■キャストシャドウ
■演出:ラファエル・ポワテル,照明・美術:トリスタン・ボドワン,作曲:アルチュール・ビゾン,出演:ティア・バラシー,モハメド・ラリブ,ニコラ・ルーデル他,舞団:カンパニー・ルーブリエ
■世田谷パブリックシアター,2025.10.24-26
■客席を見回すといつもの観劇時と違う客層が目についた。 老若男女は混ざり合っているものの、平均年齢は50歳を越えているように見受けられ、予想以上に高い。 服装も多種多様で統一感が無いのが印象的だ。
舞台は、暗さをはらんだ刺激的な照明と夥しいスモークで満たされた無彩色の空間で始まる。 天井から降りてきた網を使ってブランコを始める幕開きには緊張した。
科白が入り、どうやら家族問題を扱っているらしいことが分かってくる。 なかでも父と娘の関係が悪く「(父が)大嫌いだ!」と娘は言い放つ。 その理由は舞台では語られない。 家族会議、電話の受け答え、カウンセリング、立ち話など、些細な日常生活が展開していく。 しかし科白は断片的でストーリーの全体像は掴みにくい。 途中にダンスのような場面が挿入され、人物が走り回り、転げ回る動きが繰り返される。
場面展開は照明とスモークのみで行われる。 この二つの使い方は巧妙で、人物が突然現れたり消えたりする演出が可能になる。 特に、影を利用した動きは深みがあり面白かった。
しかし、こうした視覚的な演出が続くだけでは次第に飽きがくる。 終幕で父が発する「許してくれ、娘!」という科白も突発で、なぜ今その赦しを求めるのかその理由が語られないままだ。
昔ながらの照明の使い方とスモークを背景にした単純なダンス、断片的な会話、そして空中ブランコ・・。 古臭さは気にならないのだが、それ以上に舞台全体に「物足りなさ」を感じてしまった。 日常的な家族問題というテーマを扱ったことが、劇的な舞台表現として弱かったのかもしれない。 舞台上の「キャストシャドウ」は見応えがあったが、物語としての「キャストシャドウ」は不発に終わったという印象だ。
ところで、最初に受けた客層の違和感は、この舞団が持つ保守性(サーカス・家族・無彩色などからくるノスタルジー)と、どこか繋がっていたのかもしれない。
*世田谷アートタウン2025関連企画作品
*「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ラファエル・ボワテル ・・検索結果は2舞台.