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5月, 2018の投稿を表示しています

■ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ

■作:トム・ストッパード,演出:デヴィッド・ルヴォー,出演:ダニエル・ラドクリフ,ジョシュワ・マグワイア ■TOHOシネマズ日本橋,2018.5.25-31(オールド・ヴィック劇場収録) ■劇場では「ハムレット」を上演している。 そこでは裏にもう一つの舞台と客席を持っていて当作品を同時上演している。 表舞台の「ハムレット」の役者が裏舞台に時々現れる。 裏主人公ローゼンクランツとギルデンスターンは嫌々ながら彼らと演技を合わせていく。 ・・舞台構造をこのように捉えたがどうだろうか? また死と演劇を論じている芝居でもある。 確率から死を、関数から演劇を考えさせてくれる面白い手法を採っている。 コイン投げや言葉遊びから<信念の度合いを表す主観確率>という概念を用い、二人の来るべき死を予測している。 そして旅芸人たちが、演劇が持つ構造から本質を見せる<再帰的関数である劇中劇>を展開し「ハムレット」の練習や二人の死刑執行場面などを演じていく。 劇中劇は目眩と共に覚醒を呼び起こしてくれる。 しかし確率と関数はやはり、どうでもよい。 コメディアンな二人と対照的な「ハムレット」の役者たち、演奏をしながら旅をする芸人一行は抜群の組み合わせにみえた。  鵜山仁演出(2015年) の時は「ゴドーを待ちながら」を意識したが、今回は作品構造や科白の混沌、役者身体の活きの良さ、簡素な舞台美術と的確な衣装などなどナショナル・シアターの豊富な総合力を楽しむことができた。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *作品、 https://www.ntlive.jp/rosencrantz

■ヘンリー五世、嘆きの王冠ホロウ・クラウン

■原作:W・シェイクスピア,監督:テア・シャロック,出演:トム・ヒドルストン他 ■(イギリス,2012年作品) ■先日の「 ヘンリー五世 」を観た序でにDVDを取り寄せました。 ・・これは原作に忠実にみえます。 英語のリズムが心地よいからです。 とは言っても原作は読んでいません。 戦場兵士たちを鼓舞する場面が良く出来ている。 そういえば他監督作品も同じだったことを思い出してきました。 シェイクスピア史劇を本場の映画で観るのは楽しい。 DVDをみると、ヘンリー五世がキャサリンに求婚する場面でキスはしなかった。 先日の舞台では浦井健二と中嶋朋子は熱いキスをしていたが・・、演出とは便利なものです。 *映画comサイト, https://eiga.com/movie/86600/

■フィデリオ

■作曲:L・V・ベートーヴェン,指揮:飯守泰次郎,演出:カタリーナ・ワーグナー,出演:リカルダ・メルベート,ミヒャエル・クブファー=ラデツキー,ステファン・グールド,妻屋秀和ほか,管弦楽:東京交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2018.5.20-6.2 ■古ぼけたビルディングが舞台一杯に建てられている。 それを縦割りにして部屋々や牢獄が見える。 上階の歌手は見上げるようね。 そして演奏が始まった途端、あのベートーヴェンが牢獄に居る気配を感じたわよ。 迫りくる重圧・・。 最初は演出家の意図がみえなかったの。 娘マルチェリーネのままごと遊びもね。 おカネの話も沢山でてくる。 その現実が監獄の暗さと溶け合ってベートーヴェンの苦悩に繋がっていく。 素面な対話が途中に入るから拍手もできない。 呼吸をするタイミングも取れない。 歌手も下に向かって歌うからそれにつられて呼吸まで意識するのね。 でもビルディング1階(牢獄)からのフロレスタンの最初の一声は暗さを突き破った。 そして終幕の賛歌へと近づいていく。 まさに第九の合唱よ。 ステファン・グールドもリカルダ・メルベートも滑らず重みの有る声で締めくくったわね。 地下牢の囚人合唱団も迫力があった。 それにしても、なんてゴッツイ作品なんでしょう。 ストーリーも粗過ぎる。 謎も無い。 「偉大なベートーヴェンに慣れてしまったが・・、その奥へ迫りたい!」と指揮者は言っていたけど、ベートーヴェンの心の在り様がそのまま舞台に出現していた。 *NNTTオペラ2017シーズン作品 *作品サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/fidelio/

