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■2016年舞台ベスト10

□ 城塞   演出:眞鍋卓嗣,劇団:俳優座 □ 黒蜥蜴   演出:宮城聰,劇団:SPAC □ カルメン   演出:金森穣,舞団:Noism □ イェヌーファ   演出:クリストフ.ロイ,指揮:トマーシュ.ハヌス □ 安全区、堀田善衛「時間」より   演出:獄本あゆ美,出演:メメントC □ 夢の劇、ドリーム・プレイ   演出:白井晃,台本:長塚圭史,振付:森山開次 □ 887   演出・出演:ロベール.ルパージュ □ Cross Transit   演出:北村明子,ドラマトゥルク:キム.ハク,音楽:横山裕章 □ Woodcutters伐採   演出:クリスチャン・ルパ □ 治天ノ君   演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ *並びは上演日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映像と美術は除く。 * 「2015年舞台ベスト10」

■4センチメートル

■演出:詩森ろば,作曲・演奏:後藤浩明,劇団:風琴工房 ■ザスズナリ,2016.12.21-29 ■スズナリの舞台に登場する工場は下町零細企業で主人公は悲運な結末を向かえることが多い。 しかし今日は違った。 巨大自動車工場で主人公は当設計部門に勤めている。 車椅子をそのまま乗せられる車を作りたい! その為には車高を4センチメートル増やす必要がある。 設計や製造部門の同僚や上司へ説得を続けるが簡単に事は運ばない。 しかし一つ一つ問題を解決し最後に目標を達成する話である。 まとまっている舞台である。 歌唱もあり歌詞もストーリーに溶け合っている。 車椅子と自動車の問題点も納得がいく。 社内会議やプレゼンテーションも定性的だが違和感は無い。 企業の社会的立場への提言も分かり易い。 演出家は知的障害者ボランティア活動をしていたらしい。 これも説得力ある流れに繋がっているのだろう。 楽日で超満員の客席は身動きがとれない。 今年最後の観劇だが楽しい舞台で終わらせることができて嬉しい。 *作品サイト、 http://www.windyharp.org/yon/

■ルーツ

■脚本:松井周,演出・美術:杉原邦生 ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2016.12.17-26 ■インフルエンザの流行で公演中止か!? いや大丈夫でした。 でも先日の「キネマと恋人」は払戻になってしまった。 今年はインフルの当たり年ですかね。 大スタジオの端まで使い切った舞台は目に入りきらない。 道や建物の多くは黒系スチールパイプで組み立ててある。 下手のコンビニだけは写実的です。 忘れられた集落に生物学者が古細菌研究のため新しく住み込もうとする。 研究者小野寺は言う。 「古細菌を調べれば人類のルーツがわかる・・」と。 住民は昔からの生活を守る為、彼を共同体に迎えるかどうか儀式で試す。 集落の女が生んだ、誰が父親かわからない子をカミとして祀りあげるのがそれだ。 <誰の子かわからないようにする>を積み上げてルーツの深層構造を作る。 これが表の天皇制から裏の部落問題まで日本の<忘れられた構造>に近づける鍵かもしれない。 しかも小野寺の古細菌調査は<誰の子かわかるようにする>研究です。 この真逆な二つがあからさまに対決するのは共同体が弱くなっている証拠でしょう。 しかし二つの絡み合いをスタッフは無関心でいる。 文化人類学や民俗学から抜け出たようなキャラが賑やかすぎてルーツへ向かうベクトルが見えなくなってしまった。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/roots

■ミラノ・スカラ座、魅惑の神殿

■監督:L・ルチーニ,出演:R・ムーティ,D・バレンボイル,マリア・カラス,P・ドミンゴ,L・ヴィスコンティ ■Bunkamura・ルシネマ,2016.12.23-(2015年作品) ■「昼は閉ざされているようにみえる、・・中に入らないと謎が解けない」。 前を通るときはいつも閉ざされているの。 「スカラ座は大きい、ピットも広い、・・舞台に立つと客席には陰謀めいた雰囲気があり緊張する」。 うーん、歌手は不安になりそう。 「場内の通路を歩いていると過去の芸術家の生きている気配が・・」。 なんという通路! 狭くて天井角に丸みがあり小さなシャンデリア風電灯がところどころに配置され表面が肌色で統一されている通路は何かが出てきそう。 「ドゥオーモつまり教会と対峙している・・」。 歴史と伝統以上の何ものかと向き合っているのね。 「ピットに立つと指揮者は謙虚になり、演奏者に歌手に舞台に教えられる」。 指揮者も大変。 「廃墟の1946年5月、まずは劇場を建てよう」。 ミラノ市民に拍手。 12月7日シーズン初日までの数個月間を追ったドキュメント映画よ。 過去の歌手や指揮者や演出家の名前が沢山登場して詰め込め過ぎの感があるわね。 でも関係者からみると外せない名前ばかり。 さすが芸術の殿堂、スカラ座! *作品サイト、 http://milanscala.com/

■亡国の三人姉妹

■原作:A・チェーホフ,翻訳:中田博士,演出:多田淳之介,出演:東京デスロック ■富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ・マルチホール,2016.12.21-22 ■公園で浮浪者がテントを張って暮らしている。 そのような光景が舞台に広がります。 周囲にはダンボールや生活用品、人形や玩具が散らばっている。 その多くには丸い穴が開いています。 なんと役者たちの話相手が多彩で面食らいました。 役者と人形、人形と人形、役者と玩具、リーディング=朗読、空に向かって・・、もちろん役者同士の対話もあります。 三人姉妹の心模様がハッキリと伝わってきます。 対話が役者同士でないと色々な思いを沢山の言葉で伝えることができるからだと思います。 しかしモノはその場に浮遊しているだけで、人間関係からくる幸せや悲しみのみが抽出され客席に届く。 マイクとスピーカの使い方に雑な場面があったのは残念ですが面白い手法です。  「100年前のチェーホフから届いた手紙」の返信がこの作品のようです。 三人姉妹の未来を待つ姿は現代人でも同じです。 しかし「姉妹の苦しみは未来の人々の幸せに繋がる」舞台でした。 姉妹と同じ悩みを分かち合えたからです。 *チラシ、 http://deathlock.specters.net/files/3shimai_omote.jpg *2016.12.25追記 「テントはパレスチナ難民キャンプと想定できる」(ASREAD16.11.25)。ナルホド。

■真田丸

■作・脚本:三谷幸喜,演出:木村隆文ほか,出演:堺雅人ほか ■NHKテレビ,2016.1.10-12.18(全50回) ■大河ドラマを毎週観たのは初めてである。 興味のある作品はレンタルでまとめ借りをして一気に観るようにしていた。 昨年この方法で「平清盛」を観たがツルツルした感触が全体を覆っていて面白かった。 最近の「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」はみていない。 今年みた理由は以前、NHKスペシャル「大英博物館」でナビゲーターを演じていた堺雅人をみてビビッとくる役者に感じたからである。 しかし「真田丸」では彼の良さが残念ながら出ていない。 口をへの字にして目をまるめ説得しているような喋り方だけでは頂けない。 演出の都合もあったのだろう。 作品にぴたり溶け込んでいたのは真田信之役大泉洋ではないかとおもう。 三谷幸喜の夕刊連載記事は欠かさず読んでいる。 しかし彼の作品・演出では「真田丸」以外観ていない。 記事によると大河ドラマは子供から年寄りまで楽しめないといけない。 これで苦労しているらしい。 佐助の煙幕や火薬などは子供向けだな。 古い大河作品に味があったのは原作がしっかりしていたからだろう。 *作品サイト、 http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/

■マリア・カラス、伝説のオペラ座ライブ

■指揮:G・セバスチャン,出演:M・カラス*,T・ゴッビJ・マルス,A・ランス ■東京都写真美術館,2016.12.13-17.1.6(パリ・オペラ座ガルニエ宮,1958.12.9収録) ■昨年から上映していたがやっと観ることができた。 マリア・カラスは「ノルマ」「イル・トロヴァトーレ」「セビリアの理髪師」の数場面を歌唱で、後半は「トスカ」二幕を演技でみせてくれたけど言うことなし! 作曲家の4人と選曲も満足だわ。 1958年パリ・オペラ座ガルニエ宮レジオンドヌール勲章寄付金公演での収録で半分以上はカットされていたけど十分に堪能できる。  客席の有名人にも驚きね。 チャーリ・チャプリンはフランス語ができないからインタビューに応じなかったようだけどブリジット・バルドはチラッと写ったわね。 あとジェラール・フィリップも。 入場料が2万フランだと言っていたから当時の40米ドルくらいかしら。 映像はルネ・コティ大統領の到着や客席・舞台裏・ガルニエ宮の内装まで解説入りだからオペラ座に行ってきたような気持ちになってしまった。 *映画com 、 https://eiga.com/movie/81586/

■銀河鉄道の夜

■作:宮沢賢治,演出:レオニード・アニシモフ,出演:東京ノーヴイ・レパートリーシアタ- ■TNRT劇場,2016.12.15-17 ■ジョバンニと出会った人々の死を通して「本当の幸い」が薄暗い照明の中で次第に見えてくる舞台でとても素晴らしかった。 奥行の無い劇場だから大袈裟な台詞や動きはできない。 これも作品を良い方向に動かした。 キリスト教が前面に出ていたけど素直な中身で嫌味がない。 死を見つめる静寂さが響き渡り久しぶりの感動に浸ることができたわ。 終幕カムパネルラの死をジョバンニの再生に繋げる演技が少しでも感じ取れたらより深みが出たとおもう。 *劇団、 http://tokyo-novyi.muse.weblife.me/japanese/pg556.html

■かもめ

■原作:A・チェーホフ,演出:三浦基,出演:地点 ■吉祥寺シアタ,2016.12.13-17 ■会場に入るとニーナが茶と菓子を勧めてくれます。 いいですねえ、ウフフ・・。 舞台は机と椅子が縦一列に並べられ社員食堂のようです。 客席は三方を取り囲んでいる。 トレープレフがアクセントをずらし強調しながらガンガン台詞を喋り続ける。 そして机の上で歩き転げまわる。 他役者は時々科白を言うがほぼ静止の状態です。 ニーナも台詞量は多いのですがトレープレフとは比較になりません。 役者達で奏でる地点独特な身体的ハーモニーとリズムは影を潜める。 この役者間の非対称性のため演劇により近づいた作品になっています。 しかし女優たちの静止している時の存在感の薄さが気にかかる。 男性陣は様になっていた。 女性たちは喋り続ける生き物だからかもしれない等々考えながら観てしまった。 戯曲の中で目立つ事件や行動、科白が強調されているのでかもめのエキスを体験したような観後感が残りました。 「かもめ」を既に観てきた客がその具体と抽象の差異から何かを得ようとしたい舞台にもみえる。 トレープレフの自殺はいつも冷めた驚きがあります。 この舞台は饒舌と沈黙からくる落差が驚きに繋がっていました。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/09/post-52.html

■沙翁復興、逍遙からNINAGAWAまで

■感想は、「 沙翁復興、逍遙からNINAGAWAまで 」

■ヘッダ・ガブラー

■作:H・イプセン,演出:A・シェルバン,出演:クルージュ・ナポカ・マジャール劇場 ■シアタートラム,2016.12.10-11 ■緑色の壁に赤布のソファそして古代ローマ風の門を見ただけで異空間に入り込める。 が、なんと夫テスマンは不真面目で大袈裟なスキンシップを繰り返す。 これが周囲に伝染して道化的態度が舞台に漂う。 観客も迷ってしまうだろう。 レコードプレイヤーの選曲は気に入らないがこの流れを助長している。 だが慣れてきたら以外と面白いし統一感がじわりと出てきたのは流石。 夫テスマンの肉体を昇華したような動きに他役者も呼応しているが妻ガブラは台詞や振付の裏に現実がチラッとみえる。 ガブラの自殺に納得できない理由がこの二人の差かもしれない。 背景を100年後にしたガブラの混乱が原因だろう。 召使ベルテは逆に昇華しすぎて素人に近づいてしまった。  物語的感動は少ないが欧州演劇の血液が舞台に流れているのを感じる。 そして近年、中欧の劇団を観る機会が多いが独特な劇的さを持っている。 字幕の問題を差し置いても、それは舞台上のあらゆる関係性の硬さから湧き起こる。 この作品もそれを持っている。 * 第3回 東京ミドルシアター・フェスティバル国際演劇祭イプセンの現在参加作品 *演劇祭チラシ 、 https://setagaya-pt.jp/cms-wp/wp-content/uploads/2016/08/ibusen2016_A4.pdf * 劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201612ibsen.html

■ドーレ・ホイヤーに捧ぐ、「人間の激情」「アフェクテ」「エフェクテ」

■振付:D・ホイヤ,S・リンケ ■あうるすぽっと,2016.12.9-11 ■上演は3本。 「人間の激情」はホイヤー1962年の作品らしい。 舞台にハンガーラックが置いてありダンサーはそこから衣装を選択していく。 これをみてビビッと記憶が甦った。 帰って記録を開けたら1990年4月にスパイラルホールでスザンネ・リンケを観ていたのだ。 彼女自身踊ったのか忘れたがハンガーラックの使い方は新鮮だったので覚えている。 本日のカーテンコールにリンケ本人が登場した。 会えて嬉しい。 舞台はモノトーンで20世紀前半に戻ったような雰囲気がある。 女性ソロだが手の使い方が印象深く、おおらかでハッキリした振付である。 音楽も単純でダンサーに絡まない。 舞台背後にホイヤー自身の踊る映像が時々流れる。 次の「アフェクテ」(リンケ1988年)は男女間の感情を表しているようだ。 沼地でカエルや鳥の鳴き声、雨音を聞いているような音楽だが最後は戦場の銃声である。 「エフェクテ」(リンケ1991年)はやはりデュオだが空間も衣装も白でダンサーはサングラスを掛けている。 長い金属棒を持ち大きな銀色トランクケースを動かし回す。 ケースから食器などを取り出したりもする。 古いSF系の匂いもする。 モノと身体それに音楽を個々に意識して見ることができた時代の作品である。 複雑に絡み合った今とは違う。 観客の拍手が小さかったのは現代との差を戸惑いとして感じたからだとおもう。 F/T2016参加作品。 *作品サイト、 http://www.festival-tokyo.jp/16/program/linke/

■エンターテイナー

■作:J・オズボーン,演出:R・アシュフォード,出演:K・ブラナ,G・グレインジャ,F・ダンスタ ■TOHOシネマズ日本橋,2016.12.9-15(ガリック劇場,2015年?収録) ■作者のインタビュー映像が最初に流れるの。 なぜかというと「怒りを込めて振りかえれ」の作者と同姓同名だから。 時代は1950年代ロンドン、エンターテイナーの主人公ライスとその家族の物語ね。 彼の後妻や前妻の子供たちが登場、そして彼の父も有名エンターテイナなの。 このためか日常会話が派手にみえる。 でも豊かな雑談だわ。 スエズ動乱での息子の死、父の再婚話やトロント移住など当時の英国風景が重なっていて引き込まれるからよ。 ブラナー・シアター・ライブを3本続けて観たけどこの作品が一番ね。 ブラナの得意分野だとおもう。 舞台は父の住居だけど時々ミュージックホールに早変わりするのが楽しい。 住居背景の鉄道会社の海水浴場広告が緞帳に変わるの。 その緞帳の前で歌や踊りが披露される。 舞台上の柱などの装飾はとても凝っている。 舞台にもう一つのガリック劇場があるみたい。 ライスの歌と踊りが終わると住居に変わり日常会話が再会するという流れが良く出来ている。 でも会話中に酒を飲む場面が多すぎる。 これはちょっと酷い。 酒がなくても面白くすることはできるのに・・。 これを差し引いても楽しかったわ。 ともかくブラナーの表裏が見える舞台だった。 休息時間にクイズが上映されたの。 「1950年代に一番売れた雑誌は?」。 答えは「ラジオ・タイムズ」。 「配給制が無くなった年は?」。 「・・1954年」。 この舞台背景は未だ戦時の配給制度が残っていてラジオが全盛だったということね。 *作品サイト、 http://www.branaghtheatre.com/the-entertainer/index.php

■気狂い裁判

■作・演出・出演:向雲太郎,出演:飯田孝男,野嵜好美,奥村勲,劇団デュ社 ■こまばアゴラ劇場,2016.12.2-11 ■役者たちは日常衣装ですが白塗で登場します。 でも雲太郎の衣装はツンです。 淵を黒く塗りキョトンとする彼の目はファンタステック・プラネットのドラーグ族のようです。 動きも似ている。 核戦争が終わりシェルター内に生き残っている原子力施設の博士、所長、研究員の3人と逃げ込んできた男(雲太郎)が裁判ゴッコをする話です。 被告になり過去の戦争犯罪人として有罪にされていく。 エノラ・ゲイの広島原爆投下場面は詳細です。 リトルボーイはポコチンになり研究員の股に落下していく。 そして男と研究員(野嵜好美)はシェルターから核汚染の地上へ出て行くところで幕が下りる。 地上はいつも気狂い裁判だった。 しかしこの今、ほんとうの地上の風景を見たい!とおもったのでは・・。 舞台が複雑にみえるのは白塗りや裸の効果も大きい。 途中のヘンテコなダンスも活きています。 ダンサーである作者は近頃芝居に転向したらしい。 寄せ集めの身体言語に楽しさがあるのは作者の方向性と一致しているからでしょう。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage63297_1.jpg?1481237930

■パブリック・エネミイ、人民の敵

■原作:H・イプセン,演出・出演:tgSTANティージースタン ■シアタートラム,2016.12.7-7 ■机が置いてあるが略なにも無い舞台だ。 ト書きを喋ったり進行役をするプロンプタを含め役者は5人で一人3役から4役を熟す。 ただしプロンプタと医者ストックマンは専任で演じている。 台詞の喋りが速くて字幕が追い付けない場面がある。 もちろん字幕を読んでいる暇はない。 パッと見て意味を感じ取り役者に目をやるのが精一杯である。 一人数役だから尚更である。 途中喋り方が速すぎると観客から意見がでたが以降もテンポは落ちない。 実は通訳が客席前列にいて役者と観客の仲介をしているのだ。 ストーリは原作により近い。 チラシを読むとテクスト=戯曲に拘っている劇団らしい。 しかも演出家のいない役者だけのグループだと初めて知った。 「俳優がみな演出家でありドラマトゥルクである・・」。 この劇団を観るのは二回目(「 ノーラ 」)だが記憶に強く残る何かを持っている。  観客席からは笑い声が聞こえる。 今日は余裕のある客が多いようにみえた。 「 社会の敵はだれだ 」を先日観ていたので人物関係を含め流れについていけたが忙しくて笑うところまでいかなかった。 観ながら米国大統領選挙を考えてしまう。 「人民の敵」も「人民の味方」もコインの表裏のようなものである。 「敵」「味方」を発する人々は追い詰められている。 これに「正義」が加われば最悪だろう。 *第3回イプセン演劇祭参加作品 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201612ibsen.html

■セビリアの理髪師

■作曲:G・ロッシーニ,指揮:F・アンジェリコ,演出:J・E・ケップリンガ,出演:M・ミロノフ,L・ベルキナ,L・D・パスウアーレ,D・イェニス ■新国立劇場・オペラパレス,2016.11.27-12.10 ■ロジーナの住居が舞台狭しに建っている。 回り舞台だけどよく回るわね。 裏に回ると壁を取り除いてあるから部屋が丸見え。 赤色の階段とカラフルな内装で家具や小物が散らばっている。 伯爵は繊細な感じで好色感には見えない。 声も巧緻さがある。 ロジーナとの恋愛も真面目さがでていてた。 楽しいけれど静けさがある。 演奏も伯爵に合わせているようだわ。 透き通っている。 楽器編成がいつもの半分ということもあるかも。  観客席も幕開けは伯爵のパワーが気にかかる様子だったけど次第に満足ある雰囲気に向かったの。 フィガロは張りがあり舞台を引き締めていたしベルタも肩を並べていた。 この作品は落ち込んでいるときに出会うとウキウキし始めて元気になれる。 師走だけど伯爵のお蔭でじっくり鑑賞できたわ。 伯爵さま! *NNTTオペラ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/151224_007956.html

