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■2010年舞台ベスト10

□ 銀河鉄道の夜   演出:鴨下信一,出演:白石加代子 □ ペール・ギュント   演出:宮城聰,劇団:SPAC □ 東京裁判三部作(夢の裂け目、夢の泪、夢の痂)   演出:栗山民也,制作:新国立劇場 □ 空白に落ちた男   演出:小野寺修二,出演:首藤康之,安藤洋子ほか □ ジーンズ   演出:佐野木雄太,劇団:銀石 □ 肉体の迷宮   演出:和栗由紀夫,関典子,舞団:好善社 □ 田園に死す   演出:高野美由紀,劇団:A・P・B-TOKYO □ 砂町の王   演出:赤堀雅秋,劇団:THE SHAMPOO HAT *並びは上演日順。 選出対象はこのプログに書かれた作品(感想文無いものあり)。 今年は8作品のみ。 映像は除く。

■嫌な世界

■演出:喜安浩平,出演:ブルドッキングヘッドロック ■新宿・サンモールスタジオ,2010.12.17-31 ■最初の火星旅行の夢を見る場面はとてもいい。 多くの俳優がここで登場し後場面を関係付けるので再帰的な構成に出来上がり物語に深みが出る。 そしてひさしぶりに観客席で笑ってしまった。 日常生活での相手を揶揄するセリフが核心をついている場面が多かったからだ。 また東京の下町工場地帯の庶民生活も面白く描かれていた。 上演時間が3時間弱もあったが気にならない。 後半で現実になる火星旅行は遣り過ぎである。 無いほうが面白いストーリになるとおもう。 夢だけで十分である。 SFの導入は苦しい時の神頼みだが、まだその時期ではないだろう。 *作品サイト、 http://www.bull-japan.com/stage/iyanasekai/

■ディオニュソス

■演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■吉祥寺シアター,2010.12.24-26 ■衣装は歌舞伎、動作は能、セリフは能・狂言の舞台ね。 そして照明も音楽も言葉も全て俳優の身体に入り込み、一つにまとまってから再び身体から発散しているようにみえる。 その逆に俳優やセリフや照明や音楽などに分けて観るということはしない。 つまり不可逆性の舞台なの。 この全てを吸収している俳優の身体と観客との共振が感動を呼び起こすのね。 途中、スピーカから発する神の言葉がこの芝居の流れを台無しにしているようにみえるわ。 白石加代子の声だったようだけど生身の俳優が喋れば緊張感が持続するはず。 そして全体が様式にこだわり過ぎて固すぎる感じもしたわ。 ギリシャ劇だからしょうがないっか・・ *劇団サイト、 http://www.scot-suzukicompany.com/works/03/

■ブラボーO氏へ

■出演:上杉満代,大森政秀,武内靖彦 ■テルプシコール,2010.12.22-23 ■O氏とは大野一雄のこと、多分ね。 大森の手足の動きは安定していてエスプリもあり観ていて気持ちがいい。 途中上杉と大森は衣装を替えたけど、どちらも似合っていたわ。 二人は音楽との相性も良かった。 武内のゆっくりとした登場時の動きは素晴らしい。 でもその後は動きが大胆になり過ぎた。 しかも白塗りで無いから肉体が前面に出てしまった。 このため都会=大森と田舎=武内がぶつかっているような舞台になってしまった。 結局は武内が浮き上がってしまったのよ。 個性有るダンサーが3人登場するのは難しいことなのね。 でも普段は観ることの出来ない関係性が表現できていたから良しとすべきかな。

■ガラパコスパコス

■作・演出:ノゾエ征爾、出演:はえぎわ ■こまばアゴラ劇場、2010.12.17-29 ■ http://haegiwa.net/next/22/ ■老人ホームから逃げ出した老女が大道芸人をしている主人公と生活するストーリのようね。 チラシを見るとこの劇団は老人ホームで実際に芝居をしているらしい。 それで主人公とその兄に辛抱強さが出ているのね。 それと必要な小道具類は舞台の壁にチョークで描くことで間に合わせていて経済的にもうるさいようね。 でも老女や主人公の家族も社会的にズレているし、老人ホーム社員の行動も変わってるわ。 その場限りの面白さはあるけど芝居として生きていないようにみえる。 結局は老人の進化をガラパゴス的に表現したいがまとまりきれなかった。 逆にこのような家族関係や職業観がガラパゴスに見えてしまった。 今の日本はガラパゴスで一杯ね。

■日韓アートリレー2010

■日暮里D-倉庫、2010.12.17-27 ■ http://www.geocities.jp/kagurara2000/artrelay2010 ■毎日違った出演者が登場します。 ダンスカンパニーアンジュ「その島に行きたい」、ユ・ジンギュ「韓紙」、鶴山欣也&雫境DUO「ずるだけい」、宮下省死「ほわいと・です」を観ました。 最初の韓国2グループは古臭さのある舞台です。 共産主義国と強く対峙していた為か、20世紀後半の凍結されていた生活文化が今になって解凍しているような内容でした。 アンジュにはもう少し踊って欲しかった。 鶴山欣也は身体の動きも滑らかでエレキベース系の生演奏に合っていました。 しかし変化に乏しいつまらない舞台でした。 落とし所を付けるべきです。 ところで宮下省死はついに本物の鼠になってしまったのでしょうか? 一日しか観ていないのでなんとも言えませんが、どれも即興的または一部分を抜きだしたような作品でいまいちでした。

■リア王

■演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■吉祥寺シアター,2010.12.15-21 ■英独韓日本語の4ヶ国語の上演である。 以前英語版を観た時は痛く感動してしまった。 今回はそれほどでもない。 何故か? 上演言語が日本語→○、英語→○、露語→○、英語日本語→×、英独韓日本語→×である。 ○は感動大、×は感動小の意味である。 つまり多言語に日本語が入ると何故か劇的感動が弱められる。 その理由がよくわからないが、一つは字幕に問題があるのではないか? 日本語でセリフを喋るときは字幕が出ない。 観客はそれを聞く。 他言語では字幕がでる。 そこで観客はそれを読む。 芝居を観ていてこの動作が微妙だが不自然に感じた。 観客の脳味噌内の処理が舞台で演じられている俳優の身体とほんの少しだが同期がずれてしまうような感じである。 いっそのこと日本語のセリフの場面でも字幕を入れてしまったらどうだろう。 但しこの場合は外国人が読む日本語訳で表示すべきである。 これで良くなるかどうかはわからないが・・。 *劇団サイト、 http://www.scot-suzukicompany.com/works/01/

