2019年12月9日月曜日

■冒した者2019

■原作:三好十郎,構成・演出:野村眞人,出演:稲森明日香,井上和也,神田真直ほか,劇団速度
■こまばアゴラ劇場,2019.12.5-8
■床がなんと!粘土でできている。 水や砂は見たことがあるが粘土は初めてだ。 それを床に投げつけるとネチッと貼り付く音がする。 身体に擦り付けると肉体がボロボロと崩れていくようだ。 そして粘土でできた卓袱台は寄りかかると傾き潰れていく・・。
共同炊事、進駐軍、売血、ドル(紙幣)・・、激しく発声する断片化した科白から戦後が落ち着く1950年頃だと分かる。 妻の「あなた!」という夫への言葉が当時の家族風景を呼び寄せる。 息を吸い込み止めている身体も吃音のような発声も粘土の塊のように硬直し科白に同期していく。 これは舞踏的演劇に近い。 錬肉工房や転形劇場の幾つかの場面を思い出してしまった。
「三好十郎を知っているか?」。 今日の舞台で三好十郎がやっと見えた感じだ。 原作は読んだことはないが舞台は何度か観ている。 演出家が言う「オートマティズムへの警鐘」も科白から読み取れる。 それよりも戦後の未だ高度成長を知らない時代の何とも言えない空気感が巧く漂っていた。 粘土をちぎって叩きつけるような科白と身体が劇的さを伴って三好十郎を生き返らせた。
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/8507

2019年12月6日金曜日

■ミー・アット・ザ・ズー Me at the zoo

■作・演出:山崎彬,音楽:岡田太郎ほか,出演:藤原祐規,日比美思,山崎彬ほか,劇団:悪い芝居
■シアタートラム,2019.12.4-8
■初めて観る劇団です。 関西弁(?)だと人間関係が粘っちくて凄みがでますね。 生演奏が迫力を増します。 出足の科白や動き、美術や照明は良かった。 思わず隅々まで凝視しました。 お笑いコンビ「孤村ニューイヤー」の笑いに勝負を賭ける姿も関西劇団ならではの舞台にみえる。 でも方言だと微妙な言葉を取り逃がすことがあるので追うのが大変です。 これで観客の多くは笑えないのかもしれない。
お笑い芸人孤村新年の妹である主人公孤村直が動物園に就職し後半は園内に住み込んでしまう話です。 彼女は動物を見るのが好きなのです。 それは動物を見る、動物から見られるという行為が対等だからでしょう。 そこには(他者の)視線が発生しない。 彼女の行動に頷けます。
実は物語の前から園内に住み込んでいる男が登場する。 その男、午後松本人と直の兄である新年が事件を起こしてしまう。 これが後半に展開するのですが何が言いたいのか分からなくなってしまった。 テンションは高いが物語が平均化されてしまったからです。 演出家は張りきり過ぎたのではないでしょうか? でも2時間の長さを気にしないで面白く観ることができた。 役者たちの粘りの巧さだと思います。
*シアタートラム ネクスト.ジェネレーションvol.12作品
*悪い芝居vol.25作品
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/next12.html

2019年12月2日月曜日

■ベートーヴェン・ソナタ

■演出:中村恩恵,出演:福岡雄大,米沢唯,小野絢子,井澤駿,本島美和,首藤康之,新国立劇場バレエ団
■新国立劇場.中劇場,2019.11.30-12.1
■ベートーヴェンがダンサー達を引き連れてやってきた! 音楽から踊りが生まれ舞いの中にベートヴェンの人生がみえてくる作品だ。
「レクイエム」「春」は少し混乱したがベートーヴェンとジュリエッタのアダージョ「月光」で舞台に入っていくことができた。 ベートーヴェンは二人一役らしい。 福岡雄大と首藤康之。 アントニエとの「ラズモフスキ第一番」も素晴らしかった。 新国バレエ団ダンサー達は修飾しない身体動作を心得ている。 「第一番」の小野絢子はこれが効いていた。 福岡雄大も際立っていたがもう少し修飾してもよい。 首藤康之との存在感の違いが面白い。
二幕は「ピアノ・ソナタ第31番」のヨハンナが印象に残る。 ルードヴィヒの語りを再び挿入すれば全体の均衡がとれて更に良くなったはず。 そして「弦楽四重奏曲第15番」のレコード針の音が残りながら幕が下りる。
「(音楽と)舞踊でベートーヴェンの伝記的な軌跡をなぞった・・」(演出家)。 誰でも知っている曲と振付を混ぜ合わせ物語を現前させていく上手さは申し分ない。 コンテンポラリからバレエまでの幅広さが楽しい。 シンプルな衣装の変化も演出家の好みがみえる。
この舞台は先に記した3人の女性が重要な役割を果たしたと思う。 モテモテのベートーヴェンだ。 しかも彼は物語に強い。 観客も色々な見方ができる舞台だった。 12月に入り「合唱付き」が聴けたのは嬉しい御負け。
*NNTTダンス2019シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/dance/beethovensonata/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 中村恩恵

2019年12月1日日曜日

■くるみ割り人形

■音楽:P.I.チャイコフスキー,演出:熊川哲也,出演:杉野彗,中村祥子,遅沢佑介,吉田このみ,バレエ団:K-BALLET COMPANY
■恵比寿ガーデンシネマ,2019.11.29-12.12(オーチャードホール,2018.12.6収録)
■この作品を観るとクリスマが近づいたことを知るの。 コンパクトで濃縮感ある舞台だった。 そのまま満足感の上昇に繋がる。
一幕の雪国は舞台が見えなくなるほどの大雪!? 背景の山々から寒波が下りて来ていた。 次幕での温かさが感じられる人形王国は舞台が少し狭くみえる。 日本人ダンサーは身長が低いからちょうど良いかもね。 でもマリー姫中村祥子と王子遅沢佑介は体格も動きもどっしりしているから舞台からはみ出しそう。 これが濃縮感の元になっているらしい。 日本のバレエ舞台の欠点を解消している。 それはバレエ団の特長を発揮したことになる。 さて、人形達から元気を貰ったから12月も走り回れそうだわ。 
*バレエ団サイト、http://www.k-ballet.co.jp/news/201908/30_1.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 熊川哲也

2019年11月24日日曜日

■まさに世界の終わり

■作:ジャン=リュック.ラガルス,翻訳:齋藤公一,演出:蜂巣もも,出演:根本江理,梅津忠,串尾一輝,西風生子,原田つむぎ
■アトリエ春風舎,2019.11.8-24
■登場人物の関係だけを見て劇場に向かったが中身を掴み切れなかった。 作品を途中から観たような始まり方をしている為でしょう。 観客の知らない過去を兄ルイの家族が持っている。 しかも科白が凝っている。 普通はそれが氷解していくのですがこの舞台は最期まで未決のままでした。
家族関係の綻びをある時間内で表現した作品にみえます。 綻びの原因も行き着く結果も無い。 家族の一員からみれば当に世界の終わりですね。
兄ルイと弟アントワーヌの演技は戯曲に沿っていた(ようにみえる)。 女性たちは兄弟とは別の芝居をしているようでした。 妹シュザンヌと弟妻カトリーヌは特徴ある青年団の身体表現で演じてしまったからです。 それと場面間で暗闇を挿入したが時間が長い。 観客に雑事を考える余裕を与えてしまった。 懐中電灯はその逆の効果が出ていた。 観客を芝居に引きずり込んだからです。 戯曲は面白そうですね。 選曲(バッハ?)は合致していたが凡庸です。 年老いた感じになってしまった。 現代音楽で挑戦したら面白いかもです。
*F/Tフェスティバルトーキョー19連携プログラム作品
*青年団若手自主企画vol.79ハチス企画作品
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/8691

2019年11月22日金曜日

■ダムタイプ|アクション+リフレクション

■感想は、「ダムタイプ|アクション+リフレクション

*話題になる作品は、「S/N」「pH」他。

2019年11月20日水曜日

■あの出来事

■作:デイヴィッド.グレッグ,翻訳:谷岡健彦,演出:瀬戸山美咲,南果歩,小久保寿人ほか
■新国立劇場.小劇場,2019.11.13-26
■学校の講堂に居るようだ。 ピアノや椅子が置いてある・・。 登場は二人かと思いきや30人程の合唱団も舞台に上る。 コロスの役目も持っているらしい。 3行ストーリーが載っているチラシだけを読んで劇場に向かったのだがとても新鮮な芝居だった。 新鮮とは合唱が入ったこと、世界を飛び回っているような科白の為である。
「グリーンスリーブス」が最初に歌われたがこれが効いた。 涙が出てきてしまった。 似たような曲が続くので心が安らぐ。 そしてイギリス帆船を見つめるアポリジニの少年の姿が植民地時代のヨーロッパ、中東、アフリカへと広がっていく。 この二つが詩を編んでいるような舞台を作っていく。 柔らかく包み込んでいく理由の三つ目が、銃乱射犯人の少年役小久保寿人の感情を抑えた落ち着いた演技にある。 感情に集中させない演技が事件を分散させる。 一人数役を熟すのだが差異がみえない。 歌、世界、殺人犯が混ざり合っていき叙事詩のような感じを与えてくれる。 場面転換が短く話題が飛ぶのも影響している。 「異国の文化を楽しんでいられるのは上から見ていられる間だけ、自分の民族が上に立っている間だけだ・・」。 この一文で一撃を加えられるが「みんなここにいる・・」と犯人を受け入れる歌で終幕になる。
よく分からない芝居だった。 宗教的な許しのような雰囲気もでている。 面白いと感じたのは確かだ、新鮮だったし・・。 原作にも興味が湧く、たぶん読まないが・・。 しょうがないので帰りにプログラムを買う。 プログラムは疑問に答えてくれるはずだ、問はモヤモヤしているが・・。 このブログを書き終えてから読むことにする。 ところで日本語と英語の字幕が付いていた。 歌詞は字幕があると深く聴くことができる。 耳と目の両方で歌唱を吟味するからだろう。
*NNTTドラマ2019シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/the_events/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 瀬戸山美咲

2019年11月18日月曜日

■ドン・パスクワーレ

■作曲:G.ドニゼッティ,指揮:コッラード.ロヴァーリス,演出:ステファノ.ヴィツィオーリ,出演:ロベルト.スカンディウッツィ,ビアジオ.ピッツーティ,マキシム.ミロノフ,ハスミック.トロシャン他
■新国立劇場.オペラパレス,2019.11.9-17
■オペラ・ブッファの楽しさが一杯詰まっている。 タイトルロールの貴族ドン・パスクワーレは70歳。 彼は結婚したいと言い出すが、舞台は騙し騙され話が縺れに縺れていくの。 結局は老人が諦めて若き恋人同士が結婚に至るいつもの三角関係ね。 終幕、教訓が歌われる。 「年老いてからの結婚は揉め事や苦悩を探すようなもの・・」。 本日の観客への教訓かもよ。 これは芸術監督大野和士の策略に違いない。
登場人物は略4人。 でも若きエルネストただ一人がイタリアの湿度を持っていない。 青春の枯れすすきのようなタイプなの。 ロシアの草原の匂いがするからよ。 これが逆にブッファに一味加えた舞台になっていた。 恋人ノリーナ役ハスミック・トロシャンは若いけど声も演技も立派! 監督が一度彼女を新国立劇場へ招聘したいと言っていた注目の歌手、でも今回は代役だけどね。 パスクワーレ役ロベルト・スカンディウッツィと彼の主治医マラテスタ役ビアジオ・ピッツーティは貫禄十分。 17世紀イタリア貴族の生活風景を面白おかしく楽しませてくれたわよ。 ところでこの作品の日本での上演が少ないのは老人の結婚話の増加で緊張感がなくなってしまったのかも(半分冗談よ)。
装置はよくできていた。 舞台一杯の居間が内側へ包み込んでいき円筒形になると外壁からみる家が出来上がるの。 部屋から家へ、その逆へと三次元展開できる。 空の色、壁の色そして海岸、これらから漂うイタリアの風が舞台に流れていた。
*NNTTオペラ2019シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/opera/donpasquale/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 ドニゼッティ

2019年11月14日木曜日

■イヴの総て All About Eve

■作:ジョゼフ.L.マンキウィッツ,演出:イヴォ.ヴァン.ホーヴェ,出演:ジリアン.アンダーソン,リリー.ジェームス他
■TOHOシネマズ日本橋,2019.11.8-14(ノエル.カワード劇場,2019.4.11収録)
■映画「イヴの総て」(1950年作品)は覚えています。 下記に載せておきます。 今回の舞台(ライブビューングですが)は映画とは違う面白さがでていた。 濃縮感があります。 大女優マーゴの付人イヴへの嫉妬が急激に進むからでしょう。 しかも背景にあるマーゴの年齢が押し寄せてくる。 「・・女でなければわからない」とマーゴは許嫁ビルに言う。 大女優マーゴの女性として歳を重ねていく寂しさや諦めが強く感じられました。 「・・仕事では、女は途中で大切なものを捨てなければならない。 しかし幸せになる時それが再び必要になる」。 彼女はイヴへの嫉妬を止めることでそれを得ることができた。 悟ったときが交代です。 それはマーゴからイヴそしてカズウェルへと繰り返される。 観客への二人の影響度は、舞台が マーゴ > イヴ、映画は マーゴ < イヴですかね。 しかし映画と違って粗削りになるのは否めません。 
舞台上でカメラを回しながらリアルタイムに映像を舞台背景に映していきます。 みえていない隣の部屋の状況などをです。 観客に後ろ向きで、楽屋の化粧鏡に座った役者の顔がそのまま背景に映される。 この構造が面白い。 しかも映像処理で老婆になっていく・・。 この作品は映画と舞台の両方を観ることでより面白くなる。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/91083/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
■イヴの総て
■監督:ジョゼフ.L.マンキウィッツ,出演:ベティ.デイビス,アン.バクスター,ジョージ.サンダース他
■(アメリカ,1950年作品)
■十秒ほど登場するカズウェル役が当時無名のマリリン・モンローですが、さすがマリリン、オーラが出ていた。 イヴを越えられると直感しました。
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/42367/

2019年11月12日火曜日

■掬う

■演出:山田佳奈,出演:佐津川愛美,山下リオ,馬渕里何,千葉雅子ほか,劇団:ロ字ック
■シアタートラム,2019.11.9-17
■舞台下手にキッチンと言うよりは台所、その続きには安っぽいソファや机が置いてある。 冷蔵庫ドアには何枚ものメモが・・。 しかも演出家の挨拶に「初めての家族の話」と書いてある。 終幕には定番の喪服姿も登場する。 こういう芝居は実は避けたかった。 現実世界に戻されてしまうからです。
嫌な予感が当たりました。 夫婦喧嘩と兄弟喧嘩で満たされている。 親子喧嘩が少ないだけまだマシと考えなければいけない。 主人公である妹瑞江の両親が真面に登場しないからです。 父は入院中で母は離婚したらしい。 その代わり父の弟妹の登場で風景は20世紀中頃まで遡る。 でも見ず知らずの他人まで家に住み込みさせるのは驚きですね。 21世紀型家族の拡張でしょうか?
ともかく怒鳴り合い、泣き叫ぶ場面が多い。 菓子を食べ散らかす。 主人公の内なる言葉が壁に写し出されますが読む気のでない文字列です。 終幕、瑞江が離婚前の夫庸介と仲直りをして幕が下ります。 夫婦としては並みの和解ですが、登場人物たちが異常だった為まとも以上に見えました。 
瑞江(みずえ)の家族は社会の構造・制度を全く無視して閉じた世界を作っている。 そこで兄弟・夫婦は互いに侮言ギャグを連発していく。 台詞の断片は面白いが観ていて苦しい舞台でした。 唯一、夫庸介が真摯にみえた。 瑞江の世界が硬直していた反動でしょう。 叔母「猫のホテル」が家族をまとめようと頑張っていましたね。
この劇団は初めて観ます。 劇団名を「しかくじっく」と読んでいたのですが「ろじっく」が正解らしい。 フォントが□にみえていたからです。 観客は8割が男性で30歳前後が多い。 後方席はガラガラでした。 シアタートラムでこんなにも空席が目立つのは珍しい。 女性客を増やせれば席は埋まるはずです。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/sukuu201911.html

2019年11月11日月曜日

■やわらかなあそび

■演出・出演:谷口暁彦
■シアターグリ-ン,2019.11.9-10
■昨日は都合で行けなかった。 バーチャル空間で谷口アバターに会いたかったわよ。 今年のフェスティバル・トーキョーは先日観た「オールウェイズ・カミングホーム」とこの作品をスケジュールに入れておいたの。 1本で我慢!
*F/Tフェスティバルトーキョー19主催プログラム作品
*F/Tサイト、https://www.festival-tokyo.jp/19/program/soft-play.html

2019年11月10日日曜日

■オールウェイズ・カミングホーム

■原案:アーシュラ.K.ル=グウィン,演出:マグダ・シュペフト,テキスト&ドラマトゥルク:ウカッシュ.ヴォイティスコ,ドラマトゥルク:滝口健,出演:荒木亜矢子,稲継見保,鈴木奈菜,モニカ.フライチック他
■東京芸術劇場.シアターイースト,2019.11.8-10
■ダンス・音楽・映像そして身体動作や発声すべてに手製の匂いが感じられる。 例えばウースターグループをヒッピー化したような体現と言ってよいかしら? ニューヨークではなく西海岸の風が吹いている。 作品正題は「アーシュラ・K・ル=グウィン「オールウェイズ・カミングホーム」に着想を得て」。
ル=グウィンの人生生活をエッセイとしてまとめたようにも思える。 それは祖母や父、母という言葉が台詞にたくさん散らばっているからよ。 それに文化人類学を連想させる言葉もね。 北米インデアン等々の神話から採ったようなストーリーだが原作は読んでいないから流れがよく分からない。 肝心な場面にダンスが入る。 これはとても重要なはず。 人類の未来が過去に戻る(SFから神話への)円環の思想も感じられる。 熟してはいないけど、舞台が何であるのか感付いている舞台だった。
アーフタートークを聴く。 席は舞台下手から滝口健、作品翻訳の星川淳、マグダ・シュペフト、ポーランド語通訳、ウカッシュ・ヴォイティスコの5人。
シュペフト:作品には自然優位やフェミニズムが感じられ、現代のポーランド演劇の流れに逆を向いているので取り上げた。
ヴォイティスコ:これは一人の女性の成長物語だ。 マリンスキー(など人類学)も意識している。 濃密な世界をシンプルな言語で表現している。 600頁の原作は人類2万年後の世界を描いていたが15頁にして地球温暖化など自然災害を加えた構成にしている。
星川:15頁でもル・グウィンの思想が体感として伝わってきた。 お見事! フェイスブックにも載せたから読んでくれ。 「二つ巴」のマークが写し出されていたが過去と未来を表している。
シュペフト:一人の女主人公を6人の役者で演じているが、ここに演劇の魂をふき込んだ。 作品の音楽CDは使わず役者たちと作曲した。 映像は具体的な自然風景を流し続けて自然も主役という考えを表した。 以上がトーク概要。
久しぶりにル=グウィンに会えて楽しかったわよ。 1970年頃の彼女の作品を思い出させてくれた。
*F/Tフェスティバルトーキョー19主催プログラム作品
*F/Tサイト、https://www.festival-tokyo.jp/19/program/always-coming-home.html

2019年11月8日金曜日

■終わりのない

■演出:前川知大,出演:山田裕貴,安井順平,浜田信也,盛隆二,森下創,大窪人衛,奈緒,清水葉月,村岡希美,仲村トオル,劇団:イキウメ
■世田谷パブリックシアター,2019.10.29-11.17
■原点はホメロスの「オデュッセイア」らしい。 終わりのない人類の旅には円形舞台が似合っている。 物理学の不思議な現象を絡ませながら主人公ユーリがパラレルワールドを行き来しながら人間として成長する物語のようだ。
時空を超えた宇宙の広さを感じながらストーリが展開するのはなんとも気持ちが良い! はたして手塚治虫の「火の鳥」をパラレルに思い浮かべながら観てしまった。 ロボットの反乱、日本の地形風景と同じ天体の存在等々はSFの定番である。
しかし漂流した地球人エイがホワイトホールの向こう側に来たことを地球人に伝えてくれとユーリに頼むのはシンドイ。 これを見ながらクリストファー・ノーラン監督の「インターステラー」で本棚から本を落として伝える場面を思い出してしまった。 後者は時空を超えた感動が押し寄せてくる。 (ぅぅ、話が逸れだした・・)。
加えて現代量子論を持ち込むと厄介が増える。 物理学者を登場させ量子論を言葉で展開したが、解説抜きで意識と無意識・個と全体を巧く繋がせたいところだ。 ところでアンが登場した時にユーリに向かって「あなたを助けに来た」と言っていたが、助ける場面を見過ごしてしまったかな? そのユーリ役山田裕貴がエッジの効いたイキウメ俳優と違った柄をもっていたので新鮮に見えた。
この舞台はSFの世界に入り込み過ぎてしまったと思う。 色々なSF作品を思い浮かべてしまい収拾がつかない(誉め言葉)。 ユーリが泣き出してしまう終幕は彼の意識の覚醒からくる人類の(宇宙での)孤独を感じる。 日常世界からみると彼の青春の終わりにもみえる。 しかし泣いてばかりいてもしょうがない。 泣いている時間も長すぎた。 ここは21世紀版「幼年期の終わり」を目指してもよいのだが。 ・・終わりの話ばかりになってしまった。 終わりのない旅こそ人類の希望かもしれない。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/owarinonai20191011.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 前川知大

2019年10月31日木曜日

■42ndストリート  ■四十二番街

□42ndストリート
■演出.脚本:マーク.ブランブル,脚本:マイケル.スチュアート,作詞.作曲:ハリー.ウォーレン,アル.ダビン,出演:クレア.ハルス,ボニー.ラングフォード,トム.リスター他
■東劇,2019.10.18-(イギリス,2018年作品)
■ライブビューイング(舞台をそのまま撮影して映画公開)作品? 迷ってしまいました。 それだけ凝っている。 ミュージカルを作成していく現場を描きながら後半は本番とその裏舞台を舞台上で演じていくからです。 もちろんピットには楽団が演奏していて客席には観客が声援を送る。 原作「四十二番街」はここまで迷わせない。
それより原作との一番の違いは主人公ペギーと怪我の為に役を譲ったドロシーの年齢差が大きいことです。 この差を人生経験として取り込むことでストーリーを豊かにしていた。 しかし踊子と歌手の違いが明白な二人は競争相手に見えない。 スリリングな展開は無理ですね。 「バークレイ・ショット」は言うことなし。
*松竹ブロードウェイシネマ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/91523/
□四十二番街
■監督:ロイド.ベーコン,脚本:ライアン.ジェームス他,原作:ブラッドフォード.ロープス,出演:ワーナー.バクスター,ビーブ.ダニエルズ,ルビー.キラー他
■(アメリカ,1933年作品)
■ある種のリアリズムを感じました。 作成してからの80年間がそれを熟成させたのかもしれない。 例えば主人公ペギーがタップダンスの練習をする場面で彼女ルビー・キラーの人生がチラッとみえる。 他の役者もちょっとした仕草や動きに彼らの生活や世間がみえる。 このようなリアリズムです。 それとストーリーに倦怠感がある。 本日観た「42ndストリート」はリアリズムも倦怠感も最早見ることができない。 現代ショービジネスに徹していました。
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/50436/

