投稿

ラベル(舞踊)が付いた投稿を表示しています

■ミッドナイト・ソウルズ

■振付:カロリン・カールソン,音楽:エリック・ソイヤー,フィリップ・グラス,出演:ユーゴ・マルシャン,キャロリーヌ・オスモン,ユハ・マルサロ他 ■NHK・配信,2026.6.1-(アヴィニョン教皇宮殿中庭,2025.8収録) ■「現代アーティスト、ジャン・ミシェル・オトニエルの作品をもとに創作された特別なダンス」とクレジットに表示される。 教皇宮殿と思しき高壁の前には、レンガを積み上げた廃墟のような彫刻作品が広がり、その表面は金塊のように光を放っている。 これがオトニエルのインスタレーションなのだろう。 男性ダンサーがその廃墟の中で踊り始める。 手や指先の細かな動きを中心に、仕草とも記号ともつかない振付が連なっていく。 強い風が吹いているらしく、衣装が大きくなびき、宮殿と廃墟の風景に不思議な生命感を与えていた。 舞台が進むと女性ダンサーが加わり、デュオが展開する。 さらに数名のダンサーが背景を歩き回り、そのうちの一人はレンガを抱えて移動している。 日常の所作を抽出したような振付だが、具体と抽象が交錯し、激しい動きも混じり、雑多さがむしろ魅力となっている。 観後に調べると、マレーネ・イヨネスコ監督の映画「至高のエトワール、パリ・オペラ座に生きて」でも、カールソン振付の「シーニュ」が紹介されているという。 照明は明暗の対比が鮮やかで、宮殿と彫刻作品を幻想的に浮かび上がらせていた。 そこに風が吹き込むことで、ダンスがまるで<生きている>かのように感じられる。 カメラワークも的確で、美術作品との60分にわたる共演は成功したと言えるだろう。 *NHK、 https://www.web.nhk/tv/an/premium/pl/series-tep-MRQZZMYKMW/ep/ZY28X44P69

■古城でコラボ

■振付・ダンス:勅使川原三郎,佐東利穂子,演奏:庄司紗矢香(無伴奏バイオリン・パルティータ第2番(バッハ),無伴奏バイオリンソナタ(バルトーク)) ■NHK・配信,2026.5.25-(フランス・シャンプラトゥル城,2026.2.16収録) ■フランスの古城を舞台にした、ダンスとヴァイオリン演奏のコラボレーション映像である。 前半は絵画や彫刻が飾られた豪奢な室内、後半は地下の牢獄を思わせる空間へと移り、二人のダンサーの身体は場の質感とともに変化していく。 しかし、カメラは演奏者とダンサーを頻繁に切り替えながら追うため、画面が目まぐるしく変化し、舞踊の連続性が断片化されてしまった。 結果として振付の像が十分に立ち上がらず、身体の流れがつかみにくい。 演奏と舞踊の双方を等しく捉えようとする意図は理解できるが、その<欲張り>が、舞台映像で定評のあるはずのNHKらしさをかえって弱めていたように思う。 古城の空間と二人のダンサーは背景として処理され、最終的には庄司紗矢香の演奏が主役として強く残る構図となり、コラボレーションとしての均衡が崩れてしまったが、それでも十分楽しめた。 *NHK、 https://www.web.nhk/tv/an/premium/pl/series-tep-MRQZZMYKMW/ep/WJNP8PRMZM *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、勅使川原三郎 ・・ 検索結果は10舞台 .

■ウルフ・ワークス

*下記□の三幕を観る. □I NOW,I THEN(「ダロウェイ夫人」より) □ビカミングズ(「オーランドー」より) □火曜日(「波」より) ■演出・振付:ウェイン・マクレガー,音楽:マックス・リヒター,照明:ルーシー・カーター,衣装:モーリッツ・ユンゲ,映像:ラヴィ・ディープレス,出演:ナタリア・オシポワ,ウィリアム・ブレイスウェル,クレア・カルヴァート他 ■TOHOシネマズ日本橋,2026.5.15-21(ロイヤル・オペラ・ハウス2026.2.9収録) ■ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」「オーランドー」「波」をそれぞれ一幕として構成し、三幕を通して一つの作品世界を立ち上げている。 そこにナタリア・オシポワがウルフ役として全幕に登場し、三つの物語を貫く意識の流れを象徴的に結びつけていた。 三幕はいずれも振付・照明・衣装・映像のアプローチがまったく異なり、それぞれに独自の質感と世界観がある。 それでいて全体としてのまとまりもよく、久しぶりに心が高ぶる舞台体験となった。 特に音楽が素晴らしく、意識の揺らぎや流動性をそのまま音に乗せたように耳に届く。 作曲家の言葉、「どこかで聴いたようで思い出せない」旋律が続いていく。 一幕冒頭ではウルフ本人の声が流れる。 確か、英語という言語そのものについて語る録音だったと思う。 振付家が「ウルフの文体はダンスに通じている」と語っていたが、その言葉に違和感はない。 二幕では「性の狭間で揺れ動く」ダンサーたちが、レーザー光が飛び交い電子音が響く近未来的な空間で激しく踊る。 三幕が開くと、ウルフが入水自殺する直前に夫レナードへ宛てた遺書がマギー・スミスの声で読み上げられる。 「・・もう戦うことができません」。 その一文が、彼女の人生の苛烈さを静かに突きつけてくる。 背後に映し出される海の波のスローモーション映像、遠くで聞こえる子どもたちの声、それらすべてが懐かしい意識の層へと観客を導き、私たちを彷徨う旅人にさせる。 複雑で豊かな時間を生きたような、深い余韻が残った。 *英国ロイヤル・バレエ&オペラシネマ2025作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/105022/

