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■エゴイズム

■振付・出演:加賀谷香,出演:藤井英介,近藤良平,佐藤洋介,柳本雅寛 ■新国立劇場・小劇場,2011.11.25-27 ■怪しげな振付で加賀谷が柳本と踊る場面が一番見ごたえがあった。 バイオリンもオドロオドロしていてよかった。 近松世界の全体像をみせる為か、周りで近藤と篠井が面白い動きをしていたが同時に散漫にもなってしまった。 進むに連れて3人の男性ダンサーが登場したが加賀谷との関係がよくみえない。 幕開きでは近藤が加賀谷を人形として相手をしていたが以降の浄瑠璃との関係もあやふやだ。 観客がこのようなことを考えてしまう流れが良くない。 有名作品を題材とするダンスは取捨選択が明確になっていないと詰め込み過ぎ消化不良になってしまう。 観客も原作に縛られてしまう。 結局、ダンスは頭の中を空にして観るのが一番である。 *写真、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22713_1.jpg?1409736448

■盲人書簡

■作:寺山修司,演出:高野美由紀,出演:劇団☆A・P・B-Tokyo ■ザムザ阿佐谷,2011.11.11-15 ■時代は上海事変あたりが舞台?で明智小五郎や小林少年も登場し賑やかです。 しかし物語が断片の繋ぎ合わせのため舞台も以前どこかで観たような場面が次々と現れます。 暗闇だらけの芝居と聞いていましたがいつもとあまり変わりません。 長いセリフを暗闇で聞く場面が一箇所ありました。 ここはいつもと違った緊張が訪れました。 もっと「もっと闇を・・」です。 闇の芝居は劇団にとってチャンスだったはずです。 後半はストーリーも集約してきて盛り上がりましたが、なぜ終幕に小林少年は身近の人明智小五郎や母親を刀で切ってしまったのでしょうか? もう一つの闇との関係を断ち切るためでしょうか? 観た後もカタルシスのある芝居でした。  この文章をかきながらチラシを見たらなんと小林少年が高野由美子だったと知りました。 演出家がどんな人か興味があったのですが、役者としても雑音を出さないピュアな演技で上手かったですね。 そして学生帽をもっと深く被ればまさに小林少年です。 *劇団、 https://www.apbtokyo.com/about

■天守物語

■作:泉鏡花,演出:白井晃,出演:篠井英介,平岡祐太,奥村佳恵ほか ■新国立劇場・中劇場,2011.11.5-20 ■亀姫が帰るまでの舞台はとてもよかった。 ゆっくりなセリフはだだっ広い中劇場にピタリと一致していて不思議な共感が迫ってきた。 秋草の釣りなど役者の動きも踊りもこれに同調していて申し分がない。 もちろん衣装も、舞台奥に道があることも。 しかし図書之助が登場してから様子が変わった。 全体が歌舞伎調で形重視かもしれないが、図書之助が硬すぎて恋をしている感じがしない。 富姫との恋も深まらない。 前半に時間を使いすぎたのも一因である。 後半の展開が速すぎて、チャンバラにはこの速さが合っていたが、終幕は桃六が少しだけ登場し失明を簡単に直してしまうし、大事な心模様をじっくり表現できないで幕が下りてしまった。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/tenshu/index.html

■サンパウロ市民

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4 ■幕が開いて驚いたわ、誤ってソウルの1919年を二度観てしまったのかと。 でもチラシをみて主旨はわかった。 こちらのほうがスッキリしてるけど終幕に近づくほどだめね。 宗一郎が一方的に喋りすぎたからよ。 これで全体の調子が崩れたの。 しかしブラジルは遠すぎるわ。 移民の話は「蒼氓」しか知らないし、土人の話で「悲しき熱帯」を思い出すだけ。 吹き矢は笑っちゃった。 チラシには新しい方法論とあるけどウーン、よくわからなかった。 ウーン、やっぱ二度観てしまった感じね。 *劇場サイト、 http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

■ソウル市民1939恋愛二重奏

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4 ■たくさんの事件や流行歌、ナッなんとヒトラーユーゲント行進曲まで、盛りだくさんの話題と歌でまるで色とりどりのイルミネーションが点滅しているような芝居ね。 そんな中、寿美子と明夫の気まずい結婚生活が歴史に流されていく様子がよくあらわれている。 チラシでも議論しているけど、志願兵を見送る場面で店員が日本軍歌を歌ったのは戸惑ってしまったわ。 植民地支配下のどうしようもない現実から逃げるための笑顔の志願も「強制的」なのよ、たとえその時に植民地支配の憎しみを持っていなくても。 軍歌を歌い続ける店員に「もうやめろよ」と志願兵が止める場面での二人の演技は緻密で正確さがもっと必要ね。 全体として、場面切替に誰かの恋愛を持ち出す方法はちょっとギクシャクしていたけど4作中一番まとまっていたかな。  そして前3作の思い出も舞台に堆積していて厚みが加わっているから観ていてジワッときたし、食卓で観客に背を向いて座る場面が多かったけど良い意味で印象深かったわ。 ついでだけど、役者が軽い拒否をする場面に両手を前に出してチャカチャカ振る動作があるでしょ。 この劇団の特技かもしれないけどこのような劇には合わないわ。 前後の礼儀や敬語の流れからもね。 *劇団サイト、 http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