■砂町の王

■作・演出:赤堀雅秋,出演:THE SHAMPOO HAT ■下北沢・ザスズナリ,2010.12.1-12 ■東京下町の鉄工所を背景に、スナック店の従業員やヤクザが登場し保険金目当てで二人も殺されるストーリーである。 工業地帯の汚い空をボケーッと見上げるシーンが多い。 この場面のお陰で激しい声高のセリフが多いにもかかわらず静けさのある芝居になっている。 そして純心な青年が騙され死んでいく悲哀にその静けさが加担する。 漫画に出てくるような殺人方法やセリフが多々あったが、零細工場の経営や下町の生活など描き方に力強さが出ている。 この強さと空を見つめる場面が独特なリズムを醸し出していて映画的手法の感動があった。 ひさしぶりに演劇の感動とは何か?を考えてしまった。 *CoRichサイト、 http://stage.corich.jp/stage_main/18172

■田園に死す

■戯曲:寺山修司,演出:高野美由紀,劇団:A・P・B-TOKYO ■ザムザ阿佐谷,2010.11.26-12.5 ■寺山修司のエッセンスが一杯詰まっていたから、2時間半だけどアッというまに過ぎてしまったわ。 舞台は荒っぽいところが多々あるけど良く練れていた。 再々演だからかな。 そして舞台はとても懐かしい感じがしたの。 途中、演出とは知らず客席から駄目押しが出たのはビックリ! 蝋燭や燐寸の火を多用することで舞台に深みが出てたけど、東北の寺山修司のネットリとした肉体から言葉を紡ぎ出すには火が一番よ。 でも青年の寺山役は立派過ぎるわね。 もっとオドオドしなくっちゃ。 ジェニファー松井もエイリアンね。 *劇団サイト、 https://www.apbtokyo.com/about

■ストラヴィンスキー・イブニング

■演出・振付:平山素子 ■新国立劇場・中劇場,2010.12.4-5 ■平山素子の振付は肩腕を大きく速く動かしてとてもシャープに見える。 このため観ていてもついていくのが大変だ。 脳と身体がひとつになる喜びを楽しむダンスではない。 第二部「春の祭典」はこの傾向が強いので、観たままをそのまま楽しんでしまった。途中の衣装交換は時間がかかり過ぎて事故が起きたのではないかと一瞬思ってしまった。 終幕、カーペットが奈落へ落ちていくところはとても面白い。 物語性の強い第一部「兵士の物語」は振付に言葉が付着してスローになった分、ダンサーひとりひとりの動きがハッキリと見え総合力の面白さが出ていた。 チラシを真似ると、素晴らしい生演奏が物語を補強し過ぎたので<物語 X 身体>かな。 ・・ありきたりだけど。 *チラシ、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/pdf/20000354.pdf

■肉体の迷宮

■原作:谷川渥,振付:和栗由紀夫・関典子,出演:好善社 ■日暮里サニーホール,2010.12.3-4 ■何も無い空間の舞台です。 これは映像を使う為だと知りました。 衣装替えをしながら和栗と女性ダンサーたちが踊ります。 1920年代のメカニカルな雰囲気の舞から赤と黒服の宗教的な舞迄の6章?で構成され飽きの来ない流れでした。 和栗がゆったりとした白の夏スーツで踊るところ、大野一雄の再現が印象に残りました。 女性たちの艶めかしさが和栗の肉体が迷宮で彷徨っている原因に見えました。 そして終章の関典子の凛とした振付が全体を引き締めたようにおもいます。 映像はダンサーの身体が薄くなり成功とは言えないでしょう。 使用するなら映像内容を厳選すべきです。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/23191

■測量

■作・演出:横田修、出演:タテヨコ企画劇団 ■笹塚ファクトリー、2010.12.1-12.5 ■ http://tateyoko.com/next/sokuryo/index.html ■温泉旅館と言えば会社の慰安旅行だ。 そのためか旅館ロビーの舞台は親近感がある。 そこには測量器具らしきものが幾つかぶら下がっている。 タイトルも謎だ。 幕が開いてすぐ、俳優の話し方に日常世界から少しずれた聞こえ方を感じた。 リアルさが出ていない。 意識的な演出かと思って観ていたがどうもそうではないらしい。 これが日常のしゃべり方だと思って喋っているようだ。 会話の位置づけがしっかりしていないのだろう。 ストーリはありきたりな内容である。 個々の事件も付け足しに見える。 そしてこのままズルズルと終わってしまった。 謎も解けない。 どうもよくわからないが、ひどい芝居を観たということだけは確かなようだ。

■令嬢ジュリー

■原作:J・ストリンドベリ,演出:毬谷友子 ■赤坂レッドシアタ,2010.11.27-12.2 ■奥行きがありそうでないような、正面に階段と小さな窓があり先が見えない舞台構成。 芝居に似合っているわね。 ・・伯爵令嬢って何なのか観ていて考えてしまったの。 ジュリー役が毬谷友子だからよけいにそうだわ。 かわいいくて時には姉御のような令嬢で独特な声調の日本的な感じのジュリーを演ずる。 まさに彼女にぴったりね。 このため当時の社会情勢などを抜きにした閉じられた舞台のように見える。 逆にジャンは出世欲が言葉にでているのでぶれていない。 ジュリーの感情の流れは楽しめたけど感動は少なかったわ。 何かが足りない・・、それより何かが多過ぎるのよ、、きっとね。 友子、これからどうするの? *劇場サイト、 http://www.red-theater.net/article/13727451.html

■巨大なるブッツバッハ村

■演出:クリストフ・マルターラ,美術:アンナ・フィーブロック ■東京芸術劇場・中ホール,2010.11.19- ■会場はガランとしています。 舞台の前面とA~E座席は使用していないからです。 このため役者との距離があり覚めた雰囲気の上演でした。 舞台はヨーロッパのどこかの待合室です。 特に壁紙のデザインが日常生活そのままを持ってきた感じに強めています。 音楽劇ですが舞台の倦怠感と曲がよく似合います。 金融危機以後のヨーロッパの人々の心の持ち様が出ていました。 この芝居のように物語性や劇的さが無い芝居は、観客と舞台のリズムの同期を取るのに長い時間が必要です。 上演時間は長かったのですがリズムを得るタイミングがありませんでした。 観客は飽きてしまったはずです。 また壁に映し出された日本語訳ですが、「クソ野郎」は漫画ならともかく実生活では聞いたことがありません。 「くおん」は仏教語ですがたぶんキリスト教のある言葉を翻訳したのでしょう。 それ以外でも状況が掴みとれない箇所が多々ありました。 翻訳の不味さも飽きてしまった理由の一つです。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage_main/17607

