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■ドン・カルロ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:P・リッツォ,演出:M・A・マレッリ,出演:R・シヴェク,S・エスコバル,M・ヴェルバ,S・ファルノッキア,S・ガナッシ, 妻屋秀和 ■新国立劇場・オペラハウス,2014.11.27-12.9 ■カトリック世界にドップリ浸かってきたようだわ。 日本で言えば温泉で一日中湯につかってきた感じね。 でもカトリックは別世界よ。 「安らぎは墓の中で・・」「天上で再開できるなら・・」「安息できるのは天国だけ・・」。 誰もが一直線に墓や天国へ行こうとしているから凄い。 温泉へ行くのとは訳が違うの。 そして舞台美術も素晴らしい。 これだけの壁の厚さがないとこの劇場には似合わない。  歌唱ではドン・カルロがボリウムたっぷり、フィリッポ二世は安定感がある。 どちらもプロとはこういうものだと言っているようにみえた。 エリザベッタは段々と調子を上げてくるの。 4幕のアリアも二重唱も最高。 歌手たちの組み合わせがよかったのね。 各自の個性が生きていたからよ。 カーテンコールで観客の拍手の質がいつもより良かったことでもわかる。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/141127_003715.html

■カルメギ

■原作:A・チェーホフ,脚本:ソン・ギウン,演出:多田淳之介,出演:東京デスロック,第12言語演劇スタジオ ■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2014.11.27-30 ■二か国語で違和感のない芝居は珍しい。 両国語の台詞が密に混ざり合っている為です。 逆に発音に関する科白が多くあるのも面白い。 でも役者たち身体にギコチナサが見えます。 言葉より混ざり合っていなかった。 これが荒削りな舞台を作っています。 この粗さが統治時代を演ずる時に出現する鬱積していたマグマにみえます。 日本人役者がこのマグマに対峙するので、外からみる観客は客観的に統治下の状況を捕まえることができます。 例えば東京は?、恋愛の違いは?、韓国女性と結婚した日本人は?、日本演劇の状況は?、・・、当時の韓国からいかに見られていたのか分かるのです。 一国だけの俳優だとこの遣り取りが作れない。 また20世紀の事件名が表示されますが、これも違いに気づかされます。 たとえば戸籍制度、創氏改名、志願兵令などは統治側からは出てこない。 三度の東京オリンピックが選ばれたのは脚本や演出家世代の興味ある事件なのでしょう。 舞台は上手から下手へ人が流されるように進んでいきます。 「かもめ」を下敷きにして戦争を上から被せる舞台ですから観る者は分断させられます。 これを繋げるにはニーナでは荷が重過ぎる。 男女関係も荒削りの舞台に飲みこまれてしまいましたね。 逆に叙事詩的な表現を活躍させることが出来た。 チェーホフと統治時代を独特なリズムで描けた理由がここにあります。 *劇場、 http://www.kaat.jp/d/tdl_kaat

■至高のエトワール-パリ・オペラ座に生きて-

■監督:マレーネ・イヨネスコ,出演:A・ルテステュ,J・マルティネス ■Bunkamura・ルシネマ,2014.11.8- ■アニエス・ルテステュのオペラ座時代の26年間、特にエトワールでの16年間に焦点をあてているドキュメンタリなの。 彼女のバレエや仕事への考え方が語られ、一人の真摯なダンサーとしての姿が浮かび上がってくるからスクリーンに釘付けよ。 彼女は長身の為か初期の古典作品では一人で踊ると大味になってしまうの。 マルティネスに出会ったのは幸運ね。 パートナーも長身だとパ・ド・ドゥはダイナミックで最高。 ほんの一場面だけど、彼女出演の作品映像が凄い。 J・ロビンス「ダンシズ・アト・ギャザリング」、W・フォーサイス「WOUNDWORK1」?、J・キリアン「輝夜姫」、そして初めて見るC・カールソンの「シーニュ」。 振付家の期待に答える使命感を彼女は持っているの。 しかもそれを成し遂げる力が有る。 アデュー公演「椿姫」ではP・ラコットとG・テスマの顔もみえたけど、二人は特に彼女への影響力*1があったのかもしれない。 「彼女を通じてバレエの歴史がみえる」とフォーサイスが言ってたけど、「白鳥」で始まったこのドキュメンタリを見るとまさにその通りね。 *1、「 バレエに生きる 」 *劇場サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/14_etoile.html

