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■まさに世界の終わり

■作:ジャン=リュック.ラガルス,翻訳:齋藤公一,演出:蜂巣もも,出演:根本江理,梅津忠,串尾一輝,西風生子,原田つむぎ ■アトリエ春風舎,2019.11.8-24 ■登場人物の関係だけを見て劇場に向かったが中身を掴み切れなかった。 作品を途中から観たような始まり方をしている為でしょう。 観客の知らない過去を兄ルイの家族が持っている。 しかも科白が凝っている。 普通はそれが氷解していくのですがこの舞台は最期まで未決のままでした。 家族関係の綻びをある時間内で表現した作品にみえます。 綻びの原因も行き着く結果も無い。 家族の一員からみれば当に世界の終わりですね。 兄ルイと弟アントワーヌの演技は戯曲に沿っていた(ようにみえる)。 女性たちは兄弟とは別の芝居をしているようでした。 妹シュザンヌと弟妻カトリーヌは特徴ある青年団の身体表現で演じてしまったからです。 それと場面間で暗闇を挿入したが時間が長い。 観客に雑事を考える余裕を与えてしまった。 懐中電灯はその逆の効果が出ていた。 観客を芝居に引きずり込んだからです。 戯曲は面白そうですね。 選曲(バッハ?)は合致していたが凡庸です。 年老いた感じになってしまった。 現代音楽で挑戦したら面白いかもです。 *F/Tフェスティバルトーキョー19連携プログラム作品 *青年団若手自主企画vol.79ハチス企画作品 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/8691

■ダムタイプ|アクション+リフレクション

■感想は、「 ダムタイプ|アクション+リフレクション 」 *話題になる作品は、「S/N」「pH」他。

■あの出来事

■作:デイヴィッド.グレッグ,翻訳:谷岡健彦,演出:瀬戸山美咲,南果歩,小久保寿人ほか ■新国立劇場.小劇場,2019.11.13-26 ■学校の講堂に居るようだ。 ピアノや椅子が置いてある・・。 登場は二人かと思いきや30人程の合唱団も舞台に上る。 コロスの役目も持っているらしい。 3行ストーリーが載っているチラシだけを読んで劇場に向かったのだがとても新鮮な芝居だった。 新鮮とは合唱が入ったこと、世界を飛び回っているような科白の為である。 「グリーンスリーブス」が最初に歌われたがこれが効いた。 涙が出てきてしまった。 似たような曲が続くので心が安らぐ。 そしてイギリス帆船を見つめるアポリジニの少年の姿が植民地時代のヨーロッパ、中東、アフリカへと広がっていく。 この二つが詩を編んでいるような舞台を作っていく。 柔らかく包み込んでいく理由の三つ目が、銃乱射犯人の少年役小久保寿人の感情を抑えた落ち着いた演技にある。 感情に集中させない演技が事件を分散させる。 一人数役を熟すのだが差異がみえない。 歌、世界、殺人犯が混ざり合っていき叙事詩のような感じを与えてくれる。 場面転換が短く話題が飛ぶのも影響している。 「異国の文化を楽しんでいられるのは上から見ていられる間だけ、自分の民族が上に立っている間だけだ・・」。 この一文で一撃を加えられるが「みんなここにいる・・」と犯人を受け入れる歌で終幕になる。 よく分からない芝居だった。 宗教的な許しのような雰囲気もでている。 面白いと感じたのは確かだ、新鮮だったし・・。 原作にも興味が湧く、たぶん読まないが・・。 しょうがないので帰りにプログラムを買う。 プログラムは疑問に答えてくれるはずだ、問はモヤモヤしているが・・。 このブログを書き終えてから読むことにする。 ところで日本語と英語の字幕が付いていた。 歌詞は字幕があると深く聴くことができる。 耳と目の両方で歌唱を吟味するからだろう。 *NNTTドラマ2019シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/the_events/

