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■能楽堂一月「当麻」

*国立能楽堂一月特別公演の3舞台□では「当麻」のみを観る. □能・観世流・当麻■出演:観世銕之丞,観世淳夫,宝生欣哉ほか □狂言・大蔵流・文蔵■出演:大藏教義,大藏基誠 □能・金剛流・妻戸■出演:金剛永謹,飯冨雅介,橋本宰ほか ■国立能楽堂,2025.1.31 ■都合により「文蔵」「妻戸」は観劇を取り止め「当麻」のみを鑑賞した。 「当麻」は世阿弥の作とされている。 一月のプログラムに掲載されていた中野顯正解説による「能<當麻>とその背景」には「世阿弥は・・、善導浄土(直接には時衆)の世界を念頭に置いた」作品であると記されている。 上演時間は120分と長めであるが、それは世阿弥が浄土の教えを丁寧に舞台に織り込んでいる為であろう。 さらに「この作品は當麻曼荼羅が織られる糸が終始貫いている」とも述べていたが、それを十分に感じさせてくれる。 藤原豊成の娘・中将姫の厚い信仰心が阿弥陀如来の顕現を招き、やがて観世音菩薩となって此岸へ戻り、人々を救済する。 当時の民衆は、この舞台を通して浄土救済の有難い世界を実感したに違いない。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7043/

■ドッペルゲンガー

■作曲:F・P・シューベルト,演出:クラウス・グート,ピアノ演奏:ヘルムート・ドイッチュ,テノール歌唱:ヨナス・カウフマン ■NHK・配信(ニューヨーク・ウェイド・トンプソン・ドリル・ホール,2023.9.24-26収録) ■シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」を演劇的な舞台作品に構成した公演である。 ここは馴染み深い「冬の旅」の続編として観ることにした。 全十四曲が歌われ、日本では「影法師」と訳される第13曲目「ドッペルゲンガー」が重要な位置を占める。 今回はピアノソナタ第21番(遺作)第2楽章が途中に挿入されている。 体育館のような広々とした空間に、規則正しく並んだ六十台のベッド。 その中央にピアノが置かれ、舞台を挟んで観客席が左右に広がる。 野戦病院と思わせる光景で、十数人の負傷兵がベットに横たわっている。 その中の一人が歌手ヨナス・カウフマンである。 数人の看護婦も忙しく歩き回っている。 先ずは第2曲「兵士の予感」から始まるが、野戦病院の負傷兵という設定はこの曲に驚くほどよく馴染む。 孤独な兵士が歌う姿はまさに演劇そのものだ。 その病院はそのまま戦場へと変貌し、ベットは銃弾を防ぐ盾となる。 爆撃機の影が横切り爆弾音が響き負傷兵たちは逃げ惑う。 第13曲「都会」では劇場の扉が開かれ、ニューヨークの喧騒が流れ込んでくる。 救急車のサイレンも聞こえる。 そこにカウフマンと瓜二つの人物が現れ第14曲「影法師」が歌われて幕が閉じる。 興味深い舞台だった。 負傷した兵士が歌うという設定により、十四曲のそれぞれが強い意味を帯びて心に迫ってくる。 これは演出の勝利と言ってよいだろう。 *NHK、 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025153961SA000/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、クラウス・グート ・・ 検索結果は2舞台 .