■愚者たちの機械学、大反復劇あるいは戯作者式イマジ音楽劇

■演出:J・A・シーザ,出演:演劇実験室◎万有引力 ■川崎市アートセンタ・アルテリオ小劇場,2016.12.1-4 ■どこかで見たような場面が断片的に続く。 台詞も抽象が多く単語だけが耳に残る。 唯一祖父との関係が断片を繋ぎ合わせていたけどタイトルに沿った内容にみえる。 美術も闇の帝国マグリット風にみえたけどいつも以上に幾何学的なの。 この為かパフォーマンスのような観後感を持ってしまった。  科白が音楽・照明・美術・衣装と結び合って役者の身体がトランスに入り観客の身体と同期する。 でも科白が抽象のため起爆剤が欠けてしまい醒めた同期しか得られなかった。 寺山世界はベースに西洋系と東洋系の二つがあるけど特に西洋は台詞が鬼門なの。 やはり東洋起源の生身の台詞が含まれないと醒めてしまうからよ。 ところで共同演出は新しさが出てくるはず、これからが楽しみね。 *劇場サイト、 http://kawasaki-ac.jp/th/archives/detail.php?id=000192&year=2016

■ヘンリー四世、第一部混沌・第二部戴冠

■作:W・シェイクスピア,翻訳:小田島雄志,演出:鵜山仁,出演:浦井健治,岡本健一,ラサール石井,中嶋しゅう,佐藤B作 ■新国立劇場・中劇場,2016.11.26-12.22 ■木材を乱雑に組み立てた美術と客席を歩き回る役者で劇場が芝居と繋がりました。 使い難い中劇場を上手くまとめた感じがします。 正面席で観たのですが役者の動きと立ち位置は均整が取れていて見事でした。 ハル王子が放蕩三昧をしている理由は科白で観客に伝えられます。 科白以外からは王子の心の奥を読めない。 それだけ王子は爽やかです。 雑音が無いと言うことです。 王子の言葉は聞き漏らすまいと耳を立てました。 対してフォルスタッフは饒舌ですね。 彼の台詞は芝居全体の半分を占めているのではないでしょうか? でも円やかさがあり過ぎる。 もっとゴツゴツ感を期待していたのですが・・。 もう一人、ヘンリ・パーシは中劇場向きですね。 科白に手の動きなどを交え反乱軍指揮官らしいカッコイイ身振りです。 第一部はフォルスタッフとヘンリ・パーシが面白くしていた。   第二部前半にも戦争場面がありますが前後が続かずストーリの付録にみえます。 でも史劇として必要だったのでしょう。 次にフォルスタッフ旧友、地方検事シャロたちとの楽しい場面が続きますが緊張が緩んでしまいました。 そのままヘンリ四世の死そしてヘンリ五世の誕生と終幕まで一直線です。 作者は手を抜いたのでは? 新王はフォルスタッフを遠ざけるのですが、王権として当たり前で形式的な行動を取っただけにみえます。 でも彼は歳ですから遠ざける理由は無い。 ここでハル王の心が読めていなかったことで答えが見つからない。 脱皮した新王ヘンリ五世を引き立てたかっただけでしょうか? 全体がまとまっていて緻密な舞台でした。 調和のある演出が光っています。 シェイクスピアがこの作品を書いたのが1600年でヘンリ五世が活躍したのは1400年です。 当時の200年差は今の20年でしょう。 初演を観た人々はテレビで政治スキャンダルでも見ているような感覚で楽しんだのではないでしょうか。 *NNTTドラマ2016シーズン作品 *作品、 http://www.nntt.jac.go.jp/special/henry4/

■眠れる森の美女

■演出・再振付:熊川哲也,音楽:P・I・チャイコフスキ,指揮:井田勝大,出演:中村祥子,遅沢佑介,Kバレエカンパニ ■恵比寿ガーデンシネマ,2016.11.26-12.9(東京文化会館,2016.6.11収録) ■舞台にすんなり入っていける。 序幕は青と紫で統一されていて心が休まるからよ。 振付では手の繊細な動きが東洋的にみえる。 手は多くの意味を作り出し物語を呼び寄せるの。  オーロラ姫が16歳になった一幕は全体が黄と緑に変わる。 沢山の精霊が登場するけど名前を聞いただけで物語を豊かに膨らませることができる。 音楽も寄り添っていて舞台に乱れがみえない。  眠りに入った二幕は茶で統一。 衣装はバッスル・スタイル風で驚きね。 でも王子がカラボスをやっつけて姫を救い出す流れはちょっと急ぎ過ぎてリズムが狂ったわ。 三幕の結婚式は金色よ。 時間をたっぷり取っているからダンサーたちを十分に堪能できた。 姫中村祥子は力強い。 余裕の踊りね。 王子遅沢佑介も彼女の鋼鉄ボディをしっかり受け止めていた。 あと宝石の精井澤諒と青い鳥池本祥真も目に留まったわ。 ダイナミックだけど井澤は剛で池本は柔と言ったところかしら。 Kバレエカンパニーの舞台は独特な個性があって「うーん、ナルホド!」と感嘆の連続ね。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/74378

■社会の敵はだれだ、イプセン作「人民の敵」変奏曲

■台本・演出:毛利三彌,出演:池田勝,森岡正次郎,森源次郎,山口眞司,水野ゆふ,小林亜紀子 ■あうるすぽっと,2016.11.26-27 ■足尾銅山鉱毒事件で幕を開けたが前作品の要約らしい。 次には北陸海沿いの町で起きたヘルスセンター温泉汚染隠蔽事件に進む。 隠蔽するのは利権や町民の生活がかかっているからである。 センタで働ける、客が来れば町が潤う、しかも汚染で病人は出ていない・・。 そこに原発建設計画が持ち上がる。 再び町民は二手に分かれ賛否の行動を起こす。 賛成の理由は汚染水と同じである。 終幕、原発賛成のヘルスセンタ長森寅之助とその弟で原発反対の医者森藤吉が建設是非の集会で賛成と反対の演説をして幕が下りる。 兄弟、夫婦、父娘、父孫の関係が演じられるがセリフを含めとても現実的である。 社会と個人の両方を天秤にかけながら各自の行動を展開していくからだとおもう。 特に主人公森藤吉の妻はな子の会話はクールだった。 演出家は世間と舞台の違いが分かっている。 しかし舞台では現実を超えたリアルに近づこうとはしていない。 現実をそのままリアルにしたいらしい。 このため終幕の演説は劇的とは言えない。 だがいろいろ考えさせられる内容である。 やはり演出家も終幕の演説が気になっているらしい。 カーテンコールに登場し観客の意見を求めた。 地震と津波なら人は立ち直ることができるが原発事故は自然災害とは比較にならない深い傷跡を残すとの発言がある。 劇中でも放射性廃棄物を10万年間管理する話があった。 原子力を管理する時間は生活世界とは桁違いの量と質を必要とする。 その技術は今も無い。 にもかかわらずヘルスセンタ汚染隠蔽も原発建設も町民は同じところに行き着く。 天秤にかけるのは損得からの教訓からきている。 確率が低い災害に遭うのは運が悪い、そして発生したら何とかするしかないと。 しかし「選挙の一票と人格を持った一人は違う・・」と森藤吉は核心に迫る演説をする。 対立すればするほど政治は一人を一票に変質させすべてを数で処理する。 *第3回イプセン演劇祭参加作品 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/78347

■景清

■原作:近松門左衛門,脚本:フジノサツコ,演出:森新太郎,出演:演劇集団円,橋爪功ほか ■吉祥寺シアタ,2016.11.17-27 ■人形劇とは驚きです。 しかし等身大の人形はすぐに舞台に馴染みます。 顔がのっぺらぼうだからでしょう。 源頼朝の家臣たちは特に大きく作られている。 権力の移行が分かります。 人形遣いも人形から離れて主張する場面が多い。 柔軟な構造です。 ただし景清とその娘だけは人形を使いません。 景清を演ずる橋爪功は声調が柔らかい。 反してめっぽう力が強い。 悪七兵衛と言われるだけありますがこの差に面白さと違和感を覚えます。 小野姫の手紙がもとで嫉妬した阿古屋を死に追いやってしまう硬さを景清は持っている。 自身の目を潰すのも同じでしょう。 この為か人間関係の思いから来る感動は少ない。 内容より自己の厳しさを表す形が優位にみえる舞台です。 景清の娘は不思議な存在です。 景清が阿古屋の腹を割いて取り出した子であることは物語の途中で分かります。 娘は武士=もののふに殺されたと言っています。 父を訪ねた時には既に死んでいるのでしょうか? 彼女は殺されるとき緑豊かな自然に囲まれた穏やかな風景でなかったことを悔やみます。 再びの別れ際に父も武士=もののふだったことを許したのでしょうか? 幾つかの疑問を持ちながら幕が下りてしまった。 舞台背景に大きく書かれている「南無・・」は武士という固い生き方をしている景清が本当は柔らかく生きたいと願っている言葉かもしれません。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/78367

■ロミオとジュリエット

■作:W・シェイクスピア,演出:K・ブラナ,出演:L・ジェイムス,R・マッデン,D・ジャコブ ■TOHOシネマズ日本橋,2016.11.18-24(ガリック劇場2015年?収録) ■映画作品として編集しているから舞台の匂いは少ない。 例えばカラーではなくて白黒なの。 1960年前後のイタリア映画みたい。 でも現代調のリズムが入り混じって独特な舞台になっている。 前半は客席から笑い声が絶えなかった。 字幕からも分かる気がする。 そしてジュリエットと乳母や両親の対話に力が入っている。 この話の中身は現代女性の結婚にも通じるわね。 それとストーリーが丁寧に作られている。 なぜそのような事件が起きるかを事前に筋道をつけているからよ。 また予感を口にすることも多い。 この二つが若い人向けとして分かり易い内容にしているのね。 ケネス・ブラナのダイナミックな感じは出ていた。 そして前回の「 冬物語 」より計算されてまとまっている。 ブラナのシェイクスピアは初期作品のほうが相性が良いのかしら?

■ラ・ボエーム

■作曲:G・プッチーニ,指揮:P・アリヴァベーニ,演出:栗國淳,出演:A・フローリアン,G・テッラノーヴァ,F・カピタヌッチ,石橋栄実,森口賢二,松位浩 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.11.17-30 ■この作品は息抜きができる。 歌唱と演奏に身を委ねていればいいの。 楽しい舞台だった。 ミミとロドルフォ、マルチェッロとムゼッタの歌手の組み合わせも良かったわ。 ロドルフォ役テッラノーヴァは声が透っていて素晴らしい。 あとムゼッタ役石橋栄実も存在感が出ていた。 時代が19世紀だと日本人歌手も違和感が無い。 これも結構重要だとおもう。 日本上演の多くは主役だけが外国人だからうまく溶け合わないのよ。 第二幕のパリの街はなかなかね。 街並みが動くからカルチェ・ラタンを歩いているようだった。 またカフェ・モミュスで歌手がテーブルに座って客席と対面する場面はとても楽しかった。 早いけど今年一年の疲れが取れた気分になれたわよ。 *NNTTオペラ2016シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_009480.html

■DANCE to the Future 2016 Autumn ダンス・トゥ・ザ・フューチャー

■アドバイザ:中村恩恵,振付:貝川鐵夫,木下嘉人,宝満直也,福田紘也 ■新国立劇場・小劇場,2016.11.18-20 ■ダンスには狭く感じる舞台だ。 ダンサーが五人になると息が詰まる。 第三部の「即興」は6人も登場するので渋谷の繁華街道端でワイワイしているだけにみえた。 とりあえず客席前3列を舞台に組み込めばよい。 しかし舞台を広くするとバレエテクニックが増える予感もする。 振付家は冒険を避けバレエから離れられなくなる。 本日の上演は7作品。 この中でビビッと感じたのは以下の二つ(上演順)。 1.「ブリッツェン」(振付:木下嘉人) ダンサーたちの動きが引き締まっていた。 3人のまとまりも良い。 音楽の選択も合っていた。 バレエを越えていたところがいい。 一番印象に残った。  2.「福田紘也」(振付:福田紘也) 真面目な作品が多い中でこれは羽目を外していて楽しい。 机を使った手足の動きが面白い。 初めての振付で清水寺から飛び降りたのがよかった。 でもコーラを何度も飲むので見ていてハラハラした。 拍手が少なかったのは観客が保守的だからである。 そのほかの作品では、「ロマンス」(振付:貝川鐵夫)は音楽が平凡である。 振付と相性が良かったが冒険をしてもよい。 「Disconnect」(振付:宝満直也)は音楽とダンサーの動きが非同期でせわしなかった。 お互いの良さを相殺してしまった。 「即興」のピアノ、ヴァイオリン、オーボエ演奏は楽しませてくれた。 *NNTTダンス2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/151224_007947.html

■福島を上演する

■作・演出:松田正隆,マレビトの会 ■にしすがも創造舎,2016.11.17-20 ■開幕前の作家松田正隆の挨拶で、作品は20に分かれ四日間四公演で毎日5章ずつ上演するとの話がある。 つまり内容が毎日違うらしい。 旧体育館をそのまま使った舞台です。 照明も普通光で音楽も小道具も無く、役者は普段着で登場しパントマイムを取り入れて福島の今を表現していきます。 東日本大震災から既に5年が過ぎているので舞台の日常生活は見慣れた風景です。 でも時々傷跡が見える。 復興補償金や放射能測定器、風評被害が話題にされる。 「静かな演劇」を観ているようです。 それも相当静かです。 日常と舞台の境界線を歩いているような感覚がやってくる。 役者の棒読みのような科白と動き、それにパントマイムが独特なリズムを持っている。 このリズムが小さい傷跡をも感じさせる。 これが日常場面と一緒になり観る者の意識に積み重なっていく。 多分この積み重ねがドラマに変換され見え始めるのでしょう。 繋がっているようないないような5章を観終わると福島の生きる今が形として残るのです。  作者も言っている。 「・・それらの集積を通じて対象とする都市に固有の時間/歴史を探り出そうとする」。 映画ではよくありますが、リズムある場面の集積がドラマを作る方法は舞台では珍しい。 会場で配っていた資料をみても作者は小津安二郎を意識していますね。 アーフタトークはみなかった。 そして四公演の一日しか予定が残念ながら取れません。 *F/Tフェスティバル・トーキョー2016参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/16/program/performing_fukushima/

■遠野物語、奇ッ怪其ノ参

■原作:柳田国男,演出:前川知大,出演:仲村トオル,瀬戸康史,山内圭哉,池谷のぶえ,安井順平,浜田信也,安藤輪子,石山蓮華,銀粉蝶 ■世田谷パブリックシアタ,2016.10.31-11.20 ■説話の一つ一つが劇中劇として演じられます。 語りと演技の計算され尽くした絡み合いが素晴らしい。 劇中劇に入ってから再び戻る時は夢から覚めたようです。 岩手の風景でしょうか? 雪の白、夏の青、流れる雲そして異形の者が現れる赤の、刻々と変化する背景の山の絵も迫力が有る。 しかし物語は分断されてしまう。 標準化を推し進める平地人イノウエと山人を見ることができるヤナギダの論争が背後で展開されるからです。 科学的説明は説得力があるし二人の議論は面白い。 しかし論争がそのまま観客の現実に結びつくので芝居の感動は分散されてしまう。 それでも論争を乗り越え遠野物語が持っている豊かな物語世界に感じ入ることができます。 山人・天狗・河童や死者の世界が身近にある日常はやはり生が充実しますね。 総合力を背景に舞台での語りの面白さを十分に味わいました。 * 「奇ツ怪,其ノ弐」( 世田谷パブリックシアター,2011年) *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20161031toono.html

■トリスタンとイゾルデ

■曲:R・ワーグナー,指揮:S・ラトル,演出:M・レトリンスキ,出演:N・ステンメ,S・スケルトン,R・ペーパ,E・グバノヴァ,E・ニキティン ■新宿ピカデリ,2016.11.12-18(MET,2016.10.8収録) ■この作品を観るといつも愛と死の妙薬を飲んでしまったような気分になってしまう。 ストーリーは分解され愛と死のことしか考えられない。 だから歌唱と音楽だけあればよい。 映像を再び持ち出したので面白さが半減したけど前回*1よりずっと良くなっていた。 余分な映像は見た途端その意味を考えてしまい舞台から一瞬離れてしまうの。 でも過去の出来事だけは映像に頼るしかないのかな? トリスタン役スチュアート・スケルトンがイプセンの演劇のような演出だったとインタビュウで言っていたけど一幕はその通り。 でも他作品と違ってパッションの塊だけが迫ってくる。 幕が上がるほどワーグナーになっていくけど、いつもの宇宙的爽快さは無い。 男性歌手たちの風貌は全員バス的だったけど歌唱は抜群によかった。 テノールは滑るような感じだったのでもう少し噛み締めると厚みが出るわね。 日本語字幕は分かり難いところがあったけど良しとしましょ。 *1、 「トリスタンとイゾルデ」(MET,2008年) *METライブビューイング2016作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2016-17/#program_01

■戦火の馬

■作:M・モーパーゴ,脚本:N・スタフォード,演出:M・エリオット,T・モリス,出演:S・D・ヤング ■東宝シネマズ六本木,2016.11.11-16(NT2014年?収録) ■馬のダイナミックな演技に驚きました。 繊細さも持ち合わせている。 等身大パペットの中に二人の人形遣いが入り棒遣いも加えると3人から5人で操作している。 馬以外にもいろいろな人形や大道具が登場し楽しい舞台になっている。 照明や映像も迫力満点です。 前半のイングランド農場にはアヒルやナイチンゲール?が飛び回る長閑な風景が広がり、後半のフランスの戦場では大砲や戦車が激しく動き回り光景が一変する驚きがあります。 特に戦場が具体的に描かれている。 イギリスやフランス、ドイツの各兵隊や農民が入り交ざるので複数言語の面白さが出ている。 また第一次世界大戦は機関銃・戦車・毒ガスが登場したので今まで活躍していた騎兵隊は使い物にならない。 このため次々と軍馬が死んでいく。 作者は大戦で1千万頭の軍馬が死んだと予想している。 英国からは百万頭が戦地へ渡り数万頭しか戻れなかった。 このような中で馬のジョーイが主人公の農家息子アルバートと共に苦難を乗り越えて戦場から帰るという話です。 ジョーイとアルバートの強い絆は素晴らしい。 原作では馬の一人称だが舞台では周囲の人々の語りで進められると作者がインタビューで話していたが、この作品の舞台化は多くの困難があったらしい。 役者がお面や尾を付けてそのまま馬を演じようとした案もあったようですね。 この芝居に感動したスピルバーグが後に映画化したというのも頷けます。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/82984/

■冬物語

■作:W・シェイクスピア,演出:R・アシュホード,K・ブラナ,出演:K・ブラナ,J・デンチ ■東宝シネマズ日本橋,2016.11.4-10(ガリック劇場2015年収録) ■シアタ・ライブがまた一つ増えたのね。 ケネス・ブラナを調べたら「ヘンリ五世」(1989年)、「愛と死の間で」(1991年)、「から騒ぎ」(1993年)、「マイティーソー」(2011年)を過去に観ていた。 またRTCを設立して1990年東京グローブ座で上演している。  ガリック劇場はとても素敵な感じがする。 舞台や客席がこじんまりしていてくつろげそうだわ。 でもブラナには似合わない。 リオンティーズの妻を疑う流れや、農民の歌と踊り、運命の再会など全てにわたり抑揚が効き過ぎているからよ。 台詞の楽しさは伝わったけど、どこか映画的にみえる。 この作品はもっとシットリ感があったほうがいいと思う。 これがブラナのシェイクスピアかもね。 次の「ロメオとジュリエット」もどう出るか楽しみだわ。 * 「冬物語」(ROH2014年) *作品サイト、 http://www.btlive.jp/winterstale

■治天ノ君

■脚本:古川健,演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ ■シアタートラム,2016.10.27-11.6 ■主人公大正天皇嘉仁が明治と昭和の皇室を繋げながら、その先にある平成をも射程に入れて天皇とは何かを考えさせてくれる舞台である。 総理大臣大隈重信は言う。 「天皇とは神棚である」。 しかし人間天皇を目指そうとした嘉仁は現人神である父睦仁と祖父を目指す息子裕仁の板挟みに遭う。 これを達成できたのは、彼の持病や大隈が言う「第一次世界大戦の火事場泥棒」も背景にあったが、一番は側近を遠ざけての皇后節子との結婚生活だった。 世界大戦終結後の大正時代は爛熟する文化の匂いもする。 それは東宮輔導有栖川宮威仁や宮内大臣牧野伸顕が言う「日清日露戦争で臣民は疲れ切ってしまった」反動から来ている。 これも嘉仁の行動を後押ししたのだろう。 今、大正時代と周囲の政治動向が少しずつ近づいている。 脚本家も生前退位の話をしているが、先日「明治の日」制定の動きがあることをニュースで知った。 はたして昭和天皇即位のなか群衆の熱狂と万歳、君が代演奏で幕が閉じる・・。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201610chiten.html

