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■岩名雅記、鏡を抱いた小児は戦後日本の最終戦争に赴く  ■すさび

■振付・出演:岩名雅記 ■日暮里.d-倉庫,2019.7.30 ■暗いなか、岩名雅記が登場し超スローな動きで舞台中央まで歩いてくる。 ワンピース姿のようだ。 目は客席から離さない。 微かに聴こえるのは三道農楽カラクか? そのまま横になる。 衣装を脱ぎ捨て再び立ち上がり爪先だけで立つ。 後半はそのままの姿を維持する。 脹脛の痺れの為か、体が揺れるが爪先立ちは止めない。 最後にマイクを持ってアジる。 聞き取り難かったが要は「(観客として)マジメニヤレ!」と叫んでいたようだ。 「・・無垢のカラダ「鏡を持った小児」となって、腐りきった戦後日本へ挑む。 「最終戦争」とは戦後の貧しくもモノと心のバランスのとれた豊穣を再興するための意思表示である」。 人間とそのカラダの復権を取り戻す! 半月前に映画「すさび」を観に行った(下記に感想)。 劇場入口で岩名雅記が一人チケットを売っていた。 月末に独舞を打つと言う。 それで今日の舞台を観に来た。 彼の舞台は初めてだが映画のガラスといい今日の爪先立ちといい、自らの緊張の中に飛び込んでいこうとしている。 今日の舞台でモノが登場しなかったのは1回限りの公演の為だと思う。 張り詰めた50分だった。 *ダンスがみたい!21「三道農楽カラク」を踊る参加作品 *劇場サイト、 https://www.d-1986.com/d21/index.html □すさび CHARLOTTE-SUSABI ■監督:岩名雅記 ■シネマハウス大塚,2019.7.12-14 ■舞踏家岩名雅記が監督した映画である。 ダンス場面は少なく舞踏を撮った作品ではない。 監督の経験や記憶を膨らませ心象風景と混ぜ合わせてエロチックとバイオレンスをシュールに表現している。 フランスと日本の各地を行き来する映像は素晴らしい。 パリ風景はヌーベルバーグの映画場面を思い出す。  パフォーマー上村連と3人の女の愛と葛藤を描いている。 女は上村の自殺した妻、死んだ妻に瓜二つの恋人、イタリア女の3人である。 死んだ妻が幽霊になって登場したり、下半身を事故で失ったイタリア女が人魚になるなど奇天烈なストーリーだ。 ガラス板上での踊りやセックスが肉体の脆さや儚さを呼び寄せる。 「人間はモノの世界から追放された。 出直してこい!」と。 後半ダレてきたようにみえる。 話が漫画に近

■Mirroring Memoriesそれは導き光のごとく  ■FratresⅠ

■演出:金森穣,出演:Noism1,金森穣 ■演出:金森穣,音楽:アルヴォ.ペルト,出演:Noism1,金森穣 (以上はタイトル順のキャスト&スタフ) ■めぐろパーシモンホール,2019.7.26-28 ■ベジャールと金森の1枚の写真がこれから始まる舞台を強く意識させる。 この作品「 Mirroring Memories 」は2018年に東京文化会館小ホールで観ている。 今回、作り直され再び出会えることができて嬉しいわね。 舞台の広さ、照明、音響も文句なし。 雑音を剥ぎ取ったぶん抽象度合が増している。 つまり黒衣の存在が強くなっているの。 これがそのまま新作「Fratres」に続いていく。 演出ノートを読むと、Noism組織継続問題があるらしい。 多くの問題を払いのけようと新作は円陣を強く組み終幕となる。 ベジャールの円陣を思い出させてくれる。 演出家の不安が全体を通して出ていたと思う。 でもカーテンコールにダンサー達の笑顔をみてホットしたわ。   細かいことだけど、鏡の使い方が単純になっている。 鏡の向こう側を写す半透明場面が少なくなり世界が狭まってしまったからよ。 Noismの半透明鏡は表を写すだけではなく裏側の世界をみせてくれるから<記憶>が甦るの。 もっと鏡を押し出してもよいかもね。 *Noism15周年記念公演 *劇場、 https://www.persimmon.or.jp/series/2019032516280634730.html

