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■ハード・ブロブレム

■作:トム・ストッパード,演出:ニコラス・ハイトナー,出演:オリヴィア・ヴィノール ■東宝シネマズ川崎,2016.9.30-10.5(NT2015年収録) ■心脳問題を話題にしたストーリのため追うのが大変。 意識とは何か・・、心=意識は脳=物質に還元できるか? 主人公ヒラリーは心理学者だけあって同僚の機能主義を採らずむしろ二元論的言語主義に傾いていくようね。 作者トム・ストッパードの考えも同じだとおもう。 至るところで自然言語に基づく考えをさり気なく述べているからよ。 でもこのような問題を芝居に載せても面白くない。 つまり断片的議論や実験結果はイージー・プロブレムに還元されてしまうから。 芝居では耐えきれないのよ。 しかも「囚人のジレンマ」を例に生物進化での利己・利他主義を並行で議論するからより混乱してしまう。 結局はヒラリーに哲学に転向しようと言わせてしまうの。 お祈りや別れた子供との出会いも添え物にみえる。 ここは突破口だったのに深めることができない。 脳や遺伝子と生物の話題を混ぜ合わせたのはいいけど下手に拡散させてしまったのね。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画COMサイト、 https://eiga.com/movie/82983/

■別の場所

■作:ハロルド・ピンター,演出:赤井康弘,出演:サイマル演劇団 ■サブテレニアン,2016.9.22-25 ■ハロルド・ピンター短編三作「ヴィクトリア駅」「いわばアラスカ」「家族の声」を上演。 「ヴィクトリア駅」ではタクシ運転手と手配係の連絡がいつのまにか仕事以外の話や行動になっていく・・。 「いわばアラスカ」は29年間の眠りから覚めた妹が姉や医師と時のずれた話をする・・。 「家族の声」は街に出た息子が忙しい日常生活を語り、並行して田舎にいる老母は忘れられない息子への独白が続く・・。 どれも出来事や時空の関係がどこか噛み合っていない。 ピンターはよく知りません。 短編のため結婚話など家族関係から題材をとっているようです。 舞台は狭いし動きがないので役者の声が優位になります。 身体から湧き出る喋り方をする役者としない役者が混ざっている作品は分解しそうですね。 帰ってから調べたのですが彼は映画狂らしい。 そういえばルイス・ブニュエルの作品から笑いを取ってしまったような舞台にもみえました。 *主催者サイト、 http://itabashi-buhne.jimdo.com/

■DISGRACEDディスグレイスト

■作:アヤド・アフタル,演出:栗山民也,出演:小日向文世,秋山菜津子,安田顕,小島聖,平埜生成 ■世田谷パブリクシアタ,2016.9.10-25 ■パキスタン系弁護士アミールと白人画家の妻エミリ、アミールの同僚で黒人弁護士ジョリ、美術館職員ユダヤ人アイザックのアメリカ国籍4人の緊迫感が続く対話で息をするのも忘れて観入ってしまいました。 ベラスケスの肖像画「パレーハ」とムーア人、アーネスト・ベッカ「死の拒絶」とウディ・アレン、ジョン・コンスタブル、V&A所蔵のイスラム美術などが話題にのぼります。 ニューヨークで程々の階級人たちの生活風景が見えて面白い。 これだけの話ができるのも多様な民族と宗教が潜行しながらも日常でぶつかり合うからだと思います。 アミールの出生でインドとパキスタンの違いが国家ではなく宗教の違いとして議論されます。 そして国籍や名前を変更する時には民族を加味して宗教→民族→国家と順に進める。 民族とは舞台上のように肌の色なのか?母語や神話・歴史由来なのか?上手く説明できません。 日本人の多くは国家→民族→宗教のように逆に下る。 しかも民族や宗教は霞んでよくみえない。 ですからアミールが9.11テロ事件で特別な感慨を持った時に、観客の多くは先ずは国家を考えてしまうでしょう。 でもアミールの心は読めない。 特別な感慨に三つはどのようにかかわっているのでしょうか? この構造の違いに出会うと頭が痺れて思考停止になってしまう。 アミールとジョリの法律事務所経営での確執、エミリとアイザックのギャラリー出展での仕事不倫も気が抜けません。 イスラエル側の事務所所長はアミールを首にします。 そして妻が描いてくれた肖像画を見つめながら幕が下りる・・。 息をするのを忘れて観てしまうのも世界先端で起こっている事件や芸術や生活が迫ってくる舞台だからでしょう。 *作品サイト、 http://www.disgraced-stage.com/

