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■2014年舞台ベスト10

□ 又   演出:田村一行,出演:大駱駝艦 □ 花子について   演出:倉持裕,出演:片桐はいり,西田尚美ほか □ 虚像の礎   演出:中津留章仁,劇団:トラッシュマスターズ □ ヒネミの商人   演出:宮沢章夫,劇団:遊園地再生事業団 □ カルミナ・ブラーナ   演出:デヴィット.ビントレー,舞団:新国立劇場バレエ団 □ トーマの心臓   演出:倉田淳,劇団:スタジオライフ □ 関数ドミノ   演出:前川知大,劇団:イキウメ □ マハーバーラダ   演出:宮城聰,劇団:SPAC □ [àut]アウト   演出・出演:グループ.アントルス □ 無伴奏ソナタ   演出:成井豊,劇団:キャラメルボックス *並びは上演日順。 選出範囲は当ブログに書かれた作品。 映像と美術は除く。 * 「2013年舞台ベスト10」

■止まらずの国

■作:舘そらみ,演出:舘そらみ,劇団:ガレキの太鼓 ■こまばアゴラ劇場,2014.12.19-30 ■よっ、冒険王!! 日本人にとっては、どのような形態でも海外旅行は驚きの体験でしょう。 この雰囲気が舞台からも感じられます。 今でもバックパッカーは流行っているのでしょうか? しかし舞台は過激です。 クーデター?に出会ってしまった! これは未体験ゾーンです。 どうなることか緊張しました。 しかし終幕のオチがよくわかりません。 祭りに出くわしたのでしょうか? 科白がよく聞き取れなかった為です。 たぶん街が解放されたのですね。 過激な体験に出会った時にどのような考えや行動をしなければいけないのか? そしてこの体験を自身の人生や仲間にどのように結び付けるか?を考えてくれ、と言っている芝居にみえました。 名も知れぬ空港で降り立つ時の緊張と不安・・、帰国便の席に座った時に押し寄せてくる安堵・・。 この「緊張」「不安」「安堵」の繰り返しが海外旅行の楽しみかもしれません。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/1104

■鼬

■作:真船豊,演出:長塚圭史,劇団:シス・カンパニー ■世田谷パブリックシアタ,2014.12.1-28 ■叔母おとりは山影に裏切られるのでは? 鼬とは誰なのか? これからが面白い!とワクワクしながら観ていたが、母おかじの死で幕が下りてしまった。 年末だというのに半端な終わり方で残念である。 舞台のだるま屋内部はただっ広いだけの空間である。 債権者が家具類を持って行ってしまったようだが、昭和初期の東北にはみえない。 しかしこれで人物に集中できた。 役者たちは喚くような喋り方だが慣れてくると気にかからなくなった。 女性たちが素晴らしい。 特におとりとの対話が活き活きしている。 数々の苦労話が当時の風景を連れてきてくれる。 そして欲望の結晶であるカネはモノの極限にみえる。 札束を数える・札束を隠す・札束を人に渡す・・。 札束はおどろおどろしい。 人の全てがこびり付いるようだ。 振込やカードだとこうはならない。 昭和は遠くなってしまった。 ともかく中途半端な感は否めない。 続編の3幕を作ってくれ。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/12/post_376.html

■トロイアの女  ■からたち日記由来

■トロイアの女 ■原作:エウリピデス,演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■吉祥寺シアタ,2014.12.19-26 ■2作品を上演。 でも最初の「トロイアの女」はよくわからなかったわ。 途中に鈴木忠志のトークがあり、その間に配られたパンフレットを読んでどうして分からなかったのか?が分かったの。 そこには、王妃は苦難の人生を想いながら自分の境遇を嘆いているだけで「ストーリが希薄」そして「劇が描かれていない」ようにみえると書いてある。 物語が遠のいた理由かもしれない。 これで侍たちの動きや王妃の喋り方などが大げさになっていたのね。 間接的にギリシア兵やトロイア人などのグループ間や、老婆や神像・廃車男の役者間の結びつきが弱められ舞台が散らばってしまった。 この弱さがわからない原因よ。 アンドロマケ=花売り娘の存在は光っていたわ。 「敗戦後の予想のつかない人生を想像する状況ほど劇的なものはない」と言っているけど、舞台の劇的さも想像するしかない作品のようね。 でも最後に高橋康也の解説を読んで全体が見えてきた。 ■からたち日記由来 ■作:鹿沢信夫,演出:鈴木忠志,劇団:SCOT ■発狂したチンドン屋の母親が講談、それは伯爵令嬢鎌子とお抱え運転手倉持の心中未遂事件を語るストーリーなの。 母を介護している息子と伯父が横でハーモニカとクラリネットを持って伴奏や歌唱を担当。 「人は誰でも心の片隅に、からたち日記を持っている・・」。 母親の力強い講談が心の奥にしまっていた歌を見事に舞台へ現前させていたわ。 令嬢の一度でいいから愛したいという心情が伝わってきたの。 伴奏は大正時代の風景を広げていた。 物語が凝縮された素晴らしい舞台だった。 でも終幕、母親の口調が激し過ぎたようね。 これが島倉千代子に上手く繋がらなかった。 内に秘めるように終わらせればパーフェクトよ。 「こころで好きと 叫んでも 口では言えず ただあの人と・・」 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/60516

■カストラート

■監督:G.コルビオ,出演:S.ディオニジ ■(フランス.イタリア.ベルギー合作,1994年作品) ■歌劇入門書の文献欄に必ず載る作品です。 1994年作成ですからちょうど20年前ですね。 やっと観ることが出来ました。 バロック時代の歌手ファリネッリの伝記です。 作品はたぶん当時に忠実であろうとした為か躍動感がありません。 そして兄弟関係を重視しているのでパッとしない内容です。 去勢手術をしているので二人で約一人前ということのようです。 ポルポラやヘンデルが登場しますしハッセの歌もあります。 しかしファリネッリがイタリア・オペラの下地を作った後半は描かれていません。 メタスタージオもグルックも登場しません(見落としたのかもしれない?)。 監督は台頭するオペラ・セリアを横目にカストラートの全盛期を描きたかったのでしょう。 18世紀のカストラートを取り巻く風景というものを感じ取ることは出来ました。 これだけでも観た価値があります。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/43318/

■シンデレラ

■音楽:S・プロコフィエフ,振付:F・アシュトン,指揮:M・イェーツ,出演:寺田亜沙子,井澤駿 ■新国立劇場・オペラハウス,2014.12.14-23 ■「シンデレラ」は時間を意識する作品だからクリスマスの恒例になっているのかしら? でも「胡桃割人形」と比べると面白くない。 二人の姉を道化にしたのがその理由。 主人公に強敵がいるかどうか? お伽噺でも緊張感が必要条件よ。 子供たちが沢山観に来ていたけどこれが分かるはず。 そしてプロコフィエフの音楽はいつも不安感が漂っている。 姉たちはこの音楽を料理する腕前が必要かもね。 この演出は当時の時代の要請らしいからしょうがない。 新ソリスト井澤駿が登場したけどプロコフィエフは踊り難そうに見えたわ。 でも緊張ある場面は熟していたしダイナミックな持ち味も感じられた。 舞台は仙女と道化師の切味の良さが全体を引き締めていたし、四季の群舞も素敵だった。 シンデレラの家は天上梁の形の古さや出入口や暖炉にカモシカが飾られ物語の詰まっている豊かさが表れていた。 いつもの舞台美術とは違うの。 やはりクリスマス時期の作品ね。 楽しかったわよ。 *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/cinderella/

■ジプシー・フラメンコ

■監督:E・ヴィラ,出演:K・アマジャ,M・アマジャ ■UPLINK,2014.12.20-26 ■「カルメン・アマジャ生誕100周年記念」ドキュメンタリー作品である。 カタルーニャのジプシー・コミュニティがフラメンコを脈々と引き継いでいる姿を描いている。 人々は余所行顔で登場するが、風景に溶け込むと生活顔に戻るのがとてもいい。 カルメン・アマジャの姪たちの練習風景は面白い。 しかし演奏や踊りの場面では顔を中心としたアップが多く全体を見せてくれない。 舞台場面でも観客の子供を撮影し続けたりする。 構成やストーリーは上手いとは言えない。 でも活き活きしていてドキュメンタリーとしては申し分ない。 舞踊関係者なら深読みもできそうだが、フラメンコを沢山観よう!と渋谷に出かけた素人には期待ハズレだった。 ■映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/79460/

■スーパープレミアムソフトWバニラリッチ

■作・演出:岡田利規,劇団:チェルフィッチュ ■KAAT・大スタジオ,2014.12.12-21 ■コンビニはチケット発券で利用しているわね。 多くの決済機能を持っているのがコンビニのメリットかな、ATMもあるし。 それと急ぎのコピー。 出先でのアイスクリームも。 これはタイトルと一致して嬉しい! やっぱアイスクリームを買うのが一番多いわね。 アイスクリームの自販機って無いでしょ? コンビニの構造や組織の説明が多く有ったけど芝居を上手に修飾していたわ。 店員とお客や本部担当との遣り取りは問題提起も含まれていて面白い。 でも多くの提起は社会現象として拡散してしまい面白さだけが残ってしまった。 しかもコンビニの進化に付いていけずに、その落穂拾いをしているような舞台にもみえた。 ところで役者の振付をバッハに合わせていたけどこれも古い感じね。 たぶん国際共同制作でこうなっちゃたのね。 作り手は膨大なカネと情報を使っているけど、チャラチャラの軽さが売りのコンビニ空間。 そのコンビニに迫る黙示録を作るならカーツ大佐に会いに行くしかない。 それにしても題名のアイスクリームは美味しそうね。 *劇場、 https://www.kaat.jp/event/33116

■おじょう藤九郎さま

■演出:田村一行,出演:大駱駝艦 ■壺中天,2014.12.13-21 ■舞踏と民俗芸能の関係は意識したことがなかったし、青森県八戸市の「えんぶり」も知識がありません。 舞台は舞踏と芸能の境界線を行ったり来たりしているようで複雑な楽しさを持っています。 この複雑さは「ながえんぶり」と「どうさいえんぶり」、「えんぶり摺り」と「祝福芸」を上手く取り混ぜている為とみました。 稲作農耕の仕草が前面に出ていますが、男女ダンサーのリフトもこれに沿っていて面白い。 また男性ダンサーの「どうさいえんぶり」は圧巻でした。 本物の「えんぶり」を見ていないので何とも言えないのですが、舞踏と芸能が巧く融合された作品と言えるでしょう。 精神面の暗黒性が薄いのはしょうがないですかね? *劇団サイト、 http://www.dairakudakan.com/rakudakan/kochuten2014/ojyou_kochuten.html

■この道はいつか来た道

■作:別役実,演出・出演:富永由美,土井通肇 ■旧眞空鑑アトリエ,2014.12.12-20 ■介護施設から逃げ出した老いた男と女の話である。 二人は道端に茣蓙を敷いて「結婚ごっこ」を始める。 しかし女は死が近づいている。 彼女の右足そして左足と感覚がなくなっていく。 感覚が残っている首をナイフで刺してくれ!と女は男に頼む。 それは女の前夫の死に様と同じだ。 男は、かつて女が前夫を見送ったように彼女の死を看取る・・。 幼児時代の「ままごと遊び」に始まり、老いて「結婚ごっこ」で終わるのも幸せな人生なのかもしれない。

■新たな系譜学をもとめて-跳躍/痕跡/身体-

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/12/blog-post_9.html

■星ノ数ホド

■作:ニック・ペイン,演出:小川絵梨子,出演:鈴木杏,浦井健治 ■新国立劇場・小劇場,2104.12.3-21 ■日々の行為の裏には他の可能性があった。 時間を戻して幾つかの可能性をやり直す舞台構成です。 例えば脳腫瘍の検査結果が悪かった場合、次に良かった場合をループシリアルに演じます。  物理学者マリアンヌと養蜂家ローランドの出会・別れ・再会・結婚の話ですが、細かな反復があるので物語が断片化されてしまいます。 これは逆に「星ノ数ホド」もある可能性が一つ一つ寄せ集められ人生を作り出していることを意識させてくれます。 この作品は一種の哲学というか宗教観のようなものを描こうとしたのではないでしょうか?  しかし舞台ではこれを現代科学に繋げようとします。 紐理論も一つの可能性とみるべきでしょう。 そしてマリアンヌは終始厳しい口調で自己と戦っているかのような姿です。 硬いリズムが舞台を覆っています。 この二つが「可能性の一つである人生の不思議さを感じさせる舞台」と拮抗して全体が中和してしまった。 面白い構造の作品でしたが、演出家や俳優がどのような芝居を作ろうとしていたのか観ていて悩みました。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_003731.html

■スペイン国立ダンスカンパニー

■監督:J・マルティネズ ■KAAT・ホール,2014.12.5-6 ■「SUB」「堕ちた天使」「ヘルマン・シュメルマン」「天井桟敷の人々」「マイナス16」の5作品を上演。 最初の「SUB」は戦士たちが闘い前の準備運動をしているようだ。 体格が良いので重量感が伝わってくる。 これは「堕ちた天使」の女性ダンサーにも言える。  しかし大味である。 振付が指先や爪先にまで届いていないからである。 つまり身体の端がボヤケてしまって大味にみえるのである。 スペインらしく日常性を取り込んでいる場面も多いが物語が中途半端である。 これも原因かもしれない。 「天井桟敷」ではマルティネズが踊る予定であったが怪我のため代役になってしまった。 残念である。  終幕には10名くらいの観客を舞台に乗せたが即興客のようではなかった。 統制がとれていたためである。 でもこれで和んだことは確かだ。  パリ・オペラ座次期監督のB・ミルピエが話題になっているが、こちらスペインの方は静かにみえる。 資本主義世界では経済発展と芸術の面白さは比例するのだろう。 20世紀に戻って舞台を観ているようだった。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/spain

■疫病流行記

■作:寺山修司,演出:高野美由紀,出演:劇団☆A・P・B-Tokyo ■シアターグリーン,2014.11.28-12.3 ■「30年前は陸軍野戦病院だった・・」。 でも「ロメオとジュリエット」の舞台美術だと勘違いしたくらいです。 貧弱ですが黄土色の家壁に蔦が這っていて、ジュリエットが登場してきそうな明るさがあります。 戦後30年の1975年にこの作品を初演、それから40年後の今日が九條今日子追悼公演になってしまいました。 ・・戦後70年もたったのですから野戦病院跡の建物も明るくなるでしょう。 女性演出家色が強く出ている作品でした。 しかもメトロノームで計っているような舞台テンポです。 このテンポで物語も平均化されたのか煮詰まりません。 細かい話は沢山登場するのですが集約できない。 これは作者がメッセージを込め過ぎたせいでもあります。 この作品は舞台が間延びをしてしまうことがよくあるのです。 でも流石APB東京です。 持前の寺山DNAで恰好をつけることができました。 歌唱が数曲ありましたが、音響を抑えて役者が真面目に歌えば舞台に深みが出るでしょう。 *劇団サイト、 https://www.apbtokyo.com/about?lightbox=dataItem-k92horaj

