 晒し者にされた純信とお馬は流刑で別れ別れになり幕が下りる。  二人がここまで生きていたことが何よりである。
お馬の愛の言葉は艶めかしい。 「・・体が溶けるようだ」。 そして二人に対する村人たちの噂話はキツイ。 今ならインターネット大炎上のような状況だろう。
レチタティーヴォが多いが気にならない。 中でも状況説明が舞台を整然とした流れにしている。 しかも民衆の動きや美術や照明も規律があり淀みがない。 指揮者田中祐子の手や腕の滑らかな動きが劇場にリズムを作り出す。 愛や噂話の生々しさをこれらが包み込んで物語を豊かにしている。
また背景として語られる黒船来航、安政大地震、愛染明王、般若心経なども飽きさせない。 「よさこい節」が初めて歌われるのは1幕途中だが絶妙なタイミングだった。 ところで二人の仲を裂いた寺小坊主全慶の反省は長演技だったが短くてもよい。 彼の立場はよく分かる。 日本語字幕があったが今回は助かった。 仏教用語や方言が多かったからである。
*2017都民芸術フェスティバル参加公演

2017年2月28日火曜日

■ファーザー

■振付:ピーピング・トム
■世田谷パブリックシアタ,2017.2.27-3.1
■老人ホームが舞台です。 全うな人生を歩んできた人でも時空が歪む境界かもしれない。 それが率直に舞台に現れている。
そしてあのクニャクニャ踊りが! 突然踊りだす。 生と死の非連続性を感じさせます。 これで前回のクニャクニャ踊りよりエントロピーが増大してしまい流れが一層バラバラになってしまった*1。 場面間をもう少し意味ある繋げ方にしたほうが謎が深まって面白さが出たと思います。
トムの舞台は劇的な入口に立てるのですが中に入っていけないもどかしさがある。 身体崩壊が肉体を意識させるからでしょう。 同じような場面が多い寺山修司とは違います。 ところで日本の役者は今回も世田谷住民の人でしょうか? 一味違う香辛料が入ったような舞台にしていました。
*1、「A LOUER/フォー・レント」(2014年)
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201702vader.html

2017年2月27日月曜日

■出口なし  ■芝居

■作:J=P・サルトル(出口なし),S・ベケット(芝居),演出:寂光根隅的父,美術:野地恵梨子,劇団:双身機関
■こまばアゴラ劇場,2017.2.25-27
■大陸弾道弾の先端から頭を出している3人にみえた。 高さ3メートルはある。 暗い舞台に慣れてくるとサーカスのテントの頭からと言ったほうが似合う。 顔だけの3人は死体のように白くてほぼ動かない。 喋っているのはテントの中にいる役者の声らしい。
真っ暗な中で聞く3人の愚痴のような科白は耳の奥底までしっかり伝わってくる。 力強さがある。 役者の喋りを音楽と照明が支援している為もある。 「他人は地獄だ」。 役者の声を聞いていると人間関係にへばり付いている具体の言葉に聞こえる。 サルトルを直に触ったような舞台だ。 
そのまま「芝居」に続いていく。 「出口なし」の声の役者が上から顔を出している。 入れ替わり死体顔を演じた役者の足が下のほうにみえる。 ストーリーも死者になる前の過去に遡っているようだ。
二つの作品の比較ができて面白い。 同じ舞台環境なのに「芝居」は言葉が身体に届いていない。 切れ味が悪いのだ。 さすが「出口なし」はサルトルの脂が乗っている時期の作品だと感心してしまった。
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/3520

2017年2月26日日曜日

■コッペリア

■音楽:L・ドリーブ,振付:R・プティ,指揮:P・マーフィ,演奏:東京交響楽団,出演:小野絢子,福岡雄大,L・ボニーノ,新国立劇場バレエ団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.2.24-26
■調べてみたら一度もこの作品を観ていなかった。 「ホフマン物語」など似た作品が沢山あるので違いしていたのね。
でも期待していた人形がシックリ来なかった。 人形をバレエの振付で踊らせるのは大変だからよ。 この為か主人公三人が人形で分断されて物語の流れも悪い。 これを見通してか振付はバレエというよりダンスに近い。 クラシカル・チュチュも似合わない。 中途半端に陥りバレエの面白さが半減している。
舞台はローラン・プティらしいフランスが一杯ね、街の風景はイマイチだけど。 衛兵や町娘の衣装や振付をみているとフランス映画や絵画を思い出してしまう。
ダンサーたちは余裕がみえてよかったわ。 池田理沙子にも会いたかったけど次の機会ね。
*NNTTバレエ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/151224_007966.html

