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■ウルフ・ワークス

*下記□の三幕を観る. □I NOW,I THEN(「ダロウェイ夫人」より) □ビカミングズ(「オーランドー」より) □火曜日(「波」より) ■演出・振付:ウェイン・マクレガー,音楽:マックス・リヒター,照明:ルーシー・カーター,衣装:モーリッツ・ユンゲ,映像:ラヴィ・ディープレス,出演:ナタリア・オシポワ,ウィリアム・ブレイスウェル,クレア・カルヴァート,高田茜ほか ■TOHOシネマズ日本橋,2026.5.15-21(ロイヤル・オペラ・ハウス2026.2.9収録) ■ヴァージニア・ウルフの小説『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』をそれぞれ一幕として構成し、三幕を通して一つの作品世界を立ち上げている。 そこにナタリア・オシポワがウルフ役として全幕に登場し、三つの物語を貫く意識の流れを象徴的に結びつけていた。 三幕はいずれも振付・照明・衣装・映像のアプローチがまったく異なり、それぞれに独自の質感と世界観がある。 それでいて全体としてのまとまりもよく、久しぶりに心が高ぶる舞台体験となった。 特に音楽が素晴らしく、意識の揺らぎや流動性をそのまま音にしたような演奏が続く。 一幕冒頭ではウルフ本人の声が流れる。 確か英語という言語そのものについて語る録音だったと思う。 振付家が「ウルフの文体はダンスに通じている」と語っていたが、その言葉に違和感はまったくない。 二幕では「性の狭間で揺れ動く」ダンサーたちが、レーザー光が飛び交い電子音が響く近未来的な空間で激しく踊る。 三幕では、ウルフが入水自殺する直前に夫レナードへ宛てた遺書が読み上げられる。 「・・もう戦うことができません」。 その一文が、彼女の人生の苛烈さを静かに突きつけてくる。 背後に映し出される海の波のスローモーション映像、遠くで聞こえる子どもたちの声、それらすべてが懐かしい意識の層へと観客を導き、私たちを彷徨う旅人のようにさせる。 複雑で豊かな時間を生きたような、深い余韻が残った。 *英国ロイヤル・バレエ&オペラシネマ2025作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/105022/

■能楽堂五月「止動方角」「千手」

*国立能楽堂五月定例公演の二舞台□を観る. □狂言・和泉流・止動方角■出演:野村萬斎,野村裕基,石田幸雄,飯田豪 □能・観世流・千手(小書:郢曲之舞)■出演:坂口貴信,上田公威,舘田義博ほか ■国立能楽堂,2026.5.13 ■能「千手(せんじゅ)」は今回が初見である。 捕虜として鎌倉に幽閉されている平重衡は、まもなく(処刑のため)京へ送られる運命にあった。 源頼朝のはからいにより、前夜、狩野介宗茂と千手の前が酒宴を設け、束の間の慰めの時を過ごす。 本作は「平家物語」を典拠とし金春禅竹の作と伝わる。 死を目前にした重衡と、彼を慰めようとする千手の心の揺れを、千手の動 と重衡の静の対照によって描き出している点が興味深い。 後半は千手の舞が続き、途中一ノ松まで進んだところでシオリが入る。 やがて武士たちに囲まれ鎌倉を後にする重衡を見送りながら、千手の涙は止むことがない。 外へあふれ出る千手の情感 と、内に乱れを抱えつつも動じぬ重衡の姿 が、生と死の境界を観客に強く意識させる。 全体として緊張感に満ちた舞台であった。 シテの坂口貴信は、昨年八月の袴能「砧」でも観ているが、初めて聞く声はよく響き明晰に届く。 小書「郢曲之舞(えいぎょくのまい)」が入り、シテ面は「相生増(あいおいぞう)」であった。 狂言「止動方角(しどうほうがく)」も初見の曲である。 <止動方角>とは、暴れる馬を鎮めるための呪文のこと。 横暴な主人と我儘な太郎冠者の応酬が見どころで、馬も登場するため、複雑な所作と言葉が入り、演者にとって難度の高い曲であることがよく分かる。 これを野村萬斎と主人役の野村裕基の親子が演じることで、作品の複雑さが一層面白さへと転化していた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85006/

