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■魔笛

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:ナタリー・シュトゥッツマン,演出:サイモン・マクバーニー,出演:エリン・モーリー,ローレンス・ブラウンリー,トーマス・オーリマンス他 ■東劇,2023.7.14-27(METメトロポリタン歌劇場,2023.6.3収録) ■演出家サイモン・マクバーニーは2008年の「春琴」を最後にみていない。 2010年以降の彼は映画俳優とオペラ演出に力を入れていたようね。 でも演出は年を追うごとにエントロピーが高くなっていた。 この舞台はその極致にみえる。 生の映像・音響を使用してライブ感覚に重きを置き、擬音・撮影・影絵はもちろん、ピットからはみ出す演奏、通路を渡り歩く歌手・・。 「走り回ったりして動きが大変!」とインタビューで歌手たちは口を揃える。 先日の「ドンジョバンニ」から担当の指揮者シュトゥッツマンは「・・この作品はジョヴァンニと違いより未来的である」。 そこに演出家は「モーツァルトの信念、それは行動や思考を変えること」を舞台に乗せようとした。 「死の暗闇でも明るく進もう!」と。 一つ一つの場面はとても計算されている。 場面の繋ぎは紙芝居をみているようなリズムがある。 それは軽やかな散文詩の歌芝居だわ。 フランス革命のなか、不安と喧騒の1791年の劇場を作り出した! 高エントロピーを巧く操作した指揮者と演出家の目論見は当たりかな? 「魔笛」ほど演出に差がでる作品は珍しい。 でも、W・ケントリッジの落ち着いた演出も捨てたもんじゃない。 *METライブブューイング2022作品 *劇場、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/4681/

■領域

*下記の□2作品が上演された. ■めぐろパーシモンホール・大ホール,2023.7.14-16 □Silentium ■演出:金森穣,衣装:宮前義之,音楽:アルヴォ・ペルト,出演:金森穣,井関佐和子 ■「二人だけで踊り続けたことはない」。 Noismの舞台では初めてらしい。 蝋燭台が下手に置いてあり、所々に落ちてくる砂の中で金森穣と井関佐和子は踊り続ける。 三宅一生を少しばかり修飾した金色の衣装がハレを感じさせます。 二人が向き合う、というより二人が同じ方向へ進んでいく過程を描いたようにみえます。 至福の時を持てました。 □Floating Field ■演出・振付:二見一幸,衣装:堂本教子,音楽:ドメニコ・スカルラッティ,7Chato,出演:浅海佑加,井本星那,三好綾音ほか,舞団:Noism1 ■「境界」(2021年)は山田うんがNoismへ振付けた。 今回の「領域」は二見一幸です。 山田と二見は金森とは真逆な舞台をつくる。 前者二人は世俗で後者は超俗と言ってよい。 前者の世俗は個人と組織(社会)にまた分かれる。  つまり二見は世俗で組織な舞台です。 具体的には会社のようなものを想起させる。 衣装は例えばスーツになり、振付は組織での人間関係が見え隠れする。 途中ピアノ場面があったが気に入りました。 音楽と振付の一致が私好みです。 ピアノ以外は忙しい。 二見の舞台はこの10年間ご無沙汰していました。 彼をホールでチラッと見たがエネルギッシュな姿には変わりがありません。 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、二見一幸 ・・ 検索結果は3舞台 . *劇場、 https://www.persimmon.or.jp/series/2023022215145552045.html

■少女都市からの呼び声

■作:唐十郎,演出:金守珍,出演:安田章大,咲姫みゆ,三宅弘城ほか ■ミラノ座,2023.7.9-8.6 ■ガラスに直結する映像と照明を多用しながらも蜷川幸雄を思い起こす群像場面がある。 近未来と近過去を行ったり来たりする展開に眩暈がします。 この夢と現実の大げさな往復が新劇場へ接近していく方法なのですね。 「なんてジメジメした陽気だろう」の幕間劇も外していない。 肥後克広と六平直政が演じる二人老人は楽しい。 終幕の病院待合室でもう一度演じてもよかった。 田口兄妹の安田章大と咲姫みゆは歌唱も巧く主人公にお似合いです。 フランケ博士と看護師の三宅弘城と桑原裕子も力強い演技で広い舞台を引き締めていた。 桑原さん!昨年の「 ロビー・ヒーロー 」面白かったですよ。 そして連隊長がフランケ博士を呼ばないで歌いだすのは余計なお世話です。 先週で花園神社テント公演が終了し、今週から当劇場で、この秋には下北沢で当作品を3連続上演するようです。 ところで今日の終幕はビー玉を転がしましたね。 これを見て思い出しました。 1993年11月スズナリ公演でビー玉を転がしたことをです。 今日はその数100倍でした。 演出家金守珍の意気込みが伝わってきます。 *THEATER MILANO-Zaオープニングシリーズ作品 *COCOON PRODUCTION2023作品 *劇場、 https://milano-za.jp/events/article?id=15