■ガリレオ、ENDLESS TURN

■原作:ベルトルト・ブレヒト,台本・演出:多田淳之介,出演:石井萠水,大内智美,大高浩一ほか,劇団SPAC ■静岡芸術劇場,2026.1.18-3.7 ■舞台にはドーム状の大きな構造物が置かれ、その周囲には大小の石が散らばっている。 まるで土星のようにも見えるその表面には映像や文字が投影され物語進行の一翼を担っていた。 冒頭では700万年前からの人類史がテンポよく振り返えられる。 その後、時代はガリレオの生きた17世紀へと移り物語が本格的に始まる。 ガリレオの死後も更に未来へと進みAIが人知を超えるとされる2050年頃まで描いてから幕を閉じるという構成である。 舞台では、地動説を唱えるガリレオと天動説に固執する宗教者たちとの対立が描かれる。 ガリレオは科学の基本である<観測>を重視するが、宗教者たちは望遠鏡を覗こうともしない。 つまり、彼らの多くも地動説が正しいことを感じていたのだろう。 教会の権威を守れることが分かった時点で受け入れることになるのだ。 真理や真実の追究はいつの時代でも権利・権力が纏わりつくのが常である。 それにしても登場人物の多い舞台である。 20人以上は登場していたのではないだろうか。 一人が複数役を演じたり、逆に複数人で一役を担ったりと、巧みに構成されていた。 ガリレオ役も子供時代、青年期、老年期と役者が入れ替わる。 衣装はどれもキッチュな雰囲気で、胸には電子基板のような装飾を付けられている。 ロボットを暗示しているのだろうか。 さらにラップ調の動きや、聞き取り難いスピーカーからの解説、文字による補足などが頻繁に挿入され、舞台は常に賑やかだった。 演出家は「俯瞰して見られるように作っている」と語っていたが、俯瞰の視点が高くなりすぎたのかもしれない。 ト書を含む説明が多く、結果としてガリレオの経歴をなぞるだけの印象が残った。 おそらく中高生向けに構成された舞台なのではないかと思われる。 *SPAC2025シーズン作品 *劇場、 https://spac.or.jp/25_autumn/galileo_2025 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、多田淳之介 ・・ 検索結果は17舞台 .

■ウォレン夫人の職業

■作:バーナード・ショー,演出:ドミニク・クック,出演:イメルダ・スタウトン,ベッシー・カーター,ケビン・ドイル他 ■TOHOシネマズ日比谷,2026.1.23-(ロンドン・ギャリック劇場,2025年収録?) ■主人公ヴィヴィが母ウォレンの過去と自身の出自を知り、価値観の違う母から独立していく物語である。 科白量が多いので余計なことを考えながら観ている余裕は殆ど無い。 舞台前半はウォレン夫人の自宅の庭、そして後半はヴィヴィが務める会計会社の事務室が舞台となる。 どちらもシンプルな美術で構成されており物語に集中し易かった。 登場人物は六人だが、物語の核心を語るのはウォレン夫人と彼女とホテルを共同経営しているクロフツである。 他の三人、芸術家ブレイド、ヴィヴィの恋人フランク、フランクの父である牧師サミュエルは物語を進める燃料役を担っている。 ヴィヴィは二つの過去を知り動揺する。 一つは、若き日の母が貧困から抜け出すために選んだ道の話、もう一つは、クロフツから聞かされる自身の父親にまつわる真実である。 ヴィヴィが強い精神力と高い教育に裏打ちされた独立心を持つことは理解できるが、過去を知る前後で彼女の行動に大きな変化がみられなかった点は気になった。 この舞台の弱点はヴィヴィの人生観や世界観が物語を通してほとんど揺るがず、母やクロフツのような現実の重みを感じにくかったことである。 一方で「ウォレン夫人の職業」というタイトルの強さは印象的で、まさに夫人の職業が物語を動かしていた。 それでも興味深い舞台だった。 日本の母娘物語とは一味違う価値観に戸惑いながらも、ナショナル・シアターの総合力が舞台の隅々にまで行き渡っていた。 NTL作品に外れは無い。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2025シーズン作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/104636/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ドミニク・クック ・・ 検索結果は3舞台 .

