2014年2月28日金曜日

■ジュエルズ

振付:G・バランシン,出演:ボリショイ・バレエ団
■イオンシネマ系,2014.2.26-27
「エメラルド」「ルビー」「ダイアモンド」の三部構成。 落ちぶれた街のキャバレーで踊っているような美術や衣装ね。 作品名から言ってもこれは想像できる。 1967年作だけど50年前の古さが犇々と感じられるわね。
でも音楽と振付の写像関係は揺るぎない。 さすがバランシン。 そして女性ダンサーの鋼鉄の靭やかさには脱帽ね。 「ルビー」が一番気に入ったわ。 「ダイアモンド」はバランシンの力が入り過ぎた。 「エメラルド」はまあまあね。
古さが感じられる他の理由に女性ダンサーの笑顔があるの。 ロイヤル・バレエ団は作られた笑顔だけど、ボリショイ・バレエ団は日常の笑顔なの。 観ていて日常生活が出てしまうのよ。 これが舞台に時間を持ってきてしまうのね。
*ボリショイ・バレエinシネマ作品
*主催者サイト、http://bolshoi-cinema.jp/

2014年2月25日火曜日

■アルトナの幽閉者

■作:J=P・サルトル,演出:上村聰史
■新国立劇場・THEPIT,2014.2.19-3.9
■幕開きからフランツが登場する迄はつまらない。 過去を語る力が弱いからだ。 原作が現代と状況がズレているからでは? しかしフランツと彼の部屋が舞台に出現した途端、一気に別世界に飛べた。
別世界とは去年観た「熱狂」「我が友ヒトラー」、そして「あの記憶の記録」の時代である。 この作品はあの記憶のもう一つの物語に位置づけられる。 しかし3作品とは違う。 科白がすんなり脳味噌に入らない。 言葉と役者の間がリニアではない。
後悔の念に駆られる?フランツだが父は責任を回避している。 「戦争はただ人を殺すだけのことだ」と。 クルップよりみえ難い。 二人が自死する理由は幾つか考えられるがまとめられなかった。 ヨーロッパ上流階級からみたあの記憶が見えない。
成程ヴィスコンティ的雰囲気も微かに感じられる。 これはブルジョア出身のサルトルから発散されているようだ。 父とベンツでスピード体感を味わったこと、そしてポルシェで自殺をする終幕も劇的である。
長女レニの衣装が頂けない。 カーディガンが場違いにみえる。 カーディガンは家族の匂いがする。 演出家は家族を出したかったのだろう。 でもドイツ富豪の戦争の傷跡が貧弱になってしまった。 ヨハンナの衣装も台無しである。
ところでフランツがソビエトから逃げる場面でプロパガンダの幕が降りてきた。 観客に文章を読ませるとは最悪である。 高揚感がここで途切れてしまった。 ここは科白で通さないとリズムが狂う。
■劇場サイト、http://www.atre.jp/14daltona/

2014年2月23日日曜日

■白鳥の湖

■作曲:P・チャイコフスキ,振付:M・プティバ,指揮:A・バクラン,演出:牧阿佐美,出演:長田佳世,奥村康祐,新国立劇場バレエ団
新国立劇場・オペラパレス,2014.2.15-23
休憩後のオディールの登場から俄然良くなったわ。 そして畳み込むようなリズムで終幕まで突っ走った感じね。 王子はなかなかのハンサムで素敵だったわよ。 これからが楽しみね。 二人とも物語を重視すると言ってたけど、これもこれからね。
舞台は湖が遠くに見える高台の洞窟の中で踊っているみたい。 湖が遠いので物語が離れてしまったわ。 これは何とかしなくちゃ。 城内を含め新国特有の抽象的客観的な舞台の作りだから物語を醸し出すのは大変ね。
このためか音楽にとても依存して観ることになるの。 今回は音楽が物語を紡ぎだしているのがよくわかった。 ひさしぶりにチャイコフスキを堪能した感じね。
*NNTTバレエ2013シーズン作品

