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■真夏の夜の夢

■作:W・シェイクスピア,潤色:野田秀樹,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■にしすがも創造舎,2015.10.31-11.3 ■貴族・職人の代わりに割烹料理屋の家族・板前が、そして悪魔メフィストフェレスの登場が原作と違いますね。 簡単な粗筋を読んでおいたので素直にはいれました。 言葉に拘った舞台です。 口には出せなかった恨み妬み憎しみの言葉で悪魔は物語を作っていきます。 この悪魔と対決する娘そぼろが主人公とみました。 彼女が「夏の夜の夢」が何であるかを最後に知る人です。 つまり野田秀樹のメッセージを持つ悪魔からそれを奪い返す人になります。 若者たちの恋愛を温かく見守る分かり易い結論になっている。 ここは宮城聰のメッセージでしょうか?  野田秀樹演出の舞台は観ていないので比較できません。 幕開きと終幕の娘そぼろの口上は存在感がありました。 悪魔のネットリした演技は硬さある他役者との比較が生きて面白い。 パックの観客サービスは苦労していましたね。 紙を丸めたような美術・衣装は立体感があり打楽器演奏と共鳴して夢の森に入って行くことがでました。 *2015年F/T「融解する境界」参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/15/program/spac/

■ドラマ・ドクター

■作・演出:川村毅,出演:ティーファクトリ ■吉祥寺シアタ,2015.10.23-11.2 ■三人の若手劇作家が登場する。 彼らは戯曲が上手く書けないで悩んでいる。 しかも誰も書かなかったような物語にしたい! そこでドラマ・ドクターが登場する。 物語の医者である。 だが書いている戯曲が舞台上のストーリーに侵入してくるからややこしい。 ドクターの戯曲も入り混じり誰の物語かわからない。 劇中劇と言ってもよい。 ドクターだから診察もする。 楽しい戯曲か? 売れる芝居か? 「ぬくぬくとした芝居」が広がっていると言う。 物語=制度について資本主義を絡め議論したいようだ。 「面白い芝居にも飽きた!」。 しかし物語から逃げられない。 「ドラマ・ドクターという職業がハリウッドにある・・」とチラシに載っているが、21世紀資本主義は足がより速くなっているように感じる。 演劇は相対的に遅れてしまいヌクヌクして見えるのである。 舞台は安っぽい壁に囲まれた部屋だが原稿用紙がペタペタ貼ってあるのかな? 照明技術が良くなったので壁のような平面に少しの凹凸を付けただけで奥行の深いグラデーションを作れる。 これで物語の修飾も容易になる。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2015/07/post-38.html

■春の祭典  ■アンリ・ミショーのムーヴマン

■春の祭典 ■振付:M・シュイナール、出演:カンパニー マリー・シュイナール ■神奈川芸術劇場・ホール、2015.10.24-25 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage55291_1.jpg?1445766588 ■海パンのような衣装で一人もしくは数人づつスポットライトを浴びて激しい踊りを繰り返す。 振付はトナカイを思い出してしまう。 腕や足の膝、手首の曲げ方がそのようにみえるからだ。 実際角を付けたダンサーも登場する。 揺れる乳房が作品として似合っていた。 野性味は感じるが定番のためか無駄がなく洗練されていた。 ■アンリ・ミショーのムーヴマン ■画家ミショーの描いた形をダンサーが真似て踊るという作品である。 小・中学生に見せたら喜ぶだろう。 アンフォルメルと身体の関係やミショーの詩集「ムーヴマン」を融合させたいようだが定かではない。 一人及び数人から10人のダンサーで増減を繰り返すのは「春の祭典」と同じである。 ダンサー全員で絵形を真似る場面は見応えがあった。 この二本を観ただけではシュイナール自身がよくみえない。 彼女のソロ「イン・ミュージアム」の横浜上演が無かったのは残念。