■カルメン

■原作:プロスペル・メリメ,演出:アントニオ・ガデス,カルロス・サウラ,出演:エスメラルダ・マンザナス,アルバロ・マドリード,ハイロ・ロドリゲス他,舞団:アントニオ・ガデス舞踊団 ■NHK・プレミアムシアター,2026.1.5-(マエスト・ランサ劇場,2025.9.6-7収録) ■この作品は、2011年にマドリード王立劇場で上演された舞台映像を過去に観ている。 素晴らしかったという印象だけは強く残っている。 今回、2025年9月にセビリアのマンスト・ランサ劇場で上演した映像が配信されていたので、改めて鑑賞することにした。 アントニオ・ガデス舞踊団の定番作品だからだろうか、どこを切り取っても無駄が無く、過剰な演出も一切ない。 乾いた雑巾を絞り切ったような、徹底した研ぎ澄ましが感じられる。 背景に流れるギター演奏や歌唱もダンスも完全に一体化しており、「ハバネラ」も「闘牛士の歌」も、まさにここぞという場面で響き渡る。 ダンスは切れ味抜群で、観ているこちらの背筋まで自然と伸びてしまうほどだ。 緊張感は常に高く保たれているが、時折笑いを誘う場面もあり、沈黙の使い方も効果的である。 照明の明暗も巧みに計算され、舞台全体の抽象化に成功している。 これらの結果、ダンサーの肉体が一種の象徴へと昇華され、深い芸術的感動が押し寄せてくる。 アントニオ・ガデス舞踊団の最新「カルメン」を観ることができ、とても満足した。 *NHK、 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025153957SA000/index.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、アントニオ・ガデス ・・ 検索結果は2ブログ .

■ショウメイコウ Show me a code

■作・振付・演出:平原慎太郎,演出:稲葉賀恵,出演:小川ゲン,長友郁真,薬丸翔,那須凛ほか,舞団:OrganWorks ■吉祥寺シアター,2026.1.10-18 ■ダンスというより演劇に近い舞台だった。 「・・芸術活動が極端に制限された国で芸術表現を試みる人々の苦悩を描いた」という物語背景があり、科白も豊富に盛り込まれている。 出演者は役者とダンサーが半々だが、ダンサーも科白を担っているようだ。 青と白で彩られた美術ギャラリーを思わせる舞台美術は、階段や広間が幾何学的に配置され完成度が高い。 平原慎太郎の、身体同士を絡ませながら粘り気のある動きを特徴とする振付にも十分耐え得る空間となっていた。 演劇とダンスが離散と融合を繰り返しながら場面が展開していく。 ダンスは、その瞬間の役者の心情や風景を可視化する役割を担っているようにみえる。 振付はストーリーと巧くみに絡み合い、物語が描く国家と個人の対立の激しさ、そこから生まれる喜怒哀楽を強く支えていた。 むしろ感情の振れ幅が大きい物語だからこそ、ダンスによる心情表現が自然に成立していたのかもしれない。 これは演劇とダンスが融合した<演劇ダンス>と呼ぶべき作品に近い。 平原慎太郎は近年、オペラ「浜辺のアインシュタイン」や「東京オリンピック開会式」など、異分野の振付を手掛けているが、今回のような    <演劇ダンス>を含め、今後も新たな表現に挑戦し続けて欲しい。 *劇場、 https://www.musashino.or.jp/k_theatre/1002050/1003231/1008319.html *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、平原慎太郎 ・・ 検索結果は9舞台 . *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、稲葉賀恵 ・・ 検索結果は4舞台 .

■能楽堂一月「三本柱」「百万」

*国立能楽堂一月普及公演□の2舞台を観る. □狂言・和泉流・三本柱■出演:松田高義,野村信朗,奥津健一郎,井上蒼大 □能・喜多流・百万■出演:狩野了一,塩津希介,野口能弘,井上松次郎ほか ■国立能楽堂,2025.1.10 ■プレトーク「「狂ひ」ということ、そして「百万」という名の意味するもの」(林望)を聴いた。 講師は、「百万とは念仏などを百万回唱えることであり、その反復によってエクスタシー(法悦)状態に入ることができた」「シテである百万はシャーマニズム(巫術)におけるシャーマン(巫女)の位置にある」「清凉寺はセアンス(降霊)の場になっている」「シテの百万は子供を失って狂ったのではなく、子と再会する機会を増やすためシャーマンになり<狂う>ことにした」などを解説する。 「百万」は観る側に一定の集中力を求める作品である。 変化のある「次第」はともかく、「車の段」「笹ノ段」、そして「クセ」へと進むにつれ、母の心情がひたすら吐露されていく。 しかし「「カケリ」「クルイ」といった狂乱を表す場面がなく、さらに「クセ」は地謡が多くを担うため、母の狂気が醒めて見え、感情移入が難しい。 舞台に意識を向け、一句一句のイメージを自ら立ち上げていく姿勢が求められる。 シテ面は「曲見(しゃくみ)」。 「三本柱」は正月にふさわしく明るい作品である。 新しい蔵の柱を 三人 のアドが知恵を絞って持ち帰り、それをシテ(果報者)が褒め称えるという筋立てで、四人のはしゃぐ姿には素直に同調できた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7040/

