2018年11月30日金曜日

■ヤング・マルクス Young Marx

■作:リチャード.ビーン,クライヴ.コールマン,演出:ニコラス.ハイトナー,出演:ロリー.キニア,オリヴァー.クリス他
■TOHOシネマズ日本橋,2018.11.24-30(ブリッジ.シアター,2017.10収録)
■ロンドンのソーホーに逃げてきた1850年頃のカール・マルクスが主人公の舞台。 貧困生活のマルクス一家にスイスから亡命してきたエンゲルスも加わる。 プロイセン警察スパイが暗躍するなか共産主義者同盟やライン新聞の難しい運営を迫られるどたばたコメディー作品のようね。 結構笑えるけど当時の社会情勢が色濃く描かれていてズシッと重みのある舞台だわ。
「資本主義は変幻自在だ!」とマルクスは言う。 人間の欲望を取り込み増殖していく資本主義の前線で戦う若きマルクス。  「・・マルクスは暴君で自己中心的」と妻イェニーの言葉とは落差があるけど、家族や隣人など他者への人間愛がマルクスの行動の裏に感じられるわね。 私生活を描いたこの舞台はフォイエルバッハの影響がみえる。 唯物史観では彼を批判しているが、マルクスの公生活と私生活の差異が作品の面白いところだと思う。
ブリッジ・シアターの紹介があったがこの劇場は演出家ニコラス・ハイトナー達が作り今回が杮落しとのこと。 ハイトナーはインタビューで「コアな観客にエッジの効いた芝居はやらない!」。 なーるほど。 でもこの作品はコアな客にもそうでない客にも楽しめる。
*NTLナショナル.シアター.ライブ作品
*作品サイト、https://www.ntlive.jp/youngmarx
*「このブログを検索」語句、 ビーン
*2018.11.30追記 先日、高取英が亡くなった記事をみつけたの。 サルバドール・タリも9月に亡くなっていたのね。 寺山修司の記憶がボロボロと欠け落ちていく。

2018年11月28日水曜日

■パリの炎

■音楽:ポリス.アサフィエフ,振付:アレクセイ.ラトマンスキー,指揮:パヴェル.ソロキン,出演:マルガリータ.シュライナー,デニス.サーヴィン他
■Bunkamura.ルシネマ,2018.11.16-28(ボリショイ劇場,2018.3収録)
■旗はもちろん衣装にもトリコロールで一杯ね。 群集劇にあとから恋愛を付け足した作品らしい混乱に満ちた舞台だった。 農村の踊りはロシア風、宮廷での踊りは時代感覚が麻痺してしまいそう。 グラン・パ・ド・ドゥは男性が野性的で楽しかったけど。 初演が1933年モスクワだから内容はともかくフランス革命を借りたストーリーに時代の要請があったということね。 この作品がほとんど上演されない理由も分かる。 ボリショイ劇場御用達に必要な「鋼鉄の仕上がり」に達していないから。
ところでボリショイ劇場はホールが閑散として拍手も疎らでいつも拍子抜けしてしまう。 客席も映してほしいわね。 どのような観客が来ているのか見てみたい。 
*BOLボリショイ.バレエ.イン.シネマ2017シーズン作品
*劇場サイト、http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/18_bolshoi.html
*2018.11.29追記 B・ベルトルッチが亡くなったのね。 もはや古株はゴダールしかいない・・。 ベルトルッチの作品で好きなのは30歳代に作られた「暗殺のオペラ」と「1900年」、60歳頃の「魅せられて」「ドリーマーズ」の4品かな。
*2018.11.30追記(29日追記の続き) 浅田彰のベルトルッチ追悼記事を読む。 ベルトルッチが「ファシズムを描く」ことによってヌーヴェル・ヴァーグを越えたのには納得。 上記30歳代の2作と「革命前夜」「暗殺の森」でね。 次に浅田彰得意の音楽の話が続く。 シェーンベルクとの関係は知らないが坂本龍一とのコラボ「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」の面白さにも納得。 でも「ドリーマーズ」を酷評していたのは残念ね。

