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■わが友ヒットラー

■ 作:三島由紀夫,演出:倉迫康史,出演:ORT-D・D ■ 下北沢・駅前劇場,2013.3.27-31 ■ 1934年。 物語は「 熱狂 」 の続きになりそうだ。 客席を挟んで長い通路のような舞台は奥へ行くほど上り坂で狭くなっていく。 4人それぞれの社会的地位や性格上の興味ある相違が舞台にメリハリをつけている。 そして科白に豊かな膨らみが有る。 これを背景にヒトラとレーム、レームとシュトラッサ、クルップとヒトラの対話に緊張感が走る。 さすが三島由紀夫か。 役者も三島の豊かさに付いて来ている。 しかも舞台のヒトラーはある種の冷徹さがあった。 これも芝居を面白くさせている。 三時間は一気に過ぎてしまった。 *劇団サイト、 http://www16.plala.or.jp/ort/discography.html

■不思議の国のアリス

■ 指揮: B ・ワーズワース、振付:C・ウイールドン、出演:S・ラム、F・ボネリ、E・ワトソン、ロイヤル・バレエ団 ■ ワーナーマイカルシネマズ、2013.3.29 ■ http://www.theatus-culture.com/movie/ ■ この作品のバレエ化は大変ね。 作るとなると色々なことを考えてしまうからよ。 これも考え過ぎかも。 周辺に力を入れたからバレエ本体の魅力が薄れたことは事実。 カラフルなパフォーマンスを観ているような感じかな。 アリスのS・ラムはちょっと性格が良すぎる。 不思議な国の住民と渡り合うんだから。 場内は子供連れが多かったけど、もっと崩したほうが主人公として子供にも主張できたんじゃないかしら?

■熱狂

■ 脚本: 古川健,演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ ■サンモールスタジオ,2013.3.23-31 ■ 「 あの記憶の記録」 の続きと聞いたので新宿へ再び足を運ぶ。 なんと場内は赤いハーケンクロイツ旗で一杯! これで時代順を逆に観ることを知った。 物語はミュンヘン一揆後からヒトラー首相就任迄のナチス組織内の話である。 しかし表面的な政治上の駆け引きに終始し劇が深まっていかない。 指導者原理などの権威を広げ過ぎてしまい舞台に躍動感が無い。  ヒトラーや取り巻き連中の心の襞が見えてこない。 ヒトラーの愛人でも登場するかと期待していたが、一人の女性も登場しないどころか科白にも出ない。 演者の熱演だけが残った観後感である。 「 あの記憶の記録 」 を重ね合わせることで、20世紀戦争の時代が形を変えて今も続いていることを見せてくれた。 *劇団サイト、 http://www.geki-choco.com/past/

■DANCE to the Future 2013 ダンス・トゥ・ザ・フューチャー

■ 振付:中村恩恵・金森穣,出演:新国立劇場バレエ団 ■ 新国立劇場・中劇場,2013.3.26-27 ■ 中村恩恵は3作品。 最初の「THE WELL -TEMPERED」が一番面白い。 2楽章目が1・3楽章とは別作品のようだ。 精神性を前面に出す振付が多い中、意味を追わせない2楽章は楽しい。 腕の動きや形など振付もとてもいい。 「O SOLITUDE」は歌詞をどこかに載せておいて欲しい。 やはり詩が気になる。 新作「WHO IS US」はまあまあかな? 4作品目が金森穣「SOLO FOR 2」。 前3作と比較してしまった。 金森はダンサーの身体を隠さず見せようとしている。 手作り=ハンドメイドの感がある。 照明ひとつをみてもこれがわかる。 どちらが良いということではないが、中村の方がプロが作った作品という感じがした。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_004626.html

