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■ジゼル

■ 演出:P・ライト,指揮:B・グルージン,出演:N・オシポワ,C・アコスタ,ロイヤル・バレエ団 ■イオンシネマ 系,2014.1.28(ROH収録) ■ 去年のロイヤル・バレエは「安定」で今年は「挑戦」なのかしら? 今年は新鮮だけど不安定感のある舞台が多いわね。 全世界を相手にするのは大変ということね。 オシボワは体調が悪いのかしら。 二幕は似合うけど、一幕から顔も青白いし見応えがない。 農村の娘にしてはちょっと痩せすぎかもね。 アコスタは余裕が有り過ぎ。 この二人の差が舞台に現実を招き寄せてしまいリズムに乗れない。 感情表現もイマイチよ。 特にオシボワのオデコの皺は無くすこと。 そしてそろそろ新しい演出家で上演してね。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2013シネマシーズン作品

■ある女の家

■ 演出:小野寺修二,出演:カンパニーデラシネラ ■ 新国立劇場・中劇場,2014.1.23-26 ■ 「 ノーラ 」から方向転換しているの? ダンス的感動は押し寄せて来ない。 ダンスというよりコント風パントマイムね。 出演者5人中二人が役者だったけど、このような内容ならダンサーより役者の方が一枚上手にみえる。 舞台の道具も過剰、しかもシマリのない中劇場でアンバランスだわ。 この中劇場では演技に出入りするまでの歩数が有りすぎてシマリがなくなるの。 この歩数はマイムでも致命的よ。 デラシネラは小空間で密度の高い舞台を創るほうがいいと思うけど。 でも「ノーラ」 のどっちつかずは解消している。 次回はダンスの離見の見を観たいわね。 *NNTTダンス2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/140123_001624.html

■PLAY TO PLAY-干渉する次元-

■ 振付:金森穣,空間:田根剛,音楽:トン.タッ.アン,衣装:三原康裕,堂本教子,出演:NOISM1 ■ 神奈川芸術劇場・ホール,2014.1.24-25 ■キレとコクが有り素晴らしい。 振付も新鮮です。 リーダー金森穣とメンバーの十分な意思疎通が舞台に現れています。 小道具に凝る舞踊団ですが、今回は半透鏡プリズム?を応用した衝立を中央に立ててダンサーを<分散>させています。 しかも舞台後方にも観客席があるとは! このため舞台奥の動きはよく見えない。 衝立の効果は疑問です。 集中力が衝立の動きに分散されてしまうからです。 全体が見えない不安不満もあります。 途中のスローテンポな場面が面白かったのはこの反動でしょう。 小道具抜きでダンスをしっかり見せてくれたからです。 しかし後半のダンサーの重なりあう蠢きや、黒タイツ黒スーツの近未来的な衣装での男女間の求め悩める姿は現代人の行く末を暗示しているようです。 深みのある表現を詰め込んだ舞台で満足しました。 これはノイズム流「春の祭典」ですね。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/detail?id=32269#.UuMSdNKAZxB

■トライブス

■ 作:ニーナ・レイン,演出:熊林弘高,出演:中嶋朋子,中村美貴,田中圭 ■ 新国立劇場・小劇場,2014.1.13-26 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage38979_1.jpg?1451773403 ■ チラシも読まないで劇場へ向かったのでストーリーに面食らいました。 聴覚障害者の弟ビリーと吃音者の兄ダニエルのいる家族の物語です。 ピアノをダイニングテーブルにするくらいですから音楽が深く関わっているのでしょう。 愛しているを手話で表現できるの? この科白の質問がよくわかりません。 愛というのは言葉以外も係わるものですから。 他の暴力的とも言えるビリーへの質問も、ひょっとして自分も同じようなことするだろうと身に詰まされながら観ていました。 前半は状況説明から抜け出せません。 問題は後半です。 突然ビリーがヘソを曲げます。 言葉の遣り取りからくる人間関係に苛立ったのでしょう。 兄ダニエルとシルビアとの三角関係も考えられますが。 次になんとダニエルの吃りが始まります。 突飛すぎます。 ダニエルとビリーの人間関係の深いところがよくみえなかったので一層の混乱です。 聴覚や吃音障害を音楽と関連させ身体化するのかと観ていましたがあてが外れました。 終幕へ行くほど音楽が遠のいてしまったからです。 舞台には言語至上主義が見え隠れしています。 ビリーはこの主義に潰されてしまいましたが、ダニエルはこれから逃げようとしたのでは? 吃りはこの主義からの逃亡です。 リップリーディングや、生まれた時からの障害か人生途中からの障害者かの違い等々、興味を持って観ることができました。 題材は面白いのですが、しかし兄弟二人は冗長表現が有り過ぎて心の深みを読み取れなかった感があります。

■ファルスタッフ

■ 指揮:J・レヴァイン,演出:R・カーセン,出演:A・マエストリ,S・ブライズ,A・ミード ■ 新宿ピカデリ,2014.1.11-17(MET,2013.12.14収録) ■ 人間の三欲である酒・食・性すべてが喜劇へ向かっていくベクトルは強力で楽しかったわ。 そして巨漢の肉体が振動し歌手間で共鳴している舞台は素晴らしかった。 指揮者も演出家もヴェルディをこよなく愛している結果ね。 1幕はレストラン、2幕はバー、そして3幕はダイニングのお酒とご馳走で一杯。 千点以上の小道具が歌手を新鮮に修飾していた。 馬まで登場してホッとさせるところはさすがロバート・カーセン。 一転して3幕後半の星空の公園、そして饗宴へと澱みのない流れは言うことなし。 まさにヴェルディの総決算だわ。 「世の中すべて冗談、みな道化・・」がとても効いていたのは最高のファルスタッフということね。 正月疲れが吹き飛んでしまったわ。 *METライブビューイング2013作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2013-14/#program_04

■いまだ知られざる寺山修司-わが時、その始まり-

■感想は、「 いまだ知られざる寺山修司-わが時、その始まり- 」

■始まりも終わりもない

■ 監督:伊藤俊也,出演:田中泯 ■イメージフォーラム,2013.12.14- ■ 田中泯の肉体はモンスーンの湿気を持っていない。 それは存在のあり方にも影響する。 彼の舞台では存在と非存在が交互に現れる。  観客は彼の身体を意識するが直ぐに忘れる。 そして再び彼の身体を意識する。 湿気が無いので観客の意識に粘りつかない。 しかしそれだけでは説明できない。 彼は時空を伸縮させながら忍び寄って来るのだ。 これは監督伊藤俊也と舞踏家田中泯の二人の人生を重ね合わせている作品にみえる。 女が登場するが母なのかもしれない。 二人の時代は戦争と母親で括られるのだろうか?  舞踏を観る面白さは少ない。 監督の意向が強い作品である。 *YouTube予告、 https://www.youtube.com/watch?v=Tl39Ot9ZP54