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■くじらの墓標

■作・演出:坂手洋二,劇団:燐光群 ■吉祥寺シアタ,2017.3.18-31 ■科白や役者の動きがなぜかギクシャクしています。 ストーリーもどこか途切れている。 前半は日常生活を扱っている場面が多いので特にそのようにみえますね。 みな謎を持った顔をしている。 捕鯨漁師の末裔イッカクの叔母や兄たちが登場し鯨との格闘、村の掟、海神との契約などを語り演じていきます。 そして全てがイッカクの見た長い夢だったことが終幕でわかる。 詩的で断片的な舞台は夢幻能の構造も有していたからでしょう。 歯の磨き方や耳掃除や洗面器でブクブクするなど古さの目立つ演技も25年前の作品のためかもしれない。 この二つが溶け合い荒さを持った不可思議な舞台を作り出した。 肝心な鯨とヒトの深い関係に到達できない。 鯨肉を焼いた匂いや鯨の習性などの解説が多すぎて想像力が熟成されていかなかったからです。 イッカクの婚約者チサの尼僧のような笑顔が劇中劇と舞台とを上手く繋げていました。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/81341

■ハテノウタ

■作・演出:土田英生,劇団:MONO ■東京芸術劇場・シアターウエスト,2017.3.24-29 ■チラシにある100文字の粗筋を観る前に読んだことを悔やむ。 この演出家の作品は何も知らないで観に行くのが一番である。 薬の進歩で若さを保ったまま生きられるようになったが100歳で必ず死ななければいけない世界を描いている。 80数年前の高校時代の部活同窓会が舞台である。 集まった同級生は今年で100歳になる・・。 その日が決まっている死刑囚のようだが至って楽しく静かに進行していく。 部活顧問の薬に対する反乱や部長尼子が紗耶香の夫に頼む寿命の延期など極めて政治的な話が背後に蠢いているがやんわりと避けていく。 性の話もご法度らしい。 後味が悪くなりそうな予感を持って劇場に向かったが、この二つが無いことでサッパリした舞台に仕上がっている。 生と死について肯定的に考えられるヒントも与えてくれる内容だった。 死はいつか必ず来るが不安も無しに生きていけるのはそれがいつ来るか分からないからだろう。 死ぬ時が事前に分かれば人はこの芝居のように過去しか見なくなる。 記憶もあやふやだが過去形は強い。 以前観た「 燕のいる駅 」と違うのは死が明確になった時から死ぬまでの長さである。 今回のように何十年も前からと数個月あるいは数日しかない場合は人の意識や行動は違ってくる。 二つの作品の比較が面白い。  *作品サイト、 http://www.c-mono.com/hatenouta/

■亡国のダンサー

■作・演出:佐藤信,劇団:黒テント ■ザスズナリ,2017.3.25-29 ■舞台の至る所に緊張感が宿っている。 台詞や役者の喋りや動作そしてダンスの振付にムリムラムダが無いからよ。 しかも小さな謎が次々と押し寄せるから自ずと集中していく。  後方スクリーンに日本書紀巻二十四「乙巳の変」が写し出されコロスであるダンサーたちが科白にするの。 雨の降っている風景や争いの場面はまさに乙巳の変の再現かな? でも役者たちは近未来の企業のお家騒動を演じている。 女性理事長をみて大塚家具問題を思い出してしまったわ。 なぜコロスは亡国を論じ役者は内紛劇を演じるのか? しかも後者の黒幕はコンピュータシステムが関わっているらしい。 この三つを繋げる鍵はチラシに書いてある「答えられるだろうか、未来からの問に。 ・・・。 わたし(たち)は今、何をしているのか、なぜ黙っているのか。」。 うーん、上手くまとめられない。 そして人工知能らしきものの登場でそうならない。 しかも「わたし」が蘇我入鹿になった理由が説明されたけど聞き漏らしてしまった。 「それは老人が・・・」。  それでもカタルシスを感じられた。 役者たちの発声や動きからくる身体性の良さから来ているとおもう。 芝居構造は面白いけどコンピュータは曲者ね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/80018