■材料カエサル

■ 原作:B・ブレヒト,W・シェイクスピア,演出:杉浦千鶴子,出演:ラドママプロデュース ■ 高田馬場・プロトシアタ,2013.3.20-27 ■ 映像・ダンス・演奏どれも舞台の流れに溶け込んでいて素晴らしかったわ。 奴隷・穀物の価格、利子そして紙幣の発行などカエサルを取り囲むローマの経済活動の話が大部分だけど気にならない。 その間映像で登場する演出家がカエサル調査の行き詰まってしまったことや役者の演技指導をする場面が挿入される。 これも面白い。 終幕R・ストーンズの「悪魔の憐れむ歌」の訳詞が壁に映しだされたけど,この芝居の言いたいことが表現されているはず。 せっかく演奏者がいるんだから最後にこれを日本語でいいから生で歌うべきだった。 ここが心残りね。 役者たちはSCOTあたりのヘビー級では無いけど、早稲田小劇場のDNAを感じさせる舞台だから観た後の身体の解放感は抜群ね。 楽しかったわよ。 *劇団サイト、 http://www.geocities.jp/radomama/

■駆込ミ訴ヘ

■ 原作:太宰治,演出:三浦基,出演:地点 ■ 神奈川芸術劇場・大スタジオ,2013.3.7-26 ■「 トカントントンと 」 が面白かったのでこれも観ることにしました。 今回は原作を読んでから劇場に向かいました。 ラップ形式を取り入れてリズミカルですね。 このリズムが太宰のネットリ感を消しています。 しかも5人の役者に台詞を分散させてます。 この為かユダ自身の強い存在感も薄れたようです。 台詞の間に入れる役者の笑いもこれに加担しています。 結果、キリストとユダが同列の人間にみえてしまいました。 演出ノートを読んだら「ユダ=イエス」と書いてあるので驚きです。 まさしくこの舞台は、ユダ=イエス=太宰です。 この原因は上記のようにラップや台詞分散や笑い声で観客の意識まで分散させてしまった為だとおもいます。 しかもリズムがあるから共鳴を伴っています。 でもこの方法では他者に出会うのが難しくなるのではないでしょうか? 原作のほうがより強く他者に出会った感じを持ちましたが。 いろいろと想像力が持てる舞台でした。 *劇場サイト、 http://chiten-kaat.net/archives.html

■あの記憶の記録

■ 作:古川健,演出:日澤雄介,出演:劇団チョコレートケーキ ■サンモールスタジオ,2013.3.23-31 ■ 幕が開いた食事場面で現代イスラエル家族の話だと知る。 そして時代は遡る。 強制収容所解放の日、父イツハクは憎しみのためナチス親衛隊員を殺してしまう。 ・・。 憎しみは消せるのか? 個人への憎しみと民族や国家への憎しみの違いは? 二度と憎しみ合わないようにするには?  親衛隊員もイツハクも言う。 「・・憎しみが無くならない限り戦争は続く」と。 ・・。 パレスチナとの戦いを背景に子供たちと学校教師はこの答を模索していく。 重たい舞台を観ながら同じようにこの問いと答えを考え続けてしまった。 *劇団サイト、 http://www.geki-choco.com/past/

■法界坊

■ 演出:串田和美,出演:中村勘三郎,中村橋之助,中村勘太郎 ■ 東劇,2013.3.16-5.10(浅草寺境内平成中村座,2008.11収録) ■ 法界坊は笑顔が良すぎますね。 権左衛門の両腕を切り落とし「犬の餌だ」と言って客席に投げ捨てるのは異様です。 勘十郎が顔をノッペラボウに切られるところもです。 この笑顔での殺人はサイコキラーですね。 しかも死んだら怨霊になって現れる。 もはや生と死の区別が無いのが当たり前の世界です。 そして勘十郎と番頭正八のスケベオヤジ丸出しも笑っちゃいますね。 生と性の区別が無いのも死と同じです。 要介のキリリとしたところが全体を引き締めていました。 *シネマ歌舞伎第10弾作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/11/

