■りんごが落ちる
■作:ノゾエ征爾,演出:金澤菜乃英,出演:浜田学,山口森広,梅舟惟永,宮川安利,大西多摩恵 ■新国立劇場・小劇場,2026.6.13-28 ■「・・嘘がないところを探っていこうとすると、演劇の現場を書くことになる」。 作者ノゾエ征爾はそう語っている。 私は舞台の仕事をしたことが無い為か、演劇の裏側を題材にした作品には強い興味を覚える。 関係者は舞台裏で何を考え、どのように世界を支えているのか。 本作では、主人公と思しき俳優が初日の舞台で科白を忘れてしまったらしい。 舞台芸術において科白を飛ばすこと自体は珍しいことではない。 私がよく観る能楽では、シテが科白を忘れれば地謡や後見が小声で伝え、囃子方もそれに合わせて進行する。 観客も大きく動揺することはない。 オペラにはプロンプターがいる。 こうした事故は、能やオペラが持つ強固な構造を揺るがすほどのものではない。 しかし現代演劇は違う。 科白の欠落が作品全体の意味や構造を大きく変えてしまう可能性がある。 作者はさらに「・・現場の生々しさを描写するのではなく、普遍的に捉えたい」と述べている。 その言葉どおり、終幕に向かうほど舞台は分かり難さが増したように思う。 演劇自体を劇中劇として扱い、その<普遍>を探ろうとする試みは刺激的だったが、演技・戯曲・劇団・劇場といった要素に確固たる<構造>を持たない現代演劇が<普遍>を語ろうとすると、どうしても発散してしまう。 それを作品は<日常>で包み込み、なんとか収束させていたように思う。 普遍に対する具体=日常=現場が突破口と考えるのも、現代演劇における一つの方法かもしれない。 作者の意図とした普遍は現場の中にはたして見つけられたのだろうか? 何とも言えない観後感を持った。 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/nozoeseiji-newplay/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ノゾエ征爾 ・・ 検索結果は6舞台 .