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■ガラスの動物園

■作:テネシー.ウィリアムズ,仏語翻訳:イザベル.ファンション,演出・美術:ダニエル.ジャンヌトー,出演:ソレーヌ.アルベル,カンタン.ブイッスー,ドミニク.レイモン,オリヴィエ.ヴェルネル他 ■東京芸術劇場.プレイハウス,2018.10.27-28 ■舞台上に半透明カーテンで囲った何もない部屋が作られている。 役者は霧の中で演技をしているようにみえます。 細かな表情がよく分からない。 フランス語のため字幕を追う必要もある。 声と字幕が優先の舞台が浮き上がってきます。 カーテンから出て舞台前方で演技をする場面が幾度かある。 食事が終わってジムとローラの二人だけになる時です。 カーテンが急に無くなると役者の顔がはっきり見えて現実に戻される。 演出かもしれないが、特にローラの目が定まっていない。 彼女がどういう人間か?見失いました。 しかもジムとローラの対話が只々普通になっていくだけです。 好きな作品の一つです。 家族の物語にいつも胸が締め付けられる。 でも今回は変わった舞台で面白いが馴染めなかった。 ローラの心に辿り着けない。 母アマンダははしゃぎ過ぎるしトムは芝居の外にいる。 「・・人生が意味を欠いた経験として描かれている」。 演出家は言っている。 「この経験は時として強烈な美しさを放つ・・」と。 分かりますが、人生は意味を越えた何ものかだとおもいます。 *「 東京芸術祭2018 」参加作品 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater193/t193-2/

■ザ・ミスト The Mist

■出演:ルーン.プロダクション ■神奈川芸術劇場.ホール,2018.10.25-28 ■「ベトナム人の生命の源”米”をテーマに、農村の生活を描いたダンス・・」とある。 肩の張らない舞台だった。 ダンスはコンテンポラリ風だ。 古典バレエ風もある。 振付の多くは稲作から取ったのだろう。 演奏は民族楽器が受け持っている。 ベトナム語の歌詞は恋愛模様を謡っているようだ。 小道具は笊、桶、竿、糸車、竹や木の棒そして稲束。 衣装は簡素だがアオザイもみえる。  田舎の祭り風景を思い出してしまった。 木魚や鏧子(けいす)を楽器にして読経もある。 獅子舞(?)も登場し不可思議な懐かしさがある。 しかしダンスだけが現代風で面白い違和感を持ってしまった。 コメを作るベトナムと日本は日常行事が似てくるのだろう。 しかも仏教徒が多い。 渦巻をしている円錐形の置物が何度も登場したが、これをみてホーチミン市の仏教寺院に大きな渦巻線香があったことを思い出してしまった。 今のベトナム舞台は伝統風景にヌーヴェル・ダンスを重ねるような混沌な時代なのかもしれない。 * DanceDanceDance@YOKOHAMA2018 参加作品 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/mist

■フォリーズ Follies

■脚本:ジェームズ.ゴールドマン,音楽:スティーヴン.ソンドハイム,演出:ドミニク.クック,出演:イメルダ.スタウトン,トレーシー.ベネット,ジェイニー.ディー他 ■TOHOシネマズ日本橋,2018.10.19-25(オリヴィエ劇場,2017年) ■ニューヨークにあるレヴュー劇場が解体されると聞いて、かつて活躍した人たちが劇場に集まり思い出に浸るストーリーなの。 1971年初演のブロードウェイ・ミュージカルよ。  舞台は1971年だけど1941年と同時並行して物語は進むの。 つまり30年差のある二人一役ということね。 女優だったサリーが好きだったベンと再会し今からやり直そうとする。 サリーの夫バディやベンの妻フィリスを巻き込んでどうなるかと思いきや結局は元に戻る。 ・・ゥフフ。 30年前の出会いまで遡って演じるから彼ら4人の人生が見えてくる。 米国の豊かさを背景に登場人物たちの青春時代が光り輝いているのが素晴らしい。  三曲目くらいから歌詞とストーリーが一致してきたので面白くなったわね。 1945年にベンとバディが戦場から帰ってきて新聞を広げると一面に「WAR ENDS」。 ここで幕かな?とみていたら4人のFOLLY話が続くの。 ちょっと諄い感じがしたけど、題名と内容を一致させようとする責任感が出ていた。 インタヴューでソンドハイムは沢山の模倣をしたと言っていた。 一つは「セールスマンの死」かしら? それはサリーの夫バディの人生がウィリーにそっくりなの。 米国の豊かさの裏側を表現した歌詞が幾つもあったのが1971年のトニー賞優秀楽曲賞を取った理由だとおもう。 そして成功者たちの米国戦後30年をクッキリと浮かび上がらせたからよ。 ミュージカルだけど演劇的な後味がするのもNTらしい。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *作品、 https://www.ntlive.jp/follies

