2012年6月27日水曜日

■忘れな草

■作:岸田理生、演出:柴崎正道
■こまばアゴラ劇場、2012.6.26-29
http://www.kirino.net/wasurenagusa.html
■背景の明治時代がとても面白く描かれている。 どこかで見たことのある東京の風景、いつもの料理や驚きの料理、聞いたことのある変な歌。 そして役者たちの身体は安定感が有り豊かさを持っている。 密度の濃いしかも計算された舞台ね。
でもこの演技の巧さとルルの若さの差が大きすぎて男殺しの理由を隠してしまったの。 なぜ男が死んでいったのかが見えない。   ルルはもっと妖しさが欲しかった。 でも理由や希望は不要ね。 舞台をそのまま受入れて楽しめる芝居だから。

2012年6月25日月曜日

■唖女

■作:岸田理生、演出:千賀ゆう子
■こまばアゴラ劇場、2012.6.22-24
http://www.komaba-agora.com/line_up/2012/06/RioFes/#a_01
■役者の切れのある身体や声は観客にきっちり届きます。 チェロの即興的リズムも加わり、忙しさがありますが淡々とした舞台です。 これに唖女の俯瞰の位置が加わります。 しかし散らばっている感動の破片を上手く集められないような舞台です。
セリフ自身に強さが無いのも原因の一つかもしれません。 しかも保守的に感じます。 多分女性が持っている生物的な保守性です。 このセリフが役者の心を挑発しなかったのです。
余談ですが芝居を観る前日にラジオで「よだかの星」の朗読をやっていました。 たった2分間の、よだかが甲虫を食べる部分だけでしたが身震いがするほどの感動が押し寄せてきたのです。
朗読は経験に裏打ちされた緻密な方法論を持っていないと真の感動が伝わりません。 舞台を観ながらラジオの事を思い出していました。 秋の「平家物語」は楽しみにしています。 

2012年6月24日日曜日

■フラメンコ・フラメンコ

■監督:カルロス・サウラ,出演:サラ・バラス他
■Bunkamura・ルシネマ,2012.2.11-(2010年作品)
■20曲以上を寄せ集めた映像です。 どこかのスタジオで録音録画したようです。 1曲毎に出演者や背景が変わります。 よそいき顔で演奏し歌い踊ります。 全体が中途半端な感じで作品の目的がよくみえません。
1曲ごとが丁寧に撮れていません。 初めと終わりが途切れている、カンテやトケの構成がわからないで始まる、顔や手・足のアップが多く全体を映す場面が少ない、背景の絵画・ポスター・写真などが強すぎて踊りや歌に集中できない、などなど。
これは素晴らしいという場面が数カ所あります。 多分役者は一流なのでしょう。 どうしようもない監督ですね。 もったいないことです。 結局は仲間内だけで楽しもうとしているローカルな作品です。
*映画comサイト、http://eiga.com/movie/56389/

2012年6月22日金曜日

■月の岬

■作:松田正隆,演出:平田オリザ,出演:青年団
■座高円寺,2012.6.8-17
■小さな事件が一杯ですね。 先生と生徒、学生時代と結婚、姉の存在、地域の噂、流産、駈落ち。 3.11以降多くなった卓袱台に喪服の舞台。 ・・。
でもこれらの出来事に古さが漂っています。 古さを感じるのはオリザ調と合いません。 ストーリーに人生の迷いや生活の匂いが強すぎるからです。 水と油ですね。 オリザ特異のリアルを遠ざけてしまった。
終幕の清川の妻と娘の登場は突飛でしたが、喪服姿で行方不明の二人をセリフも少なめにやり過ごす場面は面目を保ちました。
21世紀になってまだ10年しか過ぎていない。 でも世界はとても速く進んでいます。 これにもついていけなかった。 1997年に観たら違った感想を持ったかしれません。 2012年の今、演出家もこの作品をどうしてよいのかわからなかったのでしょう。
「新しい古典になれ」とチラシに書いてあったけどやはり古さが邪魔をしています。 作者が演出をやるしかない。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=647