■チェーホフ桜の園より

■原作:A・チェーホフ,演出:レオニード・アニシモフ,出演:東京ノーヴイ・レパートリーシアター ■梅若能学院会館,2018.5.26 ■幕が開くまでどのような舞台になるのかイメージが湧かなかった。 能舞台を借りて「桜の園」を普通のように演じるのかな? しかし驚きのハズレだ。 役者の発声や摺足まで能を真似ている。 地謡も登場する。 能の雰囲気が漂っているが、もちろん能ではない。 科白と科白の間が生きている。 その空白は役者の身体に語らせるからだ。 和服のようにみえる衣装も素晴らしい。 アジア折衷衣装と言ってよい。 唸り声を静かに発しながら徘徊する爺やがまた面白い。 ほぼ舞踏だ。 橋掛かりでは、役者が別世界からやって来て再び帰っていくようにみえた。 そして少しずつ舞台に引き込まれていく。 前半の領主婦人と養女の喋り方が少し遅く少し高過ぎて違和感があった。 後半は良くなる。 それと商人が早足になった場面、また領主婦人と大学生の恋愛についての感情的な問答は折角の能的リズムが壊れてしまった。 感情的なところは別方法を考えてもよい。 この延長として娘と商人の結婚話が壊れる大事な場はもっと緻密な計算が必要だと思う。 終幕の爺やは徘徊を止め皆の後ろ姿を見送るだけでよい。  今日はいつも以上にチェーホフの色々なことを考えてしまった。 予想外の楽しさが詰まっていたからである。 *2018年ロシア文化フェスティバル参加作品 *劇団、 http://tokyo-novyi.muse.weblife.me/japanese/index.html

■ヘンリー五世

■原作:W・シエイクスピア,翻訳:小田島雄志,演出:鵜山仁,出演:浦井健二,岡本健一,中嶋朋子,立川三貴ほか ■新国立劇場・中劇場,2018.5.17-6.3 ■木材を積み上げた舞台は「 ヘンリー四世 」と同じですね。 今回はその続きでハル王子はヘンリー五世となりフランスへ進軍する話です。 シェイクスピア史劇はいつも混乱します。 ヘンリー何世か?どのパートか?分からなくなる。 調べると「ヘンリー五世」は映画で観ていました。 監督がローレンス・オリビエ(1945年作)とケネス・ブラナー(1989年作)の二本です。 詳細は忘れたがどちらも面白かったことは覚えています。 昨年公開した「 嘆きの王冠ホロウ・クラウン第4話 」(テア・シャロック監督、2012年作)は見逃してしまった。 舞台はあっというまに戦場に変わる。 フランス遠征に反対していた王がテニスボールで賛成に回る経緯は史実は別にして史劇の面白さがあります。 そして休憩を挟んで戦場場面が延々と続いていく。 フォルスタッフ旧友の登場や王の演説、観客に語りかけるコロスの起用もある。 それにしても熱気が感じられない。 劇場の広さも密度を薄くしている。 科白量の多い役者は別としてどこか冷めています。 脇役が持て余しているのも一因かもしれない。 戦争場面の難しいところですね。 少し騒めいたのはヘンリーがフランス王女キャサリンに求婚する終幕くらいでしょう。  でも英国人ならハーフラーやアジンコートの戦いは壇ノ浦や関ヶ原の合戦と同じようにハラハラドキドキしたはずです。 この舞台でも王が戦死した貴族や兵士の名前を一人ひとり読む場面が残っているので分かります。 *NNTTドラマ2017シーズン作品 *作品サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/special/henry5/

■NHKバレエの饗宴2018

*以下の□4作品を観る。 ■指揮:井田勝大,管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団 ■NHK・Eテレ,2018.5.20(NHKホール,2018.4.7収録) □「くるみ割り人形第2幕から」,振付:ウェイン・イーグリング,音楽:チャイコフスキー,出演:木村優里,井澤駿,新国立劇場バレエ団 ■シーズン作品の中から選ぶので「くるみ割り人形」になったのだろう。 今季作品の中では平凡だが妥当かもしれない。 ディヴェルティスマンのため夫々の場面を観客は楽しめる。 気に入ったのは「花のワルツ」。 一番バッターだから賑やかの方がよい。 □「Chimaira/キマイラ」、振付:平山素子,出演:小尻健太,鈴木竜,堀田千晶,平山素子 ■これは面白い! インタビューで平山は「・・現れ、解体し、違う何かに変わっていく」と解説している。 例えば組体操が崩れてしまったような、4人が喧嘩をしているような、・・ような。 一瞬「・・ような」意味が見えるが直ぐに消えていく。 身体も意味も流れとともに変容していく。 新作初演らしいが驚きの振付だった。 脳味噌が久しぶりにビビッと来た。 □「Flowers of the Forest」,振付:デヴィッド・ビントレー,音楽:アーノルド・ブリテン,出演:吉田都,マティアス・ディングマン,渡辺恭子,池田武志,スターダンサーズ・バレエ団 ■「多彩なステップで描き出すスコットランドの光りと影」とある。 背景の空模様は重く暗い。 男性衣装のガウンも見た目に重く感じる。 後半、光りと影が混ざり合い音楽のリズムに乗って重さは恍惚感を伴ってくる。 バレエを観る愉しみがあった。 □「ラ・バヤデールから影の王国」,振付:ナタリア・マカロワ,音楽:ミンクス,出演:上野水香,柄本弾,東京バレエ団 ■作品の佳境だが抜粋のため物語には入り難い。 でもバレエらしいバレエで幕を閉じたかったのは分かる。 みる機会が少ない人にはよいかもしれない。 フィナーレで上野水香は木村優里の挨拶を見つめていたが彼女のクララをどう見ただろうか? *NHKサイト、 https://www.nhk-p.co.jp/ballet/index.html

