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■ヒネミの商人

■ 作・演出:宮沢章夫,出演:遊園地再生事業団 ■ 座・高円寺,2014.3.20-30 ■ 日常を少しばかりずらしていく科白が続きます。 役者の動きも突然にユックリ歩いたり静止したりします。 たとえば印刷工場を営む主人安西は無造作に懐から札束を取り出したりします。 不条理な動きが重なり劇的な舞台が出現します。 しかし物語は無意味や非論理的な結果に終わりません。 後半に安西が印刷工場で贋札作りをしていたことがわかります。 銀行員渡辺も見破れない。 信用だけで成り立っている紙幣は科学技術的に100%同じだと偽札でなくなるということですか。 このためか安西もカメラ屋砂原も罪の意識を見せません。 また安西は姉から連帯保証を頼まれています。 土地を提供しますが土地に生えている草木一本でも担保から外してくれと「ヴェニスの商人」の現代版を渡辺に披露します。 安西の娘と同級生である銀行員渡辺の娘の「ヴェニスの商人」の部活練習もワサビのような効果があり面白い。 「紙幣の信用」と「土地の担保」の二つの話に不条理的風景が被さり、現代社会の不思議な姿を見事に浮かび上がらせた舞台でした。 *劇場サイト、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=986

■初めてなのに知っていた

■ 作・演出:坂手洋二,出演:燐光群 ■ザスズナリ,2014.3.16-31 ■ デジャヴを発病した「患者」を隔離政策として瀬戸内海?孤島の療養所へ送り込む話のようだ。 そこではデジャヴで未来予知の研究もしている。 「・・初めて見る海なのに懐かしい感じがする」。 海を見たこともない人がなぜ初めての海を見て感動するのか? 星空も・・、初めてなのにそれが何であるか知っているからである。 夢や無意識、暗黙知、精神病などを素材にデジャヴを拡張・発展させ能などを射程に入れている作品である。 しかし素材が絡み過ぎて何が言いたいのか分かるようで分からない。 能の説明が何度もあった。 どうしても能とデジャヴの関係性を論じたいようだ。 この強行が芝居をつまらなくしている。  題名の通りである。 「能は初めてなのに知っていた」ような物語を作って欲しかった。 *劇団サイト、 http://rinkogun.com/2011-/entori/2014/3/16_hajimetenanoni_sitteita.html

■日本橋

■ 作:泉鏡花,演出:齋藤雅文,出演:坂東玉三郎,高橋恵子,松田悟志 ■ 東宝シネマズ 系,2014.3.20-(日生劇場,2012.12収録) ■ 科白も役者の動きも、そして衣装も音楽も一切が明治時代からやって来たようです。 江戸・明治の作品はよく観ますがこのような感覚に出会ったのは久しぶりです。 人々の対話の中にも当時の時間が流れているのを感じます。 お孝玉三郎のあの独特な喋り方や声も生きていました。 それは競争相手清葉が存在することにより緊張感が出たのでしょう。  巡査や火消?、甘酒屋や飴屋の印象も残りました。 芸者の着物や髪型に視線を向けさせるのも面白い。 作品を厚くしています 。 「天守物語」「海神別荘」「高野聖」と異形の作品が続きましたが、明治時代でもこれほどの目眩を観客に与えるとはさすが泉鏡花です。 演出家や出演者のコラボの良さは言うまでもありません。 *シネマ歌舞伎作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/24/#sakuhin

■死の都

■ 作曲:E・W・コルンゴルト,指揮:J・ギズリンク,演出:K・ホルテン,出演:T・ケール,M・ミラ,A・ケレミチェフ ■ 新国立劇場・オペラパレス,2014.3.12-24 ■ 愛する妻マリーが亡くなり、妻と瓜二つの踊り子マリエッタに出会うパウル。 「欲しいのはそのカラダ、愛するひとは別にいる」。 彼の心はマリーへ、肉体はマリエッタへと二元論的な愛に苦しむパウル。 日常世界から出られない一幕はシンドイわね。 でも詩的になってきた二幕目からは少しずつ引き込まれていくの。 それはパウルが身勝手だけど真面目だから。 しかも歌手T・ケールは宗教的な声をしているからよ、ちょっと細いけど。 パウルとマリエッタの精神面に寄り添う曲もさすがコルンゴルトね。 背景に宗教が絡むと悩むわね。 「肉体の秘蹟」とは何か? 「聖血の行列」との関係は? 「ヤン・ファン・アイクの絵のようだわ」と言うマリエッタの科白では、聖母ではなく「アルノフィーニ夫妻像」を思い出してしまった。 床と両壁は妻マリーの遺品で一杯。 動けない歌手たちはより精神性に向かうしかない。 独特な良さがあったけど、途中での観客の拍手は一度も出来なかった作品と言えば当たりかしら? 地中海性気候の土地には合わないのは確かね。 *NNTTオペラ2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dietotestadt/

■シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ

■ 指揮:A・バカラン,演奏:新国立劇場オーケストラ,出演:新国立劇場バレエ団 ■ 新国立劇場・中劇場,2014.3.18-23 ■ 3作品を上演。 気に入った作品は「暗闇から解き放たれて」。 1.「暗闇から解き放たれて」、振付:J・ラング 名前は聞いていたがジェシカ・ラングは初めてである。 ダンサー間の位置と動きは複雑で微妙だ。 糸を引くような細かさが見え隠れしている。 舞台にはホンワカ雲が漂っていて面白い。 照明はもう少し明るくてもいい。 全体に彼女の目が行き届いているのがわかる。 まだ吹っ切れていない感じがする。 暗闇から解き放たれたい思いがある。 一度吹っ切れればパワーが全開して次の段階へ飛躍できるだろう。 2.「大フーガ」、振付:H・V・マーネン、音楽:L・V・ベートーヴェン これはビックリ! これほどの音楽と男性ダンサーの不協和音は想定外だった。 衣装のヒラヒラパンタロンにベートーヴェンがネットリと絡み付いている感じだ。 拳を握りしめるような力を描き続けるダンサーの姿にもこれが浸み渡っている。 比して女性ダンサーの衣装は素晴らしい。 髪型や簪もピッタリだ。 音楽を軽やかに受け流している。 男性ダンサーをも気にしないような挑発的動きはとても面白い。 3.「シンフォニ・イン・スリ・ムーヴメンツ」、振付:G・バランシン、音楽:I・ストラヴィンスキ 「ウェスト・サイド・ストーリ」を思い出してしまった。 バランシンのNYCBを引き継いだ流れを感じるのかな? 登場人数の多さがどうも活かし切れていない。 騒がしいだけになっている。 バランシンの無機質感の良さが出ていない感じだ。 同時にジェシカ・ラングの作品が人間的な匂いを放っていることを再確認してしまった。 *NNTTバレエ2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/symphony/

■ARCHITANZ、3月公演

■ 新国立劇場・小劇場、2014.3.20-21 ■ http://www.a-tanz.com/dance/architanz2014.html ■ 2月(*1) に続き3月も4作品を上演。 香港バレエ団が2作品に登場したが20世紀に戻ったような懐かしさがあった。 小劇場の上演のためか舞台が少し狭い。 香港バレエ団のパワーが一層狭くさせていた。 面白かったのは「CASTRATI」。 ① BOY STORY ( 振付:ユーリ・ン、出演:香港バレエ団) 加山雄三「旅人」、ブラザースフォア「500マイル」、「サンフランシスコ・ベイ」・・、70年頃の音楽と香港バレエ団若手ダンサーのなんともいえないレトロな青春気分が漂う。 ② THE SECOND SYNPHONY ( 振付:ウヴェ・ショルツ、出演:酒井はな他) 劇場が窮屈である。 このため中肉中背のダンサー4人の体重を意識してしまう。 シューマンの交響曲2番でなんとか逃げることができた。 ③ CASTRATI ( 振付:ナチョ・ドゥアト、出演:香港バレエ団) ナチュ・ドゥアト独特の高揚感が得られない。 香港バレエ団の荒削りの動きでナチュもタジタジである。 ④ MOPEY(振付:マルコ・ゲッケ、出演:酒井はな) 笑いを誘う短品である。 *1、 http://twsgny.blogspot.jp/2014/02/blog-post_12.html