■ミス・サイゴン

■制作:C・マッキントッシュ,脚本・歌詞:A・ブーブリル他,出演:J・J・ブリオネス,E・ノブルザタ,A・ブラマ ■TOHOシネマズ日劇,2017.3.10-(プリンス・エドワード劇場,2014.9.22収録) ■舞台の面白さは伝わって来ないが25年の上演実績の重みがライブシネマでも感じ取れる。 特にクローズアップの多用でミュージカルから演劇に近づいている。 衣装や小物もよく見えるからアジアを強く意識できる。 アジア系役者の多さもベトナム戦争を近くに感じる。 加えて少女キム、米兵クリス、狂言回しエンジニアの夫々が持っている地を壊さない演技がリアルさを出している。 このアップの緊迫感から観客は逃げられない。 ダンス場面では舞台を俯瞰したいがこれもさせてくれない。 金縛りにあったような変わった爽快感を持っている。 この作品はキムのクリスへの一途な愛にサイゴン陥落、アメリカ移住の夢、混血・孤児問題が追い打ちをかけ3時間半を少しも厭きさせない。 終幕の主人公の自死は物語を終わらせる為のようで気に入らないが「蝶々夫人」とは違った観後感を持つのは作品完成度が高いからだろう。 オリジナルキャストを迎えての特別フィナーレも楽しかった。 *作品サイト、 http://miss-saigon-movie-25.jp/index.html

■ルチア

■作曲:G・ドニゼッティ,指揮:G・ビザンティ,演出:J=L・グリンダ,出演:O・ペレチャッコ,I・ジョルディ,A・ルチンスキ,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2017.3.14-26 ■エンリーコが思っていた以上に歌唱に伸びが有り舞台に厚みを付けていた。 エドガルドは青臭いところがあったけどもう少し熟せば最高かもね。 ストーリーが単純極太だから歌唱がすべて、これに応えて主人公3人は澄み切った響きで劇場の広さを良い意味で実感させてくれたわ。 狂乱の場も荒涼感が漂っていて一味違う感動が持てる。 スコットランドの海を強調した舞台美術だけど物語とは繋がっていない。 舞台装置交換場面での数分間の空白もリズムが狂うわね。 モンテカルロ劇場との共同制作のため回り舞台を選択できなかったのかしら。 指揮者ビザンティは歌手に顔を向ける場面がとても多い。 こんなにも上を向いて歌手にタクトを振る人も珍しい。 初めてのスタッフ、キャストが多い作品は驚きがあってとても楽しく観ることができる。 グラスハーモニカもあり満足度満点だったわよ。 *NNTTオペラ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_007959.html

■白蟻の巣

■作:三島由紀夫,演出:谷賢一,出演:安蘭けい,平田満,村川絵梨,石田佳央,熊坂理恵子,半海一晃 ■新国立劇場・小劇場,2017.3.2-19 ■役者の演技や科白の輪郭が厚く塗られているような演出表現です。 三島由紀夫的厚化粧ですね。 ブラジルの湿気を含んだ暑さも影響している。 そして輪郭の中も次第に塗られていく・・。 珈琲農園主の刈屋夫妻と運転手百島夫妻のスワッピングへと進む話です。 複雑な経緯の結果としてその形が一瞬現れる。 刈屋妙子と百島健次は心中失敗の過去を持っているがそれを夫義郎は寛大にみている。 この寛大さの為か三人は<死んでいる>ように生活している。 妙子と健次の再密会のことを知った<生きている>百島啓子は再生したい義郎から妻の座を貰う。 刈屋妙子は新婚時代にNYで不倫をした、つまり健次は初めてではないと義郎は啓子に話す。 妙子の行動に戸惑います。 啓子ですが似たような人物は世間で出会うことがある。 4人の中で唯一<生きている>からでしょう。 義郎と健次の<死んでいる>ような生活をみて観客は己の人生と比較し不安を意識するはずです。 寛大さの牢獄にです。 でも現実社会ではこれが<普通>の生活でしょう。 終幕、二人はなぜ自殺をしないで帰ってきたのか? 啓子の策略を再び裏切る為でしょうか? いろいろ想像できる終幕でした。 *NNTTドラマ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007979.html

■西埠頭/鵺

■作:ベルナール=マリ・コルテス/世阿弥,演出:岡本章,劇団:鍊肉工房ほか ■上野ストアハウス,2017.3.8-12 ■「かっ!・・」。 岡本章の最初の一声で鍊肉工房が戻ってきた。 「か・・な・し・み・・」。 「な・み・・だ・・」。 ダンサーと俳優のコラボらしい。 神経質な岡本の震える言葉、存在感ある笛田宇一郎・横田桂子、上杉満代の静かな身体に圧倒される。 「西埠頭」と「鵺」を交互に演じていく。 この二つの時代と場所が入れ替わる場面で劇的効果を強く感じる。 演劇に近い。 役者たちの身体が声に乗り舞台隅々まで拡張され伝わって来る。 岡本と笛田は少し力みすぎていたところがあった。 千秋楽で高揚したのかもしれない。 硬い単語もちらほら耳に残った。 作品の終わり方だが輪廻方式をとって最初の形に戻すとメリハリがでたと思う。 舞台芸術の面白さが十二分に出ていた。 15時半に終わったので「 シャセリオー展 」に寄り道する。 *劇団、 http://renniku.com/wordpress/wp/wp-content/uploads/2016/12/nishifuto_omote03.jpg