■ソウル市民昭和望郷編

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4 ■3作の中で一番面白かった。 それは国性文芸界や関東大震災、大恐慌前の株式市場など政治・経済の話で時代を盛り上げていたから。 そしてこの語りに性格の強い米国帰りの袴田、京城大学出身の書生、精神疾患の長男真一が加わったから。 でも3作とも舞台の机の位置まで同じだから観終わったあとは混乱してきたわ。 オリザの芝居は物語が弱いし、舞台での言葉の微妙な調和と差異を身体化する感動だからこの混乱はしょうがないかも。 前2作と比べて日本人の切迫感が鈍くなっているのは歴史の激しい動きで判断処理がオーバーフローしてしまったのね。 もはや京城から出ていく時はスッカラカンになってからということ。 現代世界の姿と重ねあわせしまいそうだわ。 *劇団サイト、 http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

■ソウル市民1919

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4 ■客や家族の出入りがとても激しかったけどそれをまったく感じさせない舞台って素晴らしいわ。 三一運動の最中にオルガンと相撲取りが明るい雰囲気を持ってくる。 これらが混ざり合うと「滑稽な孤独」が現れるということね。 内地へ、満州へ、そして南方へ、京城からの選択は多岐にわたり日本人の不安と希望の心模様がよくみえる。 でも前作より感動は少ない。 うまく言えないけれど「滑稽な孤独」の孤独が深まらなかったからよ。 昔、ソウル旅行でパゴダ公園へ行ったけど日本人はここに入ってはいけない雰囲気を感じたのを覚えているわ。 今はどうかしらないけれど。 そして舞台のダイニングルームからあのパゴダ公園はみえなかった。 だから歴史としての孤独が深まらなかったの。 芝居を観たイ・ユンテクの言葉を聞いて「肩の荷が下りたように感じた」とオリザは書いている。 得意分野の科学シリーズとは違ってしまったということね。 場内で配られたチラシの短い文章はこの芝居の表裏すべてを語っているようにみえるわね。 *劇団サイト、 http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

■ソウル市民

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2011.10.29-12.4 ■「東京ノート」の感動を再び期待したけどちょっと違ったわね。 それは1909年の歴史を登場させたからよ。 チラシに「悪意なき市民たちの罪」とあるけどその通り。 ダイニングルームでの会話は1909年の歴史をオブラートで包んだ感じがする。 でも歴史で計算されつくしている会話は面白かった。 同時にオリザ型劇的感動は遠のいてしまった。 面白さと感動を交換した結果よ。 ロボット好きなオリザは過去から現在へ、よりも現在から未来へが合うのね。 チラシに人物関係図があったのをみてスイッチを切替えるべきだと悟った。 観ていてヴィスコンティの「家族の肖像」を思い出してしまったの。 あの歴史的且つ劇的なダイニングルームでの対話よ。 このダイニングルームに迫れるかが今後の話題になりそうね。 *劇団サイト、 http://www.seinendan.org/play/date/2011?post_type=play

■レッドと黒の膨張する半球体

■作・演出:神里雄大、出演:岡崎藝術座 ■にしすがも創造舎、2011.10.28-11.6 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22578_1.jpg?1450478507 ■初めて観る劇団である。 観客への作り笑いの連続、鼻くそいじり、オナラ、セックス、・・、どぎつさや名前から大阪の劇団か? 観劇後HPを見たらなんと違っていた。 最初は動きの激しい漫才というかコントを観ているようだ。 中学校体育館をそのまま使い、舞台に負けない日常の裏側にへばりついた言葉と動きで徐々にリズムに乗ってくる。 コントのような芝居は最後まで続く。 慣れてくるとどうでもいいことだが。 よくみると背景に大きな半円の黒幕、中央に一頭の牛肉?がぶら下がっている。 2032年、日本への移民は60%を超えてしまい家族の中にも国が混ざり合っている物語である。 世界人口70億突破のニュースを聞いたあとの現実味のある話だ。 この不安が芝居の根底にある。 英国でのオノ・ヨーコへの人種差別、食料難としての米国牛肉問題の登場も肯ける。 しかし芝居では解決できない。 だから宙ぶらりん状態の未来の生活をそのまま出すしかない。 迫力のある現実的なSF生活劇であった。