■3つの視点、モーリス・ベジャール

*以下□の3作品を観る. □ディオニソス組曲■音楽:マノス・ハジダキス,出演:オスカー・シャコン,フェデリコ・マテテイッチュ,オスカー・フレイム他,(3作品の振付:モーリス・ベジャール,舞団:ベジャール・バレエ・ローザンヌ舞踊団) □これが死か■音楽:R・G・シュトラウス,出演:イエロニマス・クリヴィツカス,大橋真理,ソレーヌ・ビュレル他 □マラルメⅢ■音楽:ピエール・ブーレーズ,出演:イ・ミンギョン,岸本秀雄,武岡昂之介ほか ■NHK・配信,2026.4.27-(ローザンヌ・ボーリュ劇場,2025.6.19収録) ■タイトル「3つの視点」は、異なる時代・地域の三つの音楽を通して、バレエを多角的に見るという意図を示しているのだろうか。 シュトラウス以外の二人の作曲家は、私にとって初めての名前である。 「ディオニソス組曲」は、ギリシャ民衆の生活を背景に〈神と人間〉の交流を描く。 伝統的なリズムが随所に感じられ、「クレタ島はなんと美しいのか……」という歌も印象的だ。 ベジャール・バレエとギリシャ神話は本来相性が良いはずだが、この作品では民衆の生活や祭礼など多くの要素が盛り込まれ、やや散漫な印象を受けた。 「これが死か」は、春夏秋冬の四人のダンサーが登場し、〈人間の一生〉を象徴しているように見える。 シュトラウスの歌曲集「四つの最後の歌」が流れ、ストーリーと振付が巧くまとまっていた。 ベジャールは言う、「バレエは時間の芸術だ」。 バレエにも生と死はある。 「マラルメⅢ」はアジア的な雰囲気をまといながら、何かの象徴を提示しているのだろう。 現代音楽を用いているが、振付が具体的であるため、音楽との抽象度の差がやや噛み合わない印象を受けた。 続くインタビュー映像で、ベジャールは「(三作を)改めて見ると陳腐に感じる。 残しておきたいものは少ない」と語る。 今日の三作は、音楽とバレエの関係を積極的に探ろうとする試みが見えるが、完成度の高い「ボレロ」と比較すると、試行錯誤の段階にあったのかもしれない。 「私が後生に記憶されるなら、ダンスへの関心を復活させたことを語られたい」。 この言葉で幕が下りる。 もちろん、私の脳裏にはベジャールの名前がこれからもしっかりと刻まれ続けていくだろう。 *NHK、 https://www.web.nhk/tv/an/...

■能楽堂五月「鬼瓦」「浮舟」

*国立能楽堂五月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・和泉流・鬼瓦■出演:三宅右近,三宅近成 □能・観世流・浮舟(彩色)■出演:馬野正基,村山弘,三宅右矩ほか ■国立能楽堂,2026.5.9 ■プレトーク「二人の男に愛された苦悶と狂乱」(梅内未華子解説)を聴く。 源氏物語最後のヒロインである浮舟と、彼女を取り巻く人間関係について語られ、「源氏物語」を中心とした内容であった。 プログラム解説には、室町時代の武士から見た源氏物語の位置づけ、能「浮舟」の作詞を行った横越元久、そして節付を担当した世阿弥についても触れられていたが、こうした能と直接結びつく裏話を、プレトークでもう少し聞きたかったところだ。 能「浮舟(うきふね)」のシテを務めた馬野正基は、私にとって初見の役者である。 声の質やリズム、謡の流れに特徴があり、プレトークの題名が示すような激しい「苦悶と狂乱」というより、全体としてさっぱりとした印象の舞台となった。 小書「彩色(さいしき)」である<イロエ>が<カケリ>の前に入り、浮舟の心の揺れを増幅していたものの、後シテの面「増」が色白で清楚な趣を湛えていたためか、舞台は落ち着いた流れを保っていた。 面は前シテの「小面」(古元休作)から後シテの「増」(是閑作)へと替わる。 狂言「鬼瓦(おにがわら)」は、当劇場で二年前にも観ている。 鬼瓦のような顔であっても、妻のもとへ早く帰りたいという夫の姿が微笑ましい。 最後を寛大な笑いで締めくくる「笑い留め」がよく効いており、今回も気持ちよく一曲を味わうことができた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85005/

