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■2010年舞台ベスト10

□ 銀河鉄道の夜   演出:鴨下信一,出演:白石加代子 □ ペール・ギュント   演出:宮城聰,劇団:SPAC □ 東京裁判三部作(夢の裂け目、夢の泪、夢の痂)   演出:栗山民也,制作:新国立劇場 □ 空白に落ちた男   演出:小野寺修二,出演:首藤康之,安藤洋子ほか □ ジーンズ   演出:佐野木雄太,劇団:銀石 □ 肉体の迷宮   演出:和栗由紀夫,関典子,舞団:好善社 □ 田園に死す   演出:高野美由紀,劇団:A・P・B-TOKYO □ 砂町の王   演出:赤堀雅秋,劇団:THE SHAMPOO HAT *並びは上演日順。 選出対象はこのプログに書かれた作品(感想文無いものあり)。 今年は8作品のみ。 映像は除く。

■嫌な世界

■演出:喜安浩平,出演:ブルドッキングヘッドロック ■新宿・サンモールスタジオ,2010.12.17-31 ■最初の火星旅行の夢を見る場面はとてもいい。 多くの俳優がここで登場し後場面を関係付けるので再帰的な構成に出来上がり物語に深みが出る。 そしてひさしぶりに観客席で笑ってしまった。 日常生活での相手を揶揄するセリフが核心をついている場面が多かったからだ。 また東京の下町工場地帯の庶民生活も面白く描かれていた。 上演時間が3時間弱もあったが気にならない。 後半で現実になる火星旅行は遣り過ぎである。 無いほうが面白いストーリになるとおもう。 夢だけで十分である。 SFの導入は苦しい時の神頼みだが、まだその時期ではないだろう。 *作品サイト、 http://www.bull-japan.com/stage/iyanasekai/

■ディオニュソス

■演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■吉祥寺シアター,2010.12.24-26 ■衣装は歌舞伎、動作は能、セリフは能・狂言の舞台ね。 そして照明も音楽も言葉も全て俳優の身体に入り込み、一つにまとまってから再び身体から発散しているようにみえる。 その逆に俳優やセリフや照明や音楽などに分けて観るということはしない。 つまり不可逆性の舞台なの。 この全てを吸収している俳優の身体と観客との共振が感動を呼び起こすのね。 途中、スピーカから発する神の言葉がこの芝居の流れを台無しにしているようにみえるわ。 白石加代子の声だったようだけど生身の俳優が喋れば緊張感が持続するはず。 そして全体が様式にこだわり過ぎて固すぎる感じもしたわ。 ギリシャ劇だからしょうがないっか・・ *劇団サイト、 http://www.scot-suzukicompany.com/works/03/

■ブラボーO氏へ

■出演:上杉満代,大森政秀,武内靖彦 ■テルプシコール,2010.12.22-23 ■O氏とは大野一雄のこと、多分ね。 大森の手足の動きは安定していてエスプリもあり観ていて気持ちがいい。 途中上杉と大森は衣装を替えたけど、どちらも似合っていたわ。 二人は音楽との相性も良かった。 武内のゆっくりとした登場時の動きは素晴らしい。 でもその後は動きが大胆になり過ぎた。 しかも白塗りで無いから肉体が前面に出てしまった。 このため都会=大森と田舎=武内がぶつかっているような舞台になってしまった。 結局は武内が浮き上がってしまったのよ。 個性有るダンサーが3人登場するのは難しいことなのね。 でも普段は観ることの出来ない関係性が表現できていたから良しとすべきかな。

■ガラパコスパコス

■作・演出:ノゾエ征爾、出演:はえぎわ ■こまばアゴラ劇場、2010.12.17-29 ■ http://haegiwa.net/next/22/ ■老人ホームから逃げ出した老女が大道芸人をしている主人公と生活するストーリのようね。 チラシを見るとこの劇団は老人ホームで実際に芝居をしているらしい。 それで主人公とその兄に辛抱強さが出ているのね。 それと必要な小道具類は舞台の壁にチョークで描くことで間に合わせていて経済的にもうるさいようね。 でも老女や主人公の家族も社会的にズレているし、老人ホーム社員の行動も変わってるわ。 その場限りの面白さはあるけど芝居として生きていないようにみえる。 結局は老人の進化をガラパゴス的に表現したいがまとまりきれなかった。 逆にこのような家族関係や職業観がガラパゴスに見えてしまった。 今の日本はガラパゴスで一杯ね。

