2018年2月26日月曜日

■ST/LL

■総合ディレクション:高谷史郎,出演:鶴田真由,オリヴィエ・バルザリーニ,平井優子,薮内美佐子,音楽:坂本龍一ほか,照明:吉本有輝子,音響:濱哲史,グラフィック・デザイン:南琢也
■新国立劇場・中劇場,2018.2.24-25
■床には水が張り巡らされているの。 机の上にはワイングラスや金属皿、赤い林檎や黄色いメトロノームがみえる。 天井の移動カメラが背景のスクリーンに机上を映し出していく。 次に食器類を片づけてダンサーが机にのりそれをカメラが追う・・。
シャープな舞台ね。 映像とダンサーの寒暖関係が素晴らしい。 微妙にズレているようにもみえる。 西欧の物質観を感じさせる実験映画を観ているようだわ。 でも張った水を歩く女性ダンサーの動きに日常が見えてしまい緊張が崩れる。 たとえば机を動かす場面もね。 水の抵抗に負けているからよ。
後半ダンサーたちは舞台を動き回り始める。 背景映像も食器や書物の落下を挿入しながらダンサーと同期・非同期を繰り返していく。 オノマトペのような詩の朗読もあるの。 音楽は空白が多くて控えめだけどダンサーを引き立てていた。 そして再び机を使って静かに幕が下りる。
配られた解説に「・・相対性理論的、あるいは量子的世界観へ接近」と坂本龍一が書いているけどそれは感じる。 ダンサーと映像や映像間の微妙な揺れからもね。 水と油の相対論と量子論の融合かしら。 この二つの境界で生命体としてのダンサーが無関心を整いながら動き回っている。 深読みが必要な舞台だった。 カーテンコールで拍手が弱かったのも観客は楽しむ前に考えてしまったからよ。
*NNTTダンス2017シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/33_009655.html

2018年2月20日火曜日

■ヒッキー・ソトニデテミターノ

■作・演出:岩井秀人,出演:ハイバイ
■東京芸術劇場・シアターイースト,2018.2.9-22
■「引きこもり」支援施設の日常を描いた舞台です。 十年以上も家に引きこもっている鈴木太郎と斉藤和夫の二人に焦点をあてて物語が進む。 施設職員森田冨美男も元ひきこもりです。 太郎には親子関係の失敗がみえますが和夫の心の内はよく分からない。 二人は自身が完璧でないことに負い目を感じて外に出られない設定になっている。 しかし完璧さは人生の罠です。 ・・そして二人は支援施設から社会へ飛び立つ。
ストーリーから逸れますが・・、太郎の父の新しい上司である中国人女性がいつのまにか施設職員に変身する場面は驚きです。 声だけで時空と役者間を移動してしまうのは凄い。 演じたのはチャン・リーメイです。 このような感心する場面が多々あり役者の立ち位置や小道具の使い方、そこに被さる時間空間の処理は完璧です。 そしてリアルな生活を暴き出すさり気ない対話が続くから唸ってしまいます。
演出家は「世界の正しさに勝てないと勝手に思い込んでいる人達」と「世界に抗うのをやめた人達」の両方を描きたいと言っている。 正しさよりドロドロした人間関係の煩雑さもこれに加えたい。 社会に出ていけた人は抗うのを止めるのではなく、世界に馴染んでいくのだと思います。
それにしても太郎と和夫は優等生過ぎる。 太郎は両親から離れればよい。 和夫は古舘寛治が演じていましたが彼には独特な役者個性が滲んでいる。 この舞台では老練過ぎて引きこもりと言うより仙人に近かった。 これで和夫の自殺は予想外になってしまった。 冨美男を演ずる岩井秀人も抑えが効いていて巧い。 久しぶりに面白い舞台に出会えたという感触が残りました。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater167/
*「このブログを検索」欄の語句は、 岩井秀人

2018年2月19日月曜日

■松風

■作曲:細川俊夫,演出・振付:サシャ・ヴァルツ,美術:P・M=シュリーヴァー,塩田千春,照明:マルティン・ハウク,指揮:D・R・コールマン,出演:イルゼ・エーレンス,シャルロッテ・ヘッレカント,グリゴリー・シュカルパ,萩原潤ほか
■新国立劇場・オペラパレス,2018.2.16-18
■開演前のピットを覘く。 打楽器が目立つ構成だ。 合唱団の席も上手に広く取ってある。 そして舞台中央から階段がピットに降りている。 
幕が開いてから当分の間はダンスが主になる。 手足を振り広げ大きな動作で流れていく。 毛筆で文字を描く感じと言ってよい。 そして歌手の登場。 演奏も歌唱も不協和音のような響きでなかなか良い。 歌手もダンスに交わるので舞台の動きが崩れない。
しかし違和感が抜けない。 ワキはともかくシテ役の登場がとても煩いからだ。 あの世からやって来たようには見えない。 ギリシャ神話から続く神々の登場方式である。 舞台前面に壁のような網が張ってありそこを動き回る為もある。 能や舞踏のような存在の不思議さが無い。 風の音にも馴染めない。 日本語字幕にもそれは言える。 どこか解説的である。
この違和感を乗り越えようと努力しながら観続けた。 僧が宿泊を願い出る「暮」あたりから慣れてくる。 しかし「舞」の狂乱場面では天井から1メートルもある松葉が落ちてきた。 僧が目を覚ますとそこは台風一過の様である。
チケット購入時に日本語でないことを知った。 「相手を慮って使う言葉ですから・・」と細川俊夫は日本語を避けたようだ。 しかし松風と村雨の行平への想い(歌詞)も自然描写(音響・美術)もダンス(身体)も別々に動いていて劇的にまとまらなかったと言える。 言語的関係性を優先した為である。 唯一演奏と歌唱が姉妹の叫びを受け取ったように感じた。 母語以外での上演の宿命だから「松風」を忘れて観なければいけなかった。 いま観客として反省している。
*NNTTオペラ2017シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_009639.html

