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■夢の劇、ドリーム・プレイ

■原作:J・A・ストリンドベリ,演出:白井晃,台本:長塚圭史,振付:森山開次,出演:早見あかり,田中圭,江口のりこ,玉置玲央,那須佐代子 ■神奈川芸術劇場・ホール,2016.4.12-30 ■神の娘アグネスが人間世界を経験する物語です。 前半は愛や結婚など身近な生活の話を、後半に差別や貧困など社会問題や政治の話に広げていきます。 そして彼女が天に戻る時に、この世の人々は惨めで哀れだと思っていたにも係わらずいとおしい気持ちがおそってきます。 心身に湧き起こる愛おしさこそが、人が生きていくこと死んでいくことが何であるかを彼女が掴み取った証しだとおもいます。 劇場の開かずの部屋に何もなかったのも、この愛おしさという人や物の関係の中にしかない見えないものだからでしょう。 舞台は小道具が散らばっていてダンスもありサーカス小屋のようで楽しさと寂しさが入り交じっています。 台詞は分かり易いのですが奥行が無い。 でも一つ一つの話が積み重なっていき後半は深みのある世界が滲みでてきました。 終幕には詩の朗読もあるためか全体が叙事詩を観たようなイメージを持って終わります。 長塚圭史の尖がったところを白井晃が丸め森山開次がずらしてつり合いの取れた舞台になっていた。 乾いた夢をみているような観後感でした。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/ygdp

■アンドレア・シェニエ

■台本:L・イッリカ,作曲:U・ジョルダーノ,指揮:J・ビニャミーニ,演出:P・アルロ,出演:C・ヴェントレ,M・ホセ・シーリ,V・ヴィテッリ ■新国立劇場・オペラパレス,2016.4.14-23 ■舞台写真を見て期待して劇場に行ったけど感動はイマイチだった。 ジェラールが降りてしまい三角関係が煮詰まらなかったせいかも。 回り舞台も動きが早くて微妙な感情を育てることができない。 シェニエ、マッダレーナ、ジェラールの歌唱を堪能したことで満足としましょう。 でもこれだけの印象深い舞台だったのに何故心に響かなかったのか? と言うことで帰りにプログラムを購入してしまったの。 「・・同じ暴力行為を発生するという歴史連鎖を断ち切るため現代に何を成すべきか、・・社会状況を改善させる可能性はどこに存在するのか、・・」。 多分演出家は沢山のことを詰め込み過ぎたのね。 ギロチンの増殖映像もいらない。 物語の中で恐怖政治を味わいたい。 演出家の欲張りを消化も昇華もできない舞台だった。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006153.html

■橋からの眺め

■作:アーサー・ミラー,演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ,出演:マーク・ストロング ■東宝シネマズ六本木,2016.4.8-13(NT,2015年収録) ■ホラー染みた芝居に感心してしまった。 叔父エディは溺愛する姪キャサリンを手放したくない。 子供の結婚にいちゃもんをつける親と同じである。 エディが中途半端でないところが恐ろしい。 ニューヨーク港湾で働くエディの家に故郷シシリアの親族が不法移民として仕事を求めてやって来る。 その中のロドルフォを好きになるキャサリンだが・・。 当時の移民の立場がエディをこのような頑なな態度にしているのかと観ていたがそれだけでもない。 やはりエディ自身の人生観から来ているようだ。 でもその源泉は語られない。 オモシロイようで要がツマラナイのは延々と続いている親子史が変われないからだろう。 幕前に美術担当が自慢していた舞台は周囲に長椅子が置いてあるだけのシンプルな構成だが物語をしっかりと受けとめていた。 シャワーの水と血の使い分けも巧い。 背景に流れていた音楽も同様である。 そして点景としてのコーヒーやバナナの匂いなど湾岸の仕事の様子が触覚をともなって語られる。 シシリアで食扶持を得るための仕事も聞き耳を立ててしまう具体力があった。 ト書きとしての弁護士の最後の一言が、エディも探せばどこにでもいる人間なんだと妙に落ち着かせる。 舞台の総合力が2015年ローレンス・オリヴィエ賞でリバイバル賞、最優秀演出賞、最優秀主演男優賞をもたらしたのだろう。 観終ってどういうわけか「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時の感覚を思い出してしまった。 *NTLナショナル・シアター・ライヴ作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/82981/

