2013年7月31日水曜日

■レーニン伯父さん

作:林周一,演出:笠原真志,出演:風煉ダンス
日暮里D倉庫,2013.7.25-31
幕開前後のレーニン廟は面白い! 物語の展開がどうなるのかドキドキしながら観ていたわ。 そしてイリフネスカヤが登場して面白さが一気に膨らんだの。 年季の入った遺体レーニン、偉大な人、そして女地主。 これでロシア→ソビエト→チェーホフ=旧ロシアの総ての時代が一度に出現したからよ。 チェーホフを100年の遠くから触った感じがある。 懐かしさを伴ってね。
ところであの怪獣はなんなの? 「・・希望を捨てた時、あの怪獣がすり寄ってくる・・」とかなんとか言っていたけど。 これは詰め込み過ぎかも。 怪獣なしでまとめられたら一層面白くなったとおもう。 夏休みの子供向けサービスかしら?
この劇場も舞台照明を新品に交換したようね。 雰囲気がずいぶん変わったわ。 舞台がテレビのバラエティ番組に似てきた感じ。 深みが出過ぎてアクが強いのよ。 もう少し柔らかな光は作れないのかしら? 照明担当は勉強してね!

2013年7月27日土曜日

■プラモラル

作・演出:佃典彦、出演:劇団B級遊撃隊ほか
スズナリ、2013.7.24-28
ほとんど裸の舞台に男1が「わが町」に似せて進行役で登場します。 男1は名前を付けられわが町の住民として話が進みます。「わが町」は自治会・小学校・PTAなどが絡み日本的裏側を持った組織です。 噂・イジメ・不倫などの話が笑いを取りながら続きます。 現実社会の断片の再現は巧い。
しかし少しずつ過激になっていきます。 舞台に血だらけの人が暴力沙汰で倒れそのまま放置しているのもそれを暗示しています。 最後にモラルの完全崩壊が起こり町は燃えてしまいます。
モラル崩壊時点でも役者の演技に変化がありません。 ストーリーの目的・内容と役者演技の乖離から来る異化効果を狙ったようです。 しかし残念ながらこれが作動しません。 それは役者の演技が舞台と同じ裸に近いため差異が大きくなりすぎた。 一種のシラケが現れたてしまったのです。 これで動物の登場も子供の芝居のようになってしまった。 終幕のブランコ場面は劇的ですが時すでに遅しです。
ところで演出家が「・・他者に認識されるとはどういうことか?」がテーマだと言っていました。 男1が名前を付けられ舞台他者と関係を持つ認識過程のことを言っているのでしょうか? テーマの意味もよくわかりませんでした。

2013年7月26日金曜日

■カルデッド

作・演出:中村暢明、出演:JACROW
下北沢・OFFOFFシアター、2013.7.24-31
自殺に関する4本の短編集。 第一話「甘えない蟻」は東日本大震災後に家族が離散し父親が自殺する話である。 筋がよくわからないまま終わってしまった。 なぜ自殺したのか? 携帯や特にパソコンの使い方がシックリしていない。
第二話「スーサイドキャット」は高校での虐めのようだ。 なぜ自殺したのか? 両親と先生の対話はよくある内容だが緊張感が走る。 しかし友達や先生との不倫の関係に突っ込みがない。 チグハグな感じがしてまとめ切れていない。
第三話「リグラー2013」は仕事の成績が上がらず自殺したようだ。 課長だけが自殺した部下の姿が見える。 なぜ課長だけに見えるか? その理由がみえない。 会社員を経験している者には身につまされる場面が多々あった。
第四話「鳥なき里に飛べ」は樹海の自殺者を思い留まらせる話である。 相撲という身体動作が自殺の意味を投げ飛ばしてくれる。 希望のみえる舞台である。
前三作は煮え切らない。 ただし自殺の周辺は熟れていたが。 自殺だけが取り残されてしまった感じだ。 短編特有の切れ味が欲しかった。

2013年7月22日月曜日

■もう一人のシェイクスピア

監督:ローランド・エミリッヒ,出演:リス・エバンス他
■(アメリカ,2011年作品)
構造が劇中劇中劇になっています。 一番外側が解説者の話の為忘れてしまうのですが終幕に再登場するので劇場で観ていた感覚に浸れます。 しかも劇場背景のあるテロップではカメラ位置が座席と同じなので尚更です。
劇中劇と劇中劇中劇はシェークスピアの時代とその舞台ですので並列です。 その芝居は「ヘンリー五世」「ロミオとジュリエット」「十二夜」「ジュリアス・シーザー」「マクベス」「ハムレット」「リチャード三世」です。 ほんの一場面の十数秒間ですが印象に残る舞台です。 詩では「ヴィーナスとアドーニス」。
物語の流れは時間を小刻みに過去に戻す方法を取るため複雑にみえます。 歴史ミステリーの付録のようなものでしょう。 当時のロンドン風景の映像は申し分ありません。 政治の比率が大きく占めていましたが、戯曲創作との関係も滑らかで十分楽しめました。
*映画comサイト、http://eiga.com/movie/56750/