■サーカス

■演出:森山開次,美術:ひびのこづえ,音楽:川瀬浩介,映像:ムーチョ村松,出演:浅沼圭,五月女遥,谷口界,引間文佳,美木マサオ,水島晃太朗,宮河愛一郎 ■新国立劇場・小劇場,2018.5.19-27 ■客席を二つに分けた舞台はとても観やすい。 バレエ、ダンス以外にリボンやボールを使う新体操やジャグリングができるサーカス出身ダンサーも含まれているからとても華やかよ。 縫いぐるみなど小道具も数多く舞台に載せるから子供たちは大喜びね。 床面に映像を映してダンサーは動きを同期させていくの。 風景としての青空や雲や雨を映すのはよかったけど広げ過ぎるとサーカスの素朴な身体が隠れてしまう。 ダンサーと小道具だけの関係でも面白さは削がれない。  大人からみると空へ向けて飛び跳ねるウサギ団長やミラー娘のほうが面白い。 弱虫ライオンや黒雲芋虫のように地面を這うのは子供向きね。 でもすべてが一緒になったサーカスの混沌と目眩は十分に堪能できたわよ。 * 「サーカス」(森山開次,2015年) *NNTTダンス2017シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/33_009657.html *「このブログを検索」語句は、 森山開次

■ルイザ・ミラー

■作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ,演出:エライジャ・モシンスキー,指揮:ベルトラン・ド・ビリー,出演:ソニア・ヨンチェヴァ,ピュートル・ペチャワ,プラシド・ドミンゴ他 ■東劇,2018.5.19-25(MET,2018.4.14収録) ■原作の「たくらみと恋」は読んでいないの。 なので物語にぐいぐい引き込まれていく。 特に1幕の展開は素晴らしかった。 またキャストの個性がばらけているのも観ていて楽しい。 日常の延長にいる娘ルイザのソニア・ヨンチュヴァ、老練な父ミラーのプラシド・ドミンゴ、ルイザの恋人ロドルフォ役は円熟期のピュートル・ペチャワ。 ペチャワは鉄を枯らした錆びのような豊かさがでてきたわね。 目も据わってきた。 そしてロドルフォの父ヴァルター伯爵とその家来ヴルムの二人のバス共演も面白い。 美術や衣装はどこかアメリカ西部劇の風景を遠くに思い出させてくれる。 「ドニゼッティに始まりオテロで終わる」。 この作品を一言で表すとこうなるのね。 ドニゼッティに譬えたのは速度が有ることだと思う。 オテロは後半のストーリーが似ているから? ペチャワが3幕の歌い方をドミンゴに質問したら「オテロのようにやれ」と言われたらしい。 ・・! でも「オテロ」を越えられなかった。 それは二人の父親のせいだわ。 父と子の関係はやっぱ粘っこいのよ。 終幕のミラーとルイザの関係をみてもそれが言える。 そのルイザ役ソニアは「プッチーニは映画でヴェルディは演劇」と答えていたけどプッチーニに映画的リズムを感じ取っていたのね。 ともかく後半の傑作に繋がるヴェルディ30代の作品を観ることができて満足よ。 *METライブビューイング2017作品 *MET、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/83/