■中庭にリング

■作・演出:矢内文章、出演:アトリエ・センターフォワード ■シアター風姿花伝、2010.11.17-24 ■ http://www.centerfw.net/4-nakaniwa/nakaniwa-top.html ■アパートの住人が老後を支えあうコミュニティを作ろうとするが資産運用で破産する物語である。 カネでのドロドロした人間関係や政治も絡めた共同体などの問題は一度は参加しないとわからないということだ。 アパートの各部屋が舞台周辺に透視設定されている構成なので全体の動きがよく見え中庭も強調できて全体に安定感が出ていた。 セリフや場面切替に粗さがあったが逆にこれが芝居の流れを生き生きとさせていた。 爆弾で誰も逃げなかった後に居候の言うセリフがよかった。 しかし観終わった後に芝居の感動はすぐ消え失せてしまった。 それは日常生活を誇張し過ぎている面白さだけだから・・。 次は中庭から飛び出てまずは1ラウンド3分間から戦うしかない。

■ところでアルトーさん、

■演出:三浦基,出演:地点 ■東京芸術劇場・小ホール,2010.11.19-23 ■朗読劇に近い芝居のためセリフに集中して観ていたがそれだけでは終わらなかった。 「たましい」と声に出すときの俳優の動作で言葉が身体そのものからの分身のように見えた。 手紙の中の「ボク」を手信号の動きと声を強調して読むところもそうだ。 アルトーのおもいが伝わるようだ。 キリスト教の話しはよくわからなかった。 残酷演劇とは肉を切るとか血を出すことではなくむしろ制度に関係しているようだ。 一部のセリフで自分なりの解釈と納得を同時におこなった為、観終わった後はカタルシスを伴った疲れがでた。 *F/Tフェスティバル・トーキョー2010参加作品 *作品サイト、 http://www.festival-tokyo.jp/10/program/chiten/

■現代能楽集「春独丸」「俊寛さん」「愛の鼓動」

■作:川村毅,演出:倉持裕,出演:岡本健一,久世星佳,ベンガル,西田尚美ほか ■三軒茶屋・シアタートラム,2010.11.16-28 ■能「弱法師」「俊寛」「綾鼓」が原作よ。 「俊寛さん」は狂言風に仕立ててあるわ。 「春独丸」は母子の愛情、「愛の鼓動」は刑務官と死刑囚との愛の物語ね。 愛がテーマでしかも死刑場面もあるけれど観劇後はサラッとした感じが残ったわ。 「春独丸」の結末は重たいし「愛の鼓動」の刑務官娘の登場は余分に見えるの。 それでも能の良き軽さを引き継いでいるのは物語に固執しなかった為ね。 映画ファンならば「賞は取れないが納得できるB級映画だ」と賛辞を送るはずよ。 *現代能楽集Ⅴ *劇場サイト、 http://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/11/post_190.html

■ありきたりな生活

■作・演出:伊藤拓、出演:FRANCE_PAN ■池袋・シアターグリーンBOXシアター、2010.11.11-14 ■ http://arborstep.system.cx/france/ ■劇場に入ると出演者と観客が組みになり舞台上でお互いに自己紹介をします。 名前は? 生まれはいつ? 好きな有名人は? 今一番の興味は? ・・・。 そして観客は靴を脱ぎそれを舞台に置いて席に座ります。 途中俳優自身の紹介が続いたり、いきなり演出家が登場して自己紹介をする場面があります。 このように芝居の途中で現実への戻しが何度もあります。 観客が自己紹介をしたことで芝居の構成がより複雑に感じます。 ここで観客の靴が舞台上にある理由が分かります。 「俳優」と俳優の「私」と「観客」と観客の「私」の境界があやふやになります。 観終わって池袋の繁華街を歩きなが自己紹介をした「私」とは誰なのか考えてしまいました。 ひさしぶりの刺激的な芝居でした。

■さようなら

■演出:平田オリザ,テクニカルアドバイザ:石黒浩,出演:ジェミノイドF,ブライアリ・ロング ■池袋・あうるすぽっと,2010.11.10-11 ■出演者であるアンドロイドのジェミノイドFはついに「不気味の谷」を越えたのか? しかし芝居が始まって直ぐに落胆する。 原因は声だ。 口が音源ではないこと、そして明らかにスピーカから聞こえた声だ。 もう一つは顔を横に動かす時に力が入り過ぎている。 この二点が「不気味の谷」さえも到達していない理由である。 観客へ3度ほど顔を向けたが正面から見た表情は横から見るより出来が良い。 そして笑顔が一番いい。 そして「さよなら」を言うにはまだ早すぎる。 アンドロイドが電気羊の夢を見るのはこれからだ。 *劇団サイト、 http://www.seinendan.org/play/date/2010?post_type=play

■いつかの森へ

■作:しゅう史奈、演出:小松幸作、出演:海市-工房 ■下北沢「劇」小劇場、2010.10.27-11.4 ■父の違う姉妹弟が過去の誘拐殺人事件や直近の放火事件、家族・恋人・近隣の問題を抱えて日々の生活を演じていく物語のようね。 結構大きな問題に直面しているので表現表情はそれなりに出ているけど、それが大事だということが伝わってこないわ。そして最後は何と無くハピーエンドで終了してしまったのよ。 出口の無い森の中で彷徨っているセリフが何回か出てくるけどそのまま森に留まってしまったようね。 観終わった後は無味乾燥な夢を見ていた感じだわ。 細部はそれなりよかったけど・・。

■こうしておまえは消え去る

■演出:ジゼル.ヴィエンヌ ■にしすがも創造舎,2010.10.30-11.3 ■林の中で男女の体操選手が床上練習をしているところから始まります。 異様な光景です。 固唾をのんで舞台を見てましたが、ロック演奏者らしき人が血を流し倒れるところで終了します。 劇的という表現がありますが、これはヨーロッパ的な劇的とでもいうのでしょうか。 俳優の身体性などから論じるこの言葉ですが、少ないセリフの中に降臨が述べられていたので宗教が絡んでいるとみました。 大量の霧と光を放出した舞台のため、スピルバーグの「未知との遭遇」や古いところではドライヤー「奇跡」を思いだしてしまいました。 観劇後チラシを読んだら権威と秩序の象徴がテーマだと書いてあり予想は外れてしまったようです。 しかし感動に宗教的な感覚が入り混じっていたことは確かです。 *F/Tフェスティバル.トーキョー参加作品 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/23451

