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■2015年舞台ベスト10

□ 身毒丸、説教節の主題における見世物オペラ   演出:J.A.ジーザー,劇団:演劇実験室◎万有引力 □ さまよえるオランダ人   演出:M.F.シュテークマン,指揮:飯守泰次郎 □ グスコーブドリの伝記   演出:宮城聰,劇団:SPAC □ 觀-すべてのものに捧げるおどり-   演出:林麗珍リン.リーチェン,劇団:無垢舞蹈劇場 □ アドルフに告ぐ-日本篇、ドイツ篇-   演出:倉田淳,出演:劇団スタジオライフ □ GERMINAL   演出:H・ゴエルジェ,A・ドゥフォール □ 少女仮面   演出:金守珍,劇団:新宿梁山泊 □ BELLE   演出:デボラ.コルカー,劇団:デボラ.コルカー.カンパニー □ 幻祭前夜-マハーバーラタより-   演出:小池博史,出演:小池博史ブリッジプロジェクト □ からたち日記由来   演出:鈴木忠志,劇団:SCOT *並びは上演日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映像と美術は除く。 * 「2014年舞台ベスト10」

■からたち日記由来

■作:鹿沢信夫,演出:鈴木忠志,出演:内藤千恵子,平垣温人,塩原充知,劇団:SCOT ■吉祥寺シアタ,2015.12.19-26 ■チンドン屋家族の母・息子・伯父の三人が講談「からたち日記」の由来を語り歌う舞台である。 ここに伯爵令嬢芳川鎌子と専属運転手の心中事件が入っている。 鎌子と夫の関係は最初から冷えていたようだ。 母は鎌子と運転手、息子が運転手の一人二役・二人一役の面白い構成を取っている。 また息子は首相田中義一になり野党議員の伯父とソビエト情勢で論争したりもする。 三人はチンドン太鼓、クラリネット、ハーモニカで演奏も担当している。 そして舞台は「からたち日記」の旋律を背に鎌子の満たされない人生が語られていく。 「一度でいいから愛し愛されたい・・」。 ・・。 動きは少ないが熱い振動が伝わってくる。 役者の存在感、言葉の力が詰まっている喋り方、哀愁漂う歌謡曲、その全てが先の台詞に収斂していく。 それは人生を一言で表す科白だから。 終幕で島倉千代子の歌を聴いたときは情念の舞台が昇華していくようだった。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/69635

■東京裁判

■作・演出:野木萌葱,劇団:パラドックス定数 ■pit北/区域,2015.12.22-31 ■極東国際軍事裁判被告側弁護団5人が背広姿で登場するところから始まります。 舞台は法廷での遣り取りに終始する。 裁判官忌避・起訴状誤訳・管轄権・共同謀議などが取り上げられ、最後に補足動議として原爆投下を論じ幕になります。 迫力満点ですね。 法廷にいる錯覚に陥ります。 戦争裁判の不備が戦争そのものの異常さに繋がっていきます。 弁護側が<戦争>そっちのけで<平和>と<人道>を熱弁すればするほど指導者と戦争、国家の関係が浮き出てしまうから面白い。  この劇場は今年で閉館になるらしい。 地下1階傍聴席から地下2階の舞台つまり法廷を見下ろす変わった劇場です。 初演がこの劇場だったということを聞いてナルホド納得しました。 *劇団サイト、 https://pdx-c.com/past_play/imtfe-2015-2/

■初期シェーカー聖歌、レコードアルバムの上演

■演出:K・ヴァルク,出演:S・ヘッドストロム,E・ルコンプト,F・マクドーマンド,B・ミラ,S・ローチ,劇団:ウースター.グループ ■スパイラルホール,2015.12.22-23 ■ウースター・グループの名前を見つけたのでチケットを購入した。 レコードアルバム「初期シェーカー聖歌」のA面20曲を歌い踊る舞台である。 女性歌手5人はシェーカーの信仰や実践に共鳴している役者たち、他にダンサー5人が登場する。 作曲は1850年中頃に集中している。 アメリカン・フォークソングの原型に位置するようだ。 枯草の匂いというか乾いた空気が感じられ心地よい。 歌詞は聖歌だけあって宗教用語が入っているが気にならない。 労働や人間関係など日常生活と結び付けているからである。 「低く低くこのすてきな路を」では人生は掃くように進めと歌う。 「シンプル・ギフト」は本当の単純さを求めよ、在るところに在れ、来るところに来いと哲学と人生の一致を求めているように聞こえた。 讃美歌は「私が見ていると見よ子羊が」の一曲だけである。 最後に客をもてなし別れる時に歌う曲で締めくくった。 素晴らしいクリスマスプレゼントであった。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/69274