2013年7月16日火曜日

■マーラー交響曲第三番

音楽:G・マーラー,指揮:S・ヒューイット,振付:J・ノイマイヤ,出演:パリ・オペラ座
みゆき座,2013.7.12-8.1
一幕はまるで器械体操のよう。 しかもギリシャ的なの。 ノイマイヤーはギリシャ志向なのよ、多分。 そしてローマへ、最後はキリスト教ね。 ベジャールを一瞬思い出したけど・・、ベジャールはフランス的よ。
主人公「男」が登場するけど彼はほとんど舞台を「観ているの」。 だから観客は男が観ている舞台を観ている感じね。 ノイマイヤは「考えたり、理解しようとしないでくれ」と言っていたけど、舞台は意味で充満しているわ。 交響曲に縛られている感じね。 それを受けてダンスも交響曲を縛っているの。 これで動きがとれない。 必然的に全体が静的になってしまった。 交響曲は強い。でもノイマイヤはそう思っていないはずよ。 交響曲はダンスにとって関門ね。

2013年7月15日月曜日

■ゼロ・アワー・東京ローズ最後のテープ

作・演出:やなぎみわ
KAAT・大ホール、2013.7.12-15
会場入口で水色の制服と小さな麦わら帽子のアナウンサたち?が出迎えてくれました。 舞台のアナウンサ役も同じ制服なので出迎えと同じ人なのかどうか混乱しました。
物語も面白い。 というのは5人の女性アナウンサが登場しますが、その中に東京ローズはいたのかどうか最後まで明かされないからです。
そして日本語と英語、役者の生の声とスピーカだけからの声。 この四つが絡み合って不思議な広さが現前します。 それは太平洋の広さです。 日本とアメリカ間の、ある意味心が籠もったコミュニケーション=通信だからです。 太平洋戦争の歴史を太平洋の広さとして舞台上に表現できたのは素晴らしい。

2013年7月14日日曜日

■遥か遠く同じ空の下で君に贈る声援2013

作・演出:土屋亮一、出演:シベリア少女鉄道
王子小劇場、2013.7.3-14
遊び心が一杯で楽しかった! 役者の一言フレーズをそのまま馬名にして、役者がセリフ中で何回言えたかを競い合うの。 ホメラレルトマイル、ウレシインザスカイ、オカシクネ、ソンナワケナイスショット、ナンテユーコート、ゼンゼンワカンナイ、イラッシャイマセ。
もちろん次々と失恋する話が筋だから観客を離さない。 男女間のダラシないクダラない表裏を披露するの。 独特のリズムを持っているわ。 でも長くて繰り返しのある舞台だから途中飽きがくる。 これで上演時間を含めコンパクトにできれば最高ね。

2013年7月12日金曜日

■象

作:別役実,演出:深津篤史,出演:大杉漣,木村了
新国立劇場・小劇場,2013.7.2-21
舞台一面が古着だ・・! 病院ベッドが置いてある・・。 ・・そこに寝ている「病人」は病人にみえない。 ギラギラしている目、甲高い喋り方でわかる。 そして「男」も詩のような科白を喋るが裏も影も無いような男だ。 二人は元気が良すぎる。
そして「病人」だけが盛り上がってしまい舞台に亀裂が生じない。 この二人から離れるほど<別役+深津>的人間が登場する。 その「看護婦」や「通行人」が舞台に小さな亀裂を運んでくる。 しかし「病人」が強すぎて舞台はびくともしない。 もっと亀裂の中を覗いてみたい芝居であった。 連日の暑さで深津は別役の毒気に当てられてしまったのか?
しかしこれは広島が舞台だが近未来を描いたようにもみえる。 核を持っている限り続くであろう未来に何度かやってくる姿である。 そしてケロイドはいつもシミになるのを繰り返す。 演出家が残した未来の姿である。

