2017年5月29日月曜日

■まつろわぬ民

■作・演出:林周一,音楽・演奏:辰巳小五郎,関根真理,ファン・テイル,出演:白崎映美,伊藤ヨタロウ,劇団:風煉ダンス
■座高円寺,2017.5.26-6.4
■劇団名から舞踊グループだと勘違いしていた。 でも観た時に演劇団だとわかったの。 今回はミュージカルのようだけどやはり演劇にみえる。
ゴミ屋敷が行政令により撤去されそうになるが住人の老婆スエはアラハバキの爪?を守りながら、捨てられた冷蔵庫やピアノや炬燵やアイロンたちの「まつろわぬ民」と一緒に解体を阻止しようとする。 ゴミ屋敷跡にショッピングモールや工場を誘致し町復興を計画する行政側は桓武天皇ミカド軍を差向けて戦争になる話よ。 老婆は行政側にいる「まつろわぬ民」の末裔を探し出し戦いを続けていく・・。 末裔の人々は大和朝廷つまり行政側の計画が間違っていると考えている。 東日本大震災を絡め千年を射程に入れたラディカルで楽しいストーリーだわ。
科白が少し淡泊だけどコッテリした美術と演奏でコクのある舞台になっている。 これで白崎映美の歌唱が一層存在感を持った。 でも劇場の構造からか歌詞が響いて聴き取れない。 歌唱と科白を技術的に融合させれば切れの良い舞台が現れたはず。 そして「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」「魁男塾」「キャプテン翼」「DRスランプ」の話が・・。 少年ジャンプの隅々までカバーしきれない! ともかく全方位志向の為か質より量の舞台だった。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1683
*「このブログを検索」キー、風煉ダンス・阿弖流為
*2017.5.29追記。 ところで皇室や政府要人などの暗殺やテロを計画するリアルな芝居は共謀罪にあたるのかしら? 現実と虚構の境界線に近づいていく法律はまるで演劇を観ているようね。
*2017.6.1追記。 「このブログを検索」キーと検索欄を追加したの。 1千件を越えた中から関連ブログを探すのに必要な為よ。

2017年5月28日日曜日

■間違いの喜劇

■原作:W・シェイクスピア,演出:蜷川幸雄,出演:小栗旬,高橋洋,内田滋ほか
■新宿バルト9,2017.5.27-6.2(彩の国さいたま芸術劇場大ホール,2006年収録?)
■男性キャストだけのシェイクスピアは「お気に召すまま」から始めたらしい。 当時の蜷川幸雄が「どのような観念が含まれた作品なのか、誰も手をつけてないところを発見できたら・・」と言っている。 歌舞伎や宝塚もあるから驚かないが演出家の言葉もよく分からない。 しかし本日観てみるとシェイクスピアの科白がビシビシ耳に届いてくることは確かだ。 ある種の異化効果が出ているのかもしれない。 以前中屋敷法仁演出の女ばかりのシェイクスピアを何本か観たが科白の効果は薄かったように記憶している。 観客側が男か女でも違うのかもしれない。   
それにしても舞台のライブシネマは音声もいただけない。 やはり劇場空間を通って来る声でないと感動が生まれない。 映画館空間は何故だめなのか? 先日の「ジュリアス・シーザー」はこの問題を無理やり隠すことができたが今回は漫才を聞いているようだ。 全男性キャストの欠点が逆に現れてしまった。
ところで企画第二弾「身毒丸」は同演出家・同役者で1998年にシアターコクーンで観ていたので外した。
*一周忌追悼企画蜷川幸雄シアター作品
*劇場サイト、http://www.saf.or.jp/arthall/information/detail/575

2017年5月23日火曜日

■NHKバレエの饗宴2017

■指揮:園田隆一郎,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
■NHK・Eテレ,2017.5.21(NHKホール,2017.4.8収録)
■「ナポリ3幕からパドシス,タランテラ,フィナーレ」,振付:A・ブルノンヴィル,音楽:ヘルステッド他,出演:井上バレエ団
■衣装はアルプス風だがナポリへ行ったことがないので風景が読めない。 タンバリンや箒のようなポールを持つからヨーロッパの村祭りにもみえる。 心が和む舞台である。 振付は細かいけれど淡泊である。 
■「死の島」,振付:森優貴,音楽:ラフマニノフ,出演:貞松・浜田バレエ団
■暗くて舞台全体が見えない。 どのような照明か感じ取れない。 雰囲気や息遣いが映像では伝わらない典型的な舞台だろう。 勅使川原三郎のカラスを思い出してしまった。 振付は振幅があり彼らより大らかである。 いま上演しているなら取り敢えず劇場へ駆けつけたいくらいだ。
■「テーマとバリエーション」,振付:G・バランシン,音楽:チャイコフスキ,出演:新国立劇場バレエ団
■音楽と同期が取れていて心地よさを感じる。 ダンサーは重量感がある。 その重力に逆らうリフトは計算され尽くしていて感動を覚える。 バランシンを選んだ理由も納得できる。 パリオペラ座、ボリショイバレエ、ロイヤルオペラなど有名なバレエ団を思い浮かべる時に所属する国はあまり意識しない。 このバレエ団も名前は良くないが国を忘れることができる。 他のバレエ団はどこか日本を感じてしまう。
■「眠りの森の美女から3幕」,振付:T・ウエストモーランド,音楽:チャイコフスキ,出演:牧阿佐美バレエ団
■微妙な面白さのある振付である。 ユーモアと言うよりウィットを感じる。 全体にオットリしている。 今年は4作品で少ない。 時代は違うがこれも日常世界を見つめる平凡さが背景に感じられる。 その世界も大事だと言っているようだ。
そして毎度のことだがカメラワークがいい。 テレビの前の観客に負担をかけない映像である。
*公演サイト、https://www.nhk-p.co.jp/ballet/archives.html

