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■能楽堂五月「入間川」「加茂物狂」

*国立能楽堂五月普及公演の□2舞台を観る. □狂言・和泉流・入間川■出演:野村万蔵,野村万之丞,野村万禄 □能・宝生流・加茂物狂■出演:佐野登,福王知登,福王和幸ほか ■国立能楽堂,2024.5.11 ■プレトーク「葵祭の社に舞う女」(梅内美華子)を聴く。 葵祭のこと、橋本神社の藤原実方や彼の左遷を命じた一条天皇、岩本神社の在原業平、復曲作品「 賀茂物狂 」との比較などを話す。 昨年の「賀茂物狂」は前場の神主と狂女の対話が長く110分と記憶している。 今日の「加茂物狂」はコンパクトにまとめてあり上演時間も80分と短い。 前場を神主一人で語る為である。 夫婦の再会をテーマにしているが控えめな行動で清々しい。 狂女がなにを考えているのか迷う場面があった。 物狂とは何かを考えさせられる舞台だ。 ワキ方(神主、都の者)がしっかりしていて舞台に緊張感が出ていた。 シテ面は「若草女」。 「入間川」は入間様という逆言葉を使う風習を取り上げている。 例えば「深い」とは「浅い」という意味になる。 台詞も舞台も上手にまとまっていて笑いが自然と出てきた。 *劇場website、 入間川・加茂物狂

■悪童日記

■原作:アゴタ・クリストフ,翻訳:堀茂樹,台本・演出:山口茜,劇団:サファリ・P他 ■Peatix・配信,2024.4.27-(THEATRE E9 KYOTO,2024.4.12収録) ■原作も知らず、すべてが曖昧のまま舞台は進んでいきます。 ・・少年らしき二人と祖母の関係がみえてくる。 背後には戦争が迫っているらしい。 母もいつのまにかそこに居るが、役者5人が識別できず詳細を気付けない。 司祭と聞いて場所はキリスト教圏と分かる。 終幕、戦場帰りの父も姿を現す・・。 戦争の悲惨と家族の崩壊を描いているようです。 東欧や中東などの戦争や内乱に結びついていく。 戦争下の生活を思い描けるか?を問うているようにもみえる。 ここで「悪童日記」について調べる。 1986年の作らしい。 19世紀末の物語とみていたが時代も場所も書かれていない。 双子少年と家族間にある暴力性、宗教の教えはどれも古臭い。 世界は考えている以上に古い儀礼や慣習で動いている。 このようにも聴こえる。 役者たちが机を動かしながら物語を進めていきます。 そこに切れ味の鋭い動きやダンスそして科白が入る。 簡素で写実的な台詞です。 双子は悪童そのものだが、戦争を肯定してしまう世界と比較すれば彼らは些細な存在なのかもしれない。 記録映像用の固定カメラで撮影しているらしく、パソコンでは役者の表情は見え難い。 カメラをあと2メートル舞台に近づけば役者がよりハッキリするはず。 でもこれだと客席の中にカメラを設置することになりそう。 やはり小劇場の映像配信は確認用でしかない。 *サファリ・P第10回公演 *CoRich、 悪童日記 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、山口茜 ・・ 検索結果は4舞台 . *🐸の Twitterへ ・・

■能楽堂五月「隠笠」「夕顔」

*国立能楽堂五月定例公演の□2舞台を観る. □狂言・大蔵流・隠笠■出演:山本則孝,山本則秀,山本則重 □能・観世流・夕顔(山ノ端之出,法味之伝)■出演:岡久広,野口能弘,野口琢弘ほか ■国立能楽堂,2024.5.8 ■「隠笠」の出演者三人の氏名は略同じである。 強く響いてくる声や動きも似ている。 同じ師匠の為かもしれない。 70年代生まれで内二人は兄弟のようだ。 能狂言を支えている強固な構造が見えるが維持していくのは大変だろう。 プログラム「この人に聞く、第7回松野恭憲」では20世紀中頃の能世界が語られる。 当時の稽古の厳しさなどが分かる。 今もこのように引き継がれているのかな? 「夕顔」の詞章を読んでいる時は気にしなかったが、夕顔自身が「源氏物語」を説明する場面がある。 これは劇中劇か? 前場は「源氏物語」が絡まってしまい意識が分散してしまった。 後場はこれから解放されたが。 夕顔は物語から素直に飛び出して欲しかった。 シテ面は「若女」。 *劇場website、 5月定例公演隠笠・夕顔

■かもめ

■作:A・チェーホフ,演出:トーマス・オスターマイアー,劇団:ベルリン・シャウビューネ ■静岡芸術劇場,2024.5.3-6 ■いつもの座席はそのままにして隠し、新しい客席を舞台上に敷設してある。 ほぼ円形のため役者と観客の距離が近い。 しかも役者は観客をときどき挑発します。 チェーホフにしては荒々しい感情を前面に出している。 コースチャとニーナの劇中劇から始まります。 ここが結構長い。 そして二幕の、ニーナとトリゴーリンの会話も長く感じる。 科白も即興のようなところがある。 おもしろい流れです。 でもチェーホフのジワッとした心の揺れがいつものように来ない。 直截のため表層で滑るような揺れが心に突き刺さるからでしょう。 帰りの新幹線は連休のため混んでいたが座れたので「劇場文化」を読むことにする。 「いろいろな愛のあり方を・・、きちんと表現した」(ジョセフ・ピアソン)。 そのように見えました。 「俳優にかなり自由が与えられ、・・俳優の言葉で言い直すようにした」(同)。 これでいつもより長い、あるいは短い、起伏の激しい場面が現れたのか? なかでもトリゴーリンが目立っていた。 「絶望的に悲しいのにおかしい」(同)。 この相反する両者が結果として強調されていましたね。 このブログを書いている今も、舞台の生々しい雰囲気が記憶に留まり続けています。 *ふじのくに↔せかい演劇祭2024 *劇場website、 かもめ