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1月, 2024の投稿を表示しています

■NOBODY IS HERE

■演出・振付:笠井叡,出演:山東瑠璃,大植真太郎,ピアノ:大瀧拓哉 ■東京芸術劇場・シアターイースト,2024.1.26-28 ■「・・ここには<誰もいない>ではなく、ここに<誰でもないものがいる>としたい!」。 演出家の挨拶文です。 ダンサーの頭先から足先まで薄い衣装がピタリと張り付いている。 もちろん自由に動き回れる。 目鼻口がハッキリしないので<誰でもない者>にみえます。 まさに舞踏的表現です。 生演奏のピアノを背景に二人は踊りまくる。 笠井叡とわかる振付です。 曲はベートーヴェンとバッハですが演出家の好みでしょうか? でも曲に合わせるのでダンサーの動きは忙しい。 コミカルなダンスと言ってよい。 曲に引きずられているようにみえる。   オイリュトミーダンスでは同作曲家でも滑らかな動きをしていたはずだが・・、何故このようなギザギザな振付になってしまったのか? 粗い振付は「アイデンティティを喪失していく姿」を描いているのかもしれない。 この喪失と回復が作品の要のようです。 でもテーマが重いとダンスを観る喜びは薄められます。 ところで、カーテンコールでのダンサー大植真太郎の挨拶は笑ってしまいました。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、笠井叡 ・・ 検索結果は10舞台 . *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater351/

■マルコムX

■作曲:アンソニー・デイヴィス,演出:ロバート・オハラ,指揮:カジム・アブドラ,出演:ウィル・リバーマン,リア・ホーキンズ,レイアン・ブライス=デイヴィス他 ■東劇,2024.1.19-25(メトロポリタン歌劇場,2023.11.18収録) ■3幕4時間は長い。 でもマルコムの生涯を語るには必要かもね。 空飛ぶ円盤が降りてきた舞台は未来を描いているようにもみえる。 天井の円盤に照明をあて文字を映し字幕としても使う。 子供時代の1幕では家族がKKKの標的に、そして父の殺害が風景のように描写されていく。 2幕直前にマルコムはイスラムの影響で別人と化して出所する。 ここから物語が力強く進んでいく。 農場から都市へ移る衣装の変化が黒人世界を直截に表しているわね。 ジャズ風な楽曲でいつもとは違う。 ピアノやドラムも入りリズムを強調するからよ。 20世紀前半に流行したダンスもふんだんに取り入れコーラスも途切れない。 そこにイスラムの祈りが被さる。 彼は言う「・・400年間奴隷として生きてきた。 今、自由・正義・平等を求める!」と。 しかし使徒との意見の食い違いから彼は組織から離れていく。 そして暗殺される終幕へ・・。 過激な科白が続くし・・、これは<演説オペラ>と言ってよい。 そこに歴史的風景が重なる。 でも芸術的感動は少ない。 昨年の「チャンピオン」あたりからMETの革新が途切れない。 次々と登場する新しいオペラに期待したい。 *METライブビューイング2023年作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/5442/

■唐茄子屋、不思議国之若旦那

■作・演出:宮藤官九郎,出演:中村勘九郎,中村獅童,中村七之助ほか ■新宿ピカデリー,2024.1.5-25(平成中村座,2022.10収録) ■「とうなすや、ふしぎのくにのわかだんな」を訳すと「カボチャ売り、不思議の国のアリス」。 ここでアリスは若旦那に代わる。 期待以上!流石クドカンですね。 科白の厚みが際立っている。 落語からの引用が多い為でしょう。 言葉を重ね合わせながら物語が紡ぎ出される。 それは<労働>と<カネ=貨幣>、それを越えた<贈与>と<返礼>が語られる。 「・・生きることは、みっともないことなのだ!」。 カボチャ売りに落ちぶれた若旦那へ、叔父からの言葉である。 心と体のすべてを曝け出し本気にならないとカネは稼げない。 働く、そして生きるとはそういうことだ!と。 その得たカネで貧しい母子を助ける若旦那・・。 共同体の核心を突く人情噺です。 途中、旦那役中村勘九郎がパラレルワールド吉原遊郭へ入り込み歳や身長が伸びたり縮んだりするが、ここは中村勘太郎と中村長三郎を登場させ3人一役で楽しく演じる。 久しぶりに隅田川東岸の面白さを堪能しました。 *シネマ歌舞伎2024年作品 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、宮藤官九郎 ・・ 検索結果は5舞台 . *シネマ歌舞伎、 https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/2390/