■授業

■作:ウジェーヌ.イヨネスコ,翻訳:安堂信也,木村光一,演出:西悟志,菊川朝子,出演:SPAC ■静岡芸術劇場,2018.10.6-28 ■舞台上に小さな舞台を作り椅子を二つ置くだけの簡素な構成です。 そして見ているだけで楽しくなるカラフルな服装の教授が3人も登場する。 彼らは交互に舞台に上がる時もあれば3人一緒で女学生に教授する場面もある。 4人は狭い舞台を動き回り科白を喋る時の動作も大げさです。 漫才を観ているような場面が多い。 しかも異化効果を所々に入れている。 舞台装置の担当者がそのまま女中役になり日常的な遣り取りで教授と話しをしたり、教授が言語学について一人ブツブツ呟いたりして、舞台から降りてしまったような場面がそれです。 この振幅が大きいので心配しながら観てしまった。 舞台から降りてしまう効果が大き過ぎると観客が白けてしまうからです。 でもギリギリで保っていましたね。 それは教授達が女学生を殺してしまった後に再び初めに戻って漫才のような場面を繰り返し、何もない舞台を走り回り、椅子を並べ壊しながら女学生が歌曲名と歌手?を叫んでいく終幕を作ることで精神的肉体的暴力を昇華させたからです。 それでも異化と暴力が重なり若い観客はちょっと引いていたようにみえます。 カーテンコールでの周囲の若い人たちの拍手が少なかったからです。 初めてみる演出家でしたが緻密でしかも大胆な内容、それ以上に度胸のある演出家だと感じました。 *SPACシーズン2018作品 *「 授業 」(楽園王,2016年) *劇場サイト、 http://spac.or.jp/lesson_2018.html

■竹取

■演出:小野寺修二,脚本:平田俊子,音楽:阿部海太郎,出演:小林聡美,貫地谷しほり他 ■シアタートラム,2018.10.5-17 ■初めはダンスのような動きが目立ったが次第にマイムへ比重が移っていく。 物語の節目には科白が入る。 能楽師も登場するので現代能楽集の新作だったことを思い出す。 竹取物語の凡そは知っているので突然の謡でも理解できた。 音響がとても凝っているように感じた。 風の音から虫の声、犬や狼?の遠吠え、鳥の鳴声や羽音、雨や水、そして花火など懐かしい春夏秋冬の音が聴こえてくる。 これに太鼓を要で打ち鳴らし音と音楽でマイムを活性化させていた。 表は畳で裏は板障子を2枚ひっくり返しながら歩き回るデラシネア風の楽しい場面もある。 竹を真似た細いゴム綱を何本も天井から垂らして床の重りを動かしながら前景や背景を作っていくのも同じだ。 しかし、このような舞台になるとは想像していなかった。 演出家の過去作品の延長を考えていたからである。 ダンスでもなければマイムでもない。 一つの言葉にまとめず、そのままダンスでありマイムであり能であり現代演劇であると言ったほうが正解かもしれない。 違ジャンルを巧くまとめていたと思う。 いつも深く考え続けている小野寺修二らしい舞台である。  太鼓の連打で始まり連打で終わった古川玄一郎の打楽器演奏は全体を引き締めていたし、要所で登場する佐野登の存在感はなかなかのものである。 大駱駝艦の小田直哉の坊主頭が舞台に輝きと深みを与えていた。 ところで崎山莉奈と貫地谷しほりは衣装姿が似ているので最初はどちらが「かぐや姫」か見分けがつかなかった。 舞台を引っ張る小林聡美はもっと老けた役作りをしたほうが全体の調和がとれたように思う。 これは崎山莉奈と貫地谷しほりの間にも言える。 例えばかぐや姫の衣装だけを少し変えるとか・・。 そして藤田桃子の相変わらず楽しく踊っている姿に何とも言えない面白さがあった。 *現代能楽集Ⅸ *劇場サイト、 http://www2.setagaya-pt.jp/performances/201810taketori-4.html *「このブログを検索」語句は、 小野寺修二 現代能楽集