2017年2月25日土曜日

■海神の社、ワダツミノヤシロ

■作・演出:野中友博,劇団:演劇実験室紅王国
■ウッディシアター中目黒,2017.2.22-28
■舞台は中央に神棚があり壁には紙垂が下がっている。 20世紀初頭の淡島の漁村が舞台です。 漁民の多くは海の守護神である淡島綿津見神社(わたつみじんじゃ)を信仰している。 他に隠れキリシタンもいる。 そこへ天照大神を祭神とする国家神道の神祇官が内務省から派遣されてくる。 天皇家祖先神以外を拒否する派遣神祇官と村の神職や隠キリシタンの間で争いが起きるが海神が登場し混乱を鎮める話です。 しかし時すでに遅く、戦争が迫るなか漁民たちにも召集令状が来て彼らは戦場へ向かうことになってしまう。
宗教に疎いので意味が分からない台詞も多くあったが面白く観ることができました。 演出家はキリスト教信者らしい。 彼の分身である教授葛城は信仰の自由を語り、民を結集するため宗教が国家と結びついていく時代を危惧する舞台になっています。 八百万神の神道を一つに集約し世界の一神教と対峙させるのが国家の狙いでしょう。 因みに舞台に仏教は登場しない。 たぶん「神」を重視しないので議論し難いのかもしれない。 この劇団は初めて観たのですが宗教を題材にすると芝居の核心に近距離で迫れますね。 宗教と舞台芸術は同根だからでしょう。
*劇団サイト、http://www5e.biglobe.ne.jp/~kurenai-/wadatsumi-promo.html

2017年2月24日金曜日

■メディア

■作:エウリピデス,演出:レオニード・アニシモフ,劇団:東京ノーヴィ・レパートリ-シアタ-
■TNRT,2016.2.16-25
■役者は顔の中心だけを白塗りにしている。 「アンティゴネ」と同じだ。 この白塗りは神妙不可思議な世界に連れて行ってくれる。 ただしメディアと乳母は塗っていない。 そのメディアは四つ這いで舞台を這い回り一度も二本足で立たない。 みつめる9人のコロスは遜色のない存在感で物語を区切っていく。  
王クレソンと夫イアソンは舞台では出会わないし王娘グラウケも登場しない。 その分を含めてメディアと王クレソン、夫イアソンとの対話は簡素だが核心をついている。 メディアはイアソンの行動を一度は肯定するが結局はクレソンとその娘を毒殺し自身の息子二人も手にかける。 しかし彼女の血肉を伴う感情は欠片もみえない。 復讐心の凄まじさが静かに伝わってくるだけである。 事件は語られるだけだ。 メディアの叫びは静寂な空間に響いていくだけである。
*第27回下北沢演劇祭参加作品
*劇団サイト、http://tokyo-novyi.muse.weblife.me/japanese/pg553.html

2017年2月19日日曜日

■たくらみと恋

■作:F・V・シラー,演出:L・ド-ジン,劇団:マールイ・ドラマ劇場
■世田谷パブリックシアタ,2017.2.18-19
■舞台はなにもない空間から始まるが、ストーリーに合わせて脇役が椅子や机を運んでくる。 終幕ではいつのまにか宴会用の机が並べられキャンドルや花が置かれてドイツ大公の結婚式場になる。 修飾の少ない科白が観客を舞台に集中させる。 それは美術・照明・音楽にも現れている。 衣装はモノトーンで統一され役者の歩き方はロボットのような正確さがある。 あらゆる無駄を省いているようだ。
しかし幕開きの娘ルーゼが歩き回りそこへ大臣の息子フェルディナンドが飛び込んでキスをする場面は躍動感があり素晴らしい。 それと大公愛人ミルフォードが登場して数回机上で踊るのだが動きに違和感がなくて感心した。
秘書ヴルムをフェルディナンドが銃で脅す場面、ルイーゼの父ミラーがフェルディナンドからカネを渡されるところなどは緊張したいが突飛に始まり深まらないで宙づりにさせられる。 ルイーゼにミルフォードが過去を話す場面は一番の見どころだった。 そしてフェルディナンドがレモネードにヒ素を入れてルイーゼに飲ませるクライマクスには驚きである。 彼の性急な行動が突然芝居を終わらせてしまう。 企みも恋も膨らまなかったホットケーキのようだ。 いや最初からパンケーキだったのかもしれない。
役者はしっかりしていてさすがドラマ劇場だけはある。 肉を剥ぎ取り骨で勝負している感じだ。 ソビエトを引きずっている30年前の芝居を観ているような感覚もあった。
*劇場サイト,https://setagaya-pt.jp/performances/201702takuramitokoi.html