■3つの視点、モーリス・ベジャール

*以下□の3作品を観る. □ディオニソス組曲■音楽:マノス・ハジダキス,出演:オスカー・シャコン,フェデリコ・マテテイッチュ,オスカー・フレイム他,(3作品ともに振付:モーリス・ベジャール,舞団:ベジャール・バレエ・ローザンヌ舞踊団) □これが死か■音楽:R・G・シュトラウス,出演:イエロニマス・クリヴィツカス,大橋真理,ソレーヌ・ビュレル他 □マラルメⅢ■音楽:ピエール・ブーレーズ,出演:イ・ミンギョン,岸本秀雄,武岡昂之介ほか ■NHK・配信,2026.4.27-(ローザンヌ・ボーリュ劇場,2025.6.19収録) ■タイトル「3つの視点」は、異なる時代・地域の三つの音楽を通して、バレエを多角的に見るという意図を示しているのだろうか。 シュトラウス以外の二人の作曲家は、私にとって初めての名前である。 「ディオニソス組曲」は、ギリシャ民衆の生活を背景に〈神と人間〉の交流を描く。 伝統的なリズムが随所に感じられ、「クレタ島はなんと美しいのか……」という歌も印象的だ。 ベジャール・バレエとギリシャ神話は本来相性が良いはずだが、この作品では民衆の生活や祭礼など多くの要素が盛り込まれ、やや散漫な印象を受けた。 「これが死か」は、春夏秋冬の四人のダンサーが登場し、〈人間の一生〉を象徴しているように見える。 シュトラウスの歌曲集「四つの最後の歌」が流れ、ストーリーと振付が巧くまとまっていた。 ベジャールは言う、「バレエは時間の芸術だ」。 バレエにも生と死があるのだろうか。 「マラルメⅢ」はアジア的な雰囲気をまといながら、何かの象徴を提示しているのだろう。 現代音楽を用いているが、振付が具体的であるため、音楽との抽象度の差がやや噛み合わない印象を受けた。 続くインタビュー映像で、ベジャールは「(三作を)改めて見ると陳腐に感じる。 残しておきたいものは少ない」と語る。 今日の三作は、音楽とバレエの関係を積極的に探ろうとする試みが見えるが、完成度の高い「ボレロ」と比較すると、試行錯誤の段階にあったのかもしれない。 「私が後生に記憶されるなら、ダンスへの関心を復活させたことを語られたい」。 この言葉で幕が下りる。 もちろん、私の脳裏にはベジャールの名前がこれからもしっかりと刻まれ続けていくだろう。 *NHK、 https://www.web.nhk...