■桜の園

■原作:A・チェーホフ,演出:矢内原美邦,出演:ミクニヤナイハラプロジェクト ■にしすがも創造社,2014.11.13-17 ■劇場前の空き地で役者が3組に分かれて喋り始めるの。 チラシにはどれか一組を観るようにと書いてある・・。 スピーカで演説もするのよ。 桜の木を切る切らないと揉めているようね。 きりの良いところで客は劇場内に導かれる。 舞台は木の葉が一杯に敷き詰められていて小さな池もある。 再び3組の役者が続きを始めるの。 木を守る会の会員、土地開発の社員、土地を売った地主?の三組のようね。 しかも地主には先祖の霊が取り付いてしまう。 神業のような早口で喋る台詞、激しいダンスのような動きで葉塵が舞い、入場時にマスクが配られた理由もわかる。 舞台を見続けているとある種の恍惚感が湧き出てくるの。 しかし三組の意見はまとまらない。 自然保護や生まれ育った土地の思い、都市開発など課題が盛りだくさん。 どれも反復が多くてしつこい感じがする。 つまり動きの恍惚感と言葉の執念深さが不調和をもたらすのね。 そしてこれは「桜の園」だったんだ!と回帰できる場面で終幕になる。 物量感ある舞台だったわ。 最初の野外上演があったことを忘れてしまったくらいだから。 *劇団サイト、 http://www.nibroll.com/myp/sakura-no-sono.html

■ご臨終

■作:モーリス・パニッチ,演出:ノゾエ征爾,出演:温水洋一,江波杏子 ■新国立劇場・小劇場,2014.11.5-24 ■両側に客席を挟んでの舞台です。 この劇場では時々見られる構造ですね。 チラシも見ないで行ったので驚きの連続です。 なんと登場人物は二人だけ! 伯母と甥です。 しかも伯母の台詞は確か4~5箇所くらいしかありません。 それも数秒の短さです。 甥の一人芝居のようですが、科白が成立しなくても二人は心のどこかで通じ合っているのが分かります。 後半に再び驚きが来ます。 甥は住所を間違えて隣の家を訪問していたのです!? 途中でわかったのですが場所は日本ではない。 ハロウィーンやクリスマスを祝っているしドイツの歌から北ヨーロッパでしょう。 これで日本の臨終や葬式から離れて物語を自由にみることができました。 題名もパッとしないので準備無しで劇場に行ったことも幸いでした。 人との出会いというものを感動を持って面白悲しく、しかも<出会いの始まりの姿>が描かれていたからです。 二人芝居なのに一人は喋らない。 この不均衡をフェードアウトで巧みに場面を終わらせたり、別れを言葉で出会いを身体で同時表現しているなど構造的に面白い作品でした。 後半、部屋の位置を反対にしたのも客へのサービス以上のものがありました。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage46423_1.jpg?1416128148

■フィガロの結婚

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:J・レヴァイン,演出:R・エア,出演:I・アブドラザコフ,P・マッティ,M・ペータセン,A・マジェスキ ■東劇,2014.11.15-21(MET,2014.10.18収録) ■「カルメン」(2012年)、「ウェルテル」(2014年)は演出の出来が良くなかった。 今回はより演劇的作品に近づけたから演出家リチャード・エアの迷いが吹っ切れた感じね。 時代は1930年代。 それにしても窮屈な舞台だった。 歌舞伎の回り舞台なら江戸の風景が楽しめるのに部屋の中を動き回っているだけ。 しかも背景に暗い壁がせまっているの。 逆に歌唱に集中できて物語が濃くなったのかもね。 歌手達も突出感がなくてまとまりがあった。 セクシーぽさもあったけどサッパリしていて重たくない。 モーツアルトのスピード感を出せた理由よ。 二幕途中は緩みが出たけど作者が欲張りすぎたからしょうがない。   騙し騙され、嫉妬のエネルギーは復讐の喜びに直結し、神と悪魔、喜びと悲しみが同時に表現できるのはモーツアルトだからこそ。 楽しかったわ。 フィガロとスザンナより伯爵夫婦の印象が強く残った作品だった。 *MET Live Viewing2014作品 *主催者サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_02

