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■ファーザー

■振付:ピーピング・トム ■世田谷パブリックシアタ,2017.2.27-3.1 ■老人ホームが舞台です。 全うな人生を歩んできた人でも時空が歪む境界かもしれない。 それが率直に舞台に現れている。 そしてあのクニャクニャ踊りが! 突然踊りだす。 生と死の非連続性を感じさせます。 これで「 A LOUER 」のクニャクニャ踊りよりエントロピーが増大してしまい流れが一層バラバラになってしまった。 場面間をもう少し意味ある繋げ方にしたほうが謎が深まって面白さが出たと思います。 トムの舞台は劇的な入口に立てるのですが中に入っていけないもどかしさがある。 身体崩壊が肉体を意識させるからでしょう。 同じような場面が多い寺山修司とは違います。 ところで日本の役者は今回も世田谷住民の人でしょうか? 一味違う香辛料が入ったような舞台にしていました。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201702vader.html

■出口なし  ■芝居

■作:J=P・サルトル(出口なし),S・ベケット(芝居),演出:寂光根隅的父,美術:野地恵梨子,劇団:双身機関 ■こまばアゴラ劇場,2017.2.25-27 ■大陸弾道弾の先端から頭を出している3人にみえた。 高さ3メートルはある。 暗い舞台に慣れてくるとサーカスのテントの頭からと言ったほうが似合う。 顔だけの3人は死体のように白くてほぼ動かない。 喋っているのはテントの中にいる役者の声らしい。 真っ暗な中で聞く3人の愚痴のような科白は耳の奥底までしっかり伝わってくる。 力強さがある。 役者の喋りを音楽と照明が支援している為もある。 「他人は地獄だ」。 役者の声を聞いていると人間関係にへばり付いている具体の言葉に聞こえる。 サルトルを直に触ったような舞台だ。  そのまま「芝居」に続いていく。 「出口なし」の声の役者が上から顔を出している。 入れ替わり死体顔を演じた役者の足が下のほうにみえる。 ストーリーも死者になる前の過去に遡っているようだ。 二つの作品の比較ができて面白い。 同じ舞台環境なのに「芝居」は言葉が身体に届いていない。 切れ味が悪いのだ。 さすが「出口なし」はサルトルの脂が乗っている時期の作品だと感心してしまった。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/3520

■コッペリア

■音楽:L・ドリーブ,振付:R・プティ,指揮:P・マーフィ,演奏:東京交響楽団,出演:小野絢子,福岡雄大,L・ボニーノ,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラパレス,2017.2.24-26 ■調べてみたら一度もこの作品を観ていなかった。 「ホフマン物語」など似た作品が沢山あるので違いしていたのね。 でも期待していた人形がシックリ来なかった。 人形をバレエの振付で踊らせるのは大変だからよ。 この為か主人公三人が人形で分断されて物語の流れも悪い。 これを見通してか振付はバレエというよりダンスに近い。 クラシカル・チュチュも似合わない。 中途半端に陥りバレエの面白さが半減している。 舞台はローラン・プティらしいフランスが一杯ね、街の風景はイマイチだけど。 衛兵や町娘の衣装や振付をみているとフランス映画や絵画を思い出してしまう。 ダンサーたちは余裕がみえてよかったわ。 池田理沙子にも会いたかったけど次の機会ね。 *NNTTバレエ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/151224_007966.html

■海神の社、ワダツミノヤシロ

■作・演出:野中友博,劇団:演劇実験室紅王国 ■ウッディシアター中目黒,2017.2.22-28 ■舞台は中央に神棚があり壁には紙垂が下がっている。 20世紀初頭の淡島の漁村が舞台です。 漁民の多くは海の守護神である淡島綿津見神社(わたつみじんじゃ)を信仰している。 他に隠れキリシタンもいる。 そこへ天照大神を祭神とする国家神道の神祇官が内務省から派遣されてくる。 天皇家祖先神以外を拒否する派遣神祇官と村の神職や隠キリシタンの間で争いが起きるが海神が登場し混乱を鎮める話です。 しかし時すでに遅く、戦争が迫るなか漁民たちにも召集令状が来て彼らは戦場へ向かうことになってしまう。 宗教に疎いので意味が分からない台詞も多くあったが面白く観ることができました。 演出家はキリスト教信者らしい。 彼の分身である教授葛城は信仰の自由を語り、民を結集するため宗教が国家と結びついていく時代を危惧する舞台になっています。 八百万神の神道を一つに集約し世界の一神教と対峙させるのが国家の狙いでしょう。 因みに舞台に仏教は登場しない。 たぶん「神」を重視しないので議論し難いのかもしれない。 この劇団は初めて観たのですが宗教を題材にすると芝居の核心に近距離で迫れますね。 宗教と舞台芸術は同根だからでしょう。 *劇団サイト、 http://www5e.biglobe.ne.jp/~kurenai-/wadatsumi-promo.html