■フレンズ・オブ・フォーサイス

■振付:ウィリアム・フォーサイス他■出演:ラフ・"ラバーレッグズ"・ヤシット,マット・ラック,ライリー・ワッツ他 ■新国立劇場・小劇場,2026.3.25-29 ■「THREE QUIET DUETS」がコロナ禍で中止になったのは2022年のことだった。 そのためフォーサイス舞踊団の公演を最後に観たのは「ザ・フォーサイス・カンパニー2006」まで遡る。 過去の記録を読み返すと1999年公演「ウィリアム・フォーサイス&フランクフルト・バレエ団」Bプロ「仮定された流れ2他」が最高の舞台だったと書き残している。 しかし、いずれも20年以上前のことで、記憶はすでに薄れつつある。 今回の公演はフォーサイス舞踊団の元メンバーたちが、なお進化を続ける身体表現を見せてくれるという。 客席はアリーナ型で視界が開けとても観やすい。 6人のダンサーが入れ代わりながら密に絡み合い、離れてはシンクロし、互いの身体を撫でるようにしながら、親密さを帯びた振付が展開していく。 小節の切れ目と思われる瞬間には照明が一瞬だけ落ちる。 この振付に既視感を覚えた。 井出茂太である。 イデビアンクルーの舞台を思い出し、つい比較してしまった。 井出茂太は繊細で、日本的な身体感覚を極めて鋭敏に表現していたことに気づく。 一方、今日の舞台は親密さを保ちながらも、どこか荒々しい身体性が前面に出ており、いかにも欧米的だ。 両者の身体感覚の違いを改めて意識させられた。 上演時間は60分と短いが、似た質感の振付が続き、やや盛り上がりに欠けた印象もある。 眼鏡をかけたライリー・ワッツ(と思われる)がバレエ的な動きを見せる場面があったが、このような要素がいくつか挿入されていれば、より変化が生まれたであろう。 そして、もしタイトルを伏せられたら、これをフォーサイスと結びつけることは難しい。 いやタイトルを伏せなくても結びつかなかった。 それほどまでに、フォーサイスは私にとって遠い存在になってしまったのだ。 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/dance/friends-of-forsythe/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、フォーサイス ・・ 検索結果は4舞台 .

■ル・パルク

■音楽:W・A・モーツァルト,演出:アンジュラン・プレルジョカージュ,指揮:ベンジャミン・シュワルツ,出演:アリス・ルナヴァン,マチュー・ガニオ他,演奏:パリ・オペラ座管弦楽団 ■TOHOシネマズ日本橋,2026.3.13-19(パリ・オペラ座ガルニエ宮,2021.3.9-11収録) ■この作品を初めて観たのは、2021年にNHKの配信でのことである。 ロココ時代の貴族を描いた舞台に、突然ゴーグルを付けた近未来的なダンサーが現れる。 その衝撃はいまでも鮮明に覚えている。 謎めいた不思議な世界観に強く惹かれながらも、作品の背景を深く調べることなく今日まで過ごしてきた。 今回、パリ・オペラ座 in シネマで上映があると知り、初めて作品の背景を調べてみた。 本作は、18世紀フランス貴族社会における男女の心の動き、理性から情動へと揺れ動く内面、を描いたものらしい。 ゴーグルを付けたダンサーたちは庭師の役割を担っており、日本でいえば人形浄瑠璃の遣い手のような存在とも言えるのかもしれない。 上映された映像は、振付家・劇場・出演者から判断して、5年前に観たものと同じであると分かった。 作品について知識を得てしまったためか、初見のときほどの強い感動はなかった。 しかしその分、プレルジョカージュ独特の振付や物語の構造を、より落ち着いて味わうことができた。 ドイツが理性、イタリアが情動を重んじる傾向があるなかで、理性と欲望の微妙な揺れを繊細に描く本作は、まさにフランスならではの作品と言えるだろう。 *パリ・オペラ座inシネマ、 https://tohotowa.co.jp/parisopera/movie/le_parc/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、プレルジョカージュ ・・ 検索結果は4舞台 .

■バレエ・コフレ2026

*下記□の3作品を観る. ■指揮:冨田実里,ピアノ:高橋優介,管弦楽:東京交響楽団,出演:新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラパレス,2026.2.5-8 □A Million Kisses to my Skin ■振付・美術:デヴィッド・ドウソン,音楽:J・S・バッハ ■雪が散らつき、外出するのが少し億劫だった。 それでも、せっかく手に入れたチケットを無駄にしたくないと自分に言い聞かせて劇場に向かった。 近頃、新国立劇場バレエ公演の人気は上昇しているようで、この数年は応募しても抽選に外れたことが何度かあった。 オペラや演劇では経験しないことだ。 この作品は、幕が上がった瞬間に心を掴まれた。 ただし、作品と自分の感覚が重なるまでには少し時間がかかった。 途中からようやく同期が取れ、ある種の恍惚感に浸ることができた。 伸びやかで張のある振付が心地よく、音楽も作品をしっかり支えていた。 馴染み深いバッハの「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」が流れ、バッハと現代バレエの相性の良さを改めて感じた。 デヴィッド・ドウソンという振付家は今回初めて知ったが、今後も注目していきたい。 □ファイヴ・タンゴ ■振付・美術・照明:ハンス・ファン・マーネン,音楽:アストル・ピアソラ,出演:奥田花純,井澤駿 ■黒一色の舞台に、黒と赤の衣装をまとったダンサーたちがタンゴ風のバレエを繰り広げる。 人間関係の機敏を描いているようだ。 奥田花純と井澤駿が主人公だが、身長差のためデュオの姿勢がややぎこちなく見える場面があった。 それ以上に気になったのは音楽が録音だったこどだ。 この劇場で録音に出会うのは珍しいが、今日の音響は残念ながら良くなかった。 特に低音が濁り高音は棘があり、ピアソラの音楽の魅力が損なわれてしまっていた。 前後の作品が生演奏だけに、その差がより際立ってしまった。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、マーネン ・・ 検索結果は2舞台 . □テーマとヴァリエーション ■振付:ジョージ・バランシン,音楽:P・I・チャイコフスキー,出演:米沢唯,速水渉悟 ■これまでに何度も観てきた作品だが、チャイコフスキーの音楽を聴くと、やはり三大バレエの世界を思い浮かべる。 これは「見る音楽」と称されるだけあって、終盤のダンサーたちの華やかな動きには圧倒される。 今日の公...