■トリスタンとイゾルデ

■作曲:W・R・ワーグナー,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,演出:ユヴァル・シャロン,出演:リーゼ・ダーヴィドセン,エカテリーナ・グバノヴァ, マイケル・スパイアーズ他 ■新宿ピカデリー,2026.4.24-30(メトロポリタン歌劇場,2026.3.21収録) ■オペラ作品にはしばしば妙薬が登場するが、本作における<愛の妙薬>の効き目は群を抜いている。 ドニゼッティのそれとは比べものにならず、妙薬を飲んだトリスタンとイゾルデは現実から遠ざかり、抽象的な内面世界へと沈み込んでいく。 動きは次第に少なくなり、舞台を支えるのはほぼ歌唱のみとなる。 そのためか、演出家は二人の感情世界を可視化しようと、映像表現に大きく依存してしまう傾向がある。 本公演でも、象徴性の強い映像が多用され、観客は迷路に迷い込んだような感覚を覚える。 生の舞台であればまだしも、映画館で舞台上の映像をそのまま観ると、どうしても距離が生じてしまう。 この状況を打破するのは、結局のところ映像を吹き飛ばすほどの歌唱と演奏だ。 今回もその期待に十分応えてくれた。 ヤニック・ネゼ=セガンの細部まで行き届いた指揮、トリスタンとイゾルデの二人、そして忠実な従者ルヴェナールと待女ブランゲーネ、さらにマルケ王の安定した歌唱力が作品を力強く支えていた。 こうしてみると、『トリスタンとイゾルデ』は、物語の核心である内面の葛藤と音楽そのものが前面に出るセミステージ形式こそ、最も相性が良いのかもしれない。 *METライブブューイング2025年作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/6908/

■マライの虎、ハリマオ

■演出:モハマド・ファレド・シャイナル,出演:シティ・カリジャ・ザイナル,ガフィル・アクバル,北川麗,杉山賢,ダレン・クォ ■静岡芸術劇場,2026.4.25-26 ■プレトーク(大澤真幸解説)は作品の背景を簡素にまとめたもので観劇の助けになった。 今回の舞台は、1943年に古賀聖人監督が撮った映画「マライの虎」を再構築し、現代の視点から立ち上げ直す試みであるという。 この映画は当時の少国民に人気が高かったと聞く。 イギリスの植民地支配、日本軍の占領、戦後のマレー人と中国人の対立など、現代マレーシアを形づくった歴史が、日本軍の視線を通して凝縮されている点が、この題材を選んだ理由なのだろう。 劇中では日本はアジアを解放したのか?という問いが発せられる。 「日本は資源(石油)が欲しかっただけだ」「この映画の結末は行き止まりだ」と言った、当時のプロパガンダを相対化する台詞も挿入される。 また「中国人は抵抗、マレー人は協調」といったステレオタイプを扱いながらも、断定を避け、歴史の複雑さに触れる姿勢が貫かれていた。 終盤で語られる「歴史そのものを守りたい。 歴史は無限に改定されていくために開かれていなければならない」という言葉はこの舞台の核心だろう。 同時にそれは現代マレーシアの姿にも重なる。 一方で、客席からしばしば笑いが起きていた。 緊張と諧謔が交錯する独特な演出意図によるものだろう。 ハリマオと言えば、私にとってはテレビドラマ「怪傑ハリマオ」の記憶がまず蘇る。 小学生の頃、夢中で画面にかじりついていた。 主題歌はいまでも耳の奥に残っている。 そして舞台を観ながら、ふと父のことを思い出した。 父は陸軍兵士として南方の各戦線を転戦し、最後はシンガーポールでイギリス軍の捕虜になった。 「イギリス軍の弁当は一つで二食分あり、それぞれに紙で包んだ煙草が二本入っていた」。 煙草好きの父は、小学生の私にその話を何度もしてくれた。 それだけ、イギリス兵から受け取った<煙草付の弁当>が強烈な印象だったのだろう。 日本軍が敗北した理由の一つに、兵站の欠如にあると言われている。  父は弁当をみてそれを感じ取ったはずだ。 食料は現地調達に頼り、戦況が悪化すると略奪や暴力へと転じ、最後は餓死に至る。 この構造は資源や食料の確保が不安定な現代日本にも、どこか通じるものがある。 大災害...