2013年7月9日火曜日

■グラン・ヴァカンス

作:飛浩隆、演出:大橋可也
シアタートラム、2013.7.5-7
階がガレージで2階は開いた部屋が奥にあり、照明は単純な色彩だけのスッキリした舞台です。 断片的文章が忘れた頃に映し出されます。
16人のダンサーが登場しますが日常の延長にあるような踊りやしぐさで構成されています。 ダンスや演劇に近いパフォーマンスのようです。 しかしいつまでたっても舞台に寄せ付けてくれません。 日常の延長だけなので「シラケ」てしまうからです。
ダンサーたちは言葉化された内面状況を肉体へ戻したいような振り付けです。 群舞で無声で叫ぶ、歩く、もがく・・。 演出家やダンサーの頭の中はいろいろと一杯なのでしょう。
考え過ぎてトラックを1番で一周したけど結局はもとの場所に戻ってしまったような舞台です。 即興で踊っても同じようにみえてしまうでしょう。
「遠い日の思い出」あたりからリズムがでてきました。 単純な照明から近未来的な映像へと移り、無機質な中の有機的な存在感の面白さもでてきました。
原作は読んでいません。 この舞台は原作との関係が強いようで一度読んでみないと何とも言えないかもしれません。

2013年7月8日月曜日

■道玄哀歌

作:小林恭二,演出:金守珍,出演:新宿梁山泊
東京芸術劇場・シアターウエスト,2013.7.6-9
輪廻転生の色濃い仏教思想に貫かれていて物語の渦に巻き込まれてしまいそう。 キャッチフレーズ「愛とは再び会う約束」は最後までブレていない。 人さらい、辻斬り・・、たった150年前には死がいつも目の前にあったことを思い出させてくれるの。
でも昭円とはつがお互いの心臓を突き合う終幕は芝居過ぎる。 そして現代の道玄坂の男女を映像に登場させて重ね合わせるなんて昼メロ漫画をみてるみたい。 幕開きのっけから劇中劇かしら? もしそうならば凄い技法だとおもう。 芝居が進むとどちらにも取れるからよ。
照明がLED?のためか色に質量があって舞台に物質感が充満していて、物語展開のケバケバしさと共鳴しているわ。 そして大阪風侘寂都市生活者小林恭二とアングラ少女都市新宿梁山泊が混ざり合って摩訶不思議な舞台になっていて面白かったわよ。

2013年7月5日金曜日

■シレンシオ

作・演出:小野寺修二,出演:原田知世,首藤康之ほか
東京芸術劇場・プレイハウス,2013.7.2-7
面白くなかった。 感じたことを箇条書きにしてみた。
1.舞台に締まりが無い。 ダンサーが動き回る前景は緊張感が保てない雑な広さであった。
2.いつもはボケている顔をしながら獲物を狙っているような小野寺だが、今回は疲れと不安のみえる顔つきだった。 客席にいて心配になってしまった。
3.ダンサーの視線に心理的意味が含まれ過ぎている。 チラシをみると題名が沈黙・静寂とあるが、この意味の付着の為むしろ雑音のような饒舌が舞台に立ち込めていた。
4.ダンサーたちは原田に遠慮しているようにみえる。 彼女の透明感は面白いがダンサーや観客の期待に答えていない。
5.首藤のソロが目立ってしまっている。 3と4の原因からダンサーの速度ある連携ができていない為である。   静寂・静けさな舞台を直ぐに思い出せない。 民族舞踊が挿入されていたジョナス・メカスの作品を観た記憶があるが、静寂さのある素晴らしいダンスだったことを覚えている。 純粋な恍惚感のようなものが得られると静寂に近づけることは確かだ。 多分小野寺は別の方法を考えていたようにみえるが・・。

2013年7月1日月曜日

■ファルスタッフ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:D・オーレン,演出:D・ピトワゼ,出演:A・マエストリ,A・ルチンスキ,P・ファナーレ,,パリ・オペラ座
みゆき劇場,2013.6.28-7.11(パリ・オペラ座収録)
喜劇の場合は全体の良し悪しが決め手になるようね。 悲劇なら悲劇だけが良ければ結構納得しちゃうでしょ。 インタビュで歌手たちもこのことを心配していた。 少しギクシャクしていたけど、結果としては及第点かな。 でも舞台美術は最悪ね。 平面的だし部屋の外と内の区別もつかない。 音響もボリウムが有り過ぎてだめ。
マエストリはファルスタッフとして生まれてきたと言ってもいいくらいね。 「人間は生まれつきの道化」。 「この世は冗談」。 これらのセリフはヴェルディが歳を取った証拠。 これでなければ人間長生きできないもんね。
話はかわるけどポランスキー「初めての告白」を観て来たわ*1。 「墓場に持っていく作品は?」 「戦場のピアニスト」。 あの時の記憶は戦後の全てを超えるものがあるのね。
*1、母よ、父なる国に生きる母よ」(ヴロツワフ・ポーランド劇場,2013年)
*パリ・オペラ座ライブビューイング作品