■カルメン

■原作:プロスペル・メリメ,演出:アントニオ・ガデス,カルロス・サウラ,出演:エスメラルダ・マンザナス,アルバロ・マドリード,ハイロ・ロドリゲス他,舞団:アントニオ・ガデス舞踊団 ■NHK・プレミアムシアター,2026.1.5-(マエスト・ランサ劇場,2025.9.6-7収録) ■この作品は、2011年にマドリード王立劇場で上演された舞台映像を過去に観ている。 素晴らしかったという印象だけは強く残っている。 今回、2025年9月にセビリアのマンスト・ランサ劇場で上演した映像が配信されていたので、改めて鑑賞することにした。 アントニオ・ガデス舞踊団の定番作品だからだろうか、どこを切り取っても無駄が無く、過剰な演出も一切ない。 乾いた雑巾を絞り切ったような、徹底した研ぎ澄ましが感じられる。 背景に流れるギター演奏や歌唱もダンスも完全に一体化しており、「ハバネラ」も「闘牛士の歌」も、まさにここぞという場面で響き渡る。 ダンスは切れ味抜群で、観ているこちらの背筋まで自然と伸びてしまうほどだ。 緊張感は常に高く保たれているが、時折笑いを誘う場面もあり、沈黙の使い方も効果的である。 照明の明暗も巧みに計算され、舞台全体の抽象化に成功している。 これらの結果、ダンサーの肉体が一種の象徴へと昇華され、深い芸術的感動が押し寄せてくる。 アントニオ・ガデス舞踊団の最新「カルメン」を観ることができ、とても満足した。 *NHK、 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025153957SA000/index.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、アントニオ・ガデス ・・ 検索結果は2ブログ .

■ショウメイコウ Show me a code

■作・振付・演出:平原慎太郎,演出:稲葉賀恵,出演:小川ゲン,長友郁真,薬丸翔,那須凛ほか,舞団:OrganWorks ■吉祥寺シアター,2026.1.10-18 ■ダンスというより演劇に近い舞台だった。 「・・芸術活動が極端に制限された国で芸術表現を試みる人々の苦悩を描いた」という物語背景があり、科白も豊富に盛り込まれている。 出演者は役者とダンサーが半々だが、ダンサーも科白を担っているようだ。 青と白で彩られた美術ギャラリーを思わせる舞台美術は、階段や広間が幾何学的に配置され完成度が高い。 平原慎太郎の、身体同士を絡ませながら粘り気のある動きを特徴とする振付にも十分耐え得る空間となっていた。 演劇とダンスが離散と融合を繰り返しながら場面が展開していく。 ダンスは、その瞬間の役者の心情や風景を可視化する役割を担っているようにみえる。 振付はストーリーと巧くみに絡み合い、物語が描く国家と個人の対立の激しさ、そこから生まれる喜怒哀楽を強く支えていた。 むしろ感情の振れ幅が大きい物語だからこそ、ダンスによる心情表現が自然に成立していたのかもしれない。 これは演劇とダンスが融合した<演劇ダンス>と呼ぶべき作品に近い。 平原慎太郎は近年、オペラ「浜辺のアインシュタイン」や「東京オリンピック開会式」など、異分野の振付を手掛けているが、今回のような    <演劇ダンス>を含め、今後も新たな表現に挑戦し続けて欲しい。 *劇場、 https://www.musashino.or.jp/k_theatre/1002050/1003231/1008319.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、平原慎太郎 ・・ 検索結果は9舞台 . *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、稲葉賀恵 ・・ 検索結果は4舞台 .

