■悪霊

演出・構成:三浦基,出演:地点
■KAAT・大スタジオ,2014.3.14-23
スタジオは運動場だ。 雪も降っている。 役者たちはトラックを走り、雪の積もったフィールドで絡み合い掴み合いのたうち回っている。 時々流れる正教会聖歌?の断片や、銃声の響きがロシアの風景と広さを想像させてくれる。
チラシに人物相関図が載っていた。 苦手な図だがドストエフスキではしょうがない。 ロシア人はみな同じ名前にみえてしまう。
骨組みとして役者に分散する台詞や身体動作がポリフォニーに向けてどのように繋がっていくのか? 肉付である政治と宗教つまり無政府主義と革命、無神論と信仰をどのように譜面に落としていくのか? ・・「どうあがいても わだちは見えぬ、」
役者が距離間のある動きで大味になっている。 走り回ることは舞台の時間を空回りさせているのと同じである。 「荒野のなかを、堂々めぐりする羽目か。」 この走りで政治の言葉が上滑りしてしまい宗教との合体を弱めてしまった。
舞台にポリフォニーが見えない。 でもドストエフスキにどっぷり浸かっている者なら感じるところが有ったはずだ。 カーテンコールでの拍手に力が籠っていたのはこれが観客に残ったからである。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/akuryo