■くるみ割り人形

■音楽:P・チャイコフスキ,台本:M・プティバ,振付:L・イワーノフ,演出:牧阿佐美,出演:米沢唯,V・ムンタギロフ,奥田花純,M・トレウバエフ,小野絢子 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.12.19-27 ■物語性が弱い為か最初は集中できなかったの。 日本のバレエ団は物語に弱いのよ。 でも一幕終わりの雪の国で俄然調子がでてきたわ。 雪の精は素敵だった。 これで集中モードに切り替えられ二幕も維持できた。 音楽も三大バレエの中では一番だし楽しかったわ。 そして舞台背景がビルとは初台らしい。 ペンキ画みたいだったけど費用を掛けることはない。 この作品を観ると1年の終わりが近づいたことを感じるわね。 *NNTTバレエ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/nutcracker/

■エレクトラ

■演出:鈴木忠志,演奏:高田みどり,出演:SCOT ■吉祥寺シアタ,2015.12.19-26 ■東京でSCOTを観ることができて嬉しい。 車椅子はもはや身体の延長になっている。 「世界は病院」が日常化したような車の滑らかさだ。 しかし緊張感のある舞台だ。 エレクトラの鋭い眼差しと科白の少なさの為である。 台詞はコロスが受け持っているから尚更である。 打楽器演奏がそれを一層盛り上げる。 母クリテムネストラも妹クリソテミスも人間味ある科白で生きている実感が見えた。 だがエレクトラは鈴木様式が研ぎ澄まされ過ぎて逆に存在感が薄くなってしまった。 感動も固まってしまったような観後感だ。 アーフタトークで鈴木忠志は・・。 「劇的なるものをめぐって」の再演はしないのか?との観客質問で、「世界の状況が変わったからしない。 ギリシヤ神話の一部作品は現代社会の問題を突いているので上演する・・」。 他に「若い演出家は他人の作品をあまり上演しないようだ。 面白い現象である・・」。 「芝居を選んだ理由は身体・音楽などあらゆるジャンルを取り込み社会問題と対峙できるからである・・」。 こんな質疑応答だったとおもう。 *CoRich 、 https://stage.corich.jp/stage/69635

■幻祭前夜-マハーバーラタより-

■演出:小池博史,出演:清水寛二,白井さち子,小谷野哲郎ほか ■吉祥寺シアタ,2015.12.8-16 ■幕開きの鹿の仮面を付けた踊りで一気に舞台に入っていけたわ。 役者たちのしなやかな動きがそのまま物語に繋がっている。 仮面や小道具も高価には見えないけれど大切な重みを持っている。 照明が電球になったとき寺院のなかで演じられているような錯覚に陥ったの。 東南アジアを旅した時と同じ驚きがある。 先日観たキリスト教からギリシアの神々をみたようなP・ブルックとは違うの。 ヨーロッパ思想を通さないアジアが舞台に現れていたようにおもう。 それは神々と人間の関係が身体を通して結びあっている感覚とでもいうのかしら? 演出や振付の力もある。 そして矢が落ちてきて終幕になったのは大戦前夜だから? 戦争を挟んで鮮やかな対照を持つ静寂と鎮魂に包まれたブルックの舞台とこの作品がそのまま繋がるわね。 *主催者、 マハーバーラタシリーズ(kikh.org)

■ベベール年代記-セリーヌの世紀、第一部-

■演出:清水信臣,出演:劇団解体社 ■左内坂スタジオ,2015.12.10-15 ■1944年、ルイ=フェルディナン・セリーヌがフランスを追われドイツを横断しデンマークへ亡命する過程を描いているの。 この時期を描く作品としては逆の経路を辿るのがとても珍しい。 彼は反資本主義・反ユダヤ主義・反共産主義者と言われているからよ。 でも興味深いことは確かね。  最初にパリからデンマーク迄の大凡のことが文章とスケッチで映像として流される。 行程では猫を連れているらしい。 よく公共交通が動いていたものだと感心してしまうわね。 チラシ等には彼の証言にスポットを当てると書いているけど舞台ではフランス語の科白もあり特有の難しさがある。 ドイツの日本大使館での歓迎パーティや土井晩翠の激励メーセージなども読みあげられる。 一部の役者は科白が呟きのように聞こえる。 亡命する者もさせる者もこの時代の中でのつぶやきを身体表現すると痙攣になるのかもしれない。 音楽や照明も含めてまとまっている舞台だった。 でもセリーヌの声も姿もどこにいるのかハッキリと見えてこない。 彼の著書や録音に目を通しておかないと近づき難いことは確かね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/69838

