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■ジークフリート

■作曲:R・ワーグナー,指揮:F・ルイージ,演出:R・ルパージュ,出演:J・H・モリス,D・ヴォイド ■109シネマズMM横浜,2012.1.21-27(MET2011.11.5収録) ■まるで対話を歌っているようだわ。 これがワーグナーなの? しかも全幕が暗い色調だから歌に集中できた。 父母は誰か? さすらい人とミーメの三つの質問のやり取りなど一幕から流れの良さで物語にすんなり入っていける。 でも第二幕もこの調子でいったから飽きてしまった。 大蛇を倒した後の一時はもっと明るい舞台にしたら気分が変わったのに。 ルパージュの独特な湿度と粘着ある舞台が続くと気が重いわね。 しかし全編にわたり「どこからきたのか?どこへ行くのか?そして自分は誰なのか?」が漂っている舞台と意味深のセリフは他のオペラと違った面白さがある。 ブリュンヒルデとのやり取りは複雑過ぎるけど。 モリスは感情をセーブしているようで力強さがイマイチね。 静かさのあるジークフリートだわ。 ヴォイドとのキスシーンでは口を拭きすぎね。 顔を汚したくないのはわかるけど。 それに恐れを知った表現もぎこちない。 だから若モリスと言われるのね。 *METライブビューイング2011年作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2011-12/#program_03

■ある女

■作・演出:岩井秀人,出演:ハイバイ ■こまばアゴラ劇場,2012.1.18-2.1 ■主人公タカコの男遍歴が物語です。 映像が都度上映されて男たちと出会った経緯や思想的背景などを説明します。 そして舞台はタカコと男たちとの性的なストーリーが展開します。 映像は外向けの話で舞台はウチ向けのようです。 脳味噌でいうと映像は前頭連合野で作り、舞台は大脳基底核や間脳に直結する内容です。 しかし舞台が進行してもこの映像と舞台は出会いの経緯以外の繋がりが見えてきません。 セクリ小林との対話は面白かったのですが、セックスはすぐに日常生活に組み込まれ慣れてしまうものです。 ですから鮮度が重要です。 舞台が盛り上がらないのはこの映像との分断、セックスの日常的慢性化が原因です。 これを打破するには映像と舞台つまり連合野と基底核の劇的融合、または第二第三のセクリ小林を登場させるしかありません。 もちろんハイバイとしては前者を選択し劇的感動の舞台を提示すべきでした。 *劇場、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2012/01/hibye/

■ファウスト

■作曲:C.F.グノー,指揮:Y・N・セガン,演出:D・マッカナフ,出演:J・カウフマン,M・ポプラスカヤ,R・パーペ ■新宿ピカデリー,2012.1.14-20(MET,2011年収録) ■グノーのオペラよ。 場面の切替や物語の進み方は滑らかで終幕まで一気通貫の舞台だったわ。 メフィストフェレス「金の子牛」、ファウスト「この清らかな住まい」など知られている歌は舞台の雰囲気とピタリと一致していたしね。 カウフマンは「よく知っている」とゲーテへの共感を言ってたけどパーペも同じだとおもう。 マッカナフは「オペラもミュージカルも同じだ」の考えが面白さを倍増したのかもしれない。 でも群衆は多過ぎて固まってしまい躍動感が無かったのが残念ね。 カメラの動きは舞台全体を撮影する回数も増えていて「 ロデリンダ 」よりよくなっていた。 登場人物の多少に係わらず「映画芸術」を前面に出さず記録として撮影して欲しいわね。 もっと舞台を想像したいからよ。 幕開きの広島ドームや原爆研究員の白衣の人物達の煩雑な登場も3.11など昨年の出来事に絡めて印象深かったわ。 ワルブルギスの夜の原爆には驚いたけど。 時代に過敏で賛否はあるかもしれないけどとても面白い演出だった。 *METライブビューイング2011作品 *作品サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2011-12/#program_06