■能楽堂一月「絵馬」「牛馬」

*国立能楽堂一月定例公演□の2舞台を観る. □能・宝生流・絵馬■出演:金森秀祥,金森良充,金井賢郎.木谷哲也ほか □狂言・大蔵流・牛馬■出演:善竹忠亮,善竹大二郎,茂山千三郎 ■国立能楽堂,2025.1.7 ■正月らしく、客席には和服姿の観客が多く見られた。 祝典能では、神霊をシテとする脇能の後に脇狂言が続くのが常だが、今日はその順番で演目が始まった。 「絵馬」は、前場で尉と姥が伊勢神宮の社殿に絵馬を掛け、後場では天照大神、天鈿女命(あめのうずめ)と天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)が登場し、天岩戸の故事を再現し、神舞を続いて神楽を舞う。 新年にふさわしい豊かな趣のある作品である。 神舞では天照大神の舞に切れと速さがあり、舞台が一気に引き締まった。 神楽では二神の相舞が華やかで見事で、豪華なお年玉をもらった気分になった。 面は尉が「小尉(こじょう)」姥は「姥」、後場になって天照大神は「外河(とごう)」、二神は「小面」と「邯鄲男」。 「牛馬」は過去に観たことがあったが、詳細は忘れていた。 博労(牛や馬の仲買商人)同士が市場の権利を争う話で、今年の干支に因んで取り上げられたのだろう。 牛と馬の効用を巡る掛け合いが軽妙で、改めて楽しめた。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2025/7039/

■くるみ割り人形

■音楽:P・I・チャイコフスキー,振付:ウィル・タケット,指揮:マーティン・イェーツ,出演:東真帆,奥村康祐,福岡雄大ほか,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 ■新国立劇場・オペラパレス,2025.12.19-26.1.4 ■クリスマス公演の定番作品だが、近年は年初まで上演されるようになり、年末の多忙な時期を避けて観られるのは有難い。 しかもウィル・タケット振付による新作と聞き、期待してチケットを購入した。 新作の特徴としては・・ 1.チャイコフスキーの楽譜に書かれたシナリオに、より忠実に近づけていること。 2.作曲家が望んだとされる演奏速度に、より近づけていること。 3.「菓子の国」のディヴェルティスマンをすべて<菓子の踊り>に統一したこと。 舞台装置は凝っており、映像も多用されていて非常にカラフルだ。 「菓子の国」ではキャンディ・綿飴・ゼリー・ポップコーンなど多彩な菓子が登場し、どれもくっきりとした鋭い照明下で映えていた。 まるでディズニーランドに来ているかのような華やかさがある。 私は本来、質素ながら重厚な舞台、たとえば古い英国ロイヤル・バレエなどの様式、を好むため、今回はやや趣味から外れていた。 若い観客を惹きつける工夫がなければ、近頃は劇場運営も難しいのだろう。 主役のクララと助手(王子)はグラン・パ・ド・ドゥも無難に熟していた。 とくに群舞が素晴らしかった。 チャイコフスキーのバレエ音楽は楽しさと寂しさが共存しており、年末・・今年は年初だが、この時期に聴くには最適だ。 演奏も申し分無かった。 劇場は満席で、スタッフやキャストは大変だろうが、年初公演は成功すると確信できる。 当劇場のバレエ公演はオペラと比較して客層が真逆になる。 この日は若い女性が九割を占めていた。 ともあれ、今年の幕開けとして順調な舞台だった。 *NNTTバレエ2025シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/nutcracker/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ウィル・タケット ・・ 検索結果は2舞台 .