■ドン・カルロ

■作曲:G・ヴェルディ,指揮:P・リッツォ,演出:M・A・マレッリ,出演:R・シヴェク,S・エスコバル,M・ヴェルバ,S・ファルノッキア,S・ガナッシ, 妻屋秀和 ■新国立劇場・オペラハウス,2014.11.27-12.9 ■カトリック世界にドップリ浸かってきたようだわ。 日本で言えば温泉で一日中湯につかってきた感じね。 でもカトリックは別世界よ。 「安らぎは墓の中で・・」「天上で再開できるなら・・」「安息できるのは天国だけ・・」。 誰もが一直線に墓や天国へ行こうとしているから凄い。 温泉へ行くのとは訳が違うの。 そして舞台美術も素晴らしい。 これだけの壁の厚さがないとこの劇場には似合わない。  歌唱ではドン・カルロがボリウムたっぷり、フィリッポ二世は安定感がある。 どちらもプロとはこういうものだと言っているようにみえた。 エリザベッタは段々と調子を上げてくるの。 4幕のアリアも二重唱も最高。 歌手たちの組み合わせがよかったのね。 各自の個性が生きていたからよ。 カーテンコールで観客の拍手の質がいつもより良かったことでもわかる。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/141127_003715.html

■カルメギ

■原作:A・チェーホフ,脚本:ソン・ギウン,演出:多田淳之介,出演:東京デスロック,第12言語演劇スタジオ ■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2014.11.27-30 ■二か国語で違和感のない芝居は珍しい。 両国語の台詞が密に混ざり合っている為です。 逆に発音に関する科白が多くあるのも面白い。 でも役者たち身体にギコチナサが見えます。 言葉より混ざり合っていなかった。 これが荒削りな舞台を作っています。 この粗さが統治時代を演ずる時に出現する鬱積していたマグマにみえます。 日本人役者がこのマグマに対峙するので、外からみる観客は客観的に統治下の状況を捕まえることができます。 例えば東京は?、恋愛の違いは?、韓国女性と結婚した日本人は?、日本演劇の状況は?、・・、当時の韓国からいかに見られていたのか分かるのです。 一国だけの俳優だとこの遣り取りが作れない。 また20世紀の事件名が表示されますが、これも違いに気づかされます。 たとえば戸籍制度、創氏改名、志願兵令などは統治側からは出てこない。 三度の東京オリンピックが選ばれたのは脚本や演出家世代の興味ある事件なのでしょう。 舞台は上手から下手へ人が流されるように進んでいきます。 「かもめ」を下敷きにして戦争を上から被せる舞台ですから観る者は分断させられます。 これを繋げるにはニーナでは荷が重過ぎる。 男女関係も荒削りの舞台に飲みこまれてしまいましたね。 逆に叙事詩的な表現を活躍させることが出来た。 チェーホフと統治時代を独特なリズムで描けた理由がここにあります。 *劇場、 http://www.kaat.jp/d/tdl_kaat

■至高のエトワール-パリ・オペラ座に生きて-

■監督:マレーネ・イヨネスコ,出演:A・ルテステュ,J・マルティネス ■Bunkamura・ルシネマ,2014.11.8- ■アニエス・ルテステュのオペラ座時代の26年間、特にエトワールでの16年間に焦点をあてているドキュメンタリなの。 彼女のバレエや仕事への考え方が語られ、一人の真摯なダンサーとしての姿が浮かび上がってくるからスクリーンに釘付けよ。 彼女は長身の為か初期の古典作品では一人で踊ると大味になってしまうの。 マルティネスに出会ったのは幸運ね。 パートナーも長身だとパ・ド・ドゥはダイナミックで最高。 ほんの一場面だけど、彼女出演の作品映像が凄い。 J・ロビンス「ダンシズ・アト・ギャザリング」、W・フォーサイス「WOUNDWORK1」?、J・キリアン「輝夜姫」、そして初めて見るC・カールソンの「シーニュ」。 振付家の期待に答える使命感を彼女は持っているの。 しかもそれを成し遂げる力が有る。 アデュー公演「椿姫」ではP・ラコットとG・テスマの顔もみえたけど、二人は特に彼女への影響力*1があったのかもしれない。 「彼女を通じてバレエの歴史がみえる」とフォーサイスが言ってたけど、「白鳥」で始まったこのドキュメンタリを見るとまさにその通りね。 *1、「 バレエに生きる 」 *劇場サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/14_etoile.html

■桜の園

■原作:A・チェーホフ,演出:矢内原美邦,出演:ミクニヤナイハラプロジェクト ■にしすがも創造社,2014.11.13-17 ■劇場前の空き地で役者が3組に分かれて喋り始めるの。 チラシにはどれか一組を観るようにと書いてある・・。 スピーカで演説もするのよ。 桜の木を切る切らないと揉めているようね。 きりの良いところで客は劇場内に導かれる。 舞台は木の葉が一杯に敷き詰められていて小さな池もある。 再び3組の役者が続きを始めるの。 木を守る会の会員、土地開発の社員、土地を売った地主?の三組のようね。 しかも地主には先祖の霊が取り付いてしまう。 神業のような早口で喋る台詞、激しいダンスのような動きで葉塵が舞い、入場時にマスクが配られた理由もわかる。 舞台を見続けているとある種の恍惚感が湧き出てくるの。 しかし三組の意見はまとまらない。 自然保護や生まれ育った土地の思い、都市開発など課題が盛りだくさん。 どれも反復が多くてしつこい感じがする。 つまり動きの恍惚感と言葉の執念深さが不調和をもたらすのね。 そしてこれは「桜の園」だったんだ!と回帰できる場面で終幕になる。 物量感ある舞台だったわ。 最初の野外上演があったことを忘れてしまったくらいだから。 *劇団サイト、 http://www.nibroll.com/myp/sakura-no-sono.html

■ご臨終

■作:モーリス・パニッチ,演出:ノゾエ征爾,出演:温水洋一,江波杏子 ■新国立劇場・小劇場,2014.11.5-24 ■両側に客席を挟んでの舞台です。 この劇場では時々見られる構造ですね。 チラシも見ないで行ったので驚きの連続です。 なんと登場人物は二人だけ! 伯母と甥です。 しかも伯母の台詞は確か4~5箇所くらいしかありません。 それも数秒の短さです。 甥の一人芝居のようですが、科白が成立しなくても二人は心のどこかで通じ合っているのが分かります。 後半に再び驚きが来ます。 甥は住所を間違えて隣の家を訪問していたのです!? 途中でわかったのですが場所は日本ではない。 ハロウィーンやクリスマスを祝っているしドイツの歌から北ヨーロッパでしょう。 これで日本の臨終や葬式から離れて物語を自由にみることができました。 題名もパッとしないので準備無しで劇場に行ったことも幸いでした。 人との出会いというものを感動を持って面白悲しく、しかも<出会いの始まりの姿>が描かれていたからです。 二人芝居なのに一人は喋らない。 この不均衡をフェードアウトで巧みに場面を終わらせたり、別れを言葉で出会いを身体で同時表現しているなど構造的に面白い作品でした。 後半、部屋の位置を反対にしたのも客へのサービス以上のものがありました。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage46423_1.jpg?1416128148

■フィガロの結婚

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:J・レヴァイン,演出:R・エア,出演:I・アブドラザコフ,P・マッティ,M・ペータセン,A・マジェスキ ■東劇,2014.11.15-21(MET,2014.10.18収録) ■「カルメン」(2012年)、「ウェルテル」(2014年)は演出の出来が良くなかった。 今回はより演劇的作品に近づけたから演出家リチャード・エアの迷いが吹っ切れた感じね。 時代は1930年代。 それにしても窮屈な舞台だった。 歌舞伎の回り舞台なら江戸の風景が楽しめるのに部屋の中を動き回っているだけ。 しかも背景に暗い壁がせまっているの。 逆に歌唱に集中できて物語が濃くなったのかもね。 歌手達も突出感がなくてまとまりがあった。 セクシーぽさもあったけどサッパリしていて重たくない。 モーツアルトのスピード感を出せた理由よ。 二幕途中は緩みが出たけど作者が欲張りすぎたからしょうがない。   騙し騙され、嫉妬のエネルギーは復讐の喜びに直結し、神と悪魔、喜びと悲しみが同時に表現できるのはモーツアルトだからこそ。 楽しかったわ。 フィガロとスザンナより伯爵夫婦の印象が強く残った作品だった。 *MET Live Viewing2014作品 *主催者サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_02

■水の戯れ

■作・出演:岩松了,出演:光石研,菊池亜希子,近藤公園,瑛蓮,根本宗子,岩松了,池田成志 ■本多劇場,2014.11.1-16 ■遅刻した気分です。 物語が進んでしまって取り残されたような感覚が続きます。 彼らには深い関係がありそうですがそれが明かされない。 その中で春樹は明子から一緒になりたいことを告げられます。 これが一幕のクライマックスでしょう。 生真面目な春樹と内心がみえない明子の告白だけで舞台は持ち堪えています。 徐々に過去がみえてきます。 明子の前夫つまり春樹の弟は自殺したこと、春樹は兄大造や弟?の増山と明子との関係に猜疑心を持っていることをです。 二幕はこの疑いが深まっていきます。 春樹は猜疑に取り付かれているので心が読めますが、明子は苦しんでいるのはわかりますが難しい。 これは明子の台詞が熟れていないのが原因ではないでしょうか? しかも明子の態度や喋り方が突っ樫貪のため更に混乱します。 そして明子の心の状況が見えないまま悲劇が訪れます。 いつもの青春時代物とは一味違う面白さがありました。 チェーホフを意識したとHPに書いてありましたが、私は漱石の作品を思い出してしまいました。 ところで演出家が明子の会社上司として一度だけ登場します。 「世間では信用が大事だ」と結婚指輪をチラつかせながら厭味を言うところは現実に揺り戻されますね。 明子の告白に喜んだ春樹と大造が沢山の服布を放り出した1幕終わり、春樹が明子を銃で撃って花瓶の花が飛び散った終幕は静的舞台風景を一瞬反転させて絵になっていました。 また警官増山の趣味、大造の妻林鈴の大陸風性格、若い女菜摘のキッチュな姿や行動が舞台を巧く活気付けていました。 *M&Oplaysサイト、 http://mo-plays.com/mizu/

■眠れる森の美女

■作曲:P・チャイコフスキ,振付:W・イーグリング,指揮:G・サザーランド,出演:小野絢子,福岡雄大,寺田亜沙子,湯川麻美子,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラハウス,2014.11.8-16 ■贅肉が少なく流れが円滑で観やすい舞台だったわ。 演奏もダンサーに上手く合わせていたし、主役級ダンサーは場慣れしていて安定感がある。 美術は装飾が細かいから東洋的な雰囲気もあって面白かったわよ。 そして森の精の群舞は緑の衣装で素敵だった。 でも3幕は別の作品にみえてしまったの。 宮殿装飾の過剰がより過剰になってしまったからよ。 しかも金色だから成金趣味みたい。 ボリショイ・バレエ*1の欠点を引き継いだ感じね。 これで物語が萎んでしまったの。 新国劇は機械的抽象デザインが多いからたまにはよいかもしれないけど・・。 衣装も終幕では統一感が無く 滲んでしまったわ。 全体としてはダンサーたちの日本的な繊細さが作品に巧くマッチしていたという感じかしら。 今シーズンも楽しみね。 *1、 ボリショイ・バレエ「眠れる森の美女」(2013年) *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/sleeping/

■コリオレイナス

■作:W・シェイクスピア,演出:J・ローク,出演:T・ヒドルストン,M・ゲイティス,P・D・ジャージ ■六本木東宝シネマズ,2014.10.31-11.16 ■劇場はドンマー・ウェアハウス。 昔はバナナ倉庫だったらしい。 三方が客席で舞台は椅子だけである。 壁はレンガのようだ。 控えの役者が舞台後方に座っている。 映像のショットが短くて戸惑う。 小さな舞台だから余計に画面切替がはやく感じた。 コリオレイナスはローマの英雄戦士である。 彼は政治の世界に入っていくのだが上手くいかず追放されてしまう。 この恨みからローマに復讐するが家族の嘆願で諦める。 このために彼は殺されてしまう。 コリオレイナス役のトム・ヒドルストンは眼に不安が感じられて複雑な英雄にみえる。 この不安が復讐を企てそして諦める予言を表しているようだ。 しかしこれほどの行動を起こしているのに家族の願いだけで復讐を諦めるコリオレイナスの落差は尋常ではない。  前半は護民官設置や執政官選挙など政治構造の強さが目立ったが、後半のコリオレイナス一人にローマが振り回される姿は惨めである。 作者も後半は背景に手が回らなくなったのだろう。 前回の「 ハムレット 」と同じくスピードがあり気持ちがいい。 しかも思った以上に科白量があった。 そして戦士の登場が多く肉体が前面にでていた。 この科白と肉体の量の絡み合いが作品の面白さの一つにみえる。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2014年作品 *作品サイト、 http://www.ntlive.jp/

■驚愕の谷

■作・演出:P・ブルック、M=E・エティエンヌ ■東京芸術劇場・プレイハウス、2014.11.3-6 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage46615_1.jpg?1415267271 ■客席6列迄を取り払い観客に近づけ絨毯と椅子だけの簡素なブルック流舞台。 観客を舞台に招くから緊張感もあったわ。 それも劇中劇の中で仕組むから面白い。 役者は自然体のようだけど計算され尽している動きをするの。 絵を描く、火をつけるなどの動作は唸ってしまうわね。   今回は脳が話題、もっと絞ると共感覚の話なの。 これを拡張して共感覚を記憶に結びつける主人公達が登場。 でもこのような話を芝居に取り込むのは難しい。 それは科学そのものに意識が向いてしまうから。 これでブルック流感動が少なかったのね。 現代科学は身体性を疎かにしているという台詞が終幕にあるけど、言語的機能主義的脳科学を論じているにも関わらず二元論に逃げてしまったのは脳と直接対決した結果よ。 この作品は映画「P・Bの世界一受けたいお稽古」(*1)の実践版にもみえる。 ブルックを観るといつも思うことだけど、サッパリ感ある舞台は澄み切った青空の中にいる感じがするの。 観後感の気持ちよさは抜群ね。  *1、 http://twsgny.blogspot.com/2014/09/blog-post_22.html

■フランケンシュタイン

■原作:M・シェリ,演出:D・ボイル,出演:B・カンバーバッチ,J・L・ミラ ■日本橋東宝シネマズ,2014.10.31-11.2 ■怪物には名前が無いこと、そしてストーリーも今日観て知った。 フランケンシュタインは怪物を作った科学者の名前であった!? 盲目の老人が「原罪には生まれながらにして罪を受け継いでいる、又は生まれた時には受け継いでいない。 この二つの考えがある··」と怪物に語る。 優れた体力と知性を持っているが醜い容貌の怪物は後者の生き方を選ぶが困難が待ち受けている・・。 分かり難い作品である。 この原罪や善悪という言葉が科白に多くあるためかもしれない。 孤独という言葉も同じだ。 でも怪物は単に人恋しさのようにみえてしまった。 異性への感心もそうである。 しかも科学者の父も婚約者も変わり者に​​みえる。 このまとまりの無さが作品の欠点であり逆にSFの楽しいところだ。 舞台美術や場面展開は素晴らしい。 役者もなかなかである。 怪物の成長過程を丁寧に描いている。 この作品は科学者と怪物の俳優が入れ替わる2バージョンがあるらしい。 片方は観ていないがどちらも似たようなものだろう。 怪物は「生まれた頃のように、ありのままに生きたい」と望む。 今朝の新聞にLGBT(性別違和)の記事が載っていたが、「ありのままに生きたい」を求めるのはいつの時代でも人の願いだ。 生まれた時は罪を受け継いでいないのだから。 *NTLナショナル・シアター・ライブ作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/79829/