2019年10月28日月曜日

■VORTEX 渦動

■振付:テロ.サーリネン,音楽:Be-bing,出演:韓国国立舞踊団,Be-being
■神奈川芸術劇場.ホール,2019.10.25-27
■影絵から始まる不思議な舞台だ。 影絵は半透明カーテンやスモッグを使用して影を立体的に空間へ写し出す。 この劇場で上演した「フィーバー・ルーム」*1と手法が近い。 これから自然や神を意識した作品に思えた。 そこに古典器楽や大陸系のおおらかな動きを見ていると東アジアの光景が近づいてくる。 そしてパンソリのような歌唱が混ざると当に韓国伝統芸能が出現する。 しかし途中にデュオが夫婦喧嘩(?)をしている場面があり戸惑ってしまった。 歌詞に日本語字幕が付けば凡その流れが分かったのだが・・。 扇子を広げたような衣装で踊る姿はエリマキトカゲだ。 振付が最後まで大味で飽きが来たがフィナーレは圧巻だった。 韓国の神話や歴史を詰め込んだ舞台にみえる。 ここにフィンランドの振付家テロ・サーリネンが現代を挿入して複雑にしてしまったようだ。 もちろん複雑な流れは面白く観ることができた。
*1、「フィーバー・ルーム」(アピチャッポン.ウィーラセタクン,2017年)
*劇場サイト、https://www.kaat.jp/d/vortex

2019年10月27日日曜日

■梁塵の歌

■演出:北村明子,ドラマトゥルク:マヤンランバム.マンガンサナ,音楽:横山裕章,出演:柴一平,清家悠圭,川合ロン,西山友貴,加賀田フェレナ,岡村樹,ルルク.アリ
■シアタートラム,2019.10.25-27
■「梁塵秘抄」を先ずは思い出してしまうタイトルかな? 遊びをせんと生まれけむ・・。 ダンスもこれでありたい。
舞台はよりシンプルになっている。 時々座る立方体の箱しか置いていない。 それは対話にダンサー達を集中させようとしているから。 動作と発声が互いに絡み合って一瞬の関係性を積み上げながら生活身体を出現させていく。 ダンサー達はスローモーションで入退場を繰り返し身体の記憶を固めていく。 地を踏む足の力強さが特に強調されていたわね。
マンガンサナの伝統音楽ペナ(?)もダンサーの波長と一致していて無理がない。 3回ほど登場して歌う場面も計算されていた。 数十枚もの写真が早回しで写し出されたのも悪くはない。 でも映像は強いから舞台が中断されてしまった。 むしろ最初に写すのはどうかしら?
東南アジアの若者を描いた青春群像舞踊にもみえる。 ダンスを観る喜びが湧き出てくる舞台だった。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/ryoujinnouta201910.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 北村明子

2019年10月25日金曜日

■花と爆弾、恋と革命の伝説

■作:大森匂子,演出:西山水木,出演:牧野未幸,岩原正典,成田浬,岩野未知,井出麻渡,葵乃まみ,劇団:匂組
■下北沢OFFOFFシアター,2019.10.23-27
■大逆事件の一つ「幸徳事件」を題材にした作品なの。 主人公は桃色歯茎が覗く笑顔の素敵な菅野すが。 彼女の人生後半から描き始め、そこに荒畑寒村と幸徳秋水を登場させ三つ巴の物語が展開していく。 男性関係から彼女の恋愛・結婚・家庭の考え方が少しずつ見えてくる。 和歌山から京都そして東京へ淡々と場所と時間を下っていくのでリズミカルな舞台に仕上がっていたわね。
花束に爆弾を仕込んだ彼女の天皇暗殺は、秋水の雑誌発禁の罰金額の多さから計画したようにみえる。 しかし社会主義運動を通して彼女の根底にあった婦人解放運動の進化がそれを遂行させたはず。 男性から差別されている女性を<虐げられた者>と位置づけて彼女はこう叫ぶ。 「・・主義者の男達を天皇もろとも爆破する!」と。 女性差別の主因の幾つかは天皇制に繋がっているからよ。 菅野すがの行動は現代でも色あせていない。
そしてもう一つの大逆事件である「朴烈事件」の「烈々と燃え散りしあの花かんざしよ」(新宿梁山泊,2019年)も同じように主人公の金子文子が頼もしいわね。 即位式に合わせて天皇を考える舞台が幾つも上演されるとは演劇界も捨てたものではない。 「治天の君」(チョコレートケーキ,2016年)も再演しているし。 ところで話を戻すけど選曲が舞台進行とマッチしていなかったわよ。 
*劇団匂組第6回公演
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/100824

2019年10月23日水曜日

■男たちの中で In the Company of Men

■作:エドワード.ボンド,翻訳:堀切克洋,演出.台本:佐藤信,出演:植本純米,下総源太朗,千葉哲也,松田慎也,真那胡啓二,龍昇
■座高円寺,2019.10.18-27
■客席の7割は20歳台後半から30台女性が占め男性は殆ど60歳以上かな。 社会派女流演出家の舞台ではこの比率が多いのだが・・!?
前半は登場人物の紹介だが時間が経つのも忘れるほど緊張ある対話が続いていく。 先ずは銃器製造会社社長で堅実なオールドフィールドとその養子レナード、そのレナードは続けて会社破産した遊興好きのウィリー、農産物加工経営者で策略家ハモンドと会い経営話題を劇場内に響かせる。 そこにオールドフィールドの秘書ドッズ、使用人で原子力潜水艦乗組員だったバートレイが薬味を効かせる。 レナードがドッズとハモンドの罠に掛かり父の経営を危うくしてしまうのが見せ場だ! 後半になって父はそれを知る・・。
休憩後は徐々にリズムが崩れだした。 レナードが何を考えているのか分からなくなってきたからである。 彼のような<坊ちゃん役員>は同族経営でも大企業では淘汰されるが中小企業では生き残れる。 難しくしている一つに彼が養子だということだ。 よく話題になる母のことを彼自身にどう付け加えたらよいのか悩んでしまった。 配布資料に「・・彼はハムレットだ」とあったが略当たりと言えよう。
そしてオールドフィールドを銃で殺そうとするのも、終幕の自殺も感動のない驚きである。 それは彼が「(資本主義とは)違う真実を啓示し・・、他の男たちにそれを語らせ、・・キリスト教の聖人のごとく行動する」からである。
しかし周囲の男たちの語りも愚痴にしか聞こえない。 それは酒である。 (ハロルド・ピンターと違うのは)登場人物が酒に溺れてしまうことである。 作家が創作時に登場人物を酔わせてしまうと舞台上の役者の言葉も酔った意味を含んでしまう。 飲んでも酔わないピンターは強い。
科白の中で「新自由主義」が聞こえたが、レナードは80年代サッチャー新自由主義を詩人になって否定したかったのだろうか? 資料に「ボンドからの手紙」が載っていたがジョンソン時代に手古摺っているようにみえる。 再び酒に溺れるか詩人になるしかないのか?
*座高円寺<新>レパートリー作品
*劇場サイト、https://www.za-koenji.jp/detail/index.php?id=2170
*「このブログを検索」に入れる語句は、 佐藤信

2019年10月21日月曜日

■地上の天使たち When Angels Fall

■演出:ラファエル.ボワテル,照明:トリスタン.ボドワン,音楽:アルチュール.ビゾン,衣装:リルー.エラン,出演:カンパニー.ルーブリエ
■世田谷パブリックシアター,2019.10.18-20
■黒っぽい舞台が印象に残りました。 全てが無彩色です。 Zライトを大きくしたような照明器具を動かしながらスポットで役者を照らし出す。 スモッグも使う。
マネキンの仕草、パントマイム、新体操らしき動き、オノマトペ、老婆も登場しシャンソンも聞こえてくる。 そして吊り下げられた棒や梯子に乗り空中を飛び回る。
サーカス小屋に居るようです。 20世紀前半から時を越えてやって来たのではないのか? 海外の劇団や舞踊団にはこのような驚きを持つ舞台によく出会います。 今回もです。 前面に現れるのは旧式機械や古道具ばかりで役者たちの身体動作も粗く人懐っこい。 客席から静かな笑いと子供たちの声だけが響く。 静かな笑いは小屋ではなく劇場だからでしょう。
「地上の天使たち」は意味深ですね。 舞台からの気配でその存在を感じました。 天使が何者なのかは知りませんが、この種のテーマは映画や舞台ではよく見かけますから。 
*世田谷アートタウン2019関連企画作品
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/20190710angels.html

2019年10月20日日曜日

■BLIND

■演出:ナンシー.ブラック,出演:デイューダ.パイハヴァ
■東京芸術劇場.シアターイースト,2019.10.17-20
■うーん、都合で行けない。 今月はキャンセルが多い。 幻妖なるパペットたちと闇の迷宮で踊りたかったわ。
*東京芸術祭2019参加作品
*劇場サイト、https://www.geigeki.jp/performance/theater222/

2019年10月16日水曜日

■Q A Night At The Kabuki

■作・演出:野田秀樹,音楽:QUEEN,出演:松たか子,上川隆也,広瀬すず,志尊淳ほか
■東京芸術劇場.プレイハウス,2019.10.8-12.11
■周囲の白壁が2メートルしかない。 壁上から天井までの黒一色が引き締まった舞台にしている。 観客の目の動きも上下が要らず左右だけでよい。 動きの激しい舞台に巧く計算されている。 衣装は華やかな原色が多いが軽やかさもある。
「ロミオとジュリエット」のそれからを描いている。 それにしてもあらゆる出来事が複雑にみえる。 過去を演じたロミオとジュリエットと未来を演じるロミオとジュリエットが現在に出会い混ざり合い話を紡いでいく。 いくつもの円環構造になっているらしい。 やがてあらゆる細部に既視感が訪れるからだ。 これこそ当作品の妙味に思える。
モンタギュー家とキャピレット家を平家と源氏に移しているのも楽しい。 演出家得意の言葉はいつものように元気に跳ね回っている。 クイーンの音楽をとことん生かして舞台の流れに同期させている*1。 これが歌劇を観た後のような心地よさを残している。 まさにオペラ座の、そして歌舞伎座の夜だ。 舞台芸術の達成感が現れていた。
*1、「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年)
*NODA・MAP第23回公演
*劇場サイト、https://www.geigeki.jp/performance/theater218/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 野田秀樹

2019年10月14日月曜日

■寿歌

■作:北村想,演出:宮城聰,出演:奥野晃士,たきいみき,春日井一平,劇団:SPAC
■静岡芸術劇場,2019.10.12-26
■舞台はゴミ処理工場に見える! そこへ旅芸人ゲサクとキョウコがリヤカーを引いて登場。 空にはリチウム弾道ミサイルがコンピュータ誤作動で未だ飛び交う。 核戦争後の物語はSFでは恰好の材料ね。 舞台でも時々出会う。
廃墟の中、二人は漫才をしながら冗談を言いながら歌い踊りながら旅を続ける。 途中ヤスオに出会い3人で歩き出す・・。 3人の科白の掛け合いがとてもいい。 エッジが効いているの。 発声だけではなく身体の動きも。 リアルなため廃墟が余計目に沁みる。 涙が出て来ちゃった。
これは日本版「ゴドーを待ちながら」だと思う。 カミと出会えたのは核戦争で世界が御破算になったから。 カミも人間並みになってしまったと言うことね。 何度も観ている作品だけど、いつもリヤカーしか舞台には置いてないの。 何もない空間が多い。 今回のように大がかりな美術は初めてよ。 中高生鑑賞事業のための生徒へのサービスかな? SF映画の一コマに近づいている。 でもどちらでもよい。 終末世界の3人がとても懐かしく輝いていたからよ。
*SPAC秋のシーズン2019作品
*劇場サイト、https://spac.or.jp/au2019-sp2020/ode_to_joy_2019
*「このブログを検索」に入れる語句は、 宮城聰

2019年10月12日土曜日

■どん底

■作:マクシム.ゴーリキー,翻訳:安達紀子,演出:五戸真理枝,出演:立川三貴,廣田高志,高橋紀恵ほか
■新国立劇場.小劇場,2019.10.3-20
■芝居を上演しようとする演者たちが高架下に集まってくるところから始まります。 劇中劇に仕立てている。 役者も周囲で芝居を見物します。
長屋談義のような対話が続いていきます。 しかし話の中身は濃い。 例えば「シンジツとは?」「シンジルとは?」などの議論を重ねていく。 科白に集中できたのはルカという巡礼者が対話をまとめていたからでしょう。
酒・博打・不倫の三拍子も揃っている。 物語はこの三拍子で進んでいきます。 男女の諍いで後半には殺人も起きる。 ルカが巡礼に出かけたあとはサーチンが科白を引っ張っていく。 でも前半にあった対話のリズムが無くなり次第に説教的になってしまいましたね。 その中でサーチン の言葉「より良き者の為に生きる」が耳に残りました。 良き者が見え難くなった現代は生きるのが辛く感じます。
会社の近くに「どん底」という名の飲み屋がありました。 仕事の結果が出ない時は「どん底へ行くか!?」が合言葉だった。 終幕、劇中劇の内と外が混ざり合っていき高架下で役者達の飲み会が開かれたのを見て「どん底」を思い出してしまった。 でも、和気藹々で飲むのを見ていてもインパクトが薄い。 劇中劇の外の効果が薄く異化が出なかった為と考えられます。
*NNTTドラマ2019シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/the_lower_depths/

2019年10月11日金曜日

■エウゲニ・オネーギン

■作曲:P.I.チャイコフスキー,指揮:アンドリー.ユルケヴィチ,演出:ドミトリー.ベルトマン,出演:エフゲニア.ムラーヴェワ,ワシリー.ラデューク,パーヴェル.コルガーティン他
■新国立劇場.オペラパレス,2019.10.1-12
■明日の公演は中止よ。 久しぶりの高等遊民オネーギンに会いたかったわ。 2019年シーズンの一番バッターしかも楽日だったから残念ね。 台風19号の規模では避けられない。 観客席が1800も有るしオペラは関係者が多いから中止の決断は大変ね。
*NNTTオペラ2019シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/opera/eugeneonegin/

2019年10月9日水曜日

■最貧前線、「宮崎駿の雑想ノート」より

■原作:宮崎駿,脚本:井上桂,演出:一色隆司,出演:内野聖陽,風間俊介,溝端淳平,ベンガル他
■世田谷パブリックシアター,2019.10.5-13
■チラシをみて迷ったが原作を読んでいないのでチケットを購入することにした。 粗筋にも事前に目を通す。
徴用船と聞いてクリストファー・ノーラン監督「ダンケルク」を即思い出した。 空中戦で戦闘機が空と海の間を墜落していくのをみてイカロスの失墜とはこういう感じなのかと納得した映画だ。 ブリューゲルなどの絵画では見えなかったイカロス身体の体感がこれで分かった。 一瞬の静寂を作ることで浮遊感覚が生まれるのだろう。 静寂が空間の深さを認識させてくれる。 宇宙空間もこの監督は得意だし・・。 ぅぅ、また話が逸れてしまった。
本題に戻すが、途中休息までは風景描写が続く。 後半に期待した。 舞台上の船は二つに分離・結合して動く。 揺れないのが欠点だが揺構造にすると費用が掛かるから止めたのだろう。 映像も多用して雰囲気を近づけている。 原作?の漫画も写し出される。
米軍を監視するため漁師の徴用船に日本海軍兵士が乗り込んで太平洋を南下していくが・・。 漁師は「帰りたい、生き延びたい!」 兵士は「敵を追跡したい、死ぬ覚悟だ!」 艦長の海軍魂は筋金入りだ(?)。 それでも次第に両者は信頼を築いていく。
船頭が敵戦闘機を撃墜し砲術長が負傷した後に、艦長は急に帰港すると言い出す。 船頭が言っている「命を育て、繋げる」ことに艦長は目覚めたのだ。 ここが山場なのだがあっさりし過ぎる。 原作が漫画のため戯曲が練れていないのかもしれない。
船が大きいから動かすだけで時間を取られてしまう。 船上では役者の動きが制限されるのでリズムに乗れない。 余白が目立つ流れになってしまった。 しかし兵士たちの国粋主義的な言葉や態度が少なかったので気持ちの良い反戦舞台に仕上がっていた。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/101448

2019年10月6日日曜日

■みんな我が子 All My Sons

■作:アーサー.ミラー,演出:ジェレミー.ヘレン,出演:サリー.フィールド,ビル.プルマン他
■TOHOシネマズ日本橋,2019.10.4-10(オールド.ヴィック劇場,2019.5.4収録)
■科白を聞き逃すまいと画面に釘付けになってしまった。 粗筋を知らないので猶更だ。 (米国からみた)太平洋戦争が物語に蠢いている。 戦争が残した傷跡が家族を締め付けていく。
先日「七つの会議」(監督福澤克雄、主演野村萬斎)を観たのだが、ネジ不良の隠蔽がもとで社員が右往左往する話だ。 野村萬斎がサラリーマンには有り得ない支離滅裂な行動で解決していく面白い映画だった。 ・・ぅぅ、話が逸れそうだ。
主人公ジョー・ケラーは戦闘機に使うシリンダー不良を隠蔽していたのだ。 裁判は勝訴したらしい。 「(戦争中の行為を言うのなら))国民の半分は刑務所に入らなければならない」。 父親ジョーは家族の前でこう言わざるを得ない。 彼の科白には「正義」や「愛国」を取り払った米国資本主義の原点がある。 戦争はビジネスである。
それは息子クリスにも窺える。 しかしピューリタンの清潔さである隣人への<愛>を武器に父と対決する。 (父の不正は)戦死した人に対して申し訳ないと彼は言う。 父の会社で成り立ってきたクリスの生活はまさに戦後米国中産階級の表裏となっている。
この舞台は父子二人が骨格を作り二人の女性が肉付けしている。 女性とはもう一人の息子ラリーが戦場から戻ってくるのを今も待ち続けている母ケイトと、ラリーの元恋人でクリスと結婚しようとしている娘アンだ。 二人はとても賢い。 自分自身が何者であるのかを知っている。 しかし父子が壊れていくのを母とアンは助けることができない。 それは母の家族への硬直した愛の為だ。 アンはケイトに向かって叫ぶ。 「(あなたから)ラリーは死んだとクリスに言って!」。 でもラリーからの手紙は突飛すぎる。 しかも兄弟の似ている罪悪感に驚く。
終幕の悲劇を乗り越えてクリスとアンが結婚できれば再び未来に希望がもてる作品にみえた。 家族劇で興奮したのは久しぶりだ。 家族を構成している物心両面が時代の核心と繋がっていたからだろう。 それは現代ともつながっている。 母役サリー・フィールドの演技に圧倒された。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/90572/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 アーサー・ミラー

2019年10月4日金曜日

■なにもおきない

■作・演出:坂手洋二,劇団:燐光群
■梅ヶ丘BOX,2019.10.2-23
■劇場に向かおうとした矢先に公演中止のメールが入ったの。 出演者の体調不良らしい。 生の舞台だから止むを得ない。 観客側の体調不良や都合付かずを入れるとキャンセルは結構な数になる。 今回は「なにもおきない」でおきてしまったのね。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/103221
*「このブログを検索」に入れる語句は、 坂手洋二

2019年9月30日月曜日

■ミクスチュア

■作・演出:山田由梨,音楽:金光佑実,美術:山本貴愛,衣装:小髙真理,出演:大竹このみ,田島ゆみか,青山祥子ほか,劇団:贅沢貧乏
■東京芸術劇場.シアターイースト,2019.9.20-29
■舞台は白床、小道具もシンプル、照明もブラックライトがあり美術に拘っているようです。 床に映像も映す。 ブラックライトは流行りですか?
スポーツセンターのヨガ教室が舞台です。 世間話が続いていく。 町に得体のしれない動物が出現したとか、大学院生の論文が書けないとか、欝の話や菜食主義者のSNSとか・・。 小道具を組み合わせた役者の動きにリズムがあります。 動物を演じる役者二人の俊敏な動きが舞台をより活性化している。 
同棲?している口数の少ない清掃員二人が隠れ主人公のようです。 その男性モノは欲望を表に出さず黙々と仕事を熟している。 女性ヤエはそのようなモノを好いている。 
人間関係は浅く止めて余韻を残す方法を取っています。 深いところを想像できないことはない。 会話の中身を追っていくと社会の動きに繋がっていくからです。 規則性の有る、詩的で淡泊な舞台がそれをさせない。 面白い文体の芝居でした。 日常生活の中にある詩を思い出させるような舞台でした。
*劇場サイト、https://www.geigeki.jp/performance/theater216/

2019年9月29日日曜日

■幽玄

■演出・出演:坂東玉三郎,出演:太鼓芸能集団鼓童,花柳壽輔ほか
■東劇,2019.9.27-10.17(博多座,2017.9収録)
■玉三郎は<楽しい幽玄>を創った。 「羽衣」「道成寺」「石橋」を繋げた構成だ。 鼓童の打楽器が前面に出ている。
先ずは「羽衣」を見て、何だこれは!?と唸ってしまった。 能のようで能ではない、歌舞伎のようで歌舞伎ではない、パントマイムにもみえる。 「羽衣」は能に近い舞が長いから違和感があったのだと思う。 しかし「道成寺」で俄然面白くなってきた。 白拍子が鼓童とリズムが同期しだした。 蛇のヌメッとした色艶も迫力がある。 続いての「石橋」の獅子舞は打楽器の豪快さを取り込んでいく。 5頭の連獅子(?)だ。
幽玄世界が激しいリズムで吹き飛んでしまったようにもみえる。 笛や箏が入ると和む。 コロスとしての地謡も動きが規則的すぎる。 しかし玉三郎の豪華な装束と舞がこのリズムを捕らえて見たことのない舞台を出現させた。 これを<楽しい幽玄>と名付けてもよい。
*シネマ歌舞伎特別編
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/41/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 坂東玉三郎