■パール食堂のマリア

■作・演出:吉田小夏,出演:青☆組*1 ■吉祥寺シアタ,2016.11.1-7 ■「治天ノ君」観劇後、バスで下北沢に出て井の頭線で吉祥寺に向かう。 劇団化5周年記念作品ということで観ることにしたのだが、どうしても舞台に入ることができない。 先ほどの劇チョコが頭から離れないからである。 今日は作品の組み合わせが悪かった。 清潔感溢れる街が組み立てられている。 コンクリートのトンネルと木の壁の組み合わせ、中央に2組のテーブルがあるパール食堂、周囲には緑の外灯や紫の家のドアなど色と形の統一感が目につく美術だ。 よく考えられているが素人が一生懸命作った舞台にみえる。 チラシには1970年代の横浜とあるが1950年後半の科白と年代不詳の舞台。 この時代や場所の差異は何から来ているのだろう?  街娼もうろつき人間猫も登場する。 バール食堂の家族の物語である。 バーや食堂の労働者、中学校教員や生徒家族の日常を描いていく。 そしてマリアとは誰=何なのか? 美術と同じで役者たちの動きと台詞もとてもよく考えられている。 形式美を追求しているような感じを受ける。 全体がひとつの詩ではないだろうか? 観客席からは幾つかの場面で共感の頷きが聞こえる。 不思議な感じを受けたが残念ながらリズムに乗れない。 続けてしかも異質な芝居を観るのは心身に良くない。 *1、 「初雪の味・鎌倉編」(2012年) *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/08/post-50.html

■翻案・犬の静脈に嫉妬することから

■振付:小林嵯峨*1,出演:榎木ふく,犬吠埼ヂル,小松亨,相良ゆみ,入江平,横滑ナナ ■d-倉庫,2016.11.4-6 ■客の平均年齢は高いですが若い女性も多いのは小林嵯峨だからでしょう。 それに答えてか彼女は色打掛と角隠しで登場します。 舞台中央に薄汚い階段が延び、下手の錆びついた洗面台から水が垂れている。 嫁入り衣装での踊りは異様です。 衣装を脱いで白の長襦袢の後ろ姿には血が滲み出ている・・。 後半、薄い肌着だけで女の性を表現する独舞は圧倒されます。 あと一歩で鬼婆ですね。 ダンサー6人が登場しますが日常の目をしています。 途中、犬の首をぶら下げた乞食仙人が登場し彼女を慰めますが喜劇的です。 土方巽のチラシ文章の激しさとは違う感じがします。 翻案とあるように小林嵯峨の思いが表現されているのでしょう。 女というものを前面に出している作品に見えました。 *1、 「kRUMI-2」(d-倉庫,2010年) *秋工会サイト 、 http://akiko-tokyo-doso.main.jp/kikoh/aki_kikoh_20160831.html

■ワンピース

■作:尾田栄一郎,脚本:横内謙介,演出:市川猿之助,出演:市川猿之助,市川右近,坂東巳之助ほか ■新宿ピカデリ,2016.10.22-(新橋演舞場2015.11収録) ■ダイジェスト版を見ているような作品です。 初めての人には分かり難い。 そのためかト書きや解説、自己紹介が多い。 カットの影響も有るのでしょう。 登場人物の超人的技も役者身体に結び付かない。 映像などで補うしかありません。 美術や衣装そしてアクロバットのような舞台を楽しむ作品です。 自由や革命から仲間との友情に比重を移していきます。 場面ごとに家族としての仲間の団結を強調します。 ストーリーが分断されている為この強調だけが積み重なっていく。 言葉だけが独り歩きをしている。 ルフィの市川猿之助は目を細め開いた口から歯を見せ始終表情を変えない笑顔を徹底していきます。 この顔こそが仲間や友情という独り歩きの言葉をかみ砕いて再び舞台に取り込みなんとか生き返らせようとしているのではないでしょうか? この笑顔が強く残る舞台でした。 *シネマ歌舞伎第25弾作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/onepiece/

■ロメオとジュリエット

■音楽:S・プロコフィエフ,振付:K・マクミラン,指揮:M・イェーツ,出演:米沢唯,V・ムンタギロフ,福田圭吾,中家正博,奥村康裕ほか ■新国立劇場・オペラパレス,2016.10.29-11.5 ■井澤駿が都合で出られなくなったのは残念。 ムンタギロフは痩せたのかしら? 見違えるようだわ。 代わりのためか抑えていたのがわかる。 最初から飛ばしていたマキューシオとティボルトの二人は存在感があった。 前者は動きも良い。 ロメオとジュリエットが出会う舞踏会の一幕、決闘場面の二幕は何度観てもドキドキハラハラね。 演奏も後半に行くほど舞台に溶け込んでいった。 特に3幕は淡々としていたけど心に染みてきたわ。 ジュリエットを含めダンサー達は日本的感情表現の為か中途半端だけど落ち着いた舞台になっていた。 演劇的感動も十分堪能できたわよ。 *NNTTバレエ2016シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_009440.html

■哀れ、兵士

■作・演出:パク・グニョン,出演:劇団コルモッキル ■あうるすぽっと,2016.10.27-30 ■4つの物語を交互に演じていく構成である。 どれも粗削りだが一つにどっぷり浸かることがないので韓国の全体像が結ばれ浮かび上がる。 しかも主人公の死へ踏み込んでいく過程が描かれるので強い感情を伴って響いてくる。 そして国家に雁字搦めにされていく韓国の若者が見えて来る。 太平洋戦争末期、日本軍特攻隊に志願した朝鮮人が靖国神社に祀ってほしいと母に言葉を残し出撃する話、2004年イラクで反米武装集団に誘拐された米軍物資調達業者の韓国人が米韓政府の行き違いから公開処刑になってしまう話、2010年の大韓民国海軍哨戒艦沈没事件で犠牲者たちの直前の行動を再現する話、そして2015年韓国軍で兵脱走事件が発生するが行き場を失った兵が銃殺される計4話である。 韓国の文化検閲に引っかかり危ぶまれていたが今年3月にソウル南山芸術センタで上演された作品である。 アーフタトークで政治的中立で悩むという話があった。 演出家も言っていたが、監督や演出家が納得するものを素直に舞台に載せればよい。 他にもう一つ、カネを出したスポンサーは口を挟まない。 言うのは簡単だがこの二つは作成での必要条件。 でないと舞台を観る意味がない。 *F/T2016参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/16/program/all_the_soldiers_are_pathetic/

■Woodcutters伐採

■作:トーマス・ベルンハルト,演出:クリスチャン・ルパ ■東京芸術劇場・プレイハウス,2016.10.21-23 ■時代は1980年頃のウィーンかしら? アウアースベルガ夫妻主催の芸術家パーティの一日を描いているの。 自殺した彼らの友人ヨアナの弔いパーティでもある。 そこに招待された作家トーマスは芸術家たちの退廃的な光景をみるが最後はその現実世界を受け入れる・・。 友たちを、この都市を国を憎むけれどまた愛す・・。 舞台応接室は観客とガラスで仕切られていて役者は温室に居るようだわ。 でも鉄とガラスのウィーン分離派の影響が微かに感じられる。 ダンサーヨアナの衣装もクリムト風で素敵ね。 映像も舞台と違和感が無い。 芸術家たちは話題の舞台「野鴨」のイプセンとストリンドベリから始める。 でも演出家ルパはポーランド人のためかソビエト風に仕立て上げていく。 全てが政治家や役人に集約していくの。 行き着くところは国立劇場批判ね。 カーテンコールで現ポーランド国立劇場が危機に瀕しているアッピールがあったけど芝居の続きなのか一瞬迷ってしまったわ。 国家と芸術の境界にいる国立劇場をみればその国の芸術状況がわかる。 このアッピールは本物ね。 今でもソビエトの亡霊から逃れられないのかもよ。 オーストリアにポーランドが混ざり込んで独特の退廃感あるパーティ場面になっていたとおもう。 忘れていた中欧と東欧に北欧、それに鱸のメインデシュ。 演劇論も美術論も古臭かったけどヨーロッパ作品のパーティ場面はどれも刺激的ね。 *F/T2016参加作品 *F/Tサイト、 http://www.festival-tokyo.jp/16/program/woodcutters/

■フリック

■作:アニー・ベイカー,翻訳:平川大作,演出:マキノノゾミ,出演:木村了,ソニン,村岡哲至,菅原永二 ■新国立劇場・小劇場,2016.10.13-30 ■2012年のアメリカ東部マサチューセッツ州、デジタル化が押し寄せているのに未だフィルムで上映をしている古ぼけた映画館が舞台です。 そこで3人の若者が働いている。 前半は彼らの仕事場面が描かれる。 もちろん映画の話が一杯です。 映画好きにはたまりません。 科白に「間」があるので独特なリズムが映画館に響き溜っていきます。 リズムある芝居は映画に近づいていく。 「アメリカングラフィティ」が歳を重ねた作品にもみえる。 そこに「ゴドーを待ちながら」が加味されているからです。 登場する51本の映画名が載っていたのでプログラムを購入しました。 早速、観た映画を数えたら25本・・。 「突然炎のごとく」「白夜」「マンハッタン」「マルホランド・ドライブ」「AI」も掲載されていて嬉しいすね。 映画は世代が少しでもズレると作品が合いません。 51本中約半分しか見ていないのでも分かります。 しかも米国映画は俳優重視になる。 エイヴリとサムの対話にもそれが現れています。 後半は映画作品から離れていく。 二つのクライマックスがあります。 サムはローズが好きなのですが上手く言い出せない。 土壇場で告白するがその時ローズを見つめられない。 女は見つめてもらいたい。 ローズの強い性格がこの不満を口に出す。 男は余計彼女を見つめられなくなる。 ・・。 サムの鶏頭はよかった。 もう一つは入場料をピンハネしていたことがバレてしまった場面です。 エイヴリが旧約聖書エゼキエル書?の一節を読んで一人で責任を背負う。 彼は眼鏡を外し喋るのですが残念ながら血肉まで伝わってこない。 米国なら観客はここで震えたのではないでしょうか? この二か所がピュリッツァ賞等受賞の理由と考えたがプログラムに後者のことは書かれていない。 聖書場面で感動に迫ることができれば日本上演も合格でしょう。 *NNTTドラマ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/151225_007977.html

■お国と五平  ■息子

■お国と五平 ■作:谷崎潤一郎,演出:マキノノゾミ,出演:佐藤B作,七瀬なつみ,石母田史郎 ■息子 ■作:小山内薫,演出:マキノノゾミ,出演:佐藤B作,佐藤銀平,山野史人 ■吉祥寺シアタ,2016.10.6-13 ■「お国と五平」はコンパクトにまとまっていて芝居には打って付けにみえる。 舞台装置は簡素でもよい。 それより男と女の関係が古さは残るがほぼ全て入っているのが一番である。 その関係も現在完了形の語りで進められるので演出の見せ場を如何様にも作れる。 谷崎潤一郎の耽美感は薄いが最後まで集中できる舞台だった。 艶めかしい場面は五平がお国の足の指を舐めるように見つめるくらいか。 世間への復讐に落ちていく闇討ちに溜息が漏れてしまう。 お国の方言が新鮮に聞こえた。 「息子」は粗筋を読まないで観たのだが父と子はお互いに最初からお見通しだとわかる。 息子金次郎が幕切れで老爺に「ちゃん!」と呼ぶところは江戸明治作品でのデジャヴュにみえた。 役者二人は舞台の外でも父と子である。 「お国と五平」の上演時間が短いため二本立てにすることが多い。 「息子」を観た後は「お国・・」が薄くなってしまったが二つは通底している。 友之丞と老爺は生まれや育ちから逃げられないと幾度も口にする。 両作の時代背景などを考えながら観てしまった。 *作品サイト、 http://www.kpac.or.jp/collection9/

■ワルキューレ

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:G・フリードリヒ,出演:S・グールド,A・ペーゼンドルファ,G・グリムスレイ,J・ウエーバ,I・テオリン,E・ツィトコーワ ■新国立劇場・オペラパレス,2016.10.2-18 ■歌唱も演奏もじっくり堪能できたわ。 久しぶりのワーグナーに浸れた至福の5時間半だった。 長い対話も日本語訳がしっかりしていたからぶれなかったのね。 誓約と自由を語らないと愛へ進めないからよ。 音響がいつもより澄んでいたのは座席位置がよかったのかしら? 歌手たちも程良くまとまっていたし舞台美術も悪くない。 でも二幕舞台上手に小物が散らばっていたのは目障りよ。 ここの指輪シリーズ*1は軽さを感じる面白さがある。 この軽さを持った抽象が得意のようだからそれに徹すべきね。 終幕、流れる溶岩をみていると「ジークフリート」が待ち遠しくなってしまった。 *1、 「ラインの黄金」(NNTT,2015年) *NNTTオペラ2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/walkure/

■KATANA

■振付・出演:森山開次 ■世田谷パブリクシアタ,2016.10.7-9 ■鋭角を感じさせる振付で、ときどき剛の中に軟が現れる。 褌を変形したような衣装で舞踏や相撲などを連想してしまう。 紅い花もこの流れに沿って一貫性がみえる。 10年前の作品らしい。 これならニューヨークタイムズも取り上げるだろう。 日本的な密度が充満しているからだ。 KATANAは日本刀を意識しているようでダンサーに緊張感が溢れている。 このためか自由に観ることができない。 ところで音楽が舞台から遊離しているように感じた。 指向性スピーカ?が舞台前面にあるためかもしれない。 ダンサーを掠めて音楽が通り過ぎてしまっている。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/201610katana.html

■Cross Transit

■演出・振付・出演:北村明子,ドラマトゥルク・ビジュアルアートディレクタ:キム・ハク,サウンドディレクタ:横山裕章,出演:柴一平,清家悠圭,西山友貴,川合ロン,チャイ・レタナ ■シアタートラム,2016.9.29-10.2 ■舞台後方と両端に1m四方の白箱がたくさん積み重なっていて、そこにカンボジアでの写真を加工編集して映し出すの。 科白は散文だけど詩にも変化する。 音楽も日常の音であったり東南アジアの民族音楽?などが混ざり合っている。 ダンスは硬さのある激しさと静けさを合わせ持っていて、骨を意識する動きで武術のような振付にもみえるわね。 ひさしぶりに総合力ある舞台を観たという感動が押し寄せてきたわ。 振付・映像・音楽・科白のそれぞれに個性があり自立している。 これが互いに共鳴し合い統合されて舞台に現れてくる。 演劇的感動も感じるの。 上演90分だったけど時間配分もリズムを持ち淀みが無い。 ある種の到達感がみえる。 振付家の作品は10数年前に何回か観た記録があるけど記憶に無い。 ウーン、北村明子恐るべし。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/201609cross.html

■EIGHT DAYS A WEEK, The Touring Years  ■リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

■EIGHT DAYS A WEEK,The Touring Years ■監督:ロン・ハワード,出演:ザ・ビートルズ ■東宝シネマズ新宿,2016.9.22-(2016年作品) ■1964年のビートルズ全米ツアーを中心に編集されているの。 でもニュースのダイジェスト版を観ているようだわ。 これでは面白くないとスタッフも思ったんじゃない? それでクレジットタイトル後にシェイ・スタジアムでの映像を付録として流したのね。 付録のリアルさにはかなわない。 本編では過酷なツアーでビートルズが疲労していく様子が写し出されていたわね。 それとアメリカの保守性がみえたことかしら。 一つは黒人女性がビートルズの公民権運動支持に安堵していた場面、二つ目はジョンのキリスト発言でのイギリストとは違う反応よ。 誰にでもビートルズとして振る舞い、誰でも受け入れる態度と、やんちゃなユーモアが4人の素晴らしいところだわ。 *映画com、 https://eiga.com/movie/84419/ ■リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド ■監督:マーティン・スコセッシ,出演:ザ・ビートルズ ■(2011年作品) ■上記を観るついでにレンタルしたの。 ジョージ・ハリスンに絞ったドキュメンタリー映画よ。 彼の二面性については誰もが言っている。 「静かなビートルズ」に隠れている骨太な行動をね。 作詞・作曲への方向転換、インド音楽への接近、広範囲な交友関係。 その一人であるエリック・クラプトンに妻を渡してしまうのもビックリ。 ジョージの精神世界を巧く撮っている。 監督の腕も良いのね。 *映画com、 https://eiga.com/movie/57248/

■ハード・ブロブレム

■作:トム・ストッパード,演出:ニコラス・ハイトナー,出演:オリヴィア・ヴィノール ■東宝シネマズ川崎,2016.9.30-10.5(NT2015年収録) ■心脳問題を話題にしたストーリのため追うのが大変。 意識とは何か・・、心=意識は脳=物質に還元できるか? 主人公ヒラリーは心理学者だけあって同僚の機能主義を採らずむしろ二元論的言語主義に傾いていくようね。 作者トム・ストッパードの考えも同じだとおもう。 至るところで自然言語に基づく考えをさり気なく述べているからよ。 でもこのような問題を芝居に載せても面白くない。 つまり断片的議論や実験結果はイージー・プロブレムに還元されてしまうから。 芝居では耐えきれないのよ。 しかも「囚人のジレンマ」を例に生物進化での利己・利他主義を並行で議論するからより混乱してしまう。 結局はヒラリーに哲学に転向しようと言わせてしまうの。 お祈りや別れた子供との出会いも添え物にみえる。 ここは突破口だったのに深めることができない。 脳や遺伝子と生物の話題を混ぜ合わせたのはいいけど下手に拡散させてしまったのね。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画COMサイト、 https://eiga.com/movie/82983/

■別の場所

■作:ハロルド・ピンター,演出:赤井康弘,出演:サイマル演劇団 ■サブテレニアン,2016.9.22-25 ■ハロルド・ピンター短編三作「ヴィクトリア駅」「いわばアラスカ」「家族の声」を上演。 「ヴィクトリア駅」ではタクシ運転手と手配係の連絡がいつのまにか仕事以外の話や行動になっていく・・。 「いわばアラスカ」は29年間の眠りから覚めた妹が姉や医師と時のずれた話をする・・。 「家族の声」は街に出た息子が忙しい日常生活を語り、並行して田舎にいる老母は忘れられない息子への独白が続く・・。 どれも出来事や時空の関係がどこか噛み合っていない。 ピンターはよく知りません。 短編のため結婚話など家族関係から題材をとっているようです。 舞台は狭いし動きがないので役者の声が優位になります。 身体から湧き出る喋り方をする役者としない役者が混ざっている作品は分解しそうですね。 帰ってから調べたのですが彼は映画狂らしい。 そういえばルイス・ブニュエルの作品から笑いを取ってしまったような舞台にもみえました。 *主催者サイト、 http://itabashi-buhne.jimdo.com/

■DISGRACEDディスグレイスト

■作:アヤド・アフタル,演出:栗山民也,出演:小日向文世,秋山菜津子,安田顕,小島聖,平埜生成 ■世田谷パブリクシアタ,2016.9.10-25 ■パキスタン系弁護士アミールと白人画家の妻エミリ、アミールの同僚で黒人弁護士ジョリ、美術館職員ユダヤ人アイザックのアメリカ国籍4人の緊迫感が続く対話で息をするのも忘れて観入ってしまいました。 ベラスケスの肖像画「パレーハ」とムーア人、アーネスト・ベッカ「死の拒絶」とウディ・アレン、ジョン・コンスタブル、V&A所蔵のイスラム美術などが話題にのぼります。 ニューヨークで程々の階級人たちの生活風景が見えて面白い。 これだけの話ができるのも多様な民族と宗教が潜行しながらも日常でぶつかり合うからだと思います。 アミールの出生でインドとパキスタンの違いが国家ではなく宗教の違いとして議論されます。 そして国籍や名前を変更する時には民族を加味して宗教→民族→国家と順に進める。 民族とは舞台上のように肌の色なのか?母語や神話・歴史由来なのか?上手く説明できません。 日本人の多くは国家→民族→宗教のように逆に下る。 しかも民族や宗教は霞んでよくみえない。 ですからアミールが9.11テロ事件で特別な感慨を持った時に、観客の多くは先ずは国家を考えてしまうでしょう。 でもアミールの心は読めない。 特別な感慨に三つはどのようにかかわっているのでしょうか? この構造の違いに出会うと頭が痺れて思考停止になってしまう。 アミールとジョリの法律事務所経営での確執、エミリとアイザックのギャラリー出展での仕事不倫も気が抜けません。 イスラエル側の事務所所長はアミールを首にします。 そして妻が描いてくれた肖像画を見つめながら幕が下りる・・。 息をするのを忘れて観てしまうのも世界先端で起こっている事件や芸術や生活が迫ってくる舞台だからでしょう。 *作品サイト、 http://www.disgraced-stage.com/