■白鳥の湖

■振付:R・ヌレエフ,作曲:P・チャイコフスキ,出演:A・ルテステュ,J・マルティネス,K・パケット他 ■川崎市アートセンター,2015.10.24-11.1(2005年作品) ■城の前庭は「アテナイの学堂」にみえる。 背景の人々は階段で哲学者のように会話しているの。 そしてこれほどまで俯瞰から撮った白鳥は珍しい。 白鳥たちの整然とした動きからオデットの哀しみが伝わってくるようだわ。 衣装も白鳥以外はチュチュを着けない。 しかもオディールの登場直前までスカートはどんどん長くなっていく。 中間色の現実的な衣装との落差から白鳥が別世界の存在だと意識するの。 いつもと違った作品にみえる。 主演はルテステュとマルティネス。 貫禄は有るけどスピード感が無い。 巨大タンカーが動いているようだわ。 この作品は二人のメモリアル公演らしい。 良くも悪くも必見ということね。

■オイディプス

■演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場 ■東京芸術劇場・プレイハウス,2015.10.21-23 ■「 ガリバー旅行記 」に続く上演となる。 舞台に小さな直方体の部屋が作られている。 視野を狭くしてみるので集中できる。 美術や照明のコントラストを強調するから輪郭のある深い舞台が現れている。 コロスを引き連れたオイディプスやイオカステのメリハリの効いた科白と演技でアクの強い叙事詩を観ているようだ。 後半、小さな部屋は解体され背後にコロノスの森が映しだされる。 そこでパーティが開かれているのだが、しかしこの場面は何を言いたいのかよくわからなかった。 ルーマニア語訳字幕が遅れ気味でリズムが狂ったが、プルカレーテに染まった役者の身体と言葉を楽しむには十二分に答えていた舞台である。 *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater101/

■パッション

■作詞・作曲:S・ソンドハイム,演出:宮田慶子,出演:井上芳雄,和音美桜,シルビア・グラブ ■新国立劇場・中劇場,2015.10.16-11.18 ■不倫のクララやストーカーのフォスカがどんなに燃えても旋律と歌唱が舞台に静寂をつれてくる。 愛とは何か? 一つの答えを楽曲が語っているようね。 物語を進める科白も淡泊なの。 抽象感ある美術を含めて全体に隙間がある。 隙間の有るお蔭で役者たちと共に愛とは何かを冷静に考えることができる。 愛のために夫や子供を捨てられるか?愛のために死ねるか?をクララに質問するのは酷かもしれない。 答えたらクララが主人公になってしまう・・。 でもこの比較で愛に満たされたフォスカの死を観客は安心して見送ったことは確かだわ。 「愛する」と「愛される」が巡り会うためにはフォスカのような飛躍的な行動が必要なの。 この行動を得るには愛を確信する閃きと、閃きを持続する強い意思と、意思を具現化する冷静なストーカーになれと言っているようね。 演出家は「 沈黙 」の舞台雰囲気をそのままにして存在から行動へと舵を切ったのね。 *NNTTドラマ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/passion/

■近松の女

■梅川 ■演出・出演:蘭このみ,出演:蘭このみスペイン舞踏団,音楽:染谷ひろし,稲津清一,手塚環 ■近松リポーターズ ■演出・出演:島地保武,出演:酒井はな,音楽:古川展生 ■五障(おさんと子春より) ■振付・出演:吾妻徳穂,音楽:藤舎推峰,日吉章吾 (以上3作品のキャスト&スタフ) ■新国立劇場・小劇場,2015.10.16-18 ■フラメンコ「梅川」、ダンス「近松リポーターズ」、日本舞踊「五障(おさんと子春より)」の三本立てでタイトルが「近松の女」です。 先日の「 エゴイズム 」と合わせて「近松DANCE弐題」になっています。 久しぶりのフラメンコでした。 でも床のせいかサパテアードが湿った感じで頂けません。 梅川には似合っているのかもしれませんが。 トケも素晴らしかった。 楽日のためか島地と酒井は伸び伸び踊っていたようにみえます。 科白やコミックも生きていました。 演奏のチェロも積極的に係わり楽しかった。 吾妻徳穂は「にっぽんの芸能」に時々出演してますね。 生舞台は初めてでした。 襲名後は忙しそうですね。 全4作品で踊りの近松を堪能したプログラムでした。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006134.html