2019年9月24日火曜日

■あつい胸さわぎ

■作・演出:横山拓也,出演:辻凪子,枝元萌,田中享,橋爪未萌里,爪生和成
■こまばアゴラ劇場,2019.9.13-23
■シングルマザーとその娘、二人の失恋を描いた話です。 日常の出来事や心の動きを大阪弁がコミカルにしていきます。 声を出して笑うほどではありませんが、役者が喋っている間は観客は心から笑顔になっているのが分かる。 次の科白が待ち遠しい。 じゃりン子チエを一瞬思い出しました。 母は東京を知らないらしい。 でも風景の味付けはサッパリしています。 夏の暑さも母の職場も東京の下町と同じですね。  「もう夏や・・」。 天井に張めぐされている赤い糸が意味深です。
母は東京から来た会社上司が気に入ります。 大学に進学した娘は子供時代からの友達が好きだったことに気が付く。 そして母娘が相手から片思いだった言葉を聞かされるクライマックスがやってきます。 二人にとっては厳しい言葉です。
母の同僚が登場します。 上司はその同僚を見つめる場面が二度ほどある。 表情や仕草から上司はこの同僚が好きなんだと思いました。 これで後半のストーリーが想像できましたね。 ・・しかし違った。
娘の友達は心が読めません。 彼は娘の前で(母の同僚との)失恋を話してしまう。 この舞台は母娘の心の襞まで表現できています。 上司と娘友達は、母と娘の些細な心の揺れを感じ取れなかったのでしょうか?  彼らは好かれていることが分かっていたはずです。 母娘は言葉で巧く描かれているのに上司と娘友達は言葉で省いてしまった。 
作品の要である科白の鋭さに頼り切ってしまい、科白の無い時の表情や心の動きを疎かにしてしまったようにみえます。 客席からすすり泣きが多く聞こえましたが、心に刺さる素晴らしい舞台には違いありません。
*演劇ユニットiaku公演
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/8496

2019年9月21日土曜日

■死と乙女

■作:アリエル.ドーフマン,翻訳:浦辺千鶴,演出:小川絵梨子,出演:宮沢りえ,堤真一,段田安則
■シアタートラム,2019.9.13-10.14
■厳しい舞台です。 でもポーリーナ役宮沢りえが踏ん張りました。 それは彼女に血肉が付いてきたからだと思います。 でも作品が血肉を使わせてくれない。 結局は骨だけで勝負せざるをえない。 
主人公ポーリーナに拷問・強姦した医師ロベルトを私的裁判に掛けるストーリーです。 彼女はロベルトを捕らえますが、彼は最後まで白を切る。 彼女に拷問強姦をしたのか? 真相は分からない・・。
舞台は独裁政権下での出来事ですが、「身近な社会でも被害者が声をあげられないでいる事件や状況は山ほどある・・」(小川絵梨子)。 舞台は現代性暴力の告発まで視野に入れているので考えさせられます。
それにしても舞台は索漠としています。 ダイニングルームも冷たい。 宮沢りえが余計にキツク感じられます。 でも最後のカクテルドレスで逆転しましたね。 やっと血肉を通わせてくれました。 この後にストーリーを付け加えても芝居になりそうです
*シス・カンパニー公演作品
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/shitootome20190910.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 小川絵梨子

2019年9月20日金曜日

■タウリスのイフィゲニア

■作曲:C.W.グルック,指揮:パトリック.サマーズ,演出:スチィーヴン.ワズワース,出演:プラシド.ドミンゴ,スーザン.グラハム,ポール.グローヴス他
■東劇,2019.8.19-20,9.17-18(MET,2011.2.26収録)
■1幕初め、イフィゲニアの歌唱で時間が遡り両親の殺害やギリシャ悲劇の多くの場面が脳裏に浮かび始めるの。 演出家ワズワースはインタビューでそのように仕向けたと言っていたわね。
コロス衣装が暖色系でブリューゲルの農民風景を思い出させてくれる。 ダンスもあるからよ。 でもそれは一瞬だけ、主人公たちの黒系衣装が物語に戻してくれる。 
ナタリ・デセイのインタビューがやらせ見え見えで楽しい。 スーザン・グラハム、プラシド・ドミンゴは共に風邪を引いているようね。 彼女はメゾソプラノでよかったと言っていた。
歌詞に反復が多いが振幅があるからリズミカルでない。 グルックは初めてだけど素朴の中に豊かさが感じられる。 牢獄や生贄台があるギリシャの中心は悲劇だけど周辺は長閑なはず。 どちらも取り込んでいた演奏に聴こえる。 姉と弟が再会した終幕のダンスもホッとさせてくれた。 スタッフ特に演出家がグルックを上手に料理した舞台だった。
*METライブビューイング2010作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2010-11/#program_0あるけど7

2019年9月16日月曜日

■ルイ・ルイ

■演出:快快,脚本:北川陽子,出演:大道寺梨乃,野上絹代,山崎皓司,毒蝮三太夫(声)ほか
■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2019.9.8-15
■電波ジャックされたラジオのDJ番組を体験するストーリーです。 DJのように1曲ごとに話題が変わっていく。 オムニバスに近い。 そして場面の合間には曲ルイルイが流れていきます。
床下の骨組みが見える舞台でL字の客席になっている。 演奏や歌、ダンスが多かったのでフェスティバル会場にいるようです。 照明も張りがあった。 劇場の広さもちょうどいい。 
オムニバスの為か舞台は途切れる感じです。 間延びしています。 役者も素人のようなフリをする。 売れないコントを見ているようで一瞬ですがシラケる。 これらが独特な雰囲気を作り出していく。 客席に骨を回すのもバカバカしいが面白い。 
この雰囲気は好きなのですが、加えて寂しさについての話題が多かったので少し湿りました。 寂しさを科白で表さず空気感で表現できればより深まったと思います。 ところでDJの声が毒蝮三太夫とは、終わってからチラシをみて知りました。
客席には子供たちが多くて賑やかでしたが、間延びの雰囲気が尾を引いていたのでカーテンコールの観客拍手も力が無かったですね。 でも観た後に不思議感が身体に残りました。
*劇場サイト、https://www.kaat.jp/d/louielouie

2019年9月15日日曜日

■演出家鈴木忠志、その思想と作品

■著者:渡辺保,出版社:岩波書店
■2019.7.25発行
■柄本明の記事が朝刊で連載中である。 昨日、読んでいたら鈴木忠志演出「どん底における民俗学的分析」のことが詳しく書いてあった。 この作品についてはタイトルの本「演出家鈴木忠志、・・」を読んだばかりだったので直ぐに分かった。 鈴木忠志の舞台を初めて観た時の衝撃は忘れられない。 柄本も演劇の道に入るきっかけの一つになったはずである。 鈴木忠志は「理論・実践・教育・組織運営における代表的演劇人」(Wiki)であることは今もかわりない。 それは「劇団創設・劇場創築・俳優創生の三つを<一体>にした第一人者」(菅孝行?)でもある。
しかしこの本は読み易くない。 14作品を解説しているのだが舞台を観ていないと入り難い。 14作品は以下の通り・・
1.どん底における民俗学的分析 2.劇的なるものをめぐって 3.夏芝居ホワイト・コメディ 4.トロイアの女 5.バッコスの信女(ディオニュソス?) 6.王妃クリテムネストラ 7.桜の園 8.リア王 9.シラノ・ド・ベルジュラック 10.別冊谷崎潤一郎 11.帰ってきた日本 12.サド侯爵夫人(第二部) 13.世界の果てからこんにちわ 14.人生の冬景色 
当ブログでは演出家の舞台をこれまで16回(2010年以降、映像含む)載せている。 これからも機会があれば観ていきたい。
*書店サイト、https://www.iwanami.co.jp/book/b457230.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 鈴木忠志

2019年9月7日土曜日

■リチャード二世

■作:W.シェイクスピア,演出:ジョー.ヒル=ギビンズ,出演:サイモン.ラッセル.ビール,レオ.ビル他
■シネリーブル池袋,2019.9.6-12(アルメイダ劇場,2019.1.15収録)
■同じような作品名「リチャード三世」はよく上演される。 でも二世はあまり見ることができないわね。 舞台では2002年シアターコクーンのベルリーナ・アンサンブルで、ライブビューイングでは2014年RSCが最後だった。 DVDでは「ホロウ・クラウン」等々があるけど見ていない。
密閉された戦艦内のような舞台だから緊張感が漂う。 今風のラフな衣装の役者8人は舞台に居続けるの。 おのずと科白に集中できる。 シェイクスピアの中でも詩的で科白密度が高いから尚更ね。 リチャードがボリングブルックに王冠を渡す直前からグッと面白くなる。 それはリチャードが王を失う理由が形式的だから。 そして王が王で無くなる心の揺れがこの作品の見所だから。 サイモン・ラッセルは体を掻く癖が又でていた。 「リア王」の時も気にかかったけど。 しょうがないわねぇ。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ2019年作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/90571/

2019年8月31日土曜日

■マクベス

■作:W.シェイクスピア,演出:ルーファス.ノリス,出演:ロリー.キニア,アンヌ=マリー.ダフ他
■シネリーブル池袋,2019.8.30-9.5(オリヴィエ劇場,2018.5.10収録)
■演出家は挨拶で「核戦争後の風景ともいえる・・」。 核後の舞台作品は数多あるがナショナル・シアターもここに辿り着いたのね。 美術の出来栄えも良い。 ゲリラ調の衣装が似合う。 戦う場面が多いから科白も短く「マクベス」独特のリズムが生きていた。 夫妻も、特にロリー・キニアは言うことなし。 マクベスの心の揺れが性格や育った環境をも伴って直截に伝わってくる。
でも何かが不足している。 この理由を考えながら観ていたけど・・、たぶん国家や軍隊とマクベスの関係が薄い為だと思う。 正規軍は溶けてしまい国王への忠誠も信じられない核戦争後の世界だから? ストーリーが生き残った地域のゲリラ抗争にしかみえない。 「英雄伝」「年代記」の史劇的悲劇から外れてしまったからよ。 でも現代的軍隊が登場しなかったのは嬉しい。 NT得意の軍隊はウンザリしていたの。 演出家の言う「詩的に描く」世界は出現したかな。 観終わった時、三人の魔女に操られるマクベスの人生が詩的にまとめられていたのは確かね。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ2019年作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/90565/

2019年8月30日金曜日

■アントニーとクレオパトラ

■W.シェイクスピア,演出:サイモン.ゴッドウィン,出演:レイフ.ファインズ,ソフィー.オコネドー他
■シネリーブル池袋,2019.8.18-29(オリヴィエ劇場,2018.12.6収録)
■作者はエジプトやローマに行ったことが無いと言っていたわね。 アントニーがレピダスにワニを説明する場面でもそれが分かる。 でもシェイクスピアの想像力が一杯詰まっている作品だわ。
俳優表現が大袈裟なせいか言葉が明快に伝わってくる。 ナショナル・シアターが推し進めたグローバル化の成果かしら。 でも良いとは言えない。 長い科白を喋る時の役者の持続力も必要ね。 ピーター・ホールの頃が懐かしい。 その中で唯一オクティヴィアは他作品から抜け出してきたような感じだった。 彼女の登場で流れが非連続になったのは確か。 アントニーとクレオパトラの体力演技で元に戻したけど。
すべて自前だと自慢していた衣装はなるほど素晴らしかった。 クレオパトラはともかくアントニーの巾のある白いパンタロンも素敵だったわよ。 エジプトとローマの遊びと仕事の舞台仕切りも面白い。 潜水艦のデッキは現代の戦争に繋げて観てしまう。 本物の蛇がクレオパトラに噛みつく場面はおもわず息を呑んでしまった。 クレオパトラとアントニーの、周囲に揉まれながら愛を形作っていく熱演は記憶に残せる。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ2019年作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/90569/

2019年8月26日月曜日

■狂人と尼僧

■作:スタニスワフ.イグナツィ.ヴィトキェーヴィチ,翻訳:関口時正,演出:赤井康弘,出演:山本啓介,赤松由美,葉月結子,気田睦ほか
■シアター.バビロンの流れのほとりにて,2019.8.22-25
■精神病院で詩人ヴァルブルクは患者として治療を受けている。 彼は「ここから逃げたい」! そこに修道院シスター・アンナが現れる。 二人は愛し合っていく。 これを「愛と言ってよいのか」? とちゅう担当医ブルディカルは治療方法の違いから精神科医グリーンに患者を譲ります。 グリーンはフロイト精神分析で患者を診るが、その過程でヴァルブルクは医師ブルディカルを殺してしまう。 それでもグリーンは患者が寛解していると判断し分析治療を続ける。 が、ヴァルブルクは自殺してしまう。 ここで幕かとみていたら、死んだブルディカルとヴァルブルクは再生しシスターと共に病院から逃げ出すというレボリューションが付いている。 ・・!
何と言ってよいのやら・・。 医師ブルディカルはフロイト派なのでしょうか? でも役者の立ち位置や動き方、美術は申し分ありません。 実はバルテュスの絵を何枚も思い出しながら観ていました。 表面は違うが雰囲気は画家バルテュスの作品世界に近い。 その中でアンナ役赤松由美は他役者と違った世界にいるようにみえた。 パフヌーツィ役阿目虎南の動きは楽しい。 出身が違う俳優で固めると作品を揺さぶる面白さが現れます。
*日本・ポーランド国交樹立100周年記念事業作品
*サイマル劇団xコニエレニ共同作品
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage_main/81612
*「このブログを検索」に入れる語句は、 赤井康弘

2019年8月19日月曜日

■工場

■脚本・演出:堀川炎,出演:石川彰子,中藤奨,堀川炎ほか,劇団:世田谷シルク
■こまばアゴラ劇場,2019.8.13-18
■会社の事務室が舞台のようです。 それも工場らしい。 ストーリーは日常業務に沿って展開していく。 ラジオ体操や朝礼、企業理念唱和、節電・消灯、掃除。 防災訓練から始末書の書き方まで登場するとは・・。 20世紀高成長時代の日本にも見える。 これだけの作業を並べて、作者も経験があるのでしょうか?
ここに外国人が入社してくる。 彼は不都合な業務規則に違和感を持ちます。 それは日本人の生き方にまで疑問を持つ。 時代が現代まで下りましたね。
この劇団は初めてです。 舞台の雰囲気が変わっている。 静かな演劇に入りますがどこか緊張感が漂っている。 科白が短い為それだけリアルに近づけるのかもしれない。 日常業務の行動に付随する言葉は短いですから。 それと役者が周囲を見つめる時の眼差しが効いています。 目付き鋭い。 観客を飽きさせない工夫が随所にみられる。 終幕の狂ったように踊りだすのもオチとしては申し分ない。 面白く観ることができました。
アフタートークがありました。 出席は堀川炎、宇吹萌(うすいめい)。 前作「春夏秋冬」と違いセリフ劇として今回は押し出しているようです。 宇吹は机の白だとか電灯などの美術も誉めていました。 そう、悪くはありません。 それと堀川自身のダンスもよかった、5秒くらいでしたが。 彼女の役者登場は久しぶりとのこと。 と言うのは平田オリザや宮城聰が良い顔をしないらしい。 その理由は聞き漏らしてしまった。 ところで全員がタブレット端末を持っているフリをしていたが分かり難い操作でしたね。 宇吹のこの秋のスズナリ公演作品を紹介して終わりました。
*青年団リンク公演
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/101012

2019年8月15日木曜日

■烈々と燃え散りしあの花かんざしよ、金子文子と朴烈の物語

■作:シライケイタ,演出:金守珍,出演:水嶋カンナ,いわいのふ健ほか
■下北沢.スズナリ,2019.8.13-18
■「朴烈事件」を扱った舞台らしい。 無政府主義者朴烈とその妻金子文子が皇太子裕仁への爆弾暗殺を計画した事件である。 舞台は史実に沿って展開するが、主人公は金子文子だ。 チラシの「清水邦夫、シライケイタの女性像に金守珍が挑む!」もこれで納得。
1922年、朴烈との出会いから黒友会の結成、代々木借家での例会、著名人を集めての講演会開催、爆弾闘争による組織内不和、そして関東大震災までを描く。 文子は歌集から数句を詠み刑務所内での自殺で幕が下りる。
文子には虚無主義が混ざり合っている。 朴と同志朝鮮人は祖国独立の為に日本国家と戦う目的があった。 共に戦った文子は国家を何度倒しても同じであることに辿り着く。 日本国家が持つ闇を破壊しなければ主権人権の真の獲得は出来ないと考えた(ようにみえる)。 爆弾を誰に投げつけるかでこの違いが分かる。 朴は政府要所や百貨店などなどに、しかし文子は即座に天皇と答える。
幾つかの場面で貧しい文子の子供時代が挿入される。 彼女の骨のあるニヒリズムを育てた時代だ。 文子の子役が登場するがこれが心温まり詩情豊かにしていた。 タイトルの花簪は文子を女郎へ売るのに見栄えを良くする為に母に買ってもらったものだった。 日本の暑い夏を記憶している舞台だ。
*新宿梁山泊第67回公演
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/101736
*「このブログを検索」に入れる語句は、 金守珍

2019年8月13日火曜日

■記憶の通り路、孤独に苛まれている老婦人には気をつけて

■作:マテイ.ヴィスニユック,演出:江原早哉香,出演:柳瀬太一,白根有子,高階ひかり他
■中野.レパートリーシアターKAZE,2019.8.10-12
■オムニバスってとても好きなのよ。 物語の一つ一つは非連続だけど少しずつまとまっていくところがね。 まとまった何モノかは舞台上に居るような居ないようなところがある。 非連続を想像力で繋げるからよ。
ヨーロッパのどこかの街の海岸表通りから裏通りを歩いて再び表通りに戻ってきたようなストーリーだった。 街の遊歩者になった感じかしら。 そして水を張った床の効果が素晴らしい。 大潮の海に反射する光は別格ね。 また水を意識しないで演技をする場面も不思議な感じがでていた。 たとえば「傷」などに。 女優たちの棒読みのような喋りも詩的作品に合っていた。
反射する光を見ながら太田省吾の「水の休日」を思い出してしまったの。 この作品も水を張り卓袱台や座布団を置いて役者は水を意識しない演技をしていく。 置いた鞄を持ち上げると中に溜まった水が滴れ落ち、水面が揺れ強い光で乱反射する場面は忘れられない。
今日の舞台は想像や記憶が入り混じって当に「記憶の通り路」だった。
*東京演劇集団風第97回公演(レパートリー作品)
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/101958
*「このブログを検索」に入れる語句は、 江原早哉香

2019年8月12日月曜日

■楽屋、流れ去るものはやがてなつかしき

■作:清水邦夫,演出:金守珍,出演:三浦伸子,渡会久美子,清水美帆子,日下由美
■下北沢.スズナリ,2019.8.8-11
■女優二人が鏡の前で化粧をし続ける変わった舞台だった。 二人とは三浦伸子と渡会久美子。 渡辺美佐子の「化粧」を二人座って演じているような形だ。 二人は売れない女優の裏話に花が咲く。 プロンプターの話も多い。 そこに売れっ子女優(日下由美)が登場し科白の練習を始めるが最初はお互いが見えない(?)。 科白はチェーホフの「かもめ」や「三人姉妹」。 化粧の二人も昔覚えた科白を喋りはじめる。 「マクベス」や「斬られの仙太(?)」も入る。 次に若い女優(清水美帆子)が枕を持って登場し、(日下由美に向かって)ニーナ役を返してもらいたいと喧嘩になる。 ・・。
化粧する二人は楽屋に住み着く幽霊らしい。 70分を化粧し続けるだけの二人を観ているのは疲れる。 日下由美の科白にもあったが、そこが淀むからだ。 この淀みを取るにはどうしたらよいのか? やはり言葉と肉体の両輪が同時稼働しないと梁山泊劇的感動は半減する。
*新宿梁山泊第66回公演
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/101619

2019年8月11日日曜日

■鴨居玲という画家がいた

■脚本:広田淳一,衣装:串野真他,ステージング:中村恩恵,演出:シライケイタ,出演:首藤康之,シライケイタ,山口馬木也,演奏:郷古廉
■表参道.スパイラルホール,2019.8.9-10
■鴨居玲をみたのは10年も前です。 それは2010年そごう美術館「鴨居玲展」。 死が漂う衝撃の展示会でした。
今回のスタフ&キャストをみて驚きました。 なんと広田淳一が脚本を書いている。 興味ある演出家の一人です。 それと、いつもの中村恩恵・首藤康之コンビ、脂が乗っている郷古廉のヴァイオリン、何度か観ているシライケイタ、山口馬木也。
・・朗読劇のようです。 舞台4角に椅子が置いてある。 4人は歩き回り、演奏する。 曲はバッハ無伴奏から、テレマンから。 鴨居玲役は首藤康之。 縊れたような中年役が似合うようになりましたね。 坂崎乙郎との対話部分が面白かった。 シライケイタと山口馬木也の科白は解説です。 解説が多いのは鴨居玲が有名ではないから? 彼がみえなくなってしまった。
鴨居玲の人物画はとても演劇的です。 作品からみた彼の死生観はピエロのようにみえる。 仮面を被っているということです。 では自身はどうだったのか? この舞台は答えてくれない。 彼の直接の言葉をもっと入れてほしかった。 解説ではなく、もっと対話を! 天井から「スペインの娘」(1968年)がぶら下がっていました。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/102001
*「このブログを検索」に入れる語句は、 広田淳一、首藤康之

2019年8月7日水曜日

■「熱海殺人事件」vs.「売春捜査官」

■作:つかこうへい,台本・演出:坂出洋二,出演:杉山英之,木下知恵,猪熊恒和ほか,劇団:燐光群
■下北沢.スズナリ,2019.7.26-8.6
■昭和に戻った舞台だ。 それは暑さをも吹き飛ばすと言うことだ。 しかも円城寺あやが「なごり雪」で登場するから恥ずかしいくらいの戻りようだ。 その時のダンスは笑える。 木村伝兵衛刑事がこのダンスを後で蒸し返すことからわかる。 科白量は多いが役者のパワーで熟している。 下ネタも昭和的だ。 しかし昭和は飽きる。 このまま終幕まで続くのか?
後半に入った途端、沖縄が登場する。 昭和と平成が混ざり合っていく。 と、同時に役者が動かなくなった。 身体も昭和から平成になったのだろう。 高齢化も影響している。 科白も解説調が多くなる。 しかし辺野古基地闘争が暑さをジワリと呼び戻す。 平成の暑さか?
「・・反語の連鎖で語り、あえてシンプルに」していて力強い舞台だ。 そして「人種、出自、性そして女性の社会的地位への偏見・差別」が表裏から迫ってくる。 今年一番の熱さだった。 その暑さの中で、つかこうへいをチラッと見た気がした。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/101006

2019年8月5日月曜日

■ピーター・グライムズ

■作曲:ベンジャミン.ブリテン,指揮:リチャード.アームストロング,演出:ウィリー.デッカー,美術・衣装:ジョン.マクファーレン,出演:スチューアート.スケルトン,スーザン.グリットン他
■新国立劇場.情報センター,2019.8.4(NNTT,2012.10収録)
■情報センターでオペラ録画を初めてみたけど満足よ。 他ライブビューイングと比較してだけど。 もっと酷いかと想像していた。
見知らぬ村落共同体に突然投げ込まれたような感じがする作品だわ。 無調系音楽が共同体の断片しか届けてくれない。 美術と照明も無彩色系の何もない荒れた空間だけ。 北海に面した漁村だというのに海の匂いがまったくしない。 もちろんピーター・クライムズも漁師にはみえない。 彼と少年の関係は複雑だけど舞台では上手く表現されていなかった。 抽象の世界に共同体の雑音が混じりあって心休まる舞台ではない。 歌詞はドイツオペラとは違い経験論が微かに匂う。 でも後半になって、その雑音の中に静かな劇的さが漂い始める。 何とも言えない傑作かもしれない。
1945年戦勝日のロンドン初演は大成功だったらしい。 戦争に勝利した直後にこのような作品がヒットするとはイギリスも大した国ね。 カーテンコールの照明下で一人一人の衣装を初めて眺めることができた。 とても良く出来ているの。 舞台の粗い床は銀色に輝き眩しかった。 2012年に見逃した作品を(映像だけど)みることができて嬉しい。
*NNTTオペラ2012シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000608_opera.html