■バグダッド動物園のベンガルタイガー

■作:ラジヴ・ジョセフ,演出:中津留章仁,出演:杉本哲太,風間俊介,安井順平,谷田歩 ■新国立劇場・小劇場,2015.12.8-27 ■虎の幽霊は初めて? 米軍兵ケヴは仮病なのでは? 物語に入れない状態が続きます。 しかしサダム・フセインの子ウーダイの登場でやっと納得できた。 何故って? 皆が幽霊という状況に慣れてきたのでしょう。 虎が主人公かと見ていたらそうではない。 この虎は神だとか実存だとか言っているが存在感が徐々に薄くなっていくからです。 ケヴも早々幽霊になり虎の仲間入りです。 逆に濃くなっていくのがイラク人通訳ムーサ。 でも彼の悩みがよく分からない。 妹のことでもない。 米軍兵トムを撃った理由を太陽が沈んだからだと言う。 太陽が眩しかった「異邦人」が姿を変えて登場したようにもみえます。 ところでトムもケヴも手を失う。 ハンセン病のイラク人も手が無い。 紛争地帯では身体の一部が欠けても物語を覆すことはない。 トムがイラク人女性の手を借りて自慰をする場面も大袈裟です。 それにしても「神」という言葉が耳に付きます。 死んだ後でこの神と何の話をするのか? 閻魔大王ならわかりますが。 ムーサはこの目の前の光景こそ神が作ったのだと直截に言います。 腹を空かした虎が獲物を待つ場面で幕が下りますが、「神」を自然の摂理と同じような意味合いで使っているようにみえます。 やはり虎もヒトも動物ですから。 漫画のような展開ですが脇道に逸れると現実の暴力が転がっている変わった作品でした。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_006140.html

■書を捨てよ町へ出よう

■作:寺山修司,演出:藤田貴大,劇団:マームとジプシー ■東京芸術劇場・シアターイースト,2015.12.5-27 ■舞台は工事現場ね。 パイブや板で足場を築いて演技の途中で移動したり組み替えたり解体していくの。 もちろん役者が上り下りをする場面もある。 面白いのは音楽にドラムの生演奏を使ったことかな。 耳障りにならない素晴らしい演奏だった。 物語にリズムを与えていたわ。 1971年の作品は生活の匂いがあった。 戦後木造の家々が連なる東京の風景。 新宿の猥雑な街角。 書物も全てを捨ててこの生活から飛び出したかった。 そして45年後の舞台は飛び出した後の話なのね。 生活の匂いも、ねっとりした身体も過去に置いてきてしまった。 都電の線路も歩かなくなった。 セックスはもはや器械体操。 それでもあの科白は生きていると思わない? 「そうやって観客席に腰かけて待っていても何も始まらないよ・・」。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater097/

■痕跡あとあと

■作・演出:桑原裕子,劇団:KAKUTA ■シアタートラム,2015.12.5-14 ■空き地が広がっている。 その周りに低い棚を置きそこに色々なモノが詰まっている。 川に浮いているゴミのようなモノを見て夫々の人生が詰まっているとカメラマンは言う。 上演時間の長さを感じさせない舞台だった。 ほぼ謎が見えてからは生みの母親と息子は必ず再会するはず。 それをどう描くのだろうと想像しながら観てしまった。 はたして母は、乗って来たよろける自転車を立て直してくれた人が写真の若者だと気付き振り返ったところで幕が下りた。 抑えていて軽いが渋味のある終幕である。  難しい場面で演出家の苦労した跡もみえるが、息子を育てた父の証言は言い訳が過ぎる。  「生みの親より育ての親」は社会の底を流れている川である。 育ての親の周りには戸籍問題や偽装結婚、生みの親の代表である妊婦姿や出産話が川に浮かんでいるモノのように散らばっていた。 子供もその川を流れて来るのである。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/performances/20151205atoato.html *2016.1.4追記:初演が青山円形劇場と聞いて舞台構造に納得(「休むに似たり」ヨリ).