2017年2月17日金曜日

■鷹姫、ケルティック能

■原作:W・B・イェイツ,作:横道萬里雄,演出・出演:梅若玄祥*1,M・マクグリン,出演:アヌーナANUNA(ケルティック・コーラス)
■Bunkamura・オーチャードホール,2017.2.16
■「ケルトの神秘と能の幽玄が溶け合う!」。 チラシに書いてあったけど程遠い内容だった。 残念ね。 アヌーナ(ケルティック・コーラス・グループ)が歌唱部を受け持つかと思っていたけど、地謡から囃子まですべてが舞台に揃った能楽が強くなりすぎた。 能の集中とアヌーナの拡散が出会えずコーラスが薄くなってしまったからよ。 字幕も中途半端だった。 カーテンコールで日本の曲を二つ歌ったけど後の祭り。 1回限りの公演だからしょうがない(?)
*1、「鷹の井戸」(2010年)
*作品サイト、http://www.plankton.co.jp/takahime/index.html

2017年2月15日水曜日

■お勢登場

■原作:江戸川乱歩,作・演出:倉持裕,出演:黒木華,片桐はいり,水田航生,川口覚,粕谷吉洋,千葉雅子,寺十吾,梶原善
■シアタートラム,2016.2.10-26
■乱歩8作品のオムニバスだが迷路のように繋がっている。 時代が前後しながら主人公お勢が姿を変えて登場します。 お勢は同一人物なのかよく分からない。 お勢のような女はどの時代にも保護色を纏い生活していたのだという話にみえる。
彼女は本心をあまり見せない。 盲老人を穴に落とす場面も衝迫過ぎて心の内が掴めない。 彼女の全体像は周囲にいる人々のイメージから形作られていきます。 この作品で一番の推理どころかもしれない。
「押絵と旅する男」を初めて読んだ時のゾッとする感じが伝わってこない。 乱歩の怪奇や幻想、推理からくるゾクゾク感は薄い。 でも8作品を上手く混ぜた面白さは出ています。 再構築していく作業で演出家が一番楽しめたのではないでしょうか。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201702osei.html
*追記17.2.15、ブログを書き終わったあと劇場でもらった「せたがやアーツプレス」を読んでいたら演出家と黒木華が「退屈」について話していた。 そういえば演者が退屈だと何回か言っていたのを思い出した。 近頃は雑音のような退屈ばかりで本当の退屈を忘れてしまっていた。 「退屈」を耳にしても素通りさせてしまったらしい。

2017年2月12日日曜日

■マクベス

■作:W・シェイクスピア,演出:益山貴司,振付:長谷川寧,演奏:石原雄治,劇団:子供鉅人
■本多劇場,2017.2.10-12
■ドラムが鳴り響き群衆が登場する始まりの場面は劇的です。 しかもマクベスが女優で夫人が男優は再びの驚きです。 台詞も舞台に似合わず重さがあってとてもいい。
しかし女マクベスと女形夫人はどうもシックリこない。 宝塚や歌舞伎がなぜ同性でペアを組むのか? 答えはみつからないが分かる気がしました。 そして何とコロスが114人も登場するとは! 只々呆気にとられるだけでした。
後半はマクベス夫妻の不在に捕まってしまう。 夫人はあっけなく死にマクベスも魔女の予言通りに動いていく。 「マクベスと夫人の二人芝居を、・・100人の観察者が覗いている演出にしたい」。 しかしマクベス夫妻の不在の存在を押しのけて観察者が舞台を覆ってしまった。 カーテンコールの拍手が弱い。 筋がみえなくなり観客は戸惑ってしまったからでしょう。 台詞の重みも蒸発してしまった。
*第27回下北沢演劇祭参加作品
*劇団サイト、http://www.kodomokyojin.com/macbeth/

