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■かもめ

■作:アントン.チェーホフ,台本:トム.ストッパード,翻訳:小川絵梨子,演出:鈴木裕美,出演:朝海ひかる,天宮良,伊勢佳代ほか ■新国立劇場.小劇場,2019.4.11-29 ■なんと!好きな人をみる目付きが異様だ。 マーシャがコンスタンティンを、ポリーナがドールンを、ニーナがトリゴーネンを・・!。 コンスタンティンがニーナは恋人設定だからこんなものだろう。 ドールンがアルカージナはギリギリ普通かな? ストーカーごっこにみえる。 これで作品の隠れていた何者かが、ネガがポジとなって現れてくる。 異様だけど楽しい。 それでも、やはりチェーホフを強く感じてしまった。 その理由が知りたくて観後にプログラムを買う。 「・・奇をてらった舞台にはならない、・・書いてある通りにやるとこうなる」(鈴木)。 やはりチェーホフから外れていなかった。 昨年観た無名塾の「かもめ」を思い出した。 やはり視線の強さを意識した舞台だったことを覚えている。 でも今回はチェーホフからのメッセージがより強く届いてきた。 それは何故なのか? 「作品そのものに」拘った成果が出ていたのかもしれない。 「フルオーディションをすること自体ではなく、作品のために必要な俳優と出会う為・・」(小川)。 トム・ストッパードの脚本を含め全てをご破算にして作り上げたからだろう。 チェーホフがそれに答えたのだ。 *NNTTドラマ2018シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/theseagull/ *追記・・コンスタンティンの自殺を聞いた時に、心揺さぶられる衝撃がやってくる舞台とやってこない舞台がある。 彼の科白・演技は前半と後半で非連続性が有りこれを繋げる何かが欠けていた場合には衝撃が来ないと、づーっと思っていた。 「トレープレフが自殺したというのは本当だろうか?」(沼田允義)をいま読んで合点がいった。 つまり他殺として作られた舞台はこの種の衝撃が薄くなるのでは? 今日の演出は他殺を匂わしている感じもする。 *「このブログを検索」に入れる語句は、 鈴木裕美

■リア王

■作:W.シェイクスピア,演出:ジョナサン.マンビー,出演:イアン.マッケラン他 ■ヒューマントラストシネマ渋谷,2019.4.19-25(デューク.オブ.ヨークス劇場,2018.9.27収録) ■英国王室らしい衣装、特に大綬や勲章付きの俳優たちに登場されると無条件でシェイクスピアの本場だと納得してしまう。 後半のリア、グロスター、エドガーの凄まじい衣装・姿との対比が恐ろしく見事だ。 王が鋏でイギリス地図を切り刻むところはブレグジット英国を当に象徴している。 次にコーディリアの、姉たちにも劣らない言葉や表情の強さに目が行く。 ドーバーに上陸した彼女の軍服姿は最後までブレていない。 世界に通用するシェイクスピアの硬さある豊かさが迫ってくる。 イアン・マッケランもリア爺がよく似合う。 なにかと「王だ!王だ!」と口に出し、エドモンドに「年寄りがコケれば若者が伸し上がれる」と言わせるだけある。 ・・リア爺ではなくグロスターのグロ爺だったか? どちらも似たような爺爺だ。 今回は三姉妹だけではなく、ケント、グロスター、エドガー、エドモンドたちの存在もクッキリと浮かび上がり全員野球をしているようだった、もちろん道化も。 演出家の劇場吟味や対話重視の方針が成功している。 極上のドライな味がする舞台だった。 *NTLナショナル.シアター.ライブ2019作品 *作品サイト、 http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/ntlout29-king-lear