2012年6月21日木曜日

■宮本武蔵

■作・演出:前田司郎、出演:五反田団
■三鷹市芸術文化センター・星のホール、2012.6.8-17
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage27651_1.jpg?1409095264
■子供の性格の一部をそのまま引きずってしまったような武蔵だわ。 他人と付合う距離が分からないの。 正規の剣術なんて関係無い。 だから背後から切る、寝ているところを石で殺す、なんでも有りね。  太宰治の小説に登場させても様になる武蔵よ。
しかもすべての役者が同類なの。 セリフも途切れ途切れで指示代名詞も多く文章の体をなしていない。 今の人間関係をいい線で誇張しているから観客がくすくす笑うわけね。 でもこの独特なセリフでは1シーンが長すぎる感じがする。
だから続けてみていると飽きてしまうの。 場面を短くして切り替えを早くするとずっと良くなるわ。 前半は今の展開速度でいいけど少しずつ早めていくと面白い舞台になるはず。 そして上演時間を1時間半までに縮めることね。

2012年6月16日土曜日

■藪原検校

■作:井上ひさし,演出:栗山民也,出演:野村萬斎,秋山菜津子
■世田谷パブリックシアター,2012.6.12-7.1
■太夫語りの劇中劇。 しかし構造は悪漢出世物語でいたって単純。 これも井上ひさしの初期作品ということで取り敢えず納得。 この単純構造を萬斎の盲の身体力で跳ね返す! 検校のことはこの芝居で初めて知りました。
盲太夫の語りは物語背景を知る上では必要ですが芝居の面白さがちょっと減りました。 解説的過ぎるからです。 しかし一番は杉の市が聞いた日本橋周辺の声や音の解説の部分です。 これで杉の市の聴覚がカラダで理解できました。
いつもの歌は少し寂しいですね。 ギターはよかった。 多分これは舞台が天上高く寸胴だからです。 しかも囲いがある。 このため声が拡散したのが理由です。 この劇場は舞台上の声や音が発散する欠点を初めから持っているから余計です。
しかし藪原検校になった杉の市が神社でお市に見つかり死刑になる終幕はあっけないですね。 これだけ悪さを積み上げてきたのにもったいない。 ところで萬斎は日本近世時代の舞台では水を得た魚のようでした。 やはり西洋が背景とは違いがでます。
カーテンコールでも萬斎だけ杉の市顔で挨拶をしたので笑っちゃいました。 他役者は通夜の席での顔で挨拶していましたが自信がなかったのでしょうか? 井上劇の役者はもっと笑顔で幕を下ろしてほしいですね。 
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/06/post_278.html

2012年6月15日金曜日

■ロミオとジュリエット

■作:W・シェイクスピア,演出:オリヴィエ・ピィ,出演:パリ・オデオン座
■静岡芸術劇場,2012.6.9-10
■ジュリエット役が替わったのは残念ね。 やっぱピチピチしてないと。 字幕は単語を並べただけ、フランス語はわからない、しかも衣装は現代的、だから最初は芝居の周りをウロウロしてしまった。 でも少しずつ舞台が近づいてきたわ。
観ていてハムレットと同じリズムのある芝居だとわかったの。 シェイクスピアが持っているリズムね。 字幕にもかかわらず疲れたような快感を舞台からもらえるの。 そして猥雑さがあるから仏語がわかったら新しい身体感覚に出会えたかも。
この芝居を日本語で上演して欲しいわ、シェイクスピアのリズムでね。 ここでのオデオン座は二度目。 「小市民の結婚式」は目眩のする素晴らしい舞台だったのを覚えている。 ピィになってからより密になってるからこれからもオデオンは期待できそうね。
*劇場サイト、http://www.spac.or.jp/f12romeo.html