■能楽堂四月「枕童子」「柑子」「松風」

*国立能楽堂四月特別公演の三舞台□を観る. □仕舞・宝生流・枕慈童■出演:大坪喜美雄,佐野弘宣,佐野由於,金井雄資,藤井秋雅 □狂言・和泉流・柑子■出演:野村萬,野村万蔵 □能・観世流・松風(見留)■出演:観世清和,観世三郎太,宝生常三,野村万禄ほか ■国立能楽堂,2026.4.24 ■「枕慈童(まくらじどう)」は、まるで日本酒の宣伝作品のように感じられた。 「・・酔ひに、引かれてよろよろよろよろと」という詞章が象徴的で、さらに薬としての効能まで説くのだから面白い。 観終わったその晩は、つい晩酌の量が増えてしまう。 なお、プログラムでは地謡四人と記されていたが、実際は三人であった。 「柑子(こうじ)」では、太郎冠者が三つ目のミカンを食べてしまった理由を、俊寛僧都が鬼界島に残された故事になぞらえて釈明する。 「三個とも六波羅(=腹)へ帰すべきだ」という言い訳の飛躍が愉快で、引き合いに出した物語との落差が笑いを誘う。 今日の「松風」は、舞台の隅々にまで緊張感が張りつめた、密度の高い上演だった。 地謡は情感の起伏を明確に描き、大鼓は囃子全体を牽引する。 シテの声はよく通り、これらが一体となって観客へと迫ってくる。 まさに統合力の賜物であり、この力こそプロフェッショナルの証と言えるだろう。 面はシテが「節木増」(越前出目作)、ツレが「小面」(大和作)。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85004/

■能楽堂四月「岡太夫」「鞍馬天狗」

*国立能楽堂四月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・大蔵流・岡太夫■出演:善竹隆司,善竹十郎,野島伸仁,善竹大二郎 □能・宝生流・鞍馬天狗■出演:辰巳満次郎,内藤瑞駿,飯冨雅介,善竹隆平ほか ■国立能楽堂,2026.4.11 ■プレトーク「鞍馬山という名所からみる牛若丸と鞍馬天狗の出会い」(中尾薫解説)を聴く。 鞍馬寺で過ごした義経を「平治物語」から、鞍馬山の歌枕を「古今和歌集」から引きながら話が進む。 鞍馬(くらぶ=暗部?)という土地が持つ幽暗なイメージと、敗者としての源氏の影が重なり、そこに山伏というダークヒーローが現れる構図が面白い。 一方で、この作品は桜の名所が紹介され、花見の場面では多くの子役が登場するため、明かるい趣向も多い。 舞台は暗→明→暗→と反転しながら展開し、終幕では源氏再興を予感させる語りで締めくくられる。 作者は室町時代の宮増と伝わるが確証はない、などの解説を受けた。 能「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」は十五人もの役者が登場するが、そのうち七人が子方で、四歳ほどの幼い子もみえる。 その一人、牛若丸は溌剌として声も澄み清々しい。 対して山伏は太く落ち着いた声と風貌で、両者の対比があまりにも鮮やかで戸惑うほどだったが、舞台全体は変化に富み楽しく観ることができた。 すっかり忘れていた、子供時代に出会った嵐寛寿郎の鞍馬天狗を思い出したりもした。 後シテの面は「大癋見(おおべしみ)」(是閑作)。  天気が良かったので和服姿の観客も多く、劇場は和やかな雰囲気に包まれていた。 今日は脇正面席に座ったが、演奏や声の響きが良くて、正面席より音響が優れているように感じる。 視覚的に観るなら正面席、音を味わうなら脇正面席だろう。 狂言「岡太夫(おかだゆう)」は「和漢朗詠集」からの引用が多い作品である。 聟が舅宅へ挨拶に訪れた際の玄関でのやり取り、酒宴の席での振舞が整然としていたのが印象的だ。 嫁と聟との教養の差が、どこか皮肉として浮かび上がる舞台でもあった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85002/