■花園

■脚本・演出・作曲:伊藤靖朗,出演:溝口琢矢,悠未ひろ,田代絵麻ほか,劇団:舞台芸術集団地下空港 ■座高円寺,2019.4.13-21 ■知っているような知らないようなストーリーです。 どこか懐かしさがある。 人が木や花に変身する話だからでしょう。 時は鎌倉末期、花々の咲き乱れるとある荘園が舞台です。 さらった人々を花にしてしまう皇女八条院の亡霊が園の主となっている。 主人公の歌人京極為兼の娘は行方不明の父兄を探しに園へ来たが亡霊に捕まってしまう。 しかし後醍醐天皇の討幕の混乱に乗じて園丁竜胆に助けられた娘は兄と再会。 二人は花園を破壊し花々に変えられていた人々を救い出す・・。 この作品はミュージカル仕立てになっているがどれも似たような淡泊なメロディに聴こえます。 「心のままに詞の匂ひゆく」京極家の詠法を取り入れたのでしょうか? そして八条院の広げた根が天井から下がるだけでほぼ何もない舞台です。 控えの役者が両端に座り出番を待っている姿や軽やかな動きや踊りが面白い詩的空間を作り上げていました。 しかし皇統の分裂や討幕は背景史の飾り物にみえ、三種神器や書状(墾田永年私財法?)は舞台を散らかしただけです。 「格差による社会分断、利権のぶつかり合い・・。 「花園」は語るべき時を待ち続けていた・・。」と演出家が挨拶文で言っていたが突っ込み不足に感じる。 その為かもしれないが、・・花園はひっそりと生きながらえているのではないか? などなどを考えながら帰り道の高円寺駅へ向かいました。 *劇場サイト、 https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=2089

■フィレンツェの悲劇  ■ジャンニ・スキッキ

■指揮:沼尻竜典,演出:粟國淳,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■新国立劇場.オペラパレス,2019.4.7-17 □フィレンツェの悲劇 ■作:オスカー.ワイルド,曲:アレクサンダー.ツェムリンスキー,出演:ヴゼヴォロド.グリヴノフ,セルゲイ.レイフェルクス,齋藤純子 ■WEBにインタビュや対訳が載っていたけど写真と動画だけは見ないで劇場に行ったの。 ゥーン、想像していたとは違う舞台感触だった。 演奏優位の為か歌唱が隠れてしまい集中力が思った以上に必要ね。 屋敷の庭のような美術で視覚が拡散され3人の関係を濃密に保てない。 それは声にも言える。 力ある発声が必要よ。 3人の動きはとても考えられ広い舞台をまとめていたけど・・。 演出家の苦労の跡が伺える。 毛織物商売の話がイタリアに近づけさせてくれたけどそこまで。 ドイツ語の重たさも一因かな。 この作品はワーグナーとは違った意味での劇的さを作れると思う。 でもそれは不発だった。 芝居にして観たくなる作品だわ。 □ジェンニ.スキッキ ■作:ダンテ.アリギエーリ,曲:ジャコモ.プッチーニ,出演:カルロス.アルバレス,砂川涼子,寺谷千枝子ほか ■「借りぐらしのアリエッティ」を先ずは思い出してしまった。 拡大した小道具が楽しい。 でも傾いた舞台では歌手たちの動きがぎこちなくてハラハラする。 歌詞に地名が多いからフィレンツェの風景が広がっていくのを肌で感じられる。 この「喜劇」を観た後には1作目の「悲劇」の重みが増すのを意識できた。 取り合わせの妙と言ってよい。 フィレンツェの裏通りを歩いてきたような後味があるわね。 *NNTTオペラ2018シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_015164.html

■チェンチ一族

■原作:パーシー.ビッシュ.シェリー,台本:アントナン.アルトー,翻訳:藤田幸広,音楽:J.A.シーザー,演出:高田恵篤,劇団:演劇実験室◎万有引力 ■ザスズナリ,2019.4.5-14 ■この劇団で科白が多い作品は珍しい。 その位置づけは劇画に近い。 声はギコチナイが漫画の頁を一枚一枚捲っていく感触がある。 言葉は肉体と交互に連動し音楽と照明が溶け合って律動的な舞台になっていた。 良くまとまっていたと思う。 父チェンチ伯爵から虐待を受けていた娘ベアトリーチェは耐えきれなくなり父を殺してしまう。 彼女は無罪を訴えるがローマ教皇は彼女らに死刑を宣告するという話である。 「教皇側が恐れるのは親殺しが広まるから・・」という科白を聞いて納得してしまった。 それは寺山修司が繰り返し描く親子関係からである。 また親殺しについて生物としてヒトとして舞台を観ながらいろいろ考えてしまった。 この芝居は1982年5月に池袋文芸座で観ている。 劇場に入るとスキンヘッドで全身白塗りの男優たちが唸りながら地面を転がっている光景が記憶に残っている。 他は全く覚えていないが台詞は少なかったはずだ。 終演後にトークがあったので聞くことにする(以下より)。 *アーフタトークの出席は高田恵篤,根本豊の二人。 根本が当時の資料をもとに話をする。 トークは約30分。 (→)は私=筆者の感想。 ・82年は「100年の孤独」の映画ロケが有り、その直後に文芸座ルピリエで「チェンチ一族」を初演した。 天井の高い劇場のためロープで宙吊りの場面も作った。 (→これを聞いても宙吊りの場面は思い出せない) (→寺山の駄目出しは聞き漏らしてしまった) ・当時のチラシに根本は出演者として連ねているが出演しなかった(根本)。 (→高田が持ってきた「夜想」に掲載されたチラシをみて言っている? この雑誌の特集は「アルトー上演を生きた男」で文芸座公演に時期を合わせた発行だった) ・シーザーは寺山の物語性をビジュアルに移行した。 これで音楽と肉体の緊張感が増したはず。 そして寺山の舞踏的な動きを少なくしていく。 (→今日の舞台をみても舞踏からは遠くなっている) ・寺山は女優だけの「チェンチ一族」を練っていた。 (→これは分かる気がする)。 背景は精神病院にしたかった。 しかし寺山の死で中断。 ・以下は観客