■荒野のリア

■原作:W・シェイクスピア,演出:川村毅,出演:麿赤兒,手塚とおる ■吉祥寺シアタ,2016.9.14-19 ■科白を聞いているとまるでシェイクスピアの「リア王」のようだ。 そういえばチラシにそう書いてあった。 麿赤兒のリアは面白い。 動きがいい。 太さが在る。 麿は舞踏より演劇に比重を割いたほうがよいのではないだろうか? 役者が全て男だけというのも舞台に加速度が出て楽しい。 特に道化とエドガがよかった。 この加速が麿を生き返らせている。 でも男からみた女の評価は月並みに聞こえた。 照明や美術も演出家の好みだろう。 ゴネリルやリーガンの科白場面でのヌード写真は納得できるが、小津安二郎やジョン・フォードの作品はどういう事だかよく分からなかった。 「晩春」や「東京物語」、ジョン・ウェインではシラケてしまう。 異化効果でも狙ったのかな? そして月の砂地にいるリアとグロスタが遠く地球を眺める終幕はなんと言ってよいのか分からない。 悪くはないが、・・邪道とも言えない。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/06/post-47.html

■マハゴニー市の興亡

■作:B・ブレヒト,曲:K・ヴァイル,演出:白井晃,音楽:スガダイロ,振付:Ruu,出演:山本耕史,マルシア,中尾エミ,上条恒彦,古谷一行 ■神奈川芸術劇場・ホール,2016.9.6-22 ■ブレヒトの時代と現代が直結している舞台だった。 ここから1930年の公演状況が目にみえてくるようだわ。 「人生は短い、時は無駄に使うな・・」「生き残るのは俺、くたばるのはお前ら・・」。 こんなにも歌詞が迫ってきたのは久しぶりよ。 歌唱と科白が混ざって物語が切れ切れになるけど少しづつまとまっていくのが分かる。 これは演出家の力ね。 「死んだらすべて終わり・・」が凄まじい食欲や性欲を肯定している。 そして終幕のデモ行進も時代と異化効果を越えてメッセージを現代に届けている。 ラジカルな舞台だわ。 マハゴニー市民席があるため広い舞台でも四散しないでみることができた。 虚しさが感じられるネオンも天井を巧く埋めていたわ。 マルシアや中尾ミエはハッキリ聞き取れたけど男性陣の歌唱で聴き難い個所があったのは残念。 山本耕史の都合で開幕が1時間遅れてしまったの。 石田三成も緊張場面は体調を崩して席をよく外していたし・・。 大谷吉継が言うように彼は繊細過ぎるのね。 * 「マハゴニー市の興亡」(浅野佳成演出2016年) *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/mahagonny

■授業

■作:E・イヨネスコ,演出:長堀博士,出演:劇団楽園王 ■サブテレニアン,2016.9.8-10 ■軍服姿の教授と手錠を掛けられた女学生で緊張しますね。 前半は言語学、後半は算数の話しですが再び言語に戻る円環構造を採るためか劇的な終幕を迎えます。 前後で教授は鬘を加え学生は役者が替わります。 前半は見応えがありました。 言葉遊びと役者身体が噛み合っていたからです。 音楽も巧く溶けあっていた。 舞台に独特な力強いリズムが表れていました。 しかし後半の算数の話はつまらない。 言語と違い役者身体に絡んでいかない。 観客も加算減算そのことを考えてしまう。 ストーリーだけが浮いてしまった。 つまり終幕に言語に戻ったので持ち直したといえる。 劇団はこの作品を12年間上演しているらしい。 安定感がある。 このためかオドロオドロしいところがみえない。 コミカルに傾き不条理が気化してしまった。 この劇場はマンション地下の空間を利用しています。 二列だけの客席は壁にへばり付いていて役者との距離も1メートルに近づく場面が多々ある。 あと3メートル離れていたら良い意味で客観的に観ることができたでしょう。 *板橋ビューネ2016「ナンセンスはアナーキズムである」参加作品 *板橋ビューネサイト、 https://itabashi-buhne.jimdo.com/archive-1/

■まちがいの喜劇

■作:W・シェイクスピア,翻訳・演出:河合祥一郎,出演:高橋洋介,寺内淳史,梶原航,多田慶子,原康義 ■あうるすぽっと,2016.9.7-11 ■この作品は二組がどれだけ似ているのか想像しながら劇場へ向かうのが楽しいのよ。 はたしてエフェソスのアンティフォラスが登場した時は帽子を深く被っていたけどシラクサにスゲー似ている!と思わず唸ってしまったわ。 間違いの喜劇ね。 駄洒落も多いし漫才をしているような場面もある。 際どい科白もあって楽しい。 この言葉世界を役者が意識しているので独特な響きが場内に広がる。 特にエイドリアーナのお喋りで夫婦裏がとてもリアルに見えてくるところが面白い。 ドローミオも道化的台詞で舞台の流れを上手に動かしていた。 それにしてもこんなにも駄洒落や綾があったのかしら? 流石新訳ね。 大団円では逆に両親の科白が再会へ集約しなくてカタルシスが得られなかった。 一人二役の欠点も現れてしまった。 なぜなら<再会>できないからよ。 終幕では兄弟同時に登場したけど後ろ向きが多くて残念。 兄弟でカーテンコールができないのは寂しい。 でもシェイクスピア科白の面白さを再び教えてくれた舞台だった。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage60063_1.jpg?1473379342

■SONATINE

■出演:GOATBED ■世田谷パブリックシアタ,2016.8.30-31 ■劇場での公演は珍しい。 でも作品は変えられない。 表面を変えるしかありません。 背景映像は意味を持たせても面白くない。 観客の想像力・集中力が縮んでしまいます。 一番は照明でしょう。 今回はライブハウス用サーチ照明でしたね。 作品はノアール的雰囲気が続くから舞台用照明や、ドラムが参加した後では逆に明るい原色を取り込んでもよかった。 しかし観客が動けないですね。 立ち姿はまるで大量発生したゾンビにみえました。 これも劇場だからですか? でもGOATBED的光景で面白い。 音響ですが家庭での音響機器とは違い粗太さに向かってしまいます。 ステージ公演とエレクトロ・ポップの宿命の溝を感じました。 最後にいつもの「ありがとう」だけでしたがちょっと勿体ない。 *主催者サイト、 http://goatbed.jp/

■Move/Still ムーヴ/スティル

■振付:ジャポン・ダンス・プロジェクト,出演:遠藤康行,小池ミモザ,青木尚哉,柳本雅寛,児玉北斗,島地保武,大宮大奨,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・中劇場,2016.8.27-28 ■舞台は公園らしい。 抽象化したすべり台だろうか? なぜか柵もある。 後半には木々も植えられる。 そこでワイワイやろうとするストーリーのようだ。 科白が多いのでダンサーたちが身近に感じられる。 哲学や公園の話やダンサーの紹介など雑多な台詞だが作品名に集約していくようにも聞こえる。 笑える場面が多くて楽しい。 通訳のような振付もある! これらの間をぬってダンスが演じられるという構成だ。 パフォーマンスにより近づいているが観客への接近をいろいろ試行している面白い演出振付である。 ここの現役バレエ団員も数人登場する。 技術的にはともかくプロジェクトからみると存在感は薄い。 前回も同じようだった記憶がある*1。 今回の作品は些細な科白や動きからダンス界が垣間見れる。 いろいろなことが感じ取れて当にカレントな舞台だった。 *1、 「クラウド/クラウド」(NNTT,2014年) *NNTTダンス2016シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/151224_007944.html

■頭痛肩こり樋口一葉

■作:井上ひさし,演出:栗山民也,出演:永作博美,三田和代,熊谷真実,愛華みれ,深谷美歩,若村麻由美,劇団:こまつ座 ■シアタークリエ,2016.8.5-25 ■明治23年から明治29年の毎年7月16日の樋口家の一日が舞台で演じられます。 舞台中央にどーんと置かれている仏壇がお盆に相応しい。 女優6人だけの為か独特なリズムがあります。 それは科白や動きに予定調和的な雰囲気が漂っている。 なんとこまつ座として800回も上演しているとのこと。 これが息の合いすぎている原因でしょう。 それでも男性中心の社会批判は止まらない。 明治時代の女性の側からみた夫婦関係や就職問題、国家や公務員の優位性が語られます。 笑いもあるが女6人の怨念が幽霊に宿っている。 樋口一葉も6人の主人公の一人にみえます。 それに7月16日のみの日付や増えていく幽霊など突飛なストーリーが観客世界に揺さぶりをかけています。 上演回数の多さに納得です。 *劇団サイト、 http://www.komatsuza.co.jp/program/past/2016/index.html#more229

■連隊の娘

■作曲:G・ドニゼッティ,指揮:M・アルミリアート,演出:L・ペリ,出演:N・デセイ,J・D・フローレス ■東劇,2016.8.11-9.19(MET2008.4.26収録) ■喜劇風オペラ・コミックのようね。 戦場で連隊に拾われ育てられた娘マリーとチロル地方の農夫トニオの純愛物語なの。 マリーが貴族の娘だったというおちが付いていて子供向小説のようだわ。 ナタリ・デセイとファン・ディエゴ・フローレスの歌唱が聞き所かな。 フローレスの裏声ではないハイCに納得。 ドニゼッティにしては素朴感が漂っている作品にみえる。 法律家になることを期待されていた彼が軍隊に逃げて作曲していた若い頃のことを思い出して創作したのかもしれない。 舞台はチロル地方の山々に地図をそのまま拡大して貼り付けてある。 二幕はこの上に骨格だけの城を築いていて美術的にも良く出来ていた。 ローレン・ペリーは初めての演出家だけどムダ・ムラ・ムリのない流れで気に入ったわ。 音響が低めに設定されていてとても聴き易かった。 2008年製だからかな? 最近のMETライブビューイングは音量があり過ぎて聴き難い。 *METライブビューイング2007-2008作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2007-08/#program_08

■ラスト・タンゴ  ■タンゴ・レッスン

□ラスト・タンゴ ■制作:W・ヴェンダース,監督:H・クラル,出演:M・ニエベス,J・C・コペス,P・ベロン,A・グティ ■Bunkamura・ルシネマ,2016.7.9-(2015年作品) ■アルゼンチン・タンゴのマリア・ニエベスとファン・カルロス・コペスのダンサー50年のドキュメンタリー映画よ。 マリアとフアンに若きダンサー達がインタヴューをする構成なの。 それを基にダンサー達が二人の踊りを再現する。 当時の実写も同時に映し出される。 このため結構忙しい内容ね。 たっぷりと踊りを観たかったけどそうはいかない。 インタヴューは二人の愛憎関係が多い。 マリアが仕事か結婚かの判断をする場面も強調されている。 現代人にも通ずるからヒットしているのね。 ダンサーの質問「踊りに行くときは服を着替えなかったのか?」に「いつも同じ服よ」とマリアは素っ気ない。 また母がゴミを漁って骨を探しスープを作った話をする1940年後半の生活も彼女の懐かしい思い出ね。 マリアたちは貧乏だったけど貧乏人とは思っていなかった。 それは社会との繋がりや人々の関係が密だったから。 この密関係の強さが彼女の顔に表れている。 現代の貧しさとの違いをさり気なく表現するところはW・ヴェンダースの鋭さね。 *作品サイト、 http://last-tango-movie.com/ □タンゴ・レッスン ■監督:S・ポッタ,出演:S・ポッタ,P・ベロン ■恵比寿ガーデンシネマ,2016.8.6-(1997年作品) ■ということでもう1本。 監督サリー・ポッター自ら出演し踊っている作品なの。 相手は「ラスト・タンゴ」に登場したパブロ・ベロン。 映画の企画が進まなくて悩んでいるサリーは偶然タンゴを観てレッスンを受ける。 そして彼女はタンゴの新作を考えようとするストーリーなの。 観客を含んだ劇中劇の逆をいく再帰的な流れよ。 しかも監督が主人公だからネスティング構造にもなっている。 音楽と踊りがリズムよく散りばめられていて流れそのものがダンス的ね。 ほぼ白黒で哀愁も帯びていて、サリーとベロンの二人は侘び寂びの愛を演じている。 さすがサリーの内面は巧く表現している。 ベロンの描き方は少し童話的だけど。 「去年マリエンバードで」の撮影場所、「パリ、テキサス」風の音楽、「雨に唄え

■天使は瞳を閉じて

■作・演出:鴻上尚史,出演:虚構の劇団 ■座高円寺,2016.8.5-14 ■放射能汚染地区に侵入した訳あり人々がそこから出られなくなってしまう。 境界に壁ができてしまったからです。 しかたなく彼らは街を作り生活をし始める・・。 空回りをしているような明るい舞台です。 役者たちがプラスチックでできているようにみえる。 1986年のチェルノブイリ原子力発電事故も1987年のベルリン・天使の詩もひっくるめて、初演当時の高度経済成長の達成と崩壊の兆しが無意識に強く出ている舞台にみえました。 前回の「 グローブ・ジャングル 」からもう一歩時計の針を戻した気がします。 時代の雰囲気を再現した舞台です。 30年の差異を考えさせられます。 *虚構の劇団第12回公演 *劇場サイト、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1528

■エリック・サティを踊る、ダンスが見たい!18

■出演:大森政秀 ■d-倉庫,2016.8.4 ■夕涼みを兼ねて行ってきました。 でも日暮里は緑が少ないので涼しさは感じられない。 公演は1回で、しかもソロ。 こういう場合即興の比率は高いのでしょうか? サティがテーマらしい。 彼の曲は特徴があり観る前にイメージが固まってしまうので取り払うのが大変です。 衣装は皺のある色褪せた白いシャツと同じようなズボン、腰に手拭を挟んでいる。 昭和中期のスタイルに見えました。 曲はサティですが雑音も入ります。 とちゅう針金の束をほどき吊るしたりする。 当時の工業化が押し寄せている表現かもしれない。 演者の青春時代を思い返しているようにみえました。 終幕はいつもの長いドレスに着替え髪を解いて再登場。 色はグレーです。 先ほどまでの踊りもまた無常である。 演奏もジャズ風に変わり見応えがありました。 *劇場サイト、 https://www.d-1986.com/d18/

■MR.DYNAMITE、ファンクの帝王ジェームス・ブラウン

■監督:アレックス・ギブニ,出演:ジェームス・ブラウン,ミック・ジャガ ■アップリンク,2016.6.18— ■ジェームス・ブラウンとその時代がぎっしり詰まったドキュメンタリー映画である。 彼のダンスと歌唱は一目みれば筋金入りとわかる。 顔も原人のようで野性味がある。 人類の歴史もぎっしり詰まっている感じだ。 1964年TAMIショーでブラウンの次に登場したローリング・ストーンズが子供のように見えてしまった。 比較しても年齢差をはるかに越えた実力がみえる。 これは舞台の外でも同じだ。 1968年大統領選挙で彼が民主党ハンフリー候補を応援した場面ではハンフリーが怖れのあまり縮こまっているのがわかる。 ニクソン大統領も同じだろう。 テレビ番組討論会では出席していた大学教授は彼にまったく歯が立たない。 「ジェームス・ブラウンは4歳で母に捨てられ9歳から売春宿で働いた・・」。 この20文字の素性だけでも凄まじい。 このためかカネへの執着も強い。 いざこざからバンド仲間を即解散し新たなバンドを結成し半年で軌道にのせてしまう。 人間関係と組織統率の激しさは並ではない。 公民権運動の一つ「恐怖に抗する行進」で彼が演壇で歌う場面、キング牧師暗殺直後のボストン公演が暴動寸前になる場面を含め、20世紀後半の合衆国の黒人差別史がモロに出ている。 当にダイナマイトそのままの内容であった。 ところでプロデューサーとして72歳のミック・ジャガーが登場して語るのだが童心に帰ったような笑顔を持ち続けていた。 ここだけは観ていて力が抜けてしまった。 2014年作品。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/mrdynamite/

■月・こうこう、風・そうそう-「かぐや姫伝説」より-

■作:別役実,演出:宮田慶子,出演:和音美和,山崎一,花王おさむ,松金よね子,橋本淳,竹下景子,瑳川哲郎 ■新国立劇場・小劇場,2016.7.13—31 ■「かぐや姫」が下敷きですが風道の吹き溜まりでいろいろな話が混ざり合っていきます。 意味ありげな人々が次から次へと登場する。 多くは悲劇のようなものを背負ってきますが不条理変換すると喜劇のようなものに広がります。 すべてが混ざり合って独特な雰囲気が漂います。 それは静かなようで五月蠅い。 煩い中に静寂がある。   言葉と身体がこの雰囲気から少し外れていた役者もいましたが。 また囲碁は長過ぎて調子が狂ってしまった。 短くしたらどうでしょうか?  新作のようですが作者の集大成にもみえます。 盲御前の歌う「舞え舞えかたつむり」は印象深い。 舞台を豊かにしていました。 姫の行く末を語りにして幕を下ろすのは作者も悩んだのではないか? 輪廻を表現し難かったのかもしれない。 勿体ない気もします。 別役作品を久しぶりに楽しめました。 *NNTTドラマ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006145.html

■BENTベント

■作:マーティン・シャーマン,演出:森新太郎,出演:佐々木蔵之介,北村有起哉 ■世田谷パブリックシアタ,2016.7.9—24 ■1934年のベルリン、同性愛者マックスはナチス親衛隊に捕まるが連れのルディを見殺しにして護送列車で出会ったホルストと共に強制収容所に入る。 しかしホルストも力尽き・・。 無関心を強いられる苦しみの時代が続いて行くのね。 粗筋を知らないで観たのはアタリ。 前半はベルリンの怪しい雰囲気が漂っているけど、後半はダッハウ収容所の風景に一変するの。 ナチス親衛隊は異次元からいつも突然に現れる。 それでも「シシュポスの神話」を乗り越えてマックスとホルストの愛は深まっていく。 過酷な労働の休息時間にお互い触れられず見つめることもできない中での愛の行為、次の休息時間では「抱きしめているよ」とホルストの死体に呟く別れ。 遠くを見つめ、ユダヤの黄色から桃色の三角印に着替えて有刺鉄線に向かうマックス・・。 同性愛、特にゲイの場合は友情関係も大事にみえる。 友情が源のような場面が幾つかみられるからよ。 これで異性間の恋愛とは違った雰囲気が表れる。 闘争と征服を感じさせる肉体関係と結び付いて独特の硬さが現れるのね。 生物として心が休まらない硬さなの。 走り続ける愛とでも言うのかしら。 観終わっても走り続けている感じだわ。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage59611_1.jpg?1468529657

■ニッポン・サポート・センター

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2016.6.23—11 ■福祉系のNPOや公務員の仕事には疎いが、捩れた人間関係を回復支援する人々の仕事を舞台でみるのは初めてである。 舞台構造が変わっている。 NPO事務室の奥に会議室があるのだが完璧な防音とブラインドで会議の様子を窺うことができない。 お客と所員の肝心な話を聞けない。 このため事務室での雑談で全てを知るしかない。 雑談は劇団の得意とする場面だが、いつもと違ったリズムと緊張感がある。 盗撮問題、夫婦や子供への虐待などの現実を論じているからだとおもう。 演出家は「貧困や格差も・・きちんと見つめて」と言っているが、雑談を観ていると大らかさは有るが「なんとなく違うんじゃないか?」と考えてしまう。 現実と虚構の融合が中途半端にみえる。 科白や微妙な間合いと動きに役者たちの統一感がみえなかったからである。 休息を除き2時間の長さも影響している。 これは観客側の調子にも左右されるので強く言えないが・・。 チラシに「人を助けるとはどういうことか?」とあった。 所員たちが未決事項を所長に振っていたが一見優柔不断の所長は大変である。 近所のサポート・スタッフもいい加減だが「男はつらいよ」を歌うのが即効だと知っている。 このNPOが成功するには、助けると助けられるを同じ比重に近づけるが良いだろう。 これは答えの一つにもなる。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/03/75.html

■恋に狂ひて、説経「愛護の若」より

■脚本・演出:遠藤啄郎,節付け・弾き語り:説経節政太夫,出演:横浜ボートシアタ ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2016.7.1—10 ■雛祭りで飾るような人形を役者が持って演じます。 雛人形といっても身長が60cm、顔は10cmでしょうか。 手足はもちろん顔も動きません。 このため人形を持っている役者が台詞を喋ったり演技の大部分をします。  最初は戸惑いました。 役者に目がいってしまい人形が単なるアクセサリーに見えてしまったからです。 人形に魂が入らない。 しかも人形の顔が小さい。 表情があればよいのですが動かない。 これではいけないと思い後半は人形に集中しました。 でも役者の動きもけっこう激しいので同じです。 両者の動きが競合または分離してしまう。 これが面白さに到達できない理由でしょう。 役者が演技をしないで科白だけなら問題無い。 人形だけが演技をする場面もいいですね。 役者が顔を隠し黒子になるところは物語に入り込めるからです。 複雑な物語で多くを考えさせられましたが全体的には子供用の芝居を観たような後味が残りました。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/ybt35

