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■夜が明けたとしても・・・

■作・演出:大橋泰彦,出演:劇団離風霊船 ■スズナリ,2015.4.23-29 ■シンメトリーのある古びた商店街が舞台である。 体操場面もそうだが役者達も対称性のある動きが多い。 このシンメトリーは意識しないと見落してしまうが、作品としての美的効果が表れている。 多分これは演出の合理化を狙ったのだろう。 ヒトラー側近のゲーリングを信奉する日本政府関係者が少子高齢化の地方再生を推し進めていく。 ナチズムの指導者原理を若者に適用し、国民の鈍感さを見透かして民族共同体主義へと向かわせる話である。 市職員たちの仕事の進め方やデータ処理、お辞儀や笑顔の作り方など本物にみえてしまった。 市長の不倫もリアルである。 比して商店街場面では笑ってしまった。  終幕に、指導者原理を一時中断する国家計画暴露のドンデン返しは構造として面白い。 これで純平の行動が真木への復讐だったという気の抜けた話をなんとか持ち直した。 舞台をまとめる責任感が前面にでてしまったようにみえる。 芝居としての謎が残らない。 しかし今の時代、国家と対峙する必要性は届いた。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage51096_1.jpg?1430164661

■こうもり

■音楽:J・シュトラウス2世,指揮:A・フェラーリ,振付:R・プティ,出演:湯川麻美子,福岡雄大,八幡顕光 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.4.21-26 ■パントマイム・バレエのようだわ。 そのような言葉があればだけど。 仕草などで心情が表現できるからいつものダンサーの違う面が見られる。 ストーリーはオペラと違うみたい。 美術も衣装も「こうもり」としては普通だけど、一幕はセクシーさが出ていてとてもよかったわ。 ウルリックの道化的動きは舞台を和ませていた。 二幕は仮面舞踏会に期待したけど残念ね。 夜から昼の世界になってしまった。 背景の木々や衣装も舞踏会に似合わない。 フォークダンスみたい。 これだけの落差を出したのは何か理由でもあるのかしら? でもフィナーレは一幕の続きに戻れて最高だった。 ところで湯川麻美子の引退公演なの。 彼女は意味を表現するのに長けているからこの作品も適役ね。 今日も素敵だったわ。 *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/komori/

■メフィストと呼ばれた男

■作:トム・ラノワ,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2015.4.24-26 ■なぜ自由席なのか場内に入って分かったの。 舞台の一部を客席に、同じように客席の一部を舞台にしたからよ。 主人公はベルリン国立劇場芸術監督兼俳優クルト・ケプラ。 観客は実舞台の上で国立劇場で繰り広げる物語を体験することになるのね。 稽古場面では劇団員になったような感覚に陥ってしまったわ。 でも役者が正面向かって喋ってくれないから台詞の一部が聞こえ難い。 広い客席を取り込んだから集中できないのが欠点ね。  1932年、ナチス文化大臣が現れクルトが監督として劇場を維持していくことになる。 同僚の亡命や粛清が続いていくけど1945年、ナチス文化大臣が自殺しソビエト文化大臣が着任したところで幕が下りる。 「すべて自由にやりたまえ! 少しは国家の意向も取り入れてくれればそれでいい・・」。 ソビエト文化大臣の芸術監督への挨拶もナチス時代と同じね。 シェイクスピアやチェーホフの多くの作品が議論され上演されるの。 その場面がストーリーにどう関係するのかを考えてしまうので楽しいけれど疲れる。 特にクルトの心情が劇中劇に表現されているからよ。 「・・腐っている」と叫び続けるクルト。 でもここに到達するまでの心の揺れがみえない。 帰りにチラシ「抵抗と服従の狭間で」を読んで舞台上クルトは実在人物に近いことを知ったの。 不安しか持てないクルトは結局ナチスに加担していく。 この消極的希望がクルトを見えなくしていたのね。 亡命を決意し粛清と戦うには不安を越える何かが必要なのかも。 熱く演じるけど冷めて届くという舞台だった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/63548

■阿修羅城の瞳2003

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:市川染五郎,天海祐希,夏木マリ,高田聖子,劇団☆新感線 ■新宿バルト9,2015.4.11-(2015.4.11収録) ■人間道と修羅道が交わる物語です。 人と鬼の戦う因果が省かれてるので修羅を取り巻く怨念や情念の弱さはあります。 又つばきが阿修羅に成長変身した時のインパクトがない。 修羅王のイメージをどう出すか? 天海祐希も戸惑っているようにみえました。 しかしこれらを越える面白さがあります。 愛し合うが殺し合う二人、出門とつばきの存在感ある演技、それを取り巻く鶴屋南北・安倍晴明など個性豊かな役者たちの速いテンポとリズミカルな展開が素晴らしい。 この種の物語は劇画でも目にしますが舞台の動的な特長が遺憾無く発揮されていました。 あっ、というまの3時間でした。 *ゲキXシネ作品 *作品、 http://www.geki-cine.jp/ashura-jo03/