■蛇と天秤

■作・演出:野木萌葱,劇団:パラドックス定数 ■シアター風姿花伝,2018.10.10-15 ■登場人物は大学医学部教員3人と製薬会社社員3人の計6人です。 大学病院で結核感染のため患者8人が亡くなってしまった。 この原因は何なのか?責任を誰が取るのか?否、どう隠すのか?・・?が議論されていく。 大学と製薬会社とのせめぎ合いが進んでいきます。 医者が悪いのか薬が悪いのか? 学内の師弟関係、社内の力関係、大学時代の同期、賄賂、プライドなどが入り混じって次第に組織から個人へと話しは落ちていく。 いや面白いですね。 以前に観た「 東京裁判 」(2015年)を思い出してしまった。 違いは登場人物一人ひとりが立場や人生を考えながら正義や責任を論じることです。 誰が味方で誰が敵か議論進行で変わってくる。 これをスムースに進める演出家の腕前は確かです。 物語を面白くするため台詞が数か所ほど非連続になってしまったのは致し方ない。 終幕、製薬会社研究員と主任教官の関係が明かされます。 新薬を患者に実験投与したのが大元の原因らしい。 ・・突飛にみえたが、物語としては腑に落ちます。 久しぶりの緊張感ある舞台でした。 *パラドックス定数第43項 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/95056

■土の脈

■演出:北村明子,ドラマトゥルク・音楽提供:マヤンランバム.マンガンサナ,音楽ディレクター:横山裕章,振付・出演:柴一平,清家悠圭,西山友貴,川合ロン他,出演:阿部好江 ■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2018.10.12-14 ■今年3月に観た「 vox soil 」と美術が同じなの。 細かい所は覚えていないけど前回をより発展させた感じかしら? 舞台は3倍以上広くなりダンサーも一人増えてより賑やかになった。 ダンサーたちの瞬発力ある独特な振付と動きが素晴らしい。 「・・歌やリズム・踊り・しぐさなどの「脈」は身体を媒体として過去から未来、土地から土地へ受け継がれていく・・」(北村)。 「土の脈」はとても上手いタイトルだとおもう。 アフタートークは北村明子、音楽ディレクター横山裕章、ドラマトゥルクのマヤンランバム・マンガンサナが出席。 音楽関係の話が多くこの舞台でも使用した伝統楽器「ペナ」の演奏も入る。 北村明子の話が少なかったのが残念。 この数年、観たいと思うダンス公演が多いのは神奈川芸術劇場と埼玉芸術劇場かな。 東京の劇場でも気に入った公演は時々あるけど続かない。 *劇場、 http://www.kaat.jp/d/crosstransit

■君が君で君で君を君を君を

■作・演出:松居大悟,劇団:ゴジゲン ■駅前劇場,2018.10.3-14 ■舞台は花柄模様の家具類やぬいぐるみが置いてあり女の子の部屋にみえる。 場面が変わっても部屋をそのまま使うので戸惑ってしまいました。 大学の映画サークルの活動らしく撮影場面から始まる。 幕開きからの10分間は科白が冴えていましたね。 愛についての話らしい。 この話が煮詰まってくると科白に鋭さが衰えたのは残念です。 サークルの銀次に彼女ができたらしい。 名前はユリ。 ・・しかしなんとユリは熊のぬいぐるみだった! 戸惑いました。 映画では「Ted」「パディントン」「プリグズビー・ベア」・・、数えきれないほどぬいぐるみは登場している。 演出家は映画監督でも活躍しているのでこの流れを狙ったのかもしれない。 しかし映画は特殊撮影ができるが演劇は違う。 もろに現実に戻されてしまいますね。 パラフィリアでも狙っているのか? いろいろ想像しながら観ていると、二度目の同じ場面では人間の彼女が登場したのでやっと落ち着けました。 ぬいぐるみはテーマである愛とはあまり関係がない。 結局恋愛は上手くいかず彼女の方はサークルの中を渡り歩くようになる。 それは真面目に愛について考えた結果としてです。 しかもギャグが濃い舞台なのでバカバカしさと同時に青春のほろ苦さも感じます。 役者たちはゴツイですね。 独特な雰囲気の青春群像を出現させています。 演出家は2012年に「リリオム」を舞台化している。 登場する女もユリと言う名前です。 リリオムもユリも愛しているのに告白できなかった。 銀次の行動はリリオムを思い出させます。 *ゴジゲン第15回公演作品 *劇団サイト、 http://www.5-jigen.com/img/gojigen_main_b.jpg

