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■メディアマシーン

■台本:岸田理生,演出:こしばきこう,振付演出:三木美智代,振付:柴田詠子,劇団:風蝕異人街 ■こまばアゴラ劇場,2019.6.28-30 ■コンテンポラリー演劇はあまり聞かない・・。 ダンスを取り入れているので「コンテンポラリーダンス」から拝借したのですね。 この作品はギリシャ悲劇「メディア」を題材にしている。 現代的な言葉や行動も随所に現れる。 コロス5人のダンサーはメディアとその分身のようです。 科白を喋りながらのダンス、科白が無い時のダンスでは前者が充実していました。 特に後半、摺足で細かく動き回るダンスはリズムがあり科白が耳の奥まで届きました。 後者は舞台が狭いし単純な動きしかできない。 ムーブメントの大きい振付でしたが、なんとかメディアの愛憎は身体を伝わってきました。 でも愛憎劇としては爽やかすぎるダンスでしたね。 心理的な動きを入れても面白いでしょう。 *リオフェス2019(第13回岸田理生アバンギャルドフェスティバル)参加作品 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/8926

■ウィズイン・ザ・ゴールデン・アワー  ■メデューサ  ■フライト・パターン

■TOHOシネマズ日比谷(コヴェント.ガーデン,2019.5.16収録) □ウィズイン.ザ.ゴールデン.アワー ■振付:クリストファー.ウィールドン,音楽:エツィオ.ボッソ,アントニオ.ヴィヴァルディ,衣装:ジャスパー.コンラン,指揮:ジョナサン.ロウ,出演:ベアトリス.スティクス=ブルネル,フランチェスカ.ヘイワード,サラ.ラム他 ■7組ダンサーがヴィヴァルディの音楽、暖色系照明と色彩を背景に動く姿を前にするとダンスを観る喜びが湧き起こってくる。 「画家グスタフ・クリムトの影響が大きい」。 振付家の言葉通り衣装はクリムトそのままだ。 物語は観客に任せると言っていたが6章前後の構成には核が無い。 抽象と具象の間でうろうろしてしまう舞台だった。 男性ダンサー二人の登場する4章(?)は躍動感があった。 □メデューサ ■振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ,音楽:ヘンリー.パーセル,電子音楽:オルガ.ヴォイチェホヴスカ,衣装:オリヴィア.ポンプ,指揮:アンドリュー.グリフィス,出演:ナタリア.オシポワ,オリヴィア.カウリー他 ■ギリシャ神話メデューサを題材にしている。 振付が物語を膨らませる。 衣装もなかなかのものだ。 哀愁を帯びたテノール歌唱が感情の方向性を示していた。 人物相関がうろ覚えだったのでいつのまにか終わってしまった感じだ。 □フライト.パターン ■振付:クリスタル・パイト,音楽:ヘンリク.ミコワイ.グレツキ,指揮:ジョナサン.ロウ,出演:クリステン.マクナリー,マルセリーノ.サンベ他 ■36人のダンサーは酷寒の労働者風身なりで登場する。 群衆の動きは最後まで崩さない。 場面ごとに入るアクセントが計算されつくしている。 演劇の一場面をみているようだ。 しかしダンサーの顔が識別し難いので物語を引き寄せることができない。 しかも核となる場面が無い。 これは最初の「・・ゴールデン・アワー」でも言えた。 久しぶりのトリプルビルだったがどれもマアマアの印象だ。 どれも決定打が押し寄せてこなかった。 *ROH英国ロイヤル.オペラ.ハウス シネマシーズン2018作品 *作品サイト、 http://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=within-the-

■水鏡譚

■作:寺山修司,岸田理生,演出・出演:こもだまり,音楽:西邑卓哲,出演:イッキ,左右田歌鈴,久津佳奈,ぜん,岬花音奈,劇団:昭和精吾事務所 ■こまばアゴラ劇場,2019.6.25-27 ■朗読劇かな?と見ていたが台本を持つ場は少なく映像や生演奏が入ったゴッタ煮のような舞台でした。 演技の軽さからやはり朗読劇の延長にみえます。 寺山修司と岸田理生の作品をオムニバス風にしている。 テーマは親殺しですか? 息子が母を、娘が母を・・。 寺山修司の母殺しが見事に迫ってきます。 岸田理生の怪しい世界が何とも言えない。 イッキの「1平方メートル国家」で始まり、「でもアメリカは嫌いだ」で終わる舞台は力がこもっていた。 役者達の演技と朗読は見応えがありました。 和衣装の着こなしもいい。 それにしても古臭い感じですね。 舞台上のマイクは多過ぎるでしょう。 技術もそうですが、たぶん寺山修司と岸田理生をシンプルに再現していることが一番の原因のようです。 <親殺し>を現代に再び生き返らせ、・・それより観客をもっと若くしたい。 *第13回岸田理生アバンギャルドフェスティバル参加作品 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/8925

