2011年10月31日月曜日

■静物画

■振付:白井剛
■自由学園明日館・講堂,2011.10.27-30
■木の柱梁と白壁、形ある窓枠、隅に石を配置したフランク・ロイド・ライト風の遠藤新設計の講堂は心地よい緊張があり落ち着きます。 白井剛は名のとおり硬さと強さの中に繊細さがある踊りだと記憶していました。 今回は少し違いますね。
繊細を維持しながら物と空間を取り入れ身体をコミカルに変化させようとしています。 幕開けからしばらくは、舞台はまさしく静物画のようです。 それも15世紀ヨーロッパのを。 しかし徐々に静物画から離れていきます。
ダンサーと果物・食器が一つになり舞台を踊るというより動き回ります。 「「在ること」を優位に・・」とチラシにありましたがそこに向かって行きません。 ダンサーは物との関係に近づこうとしていますがどちらも無関心です。 これは存在より関係の踊りです。
静物画の面白さは物が存在する不思議に驚くことです。 そこに物の本質が現れるからです。 何故ある種の舞踏や芝居では人間の存在に驚くことができるのでしょうか? 「在ること」の驚きはありませんでしたが、それを考えさせられるダンスでした。
*写真、http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22577_1.jpg?1409783838

2011年10月30日日曜日

■実盛

■作:世阿弥,出演:観世銕之丞
■国立能楽堂,2011.10.29
■武士の死に方を望んでいた実盛はとても力強い。 いくつかの時系並列な語りが最後の戦いの場面で一つに集約していくから尚更ね。 実盛や篠原の民の仏教を信じる力を重ね合わせると強さに豊かさが現れる。 でもこの強さは今の時代からすると諄すぎる感じ。 例えば仲入をもっと柔らかくすると後場がより生きるはずよ。 有名な話だから世阿弥も直球しか投げられなかったようね。
逆に大鼓はもっとキレが出せたら戦いの場面は一層盛り上がる。 そして舞台が混み合うから従僧は一人で十分ね。 でも舞台のゴタゴタを一掃する世阿弥の直球って凄い!
*チラシ、http://www.ntj.jac.go.jp/assets/images/nou/event/2011_10_nnt_001.JPG

2011年10月27日木曜日

■出会頭

■振付:井出茂太、出演:イデビアン・クルー
■アルテリオ小劇場、2011.10.25-30
http://kawasaki-ac.jp/theater-archive/111025/
■なんと音楽は初めから終わりまで平均律クラヴィーア? 
イデビアンには似合いの曲ね。 似合いすぎてるのよ。
だから面白いけどそれ以上にも以下にもならないわ。 安全パイね。 
出合頭だと目力がより必要ね。 ウィンクが不足してたわよ。
井出の脂肪の乗った小刻みでスピードのある動きは素晴らしい。
モハメド・アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」みたい。
おもしろかったわ。

2011年10月26日水曜日

■イロアセル

■作:倉持裕,演出:鵜山仁
■新国立劇場・小劇場,2011.10.18-11.5
■その島民の言葉には色があり、この固有色から誰の言葉かわかってしまう。 だから島民は真実を言えない。 外から来た囚人と看守には色がない。 この二人を介して島民の噂が流れてしまう物語だ。 現代ネットワーク社会を批判しているようだが・・?
プルプラン社の町長や審査委員への賄賂、アズルとライや町長と議員の人間関係、すべてが三行広告レベルの話で終わっている。 囚人が守秘義務があるといいながら島民のことをバラすのも、看守への敬語の使い過ぎも、島民への上から目線もなにか変だ。
チラシに「・・支持を得ていた機能が社会システムで不要になってしまう・・」とある。 しかし機能やシステムの意味を取り違えている。 しかもこれらと「滅びゆくものに託した美意識」に結びつけているから余計わからなくなる。
言葉に色がついたところが新しいだけの他人の言葉≒心を読めるという使い古したSF劇である。 サエナイ芝居だ。 何度も席を立ちたくなった。 観落としがあったのか?誤った観方をしたのか? 心配になり帰りにプログラムを購入してしまった。
*NNTTドラマ2011シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000436_play.html

2011年10月25日火曜日

■あなた自身のためのレッスン

■作:清水邦夫,演出:多田淳之介
■富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ,2011.10.18-23
■舞台上に観客席があります。 いろいろな照明や幕を利用したり、なんとテッカンに洗濯物を干すのは初めてみました。 舞台裏から芝居を観ている感じです。 舞台構成以上に内容も複雑でした。 観客と芝居の位置や距離を考える芝居です。
おおよそのストーリーはわかります。 随所でメタシアター性が顔を出しますが、これを優先してはいません。 大部分が劇中劇にもみえます。 章単位より段落単位で事や科白が飛躍します。 そして記憶喪失の人が徐々に家族としてまとまっていきます。
場内で配られた10頁の演出家・館長対談のプログラムを帰ってから読んだのですが今日観た舞台をあれこれ思い浮かべてしまう興味ある内容でした。 感動は少なかったのですが、ひさしぶりに芝居そのものを考えさせてくれる芝居でした。
*劇場サイト、http://www.kirari-fujimi.com/program/view/35