■クロードと一緒に

■作:ルネ=ダニエル・デュボア,演出:古川貴義,出演:松田凌,唐橋充,山口大地,鈴木ハルニ ■シアタートラム,2015.4.17-23 ■客席は若い女性でいっぱい。 殺人で自首した男娼イヴを刑事たちが事情聴取する話なの。 会話はモントリオールの通りの名前や時刻など固有名詞や数値を繋ぎ合わせて反復するからコンガラカルゥ! 取調べはいっこうに進まない。 イヴは何か隠しているからよ。 そして後半に入りイヴは被害者クロードとの愛を独白し始めるの。 「美しい、とろけるようだ、・・」。 ・・。 科白は甘い言葉が散りばめられているけど舞台はとても淡泊だわ。 そしてそのまま幕が下りてしまった。 大事な台詞を聞き洩らしたのかしら? 独白場面がクライマックスにはみえない。 判事や大臣の話は脇道よね。 刑事もイヴも演技は燃えていたから原作に原因があるのかしら? イヴはまだ何か隠している・・。 観客が身動ぎもせず緊張感を持って観ていたのが異様だった。 「・・の穴」のセリフが多かったからネ。 *作品サイト、 https://www.zuu24.com/withclaude2015/index.html

■ウィンズロウ・ボーイ

■作:T・ラティガン,翻訳:小川絵梨子,演出:鈴木裕美,出演:小林隆,中村まこと,竹下景子,森川由樹 ■新国立劇場・小劇場,2015.4.9-26 ■粗筋を読まないで劇場に行ったのですが、これは正解でした。 次男ロニ・ウィンズロウが窃盗容疑で海軍兵学校を退学させられる話です。 家族はロニーの無実を晴らすため行動を起こし裁判に持ち込む・・。 第一次世界大戦前夜、ウィンズロウ家族は夫の年金・兄の大学中退・姉の婚約と破談そして窃盗容疑など暗い話が続いていきます。 でも彼らの社会に向かっていく行動力がその暗さを吹き飛ばす。 そして家族は裁判を仲介して海軍つまり国家と対峙していきます。 一人ひとりの国民の権利を蔑ろには出来ない。 これは国家より先行するものである。 先日「 追憶のアリラン 」を観ました。 おなじく裁判で無罪になる話です。 「追憶・・」で描き切れなかったことが今回は少なからず言及されています。 それは法や権利、人権や正義の問題です。 時代や背景は異なるのですが、20世紀日本の戦争を題材にした芝居は辿りつけないもどかしさがいつもあります。 日本の戦争を語る時これらの問題は論外だからでしょう。 モートン弁護士が涙した理由を姉キャサリンが尋ねたところで終幕になります。 ウィンズロウ家族に英国人権史をみた舞台でした。 ところで姉や兄、家政婦など周辺をかためる役者たちがよかった。 劇場演劇研修所修了生らしい。 これからが楽しみですね。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150401_003732.html

■追憶のアリラン

■脚本:古川健,演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ ■東京芸術劇場・シアターイースト,2015.4.9-19 ■1945年、朝鮮総督府平壌地方法院検事局検事豊川千造は人民裁判で無罪になる。 無罪理由は説明されません。 朝鮮人同僚・友人との良き付き合いが裁判側組織を動かしたと考えるしかない。 個人が組織に影響することを問い直そうとする芝居に見えました。 家族を殺された憎しみが相手民族や国家に広がるのを防ぐにはどうしたらよいか? 夫を日本軍に殺された証人の妻は言っています。 豊川は殺す側の組織の重要な一員だから有罪であると。 しかし組織ではなく個人を優先した。 広がる憎しみを回避する、劇団が出した一つの答えでしょう。 チラシに1868年から1953年迄の朝鮮半島年表が載っています。 この100年があまりにも異常だったことを芝居は思い出させてくれました。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater080/