■フィーバー・ルーム

■感想は、フィーバー・ルーム

2017年2月11日土曜日

■仕事の流儀、倉本聰

■NHK,2017.2.6
■「仕事の流儀」は録画をしておき略毎回見ている。 今回は倉本聰である。 彼は演出家というより脚本家のようだ。 北海道の富良野で活躍していることも聞いていた。 北海道へ行った理由もこの番組で知った。 実を言うと彼の舞台は一度も観たことが無い。 調べてみたら映画もテレビドラマも無い。
彼は言う。 「自分の力で書いている時はプロではない」。 「何かが書かせてくれた時に素晴らしい作品ができる」。 創作の仕事に携わる人ならこのような状況が来るはずだ。 あらゆる仕事でこの種の経験が得られることも確かである。 仕事の奥義だろう。 「出会い」と言ってもよい。
番組では「やすらぎの郷」と「走る」の制作過程が映し出されていた。 脚本を練る時に登場人物の履歴書を作る方法は面白い。 役者への駄目出しを見て演出家としての拘りがどこにあるのかも分かる。
現実を深く考える作品のようだが「やすらぎの郷」も「走る」も観に行くことはないだろう。 その芝居を観に行くかどうかはチラシ等を見て瞬時に判断しチケットを購入する。 上手く言えないが、喜怒哀楽の現実を超えた何モノかが役者の身体を通してリアルに現前する舞台かどうかの判断である。 観る前だからビビッと脳味噌が身体が感じるしかない。 観客として「何かが書かせてくれた時」と同じ方向に在る何モノかを求めているのかもしれない。
*NHKサイト、http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0206/index.html

2017年2月7日火曜日

■ナブッコ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:J・レヴァイン,演出:E・モシンスキ,出演:P・ドミンゴ,L・モナスティルスカ
■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.2.4-10(MET,2017.1.7収録)
■ライブビューイング初登場ということで行ってきた。 ヴェルディの若さが一杯ね。 インタビュでもヴェルディ出世作に係わる話が多い。 宗教と戦争が背景にあり合唱が多いから表層を駆け抜けるような作品に感じる。 そのぶん感動が遠ざかるのはしょうがない。 同年令のワーグナーのことを思い出してしまったの。 同じ頃の「さまよえるオランダ人」は解析的な深みを持っている。 ワーグナーが3次元スカラーならヴェルディのこの作品は2次元ベクトルで出来ているようだわ。 ドミンゴとリュドミラ・モナスティルスカの年老いた父と横柄な娘は適役にみえる。 しかも彼女のベクトルある歌唱がヴィルディの若さを一層強調していた。
*METライブビューイング2016作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2016-17/#program_04

2017年2月6日月曜日

■蝶々夫人

■作曲:G・プッチーニ,指揮:P・オーギャン,演出:栗山民也,出演:安藤赴美子,R・マッシ,演奏:東京交響楽団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.2.2-2.11
■ローマ建築のような長い階段と壁に映る人影、そこに日本人歌手が登場してどこか和洋折衷の面白さがある舞台だった。 いつもの蝶々夫人とは一味違う。 日本人歌手の歌唱からは背景にある日本100年生活史の匂いが次々と湧き起こってくるの。 例えばピンカートンに見せる蝶々の大事な小物一つ一つに付着している意味、僧侶ボンゾの改宗より共同体から外れていく非難、その続きにある青い目の子供への差別、そして芸者としての座敷での芸妓の苦しみの話等々。 観客の雰囲気に湿り気感があったのはこの為よ。
ピンカートンが登場する時の舞台奥にたなびく星条旗が強すぎる。 蝶々は米国の法律や契約を論ずるがそれは生活からみた違いからなの。 星条旗は国家を思い出してしまい蝶々の「クニ」とは落差が大きい。 それは彼女を苦しめ且つ観客も戸惑ってしまう。 でもこの生活の重みでソプラノ殺しの歌唱が冴えていた。 「歌唱はドラマの流れに沿って、感情の流れとともにあるのが理想」。 安藤赴美子のインタビュー通りね。 そして子供の使い方も上手かった。 これで蝶々が我が子に語る最後の歌詞も母としての重みが出ていた。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/151224_007958.html