■ジャン×keitaの隊長退屈男

■演出:ジャン.ランベール=ヴィルド,翻訳:平野暁人,出演:三島景太 ■アトリエ春風舎,2019.6.22-26 ■春風舎は久しぶりのため池袋駅で何度も地図を確認してしまいました。 ・・場内に入ると2m四方の木製舞台があり50客程の席が取り囲んでいる。 小さくした盆踊りの櫓にみえますね。 天井にぶら下がっている白黒模様の提灯が異様ですが・・。 三島景太は軍隊長磐谷和泉として軍服姿で登場。 まずは挨拶や談笑で和やかな雰囲気です。 前半は日本の軍歌や古い歌謡曲を歌いながら狭い舞台を行進したり客への手拍子を催促したり、はしゃぎ過ぎる兵士を演じます。 そこは南方のジャングルで戦闘状態らしい。 彼のモノローグは父母のこと、姉のこと、・・次第に己自身のことに近づいていく。 近づいている死が語られる。 その科白は哲学的ですがどこかエスプリを感じさせます。 つまり乾いている。 動作は激しいが呆気らかんとしています。 後半、軍服を脱ぎ捨て褌一丁になった姿を見て三島でも由紀夫を思い出してしまった。 三島由紀夫がコントを演じるとこうなるのではないのかと考えてしまった。 汗と砂にまみれ動き喋り過ぎた後に赤いワンピースを羽織る。 終幕、客席の前に置いてある香炉に(観客も)線香を立てていきます。 隊長が生きているのか死んでいるのか定かでない。 迫りくる死を前にして、此岸の思い出と彼岸への不安が入り交ざり、秋晴れのような狂気へ突き進む兵士の姿を見ると何と言ってよいのか分からなくなります。 三島景太の熱演だけが残った舞台でした。 *青年団国際演劇交流プロジェクト2019 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/8933

■マネキン人形論

■原作:ブルーノ.シュルツ,演出・出演:勅使川原三郎 ■カラス.アパラタス,2019.6.17-25 ■作品名から、これは面白いはずと直感したの。 ダンスと人形は切り離せないからよ。 はたして期待通りの舞台だった。 幕開きの鏡ガラスの割れる音が空間を凍らせる。 気になっていた振付のすべてを出し尽くした80分だった。 終幕のスリット照明とのせめぎ合いは緊張感が走る。 実は閉所恐怖症なの。 舞台には人形が三体、その中の一体は人形に見えない。 でも一度も動かない。 この動かないダンサーに照明が当たると気になる。 やはり人形? ほかに手動ミシンが置いてある・・。 80分を踊り続けるのは強靭な体力が必要ね。 それが観客にも乗り移るから大変! 60分くらいにまとめれば観る集中力が最後まで続くと思う。   カーテンコールでその人形がダンサーだと分かった時はやはり驚いてしまった。 続きの挨拶で勅使川原はシュルツ論を語る。 原作はなんと小説なのね? 舞台進行で人形やミシンの関係がよく分からなかったのは小説のせいかもしれない。 シュルツについて何も知らない。 調べると彼がポーランド出身と聞いてどこか腑に落ちたわ。 タデウシュ・カントルも彼の影響があったらしい。 ハンス・ベルメールはどうかしら? 人形のことを考え出すと切りが無いわね。 *アップデイトダンスNo.63 *舞団サイト、 http://www.st-karas.com/