■半神

■原作:萩尾望都,演出:野田秀樹,出演:明洞芸術劇場 ■東京芸術劇場・ブレイハウス,2014.10.24-31 ■入場時に通訳用イヤホンが配られました。 この作品は舞台を観るのが初めてなので、「 小指の想い出 」の二の舞いになるのでは? 不安が過りました。 やはり最初は同時通訳で入っていけません。 しかしスピードを少し落としたリズムのため途中で舞台を捕まえることができました。  主人公の結合双生児は肉体や自我そして他者などから来る根本問題を抱えていることがみえてきます。 祖父から孫までの家系で繋がる人間世界は儒教的にみても韓国の役者に受け入れられたのではないでしょうか? エジプト、ギリシャなどの神話や旧約聖書をごちゃ混ぜにしたもう一つのベンゼン世界も漫画的ですが巧く人間世界と繋がっています。 そして役者たちはとても鍛えられている感じですね。 同時通訳のため言葉遊びが不発でしたが、作品の面白さを十分に出し切っていました。 終幕の霧笛場面はジーンときてしまいました。 カーテンコールでは客席がスタンディングオベーションでしたよ。 野田秀樹も舞台にあがりましたね。 ほぼ総立ちは「 オセロ 」以来です。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater063/

■ジキル&ハイド  ■出口なし

■神奈川芸術劇場・ホール,2014.10.24-26 □ジギル&ハイド ■原作:R·L·スティーブンソン,演出:小野寺修二,出演:首藤康之 ■化学実験机の裏が鏡になっているの。 その脚を外し鏡としてぶら下げてその周りで踊る首藤。 でも鏡はただの板にみえる。 照明の工夫が足りないのね。 鏡で二重人格を表現したかったようだけど不鮮明な舞台だった。 でも彼のセクシーさが表現されていたのは満足よ。 そして選曲も気に入ったわ。 そういえばソロは初めてかもしれない。 彼の髪型や衣装を真似た男性客をホールで何人も見たけどモテるのね。 でも「空白に落ちた男」以降は良い作品が少ないようにみえる。 小野寺と首藤の身体性の違いが原因かしら? □出口なし ■原作:J・P・サルトル,演出:白井晃,出演:首藤康之,中村恩恵,りょう ■面白い舞台だわ。 軸は演劇に傾いているけどダンスと演劇のどちらも生きている。 りょうの登場が二つを結び付けたのね。 首藤・中村コンビが対照的な内向きだから一層関係が膨らむ。 舞台上の部屋や椅子そして天井の蛍光灯も想像を掻き立ててくれる。 衣装も素敵! 男一人に女二人、しかも一人の女は同性愛者。 この組合せなら地獄から逃げられるはずよ。 ・・でも性を超えても出口はナシ。 サルトルって厳しすぎない? ダンスと演劇について色々と考えてしまう内容だった。 もちろんサルトルもね。 充実な時を過ごせた気分だわ。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/dedicated_others

■暗愚小傳

■作・演出:平田オリザ,出演:青年団 ■吉祥寺シアタ,2014.10.17-27 ■幕開きから舞台に入っていけない。 やたら茶を飲んだり煎餅や饅頭を食べるからである。 近頃こういう場面が多くなっているようだが? 飲食し過ぎると中身が良くても中途半端に見えてしまうから困る。 しかも役者たちがニコニコし過ぎている。 それと机が小さいためか溢れた椅子が舞台端においてある。 役者がズレた位置に座るため微妙な距離の違いを気に掛けてしまう。 この劇団では致命的とおもわれる。 お茶が少なくなりやっと調子がでてきたようだ。 荷風の作品は読んでいるが、高村光太郎と智恵子はよく知らない。 詩や戦争責任を論じているが二人の下調べをしておけばよかったと後悔した。 後半の光太郎は科白が少なく椅子を積み上げたり馬乗りをする。 悪くはないがオリザ風劇的さが現れていない。 荷風はイメージに合わないところがあったが若すぎたからだろう。 そして宮沢賢治はいつも風呂あがりのような表情をしているのが楽しかった。 しかし当時の社会状況や近所の話題が物語から浮いてしまっている。 智恵子の死は感動的だが、ほかの人の死が遠くにみえる。 理由はうまく言えないが、やはり役者たちの存在感が軽かったからである。 対話の間が生きていなかった。 細かいことだが役者たちの入退場も雑であった。 その中、後ろ姿で座る本間春子は重みがあった。 永井のセリフ「本間は夏木が好きだったのでは?」は席から見ても感じられたからである。  演出家の「再演にあたって」を読むと「・・思い入れの強い作品」とある。 観客からは見えないことが沢山ある作品なのだろう。 チラシの富士に鶴と鴨もいつもと違い意味深であった。 *劇場サイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2014/06/post-25.html

■奴婢訓

■作:寺山修司,演出:多田淳之介 ■富士見市民文化会館キラリ,2014.10.22-26 ■なかなか面白かったわよ。 まず役者一人ひとりの挨拶で幕が開くの。 途中、番号を付けて観客全員を舞台に登らせ役者は観客席へ・・、そして主人探しのため席の観客にインタビューへ・・。 映像を使って劇場いたるところで主人を探しまわる・・。 多くの劇団は表面をなぞりながら寺山修司に近づいていくの。 この作品は骨組みだけを残してあとは再構築した劇場内市街劇のよう。 しかも寺山の匂いがしない。 でも彼の心は見え隠れしている舞台ね。 衣装が原発事故処理用に似ているから、終幕の懐中電灯で照らす場面は福島原発内にいるようだった。  主人の椅子は舞台上に置いて、ボクシングリングのような仮舞台を観客席にも造ったから緊密間は希薄になったわ。 しかも役者が観客席を歩き座りまわるから余計ね。 仮舞台と観客席だけで進められたら緊張感がもっと出たはずよ。 そして役者がマイクを使うのは場違い。 ついでに言うと映像の歌詞は役者が歌って欲しい。   万有引力、月蝕歌劇団、APB東京、青蛾館、流山児事務所、NYX,、少年王者館も面白い。 でも今日観終った時、寺山修司から解放された感じが持てた。 それは寺山との間に<離見の見>のある舞台だったからよ。 *劇場、 http://www.kirari-fujimi.com/program/view/427

■世界は嘘で出来ている

■作・演出:田村孝裕,劇団:ONEOR8 ■スズナリ,2014.10.21-29 ■舞台は古くて汚い貸家の室内ですが面は通りになっています。 上手から役者が登場し面の道を歩いて下手の玄関に出入りします。 退場もこの道を通る場合が多い。 よくみる構造ですが小さな劇場の割には巧く出来ていました。 貸家住人孝行が亡くなりますが、特殊清掃会社の兄滝口が部屋の後始末にあたります。 この兄弟と周囲の人々を描いた物語です。 話は場面が切り替わるごとに過去へ戻っていきます。 現「場面」の小道具や役者の一部を残して次「場面」に繋げる手法を採っています。 この為すべての場面が一つにまとまっている感じがします。 病気持ち?で職に就かない弟を兄や母は思いやるのですが弟の心情が読めません。 夜の仕事の母や零細企業社員の姿は貧困一歩手前の現実がうまく描かれていて舞台に引き込まれてしまいます。 終幕兄は弟の亡くなった状況を母に知らせるのですが、仰向けで頭を枕に乗せて安らかに息を引き取ったと<嘘>を言います。 「世界は嘘で出来ている」は嘘も本当も結局は同じことだと解釈していました。 ですから「嘘」と「本当」の差を意識し過ぎて苦しむ弟や母に「嘘」を付いて泣き崩れる兄は日常世界の良き住人です。 このような世界を基にした作品を観るのは久しぶりの為かいつもと違った感動を得られました。 *劇団サイト、 http://oneor8.net/pg104.html

■忘れな草

■作・演出:P・ジャンティ,振付:M・アンダーウッド,出演:カンパニ・フィリップ・ジャンティ ■パルコ劇場,2014.10.16-26 ■人形がこんなにも多く登場するとは知らなかった。 一人一体の人形を持って双子のように動きまわるの。 人に似せているため瞬間どれが人形だかわからなくなるわ。 この人形とヒトとの境界消失が目眩を呼び生命の記憶を蘇らせるのね。 影絵や布の手作りの感触がその記憶を柔らかく包み込む。 そして独特な舞台が現前するの。 文楽のように人と人形を区別してから物語に入り込むのではないから最初から夢のようなものね。  ストーリーはあるようだけどよくわからない。 なぜ北極なの? なぜ「猿の惑星」から来たの? 役者の動きや歌はまあまあというところかしら? 上手いとはいえない。 手作りの舞台をみていると、20世紀中頃のフランスに戻ったようだわ。 賞味期限が切れているような場面も多々ある。 古さを寄せ集めたところが特徴なのね。 そして題名「忘れな草」は舞台の流れに方向性を与える言葉。 このパルコ劇場はとても観やすい。 舞台と客席に隙間ができない。 親密さで満たされているわ。 11月に新国立劇場中劇場でも上演するけど、この作品はパルコで観るのが似合いそうね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/57082

■霊感少女ヒドミ

■作・演出:岩井秀人,映像:ムーチョ村松,劇団:ハイバイ ■アトリエヘリコプタ,2014.10.18-27 ■ドアのある白い部屋壁が立てかけてある単純平坦な舞台です。 そこにカラフルな映像を映し出します。 ドアから生身の役者だけでなく映像の人も出入りしたり、実際の舞台模型を映写した後、舞台に大きな手の一部を翳したりしてします。 「劇中劇」と同じく「像中像」と言うようなものです。 面白い舞台ですね。 元彼を事故で失った彼女の宅で話が進みます。 新彼が訪ねてくるのですが亡霊の元カレが邪魔をします。 元カレの無念さが表れています。 彼女は新カレと一緒になるのですがやはり捨てられてしまいます。 ・・彼女は自殺してしまいます。  多彩な映像と同期を取るため役者の静止場面が多い。 存在感を強調できます。 でも身体から湧き出る演劇的存在ではなくプラスチックのような美術的存在にみえます。  自殺する電車内の映像ではト書きというか作者の語りが入ります。 小説を読むように聞こえてきます。 しかし演劇的感動が少ない。 ト書きが舞台を無化してしまったようにみえます。 小説のようなト書きを無くして生身の役者と映像美術で固めプラスチック的な存在を追求した方が劇的舞台は迫ってくるはずです。 上演時間が一時間で物足りなさが残りました。 この原因も時間の短さではなくて終幕に<文学>を出してしまったからでしょう。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/58820

■ドン・ジョヴァンニ

■作曲:W・A・モーツァルト,指揮:R・ヴァイケルト,演出:G・アサガロフ,出演:A・エレート,妻屋秀和,M・ヴィンゴ,C・レミージョ,P・ファナーレ,A・ミコライ,町秀和,鷲尾麻衣 ■新国立劇場・オペラハウス,2014.10.16-26 ■舞台はチェス盤を意識しているのかしら? ルークとナイトでできたカルーセルや墓地石像の周囲は同じナイトが見張っているの。 光沢の盤上をゴンドラが滑っていく光景は固くて冷たい。 これでドン・ジョヴァンニとレポレッロのコンビも理性的な雰囲気が強くでているのかしら? このため「女たらし」というよりは一つの世界観を演じているようにみえる。 歌詞「世界中の女を愛する・・」が引き立つ舞台ね。 それと歌手たちの歩数があと二歩ずつ少なければ流れに緊張感がでたとおもう。 一幕は舞台がだだっ広かったからよ。 ときどき静寂を感じる面白い舞台だったけど。 二幕になって固く冷たい舞台に溶け込むことができたわ。 「まずは私の大切な人を」「なんというひどいことを」等々のアリアをじっくり聞くことができた。 オッターヴィオとエルヴィーラは調子が良かったみたいね。 レポレッロはもう少し声に重みがあった方いい。 地獄に落ちる場面は何時観ても壮絶だわ。 そしてジョヴァンニを除いた勢揃いの大団円は物語の余韻を高めていた。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/141016_003716.html

■カップで自分を量るがいい

■作:土田英生,演出:須藤黄英,出演:演劇集団ツチプロ ■下北沢OFFOFFシアタ,2014.10.15-21 ■人間関係の極めて良好な人が急に崩れてしまう。 主人公鳩村真人の顔を見ただけで周囲は吐き気を催す。 仕事関係ばかりか家族・友人もエボラ感染が急速に広がるように人間関係は悪化していく。 ・・展開と結末はどうなるのか楽しみに観ていた。 虐めや差別問題を描くのかとみていたら少し違うらしい。 世界との交わり方を問題にしているようだ。 自分が変わったのか?世界が変わったのか? しかし原因は生物学を越えた異常なものにみえる。 その流れは一層強まる。 彼は自殺?をするがその直前素晴らしい演説をしたとか、足が地面から浮いていたなどが語られる。 最後は聖人として祭り上げられる。 チラシに「・・世界はすごい勢いで流れている。 世界つまり量るものが変われば自分なんてすぐに見失ってしまう・・」と書かれている。 速い流れの中で、人間関係を高次元で結びつける<宗教のようなもの>とどう対峙していけばよいのか? この種の質問をしたかったようだ。 しかし対峙する鳩村の妹の彼氏山瀬はその場を黙って去るだけである。 前半は結婚や職場での人間関係の面白さが出ていた。 しかし後半は急ぎすぎて芝居を観ているというより説明を聞いている感じだ。 チラシに書いてあるように流されてしまった舞台にみえた。 *劇団サイト、 http://tsuchipro.com/contents10.html

■靴

■作・演出:倉持裕,劇団:ペンギンプルペイルパイルズ ■スズナリ,2014.10.9-19 ■ユニット家具のような下駄箱?が舞台周りを埋め尽くしています。 遠近法がズレているためか身長差のある役者が立つと目眩がしますね。 小道具も凝っていて場面切替が楽しい。 幕開きにブランコがぶら下がっていましたが、以降使わなかったのが惜しい。 そして役者が奈落に落ちるのが上手いし、煙草の吸い殻をアチコチ捨てるのも笑えます。 とても面白い舞台です。 二人の女子高校生が主役のようです。 ストーリーを思いだそうとしているのですがコンガラカッてしまいます。 農場殺人事件、夢か未来から来たのかよくわからない人物の登場、生死の境界場所、学校上履紛失事件・・。 これらが時間と空間を飛び越えて展開するからです。 若崎一家は天才バガボンの家族のようでホンワカしてますね。 家族とその友人たちは一人ひとりの性格が際立っていて新鮮です。 特に父と母は人が変わったような警部補と部下の二役を演じるので尚更です。 ネットリ感が短くて笑いのある台詞が多いので舞台が軋みません。  前回の「 COVER 」では「何もないところからドラマを探し、予感から離れたドラマを起こす」とありました。 今回は靴が溢れていました。 しかしこの靴の量が質に転化していません。 シンボルとして留まっているだけです。 ある意味靴を含め小道具が過剰になっている。 これが転化できれば「ドラマを探し・起こす」次の段階、「ドラマを成長」させることが出来るでしょう。 *作品サイト、 http://www.penguinppp.com/next/18/