■ドン・パスクワーレ

■作曲:G.ドニゼッティ,指揮:コッラード.ロヴァーリス,演出:ステファノ.ヴィツィオーリ,出演:ロベルト.スカンディウッツィ,ビアジオ.ピッツーティ,マキシム.ミロノフ,ハスミック.トロシャン他 ■新国立劇場.オペラパレス,2019.11.9-17 ■オペラ・ブッファの楽しさが一杯詰まっている。 タイトルロールの貴族ドン・パスクワーレは70歳。 彼は結婚したいと言い出すが、舞台は騙し騙され話が縺れに縺れていくの。 結局は老人が諦めて若き恋人同士が結婚に至るいつもの三角関係ね。 終幕、教訓が歌われる。 「年老いてからの結婚は揉め事や苦悩を探すようなもの・・」。 本日の観客への教訓かもよ。 これは芸術監督大野和士の策略に違いない。 登場人物は略4人。 でも若きエルネストただ一人がイタリアの湿度を持っていない。 青春の枯れすすきのようなタイプなの。 ロシアの草原の匂いがするからよ。 これが逆にブッファに一味加えた舞台になっていた。 恋人ノリーナ役ハスミック・トロシャンは若いけど声も演技も立派! 監督が一度彼女を新国立劇場へ招聘したいと言っていた注目の歌手、でも今回は代役だけどね。 パスクワーレ役ロベルト・スカンディウッツィと彼の主治医マラテスタ役ビアジオ・ピッツーティは貫禄十分。 17世紀イタリア貴族の生活風景を面白おかしく楽しませてくれたわよ。 ところでこの作品の日本での上演が少ないのは老人の結婚話の増加で緊張感がなくなってしまったのかも(半分冗談よ)。 装置はよくできていた。 舞台一杯の居間が内側へ包み込んでいき円筒形になると外壁からみる家が出来上がるの。 部屋から家へ、その逆へと三次元展開できる。 空の色、壁の色そして海岸、これらから漂うイタリアの風が舞台に流れていた。 *NNTTオペラ2019シーズン作品 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/opera/donpasquale/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 ドニゼッティ

■イヴの総て All About Eve

■作:ジョゼフ.L.マンキウィッツ,演出:イヴォ.ヴァン.ホーヴェ,出演:ジリアン.アンダーソン,リリー.ジェームス他 ■TOHOシネマズ日本橋,2019.11.8-14(ノエル.カワード劇場,2019.4.11収録) ■映画「イヴの総て」(1950年作品)は覚えています。 下記に載せておきます。 今回の舞台(ライブビューングですが)は映画とは違う面白さがでていた。 濃縮感があります。 大女優マーゴの付人イヴへの嫉妬が急激に進むからでしょう。 しかも背景にあるマーゴの年齢が押し寄せてくる。 「・・女でなければわからない」とマーゴは許嫁ビルに言う。 大女優マーゴの女性として歳を重ねていく寂しさや諦めが強く感じられました。 「・・仕事では、女は途中で大切なものを捨てなければならない。 しかし幸せになる時それが再び必要になる」。 彼女はイヴへの嫉妬を止めることでそれを得ることができた。 悟ったときが交代です。 それはマーゴからイヴそしてカズウェルへと繰り返される。 観客への二人の影響度は、舞台が マーゴ > イヴ、映画は マーゴ < イヴですかね。 しかし映画と違って粗削りになるのは否めません。  舞台上でカメラを回しながらリアルタイムに映像を舞台背景に映していきます。 みえていない隣の部屋の状況などをです。 観客に後ろ向きで、楽屋の化粧鏡に座った役者の顔がそのまま背景に映される。 この構造が面白い。 しかも映像処理で老婆になっていく・・。 この作品は映画と舞台の両方を観ることでより面白くなる。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/91083/ ■イヴの総て ■監督:ジョゼフ.L.マンキウィッツ,出演:ベティ.デイビス,アン.バクスター,ジョージ.サンダース他 ■(アメリカ,1950年作品) ■十秒ほど登場するカズウェル役が当時無名のマリリン・モンローですが、さすがマリリン、オーラが出ていた。 イヴを越えられると直感しました。 *映画com、 https://eiga.com/movie/42367/