■キネマと恋人

■台本・演出:ケラリーノ.サンドロヴィッチ,映像:上田大樹,振付:小野寺修二,出演:妻夫木聡,緒川たまき,ともさかりえ他 ■世田谷パブリックシアター,2019.6.8-23 ■舞台と映像は切り離せない時代ですが映画は珍しい。 しかも劇と映画が対等な劇中映画ですね。 江戸時代にも関わらず時空が一緒とは! 「カイロの紫のバラ」は映画中映画のため難易度は今回の方が上でしょう。 特に後半の映像と舞台とのやり取りは完全シンクロしていて楽しかった。 ところで一人二役の高木高助と間坂寅蔵の同時登場で仮面を付けたのは他に方法がない? そして場面切替でダンスが入る。 小野寺修二で見ることができたのはサプライズです。 小道具を動かす振付は唸らせます。 姉妹揃って映画俳優に振られたのは気にかかりました。 妹ミチルと俳優嵐山進の破局は分かるが、姉ハルコと高木高助が一緒になれなかったのは納得いかない。 高木は俳優として成功の道が見えてきたからハルコを捨てたのでしょうか? 彼女は衣装といい仕草といい昭和モダンですね。 緒川たまきが演じましたが言うことなしです。 東京へ上京したいのに既に東京以上でした。 ところでハルコの喋り方はどこの方言でしょうか? この訛りで彼女は別世界にいるようでした。 映画をここまで舞台に乗せるとはウディ・アレンもビックリでしょう。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/kinema2019.html

■ゴドーを待ちながら

■作:サミュエル.ベケット,翻訳:岡室美奈子,演出:多田淳之介,出演:大高洋夫,小宮孝泰,永井秀樹,猪股俊明,木村風太 ■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2019.6.12-23 ■スタジオ中央にコンクリート模様の円形舞台が置いてあり周りを客席が囲っている。 寂れた公園にいるようだ。 忠犬ハチ公も(劇中では時々吠えて)いるし・・。 その円形の周りをウラジミールとエストラゴンはぶつぶつ回る。 いつもの一直線の道が見え難い。 ゴドーが遠くからやってくる気配が感じられない。 いきなり円環物語が強く現れてしまっている舞台だ。 観ているとウラジミール役大高洋夫の演技が他演者とは違ったリズムを持っていることが分かる。 その動きと形は予定調和を感じる滑らかさだ。 エストラゴン役小宮孝泰が逆の演技をするから二人の間にズレが生じる。 すれ違ったズレは異化効果まで至らない。 ポゾーとラッキーは目が点になる面白さだ。 どこか日常的な喋り方のポゾー、硬直的存在感のあるラッキーが組み合わさると非日常的な空気が張り詰まっていく。 今回は現代的な新訳と演出の<ボケとツッコミ>にしたらしい。 しかも2バージョンを上演している。 観終わってから、もう一つのバージョンをみないとウラジミールへの疑問が解けないのではないか?と考えてしまった。 でも都合がつかない。 ベケットの作品を観る時は劇場へ行くまでが大変だ。 いつも行く気が失せていく。 今回も体が怠くなってきた。 観た後はしかし、ベケットはなんと凄いのか!と思わずにはいられない。 今回もそうだった。 観劇前後で落差が出る作家である。 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/Godot

■実験浄瑠璃劇、毛皮のマリー

■作:寺山修司,演出・出演:加納幸和,監修:寺山偏陸,作曲:鶴澤津賀寿,杵屋邦寿,出演:武市佳久,二瓶拓也ほか,劇団:花組芝居 ■下北沢小劇場B1,2019.6.8-16 ■演奏の三味線と太夫の詞章は録音だけど役者科白がその間を埋めていくからとてもリズミカルだわ。 役者身体に余裕ができるからよ。 過剰な小道具と衣装が狭い舞台を余計に熱くする。 寺山修司の論理の角を丸くしていくように滑らかで膨らみのある演出が素晴らしい。 役者が絶えず動き回るから劇的場面が一度も無かったのが残念ね。 でも、これは浄瑠璃リズムと合わないからしょうがない。 マリー役加納幸和は三輪明宏の再来のようで最高! だって、声が三輪の若い時に似ているからよ。 そして楽日はどこかが違う。 いつも以上に濃密な時間を過ごせたわ。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/99777