2017年2月5日日曜日

■世界会議

■演出:小池博史,美術:栗林隆,衣装:浜井弘治,映像:飯名尚人,音楽:下町兄弟,太田豊,徳久ウィリアム,出演:清水寛二,松島誠,白井さち子,谷口界,荒木亜矢子,立本夏山,吉澤慎吾
■吉祥寺シアタ,2017.1.28-2.5
■自然の王である熊が亡霊を呼び出すところから始まる。 亡霊とは毛沢東、ガンジー、マザーテレサ、南方熊楠、ジャンヌダルク、空海、ヒトラー。 最初は亡霊と科白が一致しているけど舞踏や能、ヒップホップなどを次々と繰り広げる舞台はむしろダンス・パフォーマンスに変わっていくの。
観ていながら色々な作品を思い浮かべてしまった。 「会議は踊る」亡霊会議へ、仮面を被ると「続・猿の惑星」のミュータント、踊りまくる姿はマギー・マランの「メイB」、熊は「天守物語」の獅子頭・・。 ディエゴ・リベラのことが書いてあったけどまさに聖と俗、生と死が混沌としていく「メキシコ万歳」に繋がる。 大きな月にひらがなは日本的だけど枯れた向日葵はメキシコの風景ね。 そしてサックスの音色がこの舞台にとてもマッチしていた。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/10/post-53.html

2017年1月31日火曜日

■銀髪

■作・演出:広田淳一,劇団:アマヤドリ
■本多劇場,2017.1.26-1.31
■アマヤドリ15周年記念再公演作品である。 劇団を調べたら「ぬれぎぬ」「フリル」の二本しかブログに登場しない。 それ以前にも何本か観ているが気になる劇団にしては少ない。 
劇場で配られたチラシに人物相関図が載っていた。 相関図のある作品は曲者が多い。 だが複雑で纏まりが無いストーリーを鍛えた舞台で熟していくところはさすが記念公演である。
とは言っても前半は冴えない。 途中の休憩時間が終わっても隣席の客が戻ってこなかったが分かる気がする。 パニックを売り物にするベンチャー企業も東日本大震災の記憶やISニュースを毎日みているから舞台に引き込む力が弱くなっているのだろう。
後半、種吉の過去を振り返るところから彼の思想や周囲の人間関係が明らかになり俄然面白くなってくる。 リーダ種吉の部下から上がってくる企画の捌き方や接し方に巧さがでている。 終幕、会社が傾く場面でも信頼関係の崩壊が簡素に上手く表現されていた。
いろいろ気になったので帰りにプログラムを買う。 「生きられなかった時間、育てられなかった子供、わかりあえなかった人たち・・、この作品には後悔の捻が流れている・・」と演出家は言う。 種吉は言う。 「生まれてくる赤ん坊もまた他者である」。 他者と繋がるとはどういうことかを形にしたい作品かもしれない。 切れ味の良い役者の動きや終幕のダンスを見ながら演出家15年の歳月が堆積している舞台だと感じた。
*劇団サイト、http://amayadori.co.jp/archives/8910