■誤解

■作:アルベール.カミュ,翻訳:岩切正一郎,演出:稲葉賀恵,出演:原田美枝子,小島聖,水橋研二,深谷美保,小林勝也 ■新国立劇場.小劇場,2018.10.4-21 ■「ホテル経営の母娘が客を殺して金品を奪う・・」。 公演チラシに目を通して劇場に向かいました。 しかし客のジャンは登場するなり自分がここの息子だと観客だけにバラしてしまった。 謎はなくなり、母と妹は彼の素性をいつ知るのか?彼は殺されてしまうのか?等々を考えながら観ていくことになります。 その夜、母娘はナンダカンダ言いながら客である息子を殺してしまう。 二人は彼のパスポートを見て驚くが、しかし母は感じ取っていた。 「いつかはこうなると分かっていた・・」。 母は「母と娘」と「母と息子」の愛の違いを娘に話して息子の後を追う。 娘マルタは母に捨てられたと嘆き悲しむが、それに続くモノローグが長い。 この独白場面での彼女の科白が思い出せないためブログをどうまとめてよいのかわからなくなってしまった。 終幕、息子の妻マリヤがホテルに訪ねるのだが彼女もマルタを理解できない。 粗筋からギリシャ悲劇を思い出すが、観終わった時に同じようなカタルシスがやってきません。  やはりカミュは輝く太陽の下での衝動的殺人が似合っています。 薄暗い空の下での計画的殺人を実行する娘マルタがこの状況からどれほど逃げたかったか作者が一番知っていたのではないでしょうか? この作品は空の色に比例するかのように、とても暗い硬いカミュ的不条理が漂っています。 大きな布が空間を仕切り包み込む美術は直截な照明と共にシンプルな舞台を作り上げていて役者に集中できました。 使用人小林勝也の存在も面白かった。 でも彼の少ない科白で「神」を出現させたのには驚きでした。 *NNTTドラマ2018シーズン作品 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_011666.html

■魔笛

■台本:E.シカネーダー,作曲:W.A.モーツァルト,指揮:R.ベーア,演出:W.ケントリッジ,出演:S.ヴェミッチ,S.ダヴィスリム,安井陽子,林正子,九嶋香奈枝,A.シュエン他,演奏:東京フィルハモニー交響楽団 ■新国立劇場.オペラパレス,2018.10.3-14 ■大野和士新芸術監督就任一作目は「魔笛」。 指揮も新監督かと思いきや違ったわね。 演出・美術はW・ケントリッジよ。 彼のMETでの「 鼻 」「 ルル 」は覚えている。 舞台はどことなくオットリしているの。 衣装の多くを日常世界に近づけていること、ザラストロとパパゲーノが「背の高い静かなお兄さん」のようで全体の演技も地味だから。 ケントリッジ得意の映像もモノクロ系で動線はフリーメイソンの象徴(?)を描き出していて神秘的な静けさがある。 でも犀のような具体的な絵は意味が付いて煩い。 この落ち着いた背景が歌唱歌詞に清らかさを呼び込んでいる。 逆も言える。 演奏もこの流れに沿っている感じね。 モーツァルトの宗教観へと降りていくことができるの。 近頃の「魔笛」の多くはどれもカラフルで遊び心が一杯だから、今回のようにある種の宗教的感情が得られるのは珍しい。 観終わった時、心身の浄化される気分が持てた。 記憶に残る舞台になるかもよ。 *NNTTオペラ2018シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/opera/die-zauberflote/ *2018.10.13追記 新聞に大野和士のインタビューが載っていた。 彼は「新しい役割を楽しむ」と言っている。 「芸術監督は指揮者ではない」。 つまりプロデューサ、コンサルタントみたいな・・。 面白くなるわね。