■エッグ・スタンド

■作:萩尾望都,演出:倉田淳*1,出演:松本慎也,曽世海司,岩崎大,劇団:スタジオライフ ■シアターサンモール,2017.3.1-20 ■時代はナチス・ドイツ軍占領下のパリ。 踊り子ルイーズの部屋には居候の少年ラウルとレジスタンスのマルシャが共同生活をしている。 しかし生活の匂いはまったくしません。 時間軸に沿って最小限の編集で場面を繋げていく。 物語の表層だけが水のように流れていく。 殺人を犯し続けるラウルには重すぎる秘密があったのでしょうか? 見過してしまった? エッグ・スタンドの孵化しなかった卵は象徴的です。 これを補う台詞の断片も随所で語られる。 でも秘密は自身の奥にあり戦争の時代や世界とは抽象で結ばれているようです。 現実から遊離しているようにみえる。 舞台に入魂できなかったのは彼の秘密が人間関係世界にいるルイーズやマルシャンと深く繋がらなかったからでしょう。 「トーマの心臓」初演から20年経って初舞台化するのはそれだけ難しい作品なのでは? 原作を読んでいないので早速読みます。 *1、 「アドルフに告ぐ」(2015年) *作品サイト、 http://www.studio-life.com/stage/eggstand2016/

■炎、アンサンディ

■作:ワジディ・ムワワド,翻訳:藤井慎太郎,演出:上村聡史,出演:麻実れい,栗田桃子,小柳友,那須佐代子,中嶋しゅう,岡本健一 ■シアタートラム,2017.3.4-19 ■親子兄弟の繋がりを知った時の衝撃は凄まじい。 チラシに載っているストーリーしか読んでいなかったからよ。 ギリシャ悲劇が現代に甦った畏れを感じる。 いま舞台を振り返るとナワルや公証人エルミルそしてニハッドの動きや科白は生き生きと思い出せるけど双子の娘息子はぼんやりとしたイメージしかない。 二人の存在感をもっと出せれば感動の質はまた違ったはず。 ストーリーを知らないということも重要ね。 「読んだら観るな、観たら読むな」。 今回とは理由が違うけど読んである長編小説の芝居・映画化は観ないようにしている。 媒体は何であれ最初の出会いが肝心よ。 *劇場、 http://setagaya-pt.jp/performances/201703incendies.html

■よさこい節

■原作:土佐文雄,作曲:原嘉壽子,指揮:田中祐子,演出:岩田達宗,演奏:東京ニューシティ管弦楽団,出演:泉良平,佐藤美枝子,所谷直生,日本オペラ協会合唱団,多摩ファミリーシンガーズ ■新国立劇場・中劇場,2017.3.4-5 ■民謡替歌としては知っていたが鋳掛屋の娘お馬と和尚純信との悲恋物語を聞くのは初めてである。 結婚を許されない真言宗の戒律などから二人の愛は社会から追い詰められていく。 純信は世間をみて心揺れるがお馬の純真さと芯の強さで立ち直る。 二人は「恥じることはない」「思い残すことはない」愛の心情を持ち続ける。 「死を考えるのは仏道ではない」。 晒し者にされた純信とお馬は流刑で別れ別れになり幕が下りる。  二人がここまで生きていたことが何よりである。 お馬の愛の言葉は艶めかしい。 「・・体が溶けるようだ」。 そして二人に対する村人たちの噂話はキツイ。 今ならインターネット大炎上のような状況だろう。 レチタティーヴォが多いが気にならない。 中でも状況説明が舞台を整然とした流れにしている。 しかも民衆の動きや美術や照明も規律があり淀みがない。 指揮者田中祐子の手や腕の滑らかな動きが劇場にリズムを作り出す。 愛や噂話の生々しさをこれらが包み込んで物語を豊かにしている。 また背景として語られる黒船来航、安政大地震、愛染明王、般若心経なども飽きさせない。 「よさこい節」が初めて歌われるのは1幕途中だが絶妙なタイミングだった。 ところで二人の仲を裂いた寺小坊主全慶の反省は長演技だったが短くてもよい。 彼の立場はよく分かる。 日本語字幕があったが今回は助かった。 仏教用語や方言が多かったからである。 *2017都民芸術フェスティバル参加公演