■日韓アートリレー2010

■日暮里D-倉庫、2010.12.17-27 ■ http://www.geocities.jp/kagurara2000/artrelay2010 ■毎日違った出演者が登場します。 ダンスカンパニーアンジュ「その島に行きたい」、ユ・ジンギュ「韓紙」、鶴山欣也&雫境DUO「ずるだけい」、宮下省死「ほわいと・です」を観ました。 最初の韓国2グループは古臭さのある舞台です。 共産主義国と強く対峙していた為か、20世紀後半の凍結されていた生活文化が今になって解凍しているような内容でした。 アンジュにはもう少し踊って欲しかった。 鶴山欣也は身体の動きも滑らかでエレキベース系の生演奏に合っていました。 しかし変化に乏しいつまらない舞台でした。 落とし所を付けるべきです。 ところで宮下省死はついに本物の鼠になってしまったのでしょうか? 一日しか観ていないのでなんとも言えませんが、どれも即興的または一部分を抜きだしたような作品でいまいちでした。

■リア王

■演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■吉祥寺シアター,2010.12.15-21 ■英独韓日本語の4ヶ国語の上演である。 以前英語版を観た時は痛く感動してしまった。 今回はそれほどでもない。 何故か? 上演言語が日本語→○、英語→○、露語→○、英語日本語→×、英独韓日本語→×である。 ○は感動大、×は感動小の意味である。 つまり多言語に日本語が入ると何故か劇的感動が弱められる。 その理由がよくわからないが、一つは字幕に問題があるのではないか? 日本語でセリフを喋るときは字幕が出ない。 観客はそれを聞く。 他言語では字幕がでる。 そこで観客はそれを読む。 芝居を観ていてこの動作が微妙だが不自然に感じた。 観客の脳味噌内の処理が舞台で演じられている俳優の身体とほんの少しだが同期がずれてしまうような感じである。 いっそのこと日本語のセリフの場面でも字幕を入れてしまったらどうだろう。 但しこの場合は外国人が読む日本語訳で表示すべきである。 これで良くなるかどうかはわからないが・・。 *劇団サイト、 http://www.scot-suzukicompany.com/works/01/

■砂町の王

■作・演出:赤堀雅秋,出演:THE SHAMPOO HAT ■下北沢・ザスズナリ,2010.12.1-12 ■東京下町の鉄工所を背景に、スナック店の従業員やヤクザが登場し保険金目当てで二人も殺されるストーリーである。 工業地帯の汚い空をボケーッと見上げるシーンが多い。 この場面のお陰で激しい声高のセリフが多いにもかかわらず静けさのある芝居になっている。 そして純心な青年が騙され死んでいく悲哀にその静けさが加担する。 漫画に出てくるような殺人方法やセリフが多々あったが、零細工場の経営や下町の生活など描き方に力強さが出ている。 この強さと空を見つめる場面が独特なリズムを醸し出していて映画的手法の感動があった。 ひさしぶりに演劇の感動とは何か?を考えてしまった。 *CoRichサイト、 http://stage.corich.jp/stage_main/18172

■田園に死す

■戯曲:寺山修司,演出:高野美由紀,劇団:A・P・B-TOKYO ■ザムザ阿佐谷,2010.11.26-12.5 ■寺山修司のエッセンスが一杯詰まっていたから、2時間半だけどアッというまに過ぎてしまったわ。 舞台は荒っぽいところが多々あるけど良く練れていた。 再々演だからかな。 そして舞台はとても懐かしい感じがしたの。 途中、演出とは知らず客席から駄目押しが出たのはビックリ! 蝋燭や燐寸の火を多用することで舞台に深みが出てたけど、東北の寺山修司のネットリとした肉体から言葉を紡ぎ出すには火が一番よ。 でも青年の寺山役は立派過ぎるわね。 もっとオドオドしなくっちゃ。 ジェニファー松井もエイリアンね。 *劇団サイト、 https://www.apbtokyo.com/about