2019年8月3日土曜日

■怪人二十面相

■原作:江戸川乱歩,演出:山口茜,出演:高杉征司,日置あつし,芦谷康介,達矢,佐々木ヤス子,劇団:サファリ・P
■こまばアゴラ劇場,2019.8.1-4
■科白と身体の独特なシンクロナイズに驚きました。 5人の役者が素早く入れ替わって怪人二十面相の変装を成し遂げる過程は見事です。 言葉も変装していく。 「いつ変装したか覚えていない」と怪人自身が言っている。 彼の人格は一つだと思っていました。 これが崩れてしまった。 彼は二十(=多くの)の他人からできている。 次々と他者に変身していく舞台は不思議感が漂います。 考えさせられました。
科白の連なりを役者間で引き継いでいく舞台はよくある。 でも言葉はそのまま次の役者の身体に移るだけです。 しかし怪人二十面相という変換機構を通すと言葉も身体も変装して次に引き継がれていく。 言葉が引き継がれる身体に反発力が有るから出来ることなのでしょう。 日常動作をダンスに変換しているのも成功の一因です。 科白が身体動作と結合分離を繰り返しこの変換が完成されるということが分かりました。
床穴ライトや指輪ライトなどスポット照明の使い方も面白い。 まとまり過ぎている感じもある。 怪人二十面相が何者なのか?今やっと理解できました。
*サファリ・P第6回公演
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/7973

2019年7月31日水曜日

■岩名雅記、鏡を抱いた小児は戦後日本の最終戦争に赴く  ■すさび

■振付・出演:岩名雅記
■日暮里.d-倉庫,2019.7.30
■暗いなか、岩名雅記が登場し超スローな動きで舞台中央まで歩いてくる。 ワンピース姿のようだ。 目は客席から離さない。 微かに聴こえるのは三道農楽カラクか? そのまま横になる。 衣装を脱ぎ捨て再び立ち上がり爪先だけで立つ。 後半はそのままの姿を維持する。 脹脛の痺れの為か、体が揺れるが爪先立ちは止めない。 最後にマイクを持ってアジる。 聞き取り難かったが要は「(観客として)マジメニヤレ!」と叫んでいたようだ。
「・・無垢のカラダ「鏡を持った小児」となって、腐りきった戦後日本へ挑む。 「最終戦争」とは戦後の貧しくもモノと心のバランスのとれた豊穣を再興するための意思表示である」。 人間とそのカラダの復権を取り戻す!
半月前に映画「すさび」を観に行った(下記に感想)。 劇場入口で岩名雅記が一人チケットを売っていた。 月末に独舞を打つと言う。 それで今日の舞台を観に来た。
彼の舞台は初めてだが映画のガラスといい今日の爪先立ちといい、自らの緊張の中に飛び込んでいこうとしている。 今日の舞台でモノが登場しなかったのは1回限りの公演の為だと思う。 張り詰めた50分だった。
*ダンスがみたい!21「三道農楽カラク」を踊る参加作品
*劇場サイト、https://www.d-1986.com/d21/index.html
□すさび CHARLOTTE-SUSABI
■監督:岩名雅記
■シネマハウス大塚,2019.7.12-14
■舞踏家岩名雅記が監督した映画である。 ダンス場面は少なく舞踏を撮った作品ではない。 監督の経験や記憶を膨らませ心象風景と混ぜ合わせてエロチックとバイオレンスをシュールに表現している。 フランスと日本の各地を行き来する映像は素晴らしい。 パリ風景はヌーベルバーグの映画場面を思い出す。 
パフォーマー上村連と3人の女の愛と葛藤を描いている。 女は上村の自殺した妻、死んだ妻に瓜二つの恋人、イタリア女の3人である。 死んだ妻が幽霊になって登場したり、下半身を事故で失ったイタリア女が人魚になるなど奇天烈なストーリーだ。 ガラス板上での踊りやセックスが肉体の脆さや儚さを呼び寄せる。 「人間はモノの世界から追放された。 出直してこい!」と。
後半ダレてきたようにみえる。 話が漫画に近づいた為である。 これが前半の良さをも壊してしまった。 淡々と撮っていれば結構いけたかもしれない。
アフタートークを聞く。 出席は監督岩名雅記と井上リサ。
井上:この作品は異世界転生物語・・。
岩名:脱線が好きだから・・
井上:「夏の家族」と表裏の関係にある。
井上:大切ななにか(愛)を失った時に感じるものと同じ・・。
以上がトーク内容。 井上は「愛を失った時に感じる」と言っていたがそうはみえない。 失った妻の無念は分かるがそれを乗り越えようとしている意志が上村にみえた。 彼は女達と福島原発避難者を引き連れてイタリア女を人魚に変身させ麦畑の聖女に近づけようとしている。 ところでガラス板上でのセックス場面で一句読まれたことを思い出した。 「実存を賭して手を擦る冬の蠅」(大道寺将司)。
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/89115/

2019年7月29日月曜日

■Mirroring Memoriesそれは導き光のごとく  ■FratresⅠ

■演出:金森穣,出演:Noism1,金森穣
■演出:金森穣,音楽:アルヴォ.ペルト,出演:Noism1,金森穣
(以上はタイトル順のキャスト&スタフ)
■めぐろパーシモンホール,2019.7.26-28
■ベジャールと金森の1枚の写真がこれから始まる舞台を強く意識させる。 この作品「Mirroring Memories」は2018年に東京文化会館小ホールで観ている。 今回、作り直され再び出会えることができて嬉しいわね。 舞台の広さ、照明、音響も文句なし。 雑音を剥ぎ取ったぶん抽象度合が増している。 つまり黒衣の存在が強くなっているの。
これがそのまま新作「Fratres」に続いていく。 演出ノートを読むと、Noism組織継続問題があるらしい。 多くの問題を払いのけようと新作は円陣を強く組み終幕となる。 ベジャールの円陣を思い出させてくれる。 演出家の不安が全体を通して出ていたと思う。 でもカーテンコールにダンサー達の笑顔をみてホットしたわ。  
細かいことだけど、鏡の使い方が単純になっている。 鏡の向こう側を写す半透明場面が少なくなり世界が狭まってしまったからよ。 Noismの半透明鏡は表を写すだけではなく裏側の世界をみせてくれるから<記憶>が甦るの。 もっと鏡を押し出してもよいかもね。
*Noism15周年記念公演
*劇場サイト、https://www.persimmon.or.jp/series/20190325162806.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 金森穣

2019年7月24日水曜日

■幻想交響曲

■演出・出演:勅使川原三郎,出演:佐東利穂子
■荻窪.カラスアパラタス,2019.7.13-21
■二人のパワーには只々圧倒されるばかり。 でも佐東は同じような動きを激しく繰り返すだけ。 彼女は音楽家の幻想だから? 断頭台への行進(?)で震えをみせただけで勅使川原も大きな変化はない。
交響曲をダンスにおとすのは曲者ね。 春に観た「交響曲第9番」(熊川哲也)は曲が持つ物語に沿っていた。 バレエだったから? 今日の舞台は違う。 もし音楽がなければダンスから曲名を当てられない。 
照明はいつものように完璧。 振付家の拘りがある。 佐東の黒衣装は良かったけど勅使川原の赤シャツは作品に似合わない。 でも照明が無彩色に近づける。
曲が持つ物語をもっと押し出すと期待していたけど。 振付家が言うアップデイトの一つの形かもね。 佐東に微妙な振付を加えればずっと良くなる。 音楽に身を任せ二人の動きを意識無意識に追う流れだった。
*舞団サイト、http://www.st-karas.com/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 勅使川原三郎

2019年7月23日火曜日

■聖獣

■振付:平原慎太郎,出演:OrganWorks
■世田谷パブリックシアター,2019.7.19-20
■バラエティのある舞台でした。 「動きのベースは昆虫を想定し・・、個よりも種を尊重する・・」と演出家は言っています。 でもいろいろな類を感じ取れた。 昆虫を意識するのは振動です。 類が複雑になると振動がリズムに変換されていく。 この舞団は先ずは両生類や爬虫類から始まる。
裸の舞台を上手く使いこなしていました。 床マットの皺は観ていて不安が過りましたが問題なく処理できていた。 奈落の使い方も面白い。
この劇場でコンテンポラリーダンスを観るのは久しぶりです。 余裕を感じます。 いつもはシアタートラムでの上演が多い。 今日の舞台を観ているとトラムがダンスに適していない劇場だと分かります。 トラムの中途半端な舞台の広さや形の不規則が多くのダンス公演に影響を与えている。 劇場の設計は大事ですね。
話を戻しますが、科白が入りましたね。 これも不安がよぎりましたが上手く挟み込んでいた。 ダンサーたちの雑声がフェードアウトになりダンスに溶け込んでいったからです。 詩と同じです。 科白は意味を追うために一瞬の間ですが己が身体から離れてしまう。 今回は心身一体化し続けることができた。 バラエティダンスと名付けてもよい舞台でした。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/organworks201907.html
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2019年7月19日金曜日

■骨と十字架

■作:野木萌葱,演出:小川絵梨子,出演:神農直隆,小林隆,伊藤暁,佐藤祐基,近藤芳正
■新国立劇場.小劇場,2019.7.11-28
■「神はどこにいるのか?」。 神父であり古生物学者であるテイヤールと教会側の考えの違いが分かりました。 「神は天上にいて我々をいつも見ている」教会と「神は我々が進む道の先にいる(進めば神に合える)」テイヤール。 両者の答えは上と横です。 ちゃんと上にいないから教会は受け入れられない。 テイヤールの答えなら進化論も取り込むことができそうです。 神の居る場所が極めて重要だとわかりましたが、芝居としては盛り上がりに欠けていましたね。
初めての新国立劇場のため作者は考え過ぎてしまったのでは? そして小川絵梨子の冴えた演出は硬すぎた。 野木萌葱演出なら独特な柔らかみがでたかもしれない。 野木も「演出をやりたかった!」と溜め息をついていることでしょう。
*NNTTドラマ2019シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/keepwalking/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 野木萌葱

2019年7月18日木曜日

■アレルヤ!

■作:アラン.ベネット,演出:ニコラス.ハイトナー,出演:サミュエル.バーネット,サシャ.ダワン,デボラ.フィンドレー他
■シネリーブル池袋,2019.7.12-18(ブリッジ.シアター,2018.9.20収録)
■老人介護施設かな?・・、どうも違うらしい。 病院の老人病科の患者たちが主人公のようね。 イギリス医療制度NHS(国民保険サービス)を議論することが物語の背景にあるらしい。 日本の公的医療保険と似たようなものかな?
日本でも国公立病院に入院した経験があればベッド回転率の話は聞くはずよ。 担当医が入院患者をいかに期限内で退院させたいのかが伝わってくる。 率が良いと病院やスタッフの評価に繋がるから。
この回転率を維持しようとする看護師長が次々に患者を殺していくストーリーなの。 彼女は医療と介護の違いをはっきりさせる。 歌やダンスや誕生会は医療現場には不要だと。 彼女の方針はイギリス政府の医療費抑制と一致する。 この病院も閉鎖の危機に瀕しているの。 介護施設はどこも満杯で患者は他に行く場所が無い! NHSは国家予算の25%、因みに日本の医療費は40%、どこも大変ね。
患者たちの出自に絡む会話や世間話が芝居のオモシロイところかしら。 インド系イギリス人医者の苦悩や炭鉱労働者出身親子で職業の話、地方とロンドンの差、クラブの事などなど。 でもイギリスの微妙なところは分からない。 グローバルな問題提起とローカルな内容が絶妙に混ざり合っている舞台だった。
プログラムの書き出しに「2012年ロンドン五輪開会式を思い出して・・」(村上祥子)。 そう、この開会式は同じように社会保障制度をテーマにしていたはず。 資本主義の母国、イギリスとして力の入った内容だったことを覚えている*1。
*1、「ロンドンオリンピック開会式」(2012年)
*NTLナショナル.シアター.ライブ2019作品
*作品サイト、http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout31-allelujah
*「このブログを検索」に入れる語句は、 ニコラス・ハイトナー

2019年7月16日火曜日

■その森の奥

■作・演出:平田オリザ,翻訳:イ.ホンイ,マチュー.カペル,出演:青年団,韓国芸術総合学校,リモージュ国立演劇センター付属演劇学校
■こまばアゴラ劇場,2019.7.5-28
■新作と聞いて駒場に向かった。 「カガクするココロ」と「北限の猿」は過去に観ていたので「その森の奥」のみ選ぶ。
日本語+ハングル語+フランス語の上演だ。 いつも以上に科白量が多い。 しかも大きな机が二つあり別々の話題を同時に喋る場面もある。 このため字幕を読むのに忙しい。 もちろん日本語は字幕に載らない。 この時は目で役者を追うより先に聞き耳を立ててしまう。 字幕から目が離せず芝居の面白さが減少した。
役者の多さ、登場回数や科白の割り当てなどが細かく考えられている。 机二つとプロジェクターの3か所の使い方もだ。 すべて演劇学校への配慮かな? そしてこれが大事だが霊長類の歴史や実証で現代政治の問題をやんわりと批判している。 そういえば類人猿と政治家の行動はどこか似ている。
帰宅して霊長類研究所HPを久しぶりに開けてみた。 登場しなかったが教授が京都大学の設定だったからだ。 企業支援のボノボ研究や屋久島リサーチが載っている。 いつものことだが「猿の惑星」を考えると今西錦司まで遡ってしまうからである。 それは現代生物学との落差に行きつく。 この舞台も霊長類研究と遺伝子操作やゲノム編集との間に断絶がみえる。
アンドロイド演劇はロボット演劇の視点を取り込んで乗り越えようとしていた。 「猿の惑星」を舞台にのせる時も同じ壁が待ち構えている。
*青年団国際演劇交流プロジェクト2019作品
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/7972
*「このブログを検索」に入れる語句は、 平田オリザ

2019年7月13日土曜日

■ビビを見た!

■原作:大海赫,台本・演出:松井周,出演:岡山天音,石橋静河,樹里咲穂ほか
■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2019.7.3-15
■子供向けの本が原作らしい。 もちろん読んでいない。 粗筋も追わずに劇場へ出かけました。 最初ビビをヒビと読み誤ったので、この世に出現した罅(ひび)に驚くSF物語かなと思っていた。 少し当たりましたね。
主人公の盲目少年ホタルは不思議な声を聴いて目が見えるようになる。 同時に家族や町の人々が盲目になってしまう。 ビビとは角を持った少年の名前でした。 彼?は大怪獣と共に町にやってきたらしい。 町は破壊され多くの人が殺され傷ついてしまう。 不思議な声の言葉とおり7時間後に世界は元に戻りホタルは盲目の生活に帰っていく。
どことなく教訓染みた内容だがはっきりしない。 物語の一つ一つは理由を問うことができない。 不思議な事象はすべて突然やってくるからです。 でもガチガチ頭の私には何故かツマラナイ。
観終わってから面白さが分かってきました。 それは序幕と終幕の暗闇のお陰です。 暗闇では声や騒音の切れ味が鋭くなる。 己に心臓や胃が在るのを感じます。 盲目についていろいろ考えてしまいました。 話題になった遠近感の話などを。 逆に、ホタルが自身の眼で初めてみる見える世界が「何であるか?」を掴み取ったこともです。
*劇場サイト、https://www.kaat.jp/d/vivi
*「このブログを検索」に入れる語句は、 松井周

2019年7月11日木曜日

■マリアナ・フォルチュニ、織りなすデザイン展

■感想は、「マリアナ・フォルチュニ、織りなすデザイン展

*話題になる作品は、「ワーグナー指環」「パルジファル」「こうもり」「ヴェニスの商人」「オセロ」。

2019年7月7日日曜日

■NDTネザーランド・ダンス・シアター

□Singuoière Odyssée サンギュリエール.オディセ
■振付:ソル.レオン,ポール.ライトフット,音楽:マックス.リヒター
□Woke up Blind ウォーク.アップ.ブラインド
■振付:マルコ.ゲッケ,ドラマツゥルグ:ナジャ.カデル,音楽:ジェフ.バックリー
□The Statment ザ.ステイトメント
■振付:クリスタル.パイト,音楽:オーエン.ベルトン,脚本:ジョナサン.ヤング
□Shoot the Moon シュート.ザ.ムーン
■振付:ソル.レオン,ポール.ライトフット,音楽:フィリップ.グラス
(以上の4作品(□タイトル■スタッフ)を上演)
■神奈川県民ホール.大ホール,2019.7.5-6
■ライトフット&レオンが端と取りを飾りゲッケとパイトが中に入る4本立てなの。 どれも社会性物語が強い作品にみえる。 バーゼル駅待合室での出来事、組織での、愛での葛藤、室内劇模様と続く。 やはりレオン&ライトフットの二作品が印象に残る。 音楽もダンサー身体に沁みいっていく。 この2本を修飾しているのがゲッケとパイトの作品かな。 監督ライトフットの上演構造がみえてくる。
観ていながら日本の振付家を考えてしまった。 例えば小野寺修二や井出茂太のことを。 ダンス材料、身体加速度と腕や手の等速度関係は似ているけどベクトルが正反対なの。 つまりNDTが悲劇を、日本の振付家たちは喜劇を演じる。 前者がグローバルで後者がローカルとも言い換えられる。 「世界で何が起こっているかを知る為にNDTをみる、そんなカンパニーにしたい」。 ・・監督の言葉に繋がっていく。
ところで日本人女性ダンサーが目に付いた。 2・3人は登場していたかしら? 日本ツアーの計らいが有るのかも。 それと切れ味の鋭い男性ダンサーが一人いたけど舞台を引き締めていた。
*劇場サイト、https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/detail/000131.html#000131

2019年7月5日金曜日

■塩田千春展、魂がふるえる

■感想は、「塩田千春展、魂がふるえる

*話題になる作品は、「タトゥー」「松風」「ジークフリード」「神々の黄昏」「トリスタン」「オイディプス」「冬物語」。

2019年7月1日月曜日

■White Space.

■演出・振付・美術・出演:鈴木竜,音楽:平本正宏,衣装:武田久美子,出演:大宮大奨,安心院かな,上田舞香,河内優太郎,舞団:eltaninnエルタニン
■シアタートラム,2019.6.28-30
■舞台奥からダンサー5人が現れる時、これは?と驚いてしまった。 歩き方が素人丸出しだからである。 スモークも利用している登場場面はそれなりに考えるはずだが。 そして衣装をみて、これは?と再び驚いてしまった。 作業服を仕立て直したような衣装だったからである。 そして踊りだし・・、これは?と慄いてしまった。 動作や視線が日常で満たされていたからである。 リフティングもキレイに見えない。 スローモーションや静止状態も存在感がでていない。 これが演出なら逆張りで凄い!と感心しながら観てしまった。
舞台に置いてあった分解されたマネキンを組み立てたり、その一部を持ってダンサーの動きに合わせたりしていく。 しかし人形としての不思議や存在が感じられない。 単なるモノの一部だ。 これも演出なら再び凄いと思ってしまった。 飛行機の離着陸音らしき音楽と三原光の照明は率直に良かった。
帰途に配られたチラシを読む。 「この余白のない街(東京)で、人は人間でいられるのか?」を疑問コンセプトにしているらしい。 「生身の人間を認識できなくなっている」「アナログな身体表現でこころを持った有機的存在であることを再認識したい」。 なるほど・・。 しかし時代を少し遡り過ぎた感じだ。
*eltanin第1回公演作品
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/whitespace2019.html

2019年6月30日日曜日

■メディアマシーン

■台本:岸田理生,演出:こしばきこう,振付演出:三木美智代,振付:柴田詠子,劇団:風蝕異人街
■こまばアゴラ劇場,2019.6.28-30
■コンテンポラリー演劇はあまり聞かない・・。 ダンスを取り入れているので「コンテンポラリーダンス」から拝借したのですね。 この作品はギリシャ悲劇「メディア」を題材にしている。 現代的な言葉や行動も随所に現れる。 コロス5人のダンサーはメディアとその分身のようです。 科白を喋りながらのダンス、科白が無い時のダンスでは前者が充実していました。 特に後半、摺足で細かく動き回るダンスはリズムがあり科白が耳の奥まで届きました。 後者は舞台が狭いし単純な動きしかできない。 ムーブメントの大きい振付でしたが、なんとかメディアの愛憎は身体を伝わってきました。 でも愛憎劇としては爽やかすぎるダンスでしたね。 心理的な動きを入れても面白いでしょう。
*リオフェス2019(第13回岸田理生アバンギャルドフェスティバル)参加作品
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/8926
*「このブログを検索」に入れる語句は、 こしばきこう

2019年6月29日土曜日

■ウィズイン・ザ・ゴールデン・アワー  ■メデューサ  ■フライト・パターン

■TOHOシネマズ日比谷(コヴェント.ガーデン,2019.5.16収録)
□ウィズイン.ザ.ゴールデン.アワー
■振付:クリストファー.ウィールドン,音楽:エツィオ.ボッソ,アントニオ.ヴィヴァルディ,衣装:ジャスパー.コンラン,指揮:ジョナサン.ロウ,出演:ベアトリス.スティクス=ブルネル,フランチェスカ.ヘイワード,サラ.ラム他
■7組ダンサーがヴィヴァルディの音楽、暖色系照明と色彩を背景に動く姿を前にするとダンスを観る喜びが湧き起こってくる。 「画家グスタフ・クリムトの影響が大きい」。 振付家の言葉通り衣装はクリムトそのままだ。 物語は観客に任せると言っていたが6章前後の構成には核が無い。 抽象と具象の間でうろうろしてしまう舞台だった。 男性ダンサー二人の登場する4章(?)は躍動感があった。
□メデューサ
■振付:シディ.ラルビ.シェルカウイ,音楽:ヘンリー.パーセル,電子音楽:オルガ.ヴォイチェホヴスカ,衣装:オリヴィア.ポンプ,指揮:アンドリュー.グリフィス,出演:ナタリア.オシポワ,オリヴィア.カウリー他
■ギリシャ神話メデューサを題材にしている。 振付が物語を膨らませる。 衣装もなかなかのものだ。 哀愁を帯びたテノール歌唱が感情の方向性を示していた。 人物相関がうろ覚えだったのでいつのまにか終わってしまった感じだ。
□フライト.パターン
■振付:クリスタル.バイト,音楽:ヘンリク.ミコワイ.グレツキ,指揮:ジョナサン.ロウ,出演:クリステン.マクナリー,マルセリーノ.サンベ他
■36人のダンサーは酷寒の労働者風身なりで登場する。 群衆の動きは最後まで崩さない。 場面ごとに入るアクセントが計算されつくしている。 演劇の一場面をみているようだ。 しかしダンサーの顔が識別し難いので物語を引き寄せることができない。 しかも核となる場面が無い。 これは最初の「・・ゴールデン・アワー」でも言えた。
久しぶりのトリプルビルだったがどれもマアマアの印象だ。 どれも決定打が押し寄せてこなかった。
*ROH英国ロイヤル.オペラ.ハウス シネマシーズン2018作品
*作品サイト、http://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=within-the-golden-hour
*2019.6.30追記、「・・ゴールデン・アワー」「フライト・パターン」が何故ツマラナカッタのか? 理由の一つとして・・、映像(映画)に撮ると照明が劣化し舞台の微妙な感性が伝わって来ないからだとおもう。 暗さを主張する照明は特にそうだ。 2作品の生舞台を一度観たい。 映画と比べてぐっと良くなるはずだ。

