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■PINA ー踊り続ける命ー

■監督:W.ヴェンダース,出演:ピナ.バウシュ&ヴッパタール舞踊団 ■新宿バルト9,2012.2.25- ■鉄でできた都会の風景がダンスと違和感が無いのはヴェンダースとピナの相性の良さだとおもう。 森や鉱山での撮影もロードムービーの成果がでている。 さすがヴェンダースだわ。 全体はインタビューや過去の映像を繋ぎあわせて記録映画のように出来ている。 でも映画用舞台?の春の祭典、カフェ・ミュラ、コンタクトホーフはどれも寂しさがあるの。 ピナはもういないことが隅々に漂っているからよ。 しかもピナが登場する場面だけがとても遠くに感じる。 ダンサーを近くから撮影するからタンツよりテアトルに比重が傾いている。 3D映像の影響もあるのかしら? ダンサーが時々人形のようにみえる。 ピナの新作を見ているようだわ。 ピナの最後の激しさをヴェンダースは優しく包み込んだのね。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/56953/

■女王の器

■作・演出:松井周,出演:劇団サンプル ■アルテリオ小劇場,2012.1.17-26 ■女王や性転換?の登場やセックスの話題の多さから、半年前に読んだ「恋するオスが進化する」という本について考えてしまった。 異性間選択・性的対立・繁殖コスト・性転換など、この10年間の生物学の成果を当てはめると芝居の動きがよく見える。 でもこの劇の面白さは、舞台脇にいて舞台を見つめ登場を待つ役者と、意識して少し力んで台詞を喋っている役者の差異の面白さを背景に、舞台の構成やそこに散らばった小道具が言葉と同じ位置を占め、科白の間に挟まって観客に届くところにある。 それは方向性の無いもどかしさが含まれているので観客の脳味噌で炭酸のように発散して軽い倦怠ある快感がやってくるから。 ところで役者たちの顔を観ていて前回作品>>96を思い出した。 舞台の土手や夕焼けがとても印象深かったことなどを。 この作品も舞台構成が面白いので印象に残るだろう。 布の下で這いずり回ったことなども。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/32694

■お伽草子

■作:太宰治,戯曲:永山智行,演出: 三浦基,出演:劇団うりんこ ■KAAT,2012.1.13-3.18 ■ドラゴンズファンのお爺さんが出迎えてくれたのよ。 さすが名古屋の劇団ね。 舌切雀、こぶ取り爺さん、カチカチ山、浦島太郎・・が戦時の空襲下で演じられていくの。 でも物語は時空が飛々で混沌としていてどこか異様さが漂っていているわ。 個々のお伽話は完結していないけど、観終わった時に一つにまとまっていくような感慨のある芝居になっているようね。 あとになって面白さが滲みでてくる感じだわ。 そして全国ツアー作品だけあって力強い舞台だった。 アフタートークで子供演劇が話題になったの。 「大人と子供を分ける演劇など無い・・」「子供は大人の観方を真似て芝居の良し悪しを鍛えていく・・」と三浦基が言っていたけどその通りね。 そして「太宰の待つ生き方が表れている作品である。 待って待って待ったまま死んでいくのが人間である・・」、・・なるほどね。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/urinko

■海神別荘

■作:泉鏡花,演出:成井市郎・坂東玉三郎,出演:坂東玉三郎,市川海老蔵 ■東劇,2012.2.18-31(歌舞伎座,2009.7収録) ■來世へ行った者は現世を忘れなければいけない。 「竹取物語」の昔からの決まりです。 でもそれができない。 しかし公子は愛が本物になると確信したので許す。 愛は未来へのベクトルだから。 公子と美女や側近との対話には多くを考えさせられました。 「天守物語」でもそうだったのですが、海老蔵は舞台では日常性を持ち込まないからとてもクールですね。 玉三郎は顎が老けた感じかな。 「これは歌舞伎か?」と玉三郎が言っていましたが鏡花本来の良さが出ていてとても面白く観ました。 たくさんの魚や花の名前が出てきて具体と抽象の入り混じったセリフは楽しいですね。 そして空間の広さと時間の流れがゆったりとしていて心地良かったです。 今回は音声がイマイチでした。 *シネマ歌舞伎第16弾作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/17/#sakuhin