■朧の森に棲む鬼

■作:中島かずき,演出:いのうえひでのり,出演:松本幸四郎,中村時蔵,坂東新吾ほか ■アップリンク吉祥寺,2026.1.2-22(新橋演舞場,2024.11収録) ■作品紹介には「阿弖流為(アテルイ)に続く待望の第二弾!」とある。 第一弾が面白かったこともあり正月早々に映画館へ足を運んだ。 今作は「底知れぬ欲望に捕らわれ、狡猾な詭弁で人々を騙し、底辺から頂上を狙う主人公ライ」に焦点を当てている。 前半はどうにも身動きがとれない印象だった。 森に棲む魔物から授けられた魔力が彼を守ってしまうため、物語の展開が読み易く、緊張感が薄れてしまう。 「マクベス」や「リチャード三世」を思わせる場面が時折登場するものの、ライの心は終始閉ざされたままだ。 彼は何を考えているのか外側からは想像しずらく、天下統一のビジョンも見えてこない。 上映時間200分が長く感じられた。 しかし後半に入ると、ようやくエンジンが掛かってきた。 それは、前半でライと交わりを持った人物・・、上司・愛人・同僚・部下・親友・知人の関係を彼の欲の力で次々と暴力的な解決をしていく展開だ。 ここは作家と演出家の名コラボらしい捻りの効いた流れが見事に発揮されていた。 主人公ライの支離滅裂な強欲だけが突っ走る舞台だった。 そこに<大きな物語>が欠けていたのは残念に思う。 最後に彼は鬼となり、朧の森を支配して幕が下りる。 ヒトがオニになる作品だが、もし彼の欲望を<大きな物語>に向かわせたら、オニではなく、政治の、宗教の、英雄になったのかもしれない。 *シネマ歌舞伎作品 *シネマ歌舞伎、 https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/2850/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、いのうえひでのり ・・ 検索結果は18舞台 .

■インター・エイリア

■作:スージー・ミラー,演出:ジャスティン・マーティン,出演:ロザムンド・パイク,ジェイミー・グローヴァー,ジャスパー・タルボット ■シネリーブル池袋,2025.12.26-26.1.8(リトルトン・シアター,2025.7-9収録) ■登場人物は主人公ジェシカと彼女の夫、そして息子の3人である。 しかし実際には、ジェシカが複数の役を演じ分けながら物語を進めていくため、ほぼ一人芝居のような構造になっている。 一人数役ゆえに、科白の中にト書きのような状況説明が多く含まれるが、重要な場面では夫や息子も科白を発する。 作品全体の9割以上をジェシカが語り続けるという大胆な構成が面白い。 ジェシカは裁判官で、夫も弁護士という裕福なリベラル家庭に見える。 そして契約書用語のラテン語タイトルが意味深いニュアンスを漂わせている。 彼女は一人息子を深く愛しており、同時に自身の職業にも強い誇りを持っている。 前半はこの二つの軸を中心に物語が展開していく。 素人の私から見ても、特に判事としての仕事の描写は興味深かった。 後半、息子が性加害で訴えられるという重大なトラブルが発生する。 ジェシカは息子を救うため、リベラルが掲げる<権力からの自由>を手放し、<権力への自由>である<法の正義>だけを頼りにして解決しようとする。 しかし息子は<人としての正義>を選び、自ら罪を認めて自首をする・・。 判事という職業を持つ家庭に法的紛争が持ち込まれることで、家族関係は複雑に揺れ動く。 この複雑さを作品は巧みに救い上げ、舞台を魅力的なものにしていた。 ジェシカを演じたロザムンド・パイクの熱演は見処であった。 *NTLナショナル・シアター・ライブ2025作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/104635/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ジャスティン・マーティン ・・ 検索結果2舞台 .