■ブレス・オブ・ライフー女の肖像ー

■作デイヴィット.ヘア,演出:蓬莱竜太,出演:若村麻由美,久世星佳 ■新国立劇場.THE PIT,2014.10.8-26 ■作家フランシスが夫の不倫相手マデリンを訪れる話である。 登場人物は彼女二人だけである。 舞台はマデリンの部屋だが本で一杯だ。 どんな職業か終幕になってやっとわかる。 博物館の学芸員らしい。 彼女の感情をあまり出さない演技は二人芝居にしては薄く感じる。 またフランシスの存在感、特に椅子に座る姿は日本の主婦である。 話題作になったのも薄々わかる気もする。 しかし二人の対話が愚痴ばかり言っているように聞こえてしまった。 役者や雰囲気が日本語的で内容が英語圏的である為かもしれない。 マデリンが「夫」と別れた理由を「夫が怖かったから」と言っている。 なるほど納得しかけたが腑に落ちるところまで行かない。 二人と「夫」のセックスもあまり語られないのにフリーセックスの話がよく出るのも突飛である。 登場しない「夫」の性格などのイメージが固まらない。 弁護士という職業も日本の公私と位置付が違うためかもしれない。 そして「・・愛をみつけること」と二人は頷き合うが、白々しい。 結局フランシスの訪問した真意がわからない。 チラシに回想録を書くためとあるがそうは思えない。 ロンドンの観客席は笑いに満ちていたのでは? いや静かな陶酔で満ちていたのか? 女性なら結構面白いと思う人がいるのかもしれない。  確信の持てない雑感が次々と浮かんでしまった。 私のリズムある想像力が働かなかったようだ。 これで二人の愚痴、いや対話に入っていけなかった。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場サイト、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/thebreathoflife/

■わが父、ジャコメッティ  ■変身  ■光のない

三連休の初日に横浜で三本ハシゴしたのよ。 ■わが父,ジャコメッティ ■演出:危口銃之,劇団:悪魔のしるし ■KAAT・中スタジオ,2014.10.11-13 ■演出家とその実父が出演している舞台なの。 父は実際の絵かきで、原案は矢内原伊作の「ジャコメッティ」。 つまり父はジャコメッティであり、矢内原伊作であり、舞台上での絵描きであり、演出家の父である一人四役。 この四役が混沌としているの。 演出家が演出家や子の役ばかりでなく矢内原伊作やジャコメッティとの境界にも侵入するし、お手伝いの女優も役者志望の動機を語るからよ。 音楽や映像は舞台に溶け込んで違和感が無い。 三ヶ国語の字幕も凝っている。 舞台外の子と父の関係がほんのり見えるのが芝居を複雑に面白くしているところね。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/w_g ■変身 ■作:F・カフカ,演出:平田オリザ,アンドロイド開発:石黒浩 ■KAAT・大スタジオ,2014.10.9-13 ■アンドロイドからロボットに鞍替えしたのかしら? 生物としてのヒトが生物としての昆虫に変身するのと、ヒトがロボットに変身するのは全然違うはずよ。 前者は異様な戦慄が走るけど後者はそれが無い。 ヒトの肉体が将来はロボットになると薄々予感しているからね。 もちろん金属ではなくIPS細胞のような素材を使ってだけど。 ザムザの顔はJ=L・バローのパントマイムの白に近く能面のようだわ。 結局は「不気味の谷現象」を越えられなかった。 舞台でのロボット議論は二元論に集約されてしまい面白くない。 脳だけは手がつけられない。 鉄腕アトムに戻ってしまったようね。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/henshin ■光のない ■作:E・イェリネク,演出:三浦基,音楽:三輪眞弘,美術:木津潤平,劇団:地点 ■KAAT・ホール,2014.10.11-13 ■これは驚きの舞台ね。 想像とまったく違ったからよ。 得意のオノマトペ等を取り入れて詩が延々と続くの。 舞台美術と照明は「2001年宇宙の旅」を思い出させるところもある。 でも役者の動きと発声は宇宙の旅の身体とは逆なの。 この差異が東日本大震災、特に原発事故の異様さを引き出している。 この作品を載せるのは3回目*1だけど全貌がま

■風の又三郎-Odyssey of Wind-

■演出:小池博史 ■吉祥寺シアタ,2014.10.8-13 ■風の精たちの遊び戯れる姿がとてもリアルで楽しかったですね。 誰しも子供時代を経験しています。 ですから子供を演技する場合はそのエッセンスを見逃さないでしょう。 リアルというのは現実と想像が融合し且つこの二つを越えるものです。 それは子供同士の間にも表れます。 馬で駆けまわる場面は舞台に上り一緒に走りたくなりました。 風精と子供は同じです。 尺八やガムラン?などの演奏はゆったりした時間を作っていて、役者の騒がしい動きや科白と上手く混ざり合っています。 謡?もあり日本を越えアジア的な複雑な面白い音楽でした。 美術はキリコが描くような煙突と階段の抽象性で舞台を引き締めていました。 衣装はちょっと冴えなかった。 たぶん風の精の豊かな動きと静的な美術に挟まれ方向を見失った為でしょう。 映像を含めた総動員のパフォーマンスでしたが、全てが有機的にまとまった充実の舞台でした。 *主催者、 宮沢賢治シリーズ(kikh.org)

■ハムレット

■演出:ニコラス.ハイトナー,出演:R・キニア,C・ヒギンズ,P・マラハイド ■日本橋東宝,2014.10.3-8 ■スピード感溢れる舞台だった。 この作品は走り続けるのが似合っている。 今回は役者も良かった。 老練なマラハイドとヒギンズが両親だと、聡明なローリ・キニアは水を得た魚のようなハムレットになれる。 もちろん観客もハムレットと共に走り続ける必要がある。 それが苦にならない舞台であった。 日本語訳も楽しい。 具体で筋の通った言葉がハムレットの存在を引き立たせていた。  プレトークで演出家が監視国家を強調していたが騒ぎ立てる程でもない。 当時も監視があったことは理解できるが。 ガードマンは舞台を引き締めるコロスと思えば目障りにはならなかったが、オフィリアが本に盗聴器を小細工するとなると舞台に雑音が入ってしまう。 ハムレットを舞台化するときは変わった解釈をしたくなるのが演出家というものである。 しかし今回は小細工をはね退ける面白さがあった。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2014年作品 *作品サイト、 https://www.ntlive.jp/

■パルジファル

■作曲:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:H・クプファ,出演:C・フランツ,E・ヘルリツィウス,J・トムリンソン,E・シリンス,長谷川顕,R・ボーク ■新国立劇場・オペラハウス,2014.10.2-14 ■稲妻のような道にはLED照明が敷かれているの。 なんとモータで動く大きな槍もある。 そして背景には映像が映し出されている。 席が前なので道がよく見えない。 後席なら美術の良さがわかったかもしれない。 新国得意のスッキリサッパリ機械仕掛ね。 天井照明がほとんど無いから空間が寂しい。 上演は6時間弱。 飯守新監督の指揮は急がず休まずマラソンをしているような演奏。 これで安定感は抜群よ。  一幕を観ながら「インディ・ジョーンズ」だとか「猿の惑星」を思い出してしまったの。 中身が関連していると思わない? 二幕のクンドリとパルジファルの遣り取りは面白かった。 三幕はちょっと煮え切らない感じかな。 クリスティアン・フランツは存在感がアヤフヤだわ。 無駄な動きがあるのとクンドリのキスの前後で変わっていないからよ。 愚者の存在力は難しさがあるけど、演出家はもう少し考えてもいいわね。 昨年4月の MET は無垢のまま観たけど、今回は知識や情報を集めて臨んだの。 でも感動はイマイチだった。 舞台芸術は知識・情報と感動が比例しないのよ。 いまここに現前している舞台が全てなのね。 ところで黄色い衣装の人は仏教の僧侶なのかしら? 終幕にパルジファルが僧から貰った袈裟をグルネマンツやクンドリに分け与えるの。 日本公演のサービスなの? 混乱したけど、これも終幕解釈の一つかもしれない。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/parsifal/index.html

■見つめて、シェイクスピア!展-美しき装丁本と絵で見る愛の世界-

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/10/blog-post_3.html

■小指の思い出

■作:野田秀樹,演出:藤田貴大,劇団:マームとジプシー ■東京芸術劇場・プレイハウス,2014.9.29-10.13 ■言葉を花火のように散らかしながら再び集めて物語を紡いでいく野田秀樹と、リズムある繰り返しで深みある世界を見せてくれる藤田貴大のコラボは見逃せません。 しかし負の方向に進んでしまったようですね。  野田秀樹の舞台は観ていませんし戯曲も読んでいません。 ということで物語の流れがよくわからなかった。 一番の原因は役者がマイクを使ったことです。 特に女性の高音早口は響いてしまい集中しなければならない。 微妙なところですが。 劇場設備の悪さもあります。 これでリズムが狂いました。 舞台は本物の自動車が動き回ります。 驚きはありますがいつもの軽やかさが出ていません。 流れが重く感じられます。 物語の面白さは断片的には伝わってきました。 しかし全体がみえないので一度戯曲を読んでみるしかありませんね。 作者の好きな言葉遊びもイマイチ乗れません。 演出家が得意としているところを捨てて臨んだのですが、作品にも捨てられてしまったように見えました。 *劇場サイト、 http://www.geigeki.jp/performance/theater058/

■無伴奏ソナタ

■作:O・S・カード,演出:成井豊,出演:劇団キャラメルボックス ■サンシャイン劇場,2014.9.26-10.1 ■グイグイと舞台に引きこまれていく。 このテンポは手塚治虫の漫画を1頁づつ捲っているのと同じだ。 天才が持っている光と影の二面性を主人公に与えたり、ブラックジャックに繋がるウォッチャーは手塚得意のキャラクタである。 少し冷酷すぎるが。 そして両手の指を全て無くし、声を失っていくクリスチャンは心の記憶を引き継いだロボットのロビタに近づいていくようにみえた。 ところが後半は漫画から離れていく。 バッハからアメリカ民謡へ移ることによって緊張感が薄まり舞台は日常世界に近づく。 やはり天才がSF世界で幸せになるのは万人向けではない。 チラシをみたらこれは演出家の経験から来ているようだ。 そしてクリスチャンが天才を捨て、その基になる肉体も捨て、人々に愛される民謡を作ったことに観客はカタルシスを得る。 世間は非情ともいえる。 *劇団サイト、 http://www.caramelbox.com/stage/mubansou-sonata2014/

■橋づくし ■天守物語

■演出:鴨下信一,出演:白石加代子 ■相模女子大グリーンホール,2014.9.27-28 ■白石加代子「百物語」の第98話三島由紀夫「橋づくし」と99話泉鏡花「天守物語」です。つまりファイナル公演ということです。見逃していたので今回はツアースケジュールから選びました。岩波ホールでの公演はなかったようですね。 白石は挨拶の中で戯曲は小説と比べて難しいと言っていましました。一人8役前後ですから彼女でさえ大変でしょう。この物語を知っている人でも前半は混乱したはずです。 そして百物語は20数年続けたとのことです。凄い!の一言ですね。終了は残念ですが潮時だと思います。以前と比較して声に締まりがなくなっています。一人で喋り続けるの大変なはずです。次回チラシではシス・カンパニーに出演しますね。ずば抜けた力量をこれからも期待しています。 *百物語リスト、 http://www.mtp-stage.co.jp/shikraisikayokonoheya/hyaku.html

■ダンス  ■ファーブル博士があなたを癒します  ■The Space in Back of You

■イメージフォーラム,2014.9.20- □ダンス ■監督:H・V・ダンツィヒ,振付:L・チャイルズ,音楽:P・グラス,美術:S・ルウィット ■この種のダンスは覚醒ある恍惚感に浸れるか眠くなるかのどちらかね。 だから寝不足で観てはいけないの。 振付は繰り返しの中に優しさがある。 花一杯の野原を駆巡っている感じだわ。 グラスの音楽を上手に修飾している。 さすがルシンダ・チャイルズ。  でも映像編集が原因なの? 少しぎくしゃくしている。 画面の質も良くない。 リズムにのれなかったのはこの理由かも。 楽しいけど、直に舞台を観ないとだめな作品ね。 □ファーブル博士があなたを癒します ■監督:P・クーリブル,出演:J・ファーブル ■ヤン・ファーブルが昆虫衣装をまとい、青く塗った舌をベロンしたり、肉のスーツを着て登場するの。 期待していた舞台系ではなくて美術系の濃い作品だから、ちょっと残念。 彼の日記などを原案にしたと書いてあったけど内容がよくわからない。 題名に「・・あなたを癒やします」とあるけど、彼自身を癒やしている作品にみえたわ。 *イメージフォーラム、 http://imageforumfestival.com/2014/archives/633 □The Space in Back of You ■監督:R・ルトコウスキ,音楽:D・バーン,出演:R・ウィルソン,花柳寿々紫 ■ロバート・ウィルソンが大阪にいる花柳寿々紫を訪ねに行くところから始まるの。 そして作品を共同作成していた頃の回想シーンへ・・。 日本舞踊を基本にした振付はウィルソンを魅了したはずよ。 彼女の舞台映像を見てもナルホド納得。 しかも花柳はとても精力的な人にみえる。 この仕事熱心さが彼との共同作業を長く続けられた理由かもしれない。 ウィルソンの作品の謎が一つ解けた感じだった。

■机の器の机

■振付・演出:平原慎太郎,出演:ORGANWORKS ■あうるすぽっと,2014.9.26-28 ■シェイクスピアフェスティバルの1本らしい。 一人が後ろ向きに座りシェイクスピア?の科白を喋っている。 しかしダンスの流れはこれとは無関係にみえる。  照明は逆光を多く使い無色系の舞台に深みを付加している。 題名にもある机が三つ置いてあるが数回しか使われない。 むしろ邪魔に感じられた。    舞台は男女の絡み合いがとても素晴らしい。 しかもどこか日本離れしている。 チラシをみると平原はスペイン研修に行っているようだ。 この影響が強く出ているのかもしれない。 彼のソロもあったが面白く観ることができた。 振付の特徴は目立たないが強靭と柔軟さを内包している。 興味が続くダンサーの一人に間違いない。 *館サイト、 https://www.owlspot.jp/old/performance/140926.html

■ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古

■監督:サイモン・ブルック,出演:P・ブルック ■イメージフォーラム,2014.9.20- ■ブルックの舞台はできるだけ観るようにしているの。 それは役者たちの解放された身体がリズミカルに積み重なっていく心地良さを持っているから。 一言でいうと芝居を観る喜びがあるからよ。 それはこの映画でも言っていた想像力・リアル・普通を演じる・脳の共有等々の成果なのかもしれない。 稽古は簡素な言葉だったけど具体的、でも基本の構造がよくみえない。 笈田ヨシのブルックへの質問は道化的すぎるし・・、90分の作品だからしょうがないかもね。 絨毯の上で稽古をしていたけどブルックは床に拘るの。 あの銀座セゾン劇場の土の色も鮮明に覚えているわ。 そして足の裏の感覚は役者にとって重要なのかしら? 張られたロープを渡る稽古でも足の裏のことを言ってたもんね。 きっと集中と想像力の焦点ね。  とりあえず稽古は演劇人にまかせて、早速「驚愕の谷」のチケットは手に入れたわ。 ウフフ・・。 *作品サイト、 http://www.peterbrook.jp/