2011年10月23日日曜日

■松風

■作:世阿弥、出演:武田尚浩(観世流)他
■国立能楽堂、2011.10.21
http://www.ntj.jac.go.jp/assets/images/nou/event/2011_10_nnt_001.JPG
■松風村雨二人並んだ存在感が面白い。 動きの少ない舞台ね。 唯一松風が物狂いになり舞を舞う場面のみ。 たくさんの言でできている作品だから家で謡本でもっと声を出さないとだめね。
というのはこの劇場は前にディスプレイがあるでしょ。 それをチラッと見てしまうのよ。 これが劇的感動を阻害する要因かも。 文字は魔物だわ。 動きが少ないと尚更ね。 加えて正面上手側の席のため正面先の松が邪魔をして役者がよくみえなかった。
この作品を世阿弥は「・・・これよし」と言っているのに、残念ながらよくなかった。 もう一度挑戦するしかない。 ところでこの演目は中正面に座るべきね。

2011年10月22日土曜日

■ユーリンタウン

■脚本:グレッグ・コティス,演出:流山児祥,出演:流山児★事務所
■座高円寺1,2011.10.14-30
■入場すると警備員が観客に挑発的な言葉を浴びせます。 これで演出は流山児だったことを思い出させます。 ストーリーは読まないで行ったので驚きでした。 なんと公衆便所の話です。 衣装も現実的で正に貧民街そのものが舞台に出現しています。
最初はオシッコの匂いが舞台に充満していますが徐々に気にかけなくなります。 それは搾取する者とされる者の争いに集約していくからです。 帝王学やカネの話は嫌になるほどオジサン趣味が充満しています。 これが舞台を濃くしています。
昨日、ギリシャ緊縮策抗議デモをニュースで見ました。 アフリカの人口爆発と水不足はいつも話題にのっています。 舞台がそのまま現実と直結しているようで緊張感を持って観ました。 歌もダンスも物語に混ざり合って違和感がありません。
そして正しい判断と行動が伴わない夢と希望だけでは社会はよくならないという結論で幕が閉じます。 しっかりした終幕です。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=502

2011年10月17日月曜日

■少女椿

■原作・丸尾末広,演出:石井飛鳥,出演:廻天百眼
■ザムザ阿佐谷,2011.10.13-17
■原作を超えていないようね、残念だけど。 血肉の破片が物そのもので留まっているし、舞台背景は懐かしい思い出を呼び寄せてくれない。 漫画の科白をそのまま舞台に載せたから舞台上の物と言葉が分離してしまった。 これが超えていない原因よ。
漫画の絵や文字は読者の脳で声や音まで想像するけど、これを舞台上でおこなうには科白と身体や小道具を結びつける総合力が必要になってくる。
でも後半いろいろなみどりがでてきてから盛り上がってきた。 そしてみどり達が未来を切り開いていく。 これは原作に付け加えたのかしら? シンプルだけど希望がハッキリしていて元気がでるわ。
観客の年齢は今年見た芝居で一番若いかも、だから彼らにピッタリの終幕だった。 会場が全日満員な理由もわかる気がするわね。 ところでチャンバラ場面がたくさん出てきたけど20%づつカットすればダラダラ感がなくなるわ。
*劇団サイト、http://www.kaitenhyakume.com/stage.php?id=PF00000016

2011年10月16日日曜日

■トータル・リビング1986-2011

■作・演出:宮沢章夫、出演:遊園地再生事業団
■にしすがも創造舎、2011.10.14-24
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage22575_1.jpg?1409980017
■役者や小道具をカメラで撮影しながらそれをスクリーンに写す今流行りの方法を取っている。 ストーリーが映画作成というのも「無防備映画都市」と同じだ。 これも流行りなのか? ともかく映画作成自体が劇中劇になるため構造が容易く複雑に深くできる。テーマは商品や記憶の欠落をテーマにしているようだ。 欠落を埋めるため?に1986年に飛び、チェルノブイリ原発事故を再考する。 そして福島原発事故と結びつけることによって事故全体が初めて見えるようになってくる。
欠落とは何か? 補うことで本質へ近づくことができるようだ。 では何をどのように補うのか? などなどを考えてしまった。
ところでこの種の芝居ではセリフが棒読みに聞こえてしまう場合がよくある。 今回は役者や小道具の動きや位置等とても神経質だから余計目立ってしまった。 バランス重視の芝居が少しズレてしまうと何かが欠落しているような芝居になってしまう。

