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■表象とかたち-伊藤憙朔(きさく)と昭和の舞台美術-

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2011/05/blog-post_29.html

■ビタースイート

■作・演出:椎名泉水、出演:スタジオソルト ■SPACE早稲田、2011.5.25-29 ■ http://www.studiosalt.net/btsw/201105_cu.html ■北朝鮮の兄妹が空港で捕まり、出された菓子の旨さに国家観が心揺れてしまう一話。 二話は死が近い父に20年ぶりに再会して言葉から情へ移っていく子の心模様。 三話は顔が崩れている女性が好きになり告白をするが振られる男の独白。 放射能汚染5km圏内で無断生活している人へインタヴィユする四話。 放射能は人間生活圏では理解不可能な異物にみえました。 以上のオムニバス四話で構成されている。 タイトル通りに少しばかり非日常的な行動をビターとスイートで包みこんでいます。 どれも涙と笑いを誘います。 バカバカしさのある話でしたが人生の納得が積み重なっていく芝居でした。

■黒い十人の女

■作:和田夏十,演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ,出演:ナイロン100℃ ■青山円形劇場,2011.5.20-6.12 ■風松吉のような男は現実にいるのかね? たまに似ている奴がいるけど多くは仕事も出来ないニセモノなんだ。 前半は面白かつた。 理由は男と女の綱引きが精神的に対等で緊張感があったからだとおもう。 しかし松吉を殺す話が持ちあがってからは急に面白さは萎んできたな。 そして終幕まで退屈が充満していた。 「殺人遊び」は古過ぎるし、「檻遊び」の場面は目を背けたよ。 男女間の汚らしいところが表出し舞台を現実に戻してしまったんだ。 しかし10人もの女性のキャラクターをここまで出せたのは素晴らしい。 そして役者や小道具の動きに見覚えがあったけど、振付が小野寺修二と聞いて納得。 この映画は観ていないが監督が市川崑だからつまらないかな? *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/25900

■どん底

■原作:M・ゴーリキ、演出:鐘下辰男、出演:THE・ガジラ ■笹塚ファクトリー、2011.5.20-29 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage20819_1.jpg?1434668465 ■上手を観客席にしているので下手は奥のある舞台にみえる。 前半は愛憎劇。 セリフは短いが男女間の複雑な背景が凝縮しているので理解しようとすると動きについていけない。 幸いにもセリフに間があったので言葉を一度噛みしめることはできた。 後半は自由を絡めてくる。 観客自身がこの二つに苦い経験を持っていないとすんなり舞台に溶け込めない雰囲気がある。 若い観客が多いなか拍手も無かったのは、武骨な愛憎と自由、酒での連帯強化は馴染まなかったのでは? パンフレットの「私たちの自由と社会を再考」するのにゴーリキは遠い人のように感じてしまった。 演劇博物館「伊藤憙朔と舞台美術」展にモスクワ芸術座「どん底」(1950年)の写真が数枚展示されていた。 俳優の顔かたちや表情がガジラの役者と瓜二つだったので笑ってしまった。 「どん底」を経験すると似てくるようだ。

■戦争にはいきたくない

■作・演出:石曽根有也、出演:らくだ工務店 ■下北沢駅前劇場、2011.5.20-29 ■ stage.corich.jp/img_stage/l/stage20132_1.gif?1414386256 ■東京下町のネジ工場の、社長の自宅でもある事務室が舞台です。 テーマが見えてきません。 別に見えなくてもいいのですが、話がいっこうに進まないので気懸かりになりました。 犬の世話やジャニーズやパンダ、デズニーランドのことなど日常の会話に終始していきます。 結婚話やヤクザそして認知症で少しばかり盛り上がるのですがこれも付け足しにみえます。 付け足しだけでできている芝居です。 「具体的な物語の断片を・・」積み重ねるだけではリアルは現れません。 普遍とリアルのどちらが先か?・・、ここではリアルが先だと思います。 リアルは舞台と観客の間で存在や関係性の本質が立ち現れることですから。 その結果「普遍的な物語の断片を・・」描けたと言えたのではないでしょうか。