2014年2月22日土曜日

■さいあいシェイクスピア・レシピ

作・演出:スズキ拓朗、出演:tamagoPLIN
シアター・トラム、2014.2.21-23
子供向けかな? 中身は万人向けね。 芝居に踊りに歌に演奏に手品やパフォーマンスそして書道とぎっしり詰まっているの。 衣装や美術を含め手作り感が一杯。 このハンドメイドが温かみと賑やかさのある舞台を出現させているのね。 素敵だわ。
交通事故で母を亡くした父と娘の日常生活に、娘と野菜たちのシェイクスピア劇を上演する劇中劇もアッと驚く面白さがある。 シェイクスピアの解釈も遊び心と豊富な媒体で表現されて、楽しさの中にホロッとさせられる場面もあり目が離せない。
父と娘の現実の厳しさもコミック的に演じられていたけど、終幕に父が首をつるのは内向きすぎる。 もう少し社会に向けてのアッピールも必要ね。 でも多くの表現方法を取り込んでいながら上手くまとめあげているのは素晴らしい。 楽しみな劇団になるわね。

2014年2月19日水曜日

■A LOUER/フォー・レント

■演出:ピーピング・トム*1
世田谷パブリックシアタ,2014.2.17-18
血色の緞帳と市松模様の汚れた床を見て胸がドキドキしました。 異様さはありますが違和感が伴う舞台です。 でも感動は少ないですね。 寄せ集めのような流れが高揚感を遠ざけています。 そして場面間の繋ぎ方が荒いからでしょう。
役者たちのドタバタ動き回る軽喜劇調が悪夢への入口を閉ざしています。 ダンサーたちのクニャクニャ踊りは大したものですが、やり過ぎです。 でも最初に登場した召使の踊りや日常の身振りはキレも存在感もあって参りました! 女優二人もいいですね。
歌う場面が数回ありましたがこれも素晴らしい。 世田谷住民たちも抑えが効いていました。 材料は揃っているのに大事なモノをポロッと落としてしまったような、もったいない感じがする舞台でした。

2014年2月17日月曜日

■しあわせな日々

演出:藤田康城、出演:ARICA
横浜赤レンガ倉庫1号館ホール、2014.2.14-16
舞台は瓦礫の山。 この瓦礫がウィニのゆっくりな喋りに彩りを添えたようね。 そして祝祭的日常に持って行くことができた。 でもこの芝居は途中でとても疲れてくるの。 なぜ疲れるか? もちろんそれは身動きがとれないから。
多くの舞台は早口かつ詩的な喋りでこの疲れを乗り越えるの。 今回のユックリ感は有りかもね。 転形劇場出身の彼女は身体にある種のリズムが刻み込まれているのかもしれない。 ウィリもウロウロしていてよかったわよ。
新訳と美術や照明がベケットの豊かさを再び持ってきてくれた舞台だった。 でも、雪が残っている港は風が冷たい!

2014年2月14日金曜日

■花子について、能「葵上」狂言「花子」三島由紀夫「班女」より

演出:倉持裕,出演:片桐はいり,西田尚美,近藤公園ほか
■シアタートラム,2014.2.5-16
生霊ダンスの「葵上」はオドロオドロしていません。 ダンサーが巧すぎるからです。 生霊の取り付くしまがなかったのでしょう。 布や衣装と風の効果は上手い。 そして黒光りのタイルのような床は現代の寂しさが表れていました。
「花子」は狂言DNAが進化して現代社会に溶け込んだようにみえます。 背景の零細企業や溶接工は画期的です。 溶接場面をここまで描くとは前代未聞です。 社員や家族の生活も結構リアルに感じました。
「班女」の待つ女と待たない女の違いは愛の存在有無だと言っています。 しかし愛より待つことが目的化するのは情報社会の必然でしょう。 現代は待って待ちながら人は死を迎えるのです。 片桐はいりの硬さのある女の無念が2作品を豊かにしていました
個々の作品が繋がっているというより、男女のもつれが一つ一つ地層のように積み重なっていくような舞台でした。 ところで斜めの大きな壁はこの劇場の基本形になりそうですね。 舞台の凸型欠点がみえなくなり新鮮さがあります。
*現代能楽集Ⅶ