■田園に死す

■作:寺山修司,演出:天野天街 ■スズナリ,2012.2.9-19 ■計算され尽くした細かな場面展開が表層を滑っていくようね。 歯切れが良過ぎて寺山の深さが出てなかったけどとても面白く観たわ。 そして個の記憶=自分探しは少年王者館が得意としているからピッタリかも。 でも記憶の修正の失敗=自分探しのループで終わってしまった。 それは寺山修司が上演中の芝居を観るためスズナリの階段をあがって行くところで幕が閉じるからよ。 ところで繰り返しの多い細かな舞台リズムのためか後半最後の方は疲れてしまった。 これはミニマル・ミュージックと同系列のミニマル演劇だわ。 少年王者舘を観ていてもそれを感じていたの。 寺山への新しい適用かもね。 これも面白かった理由の一つね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/32789

■奴婢訓

■作:寺山修司,演出:J・A・シーザ,高田恵篤,劇団:演劇実験室◎万有引力 ■シアタートラム,2012.2.15-19 ■若手俳優を起用と書いてあったけど公演数が多い作品の為か熟れていてとてもよかった。 体操器具のような道具が沢山でるから場面の切替に間延びが生じて思考が中断する問題も今回はクリアしていたしね。 この作品は寺山特有のネットリ感が少ないしセリフも機械的な喋り方があるから肉体と言葉が融け合わないの。 これはJ・スウィフトと宮沢賢治の関係にも言えるわ。 この差異をなんとかして劇的感動にまで持っていけるかがこの芝居の醍醐味かもね。 これも今回は持っていけたと思う。 多分劇場の大きさも絡んでるからよ。 前回の新国立劇場の時よりずっと冴えていた。 「神が人の前に現れないのは顔が醜いからだ・・・・・」。 ダリア?の最後のセリフは主人の不在理由を驚きの言葉にして、舞台床を転げ跳ね回り、そして静寂のあと光り輝く背景へ歩いていく終幕は最高よ。 *劇場サイト 、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/02/post_264.html

■カラス

■振付:ジョゼフ・ナジ,音楽:アコシュ・セレヴェニ ■世田谷パブリックシアタ,2012.2.15-17 ■ナジの描く絵とセレヴェニのサキソフォンが同期を取りながら進んでいく。 打楽器を追加しながら鼻や藁でカンバスに墨を擦っていく。 最後に墨の入った大きな壺にナジがはいり床のカンバスをのたうち回る。 「書」の世界を垣間見た感じだ。 観客の拍手に力がなかったのも日本ではよくみるようなパフォーマンスだからか? さすがナジだけあって洗練されてはいるが。 「ヴォイツェック」以降試行錯誤の連続ようだが? これからどこへ進もうとしているのか? *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2012/02/les_corbeaux.html

■エンチャンテッド・アイランド

■指揮:W.クリスティ,演出:フェリム.マクダーモット,出演:ダニエル.ドゥ.ニース,デイヴィット.ダニエルズ,ジョイス.ディドナート,プラシド.ドミンゴ ■新宿ピカデリー,2012.2.11-17(MET,2012.1.21収録) ■華麗な割には感動が少なかったわね。 詰め込み過ぎかも。 シエィクスピアの採用は無難だけど使いこなせなかった。 歌の選択はマアマアだし出演者は最高だから勿体無かったの一言よ。 個々の歌には魅せられてしまった。 大きな門?のある舞台は外から来る人々の紹介でウキウキしたわ。 一幕はこれで時間をかけすぎてしまって、二幕をまとめ切れなかったのが感動のない原因ね。 ネプチューンやダンスの場面は目だけが嬉しいだけの感じだった。 母子の慰めも浮いていた。 恋人同士の繋ぎ替えも急ぎすぎてしまった。  欲望がすべての人物に強く出過ぎていた。 ・・・。 これで詰め込み過ぎね。 結果として愛もかすんでしまった。 門の回りにある小道具類もアップの時は目障りだった。 もっとすっきりしてネ。 この舞台は人間関係だけをもっと深く集中して他は全て映像にしてもいいくらいよ。 でもバロックって合わせやすい音楽ね。 エンチャンテッドにはピッタリだったわ。 *METライブビューイング2011シーズン作品 *METサイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2011-12/#program_07