■DANCE PLATFORM 2010

■新国立劇場・小劇場、2010.10.22-31 ■ http://www.nntt.jac.go.jp/dance/pdf/20000353.pdf ■8作品が上演されたが良かったのは以下の2作品。 子供の観客が多かったがC/OMPANYを観るために来ていたようだ。 どの劇場も子供イベントが盛況だし・・、多分この流れの一環かな? 将来の観劇ファンは大切にしなきゃいけない。 しかし場内に響いていた子供たちの笑い声が耳に残ってしまった。 ・高瀬譜希子振付「AUTUMN HUNCH」。 剛性の中に柔軟さがあり、細部の振付も面白い。 音楽は出娑張らず引っ込まず、そして照明がなんといってもすばらしい。 質の良いデテールたちが全体をうまくまとめている。 よかったなあと心からおもう作品である。 ・原田みのる振付「果てに・・・」。 舞台は凛としていて緊張感が伝わってくる。 テーマはフィルムノワールだが振付も動きに溶け込んで奇異を感じさせない。 筋書きは不明だが映画ファンは素晴らしかった場面の思い出に浸れるだろう。

■かもめ

■原作:A.チェーホフ,演出:松本修,出演:MODE ■あうるすぽっと,2010.10.27-31 ■幕が開くと旅芸人一座の姿で全出演者が登場します。 借り舞台が作られていて雰囲気を盛りたてます。 上演中、広すぎてガランとした寂しさが漂っている舞台の周辺に、役者が座って舞台を見つめ出番を待つ姿はこの劇にとてもよく似あいました。 そして終幕、再び旅芸人のように去っていきます。 印象深い構成でした。 しかし観た後の爽快感がありません。 チェーホフはいつもこんな感じに陥ります。 「どうしてまた、チェーホフなんですか?」。 距離感を持ってみる芝居はどうも苦手です。 *劇団サイト、 http://www.mode1989.com/archives/chirashi/2010kamome17.JPG

■人形の家

■作:ヘンリック・イプセン,演出:佐川大輔,出演:THEATRE MOMENTS ■シアター風姿花伝,2010.10.27-31 ■観客にアメを配ったり、クイズをしたり、プレゼントを出したりして劇に入っていく面白い幕開きだ。 観客とのコミニュケーションをこのような形で提出する劇団は珍しい。 舞台を飾る切り絵も観客への親しみの為のようだ。 ノラとヘルメルは4人一役で演じたがこれも演出の都合ではなくて劇団内の平等主義から来ているようにおもえた。 小道具は沢山の贈物用袋と数個の旅行鞄だけ。 袋は贈物・手紙・紙幣・書類として変身し、その背後にある贈与・契約・委譲・約束を動かしていく。 これは「交換の芝居」だ。 最後にノラは交換としての離婚を決意する。 しかし離婚の経緯や感情の高まり、具体的理由は乏しいように見える。 結婚という契約を破棄するには余程の演出・演戯が必要だと再認識した芝居だ。 *劇団サイト、 http://previous.moments.jp/play15/

■新宿八犬伝-第五巻犬街の夜-

■作・演出:川村毅,出演:小林勝也ほか ■新宿FACE,2010.10.21-28 ■多用する照明カーテンの舞台で川村毅が戻ってきたことを、そして小林勝也のスローなセリフで20世紀物語に幕が閉じたことを確認しました。 この作品は犬猫を擬人化するので緊張感を持続させないと子供の芝居になってしまいます。 後半これに陥った箇所があり少しばかり白けました。 そしてミイラなど出す必要はありません。 滝沢馬琴を登場させたいのはわかりますが終幕への劇的感動が削がれます。 歌舞伎町ど真ん中での公演でしたので劇場の行き帰りも新宿八犬伝の世界に浸ることができました。 これこそが芝居の面白さでしょう。 ひさしぶりに川村毅のリズムを楽しみました。 *劇団サイト、 http://www.tfactory.jp/data/shinjuku_hakkenden.shtml

■SWAN

■作・演出・振付:長谷川寧,出演:富士山アネット ■シアタートラム,2010.10.21-24 ■白と赤の背景、赤い花飾り、チープな衣装やビニールバック。 中国内陸部の舞踊団が上海にでてきて人民劇場で公演をしている感じです。 薄汚いけれどとても面白い雰囲気です、しかし舞台で繰り広げられるダンスは何故か面白くありません。 セリフを外した振付では言葉のように正確に表現できないので粗雑さが大きく見えてしまうのではないでしょうか。 文字が一度だけ映写されましたがこれも何をしたいのか中途半端です。 言葉をどう処理するかの苦闘はこれからも続きますね。 それとダンサーの長髪の多さも面白さを減少させた一つです。 衣装のフードと絡め踊りの最中に髪がバサバサして顔も見えず酷かった。 渋谷センター街から女子高校生を連れてきてそのまま舞台に出した感じです。 社会的事件を扱っている為かもしれないがやはりダンサーの表情をみたい。 もっと中国風「白鳥の湖」も楽しめたはずです。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/10/swan.html

■ヴァンデンブランデン通り32番地

■出演:ピーピング・トム ■世田谷パブリックシアタ,2010.10.23-25 ■「楢山節考」からヒントを得た作品らしいがそれが感じられない。 日本人スキー客が登場するが笑顔や手の振り方が日本的ではない。 このような動作は日本人から見るとズレている。 住人の異常な行動はフランス的なのか?スペイン的なのか? 男女間の激しい言葉の間に入るダンスでは身体に凝縮された言語がみえる。 母語の違う他者の考えていることは決定的なところが闇だ。 この違いが異様で面白かったとしか言いようがない。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/10/32.html

■白痴

■原作:坂口安吾,脚本:ほさかよう,演出:北澤秀人,出演:726 ■下北沢OFFOFFシアター,2010.10.14-19 ■初めて行ったシアターだが下北沢に7つある劇場の一つで観客80人は入れるようだ。 役者は床から出入りしたり、ブランコで空間を活用したり、隅々まできっちり歩き3mX6mの舞台を狭く感じさせない動きをしている。 着物衣装や空襲音で戦時中の緊張した雰囲気も現れていた。 伊沢と白痴のオサヨは周囲の娼婦や傷痍軍人などと別世界にいることはわかるがしかし、みていても二人のコミュニケーションがどういうものか見えてこない。 微妙な表情で心の内を表わすのは観客からは見難い。 原作もオサヨの心情を予想して伊沢が替わりに述べる必要があったのだろう。 白痴を演ずるいくつかの困難な課題が未決のままだ。 このため二人の関係はロボットのような演戯になってしまった。 途中舞台の窓を開け駅前通りの喧騒を取り入れたが焼夷弾の落下音に聞こえて効果が出ていた。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/21254