■掬う

■演出:山田佳奈,出演:佐津川愛美,山下リオ,馬渕里何,千葉雅子ほか,劇団:ロ字ック ■シアタートラム,2019.11.9-17 ■舞台下手にキッチンと言うよりは台所、その続きには安っぽいソファや机が置いてある。 冷蔵庫ドアには何枚ものメモが・・。 しかも演出家の挨拶に「初めての家族の話」と書いてある。 終幕には定番の喪服姿も登場する。 こういう芝居は実は避けたかった。 現実世界に戻されてしまうからです。 嫌な予感が当たりました。 夫婦喧嘩と兄弟喧嘩で満たされている。 親子喧嘩が少ないだけまだマシと考えなければいけない。 主人公である妹瑞江の両親が真面に登場しないからです。 父は入院中で母は離婚したらしい。 その代わり父の弟妹の登場で風景は20世紀中頃まで遡る。 でも見ず知らずの他人まで家に住み込みさせるのは驚きですね。 21世紀型家族の拡張でしょうか? ともかく怒鳴り合い、泣き叫ぶ場面が多い。 菓子を食べ散らかす。 主人公の内なる言葉が壁に写し出されますが読む気のでない文字列です。 終幕、瑞江が離婚前の夫庸介と仲直りをして幕が下ります。 夫婦としては並みの和解ですが、登場人物たちが異常だった為まとも以上に見えました。  瑞江(みずえ)の家族は社会の構造・制度を全く無視して閉じた世界を作っている。 そこで兄弟・夫婦は互いに侮言ギャグを連発していく。 台詞の断片は面白いが観ていて苦しい舞台でした。 唯一、夫庸介が真摯にみえた。 瑞江の世界が硬直していた反動でしょう。 叔母「猫のホテル」が家族をまとめようと頑張っていましたね。 この劇団は初めて観ます。 劇団名を「しかくじっく」と読んでいたのですが「ろじっく」が正解らしい。 フォントが□にみえていたからです。 観客は8割が男性で30歳前後が多い。 後方席はガラガラでした。 シアタートラムでこんなにも空席が目立つのは珍しい。 女性客を増やせれば席は埋まるはずです。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/sukuu201911.html

■やわらかなあそび

■演出・出演:谷口暁彦 ■シアターグリ-ン,2019.11.9-10 ■昨日は都合で行けなかった。 バーチャル空間で谷口アバターに会いたかったわよ。 今年のフェスティバル・トーキョーは先日観た「オールウェイズ・カミングホーム」とこの作品をスケジュールに入れておいたの。 1本で我慢! *F/Tフェスティバルトーキョー19主催プログラム作品 *F/Tサイト、 https://www.festival-tokyo.jp/19/program/soft-play.html