2019年6月27日木曜日

■水鏡譚

■作:寺山修司,岸田理生,演出・出演:こもだまり,音楽:西邑卓哲,出演:イッキ,左右田歌鈴,久津佳奈,ぜん,岬花音奈,劇団:昭和精吾事務所
■こまばアゴラ劇場,2019.6.25-27
■朗読劇かな?と見ていたが台本を持つ場は少なく映像や生演奏が入ったゴッタ煮のような舞台でした。 演技の軽さからやはり朗読劇の延長にみえます。 寺山修司と岸田理生の作品をオムニバス風にしている。
テーマは親殺しですか? 息子が母を、娘が母を・・。 寺山修司の母殺しが見事に迫ってきます。 岸田理生の怪しい世界が何とも言えない。 イッキの「1平方メートル国家」で始まり、「でもアメリカは嫌いだ」で終わる舞台は力がこもっていた。 役者達の演技と朗読は見応えがありました。 和衣装の着こなしもいい。
それにしても古臭い感じですね。 舞台上のマイクは多過ぎるでしょう。 技術もそうですが、たぶん寺山修司と岸田理生をシンプルに再現していることが一番の原因のようです。 <親殺し>を現代に再び生き返らせ、・・それより観客をもっと若くしたい。
*第13回岸田理生アバンギャルドフェスティバル参加作品
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/8925

2019年6月25日火曜日

■ジャン×keitaの隊長退屈男

■演出:ジャン.ランベール=ヴィルド,翻訳:平野暁人,出演:三島景太
■アトリエ春風舎,2019.6.22-26
■春風舎は久しぶりの為か池袋駅で何度も地図を確認してしまいました。 ・・場内に入ると2m四方の木製舞台があり50客程の席が取り囲んでいる。 小さくした盆踊りの櫓にみえますね。 天井にぶら下がっている白黒模様の提灯が異様ですが・・。
三島景太は軍隊長磐谷和泉として軍服姿で登場。 まずは挨拶や談笑で和やかな雰囲気です。
前半は日本の軍歌や古い歌謡曲を歌いながら狭い舞台を行進したり客への手拍子を催促したり、はしゃぎ過ぎる兵士を演じます。 そこは南方のジャングルで戦闘状態らしい。 彼のモノローグは父母のこと、姉のこと、・・次第に己自身のことに近づいていく。 近づいている死が語られる。 その科白は哲学的ですがどこかエスプリを感じさせます。 つまり乾いている。 動作は激しいが呆気らかんとしています。
後半、軍服を脱ぎ捨て褌一丁になった姿を見て三島でも由紀夫を思い出してしまった。 三島由紀夫がコントを演じるとこうなるのではないのかと考えてしまった。 汗と砂にまみれ動き喋り過ぎた後に赤いワンピースを羽織る。
終幕、客席の前に置いてある香炉に(観客も)線香を立てていきます。 隊長が生きているのか死んでいるのか定かでない。 迫りくる死を前にして、此岸の思い出と彼岸への不安が入り交ざり、秋晴れのような狂気へ突き進む兵士の姿を見ると何と言ってよいのか分からなくなります。 三島景太の熱演だけが残った舞台でした。
*青年団国際演劇交流プロジェクト2019
*劇場サイト、http://www.komaba-agora.com/play/8933

2019年6月24日月曜日

■マネキン人形論

■原作:ブルーノ.シュルツ,演出・出演:勅使川原三郎
■カラス.アパラタス,2019.6.17-25
■作品名から、これは面白いはずと直感したの。 ダンスと人形は切り離せないからよ。 はたして期待通りの舞台だった。 幕開きの鏡ガラスの割れる音が空間を凍らせる。 気になっていた振付のすべてを出し尽くした80分だった。 終幕のスリット照明とのせめぎ合いは緊張感が走る。 実は閉所恐怖症なの。
舞台には人形が三体、その中の一体は人形に見えない。 でも一度も動かない。 この動かないダンサーに照明が当たると気になる。 やはり人形? ほかに手動ミシンが置いてある・・。 80分を踊り続けるのは強靭な体力が必要ね。 それが観客にも乗り移るから大変! 60分くらいにまとめれば観る集中力が最後まで続くと思う。  
カーテンコールでその人形がダンサーだと分かった時はやはり驚いてしまった。 続きの挨拶で勅使川原はシュルツ論を語る。 原作はなんと小説なのね? 舞台進行で人形やミシンの関係がよく分からなかったのは小説のせいかもしれない。 シュルツについて何も知らない。 調べると彼がポーランド出身と聞いてどこか腑に落ちたわ。 タデウシュ・カントルも彼の影響があったらしい。 ハンス・ベルメールはどうかしら? 人形のことを考え出すと切りが無いわね。
*アップデイトダンスNo.63
*舞団サイト、http://www.st-karas.com/

2019年6月23日日曜日

■キネマと恋人

■台本・演出:ケラリーノ.サンドロヴィッチ,映像:上田大樹,振付:小野寺修二,出演:妻夫木聡,緒川たまき,ともさかりえ他
■世田谷パブリックシアター,2019.6.8-23
■舞台と映像は切り離せない時代ですが映画は珍しい。 しかも劇と映画が対等な劇中映画ですね。 江戸時代にも関わらず時空が一緒とは! 「カイロの紫のバラ」は映画中映画のため難易度は今回の方が上でしょう。 特に後半の映像と舞台とのやり取りは完全シンクロしていて楽しかった。 ところで一人二役の高木高助と間坂寅蔵の同時登場で仮面を付けたのは他に方法がない?
そして場面切替でダンスが入る。 小野寺修二で見ることができたのはサプライズです。 小道具を動かす振付は唸らせます。
姉妹揃って映画俳優に振られたのは気にかかりました。 妹ミチルと俳優嵐山進の破局は分かるが、姉ハルコと高木高助が一緒になれなかったのは納得いかない。 高木は俳優として成功の道が見えてきたからハルコを捨てたのでしょうか? 彼女は衣装といい仕草といい昭和モダンですね。 緒川たまきが演じましたが言うことなしです。 東京へ上京したいのに既に東京以上でした。 ところでハルコの喋り方はどこの方言でしょうか? この訛りで彼女は別世界にいるようでした。 映画をここまで舞台に乗せるとはウディ・アレンもビックリでしょう。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/kinema2019.html

2019年6月19日水曜日

■ゴドーを待ちながら

■作:サミュエル.ベケット,翻訳:岡室美奈子,演出:多田淳之介,出演:大高洋夫,小宮孝泰,永井秀樹,猪股俊明,木村風太
■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2019.6.12-23
■スタジオ中央にコンクリート模様の円形舞台が置いてあり周りを客席が囲っている。 寂れた公園にいるようだ。 忠犬ハチ公も(劇中では時々吠えて)いるし・・。 その円形の周りをウラジミールとエストラゴンはぶつぶつ回る。 いつもの一直線の道が見え難い。 ゴドーが遠くからやってくる気配が感じられない。 いきなり円環物語が強く現れてしまっている舞台だ。
観ているとウラジミール役大高洋夫の演技が他演者とは違ったリズムを持っていることが分かる。 その動きと形は予定調和を感じる滑らかさだ。 エストラゴン役小宮孝泰が逆の演技をするから二人の間にズレが生じる。 すれ違ったズレは異化効果まで至らない。 ポゾーとラッキーは目が点になる面白さだ。 どこか日常的な喋り方のポゾー、硬直的存在感のあるラッキーが組み合わさると非日常的な空気が張り詰まっていく。
今回は現代的な新訳と演出の<ボケとツッコミ>にしたらしい。 しかも2バージョンを上演している。 観終わってから、もう一つのバージョンをみないとウラジミールへの疑問が解けないのではないか?と考えてしまった。 でも都合がつかない。
ベケットの作品を観る時は劇場へ行くまでが大変だ。 いつも行く気が失せていく。 今回も体が怠くなってきた。 観た後はしかし、ベケットはなんと凄いのか!と思わずにはいられない。 今回もそうだった。 観劇前後で落差が出る作家である。
*劇場サイト、https://www.kaat.jp/d/Godot
*「このブログを検索」に入れる語句は、 多田淳之介

2019年6月17日月曜日

■実験浄瑠璃劇、毛皮のマリー

■作:寺山修司,演出・出演:加納幸和,監修:寺山偏陸,作曲:鶴澤津賀寿,杵屋邦寿,出演:武市佳久,二瓶拓也ほか,劇団:花組芝居
■下北沢小劇場B1,2019.6.8-16
■演奏の三味線と太夫の詞章は録音だけど役者科白がその間を埋めていくからとてもリズミカルだわ。 役者身体に余裕ができるからよ。 過剰な小道具と衣装が狭い舞台を余計に熱くする。 寺山修司の論理の角を丸くしていくように滑らかで膨らみのある演出が素晴らしい。 役者が絶えず動き回るから劇的場面が一度も無かったのが残念ね。 でも、これは浄瑠璃リズムと合わないからしょうがない。 マリー役加納幸和は三輪明宏の再来のようで最高! だって、声が三輪の若い時に似ているからよ。 そして楽日はどこかが違う。 いつも以上に濃密な時間を過ごせたわ。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/99777

2019年6月16日日曜日

■機械と音楽

■作・演出:詩森ろば,出演:田島亮,三浦透子,浅野雅博ほか,劇団:serial number
■吉祥寺シアター,2019.6.12-18
■ロシア構成主義建築家たちの群像劇です。 主人公はイワン・レオニドフ。 いきなりですが、彼の「重工業商ビル(案)」は一度みると忘れられない。 レトロだが未来を見つめる人類の希望と孤独が漂う。 直線が天上へ延び、更に視線をのばすと双発機の黒い影が・・、ロシア構成主義のテーマ曲が聴こえてくる光景ですね。 この作品についてはレオニドフ本人が舞台で何度も語っている。
そして彼の都市計画は斬新です。 恋愛や家族の新しい考え方を建築に取り込んでいく。 その共産主義化は<機械ではなく音楽>に近い。 ロシア・アバンギャルドの言う<生活の機械化>です。 しかしスターリンが機械から音楽を打ち捨ててしまった。
コンスタンチン・メーリニコフも登場します。 彼の自宅、円筒形外壁の六角形窓でこれも忘れられない。 住み心地は知りません。 彼はこの自宅に隠棲し1930年の大粛清を生き延びた。 他にモンセイ・ギンスブルクとアレクサンドル・ヴェスニン。 後者はヴェスニン3兄弟の末っ子です。
建築家たちの親玉はレフ(芸術左翼戦線)を結成したウラジーミル・マヤコフスキー。 登場しないが多くの場面で彼の言動を聞くことができる。 詩人と建築家。 この組み合わせをみても、ソビエト革命が達成できたのは奇蹟としか言いようがない。
建築家群像劇は珍しい。 レーニンに始まりスターリンで終わる激動の時代です。 時代を絡ませた群像を劇的に舞台に表現できるかが課題ですね。 今回は建築を接続詞に使うので厄介にみえる。 それでも歴史に翻弄される建築家たちの真摯な姿が現れていて楽しめました。
ところで「風琴工房」は覚え易かったが、劇団名が変わったようです。
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/98577
*「このブログを検索」に入れる語句は、 詩森ろば

2019年6月14日金曜日

■オレステイア

■原作:アイスキュロス,作:ロバート.アイク,翻訳:平川大作,演出:上村聡史,出演:生田斗真,音月桂,趣里,横田栄司,神野三鈴ほか
■新国立劇場.中劇場,2019.6.6-30
■観る前に劇場WEBの粗筋等を読んで疑問が浮かぶ。
疑問1.母クリュタイメストラは子の生贄を知った時ナゼ止め(られ)なかったのか?
疑問2.オレステイアはナゼ母を殺したのか?
ということで劇場へ向かった。 
我が子イピゲネイアを生贄にする叔父メネラオスの国家と戦争の論理に、父アガメムノンも母クリュタイメストラも反論できていない。 そして戦争に勝利した時、母はインタビューや演説で「(自身の)自殺も考えた」「(夫の)戦死も期待した」と言うが疑問1は解けない。
舞台が進み、母は父のことを<あいつ>と呼び、オレステイアと姉エレクトラも母に対して<あの女>と言っている(?)。 舞台奥から母の愛人アイギストスが少しずつ現れてくる。 オレステイアがアイギストスを直接語る場面は数分だが「ハムレット」が現前したようだった。 ここで疑問2が解決した。
母と子の密なる関係を母クリュタイメストラは幾度か語る。 娘エレクトラ以上にイピゲネイアを愛する場面も多く目にした。 「(夫を)殺す権利がある」と母は言い切るがその真意は疑問2へ続く。 疑問1を謎にしたことが誤っていたようだ。
この作品はオレステスの記憶と回想で出来ているらしい。 詩的な科白の為かギリシャ悲劇の硬さがみえる。 冷血を感じる美術が物語によく似合う。 でもデカ十字架は不要。 これでキリスト教が脳裏に浮かび集中が一瞬途切れてしまった。
「観たら読むな」をなるべく実践したいところだが今回は帰りにプログラムを買ってしまった。 「オレステイアを読み解く」(山形治江)で「ハムレット」に言及していて納得、しかし「(生き)残ったオムレット」はやはり食えない。
*NNTTドラマ2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/oresteia/
*「このブログを検索」語句は、 上村聡史

2019年6月10日月曜日

■イナバとナバホの白兎

■演出:宮城聰,出演:SPAC
■静岡芸術劇場,2019.6.8-9
■ケ・ブランリ美術館*1とC・レヴィ=ストロースとSPACのコラボ作品と言える舞台です。 レヴィ=ストロースも論じた「因幡の白兎」と北米先住民ナバホ族の神話「双子、水を渡る」「太陽の試練」を前半で演じ、後半はSPACのスタッフ・キャストがこれら神話を結び付け創作した共同台本で演じている。 同じようなストーリーを3回観ることになります。 全体を祝祭音楽仮面劇として仕立てている。 
「因幡の白兎」は東南アジアの古典舞踊を見ている錯覚に陥ってしまう。 それはオオナムチ(大国主神)や八上姫が仏像のようなマッタリ仮面を被っていることやガムラン風に聴こえる打楽器演奏からです。 またナバホ族神話は南北アメリカ大陸のどこかで見たような古代文明風な仮面が登場します。 「因幡の白兎」は世界のどこでも探すことができると言うことでしょう。  
後半は仮面を脱いで演技をするのでより時代が近づいてくる。 物語は農耕と太陽の深い関係を描いている。 自然の恵をどのように使うのかを問うているようです。 そして地謡のようなコーラス、能のような動きもあり、それは脇能に近い。 レヴィ=ストロースも登場したが彼の宣伝にみえた。 毛筆で説明をする場面も同じです。 書道の紹介にみえる。 所々にコマーシャル臭さが有る舞台は美術館からの依頼用の為かもしれない。 この作品の一番の見所は役者を演者と話者に分け、そこに演奏者を入れた三者のハーモニーが際立っていたことでしょう。
アフタートークは都合で省いてしまったが、青木保の文化人類学と舞台の関係は聞きたかった。
*1、「マスク展」(庭園美術館,2015年)
*劇場サイト、https://spac.or.jp/2019/inaba-navajo2019
*「このブログを検索」語句は、 宮城聰

2019年6月8日土曜日

■カルメル会修道女の対話

■作曲:フランシス.プーランク,指揮:ヤニック.ネゼ=セガン,演出:ジョン.デクスター,出演:イザベル.レナード,カリタ.マッティラ,エイドリアン.ピエチョンカ他
■東劇,2019.6.7-13(MET,2019.5.11収録)
■一幕初めから主人公ブランシュの父と兄の対話で始まる。 そして修道院長クロワシーとブランシュの入会時の対話、ブランシュと同僚コンスタンスの仕事中の対話、臨終の修道院長とブランシュ、と続いていくの。 歌うように話すのではなく話すように歌うのでもなく話すように話すレチタティーヴォね。 タイトル通りの内容だわ。
「徳を求めるのではない」「ここは祈りの場」。 宗教談義が並ぶけど修道院長臨終の言葉「修道歴30年を越えているのに、この時に及んで、それが役に立たない!」は重く伝わってくる。 (今まで何をやってきたんだ!) 主人公役イザベル・レナードはコンスタンス役エリン・モーリーと大学時代からの友人らしい。 舞台上の二人の対話ではソプラノが強い。 宗教歌詞はソプラノが身体に強く伝わる、この作品は特にね。 しかもレナードは修道者が似合わない。
後半はフランス革命政府が修道者へ死刑宣告よ。 一人一人断頭台へ歩いていく修道者たち・・。 そこへ一人逃げていたブランシュが群衆の中から現れるの。 そして彼女も断頭台へ。 ブランシュの行動がよくわからない後半だった。 彼女は修道会の人ではなかったと思う。 作曲家プーランクは両親の影響から結局は逃げられなかったことがブランシュの行動に現れているのかも。 彼は逃避の代理人を作品内に作っていたから現代音楽を含め多様な分野を歩き回ることができたのね。
*METライブビューイング2018作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/861/

2019年6月7日金曜日

■海辺のカフカ

■原作:村上春樹,脚本:フランク.ギャラティ,演出:蜷川幸雄,演出補:井上尊品,出演:寺島しのぶ,岡本健一,古畑新之,柿澤勇人ほか
■TBS赤坂ACTシアター,2019.5.21-6.9
■たくさんの物・事そして人が関係しあっていくストーリーは楽しい。 <沢山>を処理するのに場面を細かくし説明的な台詞を積み重ねていく。 次第に関係が繋がってくるが解釈は多義にわたり観客に委ねているようだ。 
影の問題が出てきたところで「ゲド戦記」を思い出してしまった。 求める何かが両作品は似ている。 彼岸の入り口にある石も同じだ。
動物の登場する舞台はよく見かけるが失敗することが多い。 今回は縫いぐるみが良くできていた、タマも付いていたし。 非現実と行き交う境界演劇はリアルではないといけない。 しかし猫殺しのジョニ・ウォーカがなぜ死にたかったのか? 台詞を聞き漏らしてしまった? 彼はカフカの父親(それも裏顔)だと思っていたが、そうではないらしい。 同様に佐伯がカフカの母親だと思いたくなかった。 オイディプス神話からは逃れられない。
ナカタ(木場克己)の喋り方は強い棒読みだった。 もう少し滑らかに喋れば物語世界がリアルに近づいたはずだ。 異化効果も不発にみえる。 これは演出の問題だが。 大島役岡本健一はなかなか良かった。 シェイクスピア作品よりこのような役が合う。 プラトンの男男、男女、女女が半分に引き裂かれる話はこの物語の通奏低音だろう。 しかしヘーゲルは頂けない。
星野(高橋努)も単純で雑音が少なく、さくら(木南晴夏)も発声がしっかりしていて爽やかだった。  二人は村上春樹に合う。 佐伯役を寺島しのぶにしたのは演出家が一番苦労したはずだが、彼女の感情を伴わない笑顔のような泣顔のような顔は謎を隠し通せた。
大道具を大きなガラス箱に入れ、それを動かし場面展開をしていく方法は面白い。 黒子も気にならない。 大切な何者かを沢山詰め込んでいる作品だが人・物・事が上手く収束したとは思えない。 しかしこれで良いのだ、と思う。
*劇場サイト、http://www.tbs.co.jp/act/event/kafka2019/
*「このブログを検索」語句は、 蜷川幸雄

2019年6月3日月曜日

■シベリアへ!シベリアへ!シベリアへ!

■演出:三浦基,テキスト:アントン.チェーホフ,ドラマトゥルク:高田映介,監修:中村唯史,劇団:地点
■神奈川芸術劇場.中スタジオ,2019.5.27-6.2
■劇団地点の特異な舞台が完成の域に達したことを強く感じました。 ダンスのような動きをしながら喋り続ける役者たちの立ち振る舞いも完璧です。 台詞もビシビシと脳味噌に伝わってくる。 馬車を真似たスキップが身体と科白の連動を滑らかにしたのでしょう。 役者がまとまって動くその姿は広い舞台を引き締める効果もあった。
風船や逆さ白樺、くすんだ鏡と床照明で銀色系の冷気が感じられる美術です。 乱雑に並べた板切れが旅の姿を物語っていた。 音響はいいが、でも音楽がイマイチに聴こえました。 ロシアとシベリアの距離感が掴み切れていない。 しかし総合芸術としての完成度がみえます。
紀行文学があるようにこれは紀行演劇とも言ってよい。 チェーホフのサハリン旅行は知りません。 この舞台にはシベリアの厳しい自然、住民の生活そして旅の苦しさが現れています。 この旅がチェーホフ作品に影響を与えたのは確実と言ってよい。
帰宅して直ぐに世界地図を広げてしまいました。 イルクーツクがこんなにも南に位置していたとは! シベリアはその北の先です。 改めてその広さに驚きました。 登場した都市を目で追いながら芝居のことを考え続けたのは言うまでもありません。 チェーホフの鼓動が聞こえてくる舞台でした。
*劇場サイト、https://www.kaat.jp/d/tosiberia
*「このブログを検索」語句は、 三浦基

2019年6月2日日曜日

■青い記録

■出演:勅使川原三郎
■カラス.アパラタス,2019.5.24-6.1
■拠点での公演作品は余白が多い。 たとえばイントロは青白い月の光だけで時を持たせる。 音楽はシューベルト、ピアノソナタ20番アンダンティーノの一部を最後までリピートしていくの。 余白は余裕に繋がる。
ゆっくりした動きだが、ブレーキを掛けながらアクセルを踏んでいるような力強さが伝わってくる。 暗い照明の中、ダンスと舞踏の境界を歩いていくような流れが続くの。
このホールは小さいが狭さは感じられない。 それは勅使川原三郎がいつもの通り空中へ飛んでいかないから。 地を意識しながら月を眺める姿ね。 青く熱いエネルギーを十二分に貰える舞台だった。
カーテンコールでは、記録と記憶と思い出、アップデイトの意味、佐藤梨穂子パリ公演のことなどを話す。
*アップデイトダンスNo.62
*主催者サイト、http://www.st-karas.com/

2019年6月1日土曜日

■英国万歳!