■人と超人

■作:G・B・ショウ*1,2,演出:S・ゴッドウィン,出演:R・ファインズ,I・バルマ,C・ジョンソン ■東宝シネマズ六本木,2016.7.1—6(リトルトン劇場,2015年収録) ■主人公ジャック・タナーをみて初めてバーナード・ショウに出会えたような気がした。 彼の思想にである。 政治や宗教や階級、道徳や芸術や愛と結婚など多くの議論が俎上に載せられる。 ジャックとアンのような異性関係はよくある。 お互い気が合っているのに嫌な顔をして意識的に避ける。 ジャックは「生命力」をよく口にしていたが男女間にある引力のようなものだろう。 目的を持ってこの力に抗うことができるような人を超人と呼ぶのかもしれない。 4時間近いストーリーはハチャメチャだが台詞の面白さで字幕から目が離せない。 愛や結婚での家族や友人関係の慣習は興味をそそられる。 アイルランドやアメリカそして階級の違いも考えさせられる。 主人公レイフ・ファインズは映画作品とは違った顔を見せてくれた。 *1、「 ピグマリオン」(宮田慶子演出2013年) *2、「 ジャンヌ」(鵜山仁演出2013年)   *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/82982/

■夕鶴

■作:木下順二,指揮:大友直人,演出:栗山民也,出演:澤畑恵美,小原啓楼,谷友博,峰茂樹 ■新国立劇場・オペラパレス2016.7.1—3 ■日本語が聞き取れない!? ウーン弱った。 聞き取れるのは6割くらいかな。 何が問題なの? 集中していないと逃がしてしまい後追いで意味を考えないといけない。 前後の単語や仕草・物語の流れから読み取るしかない。 残念だわ。 「 沈黙 」では日本語の素晴らしさを堪能できたのに。 休み時間に後席の客が「何を言っているのかわからない・・」と話しているのを聞いて最初の切り分けが出来た。 こういうときはプログラムを購入するしかない。 演出家は「方言と標準語の問題がある・・」。 聞き取れないのは方言を歌唱にしたから? 方言は母音が増えるでしょ。 バスやバリトンと方言は似たもの同士で愛想が悪い。 このような状態になると音楽が歌唱を邪魔しているように感じるの。 この解決として歌詞をそのまま字幕にしたらどうかしら? やはり原作を一度読んでおかないと駄目かな。 つうの「いっしょにいたい」が強く迫ってくる。 異類婚姻譚の愛の形が崩れていくのが表れている。 もちろん原因は「カネ」。 カ行はよく聞き取れたから。 ところで外国人も来ていたけど、このオペラハウでは英語字幕を見たことがない。 演劇祭や静岡芸術劇場ではよくみかけるけどこれも必要ね。 日本語字幕のない外国作品が観難いのと同じよ。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006155.html

■ラ・バヤデール、幻の国

■脚本:平田オリザ,演出:金森穣,出演:Noism,SPAC ■神奈川芸術劇場・ホール2016.7.1—3 ■石の柱と衣装がギリシャ悲劇を連れてくるようだわ。 照明も透き通った色彩で抽象性を高めている。 皇帝の娘フイシェンの円錐形衣装は三宅一生ね。 振付も精神性があり優雅で奇をてらわない流れを持っている。 舞台の隅々まで演出家の心遣いが漂っている。 科白のある役者が3名登場するの。 騎兵隊長バートルの婚約者フイシェンと大僧正そして舞台進行役のムラカミ。 老人ムラカミと看護師が車椅子で登場した場面ではSCOTと勘違いしたくらいよ。 身体や発声動作も似ている。 でも今回の舞台にしっくり合っている。 そして老人ムラカミはかつてあった幻の国マランシェと三つの民族にまたがる愛の物語を語り始める・・。 台詞に「帝国」という言葉がとても多い。 ギリシャではなくローマへ舞台の歴史が動いていくようにみえる。 しかし季節の描写には満州らしき風景もみえる。 客席で満鉄の話も聞こえたけど考え過ぎね。 作品が小さくなってしまう。 バレエ*1では湿ったインドが背景なのにこの舞台はとても乾いている。 草原の匂いね。 帝国とは何か? 演出家は格調高い抽象性と統一性の有る舞台全体で帝国を表現したのかもしれない。 *1、 「ラ・バヤデール」(NNTT2015年) *作品サイト、 http://labayadere.noism.jp/

■阿弖流為 アテルイ

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:市川染五郎,中村勘九郎,中村七之助 ■東劇,2016.6.25-(新橋演舞場,2015年7月収録) ■ゲキXシネの新作かとチラシを見直したらシネマ歌舞伎でした。 でも中身は前者に近い。 それと阿弖流為(アテルイ)は高校日本史に登場したようですが覚えていません。 この作品の面白いところは阿弖流為と坂上田村麻呂の主人公二人が国家と距離を置いている事でしょう。 前者は神殺し、後者は「義に大が付くと胡散臭い」と言っているのでもわかります。 いつの時代でも「正義」を説く側は胡散臭い。 国家は神と一心同体であり祭りと戦争の機械でもある。 激しい戦いの末、阿弖流為と蝦夷の神は殺され大和朝廷に降ります。 しかし坂上田村麻呂は阿弖流為との友情からこれ以上の蝦夷への侵略を止める。 徳政論争の事でしょうか? 要点を突いた簡素な台詞を堆積させることにより役者たちのキャラクタをはっきりと描き出しています。 そして国家と神に翻弄されながらも二人の長の人間味溢れる舞台は最高のエンターテインメントですね。 *シネマ歌舞伎第24弾作品 *作品、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/aterui/

■ザ・カーマン

■原案:G・ビゼー,演出・振付:マシュー・ボーン,出演:C・トレンフィールド,Z・ストラレン,K・ライアンズ,D・ソース,監督:R・マクギボン ■恵比寿ガーデンシネマ,2016.6.25-(サドラーズ・ウェルズ劇場2015年8月収録) ■マシュー・ボーンのチャイコフスキはまだ古典だがビゼーになると現代へ飛ぶ。 着想はカルメンのようだが観ながら「ウェストサイド物語」を思い出してしまった。 たぶんボーンも比較を意識しているはずだ。 しかしニューヨークではない。 ジットリとした蒸し暑さが残り夕焼けで染まる薄汚い街は「欲望という名の電車」へと繋がる。 生活に密着している言語と身体でつくられた振付は日本語を母語としている者には絶対に作れないだろうと感心してしまう。 ガレージ・ダイナーからクラブ・バーそして刑務所ヘ、再びガレージ・ダイナへと円環する深みのある舞台も飽きさせない。 夫ディノを裏切り同僚ラナに罪をなすりつけ恋人ルカと逃げるナナが最後にルカを射殺するストーリも筋が通っている。 忘れた頃に聞こえてくるカルメンの旋律も郷愁を誘い1960年代アメリカ南部(そのように見えた)の若者群像に暫時浸ることができた。 *映画com 、 https://eiga.com/movie/84502/

■887

■作・演出・出演:R・ルパージュ*1 ■東京芸術劇場・プレイハウス,2016.6.23-26 ■前方席を選んだのは正解でした。 凝った舞台美術や物語構造は昨年の「 針とアヘン 」に似ていますが中身はロベール・ルパージュ本人が語る自叙伝です。 887とは彼が子供時代に住んでいたケベック・シティの番地らしい。 そこでのアパートの精密ミニチュアが置いてあり、裏返すとリビングや寝室、ガレージやスナックバーに早変わりします。 ルパージュは詩「白い言語で話せ」の朗読公演を頼まれますが上手く覚えられない。 記憶の問題から両親や兄弟とアパートで生活していた1960年代へと遡っていきます。 父がタクシードライバーだったこと、祖母の認知症のこと、アパート住人たちの生活、そしてケベック独立運動が模型・人形・影絵・映像・音楽を混ぜ合わせながら語られていきます。 例えば小さな模型のタクシーが止まり、中にいる父が煙草に火をつけラジオから流れるナンシー・シナトラの「バンバン」を聞いているのを模型アパート2階から人形ルパージュが眺め、風景全体をルパージュ本人がみつめている・・。  彼の舞台の凄さは小道具の隅々まで彼の魂が宿っていく、すべてが彼の分身のようになっていくこと。 舞台がリアルを獲得する瞬間です。 まさに魔術師ルパージュと言われる所以です。 ところで成績優秀にも関わらず彼は私立学校入試に落ちてしまう。 理由は父がタクシードライバだからです。 階級問題ではなく学校側は将来授業料が払えなくなると判断した。 たまたま日本の奨学金問題を聞いていたのでこれには考えさせられました。 ルパージュの母は子供達にこのことは父に言うなと口封じをします・・。 *1、 「ワルキューレ」(MET指輪4部作2010-12年) *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater120/

■あわれ彼女は娼婦

■作:J・フォード,演出:栗山民也,出演:浦井健治,蒼井優 ■新国立劇場・中劇場,2016.6.8-26 ■舞台には十字路が敷かれている。 だだっ広い劇場を逆手にとった巧い造りです。 道の延長が広さを従わせるから。 でも出会いと別れの意味は無く宗教的象徴のようです。 実はずっと日本の作品だと勘違いしていた。 すべてが途中から始まるようなストーリのため舞台に入っていけません。 たとえば兄ジョヴァンニと妹アナベラの愛、医者リチャーデットの貴族ソランゾへの復讐、ソランゾとローマ戦士グリマルディの対抗心など描き方が粗いためです。 でも2幕初めアナベラとソランゾが仲違いした後からリズムが合ってきました。 熟練演出家の力でしょう。 ソランゾの召使ヴァスケスは演出家のメッセンジャーですね。 そして「あわれ彼女は娼婦・・。」と枢機卿の科白で幕が下りるのは意味深です。 シェイクスピアとは違った面白さがある。 でもキリスト教の強さに戸惑ってしまい焦点が定まりません。 近親相姦のドキドキ感が無い。 多分兄ジョヴァンニの存在感にズレがある為でしょう。 他役者が発している作品に対する統一感から外れている。 ジョヴァンニだけが現代設定なのかもしれない。 娘アナベラの透き通った演技は印象的でしたが心の流れが追えない。 エリザベス朝時代の迷い子のようでした。 *NNTTドラマ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/special/16whore.html

■マノン

■振付:K・マクミラン,音楽:J・マスネ,指揮:M・イエーツ,出演:A・デュポン,R・ボッレ,S・ビュリョン,A・ルナヴァン,B・ペッシュ,K・パケット,監督:C・クラピッシュ ■東宝シネマズ日本橋,2016.6.18-24(パリ・オペラ座ガルニエ宮2015.5.18収録) ■オーレリ・デュポン引退公演なの。 散文のような動きと音楽が共鳴しあって静的なリズムを醸し出している。 ジェスチャも少ないし服を着たり脱いだりする動きもリズムに溶け込んでいる。 言語を通さず身体が直接感情に結び付いているようだわ。 ダンサーたちは官能の稜線をしっかりと歩いていく登山家みたい。 でも言葉無しの2時間半は反復してしまうわね。 決闘後の2幕2場面は省いてもいいかもよ。 これで物語が締まる。 「上手く踊るということはどういうことか?」「誠実でシンプルであること」。 インタビュでのデュポンの答えがそのままマノンに表現されているわね。 兄レスコの強い存在もマノンの行動を客観視することになった。 デュポンが最後に選んだ作品だけに彼女らしい雰囲気のあるマノンが現われていたわ。 *作品サイト、 http://www.culture-ville.jp/#!blank-4/tnccr

■アラジン

■振付:D・ヴィントレ,音楽:C・デイヴィス,指揮:P・マーフィ,出演:奥村康祐,米沢唯,NBJ,演奏:東京フィルハーモニ交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.6.11-19 ■一幕三場「財宝の洞窟」と二幕二場「宮廷」は見応えがあった。 そしてアラジンとプリンセスのパ・ド・ドゥはどれも素敵だったわ。 とくにリフトは最高よ。 手品をみているようだった。 二人の体格が似ていてシンクロしちゃったのね。 舞台修飾は華やかだけどダンスに影響を及ぼし過ぎている。 洞窟では床への斑照明が強くてキラキラ衣装のダンサーたちの動きをはっきり捕らえることができない。 つまり振付の流れが記憶できないの。 浴場や宮廷場面は全体が明るいのでそれほど気にならなかったけど・・。  二階席以上を考慮するなら全体が暗い時の床照明はシンプルがいいわね。 初めての作品だったけど感動は少ない。 主役二人の心の奥に迫れないストーリーと熊や龍など何でも有りが表面だけの舞台にしている。 子供たちは楽しいかもネ。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/aladdin/

■コペンハーゲン

■作:マイケル・フレイン,演出:小川絵梨子,出演:段田安則,宮沢りえ,浅野和之 ■シアタートラム,2016.6.4-7.3 ■1941年のコペンハーゲンで、物理学者ヴェルナ・ハイゼンベルクはニルス・ボーアとその妻マルグレーテを訪問します。 舞台ではこの訪問場面が何度も再現され、話は量子力学から核分裂そして原子爆弾製造へと深まっていく。 同時に彼らの家族・同僚・人種そして国家と戦争がこの話にまとわりついていきます。 量子力学がちりばめられているので全体に格調高い科白に聞こえる。 不確定性原理と観測問題を彼らの行動に適用している為です。 二人の不確かな本心の探り合いの繰り返しが芝居の見せ場になります。 マルグレーテの台詞は少ない。 ト書きと二人の会話に突っ込みを時々いれるくらいですが3人いないと均衡がとれません。 いつもと毛色の違う対話劇のためか役者の演技の境界をチラッと見ることができます。 ハイゼンベルクのプルトニウム臨界量計算の誤りは意図的なのか? 結果ナチスの原爆開発は遅れるが、核の脅威がここから始まってしまったことは確かです。 学者の核兵器への苦しみも伝わっては来ますが、この芝居の面白さはループ構造にして二人の悩める心を不確定性に描き出したところにあると思います。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160604copenhagen.html

■ケムリ少年、挿し絵の怪人

■原作:江戸川乱歩,作・演出:山本タカ,出演:くちびるの会 ■吉祥寺シアタ,2016.6.3-7 ■江戸川乱歩の作品は舞台に似合います。 手作り感が心地よいからでしょう。 「・・展開の無邪気さ、トリックの荒唐無稽さ、変身する姿のとんでもなさ、すべてが懐かしい・・」と演出家も言っている。 身体と直結する懐かしさが押し寄せてきます。 舞台は昭和時代の商店看板だけで閑散としていますが、名探偵明智小五郎と少年探偵団そして怪人二十面相が登場するので賑やかです。 すこし淡泊で冗長はあるが紅テントの客席に座っている錯覚にときどき陥ります。 唐十郎は近頃ご無沙汰だし今このような舞台を観るとは考えてもいませんでした。 久しぶりの「少年ごころ」に近づけました。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/73412

■ドン・キホーテ

■監督:熊川哲也,出演:白石あゆ美,伊坂文月,浅野真由香,堀内將平,Kパレエカンパニ ■恵比寿ガーデンシネマ,2016.6.4-17(オーチャードホール2016.3.12収録) ■「楽しんでくれ!」と熊川がインタヴューで叫んでいたが本当に楽しめた。 テンポはいいし振付も面白い。 ダンサーたちも素晴らしい。 舞台は城壁が迫るので集中できる。 残念なのはただ一つ。 カメラワークが酷すぎる。 動いているダンサーをカメラが追い続けるので目が回る。 それをショットの連続でするのでどうしようもない。 しかも1ショット4秒前後で切ってしまっている。 カメラスタッフは舞台が何であるかを知らない。 先日の「 NHKバレエの饗宴 」でもこの話をしたが今回は最悪であった。 しかしこれを乗り越えて面白い作品に仕上がっていた。 2幕のジプシーや夢の場面も違和感がない。 3幕フィナーレまで一気通貫であった。 *カンパニーサイト、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1607

■2016年METライブビューイング・ベスト3

・ タンホイザー ・ 蝶々夫人 ・ エレクトラ *今年のベスト3は上記のとおり。 並びは上映日順、選出範囲は2015 ・16シーズンのトゥーランドットを除いた イル・トロヴァトーレ 、 オテロ 、 ルル 、 真珠採り 、 マノン・レスコー 、 ロヴェルト・デヴェリュー と上記ベスト3の計9作品。 * 「2015年ベスト3」

■元禄港歌、千年の恋の森

■作:秋元松代,演出:蜷川幸雄,出演:市川猿之助,宮沢りえ,高橋一生,鈴木杏,市川猿弥,新橋耐子,段田安則 ■NHK・Eテレ,2016.6.4(シアターコクーン2016.01収録) ■蜷川幸雄追悼上映を観る。 歌あり踊りあり演奏もあり賑やかな江戸の庶民群像の面白さが舞台に広がっている。 しかし素性の読めない和吉に舞台があっさりと混乱してしまうこと、糸栄と信助の母子としての確信が半端なこと、歌春が万次郎をどれだけ愛していたのか遡及が必要なことなど関係の納得感が未完成にみえる。 演出家蜷川は急いでしまったのか? いやそうではない。 彼は核心部分を少し外して、広く全体の整合性で勝負をしているようにみえる。  彼の舞台は21世紀になってからは一度も観ていない。 今回映像で15年ぶりに観たが昔と変わっていない。 しかもこの作品は36年ぶりの再演らしい。 彼は今この時期にもういちど商業演劇に進出した頃へ戻りたかったのかもしれない。 *劇場サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/16_genroku/

■エレクトラ

■作曲:R・シュトラウス,指揮:E=P・サロネン,演出:P・シェロ,出演:N・ステンメ,W・マイヤ,A・ピエチョンカ,E・オーウェンズ ■東劇,2016.6.4-10(MET2016.4.30収録) ■掃除をする箒の音で幕が開くの。 オペラでは考えられない。 歌手も現代劇の俳優のようにみえる。 演技も歌唱も存在感と緊張感が一杯ね。 妹クリソテミスと母クリテムネストラの歌唱は演技に浸み込んでいくようだった。 弟オレストの佇まいには身震いしたわ。 終幕、母を殺したあと姉妹の前をロボットのように歩いていく彼の姿は復讐の女神エリーニュスに追われる未来がありありとみえてくる。 この作品はオペラの一線を越えている。 日本語訳も張りがあるの。 演劇と言ってもいいかもしれない。 演奏からくる演劇性も舞台を盛り上げている。 この面白さは演出家パトリス・シェロー*1の遺産からきているのね。 *1、 「苦悩」(2011年) *METライブビューイング2015作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/1516/

■ローエングリン

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:M・V・シュテークマン,出演:K・V・フォークト,M・ウール ■新国立劇場・オペラパレス,2016.5.23-6.4 ■騎士はエルザに向かって「私の名前を聞くな」と言うの。 ワーグナーのあのジワッとくる謎が無い。 この言葉で謎がどこにあるか明確になってしまったからよ。 「彷徨えるオランダ人」や「 タンホイザー 」のように作品の中で考え込むことが少ない。 オルトルートの執拗な行動をみていて「ゲド戦記」を思い出してしまった。 でもこの作品は名前の力を語らない。 名前を知らなければ愛することができないのか? 「愛の困難」に繋げていく物語ね。 フォークトの歌唱は心地よい朝の目覚めのように爽やかだわ。 彼が歌う時はいつも目覚めてしまう。 エルザ役ウールは低音質がオルトルートと重なるけど騎士との対話は楽しませてくれた。 合唱団が素晴らしい。 上演時間は休息を含めて6時間。 ワーグナーだから気にしないけど今回は集中力が途切れてしまう。 人数が多くて舞台が賑やかすぎたこと、美術オブジェに意味が付いていて客観的に考えてしまったこと、いつもの謎と対話をする場面が少なかったからよ。 でもやっぱりワーグナーって最高! 背景の光の壁はいいわね。 ところで3幕男性合唱団の黒の帽子・シャツ・ズボンが銀河帝国軍の制服に似ていたと思わない? ハインリッヒ国王が衣装は青だったけどダース・ベイダーね。 スター・ウォーズをみているようだった。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006154.html

■太陽

■作・演出:前川知大,出演:清水葉月,劇団イキウメ ■シアタートラム,2016.5.6-29 ■SFで精神世界を描くことが多い劇団だがこれは物理世界に風景を移している。 昼と夜に人類が分かれてしまった話である。 旧い「昼人間」は太陽下では生きられない「夜人間」に憧れる。 彼らが不病不老を手にしているからである。  しかし「夜人間」の肉体的欠陥や恋愛・結婚制度などに古臭さが舞台に漂っている。 出生率低下問題もリアルに感じられない。 不病不老への想像力に妥協があったのかもしれない。  だがこの限界を突破しようとする役者たちの心意気が舞台から伝わってくる。 娘生田結が「夜人間」に変わったのをみた父草一は泣き崩れ、連れ の奥寺純子はおろおろするばかりである。 「昼人間」の喜びや悲しみ肉体の苦しみとは何 であったのか、父娘の絆とは何であったのか、こ れから何者になっていくのかを一気に現前させる場面で強烈であった。 これに医師金田洋次の土下座、純子の息子鉄彦の「夜人間」転換許可書の破棄行動が続く・・。 終幕、 不病不老と対峙できたストーリーに拍手を贈りたい。 イキウメSFは繊細だが詰め込みすぎてリアルさを欠くことがある。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160506taiyou.html