■カラマーゾフの兄弟

■振付:小野寺修二,出演;カンパニーデラシネラ ■新国立劇場,2012.2.8-12 ■舞台上に床と背景だけの小さな部屋を作り7人のダンサーを配置している。 狭いので混み合っている。 ダンサー同志を近づけないと物語を進める身体的対話が生きないからだとおもう。 実際言葉での対話や感情をそのまま身体に置き換えた動きだ。 だから父と3兄弟の関係をダンスで表現したような無言劇である。 小説を読んでいないと動きの楽しさだけを追うようになってしまう。 これでは物足りない。 チラシに「マイムは他者に操られる」と書いてあるのを見て、演出家がマイム出身だとあらためて思い出してしまった。 操る・操られることを取り入れることによりダンス=身体を小説=言葉に近づけることが可能だと考えたに違いない。 これで言葉より感情面で効果が多少あったようにみえる。 しかし小説を思い出しながらダンス観るのは面白いとは言えない。 ダンスは言葉を捨てて身体だけで観たいものだ。 *NNTTダンス2011シーズン作品  *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/20000460_dance.html

■揮発性身体論

■振付:鈴木ユキオ,出演:金魚 ■シアタートラム,2012.2.3-5 ■速度を意識する(特に)手足の動かし方がとても素晴らしかったわ。 速度は時間を微分したものだから身体と時間の関係が表現されていた。 これで前半は舞台に釘付けになってしまったの。 関節の動かし方も速度のズレがあり面白かった。 電球の使い方は明暗の差がイマイチだったわ。 少し明る過ぎよ。 技術がよくなっているから光との格闘がもっと必要ね。 後半も緊張感が持続したけど三人目のダンサーが登場してそれを壊してしまった。 この後は転げ落ちるように並のダンスになってしまったわ。 チラシを見たら2本立てだったのね。 後半のダンスのツマラナイ理由はいくつかあるけど、ダンサーの髪が顔を覆ってしまうのが一つの理由。 特に白服の二名はだめ。 視線の方向や目の輝き、息遣い、口の歪みなど顔は身体の一部だから。 これが観客から見えなくなるのは最悪。 緑衣装のダンサーのように髪を結うべきね。 だから4人のなかで緑服のダンサーが一番観客とコミュニケーションが取れたの。 ユキオはダンサーに髪についての指示をしなかったのかしら? 貞子が井戸から這い上がってくるのとは違うんだから。 これでは身体論をテーマにするのが恥ずかしい。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/33066

■浅草版・くるみ割り人形

■作:寺山修司,演出:水嶋カンナ,出演:ProjectNyx ■吉祥寺シアター,2012.1.19-30 ■人形が登場する芝居は不思議な楽しさがあって素敵だわ。 夢と現実、大人と子供、母と子・・、セリフはとても難しいことを言っているけど、それを気にしないでセリフの表層だけを摘み取っていくような舞台ね。 このギャップが面白い。 そして闇への入り口はたくさんあって覗いてはみたけど深入りしなかった。 これで感動は分散してしまったかもよ。 観客とのやり取りもあって楽しかったけど。 演出家の言っている通りアングラ版宝塚だったわ。 砂男と少女は寺山修司の世界からやって来たようにみえた。 この世界はプラスチックのような感じを持った役者が似合うから。 だから毬谷友子は残念だけど似合わない。 泣きそうな笑顔が良すぎるのよ。 唐十郎の世界の方がピッタリかも。 *劇団サイト、 http://www.project-nyx.com/history/stage08kurumiwari/index.html

■SHIP IN A VIEW

■作・演出:小池博史,出演:パパ・タラフマラ ■シアター1010,2012.1.27-29 ■漁船が走っていく幕開けで目の前が突然港になる。 舞台中央の柱は煙突のようにも見える。 次にはこの柱のお陰で霧のサン・マルコ広場にいるようだ。 柱は灯台になり、帆船のマストに変化していった。 この柱で時空を飛びまわれた。 ダンサーの柱への集中、グレー系で統一した衣装や舞台の色彩、ホーミー(?)の音色、これらが混ざり合い舞台をゆっくりとした流れにして観ていて心地よい。 ダンスにキレの悪さがあったが気にならない。 終幕近くに包丁や靴などの倒錯表現があったがよく理解できなかった。 一人が天井へ上昇するところもだ。 チラシに「・・(これは)1960年代の地方の人々の脱出願望である・・」とある。 60年代は遠くなってしまったということか? ところで舞台を観ながら「松任谷由実モンゴルをゆく」を思い出してしまった。 インタネットで調べると1996年にNHKで放送されていた。 モンゴル伝統音楽ホーミーを紹介している。 小池博史もNHK番組を見てこの作品(1997年)に採用したのかな? *CoRich、 http://stage.corich.jp/stage/31064