■宅悦とお岩-四谷怪談のそのシーンのために-

■ 作・演出:岩松了 ■ 下北沢駅前劇場,2014.3.7-23 ■ 舞台上手に現代、下手に江戸の時代差のある幕開きは素敵だったわ。 どっぷりの四谷怪談じゃないのね? 青春群像劇かな。 芝居裏側の稽古風景を覗けるのも楽しい。 活きの良い台詞がリズムある舞台を作っていて心地良い。 でも後半は錆びついてきた感じがするの。 ヤクザの女に手を出す一件が目立ちすぎたんじゃないかしら? お岩役(名前忘れた)の尾上への非難もちょっとヒステリックだし、小道具の滝沢の不可思議な行動も理解できなかった。 登場しない演出家の妻を作家の安藤があれだけ持ち上げるのも戴けない。 現実的な物語から外れてしまい統一感の無い舞台になってしまったのね。 このため男と女の思いやりやホロ苦さが 起ち上がらなかった。 「 カスケード 」 は既に3年前。 今回は二匹目のドジョウを狙ったようだけどハズレね。 *CORICHサイト、 https://stage.corich.jp/stage/53484

■悪霊

■ 演出・構成:三浦基,出演:地点 ■KAAT・ 大スタジオ,2014.3.14-23 ■ スタジオは運動場だ。 雪も降っている。 役者たちはトラックを走り、雪の積もったフィールドで絡み合い掴み合いのたうち回っている。 時々流れる正教会聖歌?の断片や、銃声の響きがロシアの風景と広さを想像させてくれる。 チラシに人物相関図が載っていた。 苦手な図だがドストエフスキではしょうがない。 ロシア人はみな同じ名前にみえてしまう。 骨組みとして役者に分散する台詞や身体動作がポリフォニーに向けてどのように繋がっていくのか? 肉付である政治と宗教つまり無政府主義と革命、無神論と信仰をどのように譜面に落としていくのか? ・・「どうあがいても わだちは見えぬ、」 役者が距離間のある動きで大味になっている。 走り回ることは舞台の時間を空回りさせているのと同じである。 「荒野のなかを、堂々めぐりする羽目か。」 この走りで政治の言葉が上滑りしてしまい宗教との合体を弱めてしまった。 舞台にポリフォニーが見えない。 でもドストエフスキにどっぷり浸かっている者なら感じるところが有ったはずだ。 カーテンコールでの拍手に力が籠っていたのはこれが観客に残ったからである。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/akuryo

■ケレヴェルム

■ 振付・演出:関かおり,出演:関かおりPUNCTUMUN ■シアタートラム,2014.3.14-16 ■ 誰もが考えているけど誰も上演しないような舞台です。 なぜなら目に見えるような失敗を最初に考えてしまうからです。 でもそれを乗り越えているので「次代を担う振付家賞」を受賞したのだとおもいます。 月夜の晩の静寂な湖の上で、ヒトという生物が言葉ではなく身体で対話をしているような舞台です。 音楽が無かったせいか闇も深く感じました。 次作品がどのように変化していくのか楽しみです。 会場入口に香気を放すと掲示がありました。 木の匂い、次に甘さのある匂でしたが気のせいですかね? よくわかりませんでした。 匂いはとても触覚的ですので舞台に影響します。 実験的には面白いはずですが・・。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/03/post_355.html

■虚像の礎

■ 作・演出:中津留章仁,出演:トラッシュマスターズ ■ 座・高円寺,2014.3.6-16 ■ 主人公である劇作家が人々の心の扉を開き政治などの争いを解決しくストーリーである。 彼はもう一歩踏み込み深く考えることでお互いの心に共感を芽生えさせようとする。 その共感は名付けえぬものとして人々に信頼と希望を与える。 しかも劇作家が演劇に表れるある種の感動を論じているようにもみえる。 これはメタ演劇と言ってもよいかもしれない。 この二つが混ざり合い深みのある舞台が現れている。 但し前者は兄弟 や恋人の周りに貧困・移民・テロの現実が被さり隠されてしまったが。 繁栄は肯定するが繁栄への過程がとても大事である。 これを問いたいようだ。 宗教家が一度だけ登場して混乱させたのも、終幕にテロの襲撃が音楽に聞こえないか?という矛盾に満ちた台詞もこの問の答えが未決だからだろう。 舞台はダイニング・リビング・応接室のある二階建ての部屋構成で物語にもしっかり対応している。 舞台中央からの役者の入退場もリズミカルにみえる。 充実の二時間半であった。 *劇場サイト、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=985

■ロスト・イリュージョン(失われた幻影)