■メディア

■作:エウリピデス,演出:レオニード・アニシモフ,劇団:東京ノーヴイ・レパートリ-シアタ- ■TNRT,2016.2.16-25 ■役者は顔の中心だけを白塗りにしている。 「アンティゴネ」と同じだ。 この白塗りは神妙不可思議な世界に連れて行ってくれる。 ただしメディアと乳母は塗っていない。 そのメディアは四つ這いで舞台を這い回り一度も二本足で立たない。 みつめる9人のコロスは遜色のない存在感で物語を区切っていく。   王クレソンと夫イアソンは舞台では出会わないし王娘グラウケも登場しない。 その分を含めてメディアと王クレソン、夫イアソンとの対話は簡素だが核心をついている。 メディアはイアソンの行動を一度は肯定するが結局はクレソンとその娘を毒殺し自身の息子二人も手にかける。 しかし彼女の血肉を伴う感情は欠片もみえない。 復讐心の凄まじさが静かに伝わってくるだけである。 事件は語られるだけだ。 メディアの叫びは静寂な空間に響いていくだけである。 *第27回下北沢演劇祭参加作品 *劇団、 http://tokyo-novyi.muse.weblife.me/japanese/pg553.html

■たくらみと恋

■作:F・V・シラー,演出:L・ド-ジン,劇団:マールイ・ドラマ劇場 ■世田谷パブリックシアタ,2017.2.18-19 ■舞台はなにもない空間から始まるが、ストーリーに合わせて脇役が椅子や机を運んでくる。 終幕ではいつのまにか宴会用の机が並べられキャンドルや花が置かれてドイツ大公の結婚式場になる。 修飾の少ない科白が観客を舞台に集中させる。 それは美術・照明・音楽にも現れている。 衣装はモノトーンで統一され役者の歩き方はロボットのような正確さがある。 あらゆる無駄を省いているようだ。 しかし幕開きの娘ルーゼが歩き回りそこへ大臣の息子フェルディナンドが飛び込んでキスをする場面は躍動感があり素晴らしい。 それと大公愛人ミルフォードが登場して数回机上で踊るのだが動きに違和感がなくて感心した。 秘書ヴルムをフェルディナンドが銃で脅す場面、ルイーゼの父ミラーがフェルディナンドからカネを渡されるところなどは緊張したいが突飛に始まり深まらないで宙づりにさせられる。 ルイーゼにミルフォードが過去を話す場面は一番の見どころだった。 そしてフェルディナンドがレモネードにヒ素を入れてルイーゼに飲ませるクライマクスには驚きである。 彼の性急な行動が突然芝居を終わらせてしまう。 企みも恋も膨らまなかったホットケーキのようだ。 いや最初からパンケーキだったのかもしれない。 役者はしっかりしていてさすがドラマ劇場だけはある。 肉を剥ぎ取り骨で勝負している感じだ。 ソビエトを引きずっている30年前の芝居を観ているような感覚もあった。 *劇場サイト, https://setagaya-pt.jp/performances/201702takuramitokoi.html

■鷹姫、ケルティック能

■原作:W・B・イェイツ,作:横道萬里雄,演出・出演:梅若玄祥*1,M・マクグリン,出演:アヌーナANUNA(ケルティック・コーラス) ■Bunkamura・オーチャードホール,2017.2.16 ■「ケルトの神秘と能の幽玄が溶け合う!」。 チラシに書いてあったけど程遠い内容だった。 残念ね。 アヌーナ(ケルティック・コーラス・グループ)が歌唱部を受け持つかと思っていたけど、地謡から囃子まですべてが舞台に揃った能楽が強くなりすぎた。 能の集中とアヌーナの拡散が出会えずコーラスが薄くなってしまったからよ。 字幕も中途半端だった。 カーテンコールで日本の曲を二つ歌ったけど後の祭り。 1回限りの公演だからしょうがない(?) *1、 「鷹の井戸」(2010年) *作品サイト、 http://www.plankton.co.jp/takahime/index.html