■作:アラン.ベネット,演出:アダム.ペンフォード,出演:マーク.ゲイティス,エイドリアン.スカーボロー他
■シネ.リーブル池袋,2019.5.31-6.6(ノッティンガム.プレイハウス,2018.11.20収録)
■劇的感動は無いが歴史小説を読む時のリズムが舞台に感じられる。 遣唐使時代の僧や留学生を主人公にした小説によくある。 作者の鼓動が散文に染み込んでいるリズム的感動とでも言おうか? 今回は王室や政治家の事務的な台詞や小刻みな場面展開にこれが現れている。
主人公は英国王ジョージ三世。 彼は聡明な国王だ。 しかし治世後半から精神疾患に悩まされる。 それでも彼は疾病を克服し国王の責務を再開する・・。
英国王と首相が登場する「ザ・オーディエンス」が脳裏に浮かんだが違った質の面白さがある。 首相ピットのほか国王を取り巻く女王や側近たちが舞台を修飾する。 4人も登場する医者たちの呪術的な精神治療や、政党間での摂政法案提出の駆け引きなど楽しい場面が満載だ。 北米植民地やフランス革命、東インド会社問題も背景で見え隠れする。 ともかく彼の生涯は波乱万丈だったようだ。 何度も映画化されている理由が分かる。
*NTLナショナル.シアター.ライブ2019作品
*作品サイト、http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout30-the-madness-of-george-iii

2019年5月31日金曜日

■恐るべき子供たち

■原作:ジャン.コクトー,上演台本:ノゾエ征爾,演出:白井晃,出演:南沢奈央,柾木玲弥,松岡広大,馬場ふみか他
■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2019.5.18-6.2
■雪合戦をみて急にJ・P・メルヴィルの映画を思い出しました。 昔のことなのでストーリーは忘れたが最初の雪合戦シーンだけは覚えていた。
舞台は白の薄布で覆われている。 殆どこの布だけで場面を作っていきます。 恐るべき舞台美術ですね。 美術と同じく役者たちの科白や動きも殆ど修飾を省いている。 この為か物語が進むにつれて硬い感動が積み重なって行きます。 恐るべき感動です。
それにしても姉エリザベートの弟ポールへの独占欲は異常ともいえる。 アガートとポール、エリザベートとジェラールの関係を姉が壊してしまうのですから。 しかしこの欲の姿がみえない。 エリザベートは心のこの部分だけ見せてくれない。 恐るべき演出です。 アガートもジュラールも青春の酸っぱさが伝わってくるというのに。 ・・恐るべき子供の意味が分かりました。 エリザベートは子供の仮面を被っていたのです。
*劇場サイト、https://www.kaat.jp/d/osorubeki
*「このブログを検索」に入れる語句は、 白井晃

2019年5月27日月曜日

■そこから先は独りでしか行けない

■演出・出演:大森政秀,出演:ワタル,辻たくや,小林友以,野井杷絵
■テルプシコール,2019.5.25-26
■大森政秀が病に罹っていたらしく復帰後の天狼星堂は久しぶりの舞台だった。 その大森も元気に登場し2場面を踊る。 さすが貫禄十分。 舞台に姿を現す時はいつも画家有元利夫の絵の中の人物を思い出してしまう。 イタリア・ルネサンス期のね。
作品全体では6・7場面くらいあったかな? でも尻切れトンボのような終わり方が多かった。 各場面の終わりをもっと丁寧にまとめればずっと良くなる。 意味深な題名で舞台との関係が掴めなかったのが少し残念。 でも帰り道は中野駅までカタルシスが続いたわよ。
*天狼星堂舞踏公演-域+2019
*劇場サイト、http://studioterpsichore.com/day.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 大森政秀

2019年5月24日金曜日

■1001

■作・演出:天野天街,劇団:少年王者舘
■新国立劇場.小劇場,2019.5.14-26
■少年王者舘のいつもと違ったリズムが現れていた。 上方漫才のような台詞が長く続き役者の滞在時間が伸びて身体的な躍動感が減ってしまった為だと思う。 多くのことを詰め込み過ぎたようだ。 作者のリキミスギから来ているのだろう。 舞台も広すぎた。 役者が2・3歩で入退場できないので切れ味が鈍い。 でも拘った世界の大きさは表現できていた。
作者が1960年代生だと初めて知った。 づっと40年代生まれと思っていたのだが。 「黄金バット」も60年代に映画で再登場している。 彼は<再登場時代>人として、独自の想像力で時代を遡り創作しているようだ。 そして劇団名の通り少年が王者であることを証明している。
この作品は隅々まで戦後日本の思い入れがみえる。 旧日本軍兵士を登場させ戦争責任を語らせている。 老兵士は自身の責任の裏にある天皇の戦争責任も追及する。 霊話の時代に入って、先ずはこれを論じるのは意義がある。
*NNTTドラマ2018シーズン作品
*館サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/1001/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 天野天街

2019年5月20日月曜日

■至上の愛  ■我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲

■東京芸術劇場.プレイハウス,2019.5.9-5.19
□至上の愛
■振付:サルヴァ.サンチス,A.T.D.ケースマイケル/ローザス,音楽:ジョン.コルトレーン,出演:ローザスRosas
■タイトルはジョン・コルトレーンの1964年作品から採っている。 モダン・ジャズの世界です。 装置剥き出しの舞台で踊る黒系衣装の4人のダンサーをみているとニューヨークに居るみたいです。 劇場側面のレンガ壁がそれを一層盛り立てていますね。 そして(録音ですが)演奏と絡み合いながら踊り続けるダンサーをみていると身体が熱くなってくる。 最高です。 振付はローザスを意識させるがディープな米国を現前させてくれます。 今「Live in Antibes 1965」を聴きながらこれを書いています。
□我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲
■振付:A.T.D.ケースマイケル/ローザス、音楽:J.S.バッハ,演奏:ジャン=ギアン.ケラス,出演:ローザスRosas
■第一番BWV1007から1012まで全曲を演奏しましたね。 バッハはピアノで踊るのは時々見るがチェロはあまり無い。 やはり舞台は粘っこくなる。 この曲だと人により大きく違ってくるでしょう。 ダンスが個人主義的になってしまう。 性格に合うかどうかのレベルになる。 展開の進め方は面白いのですが、曲のイメージと違って私には合いませんでした。 どちらにしろ、もっと曲を聴き込む必要がありそうです。 
ケースマイケルはピナ・バウシュの若い時に似てきましたね。 顔つきですが。 演奏者ケラスは近視なんでしょうか? ダンサーを追う目つきが細めになり大変そう。 演奏姿を四方から見ることができて満足です。 そして黒沢美香や山田うん等々いろいろ混ざり合って思い出す場面がありました。 時々ローザス風の振付に帰る。 でも想像力が広がりません。 藤森亮一の演奏を聴きながらこのブログを書いています。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater208/

2019年5月16日木曜日

■ワルキューレ

■作曲:R.ワーグナー,指揮:フリップ.ジョルダン,演出:ロベール.ルパージュ,出演:クリスティーン.ガーキー,エヴァ=マリア.ヴェストブルック,スチュアート.スケルトン
■新宿ピカデリー,2019.5.10-16(MET,2019.3.30収録)
■1幕、禁断の愛には久しぶりにハマってしまったわ。 これはジークリンデ役ヴェストブルックとフンディング役G・グロイスベックの力が大きい。 特にグロイスベックはワーグナーが何者であるかを知っている(とおもう)。 背景の影絵は邪魔よ。 2幕、父娘はちょっとはしゃぎ過ぎかもね、妻フリッカがまとめていたけど。 父娘は3幕も同じようだった。 二人は身体的雑音が多い。 これが逆に現代に繋がっている、でももう少し静寂さが欲しい。 ブリュンヒルデ役ガーキーは2011年版のデボラ・ヴォイトが若返ったみたい。 そしてフィリップ・ジョルダンの演奏は最高。 ガーギーが言っていたが「マシンが音響を撥ね返す」から金管の響きが違う。 再演のためか舞台美術を含め歌手の動きにも締まりがあった。 毎度のことだけどワーグナーに酔ってしまったわ。
*METライブビューイング2018作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/860/

2019年5月15日水曜日

■現代能楽集 鵺 NUE

■作:坂出洋二,演出:鵜山仁,出演:坂東三津五郎,田中裕子,たかお鷹,村上淳
■新国立劇場.情報センター,2019.5.12(新国立劇場,2009.7.17収録)
■見逃した作品を観ることができてラッキー! それにしても映像も音響も良くない。 これにはガッカリ! 記録資料の一つという位置づけだからしょうがないのかな?
この作品は作者で内容が大きく変わる。 「頼政と鵺」「川向こうの女」「水の都」の3部から成り立っている。 平安末期から1960年日本へ、そして21世紀を向かえたベトナムへ、川や地下の水が混ざり合った時空の跳躍が眩暈を一緒に連れてくる。 そこに現れる妖怪は人間との境界があやふやだ。 暗くて粗さの目立つ舞台はまさに地下演劇と言ってよい。 「・・天衣無縫な鵺が・・芝居の楽しみに直結した」(鵜山)とおりの舞台だった。
照明の届かない場面が多いから映像では全体が見え難い。 生の舞台ならまた違った感想を持ったかもしれない。 役者ではたかお鷹に存在感がでていた。 また田中裕子の声が甲高く聞こえた。 ある種の異化効果が表れていたがどう受け取ってよいのか迷ってしまった。
*NNTTドラマ2008シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/20000067_play.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 鵜山仁

2019年5月2日木曜日

2019年4月23日火曜日

■かもめ

■作:アントン.チェーホフ,台本:トム.ストッパード,翻訳:小川絵梨子,演出:鈴木裕美,出演:朝海ひかる,天宮良,伊勢佳代ほか
■新国立劇場.小劇場,2019.4.11-29
■なんと!好きな人をみる目付きが異様だ。 マーシャがコンスタンティンを、ポリーナがドールンを、ニーナがトリゴーネンを・・!。 コンスタンティンがニーナは恋人設定だからこんなものだろう。 ドールンがアルカージナはギリギリ普通かな? ストーカーごっこにみえる。 これで作品の隠れていた何者かが、ネガがポジとなって現れてくる。 異様だけど楽しい。 それでも、やはりチェーホフを強く感じてしまった。
その理由が知りたくて観後にプログラムを買う。 「・・奇をてらった舞台にはならない、・・書いてある通りにやるとこうなる」(鈴木)。 やはりチェーホフから外れていなかった。
昨年観た無名塾の「かもめ」を思い出した。 やはり視線の強さを意識した舞台だったことを覚えている。 でも今回はチェーホフからのメッセージがより強く届いてきた。 それは何故なのか?
「作品そのものに」拘った成果が出ていたのかもしれない。 「フルオーディションをすること自体ではなく、作品のために必要な俳優と出会う為・・」(小川)。 トム・ストッパードの脚本を含め全てをご破算にして作り上げたからだろう。 チェーホフがそれに答えたのだ。
*NNTTドラマ2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/play/theseagull/
*追記・・コンスタンティンの自殺を聞いた時に、心揺さぶられる衝撃がやってくる舞台とやってこない舞台がある。 彼の科白・演技は前半と後半で非連続性が有りこれを繋げる何かが欠けていた場合には衝撃が来ないと、づーっと思っていた。 「トレープレフが自殺したというのは本当だろうか?」(沼田允義)をいま読んで合点がいった。 つまり他殺として作られた舞台はこの種の衝撃が薄くなるのでは? 今日の演出は他殺を匂わしている感じもする。
*「このブログを検索」に入れる語句は、 鈴木裕美

2019年4月21日日曜日

■リア王

■作:W.シェイクスピア,演出:ジョナサン.マンビー,出演:イアン.マッケラン他
■ヒューマントラストシネマ渋谷,2019.4.19-25(デューク.オブ.ヨークス劇場,2018.9.27収録)
■英国王室らしい衣装、特に大綬や勲章付きの俳優たちに登場されると無条件でシェイクスピアの本場だと納得してしまう。 後半のリア、グロスター、エドガーの凄まじい衣装・姿との対比が恐ろしく見事だ。 王が鋏でイギリス地図を切り刻むところはブレグジット英国を当に象徴している。
次にコーディリアの、姉たちにも劣らない言葉や表情の強さに目が行く。 ドーバーに上陸した彼女の軍服姿は最後までブレていない。 世界に通用するシェイクスピアの硬さある豊かさが迫ってくる。
イアン・マッケランもリア爺がよく似合う。 なにかと「王だ!王だ!」と口に出し、エドモンドに「年寄りがコケれば若者が伸し上がれる」と言わせるだけある。 ・・リア爺ではなくグロスターのグロ爺だったか? どちらも似たような爺爺だ。
今回は三姉妹だけではなく、ケント、グロスター、エドガー、エドモンドたちの存在もクッキリと浮かび上がり全員野球をしているようだった、もちろん道化も。 演出家の劇場吟味や対話重視の方針が成功している。 極上のドライな味がする舞台だった。
*NTLナショナル.シアター.ライブ2019作品
*作品サイト、http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout29-king-lear

2019年4月19日金曜日

■花園

■脚本・演出・作曲:伊藤靖朗,出演:溝口琢矢,悠未ひろ,田代絵麻ほか,劇団:舞台芸術集団地下空港
■座高円寺,2019.4.13-21
■知っているような知らないようなストーリーです。 どこか懐かしさがある。 人が木や花に変身する話だからでしょう。
時は鎌倉末期、花々の咲き乱れるとある荘園が舞台です。 さらった人々を花にしてしまう皇女八条院の亡霊が園の主となっている。 主人公の歌人京極為兼の娘は行方不明の父兄を探しに園へ来たが亡霊に捕まってしまう。 しかし後醍醐天皇の討幕の混乱に乗じて園丁竜胆に助けられた娘は兄と再会。 二人は花園を破壊し花々に変えられていた人々を救い出す・・。
この作品はミュージカル仕立てになっているがどれも似たような淡泊なメロディに聴こえます。 「心のままに詞の匂ひゆく」京極家の詠法を取り入れたのでしょうか? そして八条院の広げた根が天井から下がるだけでほぼ何もない舞台です。 控えの役者が両端に座り出番を待っている姿や軽やかな動きや踊りが面白い詩的空間を作り上げていました。
しかし皇統の分裂や討幕は背景史の飾り物にみえ、三種神器や書状(墾田永年私財法?)は舞台を散らかしただけです。 「格差による社会分断、利権のぶつかり合い・・。 「花園」は語るべき時を待ち続けていた・・。」と演出家が挨拶文で言っていたが突っ込み不足に感じる。 その為かもしれないが、・・花園はひっそりと生きながらえているのではないか? などなどを考えながら帰り道の高円寺駅へ向かいました。
*劇場サイト、https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=2089

2019年4月15日月曜日

■フィレンツェの悲劇  ■ジャンニ・スキッキ

■指揮:沼尻竜典,演出:粟國淳,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
■新国立劇場.オペラパレス,2019.4.7-17
□フィレンツェの悲劇
■作:オスカー.ワイルド,曲:アレクサンダー.ツェムリンスキー,出演:ヴゼヴォロド.グリヴノフ,セルゲイ.レイフェルクス,齋藤純子
■WEBにインタビュや対訳が載っていたけど写真と動画だけは見ないで劇場に行ったの。 ゥーン、想像していたとは違う舞台感触だった。 演奏優位の為か歌唱が隠れてしまい集中力が思った以上に必要ね。 屋敷の庭のような美術で視覚が拡散され3人の関係を濃密に保てない。 それは声にも言える。 力ある発声が必要よ。 3人の動きはとても考えられ広い舞台をまとめていたけど・・。 演出家の苦労の跡が伺える。 毛織物商売の話がイタリアに近づけさせてくれたけどそこまで。 ドイツ語の重たさも一因かな。 この作品はワーグナーとは違った意味での劇的さを作れると思う。 でもそれは不発だった。 芝居にして観たくなる作品だわ。
□ジェンニ.スキッキ
■作:ダンテ.アリギエーリ,曲:ジャコモ.プッチーニ,出演:カルロス.アルバレス,砂川涼子,寺谷千枝子ほか
■「借りぐらしのアリエッティ」を先ずは思い出してしまった。 拡大した小道具が楽しい。 でも傾いた舞台では歌手たちの動きがぎこちなくてハラハラする。 歌詞に地名が多いからフィレンツェの風景が広がっていくのを肌で感じられる。
この「喜劇」を観た後には1作目の「悲劇」の重みが増すのを意識できた。 取り合わせの妙と言ってよい。 フィレンツェの裏通りを歩いてきたような後味があるわね。
*NNTTオペラ2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/opera/giannischicchi/

2019年4月13日土曜日

■チェンチ一族

■原作:パーシー.ビッシュ.シェリー,台本:アントナン.アルトー,翻訳:藤田幸広,音楽:J.A.シーザー,演出:高田恵篤,劇団:演劇実験室◎万有引力
■ザスズナリ,2019.4.5-14
■この劇団で科白が多い作品は珍しい。 その位置づけは劇画に近い。 声はギコチナイが漫画の頁を一枚一枚捲っていく感触がある。 言葉は肉体と交互に連動し音楽と照明が溶け合って律動的な舞台になっていた。 良くまとまっていたと思う。
父チェンチ伯爵から虐待を受けていた娘ベアトリーチェは耐えきれなくなり父を殺してしまう。 彼女は無罪を訴えるがローマ教皇は彼女らに死刑を宣告するという話である。 「教皇側が恐れるのは親殺しが広まるから・・」という科白を聞いて納得してしまった。 それは寺山修司が繰り返し描く親子関係からである。 また親殺しについて生物としてヒトとして舞台を観ながらいろいろ考えてしまった。
この芝居は1982年5月に池袋文芸座で観ている。 劇場に入るとスキンヘッドで全身白塗りの男優たちが唸りながら地面を転がっている光景が記憶に残っている。 他は全く覚えていないが台詞は少なかったはずだ。 終演後にトークがあったので聞くことにする(以下より)。
*アーフタトークの出席は高田恵篤,根本豊の二人。 根本が当時の資料をもとに話をする。 トークは約30分。 (→)は私=筆者の感想。
・82年は「100年の孤独」の映画ロケが有り、その直後に文芸座ルピリエで「チェンチ一族」を初演した。 天井の高い劇場のためロープで宙吊りの場面も作った。 (→これを聞いても宙吊りの場面は思い出せない) (→寺山の駄目出しは聞き漏らしてしまった)
・当時のチラシに根本は出演者として連ねているが出演しなかった(根本)。 (→高田が持ってきた「夜想」に掲載されたチラシをみて言っている? この雑誌の特集は「アルトー上演を生きた男」で文芸座公演に時期を合わせた発行だった)
・シーザーは寺山の物語性をビジュアルに移行した。 これで音楽と肉体の緊張感が増したはず。 そして寺山の舞踏的な動きを少なくしていく。 (→今日の舞台をみても舞踏からは遠くなっている)
・寺山は女優だけの「チェンチ一族」を練っていた。 (→これは分かる気がする)。 背景は精神病院にしたかった。 しかし寺山の死で中断。
・以下は観客からの質問Qと答えA・・
Q.残酷演劇とは何か? A.観客、俳優、演出家の関係性の断絶を指す(高田、根本)。 
Q.初演と違い、なぜ今回は科白が増えたのか? A.分かり易くするため(高田)。
 (→分かり難いのも面白いのだが・・、でもこの作品はどちらでも成り立つ)
Q.映画との違いは? A.映画は興味がある(根本)。 奴婢訓を撮りたい(高田)。  (→質問の意味を取り違えたようだ)
以上、天井桟敷から万有引力へ引き継ぐ様子も分かり感慨深いアフタートークだった。
*演劇実験室◎万有引力第69回本公演
*J.A.シーザー錬劇開闢50周年記念
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/98441
*「このブログを検索」に入れる語句は、 万有引力 寺山修司

2019年4月8日月曜日

■リチャード三世

■作:W.シェイクスピア,演出:王暁鷹,出演:張晧越,涂松岩,張鑫ほか,劇団:中国国家話劇院
■東京芸術劇場.プレイハウス,2019.4.5-7
■「理査三世」と書くらしい。 舞台は完璧と言ってよい。 俳優は貫禄だろうか? その余裕が漂っている。 中国伝統演劇が染み込んでいると言ってよい。 その表面を現代劇でコーティングしている感じだ。 衣装も物語に馴染み、美術とパーカッション演奏は簡素で筋が通っている。
張晧越は安定度抜群だがリチャードとして何を心に貯めているのか伝わってこない。 演劇的感動は少ないが史劇的叙事詩としての納得感は持てる。 話劇院の様式から来る一つの完成した姿=形かもしれない。 そして京劇院から招聘した張鑫をアンやエドワード王子に配し韻白を響かせたのは「聴く喜び」、同じく刺客二人の武戯は「観る喜び」だろう。
英語読みの箇所を隠したら中国史から生まれた物語のように良く出来ている。 演出家王暁鷹が言っている。 「東方世界の表現形式で上演するのはシェイクスピアの楽しみを共に分かち合うこと・・」だと。 その通りの舞台であった。
*東アジア文化都市2019豊島スペシャル事業
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater204/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 リチャード三世

2019年4月1日月曜日

■DANCE to the Future 2019 ダンス・トゥー・ザ・フューチャー

■「ゴルドベルク変奏曲」,振付:高橋一輝:出演:奥田花純,宇賀大将ほか
■「猫の皿」,振付:福田紘也,出演:福岡雄大,本島美和ほか
■「Format」,振付・出演:福岡紘也
■「Danae」,振付:貝川鐵夫,出演:渡邊峻郁,木村優里
■「beyond the limits of...」,振付:福田圭吾,出演:奥村康広祐,米沢唯ほか
■「カンパネラ」,振付・出演:貝川鐵夫
■「Improvisation即興」,演奏:笠松泰洋ほか,出演:米沢唯,渡邊峻郁ほか
(以上が上演作品とスタッフ&キャスト)
■新国立劇場.小劇場,2019.3.29-31
■2部「Danae」後半のデュエットから調子が乗ってきました。 それは「beyond・・」「カンパネラ」まで続きダンスを観る喜びに浸れました。  後者2作は2016年の再演*1ですがどちらも磨きがかかっている。 「beyond・・」は新国バレエ団の長所を生かした作品にみえます。 「カンパネラ」は前回より全てに余裕があった。
1部「猫の皿」は落語を上演しながら背後でダンサーが踊るという驚きの舞台です。 いや、ビックリ! 落語は上手いし落ちも楽しい。 ダンサーも重量級のある動きでしたが落語に目が行ってしまい後味が曖昧になってしまった。 「ゴルドベルク・・」は如何様にも取れる曲なので振付の特徴を浮き出させるのが難しいと思います。
3部の「即興」は「beyond・・」と逆でこのバレエ団には苦手な演目に感じられますね。 集中力全開で観たのですがその8割は演奏に向かってしまいました。
*1、「DANCE to the Future 2016」(新国立劇場,2016年)
*NNTTダンス2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/dance/19dtf/
*「このブログを検索」に入れる語句は、 DANCE to the Future