■機械と音楽

■作・演出:詩森ろば,出演:田島亮,三浦透子,浅野雅博ほか,劇団:serial number ■吉祥寺シアター,2019.6.12-18 ■ロシア構成主義建築家たちの群像劇です。 主人公はイワン・レオニドフ。 いきなりですが、彼の「重工業商ビル(案)」は一度みると忘れられない。 レトロだが未来を見つめる人類の希望と孤独が漂う。 直線が天上へ延び、更に視線をのばすと双発機の黒い影が・・、ロシア構成主義のテーマ曲が聴こえてくる光景ですね。 この作品についてはレオニドフ本人が舞台で何度も語っている。 そして彼の都市計画は斬新です。 恋愛や家族の新しい考え方を建築に取り込んでいく。 その共産主義化は<機械ではなく音楽>に近い。 ロシア・アバンギャルドの言う<生活の機械化>です。 しかしスターリンが機械から音楽を打ち捨ててしまった。 コンスタンチン・メーリニコフも登場します。 彼の自宅、円筒形外壁の六角形窓でこれも忘れられない。 住み心地は知りません。 彼はこの自宅に隠棲し1930年の大粛清を生き延びた。 他にモンセイ・ギンスブルクとアレクサンドル・ヴェスニン。 後者はヴェスニン3兄弟の末っ子です。 建築家たちの親玉はレフ(芸術左翼戦線)を結成したウラジーミル・マヤコフスキー。 登場しないが多くの場面で彼の言動を聞くことができる。 詩人と建築家。 この組み合わせをみても、ソビエト革命が達成できたのは奇蹟としか言いようがない。 建築家群像劇は珍しい。 レーニンに始まりスターリンで終わる激動の時代です。 時代を絡ませた群像を劇的に舞台に表現できるかが課題ですね。 今回は建築を接続詞に使うので厄介にみえる。 それでも歴史に翻弄される建築家たちの真摯な姿が現れていて楽しめました。 ところで「風琴工房」は覚え易かったが、劇団名が変わったようです。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/98577

■オレステイア

■原作:アイスキュロス,作:ロバート.アイク,翻訳:平川大作,演出:上村聡史,出演:生田斗真,音月桂,趣里,横田栄司,神野三鈴ほか ■新国立劇場.中劇場,2019.6.6-30 ■観る前に劇場WEBの粗筋等を読んで疑問が浮かぶ。 疑問1.母クリュタイメストラは子の生贄を知った時ナゼ止め(られ)なかったのか? 疑問2.オレステイアはナゼ母を殺したのか? ということで劇場へ向かった。  我が子イピゲネイアを生贄にする叔父メネラオスの国家と戦争の論理に、父アガメムノンも母クリュタイメストラも反論できていない。 そして戦争に勝利した時、母はインタビューや演説で「(自身の)自殺も考えた」「(夫の)戦死も期待した」と言うが疑問1は解けない。 舞台が進み、母は父のことを<あいつ>と呼び、オレステイアと姉エレクトラも母に対して<あの女>と言っている(?)。 舞台奥から母の愛人アイギストスが少しずつ現れてくる。 オレステイアがアイギストスを直接語る場面は数分だが「ハムレット」が現前したようだった。 ここで疑問2が解決した。 母と子の密なる関係を母クリュタイメストラは幾度か語る。 娘エレクトラ以上にイピゲネイアを愛する場面も多く目にした。 「(夫を)殺す権利がある」と母は言い切るがその真意は疑問2へ続く。 疑問1を謎にしたことが誤っていたようだ。 この作品はオレステスの記憶と回想で出来ているらしい。 詩的な科白の為かギリシャ悲劇の硬さがみえる。 冷血を感じる美術が物語によく似合う。 でもデカ十字架は不要。 これでキリスト教が脳裏に浮かび集中が一瞬途切れてしまった。 「観たら読むな」をなるべく実践したいところだが今回は帰りにプログラムを買ってしまった。 「オレステイアを読み解く」(山形治江)で「ハムレット」に言及していて納得、しかし「(生き)残ったオムレット」はやはり食えない。 *NNTTドラマ2018シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/oresteia/

■イナバとナバホの白兎

■演出:宮城聰,出演:SPAC ■静岡芸術劇場,2019.6.8-9 ■ケ・ブランリ美術館*1とC・レヴィ=ストロースとSPACのコラボ作品と言える舞台です。 レヴィ=ストロースも論じた「因幡の白兎」と北米先住民ナバホ族の神話「双子、水を渡る」「太陽の試練」を前半で演じ、後半はSPACのスタッフ・キャストがこれら神話を結び付け創作した共同台本でまとめている。 同じようなストーリーを3回観ることになります。 全体を祝祭音楽仮面劇として仕立てている。  「因幡の白兎」は東南アジアの古典舞踊を見ている錯覚に陥ってしまう。 それはオオナムチ(大国主神)や八上姫が仏像のようなマッタリ仮面を被っていることやガムラン風に聴こえる打楽器演奏からです。 またナバホ族神話は南北アメリカ大陸のどこかで見たような古代文明風な仮面が登場します。 「因幡の白兎」は世界のどこでも探すことができると言うことでしょう。   後半は仮面を脱いで演技をするのでより時代が近づいてくる。 物語は農耕と太陽の深い関係を描いている。 自然の恵をどのように使うのかを問うているようです。 そして地謡のようなコーラス、能のような動きもあり、それは脇能に近い。 レヴィ=ストロースも登場したが彼の宣伝にみえた。 毛筆で説明をする場面も同じです。 書道の紹介にみえる。 所々にコマーシャル臭さが有る舞台は美術館からの依頼用の為かもしれない。 この作品の一番の見所は役者を演者と話者に分け、そこに演奏者を入れた三者のハーモニーが際立っていたことでしょう。 アフタートークは都合で省いてしまったが、青木保の文化人類学と舞台の関係は聞きたかった。 *1、「 マスク展 」(庭園美術館,2015年) *劇場サイト、 https://spac.or.jp/2019/inaba-navajo2019