■水の戯れ

■作・出演:岩松了,出演:光石研,菊池亜希子,近藤公園,瑛蓮,根本宗子,岩松了,池田成志 ■本多劇場,2014.11.1-16 ■遅刻した気分です。 物語が進んでしまって取り残されたような感覚が続きます。 彼らには深い関係がありそうですがそれが明かされない。 その中で春樹は明子から一緒になりたいことを告げられます。 これが一幕のクライマックスでしょう。 生真面目な春樹と内心がみえない明子の告白だけで舞台は持ち堪えています。 徐々に過去がみえてきます。 明子の前夫つまり春樹の弟は自殺したこと、春樹は兄大造や弟?の増山と明子との関係に猜疑心を持っていることをです。 二幕はこの疑いが深まっていきます。 春樹は猜疑に取り付かれているので心が読めますが、明子は苦しんでいるのはわかりますが難しい。 これは明子の台詞が熟れていないのが原因ではないでしょうか? しかも明子の態度や喋り方が突っ樫貪のため更に混乱します。 そして明子の心の状況が見えないまま悲劇が訪れます。 いつもの青春時代物とは一味違う面白さがありました。 チェーホフを意識したとHPに書いてありましたが、私は漱石の作品を思い出してしまいました。 ところで演出家が明子の会社上司として一度だけ登場します。 「世間では信用が大事だ」と結婚指輪をチラつかせながら厭味を言うところは現実に揺り戻されますね。 明子の告白に喜んだ春樹と大造が沢山の服布を放り出した1幕終わり、春樹が明子を銃で撃って花瓶の花が飛び散った終幕は静的舞台風景を一瞬反転させて絵になっていました。 また警官増山の趣味、大造の妻林鈴の大陸風性格、若い女菜摘のキッチュな姿や行動が舞台を巧く活気付けていました。 *M&Oplaysサイト、 http://mo-plays.com/mizu/

■眠れる森の美女

■作曲:P・チャイコフスキ,振付:W・イーグリング,指揮:G・サザーランド,出演:小野絢子,福岡雄大,寺田亜沙子,湯川麻美子,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラハウス,2014.11.8-16 ■贅肉が少なく流れが円滑で観やすい舞台だったわ。 演奏もダンサーに上手く合わせていたし、主役級ダンサーは場慣れしていて安定感がある。 美術は装飾が細かいから東洋的な雰囲気もあって面白かったわよ。 そして森の精の群舞は緑の衣装で素敵だった。 でも3幕は別の作品にみえてしまったの。 宮殿装飾の過剰がより過剰になってしまったからよ。 しかも金色だから成金趣味みたい。 ボリショイ・バレエ*1の欠点を引き継いだ感じね。 これで物語が萎んでしまったの。 新国劇は機械的抽象デザインが多いからたまにはよいかもしれないけど・・。 衣装も終幕では統一感が無く 滲んでしまったわ。 全体としてはダンサーたちの日本的な繊細さが作品に巧くマッチしていたという感じかしら。 今シーズンも楽しみね。 *1、 ボリショイ・バレエ「眠れる森の美女」(2013年) *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/sleeping/