2012年6月14日木曜日

■毒猿

■作:大沢在昌,演出:鴨下信一,出演:白石加代子
■岩波ホール,2012.5.26-
■上演が2時間半もあるので白石は最初から飛ばしている。 これでも作者は今回のために原作を1/4に縮めたそうである。 言葉の量が多くて息もつかせないが、物語が深まって行かないのは縮めたためかな?
語りは銃撃戦や手榴弾のアクション場面に弱い。 警察やヤクザの職業としての死は物語になり難い。 ハードボイルドもよいがミステリーやサスペンスの濃いものが似合うはずだ。 観客席が半分しか埋まっていなかったのはこれが不足していたからである。
*百物語リスト、http://www.mtp-stage.co.jp/shikraisikayokonoheya/hyaku.html

2012年6月13日水曜日

■南部高速道路

■作:フリオ・コルタサル,演出:長塚圭史
■シアタートラム,2012.6.4-24
■高速道路で渋滞に巻き込まれた人たちの話です。 なんと言ったらよいのか? 途中何回も席を立ちたくなりました。 役者の会話にのれない。 被災地の人々に重ね合わせることはできましたが。
このような芝居を見るととても不安になります。 なにか重大な見落としがあってツマラナイのか? ということでプログラムを買ってしまいました。 稽古中の面白い話が載っています。 そしてなんと非日常から日常への移行を舞台化しているようです。
この芝居は<全てが日常>または<全てが非日常>のどちらか一方のためツマラナイのでは? 動き出した車が再び出会わないところで終幕になりますが、これも切り替わらないで次なる日常(又は非日常)がやってきたようにみえました。
ところでプログラムはペーパーナイフを使うように綴じられていたので思いがけないプレゼントを貰った気分でした。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/06/post_280.html

2012年6月12日火曜日

■サロメ

■作:O・ワイルド,演出:宮本亜門,出演:多部未華子,成河,麻美れい,奥田瑛二
■新国立劇場・中劇場,2012.5.31-6.17
■地下に牢獄、地上が居間、そして観客が居間を見下ろせるように天上に鏡が掛かっている。 三層構造の舞台だ。 周りは堀で観客席近くは城壁である。 城壁でも役者が動きまわる。 中劇場のツマラナイ広さを解消している面白い構造である。
サロメとヨカナーンの対話場面は見応えがあった。 リズムがあり耳に卒直に入る台詞がいい。 ヨカナーンは不思議感がでていた。 預言もきっちりと聞き取れた。
しかしヨカナーンの首をめぐってのヘロデとサロメの対話は物足りない。 ヘロデが真珠やトパーズ、鳥や土地など贈与の言葉に満ちているのに、サロメは首が欲しいの一言だけだから。 これから深淵に向かうサロメにとっては休み過ぎだ。
サロメは子供のように可愛くて素敵だ。 しかしイノセンスから発散する感動は残念ながら無い。 それは無邪気の中にある残酷が機械的だからである。 この種の無邪気さは芝居として成立し難い。 並の演出では乗り越えられない。
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/salome/

2012年6月3日日曜日

■リリオム

■作:モルナール・フェレンツ,演出:松居大悟
■青山円形劇場,2012.5.25-6.3
■原作は読んだことがないの。 芝居向きのストーリーね。 でもリリオムの激しいセリフが流れていくだけの舞台。 彼のぶっきらぼうな性格が心の有り様を隠している。 性格が違うけどユリの心も見えない。
ユリは「夫は優しかった」と死者リリオムに話す場面があるけど子供が側にいたから? もっと沢山の理由があるはずなのに真意は分からない。 それは観客がここまでの二人の心の思いを積み重ねることができなかったからよ。
叩かれても痛くないことは人生の不思議を感じた時にはよくあるはず。 でもリリオムは二人に大事なことを教えたのに死者の国へ戻ってジャッジに説明ができない。 ジャッジも観客と同じ位置にいるの。
リリオムとユリの心の奥底を隠し続けた舞台だった。 このように感じたのは原作にあるのか?演出なのか?俳優の限界なのか?わからない。 素直で出来の良い高校演劇をみているようだったわ。
*CORICHサイト、https://stage.corich.jp/stage/34943