■オールウェイズ・カミングホーム

■原案:アーシュラ.K.ル=グウィン,演出:マグダ・シュペフト,テキスト&ドラマトゥルク:ウカッシュ.ヴォイティスコ,ドラマトゥルク:滝口健,出演:荒木亜矢子,稲継見保,鈴木奈菜,モニカ.フライチック他 ■東京芸術劇場.シアターイースト,2019.11.8-10 ■ダンス・音楽・映像そして身体動作や発声すべてに手製の匂いが感じられる。 例えばウースターグループをヒッピー化したような体現と言ってよいかしら? ニューヨークではなく西海岸の風が吹いている。 作品正題は「アーシュラ・K・ル=グウィン「オールウェイズ・カミングホーム」に着想を得て」。 ル=グウィンの人生生活をエッセイとしてまとめたようにも思える。 それは祖母や父、母という言葉が台詞にたくさん散らばっているからよ。 それに文化人類学を連想させる言葉もね。 北米インデアン等々の神話から採ったようなストーリーだが原作は読んでいないから流れがよく分からない。 肝心な場面にダンスが入る。 これはとても重要なはず。 人類の未来が過去に戻る(SFから神話への)円環の思想も感じられる。 熟してはいないけど、舞台が何であるのか感付いている舞台だった。 アーフタートークを聴く。 席は舞台下手から滝口健、作品翻訳の星川淳、マグダ・シュペフト、ポーランド語通訳、ウカッシュ・ヴォイティスコの5人。 シュペフト:作品には自然優位やフェミニズムが感じられ、現代のポーランド演劇の流れに逆を向いているので取り上げた。 ヴォイティスコ:これは一人の女性の成長物語だ。 マリンスキー(など人類学)も意識している。 濃密な世界をシンプルな言語で表現している。 600頁の原作は人類2万年後の世界を描いていたが15頁にして地球温暖化など自然災害を加えた構成にしている。 星川:15頁でもル・グウィンの思想が体感として伝わってきた。 お見事! フェイスブックにも載せたから読んでくれ。 「二つ巴」のマークが写し出されていたが過去と未来を表している。 シュペフト:一人の女主人公を6人の役者で演じているが、ここに演劇の魂をふき込んだ。 作品の音楽CDは使わず役者たちと作曲した。 映像は具体的な自然風景を流し続けて自然も主役という考えを表した。 以上がトーク概要。 久しぶりにル=グウィンに会えて楽しかったわよ。 1970年頃の

■終わりのない

■演出:前川知大,出演:山田裕貴,安井順平,浜田信也,盛隆二,森下創,大窪人衛,奈緒,清水葉月,村岡希美,仲村トオル,劇団:イキウメ ■世田谷パブリックシアター,2019.10.29-11.17 ■原点はホメロスの「オデュッセイア」らしい。 終わりのない人類の旅には円形舞台が似合っている。 物理学の不思議な現象を絡ませながら主人公ユーリがパラレルワールドを行き来しながら人間として成長する物語のようだ。 時空を超えた宇宙の広さを感じながらストーリが展開するのはなんとも気持ちが良い! はたして手塚治虫の「火の鳥」をパラレルに思い浮かべながら観てしまった。 ロボットの反乱、日本の地形風景と同じ天体の存在等々はSFの定番である。 しかし漂流した地球人エイがホワイトホールの向こう側に来たことを地球人に伝えてくれとユーリに頼むのはシンドイ。 これを見ながらクリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」で本棚から本を落として伝える場面を思い出してしまった。 後者は時空を超えた感動が押し寄せてくる。 (ぅぅ、話が逸れだした・・)。 加えて現代量子論を持ち込むと厄介が増える。 物理学者を登場させ量子論を言葉で展開したが、解説抜きで意識と無意識・個と全体を巧く繋がせたいところだ。 ところでアンが登場した時にユーリに向かって「あなたを助けに来た」と言っていたが、助ける場面を見過ごしてしまったかな? そのユーリ役山田裕貴がエッジの効いたイキウメ俳優と違った柄をもっていたので新鮮に見えた。 この舞台はSFの世界に入り込み過ぎてしまったと思う。 色々なSF作品を思い浮かべてしまい収拾がつかない(誉め言葉)。 ユーリが泣き出してしまう終幕は彼の意識の覚醒からくる人類の(宇宙での)孤独を感じる。 日常世界からみると彼の青春の終わりにもみえる。 しかし泣いてばかりいてもしょうがない。 泣いている時間も長すぎた。 ここは21世紀版「幼年期の終わり」を目指してもよいのだが。 ・・終わりの話ばかりになってしまった。 終わりのない旅こそ人類の希望かもしれない。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/owarinonai20191011.html