■ロベルト・デヴェリュー

■作曲:G・ドニゼッティ,指揮:M・ベニーニ,演出:デイヴィッド・マクヴィカー,出演:S・ラドヴァノフスキ,E・ガランチャ,M・ポレンザーニ,M・クヴィエチェン ■東劇,2016.5.21-27(MET2016.4.16収録) ■エリザベス一世が女王として女として愛の憎しみ悲しみを心の表裏に塗りこめていく激しい舞台だった*1。 ラドヴァノフスキの震えある乾いた高音とポレンザーニの青春が滑っていくような歌唱のぶつかり合いで身動きが取れなかった。 しかも黒と金の室内装飾と凝りに凝った衣装が追い打ちをかけるの。 取り巻き連中が舞台の袖にいて4人をいつも見つめている劇的手法を取っているから緊張の和らぐことがない。  逃げ道の無い室内劇ね。 しかも権力者への視線から他者の視線に転化している。 ロベルトを死刑にした終幕、女王が鬘を外した狂乱に近い姿は圧巻としか言いようがない。 *1、 「マリア・ストゥアルダ」(MET2013年) *METライブビューイング2015作品 *作品、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_09

■NHKバレエの饗宴2016

■指揮:園田隆一郎,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■NHK・Eテレ,2016.5.22(NHKホール2016.4.10収録) ■「レ・ランデヴ」,振付:F・アシュトン,出演:小林紀子バレエ・シアタ これは爽やかな舞台だ。 端として申し分ない。 そしていつものことだがカメラワークがいい。 舞台全体と部分のどちらもしっかりと撮影し対象をじっくりと見させてくれる。 客席に座っているようだ。 さすがNHKである。 ■「オセロ」,原案:W・シェイクスピア,音楽:A・G・シュニトケ,振付:日原永美子,出演:谷桃子バレエ団 新作らしい。 振付家も自慢していたが音楽が心理状況に上手く寄り添っている。 しかしダンサーたちの喜怒哀楽が大げさにみえる。 短い時間で巧くまとめた反動かもしれない。 ここはもっと抑えて身体に比重を移したほうがよいと思うが・・。 ■「モーツァルト・ア・ドゥから」,振付:T・マランダン,出演:橋本清香,木本全優 マランダンと海外バレエ団で活躍中二人の組み合わせは普段見られないので貴重だ。 ■「ゼンツァーノの花祭りから」「ナポリから」,プロデュース:M・ルグリ,出演:未来のエトワールたち 若いダンサーたちの踊り難そうな振付部分がわかるから素人がみると参考になる。 ■「リラの園」,振付:A・チューダー,音楽:A=E・ショーソン,スターダンサーズ・バレエ団 プレパラシオンのない動きは舞台芸術の基本だとおもう。 感情は微分化されるのであとに残らない。 先ほどみた「オセロ」はこの逆である。 感情を積分化している。 これで過剰を招き寄せてしまった。 能楽の面などは微分し続けている表情である。 今回の6作品中で一番気に入った。 ■「くるみ割り人形からグラン・パ・ド・ドゥ」,振付:P・ライト,出演:平田桃子,S・モラレス 平田桃子をトリに持ってきた順序は見事である。 彼女は瞬間瞬間に1/100秒の余裕を持って踊り続けている。 やはり微分化である。 これが観る者にバレエの楽しさと豊かさを伝えてくれる。 日常とは積分化することである。 舞台は非日常に向かってほしい。 *劇場サイト、 http://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=568 *2016.6.19追記、 「夢

■CHROMA

■総合ディレクション:高谷史郎,音楽:S・F・ターナ,照明:吉本有輝子,メディア・オーサリング:古舘健,コンセプチュアル・コラボレーション:泊博雅,舞台監督:大鹿展明 ■新国立劇場・中劇場,2016.5.21-22 ■映像や音響・照明を含めた舞台美術が美しい。 前半は鳥や蛇や田圃風景を語り、古い製図用ドラフターを使って忘れかけた20世紀を思い出させてくれます。 ダンスは美術と同列に扱っている為か溶け込んでいて目立たない。 アリストテレス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニュートン、ゲーテ、ヴィトゲンシュタインらの光学持論が読まれます。 後半はスペクトラムを含んだ映像やアラル海(?)の風景、イーゼルを持ち出しカンバスに照明を当てたりします。 このあたりは特に美しい。 ダンスはユーモアのあるパフォーマンスに代わるがやはり空間表現の一つとして演じているようです。 それにしても連続性がありません。 場面ごとの面白さはありますがこれを積み重ねていくことができない。 ここで前回の「 明るい部屋 」を思い出してしまった。 ロラン・バルトから光学へ話が広がった為エントロピーも増した舞台にみえる。 このエントロピーが「・・ここにある世界と生きる人間の負った傷」に繋がったかどうかが分かれ目です。 その境界線上で揺らいでいる作品です。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_008649.html

■じゃじゃ馬ならし

■作:W・シェイクスピア,音楽:D・ショスタコーヴィチ,振付:J=C・マイヨ,出演:エカテリナ・クリサノフ,オルガ・スミルノワ ■Bunkamura・ルシネマ,2016.5.19-(ボリショイ劇場2015.12収録) ■ドラマティック・バレエでこの作品は初めてなの。 振付で物語を進めていくからパントマイムに近い。 そのリズムに最初は興味が持てたけど長く続かない。 コミックでダイナミックな振付だけどマンネリ化を避けられない。 同じような登場人物が多いことや性格差異を身体表現するのに限界があるからよ。  粗筋を知っているだけでは受け付けないのかもしれない。 バレエには難しい作品だけどスタッフの力には脱帽。 場面ごとに切り取った振付はなかなかだし階段と柱の美術はスカッと冴えていたし衣装も素敵だった。 もう一度観れば良さが納得できるかしら。 *ボリショイ・バレエinシネマ2015作品 *作品サイト、 http://liveviewing.jp/contents/bolshoi-cinema2015-2016/

■マクベス

■作:W・シェイクスピア,監督:J・カーゼル,出演:M・ファスベンダ,M・コティヤール ■東宝シネマズ新宿,2016.5.13-(2015年作品) ■荒涼としたスコットランド風景はそのままマクベスの心象に繋がる。 俳優たちの凄みのある顔容もこの風景に溶け込んでいく。 ほぼ独白劇である。 これで映画から演劇に近づいていく。 余計な物事を省略しているので力強い。 シェイクスピアが観たら<合格>と言うだろう。 宴会場面、亡霊バンクォと貴族やマクベス夫妻の立ち振る舞いに息を呑んだ。 全体を振り返るとマクベス夫人の存在感をくっきりと出せたら一層面白くなったはずだ。 ロマン・ポランスキやオーソン・ウェルズの個性有る同作と違って映画の広さと演劇の深さを兼ねそろえている。 戦闘場面が激しくなるのは集客上致し方ない。 「マクベス」は今年で二本目になる*1。 没後400年ということで野村萬斎版もこの6月に再演するらしい。 *1、 「オペラ・クラブ・マクベス」(こんにゃく座,2016年) *作品サイト、 http://macbeth-movie.jp/

■蝶々夫人

■音楽:G・プッチーニ,指揮:K・M・シション,演出:A・ミンゲラ,出演:K・オポライス,R・アラーニャ ■東劇,2016.5.7-13(MET2016.4.2収録) ■ウーン、これは面白い。 日本だけど日本でない。 中国・朝鮮・東南アジアの匂いもする。 花鳥の自然描写も日本的というより地球レベルを感じさせる。 着物のグラディエントも現代美術を見ているようだわ。 それでも日本を強く意識するの。 クリスティーヌ・オポライスは「・・蝶々夫人が好きだ、この作品は特に気に入っている」と言っていたけど、このことが見事に歌唱と演技に現れている。 彼女の無国籍で無表情な振る舞いにも関わらず豊かな舞台が出現している理由よ。 しかもこの振る舞いが<日本>を近づけてもいるらしい。 そして人形浄瑠璃の子供が彼女にぴったり寄り添うところは感情を越えた純粋親子のようね。 演出家アンソニー・ミンゲラを出演者たちは称賛していたけど舞台をみれば納得。 公開時に観た「イングリシュ・ペイシェント」や「コールド・マウンテン」がまだ記憶に残っているのもそれを証明している。 *METライブビューイング2015作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_08

■ドン・キホーテ

■音楽:L・ミンクス,原振付:M・プティパ,改振付:A・ファジェーチェフ,指揮:M・イェーツ,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団,出演:小野絢子,福岡雄大,NBJ ■新国立劇場・オペラパレス,2016.5.3-8 ■ドン・キホーテが旅の決心をする幕開けはスリリングね。 前半はスペインを雰囲気にダンスを、後半はスペインから離れてバレエを満喫できる。 でも何を語っても取り込んでしまうストーリーなの。 キューピットもわんさか登場する。 このハチャメチャな流れが楽しい。 二幕居酒屋場面は音楽に滑りがあってダンサー達は踊り難そうだった。 バジル役福岡雄大の存在感は名前のごとく雄大で騎士道物語に似合っていた。 でも女性ダンサーはみな小柄な体格だから物語を力のベクトルで表現するのが叶わない。 力を繊細感あるスカラーで極めるからバレエそのものを楽しむ方向に向かってしまう。 舞台は美術も衣装も素敵だった。 数個月ぶりのバレエを観て生き返ったわ。 *NNTTバレエ2015シーズン作品    *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/don_quixote/

■夢の劇、ドリーム・プレイ

■原作:J・A・ストリンドベリ,演出:白井晃,台本:長塚圭史,振付:森山開次,出演:早見あかり,田中圭,江口のりこ,玉置玲央,那須佐代子 ■神奈川芸術劇場・ホール,2016.4.12-30 ■神の娘アグネスが人間世界を経験する物語です。 前半は愛や結婚など身近な生活の話を、後半に差別や貧困など社会問題や政治の話に広げていきます。 そして彼女が天に戻る時に、この世の人々は惨めで哀れだと思っていたにも係わらずいとおしい気持ちがおそってきます。 心身に湧き起こる愛おしさこそが、人が生きていくこと死んでいくことが何であるかを彼女が掴み取った証しだとおもいます。 劇場の開かずの部屋に何もなかったのも、この愛おしさという人や物の関係の中にしかない見えないものだからでしょう。 舞台は小道具が散らばっていてダンスもありサーカス小屋のようで楽しさと寂しさが入り交じっています。 台詞は分かり易いのですが奥行が無い。 でも一つ一つの話が積み重なっていき後半は深みのある世界が滲みでてきました。 終幕には詩の朗読もあるためか全体が叙事詩を観たようなイメージを持って終わります。 長塚圭史の尖がったところを白井晃が丸め森山開次がずらしてつり合いの取れた舞台になっていた。 乾いた夢をみているような観後感でした。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/ygdp

■アンドレア・シェニエ

■台本:L・イッリカ,作曲:U・ジョルダーノ,指揮:J・ビニャミーニ,演出:P・アルロ,出演:C・ヴェントレ,M・ホセ・シーリ,V・ヴィテッリ ■新国立劇場・オペラパレス,2016.4.14-23 ■舞台写真を見て期待して劇場に行ったけど感動はイマイチだった。 ジェラールが降りてしまい三角関係が煮詰まらなかったせいかも。 回り舞台も動きが早くて微妙な感情を育てることができない。 シェニエ、マッダレーナ、ジェラールの歌唱を堪能したことで満足としましょう。 でもこれだけの印象深い舞台だったのに何故心に響かなかったのか? と言うことで帰りにプログラムを購入してしまったの。 「・・同じ暴力行為を発生するという歴史連鎖を断ち切るため現代に何を成すべきか、・・社会状況を改善させる可能性はどこに存在するのか、・・」。 多分演出家は沢山のことを詰め込み過ぎたのね。 ギロチンの増殖映像もいらない。 物語の中で恐怖政治を味わいたい。 演出家の欲張りを消化も昇華もできない舞台だった。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006153.html

■橋からの眺め

■作:アーサー・ミラー,演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ,出演:マーク・ストロング ■東宝シネマズ六本木,2016.4.8-13(NT,2015年収録) ■ホラー染みた芝居に感心してしまった。 叔父エディは溺愛する姪キャサリンを手放したくない。 子供の結婚にいちゃもんをつける親と同じである。 エディが中途半端でないところが恐ろしい。 ニューヨーク港湾で働くエディの家に故郷シシリアの親族が不法移民として仕事を求めてやって来る。 その中のロドルフォを好きになるキャサリンだが・・。 当時の移民の立場がエディをこのような頑なな態度にしているのかと観ていたがそれだけでもない。 やはりエディ自身の人生観から来ているようだ。 でもその源泉は語られない。 オモシロイようで要がツマラナイのは延々と続いている親子史が変われないからだろう。 幕前に美術担当が自慢していた舞台は周囲に長椅子が置いてあるだけのシンプルな構成だが物語をしっかりと受けとめていた。 シャワーの水と血の使い分けも巧い。 背景に流れていた音楽も同様である。 そして点景としてのコーヒーやバナナの匂いなど湾岸の仕事の様子が触覚をともなって語られる。 シシリアで食扶持を得るための仕事も聞き耳を立ててしまう具体力があった。 ト書きとしての弁護士の最後の一言が、エディも探せばどこにでもいる人間なんだと妙に落ち着かせる。 舞台の総合力が2015年ローレンス・オリヴィエ賞でリバイバル賞、最優秀演出賞、最優秀主演男優賞をもたらしたのだろう。 観終ってどういうわけか「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時の感覚を思い出してしまった。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/82981/

■ウェルテル

■原作:J・W・ゲーテ,作曲:J・マスネ,指揮:E・プラッソン,演出:N・ジョエル,出演:D・コルチャック,E・マクシモワ,A・エレート,砂川涼子 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.4.3-16 ■二幕までは煮え切らない。 マスネの曲もウェルテルとシャルロットに付かず離れずなの。 でも三幕で突き抜けることが出来た。 助走が必要な作品なのね。 静かだった観客も「オシアンの歌」でついに拍手。 M・ジョルダーニから代わったD・コルチャックとE・マクシモワの抑えた高揚感が最高よ。 アルベールのA・エレートとソフィーの砂川涼子を含め4人のキャラクタが静かに浸透してくる舞台だった。 舞台美術は重量感ある建物や室内だったけどもう少し軽さを出してもいいかもよ?  映像はまあまあかな。 4幕は本の多さで物語とは別の事をいろいろ考えてしまった。 ここは集中させてもらいたいわね。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006152.html

■マハゴニー市の興亡

■作:B・ブレヒト,演出:浅野佳成,音楽:八幡茂,出演:東京演劇集団風 ■レパートリーシアターKAZE,2016.4.2-10 ■ミュージカルですね。 解説を聞いているような舞台でした。 これが叙事演劇と言うのでしょうか? しかし徐々に盛り上がってきました。 歌唱も楽しかった。 ブレの少ない台詞が観客に考える余裕を持たせてくれます。 「たらふく食った後はセックス、次に賭けボクシングそして酒・・」は享楽的生活に違いありません。 今はこれにしがみつく時代でもない。 でもカネが深刻な力を持っていることは確かです。 「カネあっての色気だ!」。 終幕、主人公パウルは酒代が払えなくて死刑になるが、この力を持っている友人は彼を助けません。 もはや「ワクワクすることが何も無い」享楽の果てに行き着くと他人の統制そして死を望むのは人の性ですか。 親しみの薄い人間関係が演じられる醒めた舞台が続きます。 逆に1929年のブレヒトの伝えたいエキスが観客に届いてくる芝居でした。 役者がプラカードや垂れ幕を持って示威行進をする場面が何度かありました。 歌唱や科白に十分な説得力があったのにもかかわらず書き言葉を読むのはリズムが狂います。 ここは文字ではなくて歌で押し通すべきでしょう。 *劇団サイト、 http://www.kaze-net.org/repertory_t/rep_maha

■マノン・レスコー

■作曲:G・プッチーニ,指揮:F・ルイージ,演出:R・エア,出演:K・オポライス,R・アラーニャ ■新宿ピカデリ,2016.4.2-8(MET2016.3.5収録) ■デ・グリュがカウフマンからアラーニャに代わったのね? あらにゃ! でもロイヤル・オペラ*1と同じにならなくて良かったかもよ。 1940年パリの舞台は急階段で緊張感が一杯ね。 ドイツ軍兵士もみえる。 この時代にした理由を演出家は、衣装を目立たせない、善悪をはっきりさせない、フィルム・ノワールを想起する為だと言っているの。 狙いはいいけど占領下での緊張感とストーリーが上手く噛み合わなかった感じがする。 ジョージ・グロス風世界も見え隠れするけどプッチーニとの相性はどうかしら? しかも演出家は物語を断片化・抽象化し過ぎている。 これは原作も悪いの。 そしてマノンは艶が無い。 幕ごとに上り調子だったけど、あっち向いて愛を歌っている。 逆にアラーニャはシチリア的フランス人を演じてしまった。 性欲も昇華できず消滅してしまった。 素晴らしい構想が出来上がっているのに演出家を含め一人ひとりが先走ってしまったようね。 *1、 「マノン・レスコー」(ROH,2014年) *METライブビューイング2015作品 *MET、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_07

■東京ノート

■作:平田オリザ,演出:矢内原美邦,出演:ミクニヤナイハラプロジェクト ■吉祥寺シアタ,2016.3.24-28 ■20名以上の役者が舞台で動き回るので目まぐるしい。 この動きは面白かったが、しかし叫ぶような科白は聞こえ難い。 特に若い女性たちの声が今回は酷い。 劇場音響も良くないのかもしれない。 天井が低いので反響で声がこもるのか又は微細に割れ混じるとか考えられる。 叫ぶような早口が特徴の劇団だが、劇場の違いを早口訓練に取り入れてもよい。 今回の「東京ノート」は違った早口叫びにして欲しかった。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2015/12/post-43.html

■HYBRID、Rhythm&Dance

■演出・振付:平山素子,音楽・演奏:オレカTX,唄:床絵美 ■新国立劇場・中劇場,2016.3.25-27 ■舞台は2m四方の机を幾つも並べてある。 ダンサーが机を動かし舞台構成を変えていく。 これにスペイン地方の鍵盤打楽器チャラパルタに角笛とマンドリンのようなブズーキの生演奏が加わる。 またアイヌ民族の歌も入る。  音楽は背景ではなくダンスと対等のようだ。 ハイブリッドとはこのダンス・演奏・歌唱の対等関係を言っているらしい。 歌詞はアイヌ語?のため解らないのだが人の声というのは意味を呼び寄せる力がある。 ダンサーは狭い机上で踊るので振付が粘っこい。 この粘っこさと言葉にならない意味がくっ付きあい独特な舞台が出現する。 しかし爽快感がない。 楽器や歌手が舞台前面に出るのでダンス本体が弱く見えてしまう。 対等関係は集中し難いが、ハイブリッドの面白さは伝わってきた。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006136.html

■安全区、堀田善衛「時間」より

■作・演出:獄本あゆ美,出演:メメントC ■Geki地下Liberty,2016.3.17-21 ■観客の多くは20歳代女性と70歳代男性です。 面白い組合せですね。 堀田善衛はインドや上海、スペインでのエッセイしか読んだことが無い。 時代は1937年の南京、主人公は中国人林英呈。 この時代と場所で中国人が主人公の日本の作品は初めてです。 彼は国民党幹部でかつては英国・日本に留学したこともある。 そこに南京難民被害報告を反証するため日本の上級工作員田之倉が乘り込んでくる。 彼も所謂知識人です。 二人の周りで南無阿弥陀仏と唱えている村田従軍僧を含めて、この三人の国家観や戦争への対応の違いが舞台の見所です。 それと林の妻蓮華、その妹莽莉など女性たちが崇高さのある演技で目の前の醜い現実を描きます。 観客に女性が多いのは演出家を信頼していて魅力もあるからでしょう。 帝国植民地政策を中国で誠実に広めようとする田之倉は、乱れ切った日本軍下級兵士代表の村田を口論の末射殺します。 しかし林は田之倉も村田も同じ穴の貉だと見抜いている。 妻と腹の子供を殺された林は、梅毒のため麻薬中毒になってしまった妹をいたわりながら未来を見つめ幕が下ります。 演出家の思いが詰まった素晴らしい舞台でした。 *チラシ、 http://mola-k.com/wp-content/uploads/2016/02/memento_anzen2.jpg