■島

■作・演出:小池博史,出演:パパ・タラフマラ ■森下スタジオ・Cスタジオ,2012.1.13-15 ■登場は二人だけで60年代の海のある地方のようだ。 プレトークで故郷の風景を描いたものだと説明があった。 タイトルの島、鳥や姪は抽象の世界で、鶏や猫の鳴き声、食事の具体と対をなしているように見える。 セリフを繋ぎあわせても物語は朧気だ。 前回観た「 三人姉妹 」と同じように身体の暖かみを感じさせる舞台である。 しかしダンス、セリフ、発声、小道具はバラバラだ。 統一できた楽しさは見えてこない。 他作品との繋がりを考えたり回顧する観客には重要な位置づけかもしれないが、一回限りの観客からみると物足りない。 *CoRiche、 http://stage.corich.jp/stage/31063

■今日と明日の間で

■監督:小林潤子,出演:首藤康之,中村恩恵,小野寺修二,斎藤友佳理,シディ・ラルビ・シェルカウイ ■東京都写真美術館,2012.1.7-29(日本,2011年作品) ■観ながら熊川哲也を思い出してしまいました。 首藤康之とはコミュニケーションの質の違いでしょう。 資本主義の時代を生きていく限り、他者とのコミュニケーションを通して職業上特に戦略で重要な決定をする必要があります。 大分文化会館で「舞台から客への、客から舞台へのコミュニケーションが・・」と言っていますが今一番求めるものとは違うはずです。 だから「空白に落ちた男」で小野寺修二と「アポクリフ」でシェルカウイと本当の話し合いは無かったのではないでしょうか? 「時の庭」や「今日と明日の間で」は首藤の長所を生かした踊りです。 新作は素晴らしい。 振付が中村恩恵ですが新作の話などが彼女から聞けなくて残念でした。 前回の「ソネット」でも首藤を引き立てていましたから良き相棒のようです。 しかし今の首藤には戦略の構築が必要です。 中村恩恵とは違った世界の相棒も増やす必要があります。 「夢中になって打ち込んでいけば」でも良いのですがまだ十分に間に合います。 *作品、 http://kyo-asu.com/

■ロデリンダ

■作曲:G.F.ヘンデル,指揮:H・ピケット,演出:S・ワズワース,出演:R・フレミング,A・ショル ■新宿ピカデリ,2012.1.17-13(MET,2011.12.3収録) ■「大劇場には合わない作品だ」と言っているのがわかるわ。 舞台は締りがなくて小道具は過剰だからよ。 映画だからアップが多くてこの欠点が見えにくかっただけ。 でもバロック・オペラって観ていても心が丸くなっていく感じがして素敵ね。 歌詞の繰り返しが多いから歌手のあらゆる面での力量が発揮できるはず。 特にグリモアルドのJ・カイザーは安定感ある職人のようで彼を中心として歌唱が進んでいるようにみえたわ。 後半になるほど演技も冴えてきたしね。 カウンターテナーはヘンデルそしてバロックを飛び越える異形の力があると思っていたけどサプライズ不足だわ。 でも清くて高貴な声質だから怒りや裏切りの歌には似合わない。 終幕に歌う「寛大な心がお前を救った・・」も残念だけどだめね。 ところでシェン・ヤンに「独裁政治が、残酷な行為が王国を保たせる・・・」を歌わせるなんて皮肉かしら。 *METライブビューイング2011年作品 *主催サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2011-12/#program_05

■星の結び目

■作:吉田小夏,演出:黒澤世莉,出演:時間堂 ■こまばアゴラ劇場,2011.12.22-12.1.2 ■「ストレートプレイの醍醐味を」と書いてあるチラシの通りであった。 細かな物語が散りばめられていて登場した人々を結びつけていくので 「星の結び目」と言うのだろう。 ストーリーは逆で戦争に翻弄されバラバラになっていく人々の様子が描かれている。 氷問屋の主人と丁稚、海外起業、帝大出の番頭、大陸花嫁、代議士とのお見合いなど興味ある話が続く。 着物の柄、蝋梅や枝垂れ梅の良し悪し、お花見・蛍狩りの行事、ドロップや金平糖の菓子が当時の生活の想像を助けてくれる。 しかし幕開きの3人を残して多くの人の物語は額に飾られてたまま幕が降りてしまった。 それだけ戦争の傷跡が大きかった。 でも生きている者は死んだ者にも星と同じに結べることができる。 新年早々このような芝居を楽しめてとても良い気分だ。 ところで途中から数回にわたり梅子が解説をというか心情を話し始めたがこれは不要だ。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage24441_1.jpg?1409536278