■肉のうた

■演出:我妻恵美子,出演:大駱駝艦 ■壺中天,2014.9.13-21  ■我妻は赤いハイヒールを持ってしっかりと一度だけ踊りました。 コミカルな動きでしたが安定感抜群ですね。 存在感も十分です。 「牧神の午後」のような衣装はまさに「女ニジンスキー」でした。 女性ダンサーだけで踊り切るのは初めて観ました。 衣装や髪型に女性独特な雰囲気が出ています。 繊細さも随所にみえました。 ケモノを相手にする5人の子供は楽しかったし、アオザイとノンラーの踊りもなかなかでした。 でも終幕まで盛り上がりっぱなしで一本調子の感があります。 波を作れば感動が増すはずです。 頑張り過ぎて空回りしたような舞台でした。 音楽が少し単調過ぎたのも難です。 次回は冒険してみたらどうでしょうか。 そして「肉のうた」というのは単純な題名です。 もう少し考慮すれば作品の全体が光ります。 *劇団サイト、 http://www.dairakudakan.com/rakudakan/kochuten2015/niku_no_uta_2015.html

■[àut]アウト

■出演:グループ・アントルス ■シアタートラム,2014.9.18-20 ■緊張感ある夢を見ているようだ。 ハッと夢から醒める。 ・・。 しかし眠りからはさめない。 再び夢の中へ。 ノイズのような音楽と薄暗い照明に異様なアクセントが時々入る。 不安な光景の中で何をしているのだろう。 意味など考えられない。 いつのまにか夢から覚める。 ・・。 そしてまた夢の中へ。 身体は動かせないが無意識に動いてしまう。 どうすることもできない。 生き物のような鉱物が周囲で動き回っている! 疑問も出ない。 急に夢が冷める。 ・・。 観客席が明るくなってきた。 眠りからも覚めたようだ。 *作品サイト、 http://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/09/aut.html

■水晶宮 ■ダフニスとクロエ

■水晶宮 ■音楽:G・ビゼ,振付:G・バランシン,衣装:C・ラクロア,出演:パリ・オペラ座 ■東宝日本橋,2014.9.12-18 ■衣装のラクロアがインタビュされていたけどすてきなチュチュだったわ。 この作品は色違いのチュチュ、赤→青→緑→黄→赤+青+緑+黄のダンサーが時間軸に沿って登場。 しかも舞台のダンサー達はいつも左右対称なの。 空間の対称性、時間の対称性が最後まで崩れない。 対称性の美学ね。 そして交響曲1番がピッタリと寄り添っていて解れる隙間が無いくらい。 バランシンの塊のような作品だったわ。 でもダンサー達がぎこちなかったのは残念ね。 ■ダフニスとクロエ ■音楽:M・ラヴェル,振付:B・ミルピエ,美術:D・ビュラン,出演:パリ・オペラ座 ■この秋にパリ・オペラ座バレエ監督に就任するミルピエはやはり勢いがある。 素晴らしい舞台だった。 振付の活きの良さは抜群。 初秋に初ガツオを食べた感じね。 物語性を排除するかどうか迷っていて最後は採用したのも当たり。 これも勢いだわ。 美術のビュランは賛否両論があったようだけど抽象性でなんとか逃げ切ったようね。 舞台美術は実際の劇場でみないとなんとも言えないけど、とりあえずいいんじゃない? 衣装もシンプルで白から色付きに移行していくのが素敵だった。 ともかくミルピエはこれからね、ウフフ・・。

■三文オペラ

■作:B・ブレヒト,演出:宮田慶子,出演:池内博之,ソニン,石井一孝,大塚千弘,あめくみちこ,島田歌穂,山路和弘 ■新国立劇場・プレイハウス,2014.9.10-28 ■舞台の高さが観客席と合っていたせいかとても観やすかったですね。 背景の階段の下に楽団を置くのはよく見かけますが、音響効果として申し分のない位置です。 その階段はあまり使わなかったのですが、シマリのない劇場空間を引き締めていました。 メッキー、ジョナサン、ブラウン男性陣は強さのある科白が人間関係を分かり易く繋げていました。 ジョナサンが進行役のため余計にそう見えたのでしょう。 メッキーは直截だけど舞台に張りをだしていてよかった。 ポリーとルーシーの女同士の喧嘩は楽しかったのですが、シーリア、ジェニーらを含めた女性陣の心の繋がりはよく見えませんでした。 女性たちが裏に隠れすぎてしまった。 この部分が弱かったので盛り上がりに欠けたのだと思います。  芝居も歌唱も抑制が効いていますね。 暴力場面などもソフトで歌唱も自然体で突出していません。 全体の調和を優先している感じがしました。 そしてこの優先は成功しています。 優等生が作った三文オペラです。 *NNTTドラマ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/diedreigroschenoper/

■マハーバーラタ-ナラ王の冒険-

■演出:宮城聰,劇団:SPAC ■神奈川芸術劇場・ホール,2014.9.12-13 ■舞台は円形でその中に客席があるの。 そして正面前は楽団席。 衣装は白で折り目がはっきりしているから紙のようにみえる。 仮面や動物たちの材料も多くは白紙。 たくさんの扇もね。 打楽器のリズムと二次元の白色ですべての動きがとても軽やかにみえる。 そして役者は演技だけで脇に居る太夫が喋る文楽形式を採るから物語を客観的に観ることになるの。 これとリズムある躍動感とが合わさって必然的に叙事詩を運んでくるのよ。 面白いメカニズムだわ。 幸せに暮らしていたダマヤンティ姫の王は悪魔に心を奪われ博打に走って総てを失ってしまう。 姫と王は離れ離れになるが苦しみの果てに再会でき幸せが戻る愛と感動のお話。 んーん、いいわね。 悪魔も賭博に誘った弟もすべてを許す。 芝居の故郷が一杯詰まった内容だった。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/mb

■風の吹く夢

■作・演出:赤堀雅秋,劇団:THE SHAMPOOHAT ■スズナリ,2014.9.10-23 ■貧困生活の中で突然訪れる暴力的な言葉と身体、これに続く他者への凝視と一瞬時が止まったかのような間。 独特な緊張感ある舞台をいつもみせてくれます。 今回はしかしこの劇的場面が空回りしています。 食堂での詩人エマソンの語り、土木作業員宅での渋谷通り魔計画や子供の排便、スナックでのガイヤ理論、どれもボルテージがあがらなかった。 唯一緊張感があったのは五味宅の場面だけです。 これで流れが断片化されてしまい物語に力が入らない。 演出家の不調が原因ですか? シャンプーハットは何回か観ていますが赤堀雅秋の顔を知りませんでした。 今回土木作業員で出演していたとは驚きです。 そういえば前の舞台でも登場していたのを思い出しました。 演出家が登場するのは珍しくありませんが役者としても迫力満点ですね。 彼の演技をみているとどのような演出をしたいのかがわかります。 チラシに解散するかどうか書いてありました。 もしそうならとても残念です。 *第29回公演作品 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/58822

■ビルのゲーツ

■作・演出:上田誠,劇団:ヨーロッパ企画 ■本多劇場,2014.8.29-9.7 ■情報化社会ではいつも過剰に向かう。 セキュリティは特にそうだ。 この過剰を反復に置き換え面白い舞台に仕上げている。 仕事で顧客のビルに伺い入退室カードを翳して入室する場面から始まる。 しかし階ごとにセキュリティゲートがあるため最後はゲートを開けることが目的になってしまう話である。 ゲートでは他者と協力して問題を解決しなければならない。 目の前の判断はくるくる変わり、なにもかも繰り返しながら時を消費していく。 まさに人生の縮図である。 ゲート通過でクイズ問題が多くあったため途中飽きてしまった。 猛犬や猛獣や針山などアクションを伴う通過を写真編集にしたのはもったいない。 費用と時間の問題だろう。 クイズを減らし平均化すればずっと良くなる。 しかし最後のゲートを開けてビルの屋上に辿り着いた時の達成感は単純爽快でとてもよかった。 何十回もゲートを通過するだけで上演時間が2時間以上もあったが、この長さが最後の場面に効いていた。 目的も結果も不要な反復の勝利である。 *劇団サイト、 http://www.europe-kikaku.com/projects/e33/

■じゃのめ

■作:秋之桜子,演出:松本祐子,出演:西瓜糖 ■下北沢駅前劇場,2014.8.29-9.5 ■飛び移れる程の狭い路地に挟まれた二階の二部屋が舞台です。 上手は会議室、下手は娼婦栄子の部屋。 二階から道路を見下ろす演技が活きています。 面白い舞台構造ですね。 チラシには関東大震災と治安維持法の大正時代を背景に「痴人の愛」を参考にしたようなことが書いてあります。 東日本大震災も重ねているようです。 全体に男尊女卑が色濃く表現されていました。 これを下地にして人間関係に迫るのは大変ですね。 結局、肝心な事はオブラートに包んでいるようにみえました。 西条との政治スキャンダラスも寄り道です。 雅枝が同志になる為、南高に対して何も言わないのも腑に落ちません。 愛のみえないセックスを<聞いている>のも気が散ります。 でも栄子と雅枝がテニスでダブルスを組もうと話をする場面は記憶に残りました。 些細な件ですが彼女らの深いところがチラッと見えた気がしました。 他の決定的場面の多くは物語を成長させることができない。 また高井と雅枝二人の科白内容や演技の硬さも芝居が煮詰まらない原因にみえます。 しかし面白くまとめてしまうのは演出家に力があるからでしょう。 *劇団サイト、 http://livedoor.blogimg.jp/suikatou-2018/imgs/d/e/de26f0fd.jpg

■CLOUD/CROWD クラウド/クラウド

■出演:ジャポン・ダンス・プロジェクト・メンバ,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・プレイハウス,2014.8.30-31 ■途中の休息では後半がどうなることか心配になってしまった。 前半の初めと終わりは良かったが、明暗ある照明や古びた音楽はチグハグでダンサーの動きも何をしたいのかが不明にみえた。 後半はプロジェクトメンバー5人の顔がみえる舞台になる。 笑いもあり観客席にもホットした気配が戻る。 音楽も5曲くらいあったがバラケていてとてもいい。 なんと最初が「LET MY BABY RIDE」。 この前みたL・カラックスの「ホーリー・モーターズ」*1を思い出してしまった。 奥深さのある音楽が先行し消化できていないが5人の動きは素晴らしい。 振付の見所が一箇所あったがとても良かった。 プロジェクトとゲストのダンサー同士が混ざり合っていない舞台にみえた。 上演が2回だからもっとくだけた工夫があってもよい。 *1、「ホーリー・モーターズ」 http://www.holymotors.jp/ *NNTTダンス2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/140830_003724.html

■コリオレイナス

■作:W・シェイクスピア,演出:三浦基,音楽:櫻井圭介,劇団:地点 ■あうるすぽっと,2014.8.28-31 ■公演チラシが4種類もあるの。 少しずつ違う内容よ。 よほど力を入れているということかしら? なんとコリオレイナスは深編笠を被って虚無僧姿で登場! 尺八の代わりにフランスパンを持っている! 服の素材はデニムのようね。 しかも草履ではなく大工の足袋靴。 コロスも似たような衣装で、深編笠はなく仮面を手に持って時々顔に当てているの。 この作品は何回か観ているけどシェイクスピアの中では面白いとは思わない。 4月にジョシィ・ルーク演出のナショナル・シアターを見逃してしまったのは今から思うと残念ね。 舞台は動作や喋り方に地点の特徴が出ていたけどいつもより生真面目に作られている。 本場ロンドン・グローブ座の依頼のため固くなってしまったのかしら? いつものリズムに共鳴が起きない。 シェイクスピアが持っているリズムもちょっと違うのかもしれない。 ロンドン公演時の白黒写真だけど衣装も舞台にマッチしていたようね。 ロンドンで観たかったわ。 *劇場サイト、 https://www.owlspot.jp/old/performance/140828.html

■妥協点P

■作・演出:柴田幸男,出演:劇団うりんこ ■こまばアゴラ劇場,2014.8.27-31 ■ 高校時代を背景にした舞台は何時観ても楽しいですね。 文化祭だと尚更です。 舞台は演劇部のようです。 生徒の書いた台本が先生と生徒の恋愛ものらしい。 これで先生たちの議論が紛糾し喧々囂々になる話です。 先生同士も生徒も自分の考えを押し通します。 先生同士の議論は白熱化していくが、逆に書いた生徒は押し黙ったままです。 この動と静の差が面白い。 そして何度も台本を書換える場面の飛ばし方も面白い。 物語の芝居と観ている芝居との関係がほんの少しですが混ざるのもいいですね。 同僚の熊楠先生も前生徒と結婚しているのですが、妻の容姿等で結婚生活は妥協の産物である(?)という科白が効いていました。 しかし題名の「妥協点」とは程遠い議論です。 社会でいう妥協点と人生の妥協点の違いかもしれない。 この芝居は前者から後者に移っていきます。 終幕、山縣先生と生徒の関係も話題にのぼります。 最後に生徒が喋る内容を掴み損ねました。 今までのリズムと違うからです。 ここは丁寧に表現して欲しかったですね。  他の観客は理解できたのでしょうか?  芝居が中途半端になった感がします。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/469

■INFANT2

■演出:清水信臣,出演:劇団解体社 ■左内坂スタジオ,2014.8.22-9.7 ■池田小学校事件や土浦連続殺傷事件が話題にのぼる。 犯人は自ら死刑を望んだとされている。 舞台は6場面に分かれるが連続性は弱い。 途中2場面はアメリカの役者が登場して詩の朗読をする。 残りは刑務所内での出来事などを繋げている。 観ていても事件の何に比重を置いているのかよくわからなかった。 犯人の動機なども語っているが、裁判や死刑制度を論じているようにもみえる。 このため役者のもがき苦しむ理由が定まらない。 科白(言葉)と役者の肉体が一致しないのだ。 宙吊りのまま問い続けているようにみえる。 こういう芝居はシンドイ。  チラシを見るとベンヤミンの「暴力批判論」が引用されていた。 殺人犯人に正当化を見いだせたら国家と対等になれる。 しかし私的な殺人も国家の殺人も正当化の根拠など無い。 そして国家は殺人の特権を手放したら体を成さない。 台詞と役者とベンヤミンを一生懸命繋ぎ合わせる作業が入る芝居であった。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage39295_1.jpg?1408920540