■ファルスタッフ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:Y・アベル,演出:J・ミラ,出演:G・ガグニーゼ,M・カヴァレッティ,吉田浩之,松浦健,糸賀修平 ■新国立劇場・オペラパレス,2015.12.3-12 ■さっぱりしたファルスタッフだった。 これはヴェルディの考えと一致しているとおもう。 フォードも同じね。 二人は男の裏と表なの。 表裏が上手く重なることで男の人生全体像を描こうとする物語にみえる。 ボケとツッコミという形も考えられる。 でもヴェルディらしさでチューンされていたわよ。 そしてフェントンとナンネッタの恋人同士は声に張りがあったし、夫人三人組と共に良きアンサンブルを編成していた。 ところで「デブ」「ビア樽」「三重顎」・・。 肉体を酷くいう言葉が連なるけどこれは当時の笑いの理屈から来ているの? 美術はフェルメール風が所々に見えるけど並の出来だとおもう。 舞台が広いから大変ね。 三幕大団円もなかなかの味が出ていたわ。 *NNTTオペラ2015シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150109_006148.html

■緑子の部屋

■作・演出:西尾佳織,劇団:鳥公園 ■こまばアゴラ劇場,2015.11.27-12.7 ■兄や友人・恋人が集まり亡くなった緑子の話をする舞台です。 取り留めの無い話が続く。 でも指を落としてしまった、屋上から落ちてしまった、生きている熊の胆汁を抜き取るなど話題は非日常的です。 餃子を作ったり食べたりビールを飲んだりする姿も同様です。 友人の言葉には暴力性が感じられます。 緑子が昆虫を飼っていたことを三人は暗に批判する。 緑子からの依存を重荷に感じたことが恋人の別れた理由でしょう。 しかし三人はフレンドリな喋り方をしますね。 よく耳にする状景の為か舞台を観ているようには思えない。 喋り方だけが日常世界にみえる。  幕開きと終幕に1枚の絵を持ちだし描かれている人々の関係を論じます。 絵の世界ではお互い見つめているようでそうではない。 風景もよくみると異様です。 この舞台と同じだと言っている。 終幕、友人の台詞がしどろもどろになり緊張しました。 科白を忘れてしまったのか? 即興かもしれない? そのまま終演になってしまった。 ディテールは面白いのですがそれを繋げることができなかった。 積み上げていくだけの化けることの無い舞台でした。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/2195

■タンホイザー

■作曲:R・ワーグナー,指揮:J・レヴァイン,演出:O・シェンク,出演:J・ボータ,P・マッティ,E=M・ヴェストブルック,M・D・ヤング ■新宿ピカデリ,2015.11.28-12.4(MET2015.10.31収録) ■粗筋は読んでいったけど流石に舞台は違う。 終幕残り3分の逆転ホームランもあって4時間半はアッという間ね。 時空は激しく飛ぶけど滞在時間が長い。 そこで愛の本質が語られるがその周辺には宗教が纏わりつくの。 懺悔や贖罪、聖母マリアの言葉を深く理解できなくてもワーグナーの劇的舞台が迫ってくる。 言う事無し。 舞台は異界ヴェーヌスベルクから巡礼街道へ、次に歌殿堂から再び巡礼街道へ。 タンホイザの迷いで異界が迫って来るがエリザベトの死によって彼も巡礼街道に留まり息を引き取り幕が下がる・・。 坂の途中にあるこの街道が物語的にとても良く出来ている構図なの。 そしてP・ブリューゲル「バベルの塔」の土と緑を思い出させる色彩が印象的ね。 寡黙な「 彷徨えるオランダ人 」と違ってタンホイザは饒舌だわ。 対極にいる女神ヴェーヌスもエリザベトに見劣りがしない。 振幅が大きいのはワーグナーの才能かもしれない。 ところでタンホイザの竪琴は見ていられない。 指まで動かすから歌唱の時に気が散ってしまう。 ヴォルフラムのようにサラッと動かして頂戴。 *METライブビューイング2015作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2015-16/#program_03