■ストラヴィンスキー・イブニング

■演出・振付:平山素子 ■新国立劇場・中劇場,2010.12.4-5 ■平山素子の振付は肩腕を大きく速く動かしてとてもシャープに見える。 このため観ていてもついていくのが大変だ。 脳と身体がひとつになる喜びを楽しむダンスではない。 第二部「春の祭典」はこの傾向が強いので、観たままをそのまま楽しんでしまった。途中の衣装交換は時間がかかり過ぎて事故が起きたのではないかと一瞬思ってしまった。 終幕、カーペットが奈落へ落ちていくところはとても面白い。 物語性の強い第一部「兵士の物語」は振付に言葉が付着してスローになった分、ダンサーひとりひとりの動きがハッキリと見え総合力の面白さが出ていた。 チラシを真似ると、素晴らしい生演奏が物語を補強し過ぎたので<物語 X 身体>かな。 ・・ありきたりだけど。 *チラシ、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/pdf/20000354.pdf

■肉体の迷宮

■原作:谷川渥,振付:和栗由紀夫・関典子,出演:好善社 ■日暮里サニーホール,2010.12.3-4 ■何も無い空間の舞台です。 これは映像を使う為だと知りました。 衣装替えをしながら和栗と女性ダンサーたちが踊ります。 1920年代のメカニカルな雰囲気の舞から赤と黒服の宗教的な舞迄の6章?で構成され飽きの来ない流れでした。 和栗がゆったりとした白の夏スーツで踊るところ、大野一雄の再現が印象に残りました。 女性たちの艶めかしさが和栗の肉体が迷宮で彷徨っている原因に見えました。 そして終章の関典子の凛とした振付が全体を引き締めたようにおもいます。 映像はダンサーの身体が薄くなり成功とは言えないでしょう。 使用するなら映像内容を厳選すべきです。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/23191

■測量

■作・演出:横田修、出演:タテヨコ企画劇団 ■笹塚ファクトリー、2010.12.1-12.5 ■ http://tateyoko.com/next/sokuryo/index.html ■温泉旅館と言えば会社の慰安旅行だ。 そのためか旅館ロビーの舞台は親近感がある。 そこには測量器具らしきものが幾つかぶら下がっている。 タイトルも謎だ。 幕が開いてすぐ、俳優の話し方に日常世界から少しずれた聞こえ方を感じた。 リアルさが出ていない。 意識的な演出かと思って観ていたがどうもそうではないらしい。 これが日常のしゃべり方だと思って喋っているようだ。 会話の位置づけがしっかりしていないのだろう。 ストーリはありきたりな内容である。 個々の事件も付け足しに見える。 そしてこのままズルズルと終わってしまった。 謎も解けない。 どうもよくわからないが、ひどい芝居を観たということだけは確かなようだ。

■令嬢ジュリー

■原作:J・ストリンドベリ,演出:毬谷友子 ■赤坂レッドシアタ,2010.11.27-12.2 ■奥行きがありそうでないような、正面に階段と小さな窓があり先が見えない舞台構成。 芝居に似合っているわね。 ・・伯爵令嬢って何なのか観ていて考えてしまったの。 ジュリー役が毬谷友子だからよけいにそうだわ。 かわいいくて時には姉御のような令嬢で独特な声調の日本的な感じのジュリーを演ずる。 まさに彼女にぴったりね。 このため当時の社会情勢などを抜きにした閉じられた舞台のように見える。 逆にジャンは出世欲が言葉にでているのでぶれていない。 ジュリーの感情の流れは楽しめたけど感動は少なかったわ。 何かが足りない・・、それより何かが多過ぎるのよ、、きっとね。 友子、これからどうするの? *劇場サイト、 http://www.red-theater.net/article/13727451.html