■くるみ割り人形

■音楽:P・I・チャイコフスキー,振付:ウィル・タケット,指揮:マーティン・イェーツ,出演:東真帆,奥村康祐,福岡雄大ほか,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.12.19-26.1.4 ■クリスマス公演の定番作品だが、近年は年初まで上演されるようになり、年末の多忙な時期を避けて観られるのは有難い。 しかもウィル・タケット振付による新作と聞き、期待してチケットを購入した。 新作の特徴としては・・ 1.チャイコフスキーの楽譜に書かれたシナリオに、より忠実に近づけていること。 2.作曲家が望んだとされる演奏速度に、より近づけていること。 3.「菓子の国」のディヴェルティスマンをすべて<菓子の踊り>に統一したこと。 舞台装置は凝っており、映像も多用されていて非常にカラフルだ。 「菓子の国」ではキャンディ・綿飴・ゼリー・ポップコーンなど多彩な菓子が登場し、どれもくっきりとした鋭い照明下で映えていた。 まるでディズニーランドに来ているかのような華やかさがある。 私は本来、質素ながら重厚な舞台、たとえば古い英国ロイヤル・バレエなどの様式、を好むため、今回はやや趣味から外れていた。 若い観客を惹きつける工夫がなければ、近頃は劇場運営も難しいのだろう。 主役のクララと助手(王子)はグラン・パ・ド・ドゥも無難に熟していた。 とくに群舞が素晴らしかった。 チャイコフスキーのバレエ音楽は楽しさと寂しさが共存しており、年末・・今年は年初だが、この時期に聴くには最適だ。 演奏も申し分無かった。 劇場は満席で、スタッフやキャストは大変だろうが、年初公演は成功すると確信できる。 当劇場のバレエ公演はオペラと比較して客層が真逆になる。 この日は若い女性が九割を占めていた。 ともあれ、今年の幕開けとして順調な舞台だった。 *NNTTバレエ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/nutcracker/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ウィル・タケット ・・ 検索結果は2舞台 .

■2025年舞台ベスト10

*当ブログに書かれた作品から最良の10本を選出. 並びは上演日順. 映像(映画・配信)は除く. ■ 宙吊りの庭   演出:金森穣,舞団:Noism ■ ソウル・オブ・オデッセイ   演出:小池博史,出演:小池博史ブリッジプロジェクト ■ 武文   出演:金井雄資,宝生欣哉,野村萬斎,劇場:国立能楽堂 ■ 想像の犠牲   演出:山本ジャスティン伊等,劇団:Dr.HolidayLaboratory ■ 加茂物狂   出演:観世清和,,福王和幸,福王知登,劇場:国立能楽堂 ■ レムニスケート消失   演出:小野寺邦彦,劇団:架空畳 ■ セザンヌによろしく   演出:今野裕一郎,劇団:バストリオ ■ りすん   演出:小熊ヒデジ,劇団:ナビロフト ■ 弱法師   演出:石神夏希,劇団:SPAC ■ 鼻血   演出:アヤ・オガワ,劇場:新国立劇場 *今年の舞台映像は,「 2025年舞台映像ベスト10 」. *今年の美術展は,「 2025年美術展ベスト10 」.

■2025年舞台映像ベスト10

*映像(映画・配信など)で観た舞台公演から最良の10本を選出. 並びは観賞日順. ■ マクベス   演出:マックス・ウェブスター,劇場:ドンマー・ウェアハウス ■ ハンマー   演出:アレクサンダー・エクマン,舞団:エーテボリ歌劇場ダンスカンパニー ■ 賭博者   演出:ピーター・セラーズ,指揮:ティムール・ザンギエフ,主催:ザルツブルク音楽祭 ■ 真面目が肝心   演出:マックス・ウェブスター,劇団:ロイヤル・ナショナル・シアター ■ 博士の異常な愛情   演出:ショーン・フォーリー,劇団:ロイヤル・ナショナル・シアター ■ サロメ   演出:クラウス・ゲート,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,劇場:メトロポリタン歌劇場 ■ ラインの黄金   演出:バリー・コスキー,指揮:アントニオ・パッパーノ,劇場:ロイヤル・オペラ・ハウス ■ ワルキューレ   演出:バリー・コスキー,指揮:アントニオ・パッパーノ,劇場:ロイヤル・オペラ・ハウス ■ 蝶々夫人   演出:ロバート・ウィルソン,指揮:スペランツァ・スカップッチ,劇場:パリ・オペラ座 ■ オルフェオとエウリディーチェ     演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,劇場:パリ・オペラ座 *今年の舞台は,「 2025年舞台ベスト10 」. *今年の美術展は,「 2025年美術展ベスト10 」.