■アダムとイヴ、私の犯罪学

■作:寺山修司,演出:J・A・シーザー,高田恵篤,出演:伊野尾理枝,小林佳太,木下端穂ほか,劇団:演劇実験室◎万有引力 ■ザスズナリ,2023.6.30-7.9 ■初めて聞く作品だが、中身は調べないで劇場にいきました。 トルコ風呂「エデンの園」の2階に間借りする家族4人の物語らしい。 立地や名前の付け方は唐十郎的です。 でも唐とは真逆の方向へ、いつもの寺山世界へ真っ直ぐに落ちていく。 その舞台は幾何学的無機質な造りになっていて床を剥がすとそこは天国・・!? 母親は禁断の果実の林檎をいつも食べている。 旧約聖書を意識して頭巾を被った聖職者も時々登場する。 それにしても話が進まない。 気の利いた台詞が数ヶ所あったが今は思い出せない。 聖書世界と4人の家族の結び付きが見えない為です。 後半、母と子の葛藤が見えてくる。 息子は家出をしたい! ロビンソン・クルーソーになりたい。 母を精神病院に入院させようとする場面が佳境でしょう。 前半は作者の迷い(のようなもの)が感じられた。 印象に残ったのは、家族4人各々の存在感が出ていたことでしょう。 特に母と二人の息子は科白に淀みがなく声も良く動作にも切れがあった。 若すぎる母は色気もあり舞台を華やかにしていた。 息子の一人は若松武史を意識しているのでしょうか? 近頃の万有引力は舞台の隅々まで熟れている。 良い意味でも悪い意味でも安心して観ていられます。 *寺山修司没後40年記念公演第2弾 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/260731 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、高田恵篤 ・・ 検索結果は8舞台 .

■能楽堂七月「魚説経」「阿漕」

*国立能楽堂七月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・魚説経■出演:善竹十郎,大藏吉次郎 □能・金剛流・阿漕■出演:今井清隆,宝生常三,茂山千三郎ほか ■国立能楽堂,2023.7.8 ■先ずはプレトーク「原罪としての殺生」(宮本圭造解説)を聴く。 仏教の不殺生と不所有から2作品を解説する。 仏教の教えが芸能に残った理由は人々の罪を能・狂言が背負った為である。 しかも舞台に乗せることで聖なる領域に入り易くなる。 仏教と芸能のウィンウィン関係である。 「魚説経(うおせっきょう)」は60もの魚名が登場する。 仏教パロディの極致と言ってよい。 「阿漕(あこぎ)」はシテの科白が多いので最後まで緊張が続いた。 前場でシテが嵐の海に沈んでいくようす、後場では網を仕掛けてから橋掛り三の松まで魚を追い求める姿は、まさに「・・罪の所業を再現し、懺悔してこそ霊魂は浄化する」(村上湛)とおりである。 シテはこれからも地獄で苦しむようだが、久しぶりのスカッとした舞台だった。 ジメッとした7月を吹き飛ばした。 シテ面は三光尉から痩男へ。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2023/7154.html?lan=j *追記・・盲導犬を連れた客を見る。 私と同列の端二席(犬用も)に座ったが、(犬好きの私だが)今日は犬に挨拶するのはやめておいた。

■能楽堂七月「水掛聟」「砧」

*国立能楽堂七月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・水掛聟■出演:山本則孝,山本東次郎,山本凛太郎 □能・観世流・砧(梓之出)■出演:観世銕之丞,観世淳夫,福王茂十郎ほか ■国立能楽堂,2023.7.5 ■「水掛聟(みずかけむこ)」は舅(しゅうと)と聟(むこ)の喧嘩話である。 ここに嫁が入ってきて三角関係が出来上がる。 狂言はこの話に事欠かない。  「砧(きぬた)」は世阿弥の自信作と聞いている。 ・・夫が所用で都から帰らない、妻は待ちわびているが。 そのうち妻は恋慕の病で亡くなってしまう・・。 夫は律義だが妻をどう思っているのか一言も語らない。 妻は夫に裏切られたと思っている。 意味深な夫婦にみえる。 幽霊になった妻が夫に迫るが夫は手を合わせるだけだ。 そして梓弓を鳴らし法華経を唱え妻の亡霊を成仏させる。 面はシテが深井から痩女へ、ツレは小面。 ワキとツレ、ツレとシテの対話は具体的である。 しかし地謡の占有率が高い。 しかも役者たちは、歩きは多いが動きは少ない。 より存在が際立つ。 これらが重ね合わされて地謡の抽象と対話の具体が融合し独特な言葉世界が出現する。 後場には太鼓も入った囃子がこの世界に加わる。 観世銕之丞の周りに福王茂十郎、山本東次郎を配して万全を期した。 世阿弥の自信は総合力の賜物からくる。 夫は都に行ってロボットになってしまった。 だがしっかり義務を果たす。 義務は愛である。 作品はその重厚さが溢れている。 世阿弥はロボット愛を追求した。 これは未来の物語である。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2023/7153.html?lan=j