■離陸

■作・演出・出演:松井周,出演:伊藤キム,稲継美保,劇団:サンプル ■早稲田小劇場どらま館,2015.10.8-18 ■ある日、兄は弟に姉との旅行を進めるの。そして旅行先でのやっちゃった件で弟は気にかけ続ける。兄も弟のそういう所は信用していない。姉は深く関わらない。兄は少しずつ精神状態が尋常ではなくなっていく··。  実は観後にチラシを読んだら姉と兄は夫婦だった!観ていて近親相姦のことを考えてしまっていたから··。うーん、ドジッタ。でも漱石のことも思い出していましたのよ。 しかし夫婦と分かったからといっても何も変わらない。それは妻が物語に参加しないからだとおもう。そして兄の精神が弱ってきている真の原因が観ていても分からないからよ。この作品は「変化」を論じているようだけど、役柄が変わっても世界は変化しないということは証明できたわ。 伊藤キムはいつの間にか役者になっていたのね。存在感も有りなかなかだわ。ダンサーの身体が生きたままの「変化」は素晴らしい。ところでこの劇場は初めてなの。舞台は7mX3mで客席は100人くらいかしら。舞台奥行がもっと必要ね。芝居も舞台に合わせて奥行の無い動きだったけど、逆にパルスのような緊張感が出ていた。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/68259

■Who Dance? 振付のアクチュアリティ

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html

■ガリバー旅行記

■演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場 ■東京芸術劇場・プレイハウス,2015.10.15-18 ■舞台はビニールの幕で覆われた馬小屋にみえる。 出だしから本物の馬が登場する。 でも静かに歩き回っているだけである。 フウイヌムのように嘶いてくれ! と言うことで「フウイヌム国渡航記」から始まるらしい。 ヤフーを介して人間の動物的側面を演じていくが、無彩色を基本とした舞台がその激しさを詩的に変えてくれる。 赤ん坊を殺しその肉を焼いて食うなどレクター博士なみの場面もある。 スーツ姿で行進するなど社会的側面も辛らつに描かれている。 老人の生き様への字幕が長く続いたがとてもリアルで記憶に残った。 これは原作に載っているのだろうか? 現実との境界を意識している演出のため一歩誤るとシラケてしまうが演劇パワーで向こうの世界に留まっている。 感動とともに呆れたという印象も強く残った。 *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater100/

■ミュルミュルミュール

■演出:V・T=チャップリン,出演:A・ティエレ ■世田谷パブリックシアタ,2015.10.16-18 ■サーカスとあったけどパフォーマンスの感じかしら? 建物の表面が布のためサーカスらしさが出ていた。 祝祭空間としてのテント小屋を思い出すわね。 そして舞台に散らばる小道具は日常よくみるモノばかり。 そのモノに生気が宿っていく面白さがある。 前半は物語が見えていてシュールレアリスムも意識する舞台だった。 このヒトとモノの融合が超現実世界を垣間見せてくれた。 でも後半は展開できずパフォーマンスの反復ばかりが目立ってしまったようね。 物語の起承転結をハッキリさせた方がいいんじゃない? モノもこれに共振してパフォーマンスを超える世界が続くはずよ。 ヨーロッパの楽しさと暗さが感じられるノスタルジックな舞台だったわ。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150714-2688.html