■グロリア

■作・演出:早船聡,出演:ハイリンド,サスペンデッズ合同公演 ■下北沢「劇」小劇場,2010.10.14-24 ■舞台は滑らかさがあり一人数役も苦になりませんでした。 祖母の戦時中生活回想録では風船爆弾で死傷したアメリカ人の生活も描かれています。 若い頃の祖母は女優でいるほうが物語に深みがでたのではないでしょうか? 孫と祖母は他者の想いで正反対にいる人ですから同一男優だと無意識的混乱が生じてしまう。 たぶん演出家が祖父に似てることからこの配役にしたのでしょう。 そして若い頃の祖母がキリスト教の友だちに嫌がらせをした理由をハッキリとセリフに出してもよかったのでは? 祖母がキリスト教病院に入院している事にも繋げられるし讃美歌も実感が伴って聞こえたのではないでしょうか? 戦争での多くの死者と祖母の死から生の貴さを思い出させてくれる芝居でした。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/troupe/5406

■口笛を吹けば嵐

■脚本:清末浩平,演出:川口典成,出演:ピーチャム・カンパニ ■神楽坂・シアターイワト,2010.10.14-20 ■チラシの「今こそアドベンチャー!都市のドラマツルギーに地殻変動を呼び起こす!」をみて劇場へ腰を上げました。 親分の夢を子分が、演劇を目指す若者を社長が、先回りをして壊していくストーリです。 閉塞感がベースにあります。 親分子分関係、汚れた警官、人材派遣業、飲み屋やパーティのセリフや雰囲気はとても面白いのですが古臭い映画の一コマのようです。 閉塞感を絶ち切り最後は演劇巡業で世界へ旅たちますがインパクトがまったくありません。 既に世界中に第二の大佛がいますから。 観劇後の一言としては生身の俳優で一昔前のテレビドラマを見たようでした。 で地殻変動を呼び起こしたか? 「人間」の全体像追及のあまりにリアリティが薄れてしまいミイラ取りがミイラになったようです。 ところで上演中、舞台正面を開け外の道路・歩道をみせる場面では、そうだ芝居に来ているんだ!と実感しました。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage17065_1.jpg?1463103511

■砂と兵隊

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■こまばアゴラ劇場,2010.9.16-10.6 ■「冒険王」達がついにホテルから飛び出たらしい。 しかしオリザのあの会話のリアリティがいつものように長続きしていない。 砂漠に沁みこんでいくようだ。 それは軍隊が持っている力のせい? 新婚旅行中の旦那が射殺されてからピリッとしてくる。 終幕、兵隊のエンドレスのセリフが不条理に駄目押しして効果的だ。 結局、冒険王は「冒険王」のままだ。 フランス語の上演があるようだが観たいものだ。 しかし仏語がわからない。 日本語訳の字幕を見るから同じことか・・。 つまり仏語の上演はフランス人に生まれ育っていなければ観てもつまらないということかな。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2010/09/seinendan/

■やわらかいヒビ

■脚本・演出:北川大輔、出演:劇団カムヰエッセン ■三鷹市芸術文化センター、2010.10.01-10.11 ■幕が開いた導入部は現実から芝居へ入っていく快さが十分に出ていた。 物語の肉の部分をSFで補い、骨は日常生活の会話で進める弱小劇団がよくやる手法を取っている。 アカデミアという科学組織への入会や脱会の話しである。 会員になると死が無いらしい。 主人公は脱会した妻を病院のベッドで殺してしまう。 しかし殺すという行為・理由がいまいち迫ってこない。 それは肉と骨が噛み合っていないからだとおもう。 そして母と子、先生と先生、研究者と研究者の対立場面はそれなりにリアルだが昼のテレビドラマを見ているようだ。 場面切替が多いから余計にそうだ。 芝居でなくてもよいのではいかとおもってしまった。 

■「第三エロチカの時代」解散記念展

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2010/10/blog-post_2.html

■JTAN FESTIVAL 2010

■出演:ワタクシー,OM-2,劇団ING進行形 ■神楽坂DIE PRATZE,2010.9.27-10.3 ■開催期間中は毎日違う劇団が出演します。 9月30日を観ました。 ダンスと思いきやジャンルにとらわれないパフォーマンスでした。 ワタクシー「タイトル未定」?はビデオに映る俳優と舞台の俳優が会話をする作品です。 目新しい方法ではないため印象不足は否めません。 OM-2「パフォーマンスNO.4」はスクリーンに映画ローレンスオリヴィエのハムレットを上映しながら俳優が胃カメラで自分の体を覘いたあと他役者がドラム演奏などをする作品ですが、オリヴィエのハムレットがどれだけ素晴らしいかを再認識しただけでした。 劇団ING進行形「かもめ-断章-」はチェーホフを下敷きにした会話ダンスというようなものです。 ニーナのブラック志向的な会話や表現、コロスの面白い使い方、そして小刻みな踊りで黒色を基調とした舞台を劇的にまとめています。 劇団ING進行形を知ったことは今日の収穫です。 *CoRichサイト、 http://stage.corich.jp/stage/22696

■ジーンズ

■作・演出:佐野木雄太、出演:劇団銀石 ■ザムザ阿佐谷、2010.09.29-10.03 ■主人公は進化論者ダーウィン、そして妻の体内にいる胎児が夢見る物語?です。 胎児は人類の進化の全てを体現してから生まれてきますが、その数十億年の流れから深海魚や恐竜・哺乳類・鳥類などの話題を取り出し恋愛を絡めながら未来へ生命が続いていく異類婚姻譚としてまとめています。 生物学や人類学を現代人に合うように変形し取り込んで修飾豊かな芝居を作っています。 言葉の力が俳優の身体を生き生きさせています。 面白い芝居でした。 小劇団の中では見応えがあります。 ザムザ阿佐谷は木の柱や土?の壁で作られていて古い寺の土間で芝居を演じているかのような錯覚に陥ります。

■DANCE SHOW CASE IN DBB

■監督:二見一幸 ■DANCE BRICK BOX,2010.9.18-26 ■東京西郊外にあるDBBでのライブ・パフォーマンスです。 二見一幸が年に一度開催しているようです。 Bプログラム5グループのダンスをみました。  冴子振付の「稜風曲」は二人ペアのダンサーが鏡対象で踊り視覚リズムが感じられ面白い作品でした。 エンディングがハッキリしなかったのが心残りです。 田保知里「SURF」は青色を基調とした舞台が踊りの激しさを抑えていて均衡と不均衡が混ざり合ったなんとも言えない踊りでした。 幸内未帆「FORWARD」は体操をベースにしたユーモアあるダンスですが今ふり返るとまとまりが無いように感じます。 二見一幸「ダンツァ・ディ・トランセ」は観客を知りつくした踊りです。 リズムが心地良く観てるほうの身体も喜びました。 このような何人もの振付家のダンスをまとめてみれるのはすばらしい企画です。