■一方向

■ 演出:真壁茂夫,出演:OM-2 ■ 日暮里サニーホール,2013.3.23-24 ■ 円形の客席。 はじめに一人のダンサーが電球を持って激しく踊り出す。 そして天井から円筒に繋がった障子?が降りてくる。 円筒に写った顔は資本主義に抗う科白を吐く。 そして円筒は分解する。 そこには二人の役者が入った大きな風船がある。 風船に入ったまま二人はアウシュヴィッツの話をする。 次に建築現場のような構造物が舞台に登場する。 男女の二人が身の回りの話を喋り始める。 最後に一人の男優が事務椅子を動かしながら独白めいた科白を言う。 このような流れだったとおもう(?)。 役者たちはとても苦しそうである。 激しい喋り方である。 観終わったら疲れてしまった。 これは舞台というより現実の世界で喚いているようだ。 つまり集会での演説やデモのシュプレヒコールに出会ったのと同じ感じのものである。 チラシにも「・・資本の流れという<一方向>に向かってしまう闘いを可視化し、・・まっとうに生きようとする人間の営みを舞台化・・」とある。 悲壮感一杯の舞台である。 ユーモアや笑いがあれば少しは<良い方向>に向かうはずだ。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/41760

■トカントントンと

■ 原作:太宰治,演出:三浦基,出演:地点 ■ 神奈川芸術劇場・大スタジオ,2013.3.7-26 ■ 素晴らしい舞台構造です。 頭から少しずつ見えてくる役者は<向こうから>やって来きたようにみえました。 能舞台と同じですね。 背景の銀片が揺れてキラキラ光る様は物語の背景を豊かにしています。 衣装も乞食のようで戦後の物不足が表れています。 会場で配られた鼎談に「この演出家は出だしを凝る・・」と書いてありましたがその成果は十分にでています。 芝居をみた後に原作を読みました。 全てを無意味化する遠くから聞こえる金槌の音が重要だとわかりました。 舞台は金槌で床を叩いた濁った音でした。 もっと響きのある音にしていたら、玉音放送や君が代と金槌の音との関係性が強く持てたはずです。 *劇場サイト、 http://chiten-kaat.net/archives.html

■京鹿子娘二人道成寺

■ 出演:坂東玉三郎,尾上菊之助 ■ 東劇,2013.3.16-(歌舞伎座,2006.2収録) ■ 坊主達はいい加減ですね。 ・・こまどり姉舞、苫小舞、横浜のシュウ舞、う舞・・・。 背景は満開の桜、そして玉三郎と菊之助のペアは最高です。 衣装も段ごとに替り素晴らしい。 長唄三味線の連弾きもあるので観ている方も調子が上がりっぱなしでした。 *シネマ歌舞伎第3弾作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/03/#sakuhin

■城

■ 原作:F・カフカ、演出:松本修、出演:MODE ■ あうるすぽっと、2013.3.14-20 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage_reverse32976_1.jpg?1363476462 ■ 現代人の教訓のようなレトリックを感じる文章が時々映し出される。 登場人物も多い。 人数を利用して日常動作を基本にしたダンスも挿入される。 ストーリーも細かい出来事を繋げただけで全体が見えない。 カフカ的と言えなくはないが。 城の官僚的事務手続きが目に付く舞台である。 このためKの周辺にいる人たちの言葉の裏に隠そうとしていても現実的な匂いが現れてしまう。 しかも K はノッペラボウでブッキラボウな喋り方をする。 カフカ的世界はより浅くなる。 「もののけ姫」と結末は同じである。 シシ神が人間に敗れ神秘の森がタダの森になってしまったような光景である。 つまりKはタダの現代人であり城はいつも目にしている社会になってしまった。 それはともかくゴッタ煮のような舞台だ。 こういうのを雑踏的芝居というのだろう。

■長い墓標の列

■ 作:福田善之,演出:宮田慶子 ■ 新国立劇場・小劇場,2013.3.7-24 ■ 母が娘弘子に花里を追いかけさせるところ、そして終幕弘子は花里を途中で追うのを止めてしまった理由を述べるところ、ここだけが人間味の感じられる場面でした。 あとは硬直化していく大学組織や国家状況の話です。 ハムレットのいない「ハムレット」を観ているようです。 それにしても山名教授は堅いですね。 逆に城崎は柔らかすぎます。 「・・この戦争を起こした犯人はどこかにいる!」、「・・私が犯人を引き受けましょう」(確かな台詞は忘れましたが)。 終幕での教授と城崎の対話です。 面白いのですが極端にみえます。 人生や政治思想で中庸の人々がいなくなるのが一番の問題だとこの芝居は言っているようです。 学生の林が唯一中庸にみえましたが田舎に引っ込んで最後は戦死してしまいます。 そして最初から気になっていた彼の笑いが不発だったのは不満です。 *NNTTドラマ2012シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/pdf/20000602.pdf