■カルメル会修道女の対話

■作曲:フランシス.プーランク,指揮:ヤニック.ネゼ=セガン,演出:ジョン.デクスター,出演:イザベル.レナード,カリタ.マッティラ,エイドリアン.ピエチョンカ他 ■東劇,2019.6.7-13(MET,2019.5.11収録) ■一幕初めから主人公ブランシュの父と兄の対話で始まる。 そして修道院長クロワシーとブランシュの入会時の対話、ブランシュと同僚コンスタンスの仕事中の対話、臨終の修道院長とブランシュ、と続いていくの。 歌うように話すのではなく話すように歌うのでもなく話すように話すレチタティーヴォね。 タイトル通りの内容だわ。 「徳を求めるのではない」「ここは祈りの場」。 宗教談義が並ぶけど修道院長臨終の言葉「修道歴30年を越えているのに、この時に及んで、それが役に立たない!」は重く伝わってくる。 (今まで何をやってきたんだ!) 主人公役イザベル・レナードはコンスタンス役エリン・モーリーと大学時代からの友人らしい。 舞台上の二人の対話ではソプラノが強い。 宗教歌詞はソプラノが身体に強く伝わる、この作品は特にね。 しかもレナードは修道者が似合わない。 後半はフランス革命政府が修道者へ死刑宣告よ。 一人一人断頭台へ歩いていく修道者たち・・。 そこへ一人逃げていたブランシュが群衆の中から現れるの。 そして彼女も断頭台へ。 ブランシュの行動がよくわからない後半だった。 彼女は修道会の人ではなかったと思う。 作曲家プーランクは両親の影響から結局は逃げられなかったことがブランシュの行動に現れているのかも。 彼は逃避の代理人を作品内に作っていたから現代音楽を含め多様な分野を歩き回ることができたのね。 *METライブビューイング2018作品 *作品サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/861/

■海辺のカフカ

■原作:村上春樹,脚本:フランク.ギャラティ,演出:蜷川幸雄,演出補:井上尊品,出演:寺島しのぶ,岡本健一,古畑新之,柿澤勇人ほか ■TBS赤坂ACTシアター,2019.5.21-6.9 ■たくさんの物・事そして人が関係しあっていくストーリーは楽しい。 <沢山>を処理するのに場面を細かくし説明的な台詞を積み重ねていく。 次第に関係が繋がってくるが解釈は多義にわたり観客に委ねているようだ。  影の問題が出てきたところで「ゲド戦記」を思い出してしまった。 求める何かが両作品は似ている。 彼岸の入り口にある石も同じだ。 動物の登場する舞台はよく見かけるが失敗することが多い。 今回は縫いぐるみが良くできていた、タマも付いていたし。 非現実と行き交う境界演劇はリアルではないといけない。 しかし猫殺しのジョニ・ウォーカがなぜ死にたかったのか? 台詞を聞き漏らしてしまった? 彼はカフカの父親(それも裏顔)だと思っていたが、そうではないらしい。 同様に佐伯がカフカの母親だと思いたくなかった。 オイディプス神話からは逃れられない。 ナカタ(木場克己)の喋り方は強い棒読みだった。 もう少し滑らかに喋れば物語世界がリアルに近づいたはずだ。 異化効果も不発にみえる。 これは演出の問題だが。 大島役岡本健一はなかなか良かった。 シェイクスピア作品よりこのような役が合う。 プラトンの男男、男女、女女が半分に引き裂かれる話はこの物語の通奏低音だろう。 しかしヘーゲルは頂けない。 星野(高橋努)も単純で雑音が少なく、さくら(木南晴夏)も発声がしっかりしていて爽やかだった。  二人は村上春樹に合う。 佐伯役を寺島しのぶにしたのは演出家が一番苦労したはずだが、彼女の感情を伴わない笑顔のような泣顔のような顔は謎を隠し通せた。 大道具を大きなガラス箱に入れ、それを動かし場面展開をしていく方法は面白い。 黒子も気にならない。 大切な何者かを沢山詰め込んでいる作品だが人・物・事が上手く収束したとは思えない。 しかしこれで良いのだ、と思う。 *劇場サイト、 http://www.tbs.co.jp/act/event/kafka2019/ *「このブログを検索」語句は、 蜷川幸雄

■シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!