■ヘッダ・ガーブレル

■作:ヘンリック・イプセン,演出:宮田慶子,出演:大地真央,益岡徹 ■新国立劇場・小劇場,2010.9.17-10.11 ■しばらくは配役の関係説明が続きます。 判事の登場で物語が動きだします。 そしてレーヴボルグが登場したあとは舞台から目が離せなくなる。 面白くなる場面で休息。 コーヒを飲んで精神を集中させ後半に備えました。 しかし後半は緊張感が続きません。 本の原稿が出てきてしまったからです。 次が銃です。 モノの話題がうまく人間関係の深みに繋がらないと面白みが半減します。 これに陥りました。 原稿を返却しない場合の良い手続きはあるのか? 銃を渡したことをどのように弁護すればよいか?等々舞台を観ながら考えてしまったからです。 終幕近くは再び盛り上がりましたが原稿や銃のおかげで感動が減少しました。 判事の最後のセリフ「ふつうはし(な)ないんだが」がよく聞き取れなかった。 劇を終わらせるセリフなのではっきりしたいところです。 ヘッダがとてもクールな感じなのでパンフレットの俳優をみるとなんと大地真央だと知りました。 彼女を舞台で見たのは初めてです。 彼女のロボットのようなしゃべりかたはもちろん演出なんですよね。 父の肖像画を見上げる時の彼女の意識・無意識の内はわかりません。 だぶん日本人とは違うのでしょう。 このような場面は原作を読まなければ観てはいけないのだと言われてるようです。 *NNTTドラマ2010シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000322_play.html

■伝説との距離

■作:米山和仁,演出:毛利亘宏,出演:シャチキス ■シアタートラム,2010.9.16-19 ■2時間を一気に観てしまいました。 難場面はSFを駆使し障害物を取り除いていくためストーリに澱みが生じないからです。 このため漫画のようです。 二つの劇団が合体した芝居のせいか役者に元気があります。 歌もあり楽しさが倍増しました。 おいしい料理を食べてもらうため宇宙船で出発する話です。 そして食欲を餌にして多くの問題解決を目指します。 船内の3規則、①争いをしない②武器を持たない③一人で食事をしない、は物語の流れに絡めると芝居は教育劇の様相を帯びてきます。 この規則から外れようとすると戻す力が働きます。 面白い作品でしたがセリフや行動の裏側にこの力がこびりついているのが残念です。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/14608

■カルミナ・ブラーナ

■曲:カール・オルフ,演出:笠井叡,出演:黒田育世,舞団:BATIK ■吉祥寺シアター,2010.9.10-12 ■手足を激しくそして動きまわる黒田育世の振付が前面に出ているようです。 この速さは観ていてもついていけない時があります。 この動きには思想が無いとおもってしまう時もあります。 演出の強引さで全体をまとめてしまったような舞台でした。 観たあとホッとした安堵感を持ちました。 タイトルはドイツ世俗的歌曲名らしく力強いオペラを聞いているようです。 チラシには音楽とダンスの結合について書かれていましたがそこまで気にかけないませんでした。 BATIKは踊っていて首や肩の動きがみえないほどの長髪ダンサーが多いですね。 激しい動きですから束ねるか短くしたほうが型がハッキリみえてスッキリするのではないでしょうか。 そして10人のダンサーが踊るには吉祥寺シアターは少し狭すぎます。 笠井叡は舞台から飛び出してばかりいました。 しかしこれは休むため・・・? *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/19715

■kRUMI-2

■演出:小林嵯峨,出演:NOSURI ■日暮里・d-倉庫,2010.9.3-5 ■場内には肌色のチューブや赤い布がぶら下がっていたり、ダンサーの腹からこれを出したりオドロオドロしい舞台でした。 舞台に置いた洗面器の水が飛び散り否応なしに体液や内臓を意識します。 小林嵯峨は最初と最後に登場しましたがさすがに存在感があります。 2時間の大部分は若いダンサーが舞台を埋めましたが肉体だけが前面に出て息苦しい感じがしました。 小林嵯峨と若手が分離してしまったようにみえます。 若いダンサーは肉体をのたうち回り彼女はそれを乗り越えているからです。 d-倉庫は初めて行きましたが2階が入口とコーヒも飲めるホワイエ、1階が舞台と客席で全体がコンパクトにまとまっていて倉庫以上でした。 *作品サイト、 http://kobayashi-saga.holy.jp/kRUMI_2/flyer_kRUMI_2.html

■エコダ・デ・ダンス2010-ポストモダン世代の舞踊家たち-

■ 日本大学芸術学部江古田キャンパス,2010.8.31-9.1 ■新設江古田キャンパスに足を運んで来ました。 キャンパス建築のコンセプトは学生の引き立て役に撤する、と聞いています。 芸術とは無縁のような無機質の感じがする空間で垣根がなくて解放感があります。 周辺に高木が植えてあれば最高だとおもいます。  今回は70年代後半のダンス回顧がテーマのようです。 加藤みや子「あらべすく」は70年代はこんなにもオットリしていたんだ!とおもえるほど観ていて精神に余裕が生まれる作品です。 厚木凡人は新作ですがひさしぶりの顔見世といったところです。 黒沢美香も新作のようでしたが全ての動きにダンスとしての上手さが出ていました。 番外ですがアメリカ出身ジェシ・ザリットは筋肉の動きに特徴があるダイナミックな踊りで感動しました。 時間があったのでゼミ「メレディス・モンクを巡って」に出席しました。 ビデオは楽しめましたがモンクの紹介程度で終わってしまいガッカリです。 ゼミ「市川雅回顧」にも出席して本テーマを確認したかったのですが予定が取れませんでした。 *CoRichサイト、 http://stage.corich.jp/stage/23007

■悪役志願

■作・演出:赤澤ムック,出演:黒色綺譚カナリア派 ■座高円寺,2010.8.20-26 ■時代は売春防止法施行の1950年代のようです。 舞台はレトロな感じがでています。 娼婦は明るさが満ちています。 セリフもハキハキした調子で快く響きました。 しかしストーリは途中から予期せぬ方向に進みます。 勤め人ハシと妹テコの結婚式で幕が閉じます。 娼婦たちが去ったあとから戯曲に疲れが出ていてとても残念です。 観劇翌日になんと、赤澤ムックは女性だと知りました。 結婚式の終幕や勤め人ハシに父娘関係が表れているのはこの為でしょうか。  そして美術が新宿梁山泊に似ていると感じたのは唐十郎の系列のためでしょうか。 タイトルの意味がよくわかりません。 すべての役者が悪人も悪役も持っていたように見えたからです。 黒色綺譚を観たのは初めてですが、唐十郎であるカラスの衣を纏ったカナリアのような芝居をする劇団とみました。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/21856