2018年11月27日火曜日

■ダンス・アーカイヴinJAPAN2018

□砂漠のミイラ■振付:藤井公,音楽:山本直,美術:三宅景子,出演:清水フミヒト他
□獄舎の演芸■振付:若松美黄,音楽:クルト.ワイル他,衣装:森荘太,出演:高比良洋
□八月の庭■振付:庄司裕,音楽:安良岡章夫,美術:白戸規之,出演:宝満直也ほか
(以上3作品を上演)
■新国立劇場.中劇場,2018.11.24-25
■アーカイヴ第3弾は戦後に活躍した振付家3人3作品を紹介*1。 どれもがどこか古く感じられた。 20世紀と21世紀の間には大きな壁がある(あった)ように思える。 演劇など他舞台ジャンルではその壁を感じないのだが・・。 ダンスは言語や形式から自由なため変化がよく見えるのかもしれない。
今回は能楽公演つまり能2曲狂言1曲のような形を取っている。 「砂漠のミイラ」(1993年)は大陸の乾燥がカラッと、「八月の庭」(1994年)は島国の湿気がジワッと伝わってくる。 音楽と照明も湿度に比例している。 どちらも重量級で見応えがあった。 狂言にあたる「獄舎の演芸」(1977年)はしっかりした骨組みを持ち遊びのある振付で衣装の面白さもでていた。
*1、第2弾「ダンス・アーカイヴinJAPAN」(新国立劇場,2015年)
*NNTTダンス2018シーズン作品
*劇場サイト、https://www.nntt.jac.go.jp/dance/dancearchive/

2018年11月26日月曜日

■オドリに惚れちゃって!ー形の冒険ー

■演出・出演:田中泯
■東京芸術劇場.シアターイースト,2018.11.23-25
■久しぶりの舞台だ。 映画などでは見ていたが2006年の「重力と愉快」、独舞だと2005年「赤光」以来である。 その田中泯は濃紺のコート姿で登場した。 彼の定番である。
しかし最初から凝った舞台美術だ。 地面が球状に膨らみだした・・! それが萎むと六尺褌のような晒木綿の旗をなびかせる。 旗の動きが爽やかだ。 そしてバッハ平均律と飛行機の爆音・・。 後幕が捲れ上がって灰色から黄緑色に変わり、・・模型飛行機の影を追う。 レギンズ姿になって。 トタン板のバラックの背景幕が再び捲れて茜色になる。 空襲だろうか?  衣装を着替える。 浪曲「清水次郎長伝」が聞こえてくる。 ・・。
田中泯の記憶を辿った舞台にみえる。 「形の冒険」とあるが「時」を形にしたいのではないだろうか? 時は記憶である。 21世紀に入りオドリの質を変えたように思う。 20世紀の彼の身体に時間は存在しなかった。 というより時間は一瞬に凝縮され身体の奥にうずくまっていたから。 そして今、時を解き放った。
*劇場サイト、http://www.geigeki.jp/performance/theater194/
*「このブログを検索」語句、 田中泯

2018年11月25日日曜日

■さわひらきー潜像の語り手ー  ■さわひらきX島地保武ーSiltsシルツー

□潜像の語り手
■神奈川芸術劇場.中スタジオ,2018.11.11-12.9
■映像作品を中心に20点弱が9スクリーンに映し出される展示構成です。 スケジュール表を見ると60分/サイクルと書いてある。 同時上映もあるので90分前後で全ての作品を見ることができます。
「HAKO」(2007年)は同時5スクリーンの作品ですがディゾルブを多用した風景が記憶と融合し、懐かしさが諸々の感情を伴い押し寄せてきます。 作品群はモノクロの風景とカラーで撮った室内に分類できる。 後者は足のある食器が歩き回り洗面ボウルの中で馬が泳いでいたりしてアニメーションを強く感じさせる。 前者に近い作品が気に入りましたが、どちらも一度みたら記憶の片隅に必ず残ります。
劇場での展示でしたが暗い場内は大きな鏡の壁で奥行きを出し置物の映像作品を点在させて独特な雰囲気を匂わせていました。 掛け時計が作品の開始時刻を知らせるのも面白い。 作品上映のタイムスケジュールは分かり易かったですね。 映像作品の多い展示会は参考にしてもよいでしょう。
*KAAT EXHIBITION2018
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/h_sawa
□silts シルツ
■構成・映像:さわひらき,演出・振付:島地保武,出演:Altneu(酒井はな,島地保武)
■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2018.11.23-25
■「潜像の語り手」でも上映されていた「silts」(さわひらき2009年)を舞台美術に取り込んだダンス作品です。 酒井はなと島地保武のデュエットで日常的且つ即興性のある振付といってよい。 でも前半は映像とダンスが合わない。 映像が強すぎるからです。 歯車や梯子を上る人物アニメ、歩き回る食器類に目が奪われてしまう。 壁と比較して床の映像は苦にならないのが不思議です。 後半、酒井が映像風景を眺める場面などもあり落ち着いてきた。 記憶や夢や風景をも取り込むダンスでないと映像と同期がとれない。 終わりに近づくほど違和感が薄れたのはダンサーが持っている余白(遊び)の質が良いからでしょう。
*KAAT DANCE SERIES2018作品
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/silts