■お勢登場

■原作:江戸川乱歩,作・演出:倉持裕,出演:黒木華,片桐はいり,水田航生,川口覚,粕谷吉洋,千葉雅子,寺十吾,梶原善 ■シアタートラム,2016.2.10-26 ■乱歩8作品のオムニバスだが迷路のように繋がっている。 時代が前後しながら主人公お勢が姿を変えて登場します。 お勢は同一人物なのかよく分からない。 お勢のような女はどの時代にも保護色を纏い生活していたのだという話にみえる。 彼女は本心をあまり見せない。 盲老人を穴に落とす場面も衝迫過ぎて心の内が掴めない。 彼女の全体像は周囲にいる人々のイメージから形作られていきます。 この作品で一番の推理どころかもしれない。 「押絵と旅する男」を初めて読んだ時のゾッとする感じが伝わってこない。 乱歩の怪奇や幻想、推理からくるゾクゾク感は薄い。 でも8作品を上手く混ぜた面白さは出ています。 再構築していく作業で演出家が一番楽しめたのではないでしょうか。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201702osei.html *追記17.2.15、ブログを書き終わったあと劇場でもらった「せたがやアーツプレス」を読んでいたら演出家と黒木華が「退屈」について話していた。 そういえば演者が退屈だと何回か言っていたのを思い出した。 近頃は雑音のような退屈ばかりで本当の退屈を忘れてしまっていた。 「退屈」を耳にしても素通りさせてしまったらしい。

■マクベス

■作:W・シェイクスピア,演出:益山貴司,振付:長谷川寧,演奏:石原雄治,劇団:子供鉅人 ■本多劇場,2017.2.10-12 ■ドラムが鳴り響き群衆が登場する始まりの場面は劇的です。 しかもマクベスが女優で夫人が男優は再びの驚きです。 台詞も舞台に似合わず重さがあってとてもいい。 しかし女マクベスと女形夫人はどうもシックリこない。 宝塚や歌舞伎がなぜ同性でペアを組むのか? 答えはみつからないが分かる気がしました。 そして何とコロスが114人も登場するとは! 只々呆気にとられるだけでした。 後半はマクベス夫妻の不在に捕まってしまう。 夫人はあっけなく死にマクベスも魔女の予言通りに動いていく。 「マクベスと夫人の二人芝居を、・・100人の観察者が覗いている演出にしたい」。 しかしマクベス夫妻の不在の存在を押しのけて観察者が舞台を覆ってしまった。 カーテンコールの拍手が弱い。 筋がみえなくなり観客は戸惑ってしまったからでしょう。 台詞の重みも蒸発してしまった。 *第27回下北沢演劇祭参加作品 *劇団サイト、 http://www.kodomokyojin.com/macbeth/

■フィーバー・ルーム

■感想は、 「 フィーバー・ルーム 」

■仕事の流儀、倉本聰

■NHK,2017.2.6 ■「仕事の流儀」は録画をしておき略毎回見ている。 今回は倉本聰である。 彼は演出家というより脚本家のようだ。 北海道の富良野で活躍していることも聞いていた。 北海道へ行った理由もこの番組で知った。 実を言うと彼の舞台は一度も観たことが無い。 調べてみたら映画もテレビドラマも無い。 彼は言う。 「自分の力で書いている時はプロではない」。 「何かが書かせてくれた時に素晴らしい作品ができる」。 創作の仕事に携わる人ならこのような状況が来るはずだ。 あらゆる仕事でこの種の経験が得られることも確かである。 仕事の奥義だろう。 「出会い」と言ってもよい。 番組では「やすらぎの郷」と「走る」の制作過程が映し出されていた。 脚本を練る時に登場人物の履歴書を作る方法は面白い。 役者への駄目出しを見て演出家としての拘りがどこにあるのかも分かる。 現実を深く考える作品のようだが「やすらぎの郷」も「走る」も観に行くことはないだろう。 その芝居を観に行くかどうかはチラシ等を見て瞬時に判断しチケットを購入する。 上手く言えないが、喜怒哀楽の現実を超えた何モノかが役者の身体を通してリアルに現前する舞台かどうかの判断である。 観る前だからビビッと脳味噌が身体が感じるしかない。 観客として「何かが書かせてくれた時」と同じ方向に在る何モノかを求めているのかもしれない。 *NHKサイト、 http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0206/index.html