■NHKバレエの饗宴2015

■指揮:園田隆一郎,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■NHK・Eテレ,2015.4.12 4作品で 昨年の同番組 より絞り込んでいる。 それぞれが競合しないので作品の特長がよく見える。 しかも流れに起承転結を意識でき日本バレエの一つの断面を見せてくれた。 企画が練れていたと言ってよい。 ■「パキータ」、振付:M・プティバ、出演:牧阿佐美バレエ団 日本的な雰囲気が微かに感じる。 手首から指先にそれが表現されている。 スペイン風衣装がこれとまざりあっていてヨーロッパからずれた面白さがある。 楽しく観ることができた。 ■「SUPERNOVA」、振付:金森穣、音楽:黛敏郎、出演:NOISM1、渡辺玲子(バイオリン) ダンサーたちの距離感が絶妙である。 スパイダーマンのようなネットリした動きがバイオリンと同期している。 顔を隠す衣装が人形を連想して人間世界から離れていく感覚が出ている。 生の舞台で観てみたい。 ■「カルメン」から抜粋、演出:篠原聖一、出演:下村由理恵バレエアンサンブル ドラマチックバレエ?はあまり見たことがない。 大筋は知っているが感情表現が連続しているので意味を追ってしまいダンスの楽しさが減ってしまった。 もっと概略化してもよいとおもう。 ■「 眠りの森の美女 」から第3幕、振付:W・イーグリング、出演:新国立劇場バレエ団 これは素晴らしい。 パワーを隠し、技で勝負している。 バレエを観る喜びを教えてくれる。 初台を離れると全力を出し切ってくれる。 * NHK サイト、 http://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=455

■湖上の美人

■作:G・ロッシーニ,指揮:M・マリオッティ,演出:P・カラン,出演:J・ディドナード,J・D・フローレス,D・バルチェッローナ ■新宿ピカデリー,2015.4.11-17(MET,2015.3.14収録) ■歌唱量で圧倒される感じね。 アリア、二重唱や三重唱が程よく分散されていて作品にリズムがあった為かもしれない。 ディドナードとフローレスはいつものコンビだけど、バルチェッローナとオズボーンも素晴らしい歌唱だった。 ディドナードがオズボーンを意識しているのがみえて楽しかったわ。 指揮者も若くて活きがよかった。 舞台はとても暗い感じがするの。 原作者も演出家もスコットランド出身でしかも喜劇ではないからだとおもう。 三人がエレナを愛してしまうのも珍しい。 だから一人をズボン役にしたのかしら? それともコントラルトの位置づけかしら? 一幕は物語が非連続的に前進するけどもっと短くしてもいいかもよ。 ロッシーニを聞くと体重が軽くなるわね。 *METライブビューイング2014年作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_09

■運命の力

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:J・L・ゴメス,演出:E・サージ,出演:I・タマ,Z・トドロヴィッチ,M・D・フェリーチェ,K・ケモクリーゼ,松位浩 ■新国立劇場・オペラハウス,2015.4.2-14 ■序曲を聞きながら王侯貴族の名前が書かれている赤色の紗幕を見ているとスペインの過去に吸い込まれていくようだわ。 運命の力とは何か? 事象の多くが偶然なの。 銃の暴発も戦場での出会いもそして終幕の三人の再会もね。 「偶然の力」+「宗教の力」=「運命の力」の式は19世紀も揺がない。 でも「物語の力」が弱いから誰が主人公かわからない。 三人が揃って舞台に登場することが一度も無かった(?) 二人が逃げ隠れたため兄カルロの「復讐の力」が舞台に充満してしまったの。 アルヴァーロの「歌唱の力」が物語から外れてしまっていたのも理由よ。 背景ではプレツィオジッラがジプシーや兵隊の群衆を、ガァルディアーノ神父が短いけれど心に響く、「対話の力」で巧くまとめていた。 レオノーラが息絶える終幕のアルヴァーロの心は読めなかった。 でも上記の式の強さがアルヴァーロを越えて迫ってくるのは、時代を受け入れたヴェルディの「職人の力」かもしれない。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150402_003711.html

■マハゴニー市の興亡

■台本:B・ブレヒト,作曲:K・ワイル,指揮:M・ウィグルスワース,演出:J・フルジェームズ,出演:C・ライス,A=S・V・オッタ,K・シュトライト ■新宿バルト9,2015.4.2(ROH,2015年収録) ■終幕には舞台がコンテナで一杯になるの。 積み上がった直方体のくすんだ色がお見事。 映し出される映像も狂乱の街を華やかに塗り上げていた。 そして叙事的演劇の延長のような叙事的歌唱で1930年世界を呼び寄せているのが最高ね。 作られた現実から本質を捉えようとする面白さがある。 でもカネ・酒・セックスが剥き出しで共振し過ぎているかもよ。 「三文オペラ」より直截でブレヒトとワイル両者の顔がよくみえる。 ワイルがブレヒトを炙り出したのね。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2014シネマシーズン作品