■風をおこした男ー田漢伝

■作.演出:田沁鑫デンシンキン,出演:金世佳キンセイカ,上海戯劇学院 ■世田谷パブリックシアター,2018.10.6-7 ■舞台後方に6つの立方体を組み半透明幕を被せて体内での演技と外からの映像を同時表現できる構造にしてある。 例えばカメラマンが舞台で役者を撮影しながら上部の幕にパラレル映写をする。 それはモノクロで古い映画を観ているようだ。 役者本人を見ないで拡大された映像をみてしまうことが多い。 1898年生まれの劇作家・詩人である主人公田漢(でんかん)の名前は初めて聞いた。 1916年東京高等師範学校へ留学し6年間を日本で過ごしている。 20世紀前半の中国代表劇作家の一人となったが文化大革命で投獄、1968年に獄死した。 舞台はセミドキュメンタリーのようだ。 20世紀の歴史を田漢の人生に重ね合わせていくからである。 子供時代の思い出や4人の妻との出会い、彼の教え子との親交は深まっていかない。 中国激動の時代を前面に描くしかない演出家の義務のようなものを全体に感じる。 田漢は留学時代に松井須磨子の芝居に惚れ込んだらしい。 彼はロマンチシストにみえる。 自身の科白でもそう言っている。 芝居好きが伝わってくるところに彼を憎めない面白さがある。 劇中劇が途中に入るがその一つ「サロメ」は見応えがあった。 ここは白黒の同時映像ではなく役者身体に目がいってしまった。  アフタートークを聞くことにする。 出席は演出家田沁鑫、主演の金世佳、評論家七字英輔。 俳優を舞台で撮ることにした理由は? 「俳優の美しさに魅かれた」(田)。 なるほど上海戯劇院の学生らしいが演技も堂々としていて美貌人が揃っている。 金世佳も田漢役に嵌まっていた。 「何人もの劇作家が紹介されたが田漢を選んだ理由は?」(観客)。 「彼はロマンチックで(人生が)ドラマチック、そして詩が素晴らしいから。 トルストイのように女性を描くから。」(田)。 そういえば三番目の妻から「あなたはトルストイ的自信家」と言われる台詞があった(?) 同じく田漢もルソーに傾倒していたようだ。 ・・。 「漁光曲」や「義勇軍行進曲」の20世紀から離れて、田漢の母が好んだ「白蛇伝」が語られ関漢卿が劇中劇で演じられるので中国的時間軸の幅も出ていた。 ・・詰込み感は残るが。 また湖南省の季節描写など歌詞の多くに中国風景の広がり

■兵士の物語

■作曲:イーゴリー.ストラヴィンスキー,台本:シャルル.フェルディナン.ラミューズ,演出.美術:串田和美,出演:石丸幹二,首藤康之,渡辺理恵,串田和美ほか,演奏:郷古廉,谷口拓史,カルメン.イゾ,長哲也,多田将太郎,三田博基,大場章裕 ■スパイラルホール,2018.9.27-10.1 ■演劇と音楽が一体となった舞台は演出家串田和美が得意としているだけあって流石にまとまっていた。 これにバレエが加わったので楽しさは倍増ね。 大戦直後の1918年に作られたからこじんまりしている。 スパイラルホールには丁度良い作品にみえる。 そして語り手石丸幹二が舞台をしっかり支えていた。 7人からなる小オーケストラも素晴らしい。 演奏家も舞台に上り役を演ずるのが串田和美らしい。 科白はないけど。 台詞が入る演劇的なジャン・コクトー版は聴いていたけど実舞台に落とし込んだのは初めてみたのでイメージが固まった感じがする。 おとぎ話にすぎないと言っているが舞台だとオチがよく分からない作品だとおもう。 王女と一緒になれた兵士ヨセフが故郷に帰ろうとすると悪魔の餌食になってしまうから。 それは何故? 「いま持っているものに、昔持っていたものを足し合わそうとしてはいけない。 今の自分と昔の自分、両方もつ権利はないのだ」(WIKIより)。 欲張りはダメ! *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/93680

■かもめ

■作:A.チェーホフ,翻訳:浦雅春,演出:江間直子,出演:無名塾 ■シアタートラム,2018.9.28-30 ■無名塾を観るのは初めてだ。 以前、仲代達矢の映画「 役者を生きる 」で無名塾への彼の姿を思い出したからである。 ・・なるほど舞台の役者は仲代達矢の息がかかっている。 声の調子や動きに彼のメソドを感じる。 ただチェーホフの持つ何とも言えない哀楽はやって来なかった。 ポリーナとドールン、マーシャとトレープレフの視線の強さ、トレープレフの後半の心の推移が非連続にみえたからだろう。 しかし歯切れのある粗さが面白いところかもしれない。 態度が一貫している年寄り連中は安定した演技で舞台を支えていた。 場面切替えで聴こえてくるロシア語の歌がチェーホフの作品を次々思い出させてくれた。 舞台を観るほどにチェーホフが好きになっていく。 *劇団サイト、 http://www.mumeijuku.net/stage/img/flyer-kamome-2018-s.pdf