2017年5月22日月曜日

■乱鶯

■作:倉持裕,演出:いのうえひでのり,出演:古田新太,稲森いずみ,大東駿介,清水くるみ,劇団☆新感線
■新宿バルト9,2017.5.20-(2017.4.15収録)
■主人公鶯十三郎は鼠小僧のような窃盗犯です。 活躍した時代も天明と天保で数十年しか違わない。 怪我をした十三郎は堅気になり助けられた恩人の酒場で働いているが新たな事件で悪役奉行と盗賊一味を再びやっつけるという話です。
日本橋界隈の酒場や呉服店が舞台ですから江戸庶民の生活が描かれる。 その生活は事実から離れていてもいつもとは違ったリズムが現れています。 しかし真っ当な登場人物の多くが殺されていく粗筋はいかにもゲキXシネらしい。
この作品の欠点は秘密や記憶などがアヤフヤなところでしょう。 火縄売り砂吉の押込み強盗決行日時を事前におおやけにしてしまう、北町奉行与力黒部源四郎が酒席で十三郎を見抜けないなどワザとらしい。 御先手組組頭小橋勝之助はギャグり過ぎです。 この歌舞伎的なところが逆に面白いのですが。 もう一つは居酒屋主人勘助の幽霊を登場させたことです。 十三郎とお加代を結び付けたいが物語の流れからいっても深く突っ込みたくない。 お化けでお茶を濁してしまった。 それでも隅田川で花火を打ち上げられるのは新感線パワーが炸裂している証です。
*ゲキXシネ2017年作品
*作品サイト、http://www.geki-cine.jp/midareuguisu/

2017年5月20日土曜日

■ジュリアス・シーザー

■作:W・シェイクスピア,演出:蜷川幸雄,出演:阿部寛,藤原竜也,横田栄司,吉田鋼太郎ほか
■新宿バルト9,2017.5.13-19(彩の国さいたま芸術劇場大ホール,2014年収録)
■劇画を読んでいるような驚きがあり、新作歌舞伎を思い出したり、劇団新感線のゲキXシネを観ているようでもあり、鎌倉室町戦国時代の武士の心情をおもったり、等々飽きさせない仕掛けが山ほど入っている。 蜷川幸雄がエンタメ重視の舞台にこんなにものめり込んでいたとは驚きである。 昨年テレビで観た「元禄港歌」は36年ぶりの再演だったので近況が見えなかった。 
舞台はとても分かり易い。 観客がモヤモヤしているところは必ず言葉と態度で舞台で表現してくれる。 ブルータスとキャシアスの親密な友情も楽しい。 ただし後半の戦い場面は長すぎる。 ブルータスとアントニの演説は感動までには到達できない。 もっと緩急が必要だとおもう。
そして役者の声量があり過ぎアップも使い過ぎる。 激しいカメラワークでないと映画観客は喜ばないのかもしれないが。 とりあえず蜷川幸雄シアターもスケジュールに組み込んでいいだろう。
*一周忌追悼企画蜷川幸雄シアター作品
*劇場サイト,http://www.saf.or.jp/arthall/information/detail/575

2017年5月18日木曜日

■マリアの首、幻に長崎を想う曲

■作:田中千禾夫,演出:小川絵梨子,出演:鈴木杏,伊勢佳世,峯村リエほか
■新国立劇場・小劇場,2017.5.10-28
■チラシに書いてある粗筋だけ読んでいったのですが珍紛漢紛でした。 「ばってん」で九州の方言だとわかったが後に続く科白の意味がわからない。 全体の雰囲気から掴むしかない。 理解できてもストーリーの深部まで入っていけない。
女性たちが主人公の群像劇にみえる。 女性だと社会の接点から物語展開が想像できない。 しかもキリスト教徒です。 そして科白の中の単語に抽象語が多い。 例えば存在・実在・実体・自由・混沌・・。 以上4点が重なったのでお手上げです。 でも戦後の雰囲気は掴めました。 そして人々が現在と違った真摯や誠実を持って生きていたこともです。
演出家小川絵梨子の舞台は何回か観ています。 謎めいた作品も多いのですが結構面白い。 画面右上から「絵梨子」と入れて検索してみてください。 今回はいつもの謎や面白さとは違った骨太さが感じられる。 演出家より原作者が強かった。 その田中千禾夫は初めてでした。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007981.html