2018年11月20日火曜日

■サムソンとデリラ

■作曲:サン=サーンス,指揮:マーク.エルダー,演出:ダクロ.トレズニヤック,出演:エリーナ.ガランチャ,ロベルト.アラーニャ他
■新宿ピカデリー,2018.11.16-22(MET,2018.10.20収録)
■1幕は「ヘブライ人合唱」と「サムソンとデリラの出会い」、2幕が「大司祭とデリラの対話」と「サムソンとデリラの再会」、3幕の「牢獄のサムソン」から「ダゴン寺院」の全6場面は夫々が分かり易く完結かつ連係していて進みゆく物語の安定感は抜群ね。 舞台道具も穴だらけの壁や像をシンメトリーにして軽さのなかに現代アートの感覚が盛り込まれている。 セシル・B・デミルの享楽志向と比較してしまったわ。 でもペリシテ人の衣装、住居や寺院の黄金色の使い方は引き継いでいるし、ニジンスキー風のダンサー達も楽しい。
この作品は神をとるか愛をとるか? ガランチャが「作品が短くてなんともいえない」と言っていたけど、この舞台でのデリラはどちらも取れないと思っているようね。 でもサムソンは両方取っていた。 デリラは迷ってしまったの。 それでも「あなたの声に私の声は開く」の桃色ガウンを脱ぎ黄緑ドレスになる場面は素敵よ。 アラーニャの高音が響きすぎていたのは設備の悪さかしら? 
*METライブビューイング2018作品
*作品サイト、https://www.shochiku.co.jp/met/program/853/

2018年11月18日日曜日

■狂人教育ー人形と俳優との偶発的邂逅劇ー

■作:寺山修司,演出・音楽:J.A.シーザー,構成・演出:高田恵篤,劇団:演劇実験室◎万有引力
■ザ・スズナリ,2018.11.9-18
■爺婆父兄姉そして主人公らしき妹の人形家族6人。 その人形も、もちろん人形遣いも俳優が演じるの。 サングラスをかけた黒ずくめの人形遣いが彼らの周りに纏わりついていく・・。 家族の中にいる「気狂い」を探し出すストーリーみたい。 いわゆる共同体の維持結束を図る悲喜劇物語ね。
どこかレトロの雰囲気が漂うのは50年以上も前の作品だから? でも幾つかの激しい場面でも劇的高揚感がやってこない。 全体を通して二か所くらいしか見せ場が無い。 それは「人形たちに自由意思がないのは人形遣いのせい、でも人形遣いも作者の奴隷、その作者も遠い戦争やら紫煙のゆらぎで戯曲は変わり変わって・・」という人形俳優作家の階層関係を論ずる場面、「妹ランが周囲と同じ行動を取らないから気狂いとして殺せ・・」と繰り返される時代光景。 でもこの二つ以外はちょっと生温い。 原因は科白の多くが淡泊で物語の奥へと入っていけないからだと思う。 人形劇用として作ったので童話に近いのかも。 物語構造はおもしろいから台詞と身体の融合を推し進めればずっと良くなるはずよ。 そして母の不在が寺山修司のネットリ感を抑えていたわね。
*演劇実験室◎万有引力第67回本公演作品
*寺山修司没後35年演劇実験室◎万有引力創立35周年公演第2弾作品
*劇団サイト、https://banyuinryoku.wixsite.com/index