■海との対話

■脚本・演出:フランソワ・シャファン,出演:東京演劇集団風,マントゥール劇場 ■レパートリーシアターKAZE,2014.8.20-24  ■舞台は数枚の半透明板を下げて前と奥に分かれています。 奥では役者達が出番の準備や演奏など本番の支援をします。 舞台がどこからか?始まりがいつからか?・・混沌としています。 ピータブルックや太陽劇団の影響が有るのかもしれませんが、より徹底しています。 これだけ<ハッキリした混沌>は珍しいでしょう。 三人称単数で呼んでいるモノが脳だとわかったのは少し経ってからです。 精神と物質を分離した科白が多い。 骸骨を持って役者が登場した時、ずっと抱えていたマリオネットの謎が解けた感じがしました。 マリオネットとは二元論の成果です。 そして後半なぜ「海との対話」なのかもわかりました。 人の体の65%は水からできているからです。 人類は海を背負って陸に上った! 人は陸で生活し始めても海は捨てなかったと言うことですね。 そして時間の捉え方も厳しい。 とてもしっかりした二元論で覆われています。 日本人だけで作ったら腑抜けになるでしょう。 西欧の底力が見えた舞台でした。 多分フランスでの上演では観客は盛り上がったでしょうね。 観客への控えめな挑発が何度かあったからです。 この点日本の観客は静か過ぎます。 ともかく騒がしさのある舞台で楽しかったです。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage45495_1.jpg?1408920165

■リア王

■作:W・シェイクスピア,演出:サム・メンデス,出演:S・R・ビール,S・ボクサ,T・ブルック ■日本橋東宝,2014.8.22-27 ■科白量の多さからやっぱり本場ね。 でも翻訳は熟れていないみたい。 字幕を凝視してしまう箇所があったからよ。 そしてリアは自分だけの世界を作り過ぎている。 レビー小体型認知症のような知識を演技に取り込んでいるから偏ってしまったの。 後半のカラダを掻く動作も気が散ってしまう。 演出家が求めていた「全てを失う」ことは上手く表現されていたけど、逆に役者間の決定的な結び付きが弱い。 演出家の映画作品「スカイフォール」「ロード・トゥ・パーディション」「アメリカン・ビューティ」もイマイチだった。 舞台もこの延長かしら? 作品は程々に出来上がっているから悪くはないけど、シェイクスピアとNTの歴史に守られているだけにみえる。 あのハキハキした歩き方・立姿・喋る姿勢などにね。 軍隊を今風に登場させるのも新鮮味が無い。 というより現代に設定する理由が見当たらなかったということね。 費用をおさえることはできるけど。 でも彼メンデスは映画と比較したら舞台のほうがずっと似合っている。 もっと舞台に集中すべきね。 *NTLナショナル.シアター.ライブ作品 *作品サイト、 http://ntlive.nationaltheatre.org.uk/productions/44084-king-lear

■密会

■作:大竹野正典,演出:日澤雄介,出演:稲荷卓央,清水直子,岡本篤 ■ザスズナリ,2014.8.14-18 ■幕開きのシーンが再び終幕にも繰り返される。 男1が殺人を実行に移す場面である。 そして舞台のすべてが殺人迄の過程をフラッシュバックのように物語っていく。 断片を寄せ集めたような構成である。 場面の非連続な切替が印象的である。  映画の技法を採用しているようだ。 男1は就職で躓いている。 被害妄想も強い。 そして最後は殺人を犯すストーリだが、どうも戴けない。 職が得られない辛さは伝わるが、殺人に結びつく演劇的感動が迫ってこないからである。 作者も「事件」を題材にすることの困難さをチラシで言っている。 「言葉を重ねていった果てに現出する世界がどれほど不条理で不可解なのか・・」。 一つの不条理劇にしたいようだ。 この芝居に欠けているのは存在の不思議さだと思う。 男2(藤井びん)、男4(岡本篤)はこれを気にしていたようにみえた。 しかし男1(稲荷卓央)はこれを気にかけない。 就職と被害妄想という、世界への対応と言葉の応酬が優先されすぎたからである。 存在の辛さを表現できれば演劇的感動に近づけたかもしれない。

■インザマッド(ただし太陽の下)

■作・演出:山本卓卓、劇団:範宙遊泳 ■こまばアゴラ劇場、2014.8.10-17 ■ http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage44702_1.jpg?1408963995 ■シンプルな現代美術をみているような舞台です。 照明は原色に近く、床や背景はゴムのように伸び縮みする布を利用しています。 人物の影を効果的に使い何もない舞台に深みを出しています。 役者も全身を動かしながら台詞を喋ります。 対話の相手の言葉が文字になって背景に映し出されるのも携帯文化を取り入れていて面白いですね。 スポーツ試合で日本が負けるところから始まります。 事故で亡くなった選手の妻、そして一組の恋人と歌手との三角関係、この二つが物語の流れです。 スポーツ試合が前面に出ていましたがいつのまにか背後に退き男女間の話が中心になります。 この話は日常的ですが美術と同じシンプルで詩的さがあります。 時々引用の科白?が入りますが「命の残照」?とか難しい言葉なのでこの日常と溶け込みません。 スポーツ試合から終盤の戦争の話へ繋げる流れも抽象的で突飛です。 社会背景と男女間の話が上手くドッキングされていないようにみえました。 でも歌手のポケットの話はシックリ合っていました。 台詞の文字を映し出すことで発生する特有のリズムや舞台を客観視できる面白さが有ります。 しかし文字による限界も見えてくる芝居でした。

■ハムレット

■作:W・シェイクスピア,演出:杉原邦生,出演:プロデュース公演カンパニKUNIO ■あうるすぽっと,2014.8.1-3 ■舞台のど真ん中に「THEATER」の看板がぶら下がっている。 素直に劇場と訳したが、芝居を見ている途中で「ここは劇場で芝居を観ているんだ!」と意識してしまった。 この意識が舞台に複雑な影響を及ぼしているのがわかる。 分かり易いハムレットだ。 それは叔父クローディアスを現代的な言葉で必要以上に非難するからである。 例えば不倫というセリフが何度もでてくる。 ハムレットの迷いもこれに集約していく。 ターゲットが明確に表現されている舞台にみえる。 このため決定的な旅芸人一座の場面も力が入っている。 この劇中劇でも「THEATER」の文字を強く意識してしまった。 舞台は客席に向かって傾きのある床面である。 この形は役者が「異次元からやってくる」雰囲気を出せる。 そして役者の身体も傾くため瞬発力を出すことができる。 面白い芝居だった。 ところで王妃ガードルードはクローディアスにもハムレットにも心を開いていないようにみえた。 そのため影が薄い。 またホレイショはハムレットに素直過ぎる。 ハムレットの棒読みに近いセリフ読みは「THEATER」の看板に呼応しているようで気に掛からなかった。 *作品サイト、 http://www.kunio.me/kunio11_hamlet/

■フランケンシュタインと自動人形

■出演:ダンスユニットPOP HEADS(上林和雄,ABE"M"RIA,FUJICO SURVIVOR) ■テルプシコール,2014.7.27 ■黒衣装FUJICOの激しい踊り、上林は豆電球で眩い衣装で登場、そして白赤のアベエムアリアと続いていくの・・。 女の憑依を計算し尽くしたようなアベの動きに痺れちゃったわ。 激しい動きの中に形はあるけれど不要なものを寄せ付けない。 <意味>も寄せ付けていないの。 観ていても頭の中を空っぽにできるのが最高! 上林は手の動きがとてもいいわ。 でも足の動きが少し単純ね。 ボディ・ビル筋肉でうつ向き姿が格闘士みたい。 硬さと柔らかさが混ざり合っていて面白い動きね。 FUJICOはアベを追っているようだけどまだ形が定まっていない。 だから無意味が一杯付着しているの。 <意味>も<無意味>も寄せ付けないようにするのは、もう少し先のようね。 期待してるわよ。 *劇場サイト、 http://www.studioterpsichore.com/event/event1406_03.html

■五反田の夜

■作・演出:前田司郎,劇団:五反田団 ■アトリエヘリコプタ,2014.7.22-27 ■震災を受けてのボランティア団体「絆の会」のはなしです。 ガチガチの組織だと陰湿さが隠れてしまうのですが、このような中途半端な組織だとイヤラシさが特に浮き出てきますね。 誰が主導権を握るかが中心になるのでしょう。 これが地域政治にまで広がっていくのが舞台から感じ取れるのも楽しいですね。  並行して後藤の弟と不動産事務員の女性とのデート話が進みます。 ある意味純真な行動にもみえます。 「絆の会」と表裏をなしています。 舞台に深みを与えています。 この二つを合わせて人の絆がなんとか回っているのでしょう。 この劇団は日本語のズレを強調するのが得意なはずですが今回はそれがありません。 人間関係もリアルさが漂っています。 「いつもは芸術っぽいのをやっていますが、芸術っぽくありません」とチラシにありましたが、このズレの無いことを言っているのでしょうか? *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/56479

■ジャンヌ・ダルク-ジャンヌと炎-

■作:M・ヴィスニユック,演出:浅野佳成,出演:東京演劇集団風 ■レパートリーシアターKAZE,2014.7.21-23 ■丁寧に作られていて密度の濃い舞台だった。 衣装は安っぽいけど凝っている。 人形や影絵も登場して豊かな面白さがある。 中・高校生が対象だけあって親切な内容ね。 でも観客の年齢層がとても高くみえる。 肝心の中・高校生がいなかった。 旅芸人一行が昔のジャンヌ・ダルクを語り始めるからドキドキしちゃった。 一種の劇中劇ね。 こういうのに弱いのよ。 解説者も時々登場するの。 しかも人形も登場するから階層としては劇中劇中劇ね。 これも好きなの。 特に王太子が自身の人形を持って道化と遣り合う場面は楽しい。 複雑な構造だけど若い人に分かり易くする手段にもみえる。 ジャンヌの台詞が棒読みに聞こえたけど対象観客に合わせているのね。 大きな人形も同じかしら? 名前の通りレパートリー作品だけあってまとまっていた。 この作品はジャンヌが神と直接対話する純心な生き方が奇跡の物語と言われる所以だとおもう。 でも日本とフランスの中・高校生の受け止め方は違うはず。 キリスト教から遠い日本では信仰心より信念である「声を上げることの重要性」を強調することになったのね。 *劇団サイト、 http://www.kaze-net.org/repertory_t/rep_jehanne

■トリニティ・アイリッシュ・ダンス

■芸術監督:M・ハワード,出演:トリニティ・アイリッシュ・ダンス・カンパニ ■オーチャードホール,2014.7.18-20 ■来日10周年記念ツアーでやっと観ることができた。 アイリッシュ・ダンスは初めてだが多くの種類や振付があるようだ。 ダンサーは女性17名、男性2名。  この数ならツアーもこなせる。  20歳前後だがとても上手い。 足を前にスッと伸ばす振付は変わっている。 武道の形にもみえる。 タップダンスも想像できる。 手の動きは複雑さが無い。 これで精神的な奥行きが限られているようにもみえる。 内へより外へ、共鳴より共振というダンスだ。 メンバーの多くはアイルランド系アメリカ人らしい。 劇場へ行く途中に寄り道して「 岡村昭彦写真展 」を観てきたが、彼もJ・F・ケネディのルーツを追ってアイルランドに長く住んでいた。 今日はアイリッシュ尽くしでとても楽しかった。 *映像、 https://www.youtube.com/watch?v=6XOYsRCM3sA

■天才バカボンのパパなのだ  ■ハイキング

■作:別役実,演出・出演:中野茂樹+フランケンズ2014 ■シアター711,2014.7.8-15 ■別役実の舞台が面白かったことは滅多に有りません。 しかし今回は違いました。 特に「ハイキング」は素晴らしい。  傷痍軍人の聾唖?はとてもリアルだし、軍歌も1フレーズしか歌わない。 しかも軍人は父でその遺伝子を引継いでいるとは! 「天才バカボン・・」は支離滅裂でシラケる場面が多過ぎました。 でも二作品をまとめて観れば深みもでます。 この舞台は役者の身体はもとより小道具や照明などが丁寧に計算され作られています。 言葉だけの不条理から抜け出ている。 戯曲の奴隷にならなかったのが面白い理由でしょう。 *CoRichサイト、 https://stage.corich.jp/stage/56000

■カウラの班長会議

■作・演出:坂手洋二,劇団:燐光群 ■スズナリ,2014.7.10-20 ■オーストラリアの学生達が映画製作をしている劇中劇のようだ。 カウラ捕虜収容所も初めて聞く。 日本人捕虜の脱走事件を扱っている。 脱走を実行するか否かは班の投票で決める。 最後に実行されるがその理由が、 「大日本帝国に捕虜は一人もいない」「故郷には既に自分の墓が作られている」「捕虜と知られたら家族は村八分にされる」「妹や娘の結婚にも支障がでる」「少しでも味方の援軍となれるなら」「武士道伝々・・」「天皇伝々・・」。 フィルムを脱走前に巻戻し、兵隊たちの心の内なる声を出すように促す。 結局は同じだ。 過去は変えられない。 「未来に託すしか無い」と学生たちは言う。 しかし頼りない終幕だ。 韓国フェリー沈没事故の話だが、いつものトラック運転手たちは救命具を背負って非常口に待機していたと聞く。 表向きは従うが、船内放送もフェリー会社も日頃から信用していなかったからである。 彼らはいち早く逃げて助かっている。 「国家」もフェリー会社と同じだ。 日常生活でこれは変だと感じた時はその因果を問い続けていくしか無い。 この積み重ねが雁字搦めの状況から逃げ出すことができる。 国家は問い続けるものであり信じる対象ではない。 *劇団サイト、 http://rinkogun.com/2011-/entori/2014/7/10_cowra_no_honcho_kaigi_side_A.html

■すべてを溶融するという森の中で

■振付・演出:大森政秀,出演:天狼星堂 ■テルプシコール,2014.7.12-13 ■ダンサーたちの持ち味を活かしていて組織的にもまとまっている。 大森は控えめで新味はなかったけど楽しかったわ。 ナナはアクセントを、たくやは存在感をもっと強調したほうが良いかもね。 それとベンチャーズは単純過ぎるの。 S&Gは大森のダンスにいつも寄り添っているようね。 似合っているわ。 電車の高架音もニューヨークの中心街から外れたところの感じがする。 タイトルには森がついてるけど舞台は都会へ。 ダンサーたちと違うことを想像しているようで可笑しいわね。 でも好きな光景を想像できることは良い舞台の証拠よ。 *劇場サイト、 http://www.studioterpsichore.com/event/event1406_02.html

■永遠の一瞬

■ 作:ドナルド・マーグリーズ,演出:宮田慶子,出演:中越典子,瀬川亮,森田彩華,大河内浩 ■ 新国立劇場・PIT,2014.7.8-27 ■ 終幕にジェイムズが新しい恋人と結婚することをサラに告げます。 そして彼女は戦場取材に再び出かける場面で幕が降ります。 この場面をみて何を言いたいのか少しわかりましたが、煮え切らない芝居でした。 原因は・・ ① 負傷姿のためサラの心情がよく見えません。  ジェイムズも精神疾患を持っているようです。  薬物・酒・怪我などは物語を浅くします。 これでサラとジェイムズの暗さとリチャードとマンディの明るさだけが残りました。 ② 映画が忘れた頃に話題になります。 「ボディ・スナチャ」「未来世紀ブラジル」「シド&ナンシ」「酒とバラの日々」。 脇道へ逸れてリズムが狂います。 ホラー映画も悩みます。 映画を知らない人は苛立つでしょう。 ③ 現実への対応が鈍感すぎます。 リチャードがジェイムズの戦争記事を放ったらかしにしたこと、ジェイムズが写真記事の納期を気にしないことなど、「仕事=納期」を叩きこまれている人から見れば有り得ない。 余談ですが。 ④ 真実という正義を振りかざしているだけのサラやジェイムズの被写体への無関心があります。 サラはこの件で一度は反省しますが、心がこもっていないことは後の行動にも表れています。 ジェイムズも同じです。 ・・紛争地域へのサラとジェイムズの対応はまさに米国そのものです。 チラシに「幸せとは何かを問う」とあります。 ジェイムズの科白「幸せな家庭を築こう」と「戦争は終わらない」はどちらも「宙づりの一瞬」です。 問の答えはリチャードとマンディのおのろけ夫婦で十分でしょう。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_001635.html