■バリーターク BALLYTURK

■作:エンダ・ウォルシュ,翻訳:小宮山千津子,演出:白井晃,出演:草彅剛,松尾諭,小林勝也 ■シアタートラム,2018.5.12-6.3 ■粗筋も読まずに観たので珍紛漢紛だった。 舞台の男二人は何をしているのだろう? 黒っぽい衣装で登場した人物は誰なのか? 終幕の女の子は・・? しかし観終わった後にある種の快感が残る。 ダンスを観た時の心地好さと同じだ。 二人の男の科白内容や意味、発声、受け止める身体がダンスに近づいている。 これは言葉によるコンテンポラリーダンスである。 この心地よさを壊したのが黒づくめの男小林勝也だ。 なんと棒読みリズムで科白を喋る。 なんとかしてくれ! ・・これは演出だろうか? 科白から「第七の封印」が脳裏に浮かぶ。 彼は死神か? 対して二人の男は激しい動きのため緊張が続かない場面もあったが申し分ない。 特に草彅剛の演技は快感の域に達していた。 ともかく訳の分からない面白さがあった。 此岸生活と意識の覚醒、死と再生を人生一生から考えているようにみえる。 作品の情報を集めてみようか? 否、これは身体で感じて身体で人生一生を想う作品である。 それはダンスに通じているから。 *KAAT神奈川芸術劇場x世田谷パブリックシアター作品 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201804ballyturk.html

■あかねさす紫の花  ■Santé!!

■TOHOシネマズ新宿,2018.5.12,25(博多座,2018.5.12ライブ中継) ■あかねさす紫の花 ■作:柴田侑宏,演出:大野拓史,出演:明日海りお,仙名彩世,鳳月杏,花組 ■「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」  「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」 人生の流れを表現するのが宝塚では難しい。 でも再演の積み重ねが熟成した舞台を作り上げていた。 額田女王と大海人皇子の初めての出会い、そして時が経ち二首を詠む場面ではホロリとしてしまったわよ。 配役は大海人皇子が明日海りお、額田女王が仙名彩世。 ■Santé!!-最高級ワインをあなたに- ■作・演出:藤井 大介,出演:花組 ■楽しいけど同じような場面が続き飽きてしまった。 少し短くしてメリハリを付ければずっと良くなる。 でも宝塚システムを回すにはこの長さは必要かもね。 *劇団サイト、 http://kageki.hankyu.co.jp/revue/2018/akanesasumurasakinohana/index.html

■紛れもなく、私が真ん中の日

■作・演出:根本宗子,出演:月刊「根本宗子」 ■浅草九劇,2018.4.30-5.13 ■根本宗子を観るのは初めてです。 雑誌等で彼女の名前をよく目にするので浅草へ足を運びました。 舞台は主人公の山ちゃんの誕生会で始まるから小学生時代?でしょう。 裕福な山ちゃんが終幕にホームレスになってしまう。 でも友達が山ちゃんに<真の友情>エールを送り幕が下りる・・。 いやー、面白かったですね。 オーディションで合格した20人程の20代女優が登場したが現代女子の生き様が丸出しです。 演技や事件はオーバー気味ですがリアルな方向を指し示していた。 人間関係の一つである友情が本質に迫った形として提示されていましたね。 現在と未来が同時に描かれる構造や二人一役は良く出来ていて驚きです。 そして狭い舞台での20人の動きもしっかりしていました。 根本宗子の公演チラシを今後は目を通すことにします。 *劇団サイト、 http://gekkannemoto.wixsite.com/home/dai15gou *2018.5.10追記。 根本宗子は「 墓場、女子高生 」(福原充則演出,2015年)に出演していました。

■1984 -ビッグブラザーは見ている-

■原作:ジョージ・オーウェル,脚本:ロバート・アイク他,翻訳:平川大作,演出:小川絵梨子,出演:井上芳雄,ともさかえり他 ■新国立劇場・小劇場,2018.4.12-5.13 ■読書会で幕が開く。 劇中劇の外枠ようだ。 内枠は主人公ウィンストンの夢にもみえる。 入れ子にした時間軸の隙間からその夢?が時々滲み出ている。 大杉漣の死去で神農直隆に替わっていたが二人は似ている。 兄弟のようだ。 数日前に「アウトレイジ最終章」を観たが、生き埋めにされ車に引かれ壮絶な死に方をした大杉漣を、舞台をみながら思い出してしまった。 出来上がってしまった全体主義を描いている前半は盛り上がらない。 それより現実で起きている例えば選挙に流れたフェイスブックのデータ不正利用疑惑事件の方がより不気味である。 全データをクラウドに上げ物品購入を含め自身の情報を全てGAFAに預けている為でもある。 メールの全スキャンも国難という一存で実施するだろう。 企業と顧客の所有概念、国家と企業のグローバルな関係性が崩れつつある。 80億人一人一人管理は既に可能になっている。 「ビッグブラザーは見ている」ではなく「ビッグデータで見ている」が現実を蔽い始めている。 舞台に戻るが、拷問室から面白くなってくる。 子供の密告をパーソンズが何度も口にするのもボディブローのように効いている。 ウィンストンとジュリアの破局も拷問の結果だが物語のヤマである。 鼠を使った拷問は哺乳類の共食いだから器具とは違う恐ろしさがでていた。 全体主義が芽生えるのは日頃の疑心暗鬼が積み重なっていくからである。 現代は情報の不正操作と情報の隠蔽がその引き金になる。 <敵>を必要とする全体主義はそれを助長し成長していく。 21世紀にそれはとても芽生え易い。 *NNTTドラマ2017シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_009661.html