2018年11月11日日曜日

■バンガラ・ダンス・シアター Bangarra Dance Theatre

□Spirit2018■振付:スティーヴン.ペイジ,先住民ダンス振付:ドゥジャカプラ.ムンヤリュン
□I.B.I.S■振付:デボラ.ブラウン,ワアンゲンガ.ブランコ
(以上2作品を上演)
■彩の国さいたま芸術劇場.大ホール,2018.11.9-10
■からだ全体を使うおおらかな振付ですが打楽器中心のためリズムは早い。 地面との接触も多い。 伝統舞踊にみえるが現代のダンスも混ざり合っている感じですね。 舞台は幾つもの場面で構成されている。 後半はスーパーマーケットを題材にしているので生活風景が少しですが見えてきます。
最初の場面で女性ダンサーは木の葉で身体を隠し男性ダンサーは草むらに隠れて登場したのですが、何故そして誰から隠れるのか? この舞踊団はトレス海峡諸島の文化を継承しているらしい。 島々はオーストラリアとニューギニアの間にあります。 魚の木彫や小舟が登場するので漁業で生活をしていても陸地は多分ジャングルなのでしょう。 猛獣から隠れていたのでしょうか? 時代が下った植民地闘争も考えられる。
日本の盆踊りを思い出す場面もある。 手拭を持って踊りますから。 終幕の男女ダンサーが絡み合う振付は現代的です。 歌や詩も現地語で入ります。 ダンスは観るだけでも楽しいですが、今回は日本語字幕が欲しかったですね。 日本語音声を直に被せてもよかった。 ・・アボリジナル6万年の歴史はどんどん遠くなっているように感じました。
*「I.B.I.S」とは諸島産業サービス委員会の略で地元の商店を指す呼び名.
*劇場サイト、http://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/5574

2018年11月9日金曜日

■エディット・ピアフ、天に届く声  ■ピアフ、シャンソンの誕生  ■ピアフ、コンサート&ドキュメンタリー

□エディット.ピアフ,天に届く声
■監督:アルアン.イズナール,出演:エディット.ピアフ,ミシェル.リヴゴーシュ,ジルベール.ゴラール他
■(フランス,2003年作品)
■エディット・ピアフの舞台と関係者のインタビューで構成された50分のドキュメンタリーである。 ピアフが子供時代に罹った眼病とリジューの聖テレーズとの繋がりについて多くを語っている。 「彼女の愛はテレーズに向かっている」と。 しかし映像では彼女に宗教は見えない。 心の奥に仕舞ったのだと思う。
□エディット・ピアフ,シャンソン誕生
■監督:マルセス.プリステーヌ,出演:エディット.ピアフ,ジャン.マレー,テオ.サラボ他
■(フランス,2003年作品)
■「天に届く声」の続編のようだ。 エディット・ピアフの死後に関係者が思い出を語るドキュメンタリーである。 作詞・作曲家ミッシェル・エメールと彼女の語りのような歌唱は心を揺さぶられる。 ジャン・コクトー「聖なる怪物」に出演したピアフについて「見事な歌手は喜劇や悲劇の役者であることが多い」とジャン・マレーは言っている。 アラン・ドロン、マルセル・カルネ、ジャン=ポール・ベルモントもチラッと登場したがフランス映画の場面とピアフの声が溶け合い迫ってくるように感じた。
□エディット.ピアフ,コンサート&ドキュメンタリー
■出演:エディット.ピアフ
■(フランス,2006年作品)
■エディット・ピアフのコンサートを中心に20曲弱を歌い続けるドキュメンタリー映画。 観客は興奮して涙ぐむ人も多いという。 歌詞も歌唱も演劇的で圧倒される。 「過去なんてどうでもいい」「後悔はしていない」。 そして「死ぬのは怖くない」と彼女は何度も口にする。 今だけを必死に生きているようだ。 その生き様が舞台からあふれ出ている。
以上の3本から、先日観た大竹しのぶ主演「ピアフ」はピアフというより大竹自身を演じ歌ったようにもみえる。
*YouTubeサイト、https://www.youtube.com/watch?v=IwmKVep7Yow