■踊る。遠野物語

■演出・振付・構成:森山開次,出演:石橋奨也,大久保沙耶,尾上眞秀,麿赤児,田中睦奥子,森山開次,舞団:Kバレエ,大駱駝艦,演奏・歌唱:中村明一,磯貝真紀,菊池マセ ■BeilliaHall,2025.12.26-28 ■物語は、出撃前に許嫁を思いながら絶筆を残した特攻隊員の魂が遠野を彷徨い、彼岸と此岸の境界を飛び続けるというものだった。 舞台は驚きに満ちていた。 舞踏や、岩手県遠野に伝わる伝承をもとにした歌や踊りが入り混じり、独自の世界観をつくり上げているバレエ作品である。 最初は戸惑いながら観ていたが、次第にその世界に馴染んでいく感覚が心地よかった。 バレエと舞踏が融合していく様子が実に楽しい。 八百万の神々が舞台を導き、主人公の青年が飛行機のように舞台上を飛び回る。  これほど多様なジャンルを横断するバレエ作品は初めてかもしれない。 途中でストーリーがやや曖昧になったものの、遠野物語を絵巻を眺めているような豊かな時間を持てた。 終幕の鹿踊りは、あの世とこの世の境界を浄化するような力を感じさせた。 いつものダンスを観たという感動とは異なり、神々がもたらしてくれたような深い充足感を得ることができた。 *Kバレエ・オプト第3回作品 *劇場、 https://toshima-theatre.jp/event/001211/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、森山開次 ・・ 検索結果14舞台 .

■マレビトの歌

■演出:金森穣,音楽:アルヴォ・ペルト,衣装:堂本敦子,山田志麻,舞団:Noism ■彩の国さいたま芸術劇場・大ホール,2025.12.20-21 ■舞台は、金森穣と井関佐和子のデュオから幕を開ける。 断崖絶壁を思わせる背景の前に黒衣のダンサーたちが次々と登場し、鋭く切れ味ある動きで舞台に緊張感を深めていく。 振付は完成度が高く、これほど鍛え上げられた身体表現に出会える機会はそう多くないだろう。 一つ一つの動きには意味が込められているようで、作品に明確なストーリーが存在するらしい。 演出家の挨拶文には「個と集団、彼岸と此岸というここ数年の私の創作テーマ・・」、「マレビトとは・・、他界から訪れる霊的なナニモノカである」と記されている。 ただ、マレビトをテーマにしているにもかかわらず、いつ・どこで・だれが・なにを・どうしたのかが読み取れず、物語に深く入り込むことが難しかった。 観客側が想像力で補うことを求めらるようだ。 簡単な粗筋なり解説があれば、より舞台世界に近づけたのではないだろうか。 *劇場、 https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/104894/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、金森穣 ・・ 検索結果は41舞台 .

■ロボット、私の永遠の愛

■演出・振付・テキスト:伊藤郁女 ■新国立劇場・小劇場,2025.12.5-7 ■舞台上には6m四方の仮舞台が設けられ、そこに大小五つの四角い穴が開いている。 出演者はその穴から出入りし、道具類もそこから出し入れされる。 伊藤郁女による独舞である。 ピアノ演奏などを背景に、2016年初頭からの彼女の日記と思われる言葉が読み上げられる。 耳を傾けると、公演のための移動に追われる多忙な日々がみえてくる。 「休むことができない」。 空港や機内、タクシーやホテルでの遣り取り、両親との会話、子供の教育などが次々と語られていく。 「なにも無い時間が欲しい」と切実な声が響く。 伊藤はロボットのような振付で踊る。 コルセットの一部を顔や肩、腕や足に付けたり外したりしながら舞う姿はまるでロボットのようだ。 忙しく働くからロボットなのか、働き過ぎてロボットになってしまったのか、その両方が重なってみえる。 彼女はロボットの意志を受け入れ、自らロボットであることを選んだのではないか? タフな精神力を感じさせる踊りに、そう思わずにはいられない。 タイトルからもその印象が強まる。 「孤独について、死についてどう思うか?」。 途中、観客に重い問いを投げかける場面があった。 突飛な問いに一瞬戸惑ったが、それはロボットとの関連ではなく、彼女自身の日常から生まれた問いなのだろう。 観客の幾人かが柔軟に答え、その交流のなかで彼女はロボット的存在から抜け出していったように見えた。 60分という短い上演だが、 減り張りの効いた振付を十分に楽しめた。 師走を迎える前に心の燃料を補給できたような気持ちになった。 *NNTTダンス2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/dance/robot/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤郁女 ・・ 検索結果は3舞台 .