■幻想交響曲

■演出・出演:勅使川原三郎,出演:佐東利穂子 ■荻窪.カラスアパラタス,2019.7.13-21 ■二人のパワーには只々圧倒されるばかり。 でも佐東は同じような動きを激しく繰り返すだけ。 彼女は音楽家の幻想だから? 断頭台への行進(?)で震えをみせただけで勅使川原も大きな変化はない。 交響曲をダンスにおとすのは曲者ね。 春に観た「 交響曲第9番 」(熊川哲也)は曲が持つ物語に沿っていた。 バレエだったから? 今日の舞台は違う。 もし音楽がなければダンスから曲名を当てられない。  照明はいつものように完璧。 振付家の拘りがある。 佐東の黒衣装は良かったけど勅使川原の赤シャツは作品に似合わない。 でも照明が無彩色に近づける。 曲が持つ物語をもっと押し出すと期待していたけど。 振付家が言うアップデイトの一つの形かもね。 佐東に微妙な振付を加えればずっと良くなる。 音楽に身を任せ二人の動きを意識無意識に追う流れだった。 *舞団、 http://www.st-karas.com/

■聖獣

■振付:平原慎太郎,出演:OrganWorks ■世田谷パブリックシアター,2019.7.19-20 ■バラエティのある舞台でした。 「動きのベースは昆虫を想定し・・、個よりも種を尊重する・・」と演出家は言っています。 でもいろいろな類を感じ取れた。 昆虫を意識するのは振動です。 類が複雑になると振動がリズムに変換されていく。 この舞団は先ずは両生類や爬虫類から始まる。 裸の舞台を上手く使いこなしていました。 床マットの皺は観ていて不安が過りましたが問題なく処理できていた。 奈落の使い方も面白い。 この劇場でコンテンポラリーダンスを観るのは久しぶりです。 余裕を感じます。 いつもはシアタートラムでの上演が多い。 今日の舞台を観ているとトラムがダンスに適していない劇場だと分かります。 トラムの中途半端な舞台の広さや形の不規則が多くのダンス公演に影響を与えている。 劇場の設計は大事ですね。 話を戻しますが、科白が入りましたね。 これも不安がよぎりましたが上手く挟み込んでいた。 ダンサーたちの雑声がフェードアウトになりダンスに溶け込んでいったからです。 詩と同じです。 科白は意味を追うために一瞬の間ですが己が身体から離れてしまう。 今回は心身一体化し続けることができた。 バラエティダンスと名付けてもよい舞台でした。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/organworks201907.html *「このブログを検索」に入れる語句は、 平原慎太郎

■骨と十字架

■作:野木萌葱,演出:小川絵梨子,出演:神農直隆,小林隆,伊藤暁,佐藤祐基,近藤芳正 ■新国立劇場.小劇場,2019.7.11-28 ■「神はどこにいるのか?」。 神父であり古生物学者であるテイヤールと教会側の考えの違いが分かりました。 「神は天上にいて我々をいつも見ている」教会と「神は我々が進む道の先にいる(進めば神に合える)」テイヤール。 両者の答えは上と横です。 ちゃんと上にいないから教会は受け入れられない。 テイヤールの答えなら進化論も取り込むことができそうです。 神の居る場所が極めて重要だとわかりましたが、芝居としては盛り上がりに欠けていましたね。 初めての新国立劇場のため作者は考え過ぎてしまったのでは? そして小川絵梨子の冴えた演出は硬すぎた。 野木萌葱演出なら独特な柔らかみがでたかもしれない。 野木も「演出をやりたかった!」と溜め息をついていることでしょう。 *NNTTドラマ2019シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/keepwalking/

■アレルヤ!