■リゴレット

■作曲:G・ヴェルディ, 指揮:M・マリオッティ,演出:M・メイヤ,出演:Z・ルチッチ,D・ダムラウ,P・ペチャワ,S・コツァン ■ 新宿ピカデリ,2013.3.9-15(MET,2013.2.16収録) ■ 1960年のラスベガスが想像できない。 ネオンの輝きはわかるけど人々の心の有り様がみえないの。 だから観ていて戦後の日本映画を思い出しちゃった。 闇市でのヤクザと純真な田舎娘のパターンをね。 でもインタヴューではラット・パックとその周辺の名前がでていたから相当違うはずよ。 20世紀前半のアメリカ映画に浸っていないとだめね。 ルチッチもペチャワも役柄が合っていたんじゃない? ダムラウは何を考えているのかわからない。 父娘の関係もイマイチだし。 でもズルズル負けていたのを3幕で逆転勝利に持っていくのはさすがヴェルディの腕ね。 キャデラックと骨組みだけの家と動きのあるネオンも3幕を面白くしたわ。 昨日、山口昌男が亡くなったことを知ったの。 彼の本から舞台の面白さを教えてもらったのよ。 お酒が祟ったのかしら? でも平均寿命を越えたのはトリックスターの笑いが身体に効いていたのね。 *METライブビューイング2012作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2012-13/#program_09

■LAND→SCAPE・海を眺望→街を展望

■ 作・演出:藤田貴大,出演:マームとジプシ ■ あうるすぽっと,2013.3.8-10 ■ 小倉の風景を話題にしています。 でもどこかの地方都市のどこにでもある話です。 大都会へ行く人残る人の出会いと別れの話ですから。 科白と身体の反復でリズムを生成させてどこにでもある物語を渦巻状に進めながら感動へと導きます。 チラシにはリフレインとありましたが素晴らしい方法です。 今回は四方が観客席でした。 この形は対角線に動きまわる役者にとって演じ易いはずです。 しかし男優の何人かは声が枯れていて後ろ向きの科白が聞き難い場面が多々ありました。 この劇団は動きが激しいため怒鳴るような喋り方に陥ります。 体力増強と一層の発声訓練が必要ですね。 終幕に兄の事故死と妻の病死が次第に明らかにされます。 二人の死の説明のリフレイン後、つまり音楽・照明そして役者が歩き回る激しい場面で、幕を閉じてもよかったのではないでしょうか? 事故死や病死の重いリフレインは苦しさを通り越して無感動に向かってしまいます。 幕の降ろし方が20分遅かったためシラケてしまったようです。 *劇場サイト、 http://www.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/event/2012/1113landscape.html

■ASLEEP TO THE WORLD

■ 振付:中村恩恵,出演:鈴木ユキオ,平原慎太郎 ■ 青山円形劇場,2013.3.7-10 ■ 半径5Mの円形舞台は狭い。 ダンサーが無関心を調っていても観客は疲れる。 精神が解放されない。 あと半径が1メートル長ければ違っただろうに。 後半は動きも少なくなり慣れてきたが、やはり中途半端は免れない。 音楽はとても良かった。 ギターと電子音で複雑で宇宙的な広がりを持っていて、舞台すべてを主導していたようにみえる。 しかし鈴木ユキオと平野慎太郎の違いが上手く噛み合うまでにはいかなかった。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/42989

