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■へちま

■作・演出:三谷智子,出演:文月堂 ■下北沢OFFOFFシアタ,2012.4.24-30 ■喪服での幕開きは昨年の流行である。 人物関係が見えない。 配られたチラシを後で覗いたらやはり相関図が出ていた。 それだけ複雑である。 そして舞台はチェーホフの末生りのような三人姉妹が登場する。 三女の結婚の話が中心になる。 長女と次女の別れ話がオマケで付いている。 これが面白い。 テレビのホームドラマの半年分を1時間半に凝縮した感じだ。 三女の婚約者が長女に許しを請う台詞、ハッキリ覚えていないが「生まれては死んでいく生き物だからこそ、生きている短い間は愛を大事にしたい」が演出家の一番言いたい場面なのだろう。 なぜなら長女であり演出家である三谷が反論しないからである。 婚約者は海星の研究をしているせいか背景には輪廻転生もみえる。 観終わった後は、良い意味でも悪い意味でも脳味噌が軽くなってしまう芝居であった。 *劇団サイト、 http://fumitsukido11.wixsite.com/fumitsukidou/kouen08

■自慢の息子

■作・演出:松井周,出演:劇団サンプル ■こまばアゴラ劇場,2012.4.20-5.6 ■いつもと比べるとちょっと狭い劇場ですね。 今回は関係を重視しているので狭くしたのでしょうか? 他の作品は存在にも傾いていたから広い舞台でも様になっていたようです。 息子が母から、その逆もあり、逃げられない関係です。 兄と妹の関係も同じです。 隣の女も多分死んだ息子から離れられないのでしょう。 昔からよくあることですが、現代はこれに介入する他者がいないので致命的になってしまうので厄介です。 「誰かの物語に組み込まれたり、自分の物語をかすめ取られる」ことを受け入れてもよいとおもいます。 この為にもっと気軽に人間関係を創りあげても、例えば家族は別に血の繋がりがなくても、よいのではないか?  終幕に三組の新カップルが生まれたのは他者への感度を上げて気軽さを受け入れた結果とみました。 少しばかり安堵しました。 今回は人間関係の境界線を彷徨っている舞台のため久しぶりにいろいろ考えてしまいました。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2012/04/sample/

■負傷者16人

■作:エリアム・クライエム,演出:宮田慶子 ■新国立劇場・小劇場,2012.4.23-5.20 ■過程が見えないで結論だけで成り立っている芝居ね。 マフムードがパン屋で働いている、ノラがマフムードを愛している、・・・、あらゆる行動がいつのまにか完了しているの。 彼らの心の推移を省いているからまるで事務作業を見ているようだわ。 そして多くの場面に対話が無いのよ。 独り言のようにも聞こえたしオリザ風に言えばこれは会話ね。 ハンスがセリフを忘れているような箇所があったようだけどこれは演出なのかしら? 但しソーニャにナチスに協力したことを話す箇所、マフムードに爆弾テロの指摘をした箇所、この二場面は過程も不要だから少し緊張したけど。 でもこのためだけに2時間以上も演じたようにみえる。 舞台ではパン屋がパン屋に見えない。 職人の働く場所には見えないわ。 映像を被せた場面は冴えていたけど。 全体を通して4人の生活の匂いがまったく感じられない。 パレスチナ問題は一年ぶり(*1)だけど、より過激により遠くに行ってしまった感じよ。 *1、 「アライブ・フロム・パレスチナ,占領下の物語」(2011年) *チラシ、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000441.pdf

■DANCE to the Future 2012 ダンス・トゥ・ザ・フューチャー

■振付:平山素子,出演:新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・中劇場,2012.4.21-22 ■題名の「Ag +G」は原曲から来ているようだ。 ヴァイオリンはダンサーと物語をあからさまに選ぶ。 金属的衣装が錆ついてしまうような音楽だ。 重たい雰囲気も感じられるが、男性ダンサーの体格の良さや頭巾を被ったのも一因かもしれない。 倒れ方や彷徨い歩く姿など、日常よくみる振付で構成されている。 「Butterfly」はこれに青春が加わり音楽は軽くなっている。 しかしニ作品とも非日常へ向かわない。 このため観ていて肉体を解放できない。 最後の「兵士の物語」は生演奏がとてもいい。 しかし「ストランヴィンスキ・イブニング」のような物語に感動する強さがみられない。 三作とも疲労感のある後味だった。 演出家の言っているコンセプトが霞んでしまっている。 平山素子の演出はとても複雑だから、この疲労感が誰がどこから出しているか分からない。 ひょっとして観客のオレ!? *チラシ、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/pdf/20000461.pdf

■騙り

■作:P・P・パゾリーニ,演出:川村毅,ティーファクトリ ■座高円寺,2012.4.18-22 ■父と息子の関係にパゾリーニ色が上手く重なっているから舞台に厚みがでているわ。 これで背景に湿度のあるイタリアの夏がもっと表現できていれば最高よ。 舞台の父親、手塚とおるは「レオン」のG・オールドマンにみえたり、画家に転身した時の横尾忠則であったり、神経症を演じる俳優や著名人たちを思い起こさせてくれてるわね。 とても似合っていた。 川村毅はパゾリーニに一番ピッタリする気がしてきたの。 それはパゾリーニに欠けている蒸し暑いユーモアがあるからよ。 これを持って生き返ったパゾリーニって素敵だと思うわ。 でも高橋由一の「鮭」では洒落にならない! チラシを見たら「次は「ソドムの市」をやってくれ・・」って。 これはパゾリーニの最高傑作。 なぜなら父が「次の戦争のことを考える」その先のことが語られるからよ。 だから彼は殺されてしまったの。 この作品は大事にしまっておきたいから上演しないでネ。 *劇場サイト、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=627