■フレンズ・オブ・フォーサイス

■振付:ウィリアム・フォーサイス他■出演:ラフ・"ラバーレッグズ"・ヤシット,マット・ラック,ライリー・ワッツ他 ■新国立劇場・小劇場,2026.3.25-29 ■「THREE QUIET DUETS」がコロナ禍で中止になったのは2022年のことだった。 そのためフォーサイス舞踊団の公演を最後に観たのは「ザ・フォーサイス・カンパニー2006」まで遡る。 過去の記録を読み返すと1999年公演「ウィリアム・フォーサイス&フランクフルト・バレエ団」Bプロ「仮定された流れ2他」が最高の舞台だったと書き残している。 しかし、いずれも20年以上前のことで、記憶はすでに薄れつつある。 今回の公演はフォーサイス舞踊団の元メンバーたちが、なお進化を続ける身体表現を見せてくれるという。 客席はアリーナ型で視界が開けとても観やすい。 6人のダンサーが入れ代わりながら密に絡み合い、離れてはシンクロし、互いの身体を撫でるようにしながら、親密さを帯びた振付が展開していく。 小節の切れ目と思われる瞬間には照明が一瞬だけ落ちる。 この振付に既視感を覚えた。 井出茂太である。 イデビアンクルーの舞台を思い出し、つい比較してしまった。 井出茂太は繊細で、日本的な身体感覚を極めて鋭敏に表現していたことに気づく。 一方、今日の舞台は親密さを保ちながらも、どこか荒々しい身体性が前面に出ており、いかにも欧米的だ。 両者の身体感覚の違いを改めて意識させられた。 上演時間は60分と短いが、似た質感の振付が続き、やや盛り上がりに欠けた印象もある。 眼鏡をかけたライリー・ワッツ(と思われる)がバレエ的な動きを見せる場面があったが、このような要素がいくつか挿入されていれば、より変化が生まれたであろう。 そして、もしタイトルを伏せられたら、これをフォーサイスと結びつけることは難しい。 いやタイトルを伏せなくても結びつかなかった。 それほどまでに、フォーサイスは私にとって遠い存在になってしまったのだ。 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/dance/friends-of-forsythe/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、フォーサイス ・・ 検索結果は4舞台 .

■能楽堂三月「鷺」「名取ノ老女」

*国立能楽堂三月企画公演の二舞台□を観る. □復曲狂言・鷺■出演:野村萬斎,野村万作,笛:竹市学 □復曲能・名取ノ老女■出演:武田孝史,宝生和英,御厨誠吾ほか ■国立能楽堂,2026.3.28 ■二舞台はいずれも復曲作品である。 狂言「鷺(さぎ)」は、太郎冠者が都で見聞した、醍醐天皇が神泉苑へ行幸した際の鷺の逸話を主人に語り、その姿を真似て舞を舞うという趣向の作品だ。 見どころは何といっても鷺舞である。 鷺の神経質な身のこなし、田圃を歩くときの慎重な足運び、そして飛び立つ軽やかさまで、要点を押さえた動きが実に楽しい。 この作品は2年前に山本凛太郎・山本東次郎の出演で観ているが、今回の舞台と比べると、粗筋や鷺舞の表現に違いがあり、似て非なる味わいが興味深い。 「名取ノ老女(なとりのろうじょ)」は<時間>が持っているメロディーとリズムが豊かに変化していく作品である。 前場では、老女の過去と現在が溶け合うように流れ、ゆったりと漂う時間が舞台を支配する。 ときどき、孫娘の甲高く澄んだ声が、未来の時間として差し挟む。 後場で早笛が入ると、護法善神が登場し、時間は一転して激しい雷雨のように押し寄せる。 まさに彼岸の時間を此岸へ持ってきたような感じだ。 護法善神は災難を除き悪魔を払い、老女に子孫までの加護を告げ去っていく。 そして舞台には、観客の心に至福の<時間>が残る。 面は名取ノ老女が「老女」、護法善神が「鷹」であった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7050/