■イメージメーカーズ

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/07/blog-post_18.html

■眞亞螺空山・双旅~往路ノ巻

■ 出演:北辰舞踏 ■ テルプシコール、2014.7.5-6 ■ http://www.studioterpsichore.com/event/event1406_01.html ■ 音楽はタイトルでもあるマーラーの交響曲第5番。 ダンサーは男女で6人。 空海密教の土・水・火・風・空を当てはめ楽曲構成に沿って舞台が展開していくの。 2部は交響曲第10番。 識で大竹宥熈のソロ、そしてフィナーレは伊福部昭の日本組曲。 大竹は存在感が有り、ポーズをとる振付も多くてギリシャ彫刻が歩いている感じだわ。 6人の中では彼が断トツなの。 他5人との技巧差が出てしまい不協和音が舞台に現れているようね。 これが即興のようにも見え逆に面白さがある。 そして第5番が舞台をしっかりまとめているの。 大竹を取巻く様子がイエスと使徒の関係にもみえてくるのも面白い。 このように観客によって感じ方が大きく揺れる舞台のようね。 いくらでも解釈できるの。 大竹と他ダンサーとの差異が原因よ。

■おとこたち

■ 作・演出:岩井秀人,出演:ハイバイ ■ 東京芸術劇場・シアターイースト,2014.7.3-13 ■ オトコの青年から老年期までを描いています。 途中子供の誕生と成長があるので男の一生ですね。 青年時代の結婚の頃まではとてもいい。 切れの良い生々しさと抜け目のない鋭さがあります。 しかし後半に行くほどこの鋭さがなくなっていきます。 それは離婚や子供の反抗がある中年以降あたりからです。 面白いのですが生き生きしていません。 笑いも一般的です。 癌や認知症も現実的ですが解説に陥っています。 長い人生を描くために先を急いでしまったのが原因でしょう。 舞台手前に応接ソファがあります。 一部の役者たちが退場しないで座っています。 次の場面ではソファから立ち上がって科白を喋り始めるのですが、この切替場面が素晴らしい。 役者の動きや照明は最後までよかったですね。 *劇場、 http://www.geigeki.jp/performance/theater056/

■臘月記

■ 作:岸田理生,演出:石井飛鳥,出演:虚飾集団廻天百眼 ■ こまばアゴラ劇場,2014.6.29-7.3 ■ 「血糊が飛ぶけど大丈夫か?」と何回も念を押され心配になってきました。 席は後方を取りましたがそれでも血が飛び散りベトベトになるのでは? 希望者にはバリアー用ビニールも配っています。 開幕迄は舞台でのグッズ販売も有り繁華街の様相です。古い作品だからでしょうか? 寺山修司を思い出させる舞台です。 でも科白が随分と詩的です。 このためストーリーがよくわかりません。 母と子を含め血の繋がりの話のようです。 後半の血が飛ぶのはなんと226事件の場面でした。 銃で打たれた兵士の血が噴き出るのです。 一番前の観客は血を浴びても喜んでいる様子でした。 セーラ服姿が多いので高校生の熱狂的ファンなのでしょう。 激しい光景を詩的科白が宥めるように芝居は進んでいきます。 この絡み合いが舞台の面白さかもしれません。 寺山修司の骨を切らずに肉だけを断ったような内容でした。 縁日などで出店する芝居小屋の雰囲気もあり久しぶりのレトロ感に浸れました。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/1090

■ザ・オーディエンス

■ 脚本:P・モーガン, 演出:S・ダルドリ,出演:H・ミレン ■日本橋 東宝シネマズ,2014.6.27-7.2 ■ 歴代英国首相が君主エリザベス二世に謁見をする作品である。 謁見は毎週一回火曜日にある。 この慣習は初めて知った。 これは非公開のため芝居内容は現実に近い想像ということになる。 各首相と女王の対話はユウモアとウィットがある。 これが作品の決め手だが対話間の余白も面白い。 娘アン?や側近との話、警備員の動きや街の雑踏も唸らせる演出である。 エリザベスの衣装が首相ごとに変わるのも素晴らしい。 また対話の裏にはセラピストと患者の関係もあるとピータ・モーガンが言っていた。 君主は最後には首相に従うため多くは女王がセラピストになるはずだ。 この関係も舞台の面白さを増している。 現首相名が直ぐに出てこないくらいだから、チャーチル、ブラウン、ブレア、サッチャアしかわからなかった。 首相と君主の位置関係、国民への対応、他国間外交、法律上の権限や制約等々が現実的に論じられる。 作品に重量感も出ている。 日本で首相と天皇を登場させ真面目ながら笑いを誘う舞台を作るのは並大抵ではないであろう。 さすがNTというより英国の舞台力をみせつけられた。 *NTLナショナル.シアター.ライブ作品 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/80136/

■ムシノホシ

■ 振鋳・演出・鋳態:麿赤兒,鋳態:大駱駝艦 ■ 世田谷パブリックシアタ,2014.6.26-29 ■ ヤカンを頭から被る、シャモジをメガネにして顔にかける、縄を体に巻き付ける。 昆虫の楽しさが出ていました。 ヤカンの雄が雌を足で転がす場面も生き物としての虫の姿がみえます。 笑ってしまいました。 木が風に揺れている映像風景は生物が住む星の異様さが表れていました。 金粉ショーならぬ銀粉はまさに昆虫の光です。 そしていつもながらのカーテンコールも素晴らしい。 しかし踊りがマンネリ化しています。 衣装としてのカムフラージュが表面に浮遊するだけで身体を射抜いていません。 麿赤兒もついにムシに見離されてしまったのでしょうか? *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/06/post_362.html

■マノン・レスコー

■ 作曲:G・プッチーニ,指揮:A・パパーノ, 演出:J・ケント,出演:K・オポライス,J・カウフマン,C・モルトマン ■イオンシネマ ,2014.6.25(ROH収録) ■ 若者の群衆で始まったからちょっと戸惑ってしまったわ。 時代は現代。 でもボルテージが上がりぱなしの二幕は最高よ。 マノンとデ・グリュの濃密ベッドシーンは老人たちを観客にした劇中劇に仕立ててはぐらかしたけど、さすがジョナサンン・ケント。 スーパーマンの養父だけあるわね。 そしてパパーノも今が一番脂が乗っていて稼ぎ時のよう。 ケントとパパーノの力で引っ張ったけど3幕以降は下り坂。 カウフマンだけどプッチーニは似合わない。 歌唱時はもっとマノンを優しく見つめなきゃ。 硬すぎるぅ。 オポライスは肉体が少し先行してる感じが良かった。 楽しく観られたわよ。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2013シネマシーズン作品 *劇場サイト、 http://www.roh.org.uk/productions/manon-lescaut-by-jonathan-kent

■劇的舞踊「カルメン」

■ 演出・振付:金森穣,出演:NOISM,奥野晃士 ■KAAT・ホール,2014.6.20-22 ■パントマイムダンスを多く取り入れてより演劇に近づいている。 語りも上手い。 カルメンの原作は読んでいない。 この舞台は読んで来い!と言っているようだ。 ストーリが掴めなかった場面が出てしまい、劇的要素の一つが欠けてしまったからである。 イリュージョンは素晴らしい。 木々や机の細かいところまで目配り気配をしている。 でも建物の壁は動かすのでリズムが狂う。 それよりもこのホールは広すぎる。 これで劇的気配が薄くなってしまっている。 劇的に迫るほど劇場の質が問われる。 そしてダンサーたちは鍛えられている。 観客の抑圧された心身をも解き放ってくれる。 「劇的」を真正面から受け止めてくれる舞台人は少ない。 金森穣はこれを真摯に受け止めてくれる。 彼は1年前に原作を読み劇的感動が見えたと言っている。 と言うことで原作を読んでからもう一度舞台を観てみたい。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/CARMEN

■バレエ・リュス展-魅惑のコスチューム-

■感想は、「 バレエ・リュス展-魅惑のコスチューム- 」

■デズデモーナ

■ 作:岸田理生,演出:林英樹,出演:テラ・アーツ・フアクトリ ■ 絵空箱,2014.6.17-20 ■ 朗読劇のようにセリフに集中できました。 役者は激しく動き感情を露わにする場面もあります。 でも喋り方が直裁でしかも白衣装のためか諄くありません。 「デズデモーナ」「歳月の恵み」「ダナイード」の三作品を幾つかにスライスして一つにまとめてあります。 スライス間に違和感はありません。 リズミカルな舞台でした。 父と母、父と子、祖父母、叔父・・、血の繋がりの中に死と生を詩的に演じていきます。 硬いオセローと緩い王の声の対比が面白かったですね。 雪・月・花も彩りを添えていました。 でも何か物足りない感じです。 言葉と身体の間に熟成感がない。 やはり三作品で密度が薄くなってしまったのでしょうか ?  サッパリ感はあります。 6月の気候に合う、気持ち良さの残る舞台でし た。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/54863

■西部の娘

■ 作曲:G・プッチーニ,指揮:C・リッツィ,演出:N・レーンホフ,出演:N・ステンメ,M・ベルティ,C・スグーラ,パリ・オペラ座 ■ 東宝シネマズ日本橋,2014.6.12-19 ■予想外の展開だわ。 西部劇の匂いは一欠片も無いの。 一幕は革スーツ黒メガネの男たちが屯している高層ビル地下のバー。 二幕はトレーラーハウス。 それも室内は驚きの桃色で統一。 三幕は廃棄自動車が積み重なっている車体置き場。 ここまで凝らなければ作品の牽引力が発揮できないのかしら? でもこの凝りを背景に、不協和音が歌詞を異様に変化させて現実世界との差異を出している。 これが面白さを倍増しているのは確かね。 ラメレスが死刑直前「故郷へ帰ったとミニーに言ってくれ、もう戻ってこない・・」と歌う場面は、鉱夫たちが故郷の思いを歌い初めた一幕を思い出す仕掛けになっている。 この円環構造にはシンミリするわね。 ミニーは歳をとり過ぎていて、<西部の娘>の生きの良さは失われていたわ。 そしてフランスの米国への辛辣さはいつもながら感心ね。 終幕MGMのライオンが咆哮する中、宝塚大階段を使った舞台は過剰と言うしかない。 *パリ.オペラ座ライブビューイング2013 *映画com、 https://eiga.com/movie/79956/

■パゴダの王子

■ 振付:D・ビントレ,指揮:P・マーフィ,出演:小野絢子,福岡雄大,湯川麻美子,新国立劇場バレエ団 ■ 新国立劇場・オペラパレス,2014.6.12-15 ■シーズン最終公演は最高傑作のはず、ということで初台に行ったが残念ながら好みに合わなかった。 開幕早々ダンサーが平安貴族衣装で登場して仰天! ・・時代が遡り過ぎるのでは!? しかも次々奇抜な衣装が繰り出すので混乱してしまう。 兄の蜥蜴衣装はカッコイイが、「くまもん」の崩れたようなハリボテにはマイッタ。 和服の多くは朝鮮風、扇子や傘などの小道具は中国風である。 二幕回想場面では音楽や衣装はガムランのインドネシア風に変わる。 しかもパゴダと言えばミャンマーだ。 唐草文様やトロピカル感のある花など周辺の飾りも含めてアジアを総動員したような舞台だった。 たとえファンタジーでもこれがグローバル時代の外から見た日本の姿かもしれない。 というより未来の日本の姿を先取りしているようにも見えてしまった。 逆に日本人監督が欧米の歴史を踏まえた舞台を作ればやはり同じだろう。 肝心のバレエだが桜姫と王子がまとめて踊った終幕場面しか覚えていない。 ダンサーたちはとても巧い。 音楽は物語の起伏まで入り込んでいて面白い 。 目は楽しめたが、それより先へ行けなかった舞台である。 綺羅びやかな美術・衣装のわりには物語力が弱かった。 これが理由の一つである。 *NNTTバレエ2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/pagoda/

■十九歳のジェイコブ

■ 作:中上健次,脚本:松井周,演出:松本雄吉,出演:石田卓也,松下洸平,横田美紀,奥村佳恵 ■ 新国立劇場・小劇場,2014.6.11-29 ■ セックスやドラッグ、終わりに殺人もある舞台は暗い流れが充満している。 しかし湿った感じが少ない。 原作は読んでいないがもっと日本的湿度のある小説にみえる。 こうならなかったのはジャズや松井周と松本雄吉の成果物が舞台に表れていたからだろう。 もう一つ、なぜジェイコブが高木一家の殺人を遂行するのか? この理由が見えないからである。 断片的行為が連なる抽象化の激しいストーリーである。 街の雑音と大阪弁?のセリフが幾つかの場面にあったがとても活きていた。 しかし中途半端である。 全編大阪弁にしたほうが生活の匂いが舞台により感じられるはずだ。 途中一度だけ眠くなってしまった。 ある種のリズムがあるからだろう。 芝居が終わりカーテンコールが無かったので拍手もおきなかった。 観客からみて好き嫌いのはっきり出る芝居である。 硬さのある叙事詩を観ているようで結構面白かった。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_005522.html

■関数ドミノ

■ 作・演出:前川知大,出演:イキウメ ■シアタートラム,2014.5.25-6.8 ■ 少しブレていたけどスピードとリズムがありました。 ブレは役者の歩き方がギクシャクしていたからです。 でも一気通貫で上がった気分ですね。 交通事故に遭っても無傷だった<奇跡>の話です。 信じれば叶えられる? <宗教>のことも考えてしまいました。 でも舞台は宗教に踏み込まず人間関係や社会現象のことなど、例えばヒトラーなどが議論される。 <信じる>現実と<奇跡>の超現実の境界に漂えるかが芝居の面白さのようです。 観ながら映画「10億分の1の男」を思い出してしまった。 大惨事を奇跡的に生き延びてきた人の話です。 他人の<運>を奪い取る超能力物語でした。 超自然現象を操る特定の話は芝居にするには楽ですが何でも有りでツマラナクなります。  SF小説やSF映画で代替できてしまうからです。  しかしこれを乗り越える力がこの劇団にはあります。 最後まで緊張感のある舞台でした。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/05/post_361.html