■リチャード三世

■作:W.シェイクスピア,演出:王暁鷹,出演:張晧越,涂松岩,張鑫ほか,劇団:中国国家話劇院 ■東京芸術劇場.プレイハウス,2019.4.5-7 ■「理査三世」と書くらしい。 舞台は完璧と言ってよい。 俳優は貫禄だろうか? その余裕が漂っている。 中国伝統演劇が染み込んでいると言ってよい。 その表面を現代劇でコーティングしている感じだ。 衣装も物語に馴染み、美術とパーカッション演奏は簡素で筋が通っている。 張晧越は安定度抜群だがリチャードとして何を心に貯めているのか伝わってこない。 演劇的感動は少ないが史劇的叙事詩としての納得感は持てる。 話劇院の様式から来る一つの完成した姿=形かもしれない。 そして京劇院から招聘した張鑫をアンやエドワード王子に配し韻白を響かせたのは「聴く喜び」、同じく刺客二人の武戯は「観る喜び」だろう。 英語読みの箇所を隠したら中国史から生まれた物語のように良く出来ている。 演出家王暁鷹が言っている。 「東方世界の表現形式で上演するのはシェイクスピアの楽しみを共に分かち合うこと・・」だと。 その通りの舞台であった。 *東アジア文化都市2019豊島スペシャル事業 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater204/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 リチャード三世

■DANCE to the Future 2019 ダンス・トゥー・ザ・フューチャー

■「ゴルドベルク変奏曲」,振付:高橋一輝:出演:奥田花純,宇賀大将ほか ■「猫の皿」,振付:福田紘也,出演:福岡雄大,本島美和ほか ■「Format」,振付・出演:福岡紘也 ■「Danae」,振付:貝川鐵夫,出演:渡邊峻郁,木村優里 ■「beyond the limits of...」,振付:福田圭吾,出演:奥村康広祐,米沢唯ほか ■「カンパネラ」,振付・出演:貝川鐵夫 ■「Improvisation即興」,演奏:笠松泰洋ほか,出演:米沢唯,渡邊峻郁ほか (以上が上演作品とスタッフ&キャスト) ■新国立劇場.小劇場,2019.3.29-31 ■2部「Danae」後半のデュエットから調子が乗ってきました。 それは「beyond・・」「カンパネラ」まで続きダンスを観る喜びに浸れました。  後者2作は2016年の再演*1ですがどちらも磨きがかかっている。 「beyond・・」は新国バレエ団の長所を生かした作品にみえます。 「カンパネラ」は前回より全てに余裕があった。 1部「猫の皿」は落語を上演しながら背後でダンサーが踊るという驚きの舞台です。 いや、ビックリ! 落語は上手いし落ちも楽しい。 ダンサーも重量級のある動きでしたが落語に目が行ってしまい後味が曖昧になってしまった。 「ゴルドベルク・・」は如何様にも取れる曲なので振付の特徴を浮き出させるのが難しいと思います。 3部の「即興」は「beyond・・」と逆でこのバレエ団には苦手な演目に感じられますね。 集中力全開で観たのですがその8割は演奏に向かってしまいました。 *1、「 DANCE to the Future 2016 」(新国立劇場,2016年) *NNTTダンス2018シーズン作品 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/dance/19dtf/ *「このブログを検索」に入れる語句は、 DANCE to the Future