■ハウリング

■振付・演出:井出茂太,出演:イデビアン・クルー ■世田谷パブリックシアタ,2016.3.18-20 ■なんと舞台一面が芝生。 ところどころに草花もみえる。 たぶん人工だけど素敵よ。 椅子も持ち出したからピナ・バウシュを思い出してしまった。 浮かんでいるドーナツ型の青空と雲は劇場の天井を真似ているようで面白い。 でもダンスの方はパッとしない。 床が芝生でしかも裸足のため鋭さが出ないからよ。 笑いのある振付や意味に力が入り過ぎてダンスから遠ざかってしまった。 でも不条理な流れと身体表現・表情との関係の楽しさはある。 ところで生演奏とハウリングの関係はよく分からない。 次回は切れ味の良い舞台でモヤモヤを吹き飛ばしてちょうだい。 *劇場サイト、h ttps://setagaya-pt.jp/performances/20160318idevian.html

■DANCE to the Future 2016 ダンス・トゥ・ザ・フューチャー

■振付:高橋一輝,小口邦明,室満直也,原田有希,米沢唯,貝川鐵夫,福田圭吾,ジェシカ・ラング,出演:新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・中劇場,2016.3.12-13 ■全8作品のべスト3(上演順)は以下の通りです。 「暗やみから解き放たれて」は除く。  1.「Immortals」(振付:高橋一輝) 照明が広がっていく幕開は素晴らしい。 男性ダンサーの振付も面白い。 照明の暗くなる場面がボヤケテしまったのは惜しい。 2.「Fun to Dance-日常から飛び出すダンサー達」(振付:小口邦明) ミュージカル風でダンダーが歌いだすような楽しさがありました。 東京ブロードウェイですね。 3.「beyond the limits of・・・」(振付:福田圭吾) 伸びのあるリズムがビンビン響いてきます。 これにダンサーがピタッと張り付いている。 観客身体も解されていくのを感じました。 以上ですがバラエティある8作品で見応えがありました。 物語は音楽でどうにでもなりますね。 「カンパネラ」(振付:貝川鐵夫)は音楽とダンサーの同期を取るのに忙しさが出てしまった。 照明技術に寄り過ぎる場面も気にかかります。 「Disconnect」(振付:室町直也)はもう少し明るい舞台で勝負したらどうか? 同じような「如月」(振付:原田有希)は上演時間も短くて中途半端にみえました。 時間的に<落ち>を入れるしかないでしょう。 「Giselle」(振付:米沢唯)はピエロに徹した彼女の明るい表情で和みました。 「暗やみから解き放たれて」(振付:J・ラング)はダンサー相互の位置関係が素晴らしかった。 これに音楽と照明が重なり独特の風景が現れていました。 天井に浮かんでいたドーナツ雲もこの風景に馴染んでいました。 *NNTTダンス2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/150109_006135.html

■サロメ

■原作:O・ワイルド,作曲:R・シュトラウス,指揮:D・エッティンガ,演出:A・エファーディング,出演:C・ニールント,G・グリムスレイ,C・フランツ,R・プロウライト ■新国立劇場・オペラパレス,2016.3.6-15 ■入り難い舞台だったわ。 すべてを寄せ付けない雰囲気が漂っているの。 ユダヤ教とキリストの混ざり合った時代背景や前衛時代のシュトラウス・オペラが解からないからかも。 周辺を捨て核心的な場面しか描いていないから? しょうがないのでプログラムを購入。 「シュトラウスの管弦楽法」でドラマ的手法をワーグナーから学びとったこと、「オスカーワイルドの人生と文学」から「・・お前の躰ほど白いものはない、お前の髪ほど黒いものはない、おまえの唇ほど紅いものはない・・」とサロメに言わせているのはワイルドの同性への愛が含まれているらしいと直観したわ。 この部分を前者はヨハナーンの高貴がサロメの欲望の犠牲になったというモチーフを重ね合わせたドラマの重層性で語っているの。 「ヘロディアの娘」でヨハナーンを憎んでいるのはヘロディア(マルコ福音書6章、レビ記18章)ということが分かったが舞台ではその強さを感じ取ることできなかった。 しかしヨハネは旧約聖書時代の最高の預言者でありキリストの到来を告げる人だからキリスト教社会では衝撃的な物語になるはずね。 入口が見えてきたかしら? 「7つのヴェールの踊り」は歌手が踊るのだからこれで良しとしましょう。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006151.html

■天守物語

■原作:泉鏡花,作曲:水野修孝,指揮:山下一史,演出:荒井間佐登,出演:佐藤路子,迎肇聡ほか,日本オペラ協会合唱団,多摩ファミリーシンガーズ,演奏:フィルハーモニア東京 ■新国立劇場・中劇場,2016.3.5-6 ■日本オペラ協会公演のためかとてもシッカリ作られている。 美術・衣装・照明は申し分ない。 演出家の話によると前半が狂言風、後半は夢幻能風に設定したらしい。 亀姫・朱の盤坊・舌長姥が登場する場面はいつ見ても面白いし狂言風も成功している。 後半の夢幻能はよく分からなかった。 でもシンプルにまとめているので観易い。 それより日本語の響きが心地よい。 日本語オペラを観ると声と言葉の関係をとても意識してしまう。 母語以外のオペラではそうはいかない。 能を現代版にしたようにもみえる。 日本語字幕も効果はあるが文字を見ると何かを失う感じがする。 事前に原作の再読が必要な舞台だったのかもしれない。 都民芸術フェス参加作品の為かいつもとは違うタイプの観客が目立った。 ところで若者の演劇離れや演劇人口が減っているらしい。 昨日の夕刊一面に 全国演劇鑑賞団体連絡会議会員数 29万人(1997年)が15万人(2015年)まで半減した記事が載っていた。 寄り道をする余裕がなくなったことも理由だろう。 *2016都民芸術フェスティバル参加公演

■イェヌーファ

■作曲:L・ヤナーチェク,指揮:T・ハヌス,演出:C・ロイ,出演:M・カウネ,W・ハルトマン,J・ラーモア,G・ザンピエーリ,H・シュヴァルツ ■新国立劇場・オペラパレス,2016.2.28-3.11 ■会場で配られた粗筋を一気に読んだけどこれは凄いストーリーだと知るの。 イェヌーファは恋人シュテヴァに捨てられてしまう。 既に彼の子を宿していたがイェヌーファの継母は将来を考え子供を殺してしまう。 シュテヴァの異父兄ラツァはイェヌーファと結婚にこぎ着けるが結婚当日に子供の死体が川で発見される・・。 舞台は三方と床が白板で囲まれた簡素な部屋で緊張感がキュッと迫ってくる。 ときどき背景の壁が開き収穫時の麦畑や一面の雪景色も見える。 歌手たちは一人づつ散らばって静止している姿勢が多いので存在ある孤独感も漂う。 そして芝居のような科白を歌唱で包み演奏がなぞっていくの。 イェヌーファが子供の無事を聖母マリアに祈る二幕は物語に吸い込まれていくようだった。 終幕、ラツァがすべてを許しイェヌーファも彼を受け入れる開放感は素晴らしい。 しかも人生や結婚のことを深く考えさせられる作品に出来上がっていたわ。 今回はベルリン公演時のスタッフ、キャストで上演したようだけど観客にとっては最高の贈り物になったわね。 満席とは言えなかったけどカーテンコールでの観客の拍手は本物よ。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *作品サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/jenufa/

■池袋モンパルナス

■作:小関直人,演出:野崎美子,出演:劇団銅鑼 ■俳優座劇場,2016.3.2-6 ■とても熟れている舞台だった。 場面切替えも踊りや歌で繋げて滑らかに感じる。 ストーリーにも澱みが無い。 改訂や再演で磨きがかかっているのね。  1920年後半に東京池袋に集まってきた画家たちの話*1。 <芸術の革命>を目指すが特高に目を付けられ戦争に抗い切れず多くの画家は戦地へ行くことになる。 靉光を中心に物語が描かれているの。 当初彼は「太平洋美術会」で学ぶ。 ここには松本俊介も在籍していたらしい。 「みづゑ」への投稿も話題にのぼる。 靉光らは1930年後半から「独立美術協会」展などに出品。 そして1939年福沢一郎*2、寺田政明、古沢岩見らと「美術文化協会」を創立、1943年には「新人画会」結成。 その後靉光も召集、・・戦地満州からの彼の手紙を妻が読みあげ、松本俊介のカメラで記念写真を撮り幕が下りる。 八方美人のような舞台だったけど青春群像の面白さは現れていた。 当時の池袋のカフェの雰囲気がみえなかったのはちょっと残念ね。   *1、 「池袋モンパルナス」(2011年) *2、 「福沢一郎絵画研究所」(2010年) *劇団サイト、 http://www.gekidandora.com/titles/ikebukuromoparunas/

■ROMEO and TOILET

■演出:村井雄,出演:開幕ペナントレース ■シアタートラム,2016.2.25-28 ■ひさしぶりに笑ってしまいました。 体育会系のノリが伴奏として鳴り響いている舞台です。 この系は「これでもか!これでもか!」というリズムで言葉や身体に迫ってくるのですが最後に耐え切れなくなり吹きだしてしまう。 「ロミオとジュリエット」は二人にとって孤独な闘いに設定されているようです。 この闘いはトイレに行くのと同じらしい。 後半に展開する一本糞はとても面白い。 オールスタンディングの観客席を飛び回るのもノリリズムのため嫌味にならない。 そして衣装は精子を表しそれが二人のかなたの天の川まで広がっていることも生物的に深淵な背景を作りだしている。 ロメジュリ、トイレ、生殖がナンセンスな笑いに結び付いているパワーのある舞台でした。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160225romeoandtoilet.html

■原色衝動

■振付・出演:白井剛,キム・ソンヨン,映像写真:荒木経惟 ■世田谷パブリックシアタ,2016.2.26-27 ■広い舞台に椅子が二つ置いてある。 背景に映される写真は荒木経惟らしい。 知っている荒木の作品とは趣が少し違う。 レトロで深みある色の人形や花である。 二人が登場しキスをするような仕草、少し膨らんでいたチンポコから玩具の怪獣を取りだす。 エロティックな方向へ行くかと思いきや二人は深く悩み苦しんでいるようだ。 顔を紐で縛ったり、床を剥がしたり、それを椅子に縛り付けたりする。 踊るのは数場面で数分しかない。 白井剛の細かな心理表現と比較してキム・ソンヨンは大味である。 キムは身体も硬い。 子供の怪獣が成長し悩み始め出した頃の話に見えた。 ダンスよりパフォーマンスと言ってよい。 写真は終始同じ作品を使い面白味がない。 それよりも椅子を擦る音、コオロギや狼?の声、水の響きなどの音響が良かった。 しかし二人がどんなに苦しんでも写真と音楽の関係がバラバラで集中していけない。 白井剛を調べたら3年前に観ていた*1。 映像・音響・身体の関係を探求しているのはわかるが焦点が定まっていない感じである。 *1、 「NODE/砂漠の老人」(KAAT,2013年) *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160226genshoku.html

■Maikoマイコ、ふたたびの白鳥

■監督:オセ・スベンハイム・ドリブネス,出演:西野麻衣子 ■恵比寿ガーデンシネマ,2016.2.20- ■ノルウェー国立バレエ団プリンシパル西野麻衣子のドキュメンタリー映画なの。 このような作品では二種類がある。 それは<舞台の裏の表>を映すか<舞台の裏の裏>を映すか? これは後者の面白さがある。 つまり彼女の生まれ育った家族や環境のこと、夫や妊娠のこと、内面の葛藤や不安など関係者の感情があからさまに描かれているからよ。 彼女の押しの強さは母親譲りかな? 難波ハングリー精神の塊みたい。 バレエ団監督やスタッフが彼女と話す時は良い意味でドン引きしているのがわかる。 ノルウェーを大阪に引き寄せて踊っている感じだわ。 着物姿で白鳥を観に行く母親にもド迫力が漂っている。 親子の行動力、それと夫の協力が素晴らしい。 世界を股にかけて踊るということはこういうことなのね。 2015年作品。 *作品サイト、 http://www.maiko-movie.com/

■劇的舞踊「カルメン」再演

■演出・振付:金森穣,出演:NOISM,奥野晃士 ■神奈川芸術劇場,2016.2.19-21 ■「劇的舞踊」の劇的とは演劇的な意味かしら? 言葉の細部まで身体で表現しようとする振付なの。 パフォーマンスに近い無言劇にも受け取れる。 語り手の学者は物語へと誘う案内人ね。 そしてカルメンと周囲の人々が少しずつ見えてくる。 振付が寄り集まり物語を形成し時間軸に堆積していく。 その時間軸と舞踊の空間軸が交差するところに劇的舞踊が現れるのかもしれない。 カルメンの周りに死んでしまった人々が登場する終幕はその交差路の一つだわ。  衣装や小道具はスペインだけどダンスはそのようには見えない。 日本の土着文化の荒々しさを感じさせる振付だから、特にカルメンは。 黒マントの老婆の登場数が多くて混乱してしまった。 もう一人の案内人ね。 でも占カードの細かい仕草は頭で考えてしまい身体的に冷めてしまう。 カルメンのホセのスペインの哀愁を物語に閉じ込めたような舞台だった。 劇的舞踊とは何かを考えさせられた作品だわ。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/CARMEN2016

■夜中に犬に起こった奇妙な事件

■原作:マーク・ハットン,演出:マリアンヌ・エリオット,出演:ルーク・トレッダウェイ ■東宝シネマズ六本木,2016.2.18-27(NT2012年収録) ■主人公クリストファは15歳の精神障害を持った少年らしい。 多分アスベルガーやサヴァン症候群でしょう。 インターネットで調べたレベルですが。 精神障害やアル中を扱っている芝居は苦手です。 芝居に入る前から壁の存在を意識してしまうからです。 クリストファの演技や役者間の動き、舞台装置は素晴らしい。 しかし隠してあった手紙を読んだあと父の釈明を聞いているクリストファは何を思っているのでしょうか? 母との似たような場面もありましたが彼からの答えはありません。 この壁を黙って見詰めるしかない。 周囲の愛情の遣り取りは豊かですが彼とは非同期な結びつきを描くだけです。 彼の頭の中は情報を処理するだけでオーバーフロー状態になってしまうのでしょうか? こういう作品をみるとデカルトやニュートンなどの近代科学、これを生み出したキリスト教西洋思想の伏流を強く感じます。 クリストファが身近に感じられると同時に、ヒトの意識と感情の探求を隠し描いているようにも見えてしまいます。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *NTLサイト、 http://www.ntlive.jp/curiousincident.html

■アンティゴネー

■作:ソポクレス,演出:レオニード・アニシモフ,出演:東京ノーヴイ・レパートリーシアター ■東京ノーヴィ・レパートリーシアタ-,2016.2.18-27 ■「 曾根崎心中 」ではスーツ姿の役者を予想していたことを思い出した。 今回も予想が外れた。 なんと着物姿である。 箏や桶同太鼓も舞台に置いてある。 演奏者やコロスの歌唱も日本のようだ。 歌詞を覚えていないので題名が探せない。 喋り方も面白い。 抑えた裏声に聞こえる。 顔の中心だけの白塗りは仮面のようにも見えるし化粧にもみえる。 この劇団からはいつも驚きを貰える。 新王クレオンがアンティゴネ幽閉の決断を下す場面、盲目の預言者がハイモーンの将来を語る場面は抑えた声に緊張が走った。 しかし物語は淡々としている。 「私は憎しみより愛を選ぶ」とチラシにあったが、アンティゴネのこの言葉と共に息子の死を知ったクレオンの叫びも山彦のように聞こえ、そのまま時が何事も無く過ぎていく舞台であった。 近づくほどギリシャ悲劇は山彦になるのかもしれない。 *第26回下北沢演劇祭参加作品. *劇団、 http://tokyo-novyi.muse.weblife.me/japanese/pg555.html

■ロパートキナ-孤高の白鳥-

■監督:マレーネ・イヨネスコ,出演:U・ロパートキナ,A・ルテステュ,P・ラコット ■Bunkamura・ルシネマ,2016.1.30-(フランス,2015年作品) ■ウリヤーナ・ロパートキナは火星人にみえる。 身長があり手足が細長いからよ。 舞台ではこれを遺憾なく発揮する。 その姿は人間ではなく精霊のように。   アニエス・ルテステュ*1もインタビューに応じていたけど二人は長身なの。 このため男性ダンサーの身長にも気を使う。 ルテステュは相手を選ぶけどロパートキナは選ばない。 それは彼女のオーラが男性を黒子にしてしまうかよ。 「女性ダンサーが宝石で男性は宝石箱」の通りね。 ピエール・ラコット*2もロパートキナの舞台をみて「奇跡の体験」と語っている。 「チャイコフスキとバランシンを同時に理解している」ことにもよる。 彼女の「成功は忘れる。 そして次に進む・・」の厳しい言葉が思慮深くて絶妙な感情表現も創りだすのね。 話は逸れるけど昨晩のボリショイ・バレエ「じゃじゃ馬ならし」を見逃してしまったのは残念。 *1、 「至高のエトワール」(2013年) *2、 「バレエに生きる」(2011年) *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/82617/

■オペラ・クラブ・マクベス

■原作:W・シェイクスピア,台本:高瀬久男,作曲:林光,演出:眞鍋卓嗣,出演:こんにゃく座 ■吉祥寺シアタ,2016.2.5-14 ■舞台は劇中劇になっている。 しがないサラリーマンがある酒場に入るとそこでは「マクベス」を上演している。 そして男はいつのまにかマクベスを演じているではないか! 男が王冠を手にするまでの流れは素晴らしい。  酒場舞台上のマクベス夫人を見て(男の)妻ではないかと狼狽える場面、マクベスと(男が)少しずつ同期・一体化していく過程は面白い。 しかしなぜ王を殺すのか? 次々と事が起こる場面ではマクベスと夫人の葛藤や意思が見え難い。 解説のような科白と明るく歯切れの良い歌唱が続く為もある。 人物関係も予習をしておかないと判りづらい。 しかも後半は登場人物が入り乱れるためマクベスの不在が目に付く。 夫婦にもっと焦点を当てないと作品がぼやけてしまう。 歌劇というのは終わってからも演奏と歌唱の余韻で心地よい気分が続くのは嬉しい。 オペラを身近に感じさせる舞台であった。 ところで2幕(後半)は他オペラ劇団でも苦労しているらしい*1。 *1、 「マクベス」(MET,2008年) *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/72342

■純粋言語を巡る物語、バベルの塔2

■作・演出:あごうさとし ■こまばアゴラ劇場,2016.2.11-14 ■観客は全員立ち観だと知ったの。 これは必然的に観客参加型になるはず。 場内に入ると映像6画面が所狭しに並んでいて中央空間にはステレオスピーカもある。 でも玄人の機器配置には見えない。 そして岸田國士の作品を不在の役者が演ずると言うより朗読していくの。 「紙風船」では夫婦の会話の距離感や風景を映像とスピーカから消極的に流していく。 大きな画面は英語訳用かな? 「動員挿話」はさわりのほんの数分、「大政翼賛会と文化問題」はアジテータのように喋りながら場内はディスコ風に変身する・・。 「純粋言語とは思いをダイレクトに伝えられる言語、神と通信できる言葉」ということね? 夫婦の会話はそれに近づける位置にある。 役者が不在で音や映像だけだと一層意識してしまう。 劇場での純粋言語とは全ての事象を結び付け舞台にアウラを現前させる演算子なのかもしれない。  *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage55427_1.jpg?1455317403

■Men Y Men  ■ラ・シルフィード

■新国立劇場・オペラパレス,2016.2.6-11 ■Men Y Men ■音楽:S・ラフマニノフ,振付:W・イーグリング,指揮:G・サザーランド,出演:新国立劇場バレエ団 ■黒タイツで上は裸の男性ダンサーが9人で踊るのですが体育大学の学生にみえてしまいました。 組体操のような振付もあるからです。 荒々しさは良いのですが少し雑に感じられます。 金管楽器との微妙な関係が面白い。 しかし「ラ・シルフィード」との繋がりがみえないですね。 ■ラ・シルフィード ■音楽:H・ルーヴェンシュキョル,振付:A・ブルノンヴィル,指揮G・サザーランド,出演:小野絢子,福岡雄大,木下嘉人,堀口純,本島美和ほか ■舞台展開が早過ぎてあっという間に一幕が終わってしまった。 上演時間をみたら全70分らしい。 短いのは歓迎ですが、シルフィードは何を考えているのか占師マッジは何をしたいのか肝心のところが見えてこない。 ロマンティック・バレエですからこれでよいのかもしれないけど物足りません。 1幕のキルトでの、2幕のロマンテック・チュチュでの群舞は楽しくみることができた。 シルフィードとジェームスの技と表現の上手さには満足しました。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150109_006130.html