■ROOM Rhapsody in White

■作・演出:佐藤信,出演:服部吉次,桐谷夏子,内沢雅彦,龍昇ほか,劇団黒テント ■スズナリ,2026.3.18-22 ■主人公の潜水夫が就職先へ赴くものの、就業書類の不備によって手続きが滞り、待ち続けることになる、そんな物語である。 舞台は白一色で統一され、そこに白い机と椅子が置いてあるだけだ。 チラシには「・・待ち続けている、あの部屋で」とあったが、当初は不条理劇「ゴドーを待ちながら」の系譜かと思われた。 暫くして、役所の業務が迷宮化していることが、主人公を待たせる原因であるとわかり、むしろ「カフカの城」に近い世界観が立ち上がってくる。 実際、役人と住民の滑稽で無意味にもみえる遣り取りが延々と続いていく。 科白は詩的で断片的なため、ストーリーは殆ど存在しない。 昭和を思わせる唱歌や踊り、さらには歌謡曲「帰り船」まで歌われる一方で、サイレンや砲弾の破裂音も響く。 役者たちの淡々とした演技が詩的な台詞と調和し、舞台全体に独特のリズムを生み出していた。 刺激的な場面もあっが、どこか落ち着く舞台だった。 場内で配られた演出家の「稽古場ノート」には、千田是也から「信は物語が書けないからな」というエピソードが記されていた。 今日の舞台を観て、この指摘が示すところの<一つの完成形>に佐藤信は辿り着いたのではないのか、そんな思いが胸に浮かんだ。 *劇団黒テント第80回公演 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/410582 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、佐藤信 ・・ 検索結果は8舞台 .

■フィフス・ステップ

■作:デヴィド・アイルランド,演出:フィン・デン・ヘルトック,出演:ジャック・ロウデン,マーティン・フリーマン ■TOHOシネマズ日比谷,2026.3.20-(ソーホー・プレイス,2025収録) ■6メートル四方の簡素な舞台、その周りに観客が取り囲み親密な雰囲気を映し出している。 物語は、アルコール依存症のルカが、カウンセラーであるジェームスを世話役として選ぶ場面から始まる。 二人だけで進む対話劇は、断酒更生プログラムである「告白の瞬間」に向けて緊張を高めていく。 それにしても、語られる多くが<酒>より<性>に関わるものだという点が印象的だ。 ルカの日常の「性行動」が次々と明かされ、その背景にはキリスト教的な価値観や慣習も織り込まれていく。 そして「告白の瞬間」では、ジェームスの妻までもが物語に巻き込まれてしまう。 この作品はアルコール依存症の話ではない。 むしろ<カウンセラー>=世話役とは何か? 性欲を例にとり、その役割を問いかけているように思われる。 世話役の構造は、キリスト教の<告白>とよく似ている。 しかし舞台が進むにつれ、患者(依頼人)と世話役の立場は徐々に溶け合い、対等な関係へと変化していく。 その過程は、キリスト教の慣習そのものが揺らぎ、溶解していく様子を暗示しているようでもある。 告白を真似たカウンセリング手法の衰弱を垣間見る舞台だった。 情報過多の現代では告白は難しい。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2026作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/104637/