■ウェルテル

■原作:J・W・ゲーテ,作曲:J・マスネ,指揮:E・プラッソン,演出:N・ジョエル,出演:D・コルチャック,E・マクシモワ,A・エレート,砂川涼子 ■新国立劇場・オペラパレス,2016.4.3-16 ■二幕までは煮え切らない。 マスネの曲もウェルテルとシャルロットに付かず離れずなの。 でも三幕で突き抜けることが出来た。 助走が必要な作品なのね。 静かだった観客も「オシアンの歌」でついに拍手。 M・ジョルダーニから代わったD・コルチャックとE・マクシモワの抑えた高揚感が最高よ。 アルベールのA・エレートとソフィーの砂川涼子を含め4人のキャラクタが静かに浸透してくる舞台だった。 舞台美術は重量感ある建物や室内だったけどもう少し軽さを出してもいいかもよ?  映像はまあまあかな。 4幕は本の多さで物語とは別の事をいろいろ考えてしまった。 ここは集中させてもらいたいわね。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006152.html

■マハゴニー市の興亡

■作:B・ブレヒト,演出:浅野佳成,音楽:八幡茂,出演:東京演劇集団風 ■レパートリーシアターKAZE,2016.4.2-10 ■ミュージカルですね。 解説を聞いているような舞台でした。 これが叙事演劇と言うのでしょうか? しかし徐々に盛り上がってきました。 歌唱も楽しかった。 ブレの少ない台詞が観客に考える余裕を持たせてくれます。 「たらふく食った後はセックス、次に賭けボクシングそして酒・・」は享楽的生活に違いありません。 今はこれにしがみつく時代でもない。 でもカネが深刻な力を持っていることは確かです。 「カネあっての色気だ!」。 終幕、主人公パウルは酒代が払えなくて死刑になるが、この力を持っている友人は彼を助けません。 もはや「ワクワクすることが何も無い」享楽の果てに行き着くと他人の統制そして死を望むのは人の性ですか。 親しみの薄い人間関係が演じられる醒めた舞台が続きます。 逆に1929年のブレヒトの伝えたいエキスが観客に届いてくる芝居でした。 役者がプラカードや垂れ幕を持って示威行進をする場面が何度かありました。 歌唱や科白に十分な説得力があったのにもかかわらず書き言葉を読むのはリズムが狂います。 ここは文字ではなくて歌で押し通すべきでしょう。 *劇団サイト、 http://www.kaze-net.org/repertory_t/rep_maha

■マノン・レスコー

■作曲:G・プッチーニ,指揮:F・ルイージ,演出:R・エア,出演:K・オポライス,R・アラーニャ ■新宿ピカデリ,2016.4.2-8(MET2016.3.5収録) ■デ・グリュがカウフマンからアラーニャに代わったのね? あらにゃ! でもロイヤル・オペラ*1と同じにならなくて良かったかもよ。 1940年パリの舞台は急階段で緊張感が一杯ね。 ドイツ軍兵士もみえる。 この時代にした理由を演出家は、衣装を目立たせない、善悪をはっきりさせない、フィルム・ノワールを想起する為だと言っているの。 狙いはいいけど占領下での緊張感とストーリーが上手く噛み合わなかった感じがする。 ジョージ・グロス風世界も見え隠れするけどプッチーニとの相性はどうかしら? しかも演出家は物語を断片化・抽象化し過ぎている。 これは原作も悪いの。 そしてマノンは艶が無い。 幕ごとに上り調子だったけど、あっち向いて愛を歌っている。 逆にアラーニャはシチリア的フランス人を演じてしまった。 性欲も昇華できず消滅してしまった。 素晴らしい構想が出来上がっているのに演出家を含め一人ひとりが先走ってしまったようね。 *1、 「マノン・レスコー」(ROH,2014年) *METライブビューイング2015作品 *MET、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_07