2017年1月29日日曜日

■冬物語

■原作:W・シェイクスピア,演出:宮城聰,音楽:棚川寛子,劇団:SPAC
■静岡芸術劇場,2017.1.21-2.12
■黒銀色に統一された舞台の美術と構造に先ずは感動しました。 目は自ずと舞台中心を見上げながら天に登っていく感じです。 同時に地下の暗闇に落ちていくようにもみえる。 しかも役者の全視線と同一直線上でぶつかっているようで集中力が湧き出てくる。 これらが混ざり合って目眩が襲って来るのです。
美術だけではなく二人一役の役者構造も面白い。 文楽でいう太夫と人形遣いに似ている。 とはいっても役者自身が人形であり人形遣いですが。
観ていて役者は科白を喋らなくて楽だなあと思いました。 役者が持て余して大袈裟な身振りにならないように動作を「人形振り」に制限している(そのようにみえてしまった)。 演出ノートには「言葉は身体の外のものであり・・」。 「身体と言葉の違和感・緊張感をそのまま観客に見せたい・・」と書いています。 この為かどうか分かりませんが、あの目眩を伴って舞台にグイグイと引き込まれました。 リオンティーズの嫉妬の強さには参った。
ところで舞台で四人以上が交互に演ずると誰が喋っているのかわからなくなる場面が2回ほどあった。 科白内容で直ぐに結び付けたのですが初めての経験ですね。 それと言葉と身体が離れた違和感かもしれないが長くみていると飽きてくるのです。 観客の緊張が続かない。 この方法は観客にも役者にも負荷がかかる。 役者も一瞬一瞬の緊張が大きい。 マイムや人形とは何かが違います。
中高校生鑑賞事業公演日では前半に居眠をする中高生が多かったのでしょう。 休息を挟んだ後半は雰囲気がガラリと変わってしまった。 解説場面が増えてしまい前半に現れた多くの謎が宙づりのままになってしまった。 原作通りかもしれないがオートリカスの話で要約され、そのままパーディタの登場まで一直線です。 「必ず春は来る」、「信じることさえできたなら」。 チラシのフレーズだけが残ってしまった。
ところで語り手の見台や座り方が浄瑠璃をそのまま持ってきたようです。 これが舞台のダイナミックな流れを止めていたようにみえる。 柔軟な配置をしたら違った謎が出てより深みに嵌ったかもしれない。 ともかく色々考えさせられる舞台でした。
*劇場サイト、http://spac.or.jp/winter_2017.html

2017年1月28日土曜日

2017年1月23日月曜日

■カルメン

■作曲:G・ビゼ,指揮:Y・アベル,演出:鵜山仁,出演:E・マクシモワ,M・ジョルダーノ,G・ブレッツ,砂川涼子,演奏:東京交響楽団
■新国立劇場・オペラパレス,2017.1.19-31
■背景の煙草工場や密輸業者、故郷の母や許嫁の行動が古くも懐かしさのある日常世界を連れて来る。 その世界にいるホセはカルメンとエスカミーリョのいる非日常に引っ張られていく。 この日常と非日常の何とも言えない混ざり合った哀愁が舞台に漂う。 人は非日常へ行かなくてはならない時がある。 前奏曲を聴くといつもそう思うの。
でもマッシモ・ジョルダーノの作品解釈も面白い。 ホセは非現実世界を生きている人。 彼にとって母や許嫁の現実世界は上の空なの。 そしてカルメンこそが彼が現実世界に戻る導きの人。 「自分とやり直す気はないか?」。 彼が現実へ戻る時カルメンは救世主でなかったことを知る・・。 なるほど。 読み応えあるインタビュー記事だった。
合唱団で舞台は駅のラッシュアワー並みの混雑だけど、演出は主歌手の邪魔をしないように気を配っている。 2幕途中から歌唱が安定してきたようね。 演奏も心地よかったわ。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/151224_007957.html

2017年1月21日土曜日

■遥かなる愛

■作曲:K・サーリアホ,指揮:S・マルッキ,演出:R・ルパージュ,出演:S・フィリップス,E・オーウェンズ,T・マムフォード
■新宿ピカデリ,2017.1.21-27(MET,2016.12.10収録)
■初めてみる作品は劇場へ向かうのが楽しい。 騎士歌人ジョフレが理想の女性を求める物語なの。 はたして彼は巡礼旅人を介して女伯爵クレマンスを知る。 彼女に会うためトリポリに向かうが恋心の重圧で病になってしまう。 ついにジョフレは彼女の腕の中で息絶える・・。
12世紀の騎士道と貴婦人のプラトニック・ラブを描いていてとても叙情詩的なストーリなの。 演奏も歌唱も静かにしかし冷たく強く進む。 これがフィンランド風と言うのかもしれない。 作曲家も指揮者もフィンランド製よ。 <遥かなる愛>がそのまま表現されているからモドカシイ。 愛が昇華されない。 ジョフレが精神的にあまりにも弱すぎるからだとおもう。 でもいつの時代にもありそうなことね。 
ところで舞台美術は最高。 海面の光の揺れが素晴らしい。 本物の舞台で観たいわね。 「指輪」(R・ルパージュ演出,2010年)ではアッと驚く装置を見せつけられたけど今回の光も驚きだわ。 クレーンをそのまま登場させたのはルパージュ好みだがスタッフ間では議論があったはず。 全てがいつもと違って変わった味のする作品だった。
*METライブビューイング2016作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2016-17/#program_03