2019年3月29日金曜日

■マクベス

■作:W.シェイクスピア,翻訳:佐藤史郎,演出:V.ベリャコーヴィッチ,演出補:O.レウシン,出演:能登剛,神野美鈴ほか,劇団東演
■シアタートラム,2019.3.24-4.7
■舞台に回転する大きな門が4つあり王や兵士などが入退場する流れるような動きがなんとも素晴らしい。 しかも門が劇場の欠点である凸型舞台を隠すからとても広く感じられる。 申し分のない舞台美術だわ。
役者の喋る台詞は癖のない訳で分かり易く耳に届く。 そして幕開きの戦闘の語りや後半のマクダフがマルカムを説得する場面などが詳細で他とは違った感じがする。 しかも5人の魔女はほぼ出突っ張りなの。 上半身裸でマスクを掛けて背景で踊り続ける。 マクベスは魔女の言うままに動く影法師。 上演2時間半弱の場配分も均衡がとれていて丁寧な舞台に仕上がっていたわよ。
ところで舞台の数か所を照らすスポットライトをみて思い出したの。 1990年5月、渋谷パルコで「ハムレット」を観たときのことを。 それはスポットが当たっている箇所に役者が後から入る形を取る。 今回は全体照明との差が小さいのでスポット力はあまり感じられなかった。 舞台のリズムをそれでも支えていた。 リズムある舞台は、特にシェイクスピアの作品では必須よ。
*劇団東演創立60周年記念,第155回公演
*モスクワ.ユーゴザパト劇場提携
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201903mcbeth.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 マクベス

2019年3月24日日曜日

■POISON リ・クリエイション

■演出:平山素子,出演:河内大和,竹中梓,宮河愛一郎,中川賢,四戸由香,平山素子
■世田谷パブリックシアター,2019.3.22-24
■「シェイクスピアが残した言葉や劇世界をモチーフに、・・演劇的要素の高いダンス作品」とチラシにある。 カクシンハンの河内大和が出演するのも気にかかる。
舞台が始まり・・、演劇の言葉を振付として、マイムとして、そのまま科白として組み入れている。 「・・tobe or nottobe」は兎も角、シェイクスピアと言われなければ分からない内容だ。 さすが振付は切れ味が良い。 とくに前半に時間を割いたパ・ド・ドゥは集中できた。 それと終幕での6人の群舞は見応えがあった。 河内大和は最早ダンサーだった!  
演劇との関係にモヤモヤ感が残ったのでアフタトークを聞くことにした。 河内大和は演劇もダンスも違いを感じないと言っている。 演劇にダンスを取り込むのは容易といえる。 意味の薄いダンスを演劇は従わせることができるから。 彼は演劇人として発言したのだろう。 逆にダンスに演劇を取り込むのは厄介だ。 いつもそう思う。 今回も演出家は逃げてしまった。 シェイクスピアを具体よりも抽象として表現していたからである。 言葉は具体へ向かう。 でもダンスは意味から逃げたい。 演出家の気持ちが分かる。 トークには美術の乗峯雅寛も出席したが平山素子得意の敷物の使い方を心得ていた。 suzukitakayukiの衣装も演劇場面は凝っていて見応えがあった。 照明と、特に音楽は演劇に一番近かったように思う。
*館サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/20181122-61326.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 平山素子

2019年3月22日金曜日

■Das Orchester

■作.演出:野木萌葱,出演:西原誠吾,松本寛子,小野ゆたか他,劇団:パラドックス定数
■シアター風姿花伝,2019.3.19-3.31
■昨年上演の「Nf3Nf6」に続いてナチスが登場。 しかも組織の対決が前面に出る話なの。 組織とは楽団(たぶんBHh)とナチス(NSDAP)。 そして指揮者(たぶんW・フルトヴェングラー)と宣伝相(たぶんJ・ゲッペルス)を頂点にして芸術集団と国家の関わりについて論じられていく。 「たぶん」と書いたのは歴史上の名前が舞台に登場しないから。 演出家の作品イメージ、「妄想炸裂、史実折衷、力技捻伏、切味抜群、過剰台詞、・・」はどれも面白く受け取れた。 でもナチス権力が傲慢すぎて組織の対等性が崩れていく過程は粗すぎる。 それでも「権力に抗う人間がそれを乗り越えてゆく姿」はバッチリ観客に届いたわよ。
*パラドックス定数第45項
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/98892

2019年3月17日日曜日

■ふいご少年と煙玉少女

■演出:白榊ケイ,振付:山本萌,白榊ケイ,舞踏:松本拓也,山本瑠衣ほか,舞団:金沢舞踏館
■日暮里.d-倉庫,2019.3.15-16
■幕開きのダンス場面は十分に堪能できました。 シンプルで古びた白シャツと黒七分ズボンで踊るダンサーたちをみていると至福の時がやってきます。 それは自然と裸で接する喜びや驚きとでも言うのでしょうか。 細かい動きや仕草は無心に遊んだ子供時代を思い出させてくれます。 床にごろりと転がる時の形はお見事。 遠雷を含め虫音のような電子音が効いています。
作品は8章前後から成り立っているようです。 そこでは少年少女たちがかって見た大人=他者が登場する。 気に入った場面は2章?の婆らしい独舞です。 静かに登場しほぼ何もしないで退場したのですがその動きは何者かを感じさせてくれました。 しかし多くの場面が現実から逃げるように粘っこさがありません。 少年少女を含め情報社会の申し子のようです。 オドロオドロしている場面もありますが芯はサッパリしている。 終章に再び少年少女が登場して幕が下ります。 客席は若い女性が多いですね。 現代舞踏の一つの流れを感じ取ることができました。
*土方巽没後30周年記念作品(2016年)
*館サイト、http://www.spacelan.ne.jp/~butohkan/index2.html
*「このブログを検索」に入れる語句は、 山本萌

2019年3月16日土曜日

■スペードの女王 The Queen of Spades

■作曲:P.I.チャイコフスキー,演出:ステファン.ヘアハイム,指揮:アントニオ.パッパーノ,出演:セルゲイ.ポリャコフ,ウラディミール.ストヤノフ,エヴァ=マリア.ウェストブロック他
■TOHOシネマズ日比谷,2019.3.15-21(コヴェント.ガーデン,2019.1.22収録)
■この作品の面白さは、伯爵嬢リーザを求める士官ゲルマンとエレツキー侯爵の三角関係ではない。 リーザの祖母の賭博秘事でもない。 それは苦悩する作曲家チャイコフスキー自身が登場することだとおもう。 舞台の彼はいつも楽譜を記しピアノを弾き指揮をしているの。 舞台に登場する全てがチャイコフスキーの心象風景にみえる。 同性愛者だったこと死因が生水を飲んだコレラだったことが幾度も語られる。 乳母が翼を持った天使の真似をする場面は19世紀末のエンジェルス・イン・ロシアだわ。 絶頂期の作品だけど苦悩する自伝オペラと言ってよい。 でもチャイコフスキーメロディは多く聴けるし自然描写を歌う場面は素晴らしい。 晴れた日の喜び、小川のせせらぎ、輝く緑、・・。 ウラル時代の幸せだった微かな記憶かしら? すべてが暗い夢の中のような出来事だから盛りあがりに欠けるのね。 一度でいいから夢から覚めてちょうだい。
*ROHロイヤル.オペラ.ハウス2018シネマシーズン作品
*作品サイト、http://tohotowa.co.jp/roh/movie/?n=the-queen-of-spades

2019年3月12日火曜日

■Memory of Zero メモリー・オブ・ゼロ

■身体の記憶
■最後の物たちの国で
(以上2作品上演)
■音楽:一柳慧,演出:白井晃,振付:遠藤康行,指揮:板倉康明,出演:小池ミモザ,鳥居かほり,高岸直樹,引間文佳作ほか,演奏:藤原亜美,西澤春代ほか,東京シンフォニエッタ
■神奈川県民ホール.大ホール,2019.3.9-10
■第一部「身体の記憶」は見応え聴応えがあった。 ダンスと音楽が見事に共振していたからである。 久しぶりに脳味噌が喜んだ。 「ジャポン・ダンス・プロジェクト」メンバーとしての遠藤康行は何回か観ている。 振付は整然とした流れで厚みがある。 20名近いダンサーの動きに切れがあるので心地よさがやってくる。 一柳慧の4作品を背景に確か1931年迄遡り再び2019年に戻るストーリーになっていたようだ。 途中、群衆の寄り添う場面やクラリネット奏者がダンサーの間を縫う箇所もあり面白い構成になっていた。
第二部は「最後の物たちの国で」。 休息時間に急いで粗筋を読む。 ディストピアを描いた1987年の小説で作者はポール・オースターという人らしい。 白井晃が小説の断片を朗読しながらダンサーたちが踊るというより動き回る演劇的ダンスである。 舞台は市街戦のようだ。 主人公アンナは小池ミモザ。 しかし登場人物の関係が覚えられないので混乱した。 「身体の記憶」を延長した「関係の記憶」を表現しているようだ。 白井晃の数回の朗読が巧く効いていた。 上演回数は二回しかないので実験的舞台にみえた。 ダンサーたちの演劇的動きよりダンスをもっと見たかったが・・。
舞台上に臨時客席を設けたのがとても新鮮に感じた。 築40年の古さも味がある。 東京圏の芸術監督は何人もいるが白井晃の作品は他監督とは一味違う。 彼は予想できない舞台を出してくる。 そこが面白いのでついつい横浜へ足が向いてしまう。 (キラリ富士見の多田淳之介も同じような監督かな)。 配られたプログラムも楽しく読んだ。 三浦雅士の1970年代以降のダンス史、一柳慧と白井晃の対談、高橋森彦のダンサー取材等々。 贅沢な舞台だった。 東京には負けられないという神奈川芸術文化財団の意地がみえた。 都合でアーフタトークは聞かないで帰途につく。
*一柳慧X白井晃神奈川芸術文化財団芸術監督プロジェクト
*劇場サイト、https://www.kanagawa-kenminhall.com/detail?id=35612

2019年3月11日月曜日

■隣にいても一人  ■思い出せない夢のいくつか

■こまばアゴラ劇場,2019.2.15-3.11
□隣にいても一人
■作・演出:平田オリザ,出演:根本江理,太田宏,福田倫子,伊藤毅
■ツマラナイかな?と観ていたところが大違い。 ずんずん面白くなっていくの。 登場は兄弟一組と姉妹一組の4人。
「兄」と「姉」は夫婦として破局、「弟」と「妹」はいま結婚したばかり? 卓袱台を囲む弟と妹、弟と妹と兄、兄と弟、兄と姉、・・。 流れがとてもリズミカルね。
「結婚とは何か?」が議論の中心よ。 どうすれば結婚したことになるのか? パジャマを着る、初夜を向かえる、結婚届を出す、親への報告など話題になるがはっきりしない。 「(二人で)必要な時に必要な事をやる」。 弟の考えが微かに見える。 緩やかな結婚観はこれからは必要ね。 でも結婚や離婚ができる条件はやはり共に職を持つことだと舞台を観ながらつくづく思う。 でないと対等な話ができない。 医学部入試など社会での公正な流れを加速させたいところ。
この芝居は平田オリザのベスト5に入れても良いと思う。 それだけ形ができていた。 そして結婚について大事な何かを考えさせられる時間が舞台に在ったから。 それともっと抽象化を進めてもいいんじゃない? 卓袱台と座布団だけあればよい。 背景の本棚などは不要ね。
□思い出せない夢のいくつか
■作・演出:平田オリザ,出演:浜藤公美,大竹直,藤松祥子
■場内に入ると舞台には列車のクロスシートと窓が一組、凝った電灯をみてこれは銀河鉄道だと直感したの。 登場人物は3人。 方向性の見えない対話が続くの。 時折長い沈黙が入る。 この沈黙が曲者ね。 身体的存在表現ではなくて言葉の不在を表している。 この劇団とは異質な沈黙にみえる。 これがタイトルの夢に繋がるのかな。 今ブログを書きながら科白の繋がりが組み立てられないからよ。
*平田オリザ演劇展vol.6
*劇団サイト、http://www.komaba-agora.com/play/6533

2019年3月8日金曜日

■ピルグリム2019

■作・演出:鴻上尚史,出演:秋元龍太朗,伊藤今人,劇団:虚構の劇団
■シアターサンモール,2019.2.22-3.10
■演出家挨拶文に初演は30年前と書いてあります。 「第三舞台」全盛期頃の作品ですね。 同時に劇団組織に歪みが生じてくる頃でしょう。 当時はオウム真理教やソビエト崩壊のニュースも活発化していた。 これらを素材として作られたようにもみえる。 組織としてのユートピアは可能なのか?と
・・主人公の売れない作家が長編小説を書くことになった。 舞台はその作品が描かれていく劇中劇で、3人のピルグリム=巡礼者がユートピアを求めて旅をする物語です。 そして行きついた先は過去に作家が作った桃源郷「天使の家」だった・・。
ユートピアを含めデストピア、アジール、オアシスそして組織内での生贄や犠牲など硬い言葉が多い。 その言葉を展開していくのでストーリーは思った以上に保守的です。 手垢の付いたユートピアを論じることが古臭くみえる。 でもオアシスでは小粒すぎる。
そこは「虚構の劇団」です。 ダンスや衣装の華やかさ、照明に映える小道具、巧みな話術、飽きの来ない物語細部と練れた修飾など舞台に見惚れてしまいますね。 そしてインターネット時代の結ばれるようで結ばれない人間関係が新しいオアシスを求めているのでしょう。
*虚構の劇団第14回公演
*劇団サイト、http://kyokou.thirdstage.com/
*「このブログを検索」語句は、 鴻上尚史

2019年3月4日月曜日

■なのはな

■原作:萩尾望都,演出:倉田淳,出演:明石隼汰ほか,劇団:スタジオライフ
■東京芸術劇場.シアターウエスト,2019.2.27-3.10
■フクシマの避難先で暮らす主人公の小学生ナホは1986年のチェルノブイリ事故を授業で知ります。 家に帰ると父はバーチャンの使っていた手回し種蒔器をナホのために汚染された家から持ち帰りたいと言い出す。 ・・。 そして、いつの間にか彼女はチェルノブイリにワーブしそこで女の子に出会う。 彼女が持っていたのは小さな手作り人形。 ナホはそれを受け取らなかった。 ・・。
終幕に近づくにつれ、これらの話が全てナホの祖母婆チャンに繋がっていくストーリーには感動します。 それは時間を後戻りするような、幾つもの小さな謎が解けていくような、微かな眩暈のするストーリーです。
途中歌唱が入るのも舞台を豊かにしている。 役者たちの喋り方や動きは素人のようですが、これが原発事故をリアルに思い出させます。 被害者たちへの鎮魂に真摯に向き合う姿がみえる。 同時に舞台を観る喜びが押し寄せてきます。 上演時間は1時間でしたが充実した時を過ごせた喜びが残りました。 そして作品名が何故「なのはな」なのか、曲名が「アララ」なのかも。 ALARA♪ALARA♪ALAALARA♪
*劇団サイト、http://www.studio-life.com/stage/nanohana2019/
*「このブログを検索」語句は、 倉田淳

2019年3月2日土曜日

■唐版 風の又三郎

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:窪田正孝,柚希礼音ほか
■シアターコクーン,2019.2.8-3.3
■演出家をみてチケットを購入したの。 金守珍は再演では唐十郎より唐的な世界を作るからよ。 しかも柚希礼音が夢うつつを飛び交う打ってつけの役エリカで登場するし・・。
はたして織部役窪田正孝も少年からの脱皮前を巧く演じていた。 二人の声は劇場空間をきれいに響き切っていたわよ。 科白は照明と音響を道連れに時空を一瞬でジャンプする力を持っている。 これができるのは唐十郎と演出家が密結合しないと実現できない。 今できるのは金守珍しかいないということかな。
オジサン俳優の古い台詞表現で興覚めした場面もあったけど1968年から太平洋戦争まで遡る力には灰汁がある。 「ベニスの商人」や「オルフェウス物語」と珍腐淫腐乱腐の尻に張り付けた菊花紋が混ざり合うと戦後日本の混乱がジワッと滲み出てくる。
終幕、飛行機が空を飛ぶ手の込んだ舞台は逆に想像力が縮むわね。 20世紀前半の語句も多かったから台詞を聞き逃したところがある。 そこははっきり喋ってほしい。 唐十郎の世界へ飛んでく翼は言葉だから。 それでも久しぶりに風の又三郎に出会えた気分よ。
*Bunkamura30周年記念,シアターコクーン.オンレパートリー2019作品
*劇場サイト、https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/19_kazemata/

2019年2月28日木曜日

■アドリアーナ・ルクヴルール

■作曲:フランチェスコ.チレア,指揮:ジャナンドレア.ノセダ,演出:デイヴィッド.マクヴィカー,出演:アンナ.ネトレプコ,ピュートル.ベチャワ,アニータ.ラチヴェリシュヴィリ他
■新宿ピカデリー,2019.2.22-28(MET,2019.1.12収録)
■フランチェスコ・チレアの作品は初めてよ。 18世紀パリ、コメディ・フランセーズの人気女優アドリアーナ・ルクヴルールとザクセン伯爵マウリツィオは恋仲だが、大貴族ブイヨン公妃も伯爵に恋心を抱いている。 ・・。
アンナ・ネトレプコとアニータ・ラチヴェリシュヴィリのぶつかり合いが見ものね。 二人は重量級だし・・。 両者に挟まれる伯爵役ピョートル・ベチャワも年季が入っているので不足無し。 ネトレプコは2年ぶりに見るけど体が引き締まった感じだわ。 インタビューでも「役になりきっている」と言ってたけど、「フェードル」の台詞も喋れて楽しそう。
この作品は感情表現の多い三角関係物語だからもっと上演されてもよい作品かも。 でも役者が揃えられるかが問題のようね。 劇中劇が頻繁にあり芝居好きにはワクワクする舞台になっていた。 特に3幕「パリスの審判」の劇中劇のダンスは最高! 美術も衣装も素晴らしい。 MET総合力の成果と言ってよい。
*METライブビューイング2018シーズン作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/857/

2019年2月27日水曜日

■紫苑物語

■原作:石川淳,台本:佐々木幹郎,作曲:西村朗,指揮:大野和士,演出:笈田ヨシ,美術:トム.シェンク,衣装:リチャード.ハドソン,照明:ルッツ.デッペ,出演高田智宏,大沼徹,清水華澄,白木あい他
■新国立劇場.オペラパレス,2019.2.17-24
■迷ったが原作は読まないで観ることにした。 舞台美術はなかなかの出来だ。 剥き出しの機材と不穏な抽象的色彩そして中国風衣装が混じりあい物語の嵐を予見する。 主人公宗頼は父との確執や妻うつろ姫への嫌気から「弓」へと心が移っていく。
「弓の世界」とは武道と捉えてよいのだろうか? 「歌」や「弓」の<世界>には踏み込まないので何とも言えない。 多くの事象や行為も同じだ。 主人公宗頼が紫苑を植えさせることや千草との愛のやりとりでもそれは言える。 ナールホド納得感やドッキドキ感がくっ付いて来ない。 言葉少ない歌詞が物語の核心を歌わないからである。 歌唱は身体動作を補佐しているにすぎない。 面白そうなSF話も多い。 たとえば狐の化身、陰陽師の登場、3本の魔矢、鏡像と仏、世界の崩壊等々しかし、これがツマラナイ漫画を読んでいる感じだ。
たぶん物語に詰め込む内容が多過ぎて処理できなくなったことが原因だろう。 それも取り込んでからではなくて取り込む前で止まってしまったようにみえる。
東京都交響楽団はこの劇場では珍しい。 金管楽器が華麗に響く。 作品編成の為か? 物語に沿った演奏は美術や照明と共鳴して聴きごたえがあった。 歌唱はオノマトペやコロスを多く取り入れ苦心の跡がうかがわれる。 しかし婚礼の場などコロスはバカ騒ぎの域を出ていない。 これがうつろ姫の演技を大袈裟にしてしまった。 場面切替の黒子の作業は機械とは違った良さが出ていた。
今このブログを書きながら原作を読もうか再び迷いだした。 シックリ来なかったからである。
*NNTTオペラ2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/opera/asters/

2019年2月26日火曜日

■実験舞踊「R.O.O.M」  ■「鏡の中の鏡」

■演出:金森穣,出演:池ヶ谷奏,浅海侑加,チャン.シャンユー,ジョファオ.ボブラヴスキーほか,舞踊団:Noism
■演出:金森穣,出演:井関佐和子,金森譲
(以上作品名順)
■吉祥寺シアター,2019.2.21-24
■舞台は四方銀色の壁に覆われ数枚のタイルの開閉でダンサー達は出入りします。 天井からは落ちるように舞台に入ってくる。 広さは幅15m奥10m高2mくらいでしょうか? 「R.O.O.M」は10名前後のダンサーたちが動き回るのでとても窮屈です。 床を意識する振付でジャンプなどはできません。 四方の壁に縛られている感覚です。 でもダンサーは無表情で踊りまくる。
二作品とも同じ舞台美術を使います。 但し「鏡の中の鏡」は半透明の鏡が奥壁に納まっている。 「鏡・・」はデュオなので空間に余裕がある。 二人は苦しんでいる。 視線が合わない。 作品前者は肉体、後者は精神に枷をはめている。 タイトルに実験とあるように次への試行錯誤にもみえる。
演出家の挨拶を読んで概要がわかりました。 「ROOM」は普遍的身体への開発、「鏡の中の鏡」は組織活動の活性化を目指しているようです。 結成15年を経て新しい何かに期待が高まります。
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2018/11/noism2019.html

2019年2月18日月曜日

■銀河鉄道の夜  ■コントロールオフィサー

■原作:宮沢賢治,作・演出:平田オリザ,出演:菊池佳南,折舘早紀ほか,青年団
■作・演出:平田オリザ,出演:中藤奨,梅津忠,大竹直,伊藤毅ほか,青年団
(以上作品名順)
■駒場アゴラ劇場,2019.2.15-3.11
■「銀河鉄道の夜」は星の数ほど観てきたけど少しも飽きない。 舞台は色とりどりの大きな積み木が置いてあり園児の遊び場のようだわ。 2011年のフランス国内巡演で子供たちに見せる為に創られたらしい。 役者もそれに合わせた演技だが核心部分はしっかり入っている。 子供たちのいじめ問題から、他者を思うとは?幸せとは?そして死とは?を考えさせられる。
「コントロールオフィサー」が何であるかを知らないで観たから楽しさが倍増したわよ。 正式名はDCO(ドーピング・コントロール・オフィサー)。 オリンピック予選水泳大会等でのドーピング検査員を指す。 要は選手のオシッコを検査する人ね。 選手たちが水を飲んで尿を溜めるまでのあいだ世間話に花を咲かせる舞台なの。 彼らの話のネタや間の取り方で笑い続ける30分の短編作品。
*平田オリザ演劇展vol.6
*劇団サイト,http://www.seinendan.org/play/2018/12/6708