■散歩する侵略者

■作・演出:前川知大,出演:イキウメ ■シアタートラム,2011.5.13-29 ■ヒトが持っている概念たとえば所有・家族・・を盗み取る「宇宙人」が登場する。 取られた人はその対象概念が無くなり別人のようになってしまう。 脳科学の言語機能主義が背景にあるSFストーリーである。 そして神や愛の概念になると一筋縄ではいかない。 神は逃げてしまうし、真治が鳴海の愛の概念を盗む肝心な場面の二人の行動は不可解にしかみえない。 要の「侵略」という概念もボヤケているし古すぎる意味で使っている。 もっと深く突っ込んだら面白い展開にできるはずだ。 舞台の小道具や背景はすべてが灰色系で物語とマッチしていた。 役者が一瞬で別の場所と時間に跳んでセリフが続いて行く切替方法は面白い。 SFは何でも有りで空想力豊だが制約が無いぶん観客の想像力は減少する。 SFを採用した時のデメリットが目につく芝居であった。 *劇場、 http://setagaya-pt.jp/theater_info/2011/05/post_232.html

■ロマン

■作·演出:高井浩子、出演:東京タンバリン ■三鷹市芸術文化センター·星のホール、2011.5.13-22 ■ http://tanbarin.sunnyday.jp/roman/index.html ■階段が部屋にもなるシンプルな舞台、雑踏での役者・照明・音楽の協調ある動き、要点を押さえた日常対話、メリハリある場面切替、リズミカルな時の流れ・・、とても洗練されている芝居ね。計算され尽くしているのを観客にみえるのが弱点くらいかな。 帰り道では、今観て来た舞台を何度も思いだしてみたわ。織物の地から最初は見えなかった柄が浮き出てくるような芝居だった。でもその素晴らしい柄に感動する手前で止まっているような後味ね。原因はただ一つ、それは身体が見えないから。 このように身体性を抑えている芝居は時々観るけど多くは失敗しているわ。でもこれは成功している、ようにみえる。チラシに「劇的でなくててもいい」とあったけど近いところでウロウロしているみたい 小津安二郎は計算尽くしで身体性を抑えて静かな劇的さを出している、・・もちろん映画的劇的と演劇的劇的は違いがあるけど、きっと新しい劇的さを出せるとおもうわ。

■デビルマン

■作:永井豪,脚本:じんのひろあき,演出:高瀬久男 ■プルヌスホール,2011.5.13-20 ■漫画とは知っていたが読んだことはない。 観劇後ウィキペディアで調べたところ面白そうなストーリーだ。 演出家も笑顔になるだろう。 原作はゴシックホラーだが後半は人間同士の信頼の話しになっていくらしい。 芝居もここが中心になっている。 生きるために他人を殺せるか? 悪魔狩に包囲された最悪の状況で全登場者は決断を迫られる。 「人殺しなんかできない。 しかし殺されそうならば状況による。 やはり生きたいから・・」。 これが普通の答えかもしれない。 だがこの答えこそ悪魔の証だと聞こえてしまった。 そして不動は待っても来ない・・。 興味が消えないので近々にレンタル店で「デビルマン」を借りてこようとおもう。 ところで舞台は役者の動きもセリフも簡潔明瞭でとても観やすかった。 *劇場サイト、 http://www8.obirin.ac.jp/opai/opap_item.php?no=73