■ダンス・アーカイヴinJAPAN-未来への扉ー

■ 新国立劇場・中劇場,2014.6.7-8 ■岩手郷土芸能「鹿踊り」から創作した江口隆哉振付「日本の太鼓」、洋舞100年を振り返る復元8小品、平山素子・柳本雅寛振付「春の祭典」の全10作品の上演である。 途中、片岡康子の挨拶が入る。 「春の祭典」を除き初演は20世紀前半である。 復元上演の小品の多くは庶民的な盆踊りや田植えなどを思い出させる。 最初に「日本の太鼓」を持ってきた理由もこの流れに沿っている。 気に入った作品は宮操子振付・中村恩恵出演「タンゴ」と石井漠振付、新国立バレエ団出演「白い手袋」の二点。 普段は感情を表に出さない中村恩恵が嬉しそうに踊ったこと、後者は形而上絵画から抜けだしたような作品で印象に残った。 いきなり21世紀に飛んだ「春の祭典」は別物に見えた。 出演は平山素子と大貫勇輔である。 この劇場で観るのは二度目だが今回も素晴らし踊りであった。 次回の予告をみると再び20世紀前半の作品を上演するらしい。 20世紀後半はアーカイブがまだ熟成していないのだろう。 洋舞のアーカイブはワインと同じである。 *NNTTダンス2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/140607_001625.html

■暁の劇場-鴎外が試みた、或る演劇-

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2014/06/blog-post_7.html

■トーマの心臓

■ 原作:萩尾望都,演出:倉田淳,出演:劇団スタジオライフ ■ 紀伊国屋ホール,2014.5.24-6.22 ■ 観客のほとんどが女性、しかも舞台は総てが男優! よくあることですが初めての劇団なので驚きの連続でした。 原作が少女コミックの連載漫画で男子中高校の寄宿舎生活が舞台と言えばなんとなしに分かります。 原作は読んでいません。 漫画の<コマ>を意識している面白い舞台でした。 漫画は<コマ>と<コマ>の間は「無」ですが、この舞台は<場面>と<場面>が「謎」で繋がっているのです。 多くは男色趣味というか少年愛の雰囲気が漂っています。 謎というのは、この雰囲気が日本的ではないことです。 「愛してる・・」や「好き・・」というセリフに理解し難い何かが付着しているように見えます。 もう一つの謎がユリスモールの過去です。 舞台はこの二つの謎を持っていつまでも進みます。 後半「ルネサンス云々」のレポートを書いて退学した生徒(名前を忘れました)の二度目の登場で自分なりに謎が解けました。 トーマは神に近い存在=天使だったのではないか? そして退学生徒は悪魔なのでは? しかし芝居の核心は未決のままでした 。 神と繋がっている「少年愛」はどういうものか経験的に理解できないからです。 トーマは天使なのか等々も不明のままです。 劇場で公演プログラムを買うべきでしたね。 疑問点が少しは解決したかもしれません。 でも面白い芝居でした。 *作品サイト、 http://www.studio-life.com/stage/toma2014/

■アラベラ

■ 作曲:R・シュトラウス,指揮:B・ビリ,演出:P・アルロ,出演:A・ガブラ,W・コッホ,A=N・バーマンン ■ 新国立劇場・オペラハウス,2014.5.22-6.3 ■ 物語に寄り添っていて映画音楽のようね。 しかも意味を問う歌詞が多いから物語を浮き出させることができた。 意味を問うとは「結婚」「婚約」などの祝祭的な言葉を噛みしめること。 「ばらの騎士」を卒業した作品にみえる。 舞台はクリムトの絵が映える素晴らしい青の世界。 沢山の青で表現するウィーンは珍しいかもね。 アラベラは理想と現実を持っていてとても複雑にみえる。 でもその複雑さをきちっと表現している。 それはマンドリカの真摯な対応があるからよ。 でもウィーン世紀末の退廃感は無かったの。 理由は父親の賭博癖が強すぎて滑稽だから。 アラベラ役ガブラーが若すぎるから。 ズデンカのズボン役が反宝塚的だから。 青の世界も過剰かもね。 それでもアラベラの若さは物語の中では光っていた。 終幕に近づくにつれて、家系や結婚など制度としての保守性を越えて真実に向かっていく面白さが増していったの。 フィアカーミリも楽しめたわ。 ホフマンスタールとの共同作業が長く続いた理由を理解できるわね。 *NNTTオペラ2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/140522_001610.html

■2014年METライブビューイング・ベスト3

・ エフゲニー・オネーギン ・ 鼻 ・ ラ・チェネレントラ *並びは観劇日順。 選出範囲は2013 ・14シーズンの、トスカ、ファルスタッフ、ルサルカ、イーゴリ公、ウェルテル、コジ・ファン・トゥッテと上記ベスト3の計9作品が対象。 *「 2013年ベスト3 」

■忠臣蔵・武士編  ■忠臣蔵・OL編

■ 作・ 演出:平田オリザ,出演:青年団 ■ こまばアゴラ劇場,2014.5.31-6.15 ■ 忠臣蔵を二本観てきました。 男優だけの武士編と女優だけのOL編です。 大石内蔵助と家臣たちが赤穂藩の今後を議論するのですが中々決まりません。 そして有志による自由参加の討ち入りとする結論を出します・・。 一観客として最良の結論だと納得しました。 なぜなら観ていてホッとしたからです。 運命を変える会議の場合、逃げ道が多い選択をするでしょう。 一人ひとりの価値観を直截に喋れただけ幸せです。 現代日本の現実の会議との違いが表れています。 OL編は昼休みの食堂の為か気にならなかったのですが、それにしてもよく食べる舞台ですね。 武士編は気が散ってしまいました。 これがあとから観たOL編に響いてしまった。 武士編は食べないほうが差異が出て両作品の面白さが増したとおもいます。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/play/462

■ラ・チェネレントラ

■ 作:G・ロッシーニ,指揮:F・ルイージ,演出:C・リエーヴィ,出演:J・ディドナード,J・D・フローレス ■ 東劇,2014.5.31-6.6(MET,2014.5.10収録) ■ いつも心をウキウキさせてくれるロッシーニ。 しかも最強の物語「シンデレラ」だから文句の付けようが無い。 舞台や演出は形而上学的な雰囲気もある。 これもロッシーニに合うのよね。 ディドナードとフローレスは「理髪師」、「オリー伯爵」から続くMETコンビ。 ディドナードはインタヴィューで最後にしたい(何を?)と言っていたけどちょうどいい時期かもね。 今シーズンが終わったけど、いつのまにかライブビューイングで一杯ね。 ROH、ボリショイ・バレエ、パリオペラ座、RSC、NT。 舞台に興味のある人にはたまらない。 でも年40本もあると悩むわね。 *METライブビューイング2013作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2013-14/#program_10

■遊機体

■ 演出・振付:向雲太郎,舞描:鉄秀,音楽・演奏:築山建一郎 ■ 森下スタジオ,2014.5.30-6.1 ■ 「遊びの始まり」とありましたが、絵を描くのが楽しいようにはみえませんでした。 苦しみの表現です。 ところで音楽、特に照明や映像はサイケ調で激しさが有りますね。 舞踏とサイケデリックは合うはずです。 でも最新の音響や照明・映像技術が、身体を吹っ飛ばしてしまったようにみえます。 これでエントロピーが増大したのでしょう。 ここから「生命力や遊び、芸術を取り戻す」ことをしなければならないのにそれができなかった。 その前の状況説明で終わってしまった舞台にみえました。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage43878_1.jpg?1401531153

■捨て身

■ 出演:宮下省死 ■ キドアイラックアートホール、2014.5.30-31 ■ http://livedoor.blogimg.jp/kidailack/imgs/9/1/9128a516.jpg ■ 宮下省死の舞踏は科白が入る。 肉体のエンジンに言葉のターボを持った車のようだから、ここぞという場面は強い。 宇宙は膨張するか収縮するか? この繰り返しを輪廻転生に繋げていく。 そして首に賭けたお守袋を取り出し自身の履歴を語る・・。 この世に<再び>生まれたことは例え夢でも奇跡である。 この喜びを両親や子供時代の記憶にして文字や人形で表現していく。 上演チラシの作り方、物忘れ、力道山、夢の話・・、断片を喋りそして竹笛を吹きながら幕が下りる。 舞踏家の多くは深淵な感じがする。 しかし彼の身体は近くにみえる。 ある種の自由を観客に与えてくれるからだろう。 今回の作品は後半がサラッとしすぎている。 だから最後にもう一言欲しかった。 初めが宇宙論だから終わりの話は脳科学論しかない。

■カヴァレリア・ルスティカーナ  ■道化師

■ 作曲:P・マスカーニ,指揮:R・パルンボ,演出:G・デフロ,出演:L・ガルシア,谷口睦美,W・フロッカーロ ■ 作曲:R・レオンカヴァッロ,指揮:Rパルンボ,演出:G・デフロ,出演:G・ポルタ,R・スターニン,V・ヴィテッリ ■ 新国立劇場・オペラハウス,2014.5.14-30 ■ 二作を続けて観ると感動が薄れてしまう。 似たもの同士だから。 しかも舞台背景が同じローマ?遺跡のため、あとで思い出しても混乱するからよ。 作品の位置付や上演時間でこのペアになっているのなら少し保守的ね。 「道化師」のストーリーはよく考えられている。 ヴェリズモに合っている。 しかも劇場遺跡での劇中劇は面白い! 舞台上の芝居と現実の境界も消えて複雑な構造だわ。 でも面白さが漏れてしまっている。 何故かしら? 歌詞に日常生活の言葉が多いから<日常の間>というのが発生するの。 これが演劇を呼び寄せてしまい、オペラ的感動を遠ざけてしまうから。 演劇的ストーリーをオペラ的に移行できなかったからよ。 むしろ母の力が強く表現されている「カヴァレリア・ルスティカーナ」のほうが色濃いキリスト教を背景にイタリア的オペラ的感動があったのは確かね。 ところで旅回りの一座を眺めているとイタリア映画をいろいろ思い出しちゃった。 哀愁漂う舞台美術だった。 日本の歌手が外国歌手に混ざるとイタリア語の癖がないからとてもきれいに聞こえる。 特に谷口睦美、吉田浩之の歌唱が記憶に残ったわ。 * NNTTオペラ2013シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/cavalleria/

■コジ・ファン・トゥッテ

■ 作曲:W・A・モーツァルト,指揮:J・レヴァイン,演出:L・ケーニッヒ,出演:Sフィリップス,I・レナード,D・ドゥ・ニース ■ 東劇,2014.5.24-30(MET,2014.4.26収録) ■ 重唱の流れにリズムがあり物語が澱まない。 しかもアリアを引き立たせている。 舞台美術も簡素にしてこの流れを壊していない。 ワーグナーはこの作品を酷評したらしいけど、多分嫉妬ね。 フィオルディリージとドラベッラの性格の違いをそのまま歌手自身が持っていて面白いわね。 作品の感想を聞かれて前者は「一生後悔するだろう」、後者は「独身で生きる不安があるからしょうがない」と言っていたけど、舞台と現実が混ざり合っている。 時代の違う作品だと誰もが言っていたけどそうは見えなかったわ。 古さが感じられない。 しかも舞台芸術の目的の一つ「新しい何かに生まれ変わる幸せ」を持っている作品だから。 さすがモーツアルト、恐るべし! *METライブビューイング2013作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2013-14/#program_09

■幻想音楽劇「リア王ー月と影の遠近法ー」

■ 作:W・シェイクスピア,演出・音楽:J・A・シーザ,美術:小竹信節,構成・演出:高田恵篤,出演:演劇実験室◎万有引力 ■ 座高円寺,2014.5.16-25 ■ リアと末娘コーディリア、グロスターと息子エドガー、この二組の父と子の話が出揃った後半から面白くなりました。 シェイクスピアの「リア王」と言うより「父子物語」ですね。 そしてリアがとても元気じゃないですか! 音楽劇とあったのですが謎のオペラ歌手が歌い役者たちは歌いません。 ここの劇団員たちの歌唱は見たことがありません。 芝居の中の歌は状況に合えば少しくらい下手でも関係ないでしょう。 どんどん歌ってほしいですね。 またゴネリルが舞踏家工藤丈輝とは驚きでした。 他の役者とは違った存在感を持っていました。 目が喋りすぎていましたが。 ところで万有引力のシェイクスピアは「リア王」しか観たことがありません。 次は「夏の夜の夢」をどうですか? *演劇実験室◎万有引力第59回本公演 *劇場サイト、 http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1014

■バレエに生きる-パリ・オペラ座のふたり-

■ 監督:マレーネ・イヨネスコ,出演:P・ラコット,G・テスマ(2011年制作) ■ 「 マルコ・スパダ 」 をみてピエール・ラコットをもっと知りたくなっちゃった。 文化村の上映を見逃していたので早速DVDを取り寄せたの。 ラコットが踊っている姿をみると、ほんとうに彼はバレエが好きなんだなーっておもう。 作品はラコットとギレーヌ・テスマーの履歴書を映像化したような内容。 二人から見た20世紀後半のバレエの歴史が語られていて、100分の短さだったけど感慨に浸ることができたわ。 彼は組織というものが何か知っていた。 組織に対していつもチャレンジを投げかけたの。 そして具体的テーマは<古典の再生>。 この明確な目標があったからテスマーを含め多くの人々との出会いができたのね。 *劇場サイト、 h ttp://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/12_ballets.html

■テンペスト

■ 演出:白井晃,出演:古谷一行,高野志穂ほか ■ 新国立劇場・中劇場,2014.5.15-6.1 ■ 舞台は工場内の仕掛倉庫のようです。 遠くまでダンボールやクレーンが見えていて壮観ですね。 役者の流れに合わせてダンボールを棚ごと移動したり、生演奏の動きも工場倉庫で働いているようで面白い。 布の使い方や照明もよかった。 一番嫌いな劇場ですがその欠点をすべて克服していました。 この劇場が活き活きしているのを初めて見ました。 しかも芝居内容とは無関係な場所のようでビータ・ブルックの何もない空間を思い出させます。 前半は少し眠くなりました。 休息を挟んで後半は俄然生き返りました。 リズムがピッタリ合いだしたからです。 前半はもっと硬さが有ったほうが入り易いかもしれない。 古谷一行は「台詞を喋っている」ような喋り方で面白い。 科白を忘れてしまうのではないかとハラハラする場面もありました。 しかしそれがテンペストが持っている肝心な何かを齎しています。 白井のオセロ を一年前に観ていますが、彼の劇場の使い方が近年素晴らしくなっていますね。 次作も楽しみです。 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/play/tempest/

■マルコ・スパダ

■ 作曲:D・F・E・オベール,演出:P・ラコット,出演:D・ホールバーグ,E・オブラスツォーワ,ボリショイ・バレエ団 ■イオンシネマ 系,2014.5.14-15 ■ ロシアのフルコースを食べて胃が凭れた感じね。 美味しかったけど。 音楽がバレエに妥協しすぎている感じよ。 これで舞台全体に古き良き時代を漂わせることができるのは確かね。 当時のワーグナーより人気があった理由じゃないかしら? ホールバーグは飛び抜けた上手さだけど、若さのみで踊っているようにみえる。 鋼鉄のボリショイ・バレエ団に似合っているわ。 でも彼自身の個性をそろそろ出す時期ね。 今シーズンを観終わって感じたことがあるの。  それはボリショイ・バレエ団は帝政ロシアの時代が恋しいのよ。 ソビエトの肉体でロシア帝国の夢を見る。 自信を取り戻してきたから、強くて大きい時代に戻りたいということのようね。 *ボリショイ・バレエinシネマ作品 *主催者サイト、 http://bolshoi-cinema.jp/