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■わが星

■作・演出:柴幸男,劇団:ままごと ■三鷹市芸術文化センター・星のホール,2011.4.15-5.1 ■人生は宇宙と同じように壮大なんだ!という感覚が押し寄せてくる家庭劇?でした。 星として家族の一員として役者はコロスのように円周を飛び回ります。 このリズムに共鳴して観客も子供の遊びのように疲れも飽きもしない舞台をみることができます。 実際子供の遊びの名前や初めて自転車に乗った時のことなどが話題になり観客を過去の時間に戻します。 祖母がいつ亡くなるかの話題もよくのぼります。 しかし湿っぽさはありません。 理由はこの芝居が宇宙とうまく繋がっているからです。 10のマイナス30乗のプランク世界に関しての本を読んだのですが、この世界の住人からみると人の身長1mは宇宙の大きさと同じ比になるとありました。 137億光年が人の身長だって!?この芝居はプランク世界をも取り込んでいる面白い感動を持っています。 *作品サイト、 http://wagahoshi.com/

■ゴドーを待ちながら

■作:サミュエル・ベケット,演出:森新太郎,出演:橋爪功,石倉三郎 ■新国立劇場・小劇場,2011.4.15-5.1 ■舞台が長い道になっていて両側に客席がある。 天井の照明も目に入り観客は道端に居て役者と時空を共にする感覚が持てる。 奥行きが有りとても立体感溢れる舞台である。 道幅をもう少し狭くすれば緊張感がもっと出たかもしれない。 ヴラジミールとエストラゴンが作り出す時間の澱みを、ボッゾとラッキーがこれを円環に形作る手助けをする。 交互に来る澱みと流れで時間の輪廻が明確になりゴドーを待ち続ける核心に入っていける。 乾いたような感動のある面白い芝居だった。 ところで少年との対話が生煮えのようだ。 ここで画竜点睛を欠いてしまい惜しい。 四方すべて観客だと発声が大変だとおもうが、エストラゴンの後ろ向きでのセリフに聞き取り難いところがあった。 *チラシ、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000326.pdf

■奇妙な物質のささやきⅡ

■出演:大倉摩矢子,ラビィ,大森政秀,石井満隆 ■テルプシコール,2011.4.15-24 ■起承転結の後半が溶けているようで中途半端な流れだった。 雨の中、透けた合羽で座り込んだラビィがようやく合羽を脱いで四つん這いになる場面はピカピカ衣装の効果も加わりカエルより昆虫のようで興奮したわ。 大倉はとても緊張感が漂っていた。 大森の踊りはいつも好きな時空へ飛ぶことができる。 石井は武骨な踊りをするのね。 観客を見る目も恐れと親しみ、真面目と遊びが同居していて舞台と現実を往復しっぱなしね。 地下足袋?はいいけど白衣の胸ポケットは不要ね。 退屈さも気にかかったけど。 明治時代の雰囲気が漂っていたわ。 「ニューヨークの少年(?)」の場違いな音楽を背景にキョトンと目が点になっている場面や年配石井に遠慮する大森とのデュエットの場面は笑っちゃった。 音楽も雅楽・ロック・クラッシック・雑音を多用し身体にうまく絡み合って一つの宇宙を提示できたとおもう。 でも終幕は凝りすぎてる。 引き際はもっとシンプルにしたほうが嫌みがなくてよ。 *資料、 http://bigakkobar.jp/_userdata/BAR3.pdf

■交換

■原作:ポール・クローデル,演出:フランク・ディメック ■こまばアゴラ劇場,2011.4.6-11 ■幕が開き、女優レキの劇中劇や資本家トマの登場をふくめて4人の役者が出揃う前半はひさしぶりの感動に出会えました。 役者の身体と言葉がとても生き生きしていたからです。 しかし以後は萎んでいきます。 後半再び盛り上がりますが既に終幕です。 それはルイがインディアンに戻った少しの間だけ、マルトはもちろんですがレキもトマもそれを感じとるからです。 その時のルイは素っ裸ですが筋肉や肌から発する言葉は想像以上のチカラを持っています。 ギリシャ時代のオリンピックもこうだったのでしょう。 マルトは旧ヨーロッパというよりインディアンの血が流れている演技をしました。 これでヨーロッパ対アメリカから旧アメリカ対新アメリカへと比重が傾いてしまい芝居の集点が定まらなくなったように思えます。 そしてインディアンから何故かパリのアフリカ人を思い出してしまいました。 このためか、ギリシャ、アメリカに加えてアフリカ植民地の影のあるフランス的のなんとも言えないテンポのある舞台に浸れました。 しかし2時間半はやはり長く感じた芝居でした。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2011/04/franck/

■材料アリストパネース

■演出:杉浦千鶴子、出演:ラドママプロデュース ■お茶の水・FREESPACEカンバス、2011.3.24-31 ■ http://www.geocities.jp/radomama/ ■「アカルナイの人々」「女の平和」「雲」を題材にしています。 時々演出家が登場してギリシア地図の説明や用語の解説をします。 演目の切れ目に映像が入ります。 米軍厚木基地で日米安保条約強化反対について、宮下公園でナイキ移管の公共施設利用規制反対について、過去の公演「バッコスの信女」でのギリシャ古典劇議論などです。 舞台とこれらの映像から他ポリスやペルシアとの政治状況、主人公の行動などが現代と結びついてくるのがわかります。 そしてギリシア劇とはポリスを考えることだ、に到達します。 神田界隈の通行人をそのまま連れてきたたような役者、しかも配役名を首にぶら下げて登場します。 平和、喜劇そして下ネタの話で盛り上がりそうですが、観る楽しさや歓びからは遠い舞台です。 ギリシアが近くなったり遠くなったりする芝居でした。