2018年2月12日月曜日

■平昌冬季オリンピック開会式

■総合演出:梁正雄ヤン・ジョンウン,音楽監督:梁邦彦
■平昌オリンピックスタジアム,2018.2.9(NHK中継)
■虎や竜と5人の子供たちを登場させ神話の世界から入っていきます。 動物は人が中に入った張子のため温かみがある。 チャング演奏や踊りなどを取り入れながら舞台は進みます。 そして神話構造である陰と陽の太極旗を描き宇宙の調和を示して前半は終わります。 後半に入ると先ずは選手団入場。 続いて成長した5人の子供と科学技術の未来を描きます。 演者が四角い枠を持って照明と映像で表現していく。
次にオリンピック会長挨拶、歌はハ・ヒョヌら4人で「イマジン」。 トーマス・バッハ会長の話はツマラナイですね。 その心境は分かる。 ドローン編隊の登場は驚きですがテレビではよく分からない。 しかしファン・スミのオリンピック聖歌は最高! 聖火台点火のキム・ヨナも言うことなし。 朝鮮白磁に似せた台もなかなか趣があります。 さいごにトッケビが踊るストリートダンスで幕が閉じる。
こんなにも政治的経済的イデオロギーを抑えた開会式は初めてでしょう。 大過去と近未来を描いて近代と現代は飛ばしている。 前回の「ソチ冬季オリンピック」とは違う。 スタッフの政治問題への苦心が今回は表れています。 昨年末に観た同演出家の作品「ペール・ギュント」をより単純大味にした感じもします。
*JOCサイト、https://www.joc.or.jp/

2018年2月9日金曜日

■Sing a Song

■作:古川健,演出:日澤雄介,出演:戸田恵子,鳥山昌克,高橋洋介,岡本篤,藤澤志帆,大和田獏
■本多劇場,2018.2.7-16
■主人公三上あい子は淡路のり子に似ている。 とは言っても彼女をよく知りません。 舞台上の三上は音楽のプロだと分かります。 「人を死に追いやるような歌は歌ではない。 だから絶対に軍歌は歌わない」。 この100年の、音楽の真髄です。 小津安二郎を思い出してしまった。 二人の表現や立場は違いますが彼は軍服を絶対に撮らなかった。
ストーリーの先読みのできる作品ですが中村軍曹のジャズ好きが皆にバレる所から分からなくなる。 しかし彼のジャズ好きと三上の鞄持ち成田が旅順攻囲戦の生き残りという二人の趣味戦歴が物語を過激にさせない防波堤のようです。 長内大将の切腹や葛西中将の敗戦の弁が表面的になってしまったのも致し方ない。
沖縄へ特攻機が出撃していくのをみて三上は歌えなくなり泣いてしまう。 成田はそれをみてプロではないと諫めます。 それでも舞台の素晴らしいのは、歌手三上あい子の憲兵をも物ともせず歌への強いおもいで難局を乗り切っていく姿でしょう。 高齢客からすすり泣きも聞こえましたが自身の歴史と重ねてしまうのかもしれません。
第28回下北沢演劇祭参加作品
*CoRichサイト、https://stage.corich.jp/stage/89895
*「このブログを検索」欄の語句は、 日澤雄介

2018年2月5日月曜日

■2030世界漂流

■演出:小池博史,出演:フィリップ・エマール,ムーンムーン・シン,荒木亜矢子,谷口界ほか,演奏:下町兄弟,太田豊,蔡美和
■吉祥寺シアター,2018.2.3-12
■客席に子供たちが多い。 未就学児入場可能日だったのね。 しかも舞台は子供にも楽しめる内容になっていた。 おかげで客席も含めて一体感が持てたわよ。 
いつものことだけど体温が感じられる舞台だった。 近頃のダンスは体温有無の巾が広がっているの。 小池博史は体温派の筆頭ね。 そして色々なことを思い出しながら観てしまう。 体温で身体から記憶が溶け出すのよ。 前回の「世界会議」もそうだった。 今回はフィリップ・エマールの動きが強い為かフランスのことばかり浮かんでしまった。 過去に出会った映画ダンス芝居マイム小説シャンソン美術・・。 ケベックはよく知らないけど、港の匂いが北アフリカまで広がっていく。 映像も断片だけど意味風景として結ばれていく。 「難民」を扱っているらしい。 そのような漂流を経験したことがないと自身の記憶が漂流となり押し寄せて来るのね。 マドレーヌの香りのように。 演出家の意図した漂流とは違ってしまったかもネ。
*SuperTheater小池博史ブリッジプロジェクト作品
*劇場サイト、http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2017/10/2030.html
*「このブログを検索」欄の語句は、 小池博史