2017年5月15日月曜日

■春のめざめ

■原作:F・ヴェデキント,演出:白井晃,音楽:降谷建志,出演:志尊淳,大野いと,栗原類ほか
■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2017.5.5-23
■演出家白井晃の美術にはいつも感心させられます。 半透明のガラス板で囲まれた狭い舞台と青白い蛍光灯はギムジナムで生活している生徒の心を表している。 その板の奥は異界でしょう。 音楽の揺らぎもいい。 青春の死はいつも不条理ですから。
生徒の自慰やメルヒオールのヴェントラへの強姦もベトベトしない形で様になっています。 若い役者たちが素直だからでしょう。 それと合唱の無いコロス=群舞として喋り動くからだと思います。
生徒の周囲にいる大人たちの登場もどこからかやって来る感じです。 あの医者?もそうです。 彼がモーリッツの亡霊を引き離しメルヒオールを連れて帰る場面は大事な何かを思い出させてくれます。 たぶん人生としての思春期の終わりをです。 良き舞台だから思い出せるのでしょう。
ところであの医者は人生の黄昏時に再びやって来る人でしょうか? 次はメフィストと名乗って。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/harunomezame

2017年5月12日金曜日

■イドメネオ

■作:W・A・モーツァルト,指揮:J・レヴァイン,演出:J・P・ポネル,出演:M・ポレンザーニ,A・クート,E・V・D・ヒーヴァ,N・シエラ
■東劇,2017.5.6-12(MET,2017.3.25収録)
■舞台はシンメトリを崩さない。 歌手の立ち位置や動きを制限すればするほどモーツァルトの若さを隠すことができる。 三角関係を追ってもツマラナイ。 独唱と重唱を一つ一つじっくりと聴かせる作品のようね。 後半は静かな感動に浸れたわ。 3幕になって供儀とは何か真面目に考えてしまった。 終幕はキリスト教的な愛で決着がつくのはしょうがない。
*METライブビューイング2016作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2016-17/#program_08

2017年5月7日日曜日

■ファーズ Fase  ■時の渦

■東京芸術劇場・プレイハウス,2017.5.2-6
□ファーズ Fase
■振付:A・T・D・ケースマイケル,音楽:スティーヴ・ライヒ,出演:A・T・D・ケースマイケル,T・ドルヴェン
■20世紀の匂いがする。 1982年の作品らしい。 細緻だが力強い。 非の打ちどころが無い。 鋼鉄の仕上がりと言ってよい。 ミニマル・ダンスをみていると覚醒か睡眠のどちらかが訪れる。 中途半端は無い。 今回は前者が訪れた。
□時の渦 Vortex Temporum
■振付:A・T・D・ケースマイケル,音楽:ジェラール・グリゼ,演奏:アンサンブル・イクトゥス,出演:ローザス・ダンサーズ
■演奏者6人が登場するがその演奏が素晴らしい。 舞台に集中していける。 そして演者は入れ替わりダンサー7人が音楽無しで登場する。 上半身の振付は古さがある。 奏者が再登場し演奏しながら共に踊る。 とはいっても歩くような動きである。 指揮者が加わり背景で演奏しダンサーは舞台狭しに踊る。
演奏→ダンス→演奏+ダンス(混在)→演奏+ダンス(分離)。 このような流れだったとおもう。 混在とは演奏者もダンサーと共に舞台で動き回ること。 ピアノも人手で動かす。 
演奏はともかくダンスはなんともいえない。 ダンサーと演奏者との関係性が意図的で意識し過ぎてしまう。 みる側は関係性を無意識にやり過ごしたい。 舞台を楽しめないからである。 ダンスの楽しさが無い楽しさとでもいうような舞台だった。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater141/
*2017.5.22追記、夕刊に乗越たかおの論評が載っていた。 「無音で踊るところは前場面の演奏をダンサーが各楽器ごとに対応し踊っている」。 これは気が付かなかった。

2017年5月6日土曜日

■花粉革命

■振付:笠井叡,出演:笠井瑞丈
■シアタートラム,2017.5.5-7
■笠井瑞丈のソロは初めてかもしれない。 振付が笠井叡の為か後半に両手を空に突き出すような仕草をみると父叡が踊っているようにみえた。 身体の動きも滑らかである。 前半の日本舞踊風ダンスも見応えがあった。 衣装が着物、黒、白と変わっていく面白さも加わり豊かな舞台になっていた。
この作品は2001年に当劇場で観ている。 オドロオドロした衝撃的舞台だったことを記憶している。 肉体が崩れていく前半と肉体が再生する後半で構成されていた(勝手な解釈だが)。 日本舞踊風の動きの中で簪や鬘が外れ帯が解け着物が脱げていく姿は当に肉体が崩れていく姿にみえた。 梵鐘の響きが今でも耳に残っている。 後半、山本耀司?の白衣装に着替え踠く姿はどうしようもない肉体を持った人間の再生への叫びである。
今日の舞台を観ながらもはやオドロオドロしさを求める時代は過ぎ去ったことを知る。 先日の夕刊で即興から振付を固定したとの記事を読んだ。 再び即興で踊る時、21世紀身体に革命前夜がやって来る。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201705kahun.html