■鳥瞰図

■作:早船聡,演出:松本裕子 ■新国立劇場・小劇場,2011.5.10-22 ■老女将と息子が経営している釣船の店が舞台。 作者は磯の香りを観客に届けたかったのでは? でもカサゴ・あなご・白キスの大文字看板や部屋に飾ってある海岸や釣船の額縁写真は最後まで知らん顔のままだ。 浮気や離婚など複雑にみえる人間関係は中途半端で女性週刊誌を読んでいるようだ。 食べる場面も多過ぎる。 玉蜀黍・西瓜・煮物・アイス・オムレツ。 これが噂話と絡み合いテレビドラマのようだ。 そして時間が経っても登場人物の過去の結びつきが結晶化していかない。 だからミオによそよそしかった佐和子が親しみの態度に急変した心理も頷けない。 孤独死峯島の葬儀で終幕にするのも東京湾の死に、掛けているようだが感動は小さい。 残念ながら磯の香りは届かなかった。 細部が分散と停滞のまま俯瞰したので毒にも薬にもならない舞台になってしまったようだ。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage20353_1.png?1414393069

■マッチ売りの少女たち

■作:別役実,演出:平田オリザ,出演:青年団 ■こまばアゴラ劇場,2011.4.28-5.17 ■ストーリに細かい非連続があって観ていても躓いているばかり。 80年代生まれの会話とくすんだ戦後風景が同時にやってきたり、少女たちの主張がかけ離れていることだとか、・・いろいろあるわね。 これが流れを澱ませて芝居をつまらなくしたのよ。 この非連続を不条理にまで昇華させると少しはみられるようになるわ。 でも不条理ではなくて不合理で止まってしまった。 しかも別役実の不条理劇はあまり面白くないし。 これをコラージュしたのが原因かな。 特に初期作品をね。 ところで5日に緊急対談があったのね。 知らなかった。 緊急というからには重要なことよね。 しかも子供の日に。 是非内容をHPに載せて欲しいー! *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/

■ヤルタ会談

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■こまばアゴラ劇場,2011.4.28-5.17 ■「新作落語として書いた」とあるが観て納得した オリザ型対話劇は公演時間が30分だと身体性が展開し難くて言葉だけの面白さで終わってしまう 今日みても3人漫才かコントのようで芝居の面白さは無い 観終わった後は史実としてのヤルタ会談を調べ直してしまった そして落語として書いたことを再び納得した *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/

■走りながら眠れ

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■こまばアゴラ,2011.4.29-5.16 ■題名がとてもいいわ。 でも芝居は眠るほうに比重がかかっていたようね。 走っているのがみえなかったわ。 それは船旅やファーブルの話しが面白過ぎて二人の日常生活の対話に深みがでなかったからよ。 多分リアルさだけでは不足なの。 チラシに「明るい、おおらかなサヨク、大杉栄・・」とあって「革命日記」を思い出してしまった。 雑誌「テアトロ」の2010年度ベストワンで「革命日記」をワーストワンに掲げていた批評家がいたことも。 「こんなことでは革命などできない・・」とか言っていたようだけど。 ソビエトは崩壊しちゃったんだからこんなことでも御破算よね。 でもどちらの芝居も革命家でなくても成り立つかもしれない。 おおらかさだけでも不足なのよ。 走っているのがみえるにはどうすればいいのかしら? *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/engekiten/

■サブロ・フラグメンツ

■出演:勅使川原三郎,佐東梨穂子ほか ■アルテリオ小劇場,2011.4.30-5.8 ■等加速度の動きが冴えていたけど、ヴァイオリンの音色が粘りついたような感じだった。 しかも運動エネルギーを外に出さず蓄えたまま踊り続けているようにみえる。 発散しないダンスは心が踊らないわ。 後半はもがき苦しんでいるようね。 途中のピアノは合わせ難かった、だから直にヴァイオリンに戻してしまったのかしら? 若いダンサーたちは三郎からフィードバック機能を取ってしまったように動き回っている。 もっと制御を効かせて逆にスローにしたほうが変化がでて面白かったはずでは? 終幕の照明と踊りは付け加えた感じで馴染まない。 省いた方が自然な流れになるとおもうけど・・。 3.11を意識し過ぎたのね。 100年後の人類が人造の肉体を持った時の苦しみがどういうものかを想像してしまう、ようなダンスだったわ。 *KARASサイト、 http://www.st-karas.com/works_jp/saburofragments/