■フーガの技法とオイリュトミー

■演出:笠井叡,演奏:高橋悠治 ■吉祥寺シアタ,2010.8.22-23 ■暑さが残る夕方でしたが、涼しそうな衣装やすべるような動きを見て汗がひっこみました。 男性ダンサーは体格が良いので女性がみすぼらしくみえました。 しかも男性は腕の伸ばしがハッキリしていて余計大きく見えたのも原因のようです。 フーガの技法で振付をするのは誰にでもできそうな音楽ですが展開を意識し深みに到達することは容易ではないように思います。 残念ながら中途半端な踊りに見えました。 いつもはグレン・グールドのCDを聞いているせいか高橋悠治のピアノは聞きづらかったです。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/22314

■ロックンロール

■作:トム・ストッパード,演出:栗山民也,出演:市村正親,秋山菜津子,武田真治 ■世田谷パブリックシアタ,2010.8.3-29 ■ロックンロールで塗りつぶされていると思いきや外れてしまいました。 途中休憩をはさみラスト直前まであくびがでる芝居です。 ストーリを長い時間で熟成させそれを最後に開花させる流れを取っています。 上演3時間の最後30分でやっと舞台に集中できました。 プラハ、ケンブリッジ、共産主義そしてロックンロールもテーマの飾りです。 教授と教え子の関係は感動する深みまで到達できていません。 他の登場人物の関係も同じです。 トム・ストッパードは初めてです。 プラハとロックを繋げて共産主義を論じるのはさすがですが、面白さが希薄なのは人物関係に劇力を与えられなかったからでしょ。 そして彼は言葉をこねくりまわし生身の俳優が舞台にいることも忘れているように見えます。 これでは演出家もフォローできないとおもいます。 役者たちは控え目で全体を引き締めていてとても良かったです。 市村正親は舞台で初めて見ましたがセリフで聞き取り難い場面があった。 仲代達矢をゆるくしたような俳優にみえました。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/08/post_185.html

■UTSUSHIMI

■演出:蝉丸,出演:黒藤院 ■神楽坂・シアターイワト,2010.8.6-8 ■夕食後に行ったので途中眠くなってしまい、ウツラウツラしながら観てしまった。 舞台が狭いので4人も登場すると振付に制約が出てしまう。 結果、手をバタバタしているだけの場面があった。 生演奏はよかったがリズムが出過ぎていてこれに身体が絡めとられ不自由さが増してしまったようにも見えた。 舞踏の無駄は面白みを増す場合もあるが、今回はもっと削ぎ落せば展開にメリハリが付いたと思う。 劇場の座布団がビニール製のため席をたったら汗でパンツまで濡れていた。 夏は通風の良いのにしてほしい。

■空白に落ちた男

■作・演出:小野寺修二 ■パルコ劇場,2010.7.24-8.3 ■笑いのある心地良いリズムで80分を観てしまった。 首藤康之は舞台上で何を考えているのかわからなくて不気味だ。 小野寺修二は顔に現れるので瞬時に何をしたいのかが分かる。 この二人のボケとツッコミが出会って面白さが倍増した。 藤田善宏は近藤良平に似てるし、藤田桃子は顔も日常的だし・・、5人の個性が程良くバランスが取れて舞台に安定感があった。 テーマから外れるが数分でよいから安藤洋子のソロが見たかった。 予備知識無しで見たのでストーリがよくわからない。 簡易なあらすじを配れば親切だったろう。 ひさしぶりのパルコ劇場だったが昔と比較して場内が小さく感じた。 ここのロビーは劇場を取り囲み赤絨毯で椅子もあり食事もでき巾が狭く祝祭的な感じが出ていて歩くと楽しい。 場内の椅子も座り易い。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/20452

■翼TSUBASA

■振付・出演:森山開次 ■世田谷パブリックシアター,2010.7.23-25 ■鼻高い面をつけて観客席から道草をしながら舞台へ上がる最初のシーンはとても素晴らしい。 踊りもしなやかさがあり観ていて気持ちがいい。 途中のピアノとのやり取りも面白い。トランペットがリズムを乱すのも心地良い。 猛暑の中、舞台で雪が飛び散るのはとても嬉しい。 しかし途中10分くらい眠くなってしまった。 50分くらいにまとめもっと集中すれば濃くなる舞台になると感じた。 先日の「鷹の井戸」そして本日の2回しか観ていないが起伏が滑らかなそして表面が細かく修飾された踊りをするダンサーだと見ました。 骨格を太く建ててそれを前面に押し出すような踊りを中心に加えるとより前進するかなあ。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/07/tubasa.html

■シラノ・ド・ベルジュラック

■作:エドモン・ロスタン,演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■新国立劇場・中劇場,2010.7.16-18 ■歌舞伎を現代風にしたような舞台です。 セリフも少し古い言葉でしゃべるので精神を集中して観ていないと置いてきぼりをくいます。 勝手に想像しながら道草をする余裕がない芝居です。 しかし俳優の喋り方や動きの流れにうまくはまり込むと芝居の感動・面白さが見えてきます。 演後パンフレットを読むとストーリはシラノの幻想であり、シラノという人物も別人という設定だと知りました。 しかしこのような複雑さは観ている時には意識していなかつたし面白さには影響がないように思えます。 ところで手紙=書き言葉にシビレてしまう女性はいつの時代にもいますよね。 *劇団サイト、 http://www.scot-suzukicompany.com/works/04/

■エネミイ

■作:蓬菜竜太,演出:鈴木裕美,出演:高橋一生,高橋由美子,梅沢昌代ほか ■新国立劇場・小劇場,2010.7.1-18 ■全共闘活動家2名が40年ぶりに訪れた大学時代の同志とその家族を巻き込んでいく話である。 職業について考えてしまった。 リストラ推進の仕事をしていた父の性格・人生観が職業で変化するなど普通には考えられない。 コンビニの交代勤務計画作成もそうだ。 またゲームプログラム作成工程も警察官の行動も疑問だ。  このような労働内容はイレギュラーとしてはあり得るが現実とは大きくズレている。 企業組織とそのコミュニケーション下で働く姿が見えてこない。 活動家に父の仕事内容を息子に向かって否定的に言わせているがこれでは活動家もたまったものではない。 しかも<職業>としての活動家は家庭を持ち現実的に生活しているものが多い。 想像力を膨らますのはよいがあらぬ方向に膨らましすぎている。 母のセリフ「何が問題なの?」は方向が見えなくなったこの芝居に対する批判だ。 エネミイは仕事=職業の中にある(?)とこの芝居は言っている(?)が、これではエネミイは見つからない。 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/20000210_play.html