■針とアヘン-マイルス・デイヴィスとジャン・コクトの幻影-

■作・演出:R・ルパージュ ■世田谷パブリックシアタ,2015.10.9-12 ■直方体の内側3面を舞台にして他面を取り除いた面白い構造です。 点対称で3面が回転するので床が壁に、壁が床に入れ替わっていきます。 これに小道具と映像を付加してホテルからスタジオへそして街へと役者が空間を跨ぐように移動していく。 床が傾斜しているので役者を紐で支える場面もあります。 物語はジャン・コクトーのアメリカ旅行回想とマイルス・デイヴィスのパリ公演を過去背景にして主人公であるカナダ人放送作家が仕事や日常生活を語り演じていきます。 彼はコクトーとの二役です。 この舞台構造とクロスカッティングを多用するストーリーの重複構造が融合して摩訶不思議な世界が現前します。 1949年のパリとニューヨークの風景が交互に映写され当時を知らないのですが懐かしさが漂ってきます。 ヌーベルバーグとモダン・ジャズの夜明け前ですからこの二つに興味があれば尚更です。 作品名は阿片からきているようですがコクトーとデイヴィスは麻薬から立ち直っています。 主人公の放送作家は妻?との関係が冷たいままで精神的に参っている。 しかし二人のように立ち直る機会を狙っている終幕にみえました。 深く眩暈がする舞台でルパージュのベスト作品に入るでしょう。 *2015年F/T「融解する境界」連携作品 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20150714-2661.html

■海賊

■監督:熊川哲也,出演:中村祥子,S・キャシディ,池本祥真,浅川紫織,K・バレエカンパニ ■恵比寿ガーデンシネマ,2015.10.11-16 ■海賊が海で大活躍するのかと観ていたら違うのね。 なんと仲間の裏切り話で、しかも陸の上での追いかけごっこなの。 大きな物語でなくてちょっと残念。 オリエンタル風の美術や衣装は素敵だった。 メドーラとグルナーラ姉妹は二人という数の強さがある。 互いに補えるからよ。 これをみてチェーホフの「三人姉妹」もストーリーは難しいけれどバレエにできると確信したわ。 この作品は「洞窟の宴会」が見せ場のようね。 あと「パシャの夢の中の娘たち」もよかった。 全体を通してアリのはち切れるような動きが素晴らしかった。 *主催者、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1456

■エゴイズム

■演出・出演:加賀谷香,出演:近藤良平,佐藤洋介,舘形比呂一,辻本知彦,松本じろ ■新国立劇場・小劇場,2015.10.9-11 ■原作は「曾根崎心中」です。 有名な数節が読まれ、加賀谷と近藤の文楽人形を真似た場面から入ります。 次の加賀谷と佐藤のデュエットは広々とした腕の動きに手足の小刻みが時々入る振付で見る楽しさが伝わって来ます。 衣装は日本と言うよりアジアを連想します。 三場面の加賀と辻本のエロス全開のデュエットは素晴らしい。 これだけ床を転げまわるのは見たことがありません。 加賀の赤衣装も映えていた。 そして男性陣5人の余興が入ります。 原本の数節が読まれお初の加賀谷が浄土へ向かい終幕となります。 お初が死にゆく悲壮感がでていません。 直前の男性陣の楽しい余興が物語を分断してしまった。 物語を時系列で追うのではなく、場面ごとに独立させ再構築しながら観ると面白さが増す作品だと気付きました。 科白はマイクを使わないほうがずっと良くなるはず。 途中、舞台裏から聞こえてきた宴会の声、鏡や素晴らしい衣装は江戸時代に戻れました。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006134.html

■まぼろしの夜明け

■振付:川村美紀子 ■シアタートラム,2015.10.9-11 ■中央舞台の周りに客が立ちっぱなしで観る構造なの。 波の音とミラーボールで寂れたディスコ会場に行ったみたい。 見ると6人のダンサーが薄い布を被って寝転がっている・・。 音楽と照明は鳴り照っているけど一向にダンサーたちは動かない。 やっと少しずつ立ち上がって来た。 なんとここまで1時間。 どうにか二本足でゆっくり歩き始めた途端に終幕。 舞踏などでみる超スローモーの動きに似ている。 でも存在を意識させる演技には見えない。 チラシに「限界まで踊ってみたい」と書いてあったけどダンサーの内面は激しく踊っていたのかしら? 内の激しさと外の静けさを感じ取る演劇的想像も身体言語が少ないため湧き起って来ない。 ニュースや虫の音など日常生活の雑音を主体にした音楽はダンサーと積極的に交わる個所が少なかった。 でも邪魔もしていなかった。 反対に照明が先走って物語を作ってしまったようにみえる。 ダンサーの身体が立現れてこなかった一つの原因かもしれない。 動きの少ない舞台では時間と空間の統合力が必要だけど、難しい作品を選んでしまったようね。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage54429_1.jpg?1444390505