■演出:三浦基,テキスト:アントン.チェーホフ,ドラマトゥルク:高田映介,監修:中村唯史,劇団:地点 ■神奈川芸術劇場.中スタジオ,2019.5.27-6.2 ■劇団地点の特異な舞台が完成の域に達したことを強く感じました。 ダンスのような動きをしながら喋り続ける役者たちの立ち振る舞いも完璧です。 台詞もビシビシと脳味噌に伝わってくる。 馬車を真似たスキップが身体と科白の連動を滑らかにしたのでしょう。 役者がまとまって動くその姿は広い舞台を引き締める効果もあった。 風船や逆さ白樺、くすんだ鏡と床照明で銀色系の冷気が感じられる美術です。 乱雑に並べた板切れが旅の姿を物語っていた。 音響はいいが、でも音楽がイマイチに聴こえました。 ロシアとシベリアの距離感が掴み切れていない。 しかし総合芸術としての完成度がみえます。 紀行文学があるようにこれは紀行演劇とも言ってよい。 チェーホフのサハリン旅行は知りません。 この舞台にはシベリアの厳しい自然、住民の生活そして旅の苦しさが現れています。 この旅がチェーホフ作品に影響を与えたのは確実と言ってよい。 帰宅して直ぐに世界地図を広げてしまいました。 イルクーツクがこんなにも南に位置していたとは! シベリアはその北の先です。 改めてその広さに驚きました。 登場した都市を目で追いながら芝居のことを考え続けたのは言うまでもありません。 チェーホフの鼓動が聞こえてくる舞台でした。 *劇場サイト、 https://www.kaat.jp/d/tosiberia

■青い記録

■出演:勅使川原三郎 ■カラス.アパラタス,2019.5.24-6.1 ■拠点での公演作品は余白が多い。 たとえばイントロは青白い月の光だけで時を持たせる。 音楽はシューベルト、ピアノソナタ20番アンダンティーノの一部を最後までリピートしていくの。 余白は余裕に繋がる。 ゆっくりした動きだが、ブレーキを掛けながらアクセルを踏んでいるような力強さが伝わってくる。 暗い照明の中、ダンスと舞踏の境界を歩いていくような流れが続くの。 このホールは小さいが狭さは感じられない。 それは勅使川原三郎がいつもの通り空中へ飛んでいかないから。 地を意識しながら月を眺める姿ね。 青く熱いエネルギーを十二分に貰える舞台だった。 カーテンコールでは、記録と記憶と思い出、アップデイトの意味、佐藤梨穂子パリ公演のことなどを話す。 *アップデイトダンスNo.62 *主催者サイト、 http://www.st-karas.com/

■英国万歳!

■作:アラン.ベネット,演出:アダム.ペンフォード,出演:マーク.ゲイティス,エイドリアン.スカーボロー他 ■シネ.リーブル池袋,2019.5.31-6.6(ノッティンガム.プレイハウス,2018.11.20収録) ■劇的感動は無いが歴史小説を読む時のリズムが舞台に感じられる。 遣唐使時代の僧や留学生を主人公にした小説によくある。 作者の鼓動が散文に染み込んでいるリズム的感動とでも言おうか? 今回は王室や政治家の事務的な台詞や小刻みな場面展開にこれが現れている。 主人公は英国王ジョージ三世。 彼は聡明な国王だ。 しかし治世後半から精神疾患に悩まされる。 それでも彼は疾病を克服し国王の責務を再開する・・。 英国王と首相が登場する「 ザ・オーディエンス 」が脳裏に浮かんだが違った質の面白さがある。 首相ピットのほか国王を取り巻く女王や側近たちが舞台を修飾する。 4人も登場する医者たちの呪術的な精神治療や、政党間での摂政法案提出の駆け引きなど楽しい場面が満載だ。 北米植民地やフランス革命、東インド会社問題も背景で見え隠れする。 ともかく彼の生涯は波乱万丈だったようだ。 何度も映画化されている理由が分かる。 *NTLナショナル.シアター.ライブ2019作品 *作品サイト、 http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout30-the-madness-of-george-iii