■夢の教室

■監督:アン・リンセル,出演:P・バウシュ ■ヒューマントラストシネマ有楽町,2012.4.2-15(2010年作品) ■観ていながら、いま話題の灘中学校国語の授業「銀の匙」を思い出しちゃった。 一つの作品をよみきると全体がみえる。 若者たちが練習後「話すのが楽になった」と言っていたけど、「コンタクトホーフ」だと特に他者への接し方が変わるはず。 この作品は「自分を解放する」力がぎっしり詰まっているから余計にね。 終幕の本番場面はぎこちなかったけれど卒直な踊りでとても新鮮だった。 ピナの中で一番好きな作品だからこれを題材にしていると知った時はちょっと心配だったけどね。 ところでアンは風景の撮り方がヴェンダース「 PINA 」とは違うわね。 走っているモノレールが写実そのもの。 ヴッパダール市内を旅行で歩いている感じよ。 ヴェンダースのモノレールは意識の作り物だから。 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/57608/

■まほろば

■作:蓬莱竜太,演出:栗山民也,出演:秋山奈津子ほか ■新国立劇場・小劇場,2012.4.2-15 ■雌と女の間のオンナの話である。 オンナはオトコと出会い、性交し、産み、育てる。 哺乳類からの歴史があるから強い。 社会のしきたりが崩れてもへっちゃらである。 このような芝居を観ると元気がでる。 借金1000兆円も少子高齢化も問題ではない。 いくらでも解決案はある。 ハイパーインフレをおこす、大量の移民を受け入れる。 そして新しい関係、新しい国を作ればいいだけのことである。 これがオンナとオトコの歴史というものだ。 政治・経済は直接には触れていないが、観客が上記のように想像していける芝居である。 このような過激さを内蔵している芝居を上演した新国劇を少し見直してしまった。 もちろんヒロコの家族観に戻る可能性があるのもこの芝居が持っている曖昧さだが。マオは関係性を調整していて舞台にアクセントを与えていた。 タマエは本筋から離れない短いセリフで十分効果がでていたからハバネロやゲームは行き過ぎの感がある。 *NNTTドラマ2011シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000440_play.html

■深夜の市長

■作・演出:徳尾浩司、出演:とくお組 ■シアタートラム、2012.3.29-4.1 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage26416_1.jpg?1409185463 ■「深夜の市長」と聞けばコクのある物語が期待できます。 チラシも寺に黒服です。 早速行ったのですが、この劇場の席が埋まっていませn。 そんなに不人気なんでしょうか? 芝居はなんとSFでした。 バスに乗ったら数十年前?に戻ってしまった。 そこでは30世紀からやってきた「市長」と言われる人がヤクザどうしを取り仕切っている。 そのあとを主人公が引き継ぐ話です。 過去と未来一人二役で、今流行りのパラレルワールドです。 しかしストーリーは盛り上がりません。 両世界の差異が、特に事や人を、描ききれなかったようです。 両世界のズレが実は核心的なことではなかったかもしれません。 原因は幾つか考えられますが、席を一杯にするには課題がありそうです。

■白雪姫

■作・演出:小池博史,出演:パパ・タラフマラ ■北沢タウンホール,2012.3.29-31 ■プレトークで「感じるまま楽しんでもらいたい」と言っていたがその通りの作品である。 日常の雑多な物や事で豊かに装飾している童話劇だ。 コミカルさがとても自然だ。 白に赤や金の衣装も素敵だ。 白雪姫の媚びない動きも親しみが持てる。 身体の拡張を欲張ると無機質性がでてしまう。 だから欲張らない。 このため飛躍できない。 しかしコミカルな道化的世界を進めたため身体の再拡張ができた。 結果として野生の思考に近づいた作品である。 解散公演の中で当作品が一番気に入った。場内で配られたチラシにもあるようにこの野生への接近をした途端解散することになってしまいとても残念である。 パパ・タラフマラが探していたものがここにあるから。 なぜなら舞台は野生の思考が故郷だから。 *劇団、 http://www.pappa-tara.com/

■魚のいない水槽

■作・演出:中村匡克,出演:スポンジ ■サンモールスタジオ,2012.3.23-27 ■仕事上で嘘をついていなくても結果として嘘をついたことになる場合が少なからずある。 これを言い訳すると泥沼に落ち込む。 時が解決するまで待つしかない。 これは芝居だから最悪の方向に進み最悪の場面を迎えるが。 役者たちのセリフや動き、服装もしっくりしている。 喋り方に親しみもある。 芝居好きにもみえる。 青年団は理論的だがこの舞台は経験的なリアルさがある。 職業としてのヘアースタイリストや同僚や業者との対話、バイトの話にもそれが滲みでている。 劇的な感動は無いが充実感の有る芝居だった。 ところで席についたらビデオが上映されていた。 茂木健一郎のアハ体験のような映像なので一所懸命見ていたがなにも起らないで幕が開いてしまった。 アハ! *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage_main/26353