2019年2月16日土曜日

■マクガワン・トリロジー

■作:シェーマス.スキャンロン,翻訳:浦辺千鶴,演出:小川絵梨子,出演:松坂桃李,浜中文一,趣里,小柳心,谷田歩,高橋恵子
■DDD青山クロスシアター,2019.2.12-15(世田谷パブリックシアター?,2018年収録)
■昨年見逃してしまった一本です。 渋谷で上映していたので行ってきました。
アイルランド共和軍IRA所属ヴィクター・マクガワンがベルファストのバーで仲間を拷問しようとする場面から1幕は始まる。 主人公ヴィクターのテンションの高さが目立ちます。 そして拷問や死刑が軍法から外れているにも関わらずヴィクターは仲間たちを殺していく・・。
二幕はヴィクターが一人の女性を射殺する話です。 彼の旧友である女性の拘束理由は最初分からなかったが英軍兵士を助けた為らしい。 ヴィクターからみると規則違反とのこと。 一幕の彼の科白とは逆ですね。 これから一幕より時間が遡っているように見える。 この場に及んでの彼女の文学的科白の違和感が気になります。
そして三幕は病院?の一室に変わる。 主人公の母の部屋らしい。 そこへヴィクターが追われてくる。 二人は昔話をするが噛み合わない。 最後にヴィクターは母に睡眠薬を飲ませ殺してしまう。 この3幕は時系列的に1幕と2幕の間の出来事とみました。 彼は母と出会ったため狂暴になって1幕を向かえるのでしょうか? 
主人公の興奮度に高低差があるのは混乱します。 第二幕が始まったときに編集ミスではないかと思ってしまったくらいです。 しかも役者たちはいかにも芝居をしているような動きと喋りです。 アイルランド軍の現在意義、軍の裏側、組織内暴力が身体的に理解できない。 スタッフ・キャストは何とかしなければと藻掻いているようにもみえます。 あくまでも新鮮さが第一の作品ですね。
*作品サイト、http://www.mcgowantrilogy.com/

2019年2月13日水曜日

■RE/PLAY Dance Edit

■演出:多田淳之介,振付.出演:シェリダン.ニューマン,ソポソ.ソー,カリッサ.アデア,ジョン.ポール.オルテネロ,きたまり,岩渕貞太,Aokid,斉藤綾子
■吉祥寺シアター,2019.2.9-11
■2011年版「再/生」の衝撃的舞台を思い出したので再び観ることにした。 出演者がダンサーに代わっている・・。 そして何もない舞台で8名のダンサーが踊りはじめる、初めはゆっくりと。 音楽も繰り返し流れる。 次第にダンサーの動きは激しくなっていく。 途中ダンサー達が仕事のことなどを話す。 そして再び激しく踊りだす。 ・・。
ダンサーが疲れてきたときに、
意味は無意味になりダンサーと観客の身体が一体となるような感覚に陥る。 解放される身体とでも言うのだろうか。
そして、ダンサーが疲れ切ったときに、
身体が崩れていく過程を見続けることにより感覚とは無縁な非日常的な身体が忽然と現れてくる。 劇的な身体とでも言うのだろうか。 
2011年版は芝居の役者が踊ったはずだ。 振付は酷いもので腰を振り振り手足をフリフリするだけだった。 しかしその舞台は「解放される身体」と「劇的な身体」の両方が立ち現れた。
今回はそれが現れなかった。 この作品は演劇とダンスが融合しないと感動が湧き起こらないのかもしれない。 途中の会話も不発だった。 <再び生まれる>には意味も意識も昇華し向こう側に飛ばなければならない。 
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2018/11/replay-dance-edit.html

2019年2月12日火曜日

■僕らの力で世界があと何回救えたか

■脚本.演出:高羽彩,出演:大久保祥太郎,斉藤マッチュ,松澤傑ほか,タカハ劇団
■下北沢.小劇場B1,2019.2.8-14
■インターネット時代にアマチュア無線部を登場させるとは驚きました。 舞台が進むとその理由が分かってきます。 無線は<声>がすべてだからです。 ラジオと違って双方向でもある。 <声>は想像力を膨らませる。 しかもスマホ→パソコン→マイコン組立→アマチュア無線局開設→ラジオ制作という20世紀後半の中高生オタク派にまで遡っていくことができる。 エレキ系硬派オタク史の重みがあります。
高校の無線部リョウタの素粒子研究施設反対運動を遡っていくストーリーは面白い。 施設がブラックホールを研究していること、それがマンデラ・エフェクト現象を引き起こしていることなど緊張が途切れない。
しかしSFの強力な混在で結末が分解してしまった。 リョウタを見失ってしまいました。 社会問題にもう一歩踏み込まなかったからでしょう。 その意味で「・・置き去りにされたのは僕らだったのかもしれない」と言えます。
役者達の演技に力強さがありました。 場面ごとの事象・事件・キャラクターに味が出ていた。 一つ一つの場面の緊張感を楽しむのがこの芝居の観方でしょう。
*タカハ劇団第15回公演
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/96836

2019年2月10日日曜日

■タンホイザー

■作曲:R.ワーグナー,指揮:アッシャー.フィッシュ,演出:ハンス.ペーター.レーマン,美術:オラフ.ツォンベック,出演:妻屋秀和,トルステン.ケール,リエネ.キンチャ他
■新国立劇場.オペラパレス,2019.1.27-2.9
■雪ならキャンセルと決めていたけど降らなかった。 ラッキー! ・・水晶宮のような冷たさの有る舞台はこの劇場らしい美術だわ。 ヴェーヌスベルクには合うけどヴァルトブルクはどうかしら? 日本語字幕は緻密で硬さが前面に出ていた。 ドイツ系はこれでないとだめ。 ゲーテやトーマス・マンを読むときは特に翻訳者を意識するのと同じよ。
タンホイザー役トルステン・ケールの落葉広葉樹林の乾いた木々を感じさせる歌唱は聴いた覚えがある。 調べたら「死の都」・・、2つの作品はどこか通じている。 でも彼の動作は日常性が目立ち過ぎる。 身体そのものの存在感を出してほしい。 演出家のタンホイザー像かしら? 此処一番はエリーザベト役リエネ・キンチャかな。 彼女の歌唱と役柄が見事に一致して物語に吸い込まれてしまった。
MET「タンホイザー」のような劇的さが無かったのはNNTTの智的さが出過ぎたからだと思う。 まっ、これも悪くない。 観たあとのカタルシスはいつもの通り「ワーグナー最高!」よ。
*NNTTオペラ2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/opera/tannhauser/

2019年2月3日日曜日

■アルルの女  ■ベートーヴェン交響曲第九番

■Bunkamura.オーチャードホール,2019.1.31-2.3
□アルルの女
■振付:ローラン.プティ,指揮:井田勝大,出演:益子倭,毛利実沙子,Kバレエ.カンパニー,演奏:シアター.オーケストラ.トーキョー
■舞台背景の農村風景や天井はP・ゴーギャン風で簡素に描かれている。 女性ダンサー衣装は質素な女学生の制服にみえる。 男性も似たような衣装。 振付や動きも地方農村で開催するフォークダンスのようだわ。 安っぽいけど長閑な雰囲気がいいわね。
後半はゴーギャンからR・マグリット風窓絵に替わったけどサッパリし過ぎかしら。 フレデリは小粒だけどヴィヴェットとお似合いよ。 でも終幕は息切れをしていた(ようにみえた)から力をつけなきゃ。
この作品は<アルルの女>がどういう女であるか良く分からない。 「カルメン」の影に隠れてしまう理由かも。 それと音楽の優位性もある。 その演奏は次第に上げ調子になり物語を牽引していた。 
□ベートーヴェン交響曲第九番
■振付:熊川哲也,指揮:井田勝大,出演:熊川哲也,Kバレエ.カンパニー,歌唱:幸田浩子,山本耕平,諸田広美,坂本伸司,藤原歌劇団合唱部,演奏:シアター.オーケストラ.トーキョー
■第一楽章「大地の叫び」と第二楽章「海からの創世」は対になっているの。 それは男性ダンサーの激しさと女性ダンサーの穏やかさ、赤と青の色調・・、それよりも手の先までを見せびらかし身体全てがウキウキするような振付は楽しい。 ベートーヴェンと共振してミニマム世界に没入できる。 そして第三楽章「生命の誕生」は3組のデュオが生命を感じさせる動きで前2章と対にしている。 このネストを含めた構成と内容はシンフォニック・バレエとして完璧で言うことなし。 次の第四楽章「母なる星」はちょっと硬い。 合唱団数十名を舞台に登場させたので動きが取れなくなったのね。 体育会系のようなダンスになってしまった。 でも合唱付きを聴けるとは幸せ。 そして熊川哲也も登場して<鋼鉄の仕上がり>をみせてくれた。
*劇場サイト、http://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/franchise/20190131.html

2019年1月30日水曜日

■顕れ-女神イニイエの涙ー

■作:レオノーラ.ミアノ,翻訳:平野暁人,演出:宮城聰,音楽:棚川寛子,出演:鈴木陽代,美加理,阿部一徳,劇団:SPAC
■静岡芸術劇場,2019.1.14-2.3
■女神イニイエに使えるカルンガ役阿部一徳が観客に向かって理解できたか?と質問する。 それだけ分かり難い物語構造で始まります。 アフリカの神々を知るための忍耐が前半は必要ですね。 しかし奴隷貿易に加担したアフリカ人加害者を裁く場面で一転する。 以降は心身が解放されたように舞台に集中できます。 それは被害者と加害者を越えた人間の救済を描くからです。 加害者を裁く作品は多いのですが裁いた後のことが語られない。 演出家の言葉「・・人間に関わることで私に関係のない事は一つもない。」の全方位性がその続きを描けたのだと思います。 観終わって「鎮魂のための祝祭音楽劇」とチラシに書いてあったことに納得しました。
それにしても作者のメッセージ力は強い。 終幕に神々の演説に近い場面があるが演出家が上手くまとめていました。 宮城聰演出の苦労した痕跡が随所にみられる舞台です。 これがまた深みを与えていた。 神を演ずるときのスピーカー(語り手)とムーバー(動き手)の分離は強力に作動しますね。 そして打楽器の演奏がアフリカを一層近づけてくれました。
*パリ.コリーヌ国立劇場共同制作作品
*劇場サイト、https://spac.or.jp/au2018-sp2019/revelation_2018

2019年1月28日月曜日

■高丘親王航海記

■原作:澁澤龍彦,演出:笠井叡,意匠:福本了壱,出演:笠井叡,黒田育世,近藤良平ほか
■世田谷パブリックシアター,2019.1.24-27
■この幻想冒険譚をダンスで表現するとは驚きである。 原作を読んでおくのが条件かもしれない。 はたして語り手の声が聞こえて安心した。
・・大きな張り子の船が舞台を滑るところから物語は始まる。 もちろん乗ることができる。 船から降りると舞台上が船上になり陸になる。 ダンサー衣装はそれぞれのキャラクターに合わせているので凝っている。 親王とその付添を除き儒艮(ジュゴン)や大蟻喰(アリクイ)等々は子供劇場の姿だ。 振付もそれに合わせている。 大きな張子の虎も終幕に登場する。 しかし笠井叡の動きは年齢を感じさせるが振付は変わらない。 オイリュトミストもいつもの動きにみえる。 モーツァルトを中心にドイツ・リートを聞いているとやはり舞踏世界だ。 しかし黒田育世、近藤良平、酒井はなたちはいつもと違う感じがする。 混合型振付と言ってよい。
前半は方向性が定まっていなかったが、声明?が聴こえるなか「親王の心に死の意識が忍び込み始めて」から笠井叡と高丘親王そして澁澤龍彦を一つに重ね合わせることができた。
ダンスでは女性陣のソロ場面がとても良かった。 今回は語り手が喋る手法を取ったが字幕にしたほうが物語展開が分かり易かったとおもう。 しかも語り手の声にスピーカを使ったので手作り感を減少させてしまった。 この冒険譚をダンスにするのは冒険だったが、笠井叡と澁澤龍彦との出会いの大きさは十分伝わってきた。
*「高丘親王航海記」(天野天街演出,2018年)
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/20190124kasaiakira.html
*「このブログを検索」語句は、 笠井叡

2019年1月21日月曜日

■沓手鳥孤城落月  ■楊貴妃

■作:坪内逍遥,演出:石田耕土,出演:坂東玉三郎,中村七之助ほか
■作:夢枕獏,出演:坂東玉三郎,市川中車
(以上作品名順)
■東劇,2018.1.12(歌舞伎座,2017.10・12収録)
■豊臣家滅亡つまり中世日本の閉幕場面は科白の楽しさに先ずは酔うことができた。 大阪夏の陣、落城寸前の千姫逃亡場面から始まる。 そこへ淀が登場して逃亡を阻止するが徳川の密偵と軍勢に囲まれて最早どうすることもできない。 秀頼が登場し母淀を刺し自害しようとするが・・。
淀の徳川家への恨みの激しさに堪える作品である。 彼女の科白に憎き千姫の名前が終幕近くまで聞こえてくる。 愛情構造が現代と違うのは分かるが千姫は秀頼の妻である。 しかもこの作品は豊臣時代終わりの頁の1行だけを描いている。 このため終幕の母子の情愛が迫って来ない。 秀頼誕生の頃からの豊臣史をじっくり楽しんでいないと作品の面白さが味わえない。 秀頼役中村七之助のキリッとした存在感が目立った。
舞踊「楊貴妃」は中国衣装(?)の楊貴妃坂東玉三郎が素晴らしい。 振付も両国折衷に見える。 ゆったりとした時間が過ぎていく姿はなかなかである。
*シネマ歌舞伎第32弾
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/39/

2019年1月19日土曜日

■マーニー Marnie

■原作:ウィンストン.グレアム,作曲:ニコ.ミューリー,演出:マイケル.メイヤー,指揮:ロバート.スパーノ,出演:イザベル.レナード,クリストファー.モルトマン他
■東劇,2018.1.18-24(MET,2018.11.10収録)
■事務手続きのような歌詞、機械的動きと速さある場面転換、単色系衣装の通勤服、・・この日常の形式優位な舞台に歌唱と演奏が被さるとテンポのある心地よさが伝わってくる。
A・ヒッチコック映画の欠点を取り除いた面白さがある。 映画では精神疾患のマーニーをいつも意識し、夫ラトランドの精神分析医のような演技に馴染み過ぎていた。 この舞台にはそれが無い。 マーニーの多重人格をロボットのように演じて形の面白さとして消化している。 鮮やかな単色衣装もそれに従っている。 彼女が4人の分身を引き連れているから尚更ね。 そして観客は少しずつ鼓動を速めていくの。 キツネ狩りや落馬場面はダンサーたちの動きが楽しい。 マーニーのトラウマとなっていた殺人理由も終幕の驚きね。 それは水兵ではなく弟だった、しかも・・。
マーニー役イゼベル・レナードは映画も観ていないとインタビューで答えていたがそれは正解よ。 演出家マイケル・メイヤーはショーン・コネリーの影響があると言っていた。 でも夫ラトランドがマーニーと結婚したい普通の男にみえたのは作品に落ち着きをもたらしていた。
内容が複雑なのでブロードウェイの知識・技術を取り入れたようだけどこれがMETの強みだわ。 作曲と演出が上手に統合できた成功例ともいえる。 舞台を観る前には想像できなかった。 映画に縛られていたのね。 すべてが想定外の面白さだった。
*METライブビューイング2018作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/855/

2019年1月15日火曜日

■トロンプ・ルイユ

■作・演出:野木萌葱,出演植村宏司,井内勇希,諫山幸治,加藤敦,山田宏平,小野ゆたか,劇団:パラドックス定数
■シアター風姿花伝,2019.1.9-14
■競馬を知らないで寺山修司のファンを名乗るのは気が引けます。 でも知らない観客を裏切らない面白さがある。 それは競馬世界の核心を平易な科白で表現しているからでしょう。 台詞が練れている。 それと馬が喋るからです。 ・・!
役者6人は一人2役で、馬主が、調教師が、厩務員が、予想屋がそれぞれ馬も演じる。 この<人>から<馬>の場面転換がまた素晴らしい。 その逆もです。
つまり馬が喋ることにより物語の急所や裏側に近づくことができる。 子供向けでない舞台で成功しているのは珍しい。 しかも再演だからではなく、作者を含め競馬好きが集まっているとしか言いようがない。
競馬とは何か? この問いに人と馬から答えが語られます。 予想屋は言う。 「馬券を買うのではなく己自身を買うんだ」。 競馬には人生が詰まっていますね。
観客の8割は20代後半の女性ですか。 演出家への信頼が高い証拠です。 ところでタイトル名のここでの意味がよく分かりません。
*パラドックス定数第44項
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/97216

2019年1月13日日曜日

■ワルキューレ

■作曲:R.ワーグナー,演出:キース.ウォーナー,指揮:アントニオ.パッパーノ,出演:スチュアート.スケルトン,エミリー.マギー,ジョン.ランドグレン,ニーナ.シュテンメ他
■TOHOシネマズ日比谷,2019.1.11-18(コヴェント.ガーデン,2018.10.28収録)
■一幕「館の内部」は緊張感に満ち溢れ呼吸をするのも忘れてしまった。 歌唱と歌唱の間にも劇的さが現れていたわね。 美術や照明も言うことなし。
音響設備も良かった。 多くのライブビューイングはノッペリした大きな音でどうしようもない。 今回は絞り込んで生の劇場で聴く音に近づいていた。 技術的にはもっと良くなるはずよ。 舞台と客席の距離感を感じさせることも必要ね。
昨年再見のMET「トリスタンとイゾルデ」のニーナ・シュテンメ、スチュアート・スケルトンが登場。 今日のニーナは声に張りがでていた。 船底にいるイゾルデから天空を飛び回るブリュンヒルデに変身したからよ。 そして目に十字傷のヴォータンがまた楽しい。 切傷は曝け出すことで内面の強さと弱さを表現できるの。 眼帯はダメ。 インタビューで「・・この作品はリア王だ」と批評家が言っていたけど3幕のヴォータンは「リア王」以上だった。 全幕を通して現代までを貫く夫婦・親子・兄妹・姉妹の人間関係が濃密で感情豊かに立ち現れていた。 ROHのワーグナーは独特の温かみがある。
*ROHロイヤル.オペラ.ハウスシネマシーズン作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/89252/

2019年1月7日月曜日

■ロミオとジュリエット

■原作:W.シェイクスピア,作曲:C.プロコフィエフ,監督:熊川哲也,出演:浅川紫織,宮尾俊太郎,Kバレエカンパニー
■恵比寿ガーデンシネマ,2019.1.5-(東京文化会館,2018.10.12収録)
■仮装パーティのような明るさと軽さの衣装が楽しいわね。 舞踏会も照明でキャバレーの雰囲気がでている。 タイトルを忘れそう!?
でもロミオとジュリエットの初めての出会いは再会のようで、逢引のバルコニーも日常の一コマにみえる。 二人は形式的に付き合っているの? ロミオとジュリエットがどんどん薄くなる感じだわ。 マキューシオ殺人場面の過剰演技、広場の群舞や小道具も二人にとって無関係な世界のよう。 薄さを助長している。
ジュリエットが眠薬を飲む場面からやっと落ち着いてきた。 二人の世界がみえてきたかな。 でも時すでに遅しね。 ドラマに切り込めなかった。 二人を濃くするために背景を取捨選択してもよいと思う。 この作品は本場ロイヤル・バレエを越えられるか!につきる。 Kバレエならできる!
*Kバレエカンパニー設立20周年記念
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/90235/

2019年1月2日水曜日

■私は、マリア・カラス

■監督:トム.ヴォルフ,朗読:ファニー.アルダン
■Bunkamura.ルシネマ,2018.12.21-(フランス,2017年作品)
■マリア・カラスが・・、飛行機のタラップを昇り降り、パーティで笑顔をふりまき、車を乗り降り、カーテンコールで挨拶をして、記者に取り巻かれ、・・捨てた断片フィルムをかき集めたような映画にみえるわね。 そのうえテレビインタビューはテレビ画面をそのまま撮影している。
その映像の上に彼女の歌唱を被せているの。 映像と音声の多くは切り離されている。 しかも風邪で公演キャンセル、METでの突然の解約、オナシスとの出会などスキャンダルを前面に出すから女性週刊誌を読んでいるみたい。 
それでも「百戦錬磨の女」マリア・カラスだからツマラナイ映像でもオーラが輝く。 彼女の生き様が迫ってくるの。 インタビューから普通の結婚生活に憧れを抱いていたのがわかる。 54歳で亡くなっているけど最後の数年は70歳に見えてしまった。 やはりジャッキーとオナシスの電撃結婚が影響したと思う。 未使用フィルムは「公」より「私」の顔がポロッと現れる。 この作品の面白いところよ。
*「マリア・カラス伝説のオペラ座ライブ」(フランス,1958収録)
*「マリア・カラスの真実」(フランス,2007年作品)
*作品サイト、https://gaga.ne.jp/maria-callas/

2019年1月1日火曜日

■ボヘミアン・ラプソディ

■監督:ブライアン.シンガー,出演:ラミ.マリック他
■新宿ピカデリー,2018.11.9-(アメリカ,2018年作成)
■最初の数秒だが実写が映ったのでドキュメンタリーかと思いきやドラマだった。 クイーンの4人はそれぞれ俳優が演ずる。 演技や科白、物語展開を含め並みの出来だが、さすがヒット作品だけあって山場は裏切らない。 それは序破急とでもいえる型が様になっていたからである。
クイーンの<結成>→<メンバー不和>→<ライヴエイド>。 それと、
フレディの<異性愛>→<同性愛>→<両性愛>。
この2つが両輪となりクライマックスのライヴエイドへ突き進む。 フレディ・マーキュリーの性愛はライヴエイドで人類愛に昇華した↑↑。
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/89230/
■世紀を刻んだ歌「ボヘミアン・ラプソディ殺人事件」
■NHK,2018.12.24(NHK,2002年作成)
■録っておいた録画を観る。 歌「ボヘミアン・ラプソディ」はイギリス人にどのように受け入れられたのか?を論じている。 1975年当時の英国経済の低迷、ビデオ時代の先駆け、シェイクスピアやオスカー・ワイルドとの関係、フレディのアフリカ生まれインド育ちとゾロアスター教の影響、ボヘミア地方の特徴などなどを検証して、それは国歌のようなものだと言っている。 「ボヘミアン・ラプソディ」は英国ロック国歌である。