■ル・パルク

■音楽:W・A・モーツァルト,演出:アンジュラン・プレルジョカージュ,指揮:ベンジャミン・シュワルツ,出演:アリス・ルナヴァン,マチュー・ガニオ他,演奏:パリ・オペラ座管弦楽団 ■TOHOシネマズ日本橋,2026.3.13-19(パリ・オペラ座ガルニエ宮,2021.3.9-11収録) ■この作品を初めて観たのは、2021年にNHKの配信でのことである。 ロココ時代の貴族を描いた舞台に、突然ゴーグルを付けた近未来的なダンサーが現れる。 その衝撃はいまでも鮮明に覚えている。 謎めいた不思議な世界観に強く惹かれながらも、作品の背景を深く調べることなく今日まで過ごしてきた。 今回、パリ・オペラ座 in シネマで上映があると知り、初めて作品の背景を調べてみた。 本作は、18世紀フランス貴族社会における男女の心の動き、理性から情動へと揺れ動く内面、を描いたものらしい。 ゴーグルを付けたダンサーたちは庭師の役割を担っており、日本でいえば人形浄瑠璃の遣い手のような存在とも言えるのかもしれない。 上映された映像は、振付家・劇場・出演者から判断して、5年前に観たものと同じであると分かった。 作品について知識を得てしまったためか、初見のときほどの強い感動はなかった。 しかしその分、プレルジョカージュ独特の振付や物語の構造を、より落ち着いて味わうことができた。 ドイツが理性、イタリアが情動を重んじる傾向があるなかで、理性と欲望の微妙な揺れを繊細に描く本作は、まさにフランスならではの作品と言えるだろう。 *パリ・オペラ座inシネマ、 https://tohotowa.co.jp/parisopera/movie/le_parc/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、プレルジョカージュ ・・ 検索結果は4舞台 .

■能楽堂三月「横座」「祇王」

*国立能楽堂三月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・和泉流・横座■出演:三宅右矩,高澤祐介,金田弘明 □能・金剛流・祇王■出演:今井清隆,金剛龍謹,舘田善博ほか ■国立能楽堂,2026.3.14 ■まず、プレトーク「祇王と<女どうしの絆(シスターフッド)>」(田中貴子解説)を聴く。 「<祇王>は上演機会が少なく金剛流での公演は特に珍しいこと」「出典は<平家物語>だが能作者は不明」「相舞が見せどころであること」「作品にはシスターフッドの要素が濃いこと」などが紹介された。 また、白拍子についても詳しい説明があった。 今様は歌(謡)が中心で、白拍子は舞を主にしながら歌うこと、遊女や傀儡は座って芸をするのに対し、白拍子は立って芸をすること、当時は女性が立つのははしたないとされたこと、白拍子は芸能者として差別されず、自宅を拠点に営業し、母から娘へと芸を継ぐ女系の職能集団であったことなど、白拍子の社会的背景が語られた。 また世阿弥の時代には白拍子は衰えて曲舞になった。 このことから今日の舞台は曲舞と言える。 またプログラムに掲載された「能<祇王>の背景ー白拍子と曲舞」(兵藤裕樹己著)も併せて読む。 導師と助音、座頭(検校)と弟子、瞽女とツレ、そして能のシテとワキ(ツレ)など、芸能者の「二人づれ」の関係性が論じられており、そこからシスターフッドへと繋がる視点がみえてくる。 能「祇王(ぎおう)」の上演時間は60分と比較的短い。 祇王と仏御前が清盛のもとに参上し、二人の相舞、絆の誓い、そし仏御前の破の舞で終わる構成であり、やはり相舞が最大の見どころだろう。 面はシテが「小面」、ツレが「孫次郎(金剛景頼作)」。 プレトークとプログラム記事、そして舞台の三点が揃い、作品世界を深く味合うことができた。 狂言「横座」は、行方不明になった牛の持ち主をどのように決めるかという筋立てで、最期に巧みなオチがつく。 能とは対照的な軽妙さで楽しめた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7048/

(キャンセル)■ドン・ジョヴァンニ

■作曲:W・A・モ-ツァルト,演出:グリシャ・アサガロフ,指揮:飯森範親,出演:ヴィートプリアンテ,田中大輝,フランチェスコ・レオーネ,イリーナ・ルング他,管弦楽:東京交響楽団,合唱:新国立劇場合唱団 ■新国立劇場・オペラハウス,2026.3.5- 12 ■この作品は2014年に同じ演出家・劇場で観ている。 放蕩児ジョヴァンニが地獄へ落ちる壮絶な最後をまた見たくなったのでチケットを購入したが、体調不良のため劇場へ行くことができなかった。 残念! *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_031145.html