2014年2月12日水曜日

■ARCHITANZ

新国立劇場・中劇場,2014.2.11-12
2月度は4作品を上演。
①OPUS131(振付:アレッシオ・シルヴェストリン)
両足立ちのようなアティチュードはギリシア女神の姿なのか? このパターンが最後まで崩れないで続く。 ベートーヴェンもアタッカだと言っている。 しかし連続から来る心地よさは少ない。
曲の粘りが強すぎて女性ダンサーが鈍く感じるからだ。 二人の男性ダンサーはこの粘りから自由にみえる。 これがポリフォニーを破壊するユニゾンなのか? 古典主義を行ったり来たりしているような舞台であった。
ところで「OPUS」「25年目の弦楽四重奏」と舞台や映画で上演されているが作品131は流行りなのか? 
②マノン・寝室のパ・ド・ドゥ(出演:ロバート・テューズリ、酒井はな)
さて舞台に目を移すと、・・既に終わっていた。
③火の鳥のパ・ド・ドゥ(出演:同上)
もっとジックリと観たかったな。
④HAGOROMO(振付:森山開次、出演:津村禮次郎、デワ・アリット)
最初、三者の差異に違和感があったがどんどん引き込まれていく。 それはガムラン音楽がとても効いていたからだ。 能のリズム感をより積極的に感じさせている森山の動きも面白い。セルリアンタワー能楽堂などでの津村禮次郎とダンサーの共演は聞いていたが、初めて観ることができて嬉しい。 本日の収穫である。
*チラシ、http://www.a-tanz.com/A4_outside_ol-01.jpg

2014年2月9日日曜日

■ソチ冬季オリンピック開会式

■フィシュト五輪スタジアム,2014.2.7
広い会場で照明と映像を駆使する場合はテレビで見ても奥行きが感じられないので効果がわかりません。 オリンピックはこの二つをふんだんに使うのが今後の流れですか? それに今回の開会式は物語が弱かったですね。
原始の鯨から聖ワシリー大聖堂のような風船、ペテルブルク行進、ロシアアバンギャルド、大戦、ロケットやジェット機、そしてモスクワの横断歩道の人と車・・。 テーマであるロシア史の表現が淡白だったのが原因でしょう。 批判反省は無く賛歌も抽象的です
2012年ロンドンオリンピック開会式での産業革命の煙突公害、子供病院GOSH、国民保険サービスNHSの展開とは雲泥の差です。 とくに1990年以降のロシアがハッキリと表現されていなかったのがボヤケの原因です。
S・ザハロフ、I・ワシーリエフ、A・ネトレブコなどロシアバレエ・オペラの第一人者が出演していましたが会場が広いので歌手の方が影響がありますね。 これも含めロシア音楽の重さが前面に出ていてさすがです。
又IOCバッハ会長の演説が具体的で記憶に留まりました。 他に聖ワシリー大聖堂を背景にボリショイ・サーカス団などが踊る場面、聖火の点火場面の二つが印象的でした。
*主催者サイト、http://www.sochi2014.com/en

2014年2月8日土曜日

■リチャード二世

演出:G・ドーラン,出演:D・テナント,RSC
■イオンシネマ,2014.1.10-2.9
スピードとリズムがなんともいえないわね。 耳に心地良い科白はさすが本場シェイクスピアだわ。 祭り事が大部分の為かあっさり感もある。 これだけの出来事を詰め込んで2時間半の上演だから動きが取れないはずよ。
舞台はリチャードと貴族や民衆の溝がよく見えない。 そしてオーマール公の陰謀を許す場面、終幕の罪の償いのため巡礼を誓う場面ではボリングブルックの心の内が読めない。 王権神授説を含め物語情報を持っていることが前提のようね?
テナントのハムレット人気は分かる気がする。 今日の舞台でもダントツだった。 照明を駆使した何もない舞台が速いテンポを助長していた。 スワン劇場の雰囲気も良かったわ。