■ 原作:H・D・バルザック,振付:A・ラトマンスキ,音楽:L・デシャトニコフ,出演:パリ・オペラ座,ボリショイ・バレエ団 ■イオンシネマ系,2014.3.5-6 ■ バレエ作品なのにバレエの練習風景があるなんて面白い! 本番上演もあるの。 もちろん(映画の)観客も(映画の)舞台上の客席に座っているのよ。 このように劇中劇がふんだんに使われているのもドラマティック・バレエならではの構成だわ。 ロマン主義末期のパリが舞台だからロシアの雰囲気は少ない。 でもテンポはボリショイ風ね。 というより意味あるしぐさに振付をつけるから必然的に速くなってしまうの。 音楽も背景を的確に捉えているし、小粒だけど素敵な振付も沢山詰まっていたわ。 心情も顔だけではなくて身体全体で表現しようとしていた。 さすがドラマティック発祥のロシアね。 *ボリショイ・バレエinシネマ作品 *主催者サイト、 http://bolshoi-cinema.jp/

■神なき国の騎士-あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?

■ 作:川村毅,演出:野村萬斎,大駱駝艦 ■ 世田谷パブリックシアター,2014.3.3-16 ■ 闇の世界からやって来たような大駱駝鑑と「偽りの光」と闘い「闇を受け入れる」ドン・キホーテのコラボは面白い。 でも芝居に入っていけません。 シラケが全体を覆っている感じです。 原因は・・ 1.筋が粗くて流れに乗れない。 萬斎が得意とするリズムが舞台に作れなかったのが一番の問題です。 2.東日本大震災が見え隠れしているので現実世界に戻されてしまう。 現実のリアルが舞台を越えてしまうからでしょう。 3.「学芸会の練習か?」の台詞のように、座頭市・子連れ狼・木枯し紋次郎などのモノマネやハムやオニギリの食料の扱い方は学芸会並ですね。 4.「わかり易さの罠に嵌る」と言っていたが、まさに舞台は罠に陥ってしまった感があります。 5.太古の闇と原発の闇の関係がよく見えません。 これを上手く繋げないとアヤフヤになるのではないでしょうか? 6.「神」という言葉は歴史や意味がこびり付いているので判断停止状態になってしまいます。 「神々は胸の内にある」は宙ぶらりんの終幕です。 そして「生きることだ!」の終わりの始まりは円環を描いていますが芝居としては物足りません。 ・・大震災や原発のような目の前の現実を表現する場合<わかり易さの罠に嵌まり>ます。 混乱した舞台にみえました。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/03/post_344.html

■ルサルカ

■ 作曲:A・ドヴォルザーク、指揮: Y ・ネゼ=セガン、演出:O・シェンク、出演:R・フレミング、P・ペチャワ、MET  ■ 東劇、2014.3.1-7 ■ http://www.shochiku.co.jp/met/program/1314/ ■ 妖精が王子に恋をする神婚説話と言ってよいのかしら? 人間になるための条件として喋れなくなるの。 オペラでは考えられない! でもこれを逆手に取って歌手も物語も減り張りを持たせることが出来たようね。 舞台は森や池に湿度感が漂っているし、旋律もスラブ系が感じられていつもと違う。 1・2幕はこの雰囲気に引き込まれてしまったわ。 でも3幕まで続かない。 ルサルカと王子は並の近代西洋様式へ収斂されてしまったの。 「自然からはみ出た人間」、「呪われた人間、呪われた情熱」が恋しいのよ。 でもパリやヴェネチアでは作れない面白さがあったわ。 ドヴォルザークの苦労の跡が見えるような作品ね。 フレミングは素敵だった。 適役よ。

■もっと泣いてよフラッパー

■ 作・演出:串田和美,作曲:越部信義他,音楽監督:ダージリン ■シアターコクーン,2014.2.8-3.2 ■ 1920年代のシカゴが舞台です。 踊り子たちを好きになるのですが、男たちは銃殺や自殺、牢獄されるという悲恋の物語です。 彼らは真摯に踊り子に近づきます。 女たちもこれに答えるのですが唯一、踊り子ジルとボクサーのチャーリは違います。 二人はベットシーンまであるのに愛の姿が見えて来ません。 お互いのぶっきらぼうな態度が物語を湿らせています。 「上海バンスキン」は時代や民族から来る憂慮と束の間の庶民の幸せが上手く表現されていました。 この作品は時代も民も抜け落ちています。 空想のシカゴだからしょうがないのでしょうか? 児童が観ても楽しい場面が多く有りました。 観客層を広げすぎてしまったようにみえます。 これで当り障りのない場面が散らばってしまったのでしょう。 主演松たか子はキム・ヨナたちに囲まれた浅田真央のようでした。 *劇場サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/14_flapper.html