■ばらの騎士

■作:フーゴー・フォン・ホーフマンスタール,演出:宮城聰,寺内亜矢子,音楽:根本卓也,出演:石井萠水,大高浩一,木内琴子ほか,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2024.1.7-3.10 ■元帥家執事のプレトークを聴く。 オペラ「ばらの騎士」とは似て非なるものらしい。 早速場内へ。 生演奏や歌唱はあるが演劇と言ってよい。 元帥夫人の不倫相手がズボン役のため作品が生き生きしている。 そして夫人の倦怠感が随所に見られる。 ここが作品の要ですね。 しかし舞台は徐々に脱線していく。 引き回すのはオックス男爵ですか? ハチャメチャ過ぎる。 ドタバタ劇が続いていきます。 夫人が霞んでしまい高貴な倦怠の世界へ浸れない。 絶妙な均衡が崩れてしまった。 夫人が語る<時間>や<意識>などの哲学的議論が楽しい。 これはオペラでは演奏と歌唱の裏に隠される。 「時は意識と同じ速さで流れている(だから時は見えない)」「時は見えることがある(それは意識がアンニュイに向かう時)」。 終幕、彼女は時が流れ落ちていくことをオクタヴィアンに諭します。 はたして舞台はオペラと同じエキスを追求していました。 *SPAC2023秋-春シーズン作品 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、宮城聰 ・・ 検索結果は27舞台 . *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、寺内亜矢子 ・・ 検索結果は2舞台 . *劇場、 https://spac.or.jp/au2023-sp2024/der_rosenkavalier

■能楽堂一月「鞍馬参り」「二人静」

*国立能楽堂一月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・鞍馬参り■出演:茂山あきら,茂山七五三 □能・金春流・二人静(ふたりしずか)■出演:高橋忍,井上貴覚,原大ほか ■国立能楽堂,2024.12.13 ■プレトーク「形と影、二人の女」(小田幸子)を聴く。 ・・「「二人静」は足利義政の時代の1464年に勧進能として、「鞍馬参り」は豊臣秀吉1593年に上演記録がある」「両作品には<義経>が、「二人静」はそれに加えて<憑き物>がキーワードになる」「憑き物は当時は日常であった」「義経は白拍子を12人も連れ立っていた(義経記)」。 そして山中玲子論文「・・昔は一人であった」、また演者へのインタビュー「舞う時は二人揃うというより互いの個性を出すのがよい」が紹介された。 「物着」については「大口袴に履き替えるのは金春流だけである」。 などなど・・。 次に舞台を観る。 「鞍馬参り」は太郎冠者と主の間で非実体である梨(果物)の遣り取りが、また「二人静」では憑依された実体と幽霊の非実体との間に無言の遣り取りがある。 この非実体への働きかけも両作品のキーワードとしてもよいだろう。 とくに相舞の途中で両者が向き合うのだが、この両体融合の場面は劇的である。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2023/11017.html?lan=j

■能楽堂一月「三人夫」「春日龍神」

*国立能楽堂一月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・三人夫■出演:山本則秀,山本則孝,山本則重ほか □能・観世流・春日龍神(龍女之舞,町積)■出演:山階彌右衛門,林本大,武田祥照ほか ■国立能楽堂,2024.12.6 ■観応えのある2舞台だった。 「三人夫(さんにんぶ)」は三国の百姓が年貢を納めに上京する話である。 三人が連れ立って上る場面、年貢を納め歌を詠み祝酒を頂戴する場面、そして舞を舞いながら帰郷する場面、どれもが明るく楽しい。 左右上下の人間関係がすべて共感で繋がっている。 年初に相応しい。 「春日龍神」の小書「町積(ちょうづもり」は初めて聴いたが科白の長さに驚いてしまった。 長安へそして天竺へ渡航する明恵上人の思いを留まらせようと末社の神が10分近く喋り続ける。 神は正月返上で暗記をしたはずだ。 これでは明恵上人も諦めるしかない。 龍女が天女ノ舞、続いて龍神の激しい舞働で新年の元気を貰えた。  面は「小牛尉」から「泥顰(でいじかみ)」へ、後ツレは「龍女」。 全ての場面が充実していた。 お年玉宝くじが当選したような気分で千駄ヶ谷を後にした。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2023/11016.html