■ニューヨーク・シティ・バレエinマドリード

*下記□の3作品を上映. □セレナーデ■音楽:P・チャイコフスキー,振付:ジョージ・バランシン □スクエア・ダンス■音楽:A・コレッリ,A・ヴィヴァルディ,振付:ジョージ・バランシン □ザ・タイムズ・アー・レーシング■音楽:D・ディコン,振付:ジャスティン・ペック (3作共に出演:ニューヨーク・シティ・バレエ団,指揮:クロチルド・オトラント,アンドリュース・シル,演奏:レアル劇場管弦楽団) ■NHK,2025.10.20-(マドリード・レアル劇場,2023.3.23-25収録) ■「セレナーデ」はチャイコフスキーらしい旋律に沿った作品である。 彼のバレエ作品には寂しさが漂う。 ここが好きな理由なのだが、当作品は違い、温かみを感じさせる。 象徴的な場面もあり神秘的な雰囲気が印象的だった。 3作の中では最も心に残り、バランシンのロシア時代を思い起こさせる。 「スクエア・ダンス」は時代が遡る。 バランシンのニューヨーク時代の作品にちがいない。 彼の得意とする「プロットレス・バレエ」の典型と言えるだろう。 「ザ・タイムズ・アー・レーシング」は現代的な感覚に満ちている。 「ウエスト・サイド・ストーリー」を軽快にアレンジしたような印象を受け、振付家ジャスティン・ペックらしい斬新さが際立っていた。 ニューヨーク・シティ・バレエ団を観るのは数十年ぶりだ。 団は2023年秋に創立75周年を迎えたと知り、今回は創立者の一人である振付師ジョージ・バランシンを讃える意味合いも込められているのかもしれない。 *記事、 バレーニュースダイジェスト2023.10.13

■PLANET(wanderer)

■振付:ダミアン・ジャレ,美術:名和晃平,音楽:ティム・ヘッカー, 照明:吉本有輝子,衣装:スルリ・レヒト,出演:ショーン・アハーン,エミリオス・アラボグル,湯浅永麻ほか ■東京芸術劇場・プレイハウス,2025.11.1-3 ■・・銀色に輝く8人のダンサーが暗闇のなかを蠢くように動いていく。 彼らはゆっくりと身体を前後に揺らし、歩き、捩じり、くねらせる。 ノイズに近い信号のような音楽が流れ続けるが、途中には宗教的な響きを感じさせる旋律も挿入され、日本の雅楽のような音も聴こえてくる。 終幕、天井からドロドロした液体のようなものがダンサーに降りかかり、彼らの動きは静止する・・。 ・・! ダンスというより美術作品に近い印象を受けた。 まるで動く彫刻のようだ。 ダミアン・ジャレの作品は今回は初めてだが、名和晃平の作品は何度か鑑賞している。 ジャレと名和の力関係は分からないが、今回の舞台は名和の美術的な意向が強く反映されているように感じた。 ジャレの他の作品を観てみないと断言はできないが。 銀粉を纏ったダンサーのゆっくりした動きは、まるで異星人のようだ。 銀という色は宇宙を連想させる。 銀は未来、金は過去の象徴だ。 未来の人間はエイリアンとなり、暗い銀河を彷徨う存在になるのだろうか? 舞台を観ながら、そんな想像が浮かんできた。 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater376/

■THE LONG STRONG HAPPY DEATH

■演出:北村明子,音楽ディレクター:横山裕章,出演・振付:井田亜彩美,黒田勇,鈴木ユキオ他 ■シアタートラム,2025.11.1-3 ■観客層は女性が7割ほどだろうか。 学生と思しき若い人も多く見受けられた。 舞台が始まり、まず北村明子が登場する。 過去の舞台が脳裏に甦る。 彼女の舞踊は武術的な要素を感じる。 切れ味が鋭く加速度のみえる動きは、まるで武術の型のようだ。 詳しくはないが、そう思わせる力がある。 続いて7人のダンサーたちが舞台を駆け巡る。 時折、一人の老人が歌唱や詩の朗読をしながら歩き回る。 また、東南アジアらしい都市や海の風景が映像として映し出される。 しかし、ダンサーたちは切れ味のある動きを控えている。 むしろ日常の延長のような鈍くて激しい動きが多い。 子供が真剣にはしゃいでいるようにもみえる。 格闘を思わせるような挑発的な振付もあり、観る者に迫ってくる。 背景に映し出される静寂感のある詩句とは対照的なダンサーの動きに戸惑いを覚えた。 「此岸と彼岸の混ざり合う世界、微かな呼吸と音の粒が、ひとつのざわめきとして始まろうとしている」、・・、「声も名も持たない者たちが、ただそこに在る、何も共有しないまま、同じ空気を吸い、やがてそれぞれの夢へと帰っていく」。 これは資料に記されたストーリーの始まりと終わりである。 観終えた時、この激しく燥ぐ姿こそ<法>を外れたアジアの踊りであり姿なのだと、振付家がそう語り掛けているように聴こえた。 アジアの生と死の境界が舞台に甦ってきた。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/29734/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、北村明子 ・・ 検索結果は6舞台 .