■同じ夢

■作・演出:赤堀雅秋,出演:光石研,麻生久美子,大森南朋,木下あかり,赤堀雅秋,田中哲司 ■シアタートラム,2016.2.5-21 ■日常の裏側をみるような舞台美術は気が滅入る。 トイレの掃除・親の介護・汚物の処理・老人の性欲・スーパーやコンビニでの粗雑な買物と食事が追い打ちをかける。 これだけの他人が一つの家に集まって来るのも現実味は無いが救える。 しばらくして目が釘付けになっていくのがわかる。 それは台詞と台詞の隙間がリズムミカルに観る者へ届くからである。 これが心地よいのだ。 この隙間には何も無いように見えるのだが人間関係のエキスが詰まっている。 これは役者身体と観客の相互で作り出すものである。 この演出家の作品は何回か観ている。 今までこの隙間は状況や風景に挟まれていた。 小津安二郎の方法に似ている。 今回は科白と科白に挟まれているところが違う。 映画的リズムを保ちながら関係性の遣り取りを舞台に巧く作れたように思う。 そして「いつでも夢を」がこれに共鳴し他者との繋がりに豊かさを作った。 昭雄と美奈代、元気と靖子の煮え切らない恋愛関係が何となしに終わってしまったのもストーリーを壊さなかった。 この題名にしたのも分かる気がする。 *劇場サイト、 http://setagaya-pt.jp/performances/20160205onajiyume.html

■真珠採り

■作曲:G・ビゼー,指揮:G・ノセダ,演出:P・ウールコック,出演:D・ダムラウ,M・ポレンザーニ,M・クヴィエチェン ■新宿ピカデリ,2016.2.6-12(MET2016.1.16収録) ■25歳ビゼーのオペラ出世作らしい。 ヒンズー教神々の名が歌われるから場所はインドかな。 祭儀場面もあるけど正確にはみえない。 キリスト教思想も取り入れている感じね。 形だけの真似事の為か宗教的感動はやって来ない。 ストーリーには津波もあるし大火もある。 でも三角関係を雑に省略しているから物語的感動も少ない。 終幕に頭領ズルカが尼僧レイラと漁夫ナディールを許すのが唯一の見せ場ね。 それよりこの三人の歌唱をジックリ聞かせるのがこの作品の目玉のようだわ。 なかなかの独唱と二重唱がちりばめられている。 でも歌詞は日常口語的な言葉で一杯なの。 翻訳なので分からないけど、この歌詞の生活感覚が作品を生き返らせている。 当時は批評家からは酷評されたようね。 でも一般聴衆から歓迎された理由がここにあるんじゃないかしら? *METライブビューイング2015作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/1516/

■魔笛

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:R・パーテルノストロ,演出:M・ハンペ,出演:妻屋秀和,鈴木准,佐藤美枝子,増田のり子,萩原潤,鷲尾麻衣 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.1.24-30 ■台詞がはっきり浮き出てきてミュージカルのような舞台だった。 歌唱と科白が溶け合う演出と違って醒めた面白さがある。 歌手たちもよく熟れていてまとまっていた。 全員日本人歌手だったけどドイツ語の歯切れの良さが似合うわね。 特に女性陣の濁りのない歌唱が心地よい。 舞台装置の動きがテキパキしていたのも流れを澱ませなかったの。 モーツァルトが小粒ながら活き活きとして舞台に現れていたわよ。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006149.html

■原節子-永遠に美しく-

■出演:橋本愛,杉葉子,香川京子,周防正行 ■NHK・クローズアップ現代,2016.1.25 ■録画撮りしてあったのを見る。 久しぶりに日本映画のことなどを思い返してしまった。 原節子の希望のみえる演技は永遠に美しいとおもう。 それを具現化した1940年代後半の「わが青春に悔なし」「青い山脈」を一番気に入っていた時期があった。 そして小津安二郎に関心を持つと原節子にも必然と心が向かう。 「晩春」は形ある美しさがある。 そして「麦秋」から「東京物語」では人生を時の流れの中に深化させていく。 小津映画の出会いと共に、この5作品が原節子のイメージを形作ってきたように思える。 * 「新しき土」(1937年) *NHKサイト、 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3758.html

■書く女

■作・演出:永井愛,出演:黒木華,平岳大,劇団:二兎社 ■世田谷パブリックシアタ,2016.1.21-31 ■記録を調べたら二兎社は何回か観ていました。 しかし記憶に残っていない。 でも舞台の半分以上は数年も経てば忘れてしまう。 最高や最悪の出来なら覚えています。 二兎社は普通だったということでしょう。  今回なぜチケットを購入したかというと役者目当てです。 でも役者で購入することは滅多に無い。 チケット購入の8割は演出家で決めます。 その役者とは平岳大と清水葉月。 テレビは見ないし、たまたま二人出演していたからです。 脳味噌にビビッと来る役者は幾人も舞台で出会っています。 先の二人はその中に入っている。 でもこの舞台の二人は上々だったがビビッと迄は来なかった。 たぶん演出家が求めている方向性と違っていたからでしょう。 求められている枠からも逃げられなかった。 ところで樋口一葉役黒木華は安定したリズムで演技してましたね。 全体として女性はともかく男性の描かれ方が硬いように感じました。 また前半は歩き過ぎ走り過ぎではないでしょうか? 「走る女」ですね。 後半は「座る女」に落ち着いてきた。 そして「書く女」というより「書かれる女」に見えました。 チラシだけが「掻く女」でした。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160121kakuonna.html

■夏芝居ホワイト・コメディ

■作:鶴屋南北ほか,演出:鈴木忠志,出演:観世栄夫,渡辺美佐子,白石加代子,吉行和子ほか ■早稲田大学・小野記念講堂,2016.1.25(アートシアター新宿文化,1970年収録) ■鶴屋南北作「杜若艶色紫」を歌舞伎の数場で構成し、人形浄瑠璃「加賀見山旧錦絵」の一部を劇中劇にした舞台の記録映画である。 上映時間約60分。 フィルム状況は補修しているが役者の細かい表情は読み取れない。 着物や反物を内幕にした奥が浅い舞台である。 科白は歌舞伎調で早口のため追うのが大変。 地歌舞伎を観ている感じだ。 観世栄夫と白石加代子の突き抜ける声が素晴らしい。 江戸時代と現代をなんなく飛び越える声である。 また尾上(渡辺美佐子)を草履で打つ岩藤(白石加代子)の喋り方にも圧倒される。 演出家鈴木忠志の特徴ある存在感や様式美は舞台にはっきりと現れていない。 役者の個々力量が目立っている。 当時の映像は初めてだがその時代に立ち会わないと大事なところは見えてこない。 役者も観客も同じ時代を走っているから舞台は面白いのだろう。 アーフタートークを聞く。 出席は渡辺美佐子・白石加代子・大笹吉雄、司会は岡室美奈子。 とても面白かった。 少し記すと・・。 なぜ新劇渡辺美佐子が鈴木忠志の芝居に参加したのか? 詳細は不明だが観世栄夫の仲介だった(大笹)。 なぜ南北なのか? 当時は俳優座や青年座が南北を取り上げこの作品もその流れである。 南北が歌舞伎に広まったのはその後である(大笹)。 なぜ新人会を脱会したのか? 映画作品を舞台化して全国を回る計画に賛成できなかった(渡辺)。 他劇団との関係は? 唐十郎は行き来していたが寺山修司はお互い認め合っていなかった(白石)。 なぜ文学座・俳優座・民藝等の劇団の壁が壊れていったのか? 日生劇場(次に東横劇場)ができたからである。 この劇場は壁を無視した(大笹)。 ・・。 *館サイト、 http://www.waseda.jp/enpaku/ex/4235/

■ヴィサラ  ■牧神の午後  ■チャイコフスキ・パ・ド・ドゥ  ■カルメン

■日本橋東宝,2016.1.23-29(イギリス,2016年作品) □ヴィサラ ■振付:L・スカーレット,出演:平野亮一,L・モレーラ ■初めて観る作品です。 曲に合わせているのでリズミカルです。 早いテンポの間にスローを挟んで変化を付けるが音楽を越える面白さは感じられません。 ダンサー平野亮一は何度かみていたが、やっと顔と名前が一致しました。 彼は肉体の存在を消さないで踊っているようにみえます。 一度現実を消すべきです。 ところでヴィサラとは内臓のことらしい・・。 □牧神の午後 ■振付:J・ロビンス,出演:S・ラム,V・ムンタギロフ ■バレエ・スタジオでの生徒の出会いを描いているのですが作品に合っているストーリです。 現代に甦った風景でした。 □チャイコフスキ・パ・ド・ドゥ ■振付:G・バランシン,出演:I・サレンコ,S・マックレ ■これも初めてですね。 当初は白鳥に取り入れる予定だったらしい。 何かが不足していたのでしょう。 □カルメン ■振付:C・アコスタ,出演:M・ヌニェス,C・アコスタ,F・ボネ ■カルロス・アコスタ引退公演です。 盛り上がりましたね。 エスカミーリョとカルメンが躍る場面は素晴らしい。 親密さあります。 振り返って前半のドン・ホセとカルメンが薄くなってしまった。 ドン・ホセは最初から未来が見えていたような冴えない動きです。 あのクワガタウシの分身だったのでは? でも後半は彼もふっ切れた踊りに変えましたね。  幕開きの小道具やダンサーの動きは小野寺修二の作品を思い出してしまった。 歌唱も科白もありゴッタ煮というところです。 でも終幕に行けば行くほど本気になり感動が出て来ましたね。 カーテンコールではカルロスの挨拶もあり最高でした。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウスシネマシーズン2015作品 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/83349/

■ハムレット

■原作:W・シェイクスピア,演出:L・ターナ,出演:B・カンバーバッチ ■日本橋東宝,2016.1.22-27 ■休息を含めての4時間は見応えがあった。 そしてとても分かり易い。 ハムレット役ベネディクト・カンバーバッチがこの作品を若い人に広げたいと言っていた意気込みが感じられる。  名言「生くべきか、死ぬべきか・・」のあとにハムレットの独白が続く。 それは死の恐怖である。 このような場面が数か所あった。 いつもは「簡略ハムレット」を観過ぎているせいか彼の心の中をジックリ堪能したのは久しぶりかもしれない。 また旅芸人も好きな場面だがたっぷりと見せてくれた。 ハムレットが近衛兵の赤い服を着るのも新鮮だが若い人向きの演出だろう。 ただし近衛兵の知識が無いので意味付けがあったのかもしれない。 しかし殺された父は強い。 ハムレットもレアティーズも父の仇が原動力に見えてしまった。 戦国時代だから当たり前かもしれないが、この力が舞台の隅々にまで広がっている。 そして演出家の好み(?)も至る所に感じられた。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2016年作品 *主催者サイト、 https://www.ntlive.jp/

■ルル

■作曲:A・ベルク,指揮:L・ケーニクス,演出:W・ケントリッジ,出演:M・ペーターセン,J・ロイタ,F・グルントヘーバ,S・グラハム ■新宿ピカデリ,2016.1.16-22(MET2015.11.21収録) ■演出家が同じだから「 鼻 」と舞台が似ているのはしょうがない。 でも墨絵が濃すぎて折角の美術が台無しの場面がある。 残念だわ。 十二音技法は取っ付き難いけどいつの間にか物語に入っていける。 シゴルヒ役がインタビュで「最初に台詞を暗記する・・」と言っていたけどとてもスリリングな科白なの。 これが十二音技法に乘ると欲望の渦巻く感情表現が詩的に聞こえる。 でも人間のもがき苦しむ姿はしっかりと届く。 終幕の売春宿ではお釣りのことまで事細かく歌うの。 芝居ではよくあるけどオペラでここまで描くとは大したものね。 マルリース・ペーターセンはこの舞台でルル役を引退するようだけど素晴らしかった。 いつものスーザン・グラハムはベルクとはちょっと合わない感じね。 *METライブビューイング2015作品 *主催者サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_04

■TOUCH OF THE OTHER-他者の手-

■原案:ジョナサン・M・ホール,演出:川口隆夫 ■スパイラルホール,2016.1.15-17 ■チラシをみるとLGBTがらみの舞台らしい。 川口隆夫も久しぶりなので観に行くことにする。 しかし予想外の中身で最初は戸惑う。 社会学者ロード・ハンフリースの研究「公衆トイレにおける男性間の性行為」をもとにしたパフォーマンスであった。 実際のトイレでの観察結果を再現するのだが役者は観客から募った。 希望者が結構いたことは客の感心と質の高さが窺える。 これを3パターン演じたあと今度は映像で再現する。 途中休憩をはさみ後半はパフォーマンス系ダンスで締めくくる。 前半の研究資料の再現は現実味がある。 同性間の愛の特長である「短時間の刹那的な結びつき」を表現するのはそれなりに高度な舞台になるとおもう。 「完璧な距離」も同じだ。 映像はこれに沿った見応えのあるものだったが、舞台は資料の強さが前面に出てしまっていた。 孤独に向き合わないと人と人との結びつきの多様性に気づかない。 愛と孤独は表裏の関係でもある。 孤独の質が変化しているこの時代に異質な者同士の結びつきをも取り込むことは必然の流れだろう。 *作品サイト、 http://www.kawaguchitakao.com/toto/index.html

■黒蜥蜴

■原作:江戸川乱歩,作:三島由紀夫,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2016.1.14-2.10 ■科白がしっかりと耳に入ってきます。 石垣を築くように堆積していくのがわかる。 形ある科白とでも言うのでしょうか。 役者が噛みしめて棒読みするような喋り方にも関係があるのかもしれない。 でも休憩時間トイレへ行きながら心配してしまった。 前半は物語が煮詰まってこなかったからです。 怪盗と探偵の化かし合いも古過ぎます。 しかし後半はこのギコチナサのリズムが映えてきた。 江戸川乱歩と三島由紀夫の面白さが舞台に浮上してきたからです。 乱歩のグロテスクと三島の様式美が科白の上で融合反応し出した。 黒蜥蜴と明智小五郎、早苗と雨宮の愛の行く末に緊張しました。 ほんものの宝石は眠るのです。 取り巻きの美術や照明などが少し淡泊に感じましたが。 ともかく静岡はタダでは帰してくれない。 遠出のし甲斐があります。 舞台は前方に楽団席があり両端に急階段がある工事現場のような構成になっています。 実は宝石の受渡場面で直感したのですが、これは近くから見上げた時の東京タワーの姿では? 急階段がタワーの足に当たるのです。 そして本日が一般客の初日だった。 チラシをみたらなんと中高生招待公演ばかりです。 音楽そして映画から入り芝居はその後になって見始めるのが順序なのに、中高生時代からこんなにも芝居に接しる機会があるとは幸せです。   *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/70606

■重力の光

■作・演出:益山貴司,出演:劇団子供鉅人 ■下北沢・駅前劇場,2016.1.13-19 ■舞台周囲に幕を使っているからテント小屋にみえるの。 美術や衣装も手作りのネットリ派手、役者たちも嗤いゲバで芝居原初のエネルギーに満ちている。 天使ヒカリの出生から始まり地域の交流を描き最後に光速ロケットで飛び立つというハチャメチャなストーリーのようね。 暴力団や警察、宗教団などが登場するけど重力に逆らえない日常のドロッとした言葉や感情も忘れていない。 またセクシャリティも乱雑だけど多様性として物語にしっかり組み込まれていて楽しいわ。 途中「富士山アネット」*1の役者へのインタビューもありストーリーに半分だけ入っているような境界場面が新鮮だった。 大阪で生まれ育った劇団で近年東京に拠点を移したらしい。 それにしても大阪育ちに出会うと元気がもらえるわね。 *1、 「SWAN」(長谷川寧振付,2010年)        *劇団サイト、 http://www.kodomokyojin.com/works/2015juryoku.html

■白鳥の湖

■監督:熊川哲也,出演:中村祥子,遅沢佑介,K・バレエカンパニー ■恵比寿シネマガーデン,2016.1.9-22(2015年作品) ■一幕のアールヌーヴォー風王宮がとても素敵ね。 これに襞の多い装飾衣装を重ねて舞台を統一している。 怪しい柘榴色に変わる三幕背景も素晴らしい。 王子とオデット(オディールも)と悪魔の三者は驚くほどに距離的接近をするの。 だからバレエよりもダンス的感情が現れる。 白鳥たちもロマンティックチュチュでシットリ感が重さを呼びダンスに近づいていくようね。 もちオデット/オディールはクラシックだけど。 中村祥子はオデットよりオディールが似合う。 オディールとしての喜びの表情はイキイキしていた。 オデットでは悲しみ苦しみの感情を表していたけど大袈裟にならない方がいいと思う。 でもこの作品はいかに新しい感情表現を提出できるかを重視しているようね。 好みが分かれるところだわ。 *主催者、 http://www.k-ballet.co.jp/news/view/1501

■アマルガム手帖+

■作・演出:佐々木透,劇団:リクウズルーム ■こばまアゴラ劇場,2016.1.8-13 ■配られた粗筋を読まないで観たが久しぶりに脳味噌が喜びました。 いま帰宅し場面を思い出しながらこの文章を書いています。 数式がやたら出てくる。 変数に感情表現や行動を入れ演算子で連結しているが、なるほど面白い表現です。 現実的主人公Yの生まれ変わりY´は変数を日本語、演算子を英語で喋るので不思議でリズミカルな科白に聞こえる。 イメージが追えない為その数式が背景にも映しだされる。 円や球に超越的な親しみを持っているようです。 しかし数学と言語の関係を厳密に論じているわけはない。 作者はこの方向を目指していくのでしょか? また演じている周辺でのダンスも舞台に溶け込んでいます。 照明、音楽も考えられている。 しかも先生が生徒に話す人生観や終幕Y´とXの恋愛場面はなかなかの見応えです。 演劇とパフォーマンスが見事に融合していました。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/70937

■ニューイヤー・バレエ2016

■監督:大原永子,指揮:P・マーフィ,出演:新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.1.9-10 ■セレナーデ、パ・ド・ドゥ集(フォリア、パリの炎、海賊、タランテラ)、ライモンダ(第3幕)の6作品を上演。 セレナーデを除いて作品の一部だけの舞台の為か緊張感が無い。 でもこれで観客はくつろげるの。 新年顔見世用ね。 気に入ったのは「セレナーデ」。 でもバランシンの陶酔感は薄い。 物語も匂っているし。 渡米初の1934年作品だから当時の彼は忙しかったのかもしれない。 しかも余韻を楽しみたいのに観客の拍手が早過ぎる! 他には「ライモンダ」の背景幕と色とりどりの衣装はとても素敵だった。 ダンサーでは「フォリア」男性陣の動きは素晴らしい。 振付貝川鐵夫の力かもしれない。 あと「ライモンダ」の井澤駿も抜群の存在感ね。 バランシンで始まりプティバで終わる開けて嬉しいお年玉だったわ。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150109_006129.html

■城塞

■作:安部公房,演出:眞鍋卓嗣,劇団:俳優座 ■シアタートラム,2016.1.6-17 ■混乱する朝鮮で帰国の飛行機を待っている場面が過去の再現だと分かった時は緊張しました。 粗筋も読まないで行ったので劇的に受け取れました。 そして科白の掛けあいが続いていく。 小説を観ているようです。 古臭さの漂っているのが奇妙に感じます。 舞台設定が1962年の為でしょう。 息子和彦は父の拒絶症に20年近く付き合っています。 父は朝鮮から脱出する直前で異常をきたしそこで彼の時間は止まってしまったらしい。 後半、和彦の妻の圧力で父を入院させることになり最後の儀式を行う。 儀式とは終戦も近い朝鮮からの脱出場面を再現すること、つまり幕開きの<劇中劇>のことです。 この終幕の劇中劇で息子は父の時間を現在に戻すことを試みる・・。 父は今で言う新自由主義者のような考え方を持っている。 しかも息子からみると父は国家と同類のようでもある。 なぜ和彦が父の時間を現在に戻そうとしたのか? これが観ていてもよくわからなかった。 最後の儀式に和彦と踊り子は軽蔑のある目と嘲笑でその父を見ていたからです。 疑問を持ったのでプログラムを帰りに購入しました。 演出家眞鍋の文章を読んで踊り子の位置づけや先の答えである息子の行動は納得できた。 東京裁判を論じている頁もある。 早速「城塞」を読んだが裁判場面は前付のため舞台では無かったのでしょう。 「・・ナンセンス・コメディはいつの間にか深刻きわまる重量級ドラマに・・」。 安部公房は多くの仕掛けをこの作品に詰め込んでしまったようです。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20160106haiyuuza.html