■荒野のリア

■原作:W・シェイクスピア,演出:川村毅,出演:麿赤兒,手塚とおる ■吉祥寺シアタ,2016.9.14-19 ■科白を聞いているとまるでシェイクスピアの「リア王」のようだ。 そういえばチラシにそう書いてあった。 麿赤兒のリアは面白い。 動きがいい。 太さが在る。 麿は舞踏より演劇に比重を割いたほうがよいのではないだろうか? 役者が全て男だけというのも舞台に加速度が出て楽しい。 特に道化とエドガがよかった。 この加速が麿を生き返らせている。 でも男からみた女の評価は月並みに聞こえた。 照明や美術も演出家の好みだろう。 ゴネリルやリーガンの科白場面でのヌード写真は納得できるが、小津安二郎やジョン・フォードの作品はどういう事だかよく分からなかった。 「晩春」や「東京物語」、ジョン・ウェインではシラケてしまう。 異化効果でも狙ったのかな? そして月の砂地にいるリアとグロスタが遠く地球を眺める終幕はなんと言ってよいのか分からない。 悪くはないが、・・邪道とも言えない。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2016/06/post-47.html

■マハゴニー市の興亡

■作:B・ブレヒト,曲:K・ヴァイル,演出:白井晃,音楽:スガダイロ,振付:Ruu,出演:山本耕史,マルシア,中尾エミ,上条恒彦,古谷一行 ■神奈川芸術劇場・ホール,2016.9.6-22 ■ブレヒトの時代と現代が直結している舞台だった。 ここから1930年の公演状況が目にみえてくるようだわ。 「人生は短い、時は無駄に使うな・・」「生き残るのは俺、くたばるのはお前ら・・」。 こんなにも歌詞が迫ってきたのは久しぶりよ。 歌唱と科白が混ざって物語が切れ切れになるけど少しづつまとまっていくのが分かる。 これは演出家の力ね。 「死んだらすべて終わり・・」が凄まじい食欲や性欲を肯定している。 そして終幕のデモ行進も時代と異化効果を越えてメッセージを現代に届けている。 ラジカルな舞台だわ。 マハゴニー市民席があるため広い舞台でも四散しないでみることができた。 虚しさが感じられるネオンも天井を巧く埋めていたわ。 マルシアや中尾ミエはハッキリ聞き取れたけど男性陣の歌唱で聴き難い個所があったのは残念。 山本耕史の都合で開幕が1時間遅れてしまったの。 石田三成も緊張場面は体調を崩して席をよく外していたし・・。 大谷吉継が言うように彼は繊細過ぎるのね。 * 「マハゴニー市の興亡」(浅野佳成演出2016年) *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/mahagonny

■授業

■作:E・イヨネスコ,演出:長堀博士,出演:劇団楽園王 ■サブテレニアン,2016.9.8-10 ■軍服姿の教授と手錠を掛けられた女学生で緊張しますね。 前半は言語学、後半は算数の話しですが再び言語に戻る円環構造を採るためか劇的な終幕を迎えます。 前後で教授は鬘を加え学生は役者が替わります。 前半は見応えがありました。 言葉遊びと役者身体が噛み合っていたからです。 音楽も巧く溶けあっていた。 舞台に独特な力強いリズムが表れていました。 しかし後半の算数の話はつまらない。 言語と違い役者身体に絡んでいかない。 観客も加算減算そのことを考えてしまう。 ストーリーだけが浮いてしまった。 つまり終幕に言語に戻ったので持ち直したといえる。 劇団はこの作品を12年間上演しているらしい。 安定感がある。 このためかオドロオドロしいところがみえない。 コミカルに傾き不条理が気化してしまった。 この劇場はマンション地下の空間を利用しています。 二列だけの客席は壁にへばり付いていて役者との距離も1メートルに近づく場面が多々ある。 あと3メートル離れていたら良い意味で客観的に観ることができたでしょう。 *板橋ビューネ2016「ナンセンスはアナーキズムである」参加作品 *板橋ビューネサイト、 https://itabashi-buhne.jimdo.com/archive-1/

■まちがいの喜劇

■作:W・シェイクスピア,翻訳・演出:河合祥一郎,出演:高橋洋介,寺内淳史,梶原航,多田慶子,原康義 ■あうるすぽっと,2016.9.7-11 ■この作品は二組がどれだけ似ているのか想像しながら劇場へ向かうのが楽しいのよ。 はたしてエフェソスのアンティフォラスが登場した時は帽子を深く被っていたけどシラクサにスゲー似ている!と思わず唸ってしまったわ。 間違いの喜劇ね。 駄洒落も多いし漫才をしているような場面もある。 際どい科白もあって楽しい。 この言葉世界を役者が意識しているので独特な響きが場内に広がる。 特にエイドリアーナのお喋りで夫婦裏がとてもリアルに見えてくるところが面白い。 ドローミオも道化的台詞で舞台の流れを上手に動かしていた。 それにしてもこんなにも駄洒落や綾があったのかしら? 流石新訳ね。 大団円では逆に両親の科白が再会へ集約しなくてカタルシスが得られなかった。 一人二役の欠点も現れてしまった。 なぜなら<再会>できないからよ。 終幕では兄弟同時に登場したけど後ろ向きが多くて残念。 兄弟でカーテンコールができないのは寂しい。 でもシェイクスピア科白の面白さを再び教えてくれた舞台だった。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage60063_1.jpg?1473379342