■オルフェオとエウリディーチェ

■作曲:C・W・グルック,演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,舞踊:ヤン・ブリダール,マリ=アニェス・ジロ他,歌唱:マリア・リッカルダ・ヴェッセリング,ユリア・クライター他,舞団:パリ・オペラ座バレエ団,合唱:バルタザール・ノイマン合唱団 ■アマゾン・配信(パリ・オペラ座・ガルニエ宮,2008.2収録) ■ヴッパタール舞踊団が11月に来日するが都合がつかず観に行くことができない。 代わりに、と言っては語弊があるかもしれないが「オルフェオとエウリディーチェ」を観ることにした。 この作品はダンスに歌唱が加わった「ダンスオペラ」に分類される。 歌手も舞台に登場しダンサーに寄り添うように歌う。 12月の新国立劇場オペラ公演でも勅使川原三郎の振付でダンサーが登場する。 ダンスと相性が良いオペラ作品だ。 今日は映像で鑑賞したが歌唱の字幕表示が無かったのは残念。 粗筋は知っているものの、理解の深まりや感情移入が半減してしまう。 それ以上に驚いたのは、舞台の雰囲気がピナ・バウシュのイメージとは大きく異なっていたことだ。 振付家の名前が伏せられていたら彼女の作品だとは気が付かなかったと思う。 18世紀の作品を題材にしたことで、ピナ自身が現代作品と区別したのかもしれない。 1幕からギリシャ風の神聖な振付が続く。 象徴的な生と死、平和や暴力が描かれていく。 2幕ではワンピース衣装で踊る妖精たちの姿に、おもわずマーサ・グレアムを思い出してしまった。 これはマーサの舞台に近い? マーサは人間の不安や葛藤を抽象的で硬質な動きで表現する。 一方、ピナの振付には滑らかさがある。 マーサが<剛>ならピナは<柔>。 その違いがみえる。 そして終幕、オルフェオとエウリディーチェは結局生き返らなかったのだろうか? 結末が曖昧で戸惑いが残る。 それにしてもピナの新たな一面を垣間見たような舞台だった。 マーサ・グレアムとの比較ができたことも楽しい。 カーテンコールでピナが登場したことにも感激。 でも、彼女はこの翌年に亡くなってしまった・・。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ピナ・バウシュ ・・ 検索結果は3映像(含む関連舞台).

■キャストシャドウ

■演出:ラファエル・ポワテル,照明・美術:トリスタン・ボドワン,作曲:アルチュール・ビゾン,出演:ティア・バラシー,モハメド・ラリブ,ニコラ・ルーデル他,舞団:カンパニー・ルーブリエ ■世田谷パブリックシアター,2025.10.24-26 ■客席を見回すといつもの観劇時と違う客層が目についた。 老若男女は混ざり合っているものの、平均年齢は50歳を越えているように見受けられ、予想以上に高い。 服装も多様で統一感が無いのが印象的だ。 舞台は、暗さをはらんだ刺激的な照明と夥しいスモークで満たされた無彩色の空間で始まる。 天井から降りてきた網を使ってブランコを始める幕開きには緊張した。 科白が入り、どうやら家族問題を扱っているらしいことが分かってくる。 なかでも父と娘の関係が悪く「(父が)大嫌いだ!」と娘は言い放つ。 その理由は舞台では語られない。 家族会議、電話の受け答え、カウンセリング、立ち話など、些細な日常生活が展開していく。 しかし科白は断片的でストーリーの全体像は掴みにくい。 途中にダンスのような場面が挿入され、人物が走り回り、転げ回る動きが繰り返される。 場面展開は照明とスモークのみで行われる。 この二つの使い方は巧妙で、人物が突然現れたり消えたりする演出が可能になる。 特に、影を利用した動きは深みがあり面白かった。 しかし、こうした視覚的な演出が続くだけでは次第に飽きがくる。 終幕で父が発する「許してくれ、娘!」という科白も突発で、なぜ今その赦しを求めるのかその理由が語られないままだ。 昔ながらの照明の使い方とスモークを背景にした単純なダンス、断片的な会話、そして空中ブランコ・・。 古臭さは気にならないのだが、それ以上に舞台全体に「物足りなさ」を感じてしまった。 日常的な家族問題というテーマを扱ったことが、劇的な舞台表現として弱かったのかもしれない。 舞台上の「キャストシャドウ」は見応えがあったが、物語としての「キャストシャドウ」は不発に終わったという印象だ。 ところで、最初に受けた客層の違和感は、この舞団が持つ保守性(サーカス・家族・無彩色などからくるノスタルジー)と、どこか繋がっていたのかもしれない。 *世田谷アートタウン2025関連企画作品 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/25028/ *「フ...