2011年10月11日火曜日

■六月のクリスマス

■作:イザベル・ドゥ・トレド、演出:中村まり子、田村連
■下北沢「劇」小劇場、2011.10.5-10
http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage24102_1.gif?1409982438
■女性演出家のホームドラマ系芝居はウンザリしていたので心配でした。 しかし別系統なので少しホットしました。 大切な庭はちょっと物足りないのですが背景のグレー一色が物語に集中させてくれます。 予算の関係もあるのでしょう。
ソフィーの夫やジュリー、ソランジュの話題が山をなしますが、四姉妹の心のありようを覗いているようで申し訳なさを含んだ楽しさがありました。 しかし観終わったあと思い出すのに力のいる芝居です。 つまり記憶に残らない芝居です。
チラシ「他者と異なる価値観や考え方を受け入れる」のテーマに沿った内容です。 残らない理由はテーマをそのまま肯定しているだけの舞台だからです。 現実の家族と向き合っている観客にはもう一段深い「家族のあり方」が欲しいところです。

2011年10月10日月曜日

■舞踏よりの召喚

■出演:武内靖彦
■座高円寺,2011.10.7-9
■ドイツ音楽を背景に提灯を持って・・、上半身裸体で・・、トレーナー衣装をまとって・・、軍服?とスカートで・・。 起承転結どれもが踏業40周年だけあって緊張感が籠っていたわ。 白塗りをしない武内は日常からの飛躍が大変だけどそれを跳ね除けていた。でもトレーナー衣装をまとった転はもっとメリハリを付けるべきね。 これが無いから結が浮き上がってしまった。 ここは衣装を脱いでもう一度上半身を曝け出さなきゃ。 そうすれば終幕の軍服とスカートを観客は素直に受け入れてより劇的になったとおもうわ。
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=501

2011年10月8日土曜日

■赤い靴

■監督:マイケル・パウエル
http://www.red-shoes.jpn.com/index.html
■トップのレルモントフが全体を引っ張っていく企業の業務活動を見ているようだ。 この総合力からくる充実感で2時間超を一気にみせてくれた。 バレエ場面もそれなりに楽しんだが、それよりも舞台裏の動きのほうが面白かったのも先の理由から来る。
レルモントフの仕事=バレエかクラスターの家庭=愛かで悩む場面はいくらでも解決方法は有る。 そして列車に飛び込み自殺を図るペイジは予想外の行動だった。 この2点をもっとうまく物語的な処理をしていればもう一段上の作品になったかもしれない。
しかし原作自体があまりにも童話的な結末だから悩ましいところだ。 レオニード・マシーンに会えたのはおまけ以上だ。

2011年10月6日木曜日

■ジョン・レノン、ニューヨーク

■監督:マイケル・エプスタイン
http://johnlennon-ny.jp/
■レット・イット・ビー以降のビートルズは追跡していません。 この作品のDVD化は期待できそうもありません。 ということで映画館に足を運びました。
1.ヨーコとの交際が英国人を怒らしたこと。
2.アメリカでの反戦運動に深入りしすぎて国外退去に怯えていたこと。 
3.ヨーコとの一時的別離でL.A.で荒んだ生活をしたこと。
4.息子ショーンが誕生して育児生活に専念したこと。
これらは初めて観る映像ばかりで新鮮そのものでした。 メカス、マチューナス、ウォーホール、ギンズバーグもいましたね。 映画はドキュメンタリーに分類できます。 ストーリーはテンポが良く全体は引き締まっています、映画的感動は有りませんが。
1の理由ですが英国人にとってはビートルズは英国皇室と同じ象徴だからではないでしょうか。 観る前から終幕はわかっていましたがしかし、40歳で銃弾に倒れたのは悲劇というしかありません。

2011年10月3日月曜日

■シィエイクスピア「ソネット」

■演出:中村恩恵,出演:中村恩恵,首藤康之
■新国立劇場・中劇場,2011.9.30-10.1
■「やってくる」「去っていく」がとても立体的に見える劇場ですね。 舞台に奥行きがあるからです。 首藤の独特の歩き方はやって来て去っていくのが印象的でした。 そして舞台がハッキリとした暗さで覆われていて独特な雰囲気もあった。
首藤の肉体はギリシャ彫刻を見ているようです。 素晴らしいですね。 しかし徐々に壊れていくのが一瞬感じられます。 中村は肩幅が広くバストが小さいので女性型ロボットにみえる。 無性的ですので首藤も迷いがなく踊れるはずです。
ソネット集は読んでいないのでストーリーがまったくわかりません。 シェイクスピアの戯曲とは相容れない舞台にみえました。 もっと高尚な感じです。 中村の無性的からきているのだとおもいます。 音楽もこれに加担しています。
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_005335.html

2011年10月2日日曜日

■白石加代子「百物語」第二十九夜

■演出:鴨下信一,出演:白石加代子
■岩波ホール
■宮部みゆき作「お文の影」、「ばんば憑き」の二題。  どちらも江戸怪談であるが闇の深さは無い。 前者はお結がお文を虐める理由、後者はお由が八重を殺す理由は、どちらも想像はつくけれど省きすぎていて心の襞まで見えてこない。
このため身体と影の分離、肉体を移動する精神という題材が前面に出てしまい唸るような人生の深淵が出現しない。 しかし後半は白石も力が入ってきて面白くなる。 お松が生い立ちを語る場面は二十九夜のクライマックスであった。
*百物語リスト、http://www.mtp-stage.co.jp/shikraisikayokonoheya/hyaku.html