■ある馬の物語

■原作:レフ・トルストイ,脚本・音楽:マルク・ロゾフスキー,詩:ユーリー・リャシェンツェフ,翻訳:堀江新二,音楽:国広和毅,演出:白井晃,出演:成河,別所哲也,小西遼生,音月桂ほか ■世田谷パブリックシアター,2023.6.21-7.9 ■「 戦火の馬 」は等身大パペットだったが、今日は・・? 役者がそのまま馬になる! ・・的確に表現されています。 嘶きも、尻尾の動かし方も巧い。 なぜか手塚治虫を思い出してしまった。 その作品名が思い出せない。 トルストイの名も久しぶりに耳にしました。 舞台は「人生は何をもって充足したと言えるのか?」を追求している。 この問いも懐かしい。 馬のホルストメールとセルプホフスコイ侯爵の生まれ出会いそして老年から死までが語られる。 終幕、二人(馬と人ですが)の人生の充足度を比較して幕が下りる。 侯爵の生き方は現代的です。 観察は鋭く資産は有るが愛人と過ごし家族を作らない。 しかし老年は惨めな姿になる。 このような生き方があったとは驚きです。 でもロシアの伝統かもしれない。 プーシキン「 エフゲニ・オネーギン 」やチェーホフではよく見かける。 またホルストメールが去勢されたときに「風景が一変した!」と語るが、これは男として想像できます。 それより<所有>について疑問を呈する場面です。 所有とは何か? 人生の充足は所有に比例するのか? これを馬に語らせるところが面白い。 舞台は工事現場の様相です。 周囲に足場が組まれ天井からは裸電球が吊り下げられている。 音楽劇のため奏者も役者の位置づけです。 演出家得意の形でしょう。 親密な構造です。 ホルストメールの死が幕開けに演じられるという円環技法が嬉しいオマケです。 帰りにプログラムを購入しました。 でも歌詞が載っていなかったのは残念。 役者の写真がデカ! *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/1829/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、白井晃 ・・ 検索結果は18舞台 . *追記・・「危機の構造」(小室直樹著)をちょうど読んでいるところでした。 50年前の本です。 所有関係を個人から企業・国家まで広げると日本人の<所有概念>は徹底して国際音痴だと書いてある。 例えば、膨大な財政赤字を多くの日本人が許していること等々・・。 財政赤字は私有財産権に対する侵犯

■ドン・ジョヴァンニ

■作曲:W・A・モーツァルト,演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ,指揮:ナタリー・シュトゥッツマン,出演:ペーター・マッテイ,アダム・プラヘトカ,フェデリカ・ロンバルディ他 ■東劇,2023.6.30-7.6(METメトロポリタン歌劇場,2023.5.20収録) ■演出家と指揮者の名前で観ることにしたの。 演出家はこのブログでもお馴染み、でも指揮者は初めてかしら? 「建物はエッシャーを意識した」。 美術担当が言っている。 それにキリコも入っているかな? 階段とテラスだけの住めない宅、始まりから終わりまで真夜中、薄暗い広場、そこで物語が展開していく・・。 広場をうろつく黒いスーツ・ネクタイ姿の性犯罪者ドン・ジョヴァンニ。 生活の匂いがしない街角から登場する歌手たち。 ここにフリッツ・ラング的犯罪都市の異様な光景が出現するの。 ジョヴァンニ役ペーター・マッティはそれでも甘すぎる。 こうなったらサイコキラーに徹してちょうだい。 演奏と歌唱はドン・ピシャリのモーツァルトよ。 指揮者も気に入ったし、久しぶりのモーツァルトに満足だわ。 でも目(犯罪都市)と耳(モーツァルト)の分断が甚だしい。 そこが新鮮に感じられるけどネ。 身体がジワッと分断されていく不条理な感覚を楽しむ舞台だった、ジョバンニが地獄に落ちた後になんとか取り戻したが・・。 次回の「魔笛」もサイモン・マクバーニー演出だからハチャメチャを覚悟しておかないと。 *METライブブューイング2022作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/4680/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ・・ 検索結果は8舞台 .