■ナブッコ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:J・レヴァイン,演出:E・モシンスキ,出演:P・ドミンゴ,L・モナスティルスカ ■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.2.4-10(MET,2017.1.7収録) ■ライブビューイング初登場ということで行ってきた。 ヴェルディの若さが一杯ね。 インタビュでもヴェルディ出世作に係わる話が多い。 宗教と戦争が背景にあり合唱が多いから表層を駆け抜けるような作品に感じる。 そのぶん感動が遠ざかるのはしょうがない。 同年令のワーグナーのことを思い出してしまったの。 同じ頃の「さまよえるオランダ人」は解析的な深みを持っている。 ワーグナーが3次元スカラーならヴェルディのこの作品は2次元ベクトルで出来ているようだわ。 ドミンゴとリュドミラ・モナスティルスカの年老いた父と横柄な娘は適役にみえる。 しかも彼女のベクトルある歌唱がヴィルディの若さを一層強調していた。 *METライブビューイング2016作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2016-17/#program_04

■蝶々夫人

■作曲:G・プッチーニ,指揮:P・オーギャン,演出:栗山民也,出演:安藤赴美子,R・マッシ,演奏:東京交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2017.2.2-2.11 ■ローマ建築のような長い階段と壁に映る人影、そこに日本人歌手が登場してどこか和洋折衷の面白さがある舞台だった。 いつもの蝶々夫人とは一味違う。 日本人歌手の歌唱からは背景にある日本100年生活史の匂いが次々と湧き起こってくるの。 例えばピンカートンに見せる蝶々の大事な小物一つ一つに付着している意味、僧侶ボンゾの改宗より共同体から外れていく非難、その続きにある青い目の子供への差別、そして芸者としての座敷での芸妓の苦しみの話等々。 観客の雰囲気に湿り気感があったのはこの為よ。 ピンカートンが登場する時の舞台奥にたなびく星条旗が強すぎる。 蝶々は米国の法律や契約を論ずるがそれは生活からみた違いからなの。 星条旗は国家を思い出してしまい蝶々の「クニ」とは落差が大きい。 それは彼女を苦しめ且つ観客も戸惑ってしまう。 でもこの生活の重みでソプラノ殺しの歌唱が冴えていた。 「歌唱はドラマの流れに沿って、感情の流れとともにあるのが理想」。 安藤赴美子のインタビュー通りね。 そして子供の使い方も上手かった。 これで蝶々が我が子に語る最後の歌詞も母としての重みが出ていた。 *NNTTオペラ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/151224_007958.html

■世界会議

■演出:小池博史,美術:栗林隆,衣装:浜井弘治,映像:飯名尚人,音楽:下町兄弟,太田豊,徳久ウィリアム,出演:清水寛二,松島誠,白井さち子,谷口界,荒木亜矢子,立本夏山,吉澤慎吾 ■吉祥寺シアタ,2017.1.28-2.5 ■自然の王である熊が亡霊を呼び出すところから始まる。 亡霊とは毛沢東、ガンジー、マザーテレサ、南方熊楠、ジャンヌダルク、空海、ヒトラー。 最初は亡霊と科白が一致しているが舞踏や能、ヒップホップなどを次々と繰り広げる舞台はむしろダンス・パフォーマンスに変わっていくの。 観ていながら色々な作品を思い浮かべてしまった。 「会議は踊る」亡霊会議へ、仮面を被ると「続・猿の惑星」のミュータント、踊りまくる姿はマギー・マランの「メイB」、熊は「天守物語」の獅子頭・・。 ディエゴ・リベラのことが書いてあったけどまさに聖と俗、生と死が混沌としていく「メキシコ万歳」に繋がる。 大きな月にひらがなは日本的だが枯れた向日葵はメキシコの風景ね。 そしてサックスの音色がこの舞台にとてもマッチしていたわよ。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/78714