■羯諦羯諦

■出演:真言聲明の会,音楽:高田みどり,構成:鈴木忠志 ■新国立劇場・中劇場,2010.7.2-3 ■高野山聲明は初めてである。 馴染みの曲では般若心経のみであった。 高田みどりが打楽器を舞台にならべ好きなようにたたいたり、鈴木忠志の車椅子が登場するが、実際の聲明を演ずる環境がどのようなものなのかまったくわからない。 葬儀を思い出してしまった。 音楽はもっとリズムのあるほうが合いそうだ、聲明だけを聞いた方が面白そうだ、謡曲のほうがもっと心地良いが、能を観に行ったほうがよかったかな・・、と観終わってからおもった。 *(SPACサイト)、 http://www.spac.or.jp/09_spring/suzuki.html

■ザ・キャラクター

■演出:野田秀樹,出演:宮沢りえ,古田新太ほか ■東京芸術劇場・中ホール,2010.6.20-8.8 ■時空を駆け巡る速さ、そして俳優の動きや台詞の妙味にいつもの良さが出ていた。 カミは抽象すぎる言葉だ。 旧作品の具体性のあるキルと比較してしまった。 書き言葉は芝居に合わない。 書道は苦肉の策か? 文字を観客に見せる芝居は好かない。 ここは井上ひさしの芝居と比較してしまった。 新興宗教も報道カメラやテレビも古すぎる。 まとまりの無い芝居だったがこれは次への実験劇か? しかし美術・映像・振付はとても良かった。 帰りにプログラムを買ったが椎名林檎の替わりに黒田育世の振付記事などを載せるのが相応だろ。 *劇団サイト、 https://www.nodamap.com/site/play/37

■鷹の井戸

■作:W・B・イェイツ,演出:梅若六郎,出演:梅若玄祥,森山開示,ヤンヤン・タン ■国立能楽堂,2010.6.26 ■梅若玄祥はさすがに存在感が有る。 森山開次の踊りもしなやかなまとまり方をしていた。 出演者は能舞台の本性から逃れることはできない。 骨と皮だけで目がギョロリンのヤンヤンタンは雌鷹が似合う。 しかし彼女の視線が定まらなかったのは能舞台の不慣れからだろう。 目の回りの化粧を控え目にしたらもっと安定した舞台に見えたはずだ。 素直な欲望の物語だから舞と謡をバネにして自由に想像の世界を飛び回ることができる作品である。 コラボの面白さが十二分に出ていた。

■夢の痂

■作:井上ひさし,演出:栗山民也,角野卓造,小林隆,福本伸一ほか ■新国立劇場・小劇場,2010.6.3-20 ■井上ひさし得意の、しかも日本人なら避ける「天皇ごっこ」の劇中劇だ。 それも観客が劇構造を意識していながらハマってしまう質の良さがある。  井上ひさしはあらゆるタイプの観客を無視しないで楽しませてくれる。 舞台も家の中の暗さと外の白い照明が日本の懐かしい夏を思い出させてくれる。 言葉の優位が過ぎる場面がある。 例えば文法の話は何回も出てクドイし、劇中劇を主語入替に強引きに対応さようとする。 しかし音楽が緩衝材になりそれを和らげてくれる。 最後まで戦争責任というテーマはブレていない、見応えのある三部作であった。 *NNTTドラマ2009シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000213_play.html

■めぐるめく

■演出:桑原裕子,劇団:KAKUTAほか ■シアタートラム,2010.5.21-30 ■これも初めてみる劇団で楽しみにしていた。 会場に入ると表現主義映画にでてくるような変形がかった階段・ベンチ・壁・窓が青白く塗られていて期待が高まる。  俳優がよく歩くので心地良いリズムが舞台に出ている。 ただしストーリーがありきたりの家族劇を抜け出ていないので、もちろん起伏はあったが、これではテーマの質をより深めていかないと壁にぶつかるのではないか?  KAKUTAの意味がよくわからないが角ばっていたので男性的な芝居だと思いきや、演出も女性のようだ。 最初から家族劇を狙っていたことも後でパンフレットを見てわかった。 しかし家族劇の好きな人には当たり障りのない良い芝居かもしれない。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/05/post_184.html

■アンダーグラウンド

■演出:タニノクロウ,出演:マメ山田,五十嵐操,上田遥,劇団:庭劇団ペニノ ■シアタートラム,2010.6.6-13 ■初めてみる劇団で楽しみにしていた。 「手術」は患者にとって異次元の世界だが医者からみればありきたりの日常世界だし健康者には無関心世界だ。 料理のしかたによっては面白い芝居ができると思う。 しかし時間が過ぎてもただ「手術」の演戯をしてるだけだ。 台詞もきわめて少なく会話の面白さも無い。 音楽も芝居と無関係に聞こえる。 だんだん失望が濃くなってくる。 グロテスクはかまわないが高校の文化祭のレベルで見世物小屋でおこなうような内容だ。 舞台を見ながら席に座っているのが嫌になってきてしまった。 帰りの世田谷線の車内でパンフレットを読んだら「手術というテーマの発想の勝利でいい意味で期待を裏切ってくれる」と阿部篤志が書いていたがしかし、悪い意味でと訂正したほうがよいだろう。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2010/06/post_188.html

■イデソロリサイタル

■振付・出演:井手茂太 ■青山円形劇場,2010.3.18-22 ■イデビアン狂うファンとしてソロを見ておいたほうが良いとおもい青山に足を運びました。 舞台に突然背広姿の中年メタボサラリイマンらしき人が飛び出してきたので劇場職員が誤って上がってしまったかと思ってよく見たら井出茂太でした。 中年メタボのため見ていても踊りが重い重いどこまでも重い感じで、このような体感は初めてです。 途中からユウモアが出てきたので重さをなんとか乗り越えることができました。 バッハの曲を所々入れていましたが全くのミスマッチです。 これは別の曲に替えるべきですね。 ソロ公演というのは遊びか真剣のどちらか両極端になりがちですが、今回は息抜きに見えました。 でも素顔がよく見えてイデビアンクルウに一層親しみが湧きました。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/19729

■過去の感想は・・

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