■コリオレイナス

■作:W・シェイクスピア,演出:J・ローク,出演:T・ヒドルストン,M・ゲイティス,P・D・ジャージ ■六本木東宝シネマズ,2014.10.31-11.16 ■劇場はドンマー・ウェアハウス。 昔はバナナ倉庫だったらしい。 三方が客席で舞台は椅子だけである。 壁はレンガのようだ。 控えの役者が舞台後方に座っている。 映像のショットが短くて戸惑う。 小さな舞台だから余計に画面切替がはやく感じた。 コリオレイナスはローマの英雄戦士である。 彼は政治の世界に入っていくのだが上手くいかず追放されてしまう。 この恨みからローマに復讐するが家族の嘆願で諦める。 このために彼は殺されてしまう。 コリオレイナス役のトム・ヒドルストンは眼に不安が感じられて複雑な英雄にみえる。 この不安が復讐を企てそして諦める予言を表しているようだ。 しかしこれほどの行動を起こしているのに家族の願いだけで復讐を諦めるコリオレイナスの落差は尋常ではない。  前半は護民官設置や執政官選挙など政治構造の強さが目立ったが、後半のコリオレイナス一人にローマが振り回される姿は惨めである。 作者も後半は背景に手が回らなくなったのだろう。 前回の「 ハムレット 」と同じくスピードがあり気持ちがいい。 しかも思った以上に科白量があった。 そして戦士の登場が多く肉体が前面にでていた。 この科白と肉体の量の絡み合いが作品の面白さの一つにみえる。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2014年作品 *作品サイト、 http://www.ntlive.jp/

■驚愕の谷

■作・演出:P・ブルック、M=E・エティエンヌ ■東京芸術劇場・プレイハウス、2014.11.3-6 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage46615_1.jpg?1415267271 ■客席6列迄を取り払い観客に近づけ絨毯と椅子だけの簡素なブルック流舞台。 観客を舞台に招くから緊張感もあったわ。 それも劇中劇の中で仕組むから面白い。 役者は自然体のようだけど計算され尽している動きをするの。 絵を描く、火をつけるなどの動作は唸ってしまうわね。   今回は脳が話題、もっと絞ると共感覚の話なの。 これを拡張して共感覚を記憶に結びつける主人公達が登場。 でもこのような話を芝居に取り込むのは難しい。 それは科学そのものに意識が向いてしまうから。 これでブルック流感動が少なかったのね。 現代科学は身体性を疎かにしているという台詞が終幕にあるけど、言語的機能主義的脳科学を論じているにも関わらず二元論に逃げてしまったのは脳と直接対決した結果よ。 この作品は映画「P・Bの世界一受けたいお稽古」(*1)の実践版にもみえる。 ブルックを観るといつも思うことだけど、サッパリ感ある舞台は澄み切った青空の中にいる感じがするの。 観後感の気持ちよさは抜群ね。  *1、 http://twsgny.blogspot.com/2014/09/blog-post_22.html

■フランケンシュタイン

■原作:M・シェリ,演出:D・ボイル,出演:B・カンバーバッチ,J・L・ミラ ■日本橋東宝シネマズ,2014.10.31-11.2 ■怪物には名前が無いこと、そしてストーリーも今日観て知った。 フランケンシュタインは怪物を作った科学者の名前であった!? 盲目の老人が「原罪には生まれながらにして罪を受け継いでいる、又は生まれた時には受け継いでいない。 この二つの考えがある··」と怪物に語る。 優れた体力と知性を持っているが醜い容貌の怪物は後者の生き方を選ぶが困難が待ち受けている・・。 分かり難い作品である。 この原罪や善悪という言葉が科白に多くあるためかもしれない。 孤独という言葉も同じだ。 でも怪物は単に人恋しさのようにみえてしまった。 異性への感心もそうである。 しかも科学者の父も婚約者も変わり者に​​みえる。 このまとまりの無さが作品の欠点であり逆にSFの楽しいところだ。 舞台美術や場面展開は素晴らしい。 役者もなかなかである。 怪物の成長過程を丁寧に描いている。 この作品は科学者と怪物の俳優が入れ替わる2バージョンがあるらしい。 片方は観ていないがどちらも似たようなものだろう。 怪物は「生まれた頃のように、ありのままに生きたい」と望む。 今朝の新聞にLGBT(性別違和)の記事が載っていたが、「ありのままに生きたい」を求めるのはいつの時代でも人の願いだ。 生まれた時は罪を受け継いでいないのだから。 *NTLナショナル・シアター・ライブ作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/79829/