2018年11月7日水曜日

■ピアフ Piaf

■作:パム.ジェムス,演出:栗山民也,出演:大竹しのぶ,梅沢昌代,彩輝なお,宮原浩暢,上遠野太洸ほか
■シアタークリエ,2018.11.4-12.1
■大竹しのぶライフワークミュージカルらしく淡々と物語が進んでいく。 この流れに追いついたのは一幕後半からだ。 「あたしには男がいなくちゃだめ」「一人ぼっちは大嫌い」と男を次々と替えていくピアフの愛は定まらない。 これで戸惑ってしまったからである。
でも科白に下品というか下ネタが結構あること、昔からの友達トワーヌの行動からエディット・ピアフがどういう人物か固めることができた。 トワーヌ役梅沢昌代の2016年菊田一夫演劇賞受賞は今日の舞台をみて納得! トワーヌはオバサンの代表だ。 客層の8割はオバサンとその候補だ。 ウハ!
イヴ・モンタン役大田翔の歌唱時は会場から初拍手があったがこれも納得! シャルル・アズナブール役宮原浩暢も同じく! 「ピアフが大竹しのぶに舞い降りた」とあったが少し納得。 大竹しのぶと歌詞歌唱の間にあるピアフとの時代差が結びつかないからである。 でも淡泊な歌唱とスピード感ある演技で「舞い降りた」ようにみえたのは大竹しのぶの巧さだろう。 マレーネ・ディートリッヒも登場したが歌う場面はもちろん無い。
ところで劇場は場内放送が一切無かった。 係員がこまめに動き回って観客と接しているからできるのだとおもう。 劇場が新鮮にみえた。 場内放送がどれだけ劇場の雰囲気を壊しているかがわかる。
ピアフをもっと知りたくなった。 帰ってきてピアフのビデオを3本予約した。 ジャン・コクトーとの関係も分かるはずだ。
*作品サイト、https://www.tohostage.com/piaf2018/
*「このブログを検索」欄に入れる語句は、 栗山民也

2018年11月5日月曜日

■ニライカナイー命の分水嶺ー

■作・演出:金満里,劇団:態変
■座高円寺,2018.11.2-4
■出だしはF・ベーコンの絵を想像してしまいました。 しかし背景がジャングルになった二部からは落ち着きが戻ってきた。 それはギリシャ彫刻を想像したことからも分かります。 タイツ姿でゆっくり動く為もあるのでしょう。 足の裏や顔で地面を意識するのが伝わってきます。 この動きほど自然を畏れ自然に融和していく身体表現はありません。 彫刻を抱いて踊る場面などでは未開人を思い出させてくれます。 そして胴体だけのダンサーをみていると人類太古の歴史を遡る感慨が迫ってきます。 西表島との出会いが資料に書いてありましたがまさに「ダンスの淵源」を得たことが分かる。 死を意識しないのは自然を目指しているからでしょう。 自然の一部として死も昇華するからです。 舞台美術や照明は抽象的な強さがありますね。 ゆっくりな動きにメリハリをつけていました。
*劇団態変第68回公演
*劇場サイト、http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1958

2018年11月4日日曜日

■Is it worth to save us?

■演出:伊藤郁女,振付.出演:伊藤郁女,森山未來
■神奈川芸術劇場.大スタジオ,2018.10.31-11.4
■場内に入ると伊藤郁女が観客にマイムで語りかけている。 次第に幕が開き森山未來が観客に質問をし始める。 「流れ星は見たか?」「花は買ったか?」「・・?」。 次に伊藤が自身?の子供時代の思い出を朗読する。 「4歳、宇宙人だと思い込み・・」「5歳、バレエを始める・・」「・・」「14歳、母にひな人形を捨てられる・・」。 そしてダンス。 途中二人が裸になり無言で絡み合う場面は作品の佳境ともいえる。 ここはとても日本的だ。 小道具もそれに合わせている。 伊藤郁女は初めて見るが戦後映画女優の何人かを思い出してしまった。 溝口健二の作品に登場する娼婦たちに笠置シズ子を足し合わせたような(ダンサーというより)女優にみえる。 次に森山未来が朗読に入る。 「6歳、自転車で骨折をする・・」「・・」。 そしてマイクを持ち出し二人は歌いだす。 楽しい歌詞だが題名は知らない。 マイケルジャクソンの話題と演技は笑ってしまった。 最後にケーキやトマトを投げ合い全身がベトベトになって幕が下りる。
以上が作品の流れだが終幕まで飽きさせない。 このような歯切れのよい構成は見たことがない。 詩、歌唱、ケーキの投げ合いなど小粒ながらグローバル的な表現が多い。 世界のどこへ持ち出してもよい品質と内容がある。 伊藤郁女はフランス語圏を拠点としているようだ。 面白い舞台だった。
*KAAT DANCE SERIES 2018
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/isitworth