■ラインの黄金

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:G・フリードリヒ,出演:J・ラジライネン,S・グールド,T・ガゼリ ■新国立劇場・オペラパレス2015.10.1-17 ■軽さのあるワーグナーだった。 愛・金・肉欲・青春・・、どの言葉も日常に繋がっていく解り易さが出ていたわ。 具体のワーグナーね。 だから意味の深淵に連れて行ってくれない。 翻訳字幕にその理由があるのかもしれない。 ファーゾルトは語りの中にある謎を噛みしめるように歌うので納得して聞けたわ。 このように観ていながらいろいろな事を反芻できる余裕が欲しい。 アルベリヒが目立ち過ぎたけど歌手間のバランスは良く取れていた。 神々が軽いノリでダンスをしながらのヴァルハラ入城は素晴らしい幕切れだったわよ。 光を重視した美術はこのダダッ広い劇場に似合っているとおもう。 装置が簡略化でき費用もかからない。 しかも総合力を維持する確率は高くなるはず。 ところで第3場ニーベルハイムの前梁に幅があって2階以上の客席からは邪魔になったんじゃないかしら? それにしても指輪ってやっぱ面白い! 「動機」が音楽を越え実世界に広がっていく作品だから。 今シーズンの終わりには「ワルキューレ」を上演して欲しい。 1年1作で4年後の完結では待てない。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dasrheingold/

■シンデレラ

■監督・振付:熊川哲也,出演:神戸里奈,井澤諒,K・バレエカンパニ ■恵比寿ガーデンシネマ,2015.9.26-10.9(2015年作品) ■監督の目配り気配りが舞台に一杯ね。 特徴ある振付は新鮮味がある。 特に手の動き指の位置がとても繊細。 インド舞踊より日本舞踊に近い。 これで身体の豊かさが一段と映えている。 「バレエには言葉が無い」と監督が強調していたけど対抗手段を持っているから言えたのね。 ダンサーたちの質の良さもある。 作品は変身の物語だから老婆が妖精に変わる場面などはじっくり見せてもよいかもよ。 シンデレラが城に向かうところは魔法使いの多くの手下が前面に出ていて強さと安定感がある。 この強さ、つまり組織の勝利が舞台の至る所にみえる。 そして舞踏会は道化の動きが面白い。 12時を過ぎた後半は見せ場が少なくて一寸尻すぼみの感じがするのは残念ね。 でもフィナーレに再び馬車が登場してシンデレラ世界を満喫できたわ。 「童話を超えた完全無欠のファンタジー」とあったけど頷ける。 *主催者、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1448

■少女仮面

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:李麗仙,松山愛佳ほか,劇団:新宿梁山泊 ■スズナリ,2015.9.30-10.7 ■李麗仙がゆっくりと階段を下り舞台に向かうとき、場内は水を打ったように静まり返った。 噛みしめる科白は冷静さを整っているが棒読みのような喋りである。 はじめは戸惑ってしまったが違和感は直ぐに薄れていく。 物語のシークエンスとシークエンスの間に時空を越える裂け目がある。 そこでは小道具、照明そして音楽が通奏低音として鳴り始め、役者が一気に時空差を埋める詩的科白を喋りだす。 ここに劇的世界が出現する。 宝塚少女のそして「嵐が丘」の、愛が塗り込められた「肉体」を永遠の乙女が語る。 特権的肉体は現れたか? 久しぶりに唐十郎の世界に浸れた。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/67153