■ハムレット

■ 演出:多田淳之介 ■ 富士見市民文化会館キラリ,2013.3.5-10 ■ マルチホールに入るとなんと「 東京ノート 」 と同じ! 椅子がバラバラと置いてあり自由に座るの。 途中客席を同方向に並べ替えて舞台を造るのよ。 そして再び対面に動かし舞台を中央に持ってくる。 ここまでは役者と観客のリズムが合っていたわ。 でも劇中劇の殺害場面はメインホールへ移動。 これで芝居の流れが切れてしまったの。 原因はメインホールが広すぎたから。 再びマルチホールに戻るけど今度は2階へ。 流れは戻ったけど物語の拡散は避けられない。 そして台詞が現代に溶け込んでいて特に前半のハムレットは同時代人ようね。 特に<父の力>が目立っていたわ。 亡霊は頻繁に登場するし、ボローニアスはオフィーリアより印象に残った。 国家と戦争もこれにより一層強調された。 今の国際情勢を意識し過ぎたのね。 でも「ハムレット」で何をしたかったのか?よくわからない。 あらゆる面で力が籠もりすぎていた感じね。 *劇場サイト、 http://www.kirari-fujimi.com/program/view/176

■ネエアンタ ーNe ANTAー

■ 演出:藤田康城,出演:山崎広太,安藤朋子,ARICA ■ 森下スタジオ・Cスタジオ,2013.2.28-3.3 ■ 芝居のようでありダンスのようでもあります。 男の過去を話す女の声がスピーカから聞こえてきます。 女の持っているイヤラシサさが声にこびりついています。 また浪花節を聞いているようです。 男はゆっくり歩きまわり、窓のカーテンを開けたり冷蔵庫を叩いたりドアを閉めたりします。 動きがいいですね。 震えています。 男は存在するというより振動しているかのようです。 彼の振動的身体が女の声をスルリと躱しています。 ところで声の主は舞台に登場する女の声なのでしょうか? 彼女の存在は現実的です。 彼女の視線の中には<目的>が見えるからです。 このため男の振動的身体は女の現実的身体を寄せ付けません。 女の声、男の身体、女の身体、三者のすれ違いがベケット的にみえました。 *主催者サイト、 http://aricatheatercompany.com/japanese/news/2012/12/arica-24.html

■ルル

■ 作:フランク・ヴェデキント,演出:シルヴィウ・プルカレーテ,出演:ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場 ■ 東京芸術劇場・プレイハウス内特設ステージ,2013.2.27-3.3 ■ プレイハウス舞台上に馬蹄型観客席が造られているの。 席に勾配があるから大学の医学部実験室で学生が座って手術を見ている感じね。 芝居も外科手術のような内容だわ。 ルルの肉体は迫って来るし、肉片も飛び散るからよ。 しかも衣装や化粧がヨーロッパ演劇の遠いところからやって来たようにみえる。 これらのすべてが重ね合わさって、肉体と精神の分裂と結合を繰り返す物語が生まれるの。 そしてある種の眩暈が訪れる。 ルル役のポピもM・モンローを激しく堕落させたような女で素敵だった。 このような芝居は日本ではめったに出会えない。 野田秀樹が「演劇の原初のパワーに満ちた東欧の舞台・・」と言っていたけど当たりね。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater016/

■マクベス

■ 演出:野村萬斎,出演:野村萬斎,秋山菜津子 ■ 世田谷パブリックシアタ,2013.2.22-3.4 ■ マクベス夫妻以外を、なんと三人の魔女がすべてを演じている。 物語も簡素にまとめてありダイジェスト版を観ているようだ。 このため舞台にシンプルさが漂う。 世界ツアー用の為かもしれない。 幕開きの魔女の予言で全てが決定する。 だから萬斎マクベスは決定に従うロボットのようだ。 感情を抑制し言葉も淡々としている。 「眠りは無い」、「人生は影法師」のまさに21世紀版表現方法である。 面白いマクベスだ。 しかしマクベス夫人はこの流れについていけない。 ロボットを操作できていない。 舞台では布の使い方がいい。 特に矢が飛んでいく場面やバーナムの森が近づいてくる場面が。 でも三人の魔女が変身する時の身に付ける鎧は格好が悪くていただけない。 *チラシ、 http://setagaya-pt.jp/theater_info/upload/file/macbeth_pm_pdf_dl_file.pdf