■シミュレイクラム/私の幻影

■演出:アラン・ルシアン・オイエン,出演:小島章司,ダニエル・プロイエット ■静岡芸術劇場,2018.5.3-4 ■フラメンコダンサー小島章司と歌舞伎舞踊家ダニエル・プロイエットが出演する変わった舞台です。 小島章司の生い立ちや歴史を思い出すかのように二人が語り踊っていく。 小島は1939年生まれ。 戦後を生き抜き単身スペインフラメンコ修行に渡った苦労がそのまま暗い舞台に現れています。 アルゼンチン出身のダンサーダニエル・プロイエットは日本舞踊、特に女形を習う。 歌舞伎では女形を意識したことが無かったが、彼が女形の話をしたり着物で踊る姿は奇妙に聞こえ見えます。 それは歌舞伎舞台以外で女形をあまり見たことが無いからでしょう。 日本舞踊では衣装や化粧を付けない素踊りになる(?)。 同じように小島章司のフラメンコもスペインではどこか違うと感じられていたのではないか? 小島は前半終幕に、ダニエルは後半に一回だけ踊ります。 小島のフラメンコはどこか枯れていて日本的です。 舞踏から派生したようにもみえる。 ダニエルの日本舞踊はヌメリ気がありどこか非日本的です。 この違和感を受け入れるのが舞台のテーマにみえました。 二人はスペイン語、英語、日本語で語り、その日本語は片言です。 考えさせられる作品でした。 *ふじのくに⇔せかい演劇祭2018参加作品 *劇場サイト、 http://festival-shizuoka.jp/2018/program/simulacrum/index.html

■リチャード三世、道化たちの醒めない悪夢

■原作:W・シェイクスピア,演出:ジャン・ランベール=ヴィルド,ロレンゾ・マラゲラ,出演:J・L=ヴィルド,ロール・ヴォルフ ■舞台芸術公園・稽古場棟BOXシアター,2018.4.28-30 ■役者は二人のため何役もこなす。 でもジャンはリチャード役がほぼ9割です。 そのリチャードはパジャマ姿に白塗りで当に道化師として振る舞う。 二人は笑いをとる仕草を連発していく。 舞台美術は流行りのコンピュータ仕掛けではなく(表面的には)機械仕掛けが多く五感に伝わって来るので楽しい。 見世物小屋ですね。 しかし舞台に入っていけない。 ナゼか?わかりました。 たぶん役者が作り出す世界と字幕が馴染んでいないからです。 その日本語は硬く書き言葉に近い。 しかもこの作品は字幕に強く依存するからでしょう。 上演数が3回のため字幕まで手が回らなかった(?) 途中から字幕は読まず見るだけで役者の顔へ視線を直ぐに移し表情を楽しむことにしました。 つまり字幕は残像要約になる。 それにしても役者は観客を挑発し続けますね。 小さな劇場のため役者と視線が何度も合います。 観客に菓子を配ったり、ワインを馳走したり、舞台に引きづり出して(裁判官のような)人形にボールを当てることを手伝わせたりしていく。 でも観客は乗れない(周囲を見回してもそれが分かる)。 「リチャード三世」と道化的世界は親密性があると言われています。 でも「リチャード三世+フランス語的道化」を目の前にすると混乱してしまったのはなぜか? 身体能力の違い、社会的仕草の違い、言葉の綾の違い(日本語字幕の問題を含めて)のリズムを上手く受け取れなかった。 本来はもっと楽しめたはずなのにです。 複雑な思いで劇場を後にしました。 ところで茶畑には黒布が被せられていたが霜除けでしょうか? *ふじのくに⇔せかい演劇祭2018参加作品 *劇場、 https://festival-shizuoka.jp/2018/program/richard-3/index.html