■作:アラン.ベネット,演出:ニコラス.ハイトナー,出演:サミュエル.バーネット,サシャ.ダワン,デボラ.フィンドレー他 ■シネリーブル池袋,2019.7.12-18(ブリッジ.シアター,2018.9.20収録) ■老人介護施設かな?・・、どうも違うらしい。 病院の老人病科の患者たちが主人公のようね。 イギリス医療制度NHS(国民保険サービス)を議論することが物語の背景にあるらしい。 日本の公的医療保険と似たようなものかな? 日本でも国公立病院に入院した経験があればベッド回転率の話は聞くはずよ。 担当医が入院患者をいかに期限内で退院させたいのかが伝わってくる。 率が良いと病院やスタッフの評価に繋がるから。 この回転率を維持しようとする看護師長が次々に患者を殺していくストーリーなの。 彼女は医療と介護の違いをはっきりさせる。 歌やダンスや誕生会は医療現場には不要だと。 彼女の方針はイギリス政府の医療費抑制と一致する。 この病院も閉鎖の危機に瀕しているの。 介護施設はどこも満杯で患者は他に行く場所が無い! NHSは国家予算の25%、因みに日本の医療費は40%、どこも大変ね。 患者たちの出自に絡む会話や世間話が芝居のオモシロイところかしら。 インド系イギリス人医者の苦悩や炭鉱労働者出身親子で職業の話、地方とロンドンの差、クラブの事などなど。 でもイギリスの微妙なところは分からない。 グローバルな問題提起とローカルな内容が絶妙に混ざり合っている舞台だった。 プログラムの書き出しに「2012年ロンドン五輪開会式を思い出して・・」(村上祥子)。 そう、この開会式は同じように社会保障制度をテーマにしていたはず。 資本主義の母国、イギリスとして力の入った内容だったことを覚えている*1。 *1、「 ロンドンオリンピック開会式 」(2012年) *NTLナショナル.シアター.ライブ2019作品 *作品サイト、 http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout31-allelujah

■その森の奥

■作・演出:平田オリザ,翻訳:イ.ホンイ,マチュー.カペル,出演:青年団,韓国芸術総合学校,リモージュ国立演劇センター付属演劇学校 ■こまばアゴラ劇場,2019.7.5-28 ■新作と聞いて駒場に向かった。 「カガクするココロ」と「北限の猿」は過去に観ていたので「その森の奥」のみ選ぶ。 日本語+ハングル語+フランス語の上演だ。 いつも以上に科白量が多い。 しかも大きな机が二つあり別々の話題を同時に喋る場面もある。 このため字幕を読むのに忙しい。 もちろん日本語は字幕に載らない。 この時は目で役者を追うより先に聞き耳を立ててしまう。 字幕から目が離せず芝居の面白さが減少した。 役者の多さ、登場回数や科白の割り当てなどが細かく考えられている。 机二つとプロジェクターの3か所の使い方もだ。 すべて演劇学校への配慮かな? そしてこれが大事だが霊長類の歴史や実証で現代政治の問題をやんわりと批判している。 そういえば類人猿と政治家の行動はどこか似ている。 帰宅して霊長類研究所HPを久しぶりに開けてみた。 登場しなかったが教授が京都大学の設定だったからだ。 企業支援のボノボ研究や屋久島リサーチが載っている。 いつものことだが「猿の惑星」を考えると今西錦司まで遡ってしまうからである。 それは現代生物学との落差に行きつく。 この舞台も霊長類研究と遺伝子操作やゲノム編集との間に断絶がみえる。 アンドロイド演劇はロボット演劇の視点を取り込んで乗り越えようとしていた。 「猿の惑星」を舞台にのせる時も同じ壁が待ち構えている。 *青年団国際演劇交流プロジェクト2019作品 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/7972

■ビビを見た!

■原作:大海赫,台本・演出:松井周,出演:岡山天音,石橋静河,樹里咲穂ほか ■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2019.7.3-15 ■子供向けの本が原作らしい。 もちろん読んでいない。 粗筋も追わずに劇場へ出かけました。 最初ビビをヒビと読み誤ったので、この世に出現した罅(ひび)に驚くSF物語かなと思っていた。 少し当たりましたね。 主人公の盲目少年ホタルは不思議な声を聴いて目が見えるようになる。 同時に家族や町の人々が盲目になってしまう。 ビビとは角を持った少年の名前でした。 彼?は大怪獣と共に町にやってきたらしい。 町は破壊され多くの人が殺され傷ついてしまう。 不思議な声の言葉とおり7時間後に世界は元に戻りホタルは盲目の生活に帰っていく。 どことなく教訓染みた内容だがはっきりしない。 物語の一つ一つは理由を問うことができない。 不思議な事象はすべて突然やってくるからです。 でもガチガチ頭の私には何故かツマラナイ。 観終わってから面白さが分かってきました。 それは序幕と終幕の暗闇のお陰です。 暗闇では声や騒音の切れ味が鋭くなる。 己に心臓や胃が在るのを感じます。 盲目についていろいろ考えてしまいました。 話題になった遠近感の話などを。 逆に、ホタルが自身の眼で初めてみる見える世界が「何であるか?」を掴み取ったこともです。 *劇場サイト、 https://www.kaat.jp/d/vivi