2014年2月5日水曜日

■FLYING BODIES

監督:中野裕之、出演:青森大学新体操部
アップリンク、2014.1.25-2.7
体操部学生たちの溌剌とした動きは楽しかったですね。 でも映画の出来は良いとは思えません。 それは練習が本番の流れと切り離されていたことや、演出家ダニエル・エズラロウや衣装の三宅一生の意図がよく見えなかった為です。
海とそこの生物表現は素晴らしかったのですが、従来の新体操との差異が少なかった事も理由です。
今年正月、テレビで日体大「集団行動」の練習風景をたまたま観ました。 これが結構面白かった。 歩くだけで脇の下が赤く腫れ上がるのは考えられない練習量です。 しかし終盤に技術的完成の域に達しているのもかかわらず失敗が発生する。
この原因が学生たちにはわからない。 ここで監督は練習時に観客を招いてこれを克服します。 観客の力の凄さを見せつけられました。 この観客の力を受け入れられる学生の力も凄い。 日体大は軍隊方式のようで青森大との組織のあり方が逆です。
ですから青森大の学生たちや監督の「真の姿」が少しでも垣間見られたなら日体大と比較できて面白かったはずです。 残念ながらスポーツの肝心な部分を見せてくれない作品でした。

2014年2月3日月曜日

■シーザーの戦略的な孤独

作・演出:矢内原美邦,出演:ミクニヤナイハラプロジェクト
吉祥寺シアタ,2014.1.30-2.2
激しい動きと速い喋りが続いたあと、役者三人が椅子に座る場面があった。 この時靄が晴れたようだった。 身体の動きを伴わない台詞はこんなにもリズムがあり脳裏に響くのか! 俄然面白くなる。
その後再び動作が激しくなっていったがこの差の違いに驚く。 そして「前向き!タイモン」が何故つまらなかったのかこの時わかった! 役者間での余裕の無い激しい身体動作と早口が言葉を壊してしまっていたのだ。
物語は近未来にみえる。 観ながらいろいろな作品を思い出してしまった。 「幼年期の終わり」「ストーカー」「燕のいる駅」・・、SFテーマは<新人類発生>と<境界越え>の二点であろう。 この二つは定番である。
演出家の挨拶文を読んで題名の意味するところが分かった。 人間関係から発生する孤独と、先の見えない境界を越える時の孤独を表現したいようである。 シーザーは前者の孤独だったのかもしれない。
「前向き!タイモン」はダンスだったがこれも芝居への途中である。 次作もあの速さの動きと喋りで続けるなら、身体と科白の新しい関係を観せてくれ!

2014年2月1日土曜日

■又

振鋳・演出:田村一行,出演:大駱駝艦
壺中天,2014.1.31-2.9
静と動の比率が2:8くらいかな? 現代舞踏は動を多くしないと観客がついて来ないのかもしれない。 というより演出家は存在より動を重視しているのか? ともかくこれが上手く混ざり合っていて作品に統一感があった。 ダンサーは男4人女4人。
物語はあるようだがダンサーの身体を前にして観客が勝手に想像するしかない。 この想像力で時空を飛び回ることができるか?で舞踏の良し悪しがわかる。 この舞台では勝手に縄文時代迄遡ることができた。 これも存在感を前面に出さない結果である。
田村一行はダンサーとしても舞台に立っていたが、四つん這いに歩く、衣装を食べるところ等々触覚感覚を伴っていて中々のものであった。 ひさしぶりの大駱駝鑑だが身体が生き返った観後感であった。