■マリアナ・フォルチュニ、織りなすデザイン展

■感想は、「 マリアナ・フォルチュニ、織りなすデザイン展 」 *話題になる作品は、「ワーグナー指環」「パルジファル」「こうもり」「ヴェニスの商人」「オセロ」。

■NDTネザーランド・ダンス・シアター

□Singuoière Odyssée サンギュリエール.オディセ ■振付:ソル・レオン,ポール・ライトフット,音楽:マックス.リヒター □Woke up Blind ウォーク・アップ・ブラインド ■振付:マルコ・ゲッケ,ドラマツゥルグ:ナジャ・カデル,音楽:ジェフ.バックリー □The Statment ザ.ステイトメント ■振付:クリスタル・パイト,音楽:オーエン・ベルトン,脚本:ジョナサン・ヤング □Shoot the Moon シュート.ザ.ムーン ■振付:ソル・レオン,ポール・ライトフット,音楽:フィリップ・グラス (以上の4作品(□タイトル■スタッフ)を上演) ■神奈川県民ホール.大ホール,2019.7.5-6 ■ライトフット&レオンが端と取りを飾りゲッケとパイトが中に入る4本立てなの。 どれも社会性物語が強い作品にみえる。 バーゼル駅待合室での出来事、組織での、愛での葛藤、室内劇模様と続く。 やはりレオン&ライトフットの二作品が印象に残る。 音楽もダンサー身体に沁みいっていく。 この2本を修飾しているのがゲッケとパイトの作品かな。 監督ライトフットの上演構造がみえてくる。 観ていながら日本の振付家を考えてしまった。 例えば小野寺修二や井出茂太のことを。 ダンス材料、身体加速度と腕や手の等速度関係は似ているけどベクトルが正反対なの。 つまりNDTが悲劇を、日本の振付家たちは喜劇を演じる。 前者がグローバルで後者がローカルとも言い換えられる。 「世界で何が起こっているかを知る為にNDTをみる、そんなカンパニーにしたい」。 ・・監督の言葉に繋がっていく。 ところで日本人女性ダンサーが目に付いた。 2・3人は登場していたかしら? 日本ツアーの計らいが有るのかも。 それと切れ味の鋭い男性ダンサーが一人いたけど舞台を引き締めていた。 *劇場サイト、 https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/detail/000131.html#000131

■塩田千春展、魂がふるえる

■感想は、「 塩田千春展、魂がふるえる 」 *話題になる作品は、「タトゥー」「松風」「ジークフリード」「神々の黄昏」「トリスタン」「オイディプス」「冬物語」。

■White Space.

■演出・振付・美術・出演:鈴木竜,音楽:平本正宏,衣装:武田久美子,出演:大宮大奨,安心院かな,上田舞香,河内優太郎,舞団:eltaninnエルタニン ■シアタートラム,2019.6.28-30 ■舞台奥からダンサー5人が現れる時、これは?と驚いてしまった。 歩き方が素人丸出しだからである。 スモークも利用している登場場面はそれなりに考えるはずだが。 そして衣装をみて、これは?と再び驚いてしまった。 作業服を仕立て直したような衣装だったからである。 そして踊りだし・・、これは?と慄いてしまった。 動作や視線が日常で満たされていたからである。 リフティングもキレイに見えない。 スローモーションや静止状態も存在感がでていない。 これが演出なら逆張りで凄い!と感心しながら観てしまった。 舞台に置いてあった分解されたマネキンを組み立てたり、その一部を持ってダンサーの動きに合わせたりしていく。 しかし人形としての不思議や存在が感じられない。 単なるモノの一部だ。 これも演出なら再び凄いと思ってしまった。 飛行機の離着陸音らしき音楽と三原光の照明は率直に良かった。 帰途に配られたチラシを読む。 「この余白のない街(東京)で、人は人間でいられるのか?」を疑問コンセプトにしているらしい。 「生身の人間を認識できなくなっている」「アナログな身体表現でこころを持った有機的存在であることを再認識したい」。 なるほど・・。 しかし時代を少し遡り過ぎた感じだ。 *eltanin第1回公演作品 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/whitespace2019.html