■2025年舞台ベスト10

*当ブログに書かれた作品から最良の10本を選出. 並びは上演日順. 映像(映画・配信)は除く. ■ 宙吊りの庭   演出:金森穣,舞団:Noism ■ ソウル・オブ・オデッセイ   演出:小池博史,出演:小池博史ブリッジプロジェクト ■ 武文   出演:金井雄資,宝生欣哉,野村萬斎,劇場:国立能楽堂 ■ 想像の犠牲   演出:山本ジャスティン伊等,劇団:Dr.HolidayLaboratory ■ 加茂物狂   出演:観世清和,,福王和幸,福王知登,劇場:国立能楽堂 ■ レムニスケート消失   演出:小野寺邦彦,劇団:架空畳 ■ セザンヌによろしく   演出:今野裕一郎,劇団:バストリオ ■ りすん   演出:小熊ヒデジ,劇団:ナビロフト ■ 弱法師   演出:石神夏希,劇団:SPAC ■ 鼻血   演出:アヤ・オガワ,劇場:新国立劇場 *今年の舞台映像は,「 2025年舞台映像ベスト10 」. *今年の美術展は,「 2025年美術展ベスト10 」.

■2025年舞台映像ベスト10

*映像(映画・配信など)で観た舞台公演から最良の10本を選出. 並びは観賞日順. ■ マクベス   演出:マックス・ウェブスター,劇場:ドンマー・ウェアハウス ■ ハンマー   演出:アレクサンダー・エクマン,舞団:エーテボリ歌劇場ダンスカンパニー ■ 賭博者   演出:ピーター・セラーズ,指揮:ティムール・ザンギエフ,主催:ザルツブルク音楽祭 ■ 真面目が肝心   演出:マックス・ウェブスター,劇団:ロイヤル・ナショナル・シアター ■ 博士の異常な愛情   演出:ショーン・フォーリー,劇団:ロイヤル・ナショナル・シアター ■ サロメ   演出:クラウス・ゲート,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,劇場:メトロポリタン歌劇場 ■ ラインの黄金   演出:バリー・コスキー,指揮:アントニオ・パッパーノ,劇場:ロイヤル・オペラ・ハウス ■ ワルキューレ   演出:バリー・コスキー,指揮:アントニオ・パッパーノ,劇場:ロイヤル・オペラ・ハウス ■ 蝶々夫人   演出:ロバート・ウィルソン,指揮:スペランツァ・スカップッチ,劇場:パリ・オペラ座 ■ オルフェオとエウリディーチェ     演出:ピナ・バウシュ,指揮:トーマス・ヘンゲルブロック,劇場:パリ・オペラ座 *今年の舞台は,「 2025年舞台ベスト10 」. *今年の美術展は,「 2025年美術展ベスト10 」.

■踊る。遠野物語

■演出・振付・構成:森山開次,出演:石橋奨也,大久保沙耶,尾上眞秀,麿赤児,田中睦奥子,森山開次,舞団:Kバレエ,大駱駝艦,演奏・歌唱:中村明一,磯貝真紀,菊池マセ ■BeilliaHall,2025.12.26-28 ■物語は、出撃前に許嫁を思いながら絶筆を残した特攻隊員の魂が遠野を彷徨い、彼岸と此岸の境界を飛び続けるというものだった。 舞台は驚きに満ちていた。 舞踏や、岩手県遠野に伝わる伝承をもとにした歌や踊りが入り混じり、独自の世界観をつくり上げているバレエ作品である。 最初は戸惑いながら観ていたが、次第にその世界に馴染んでいく感覚が心地よかった。 バレエと舞踏が融合していく様子が実に楽しい。 八百万の神々が舞台を導き、主人公の青年が飛行機のように舞台上を飛び回る。  これほど多様なジャンルを横断するバレエ作品は初めてかもしれない。 途中でストーリーがやや曖昧になったものの、遠野物語を絵巻を眺めているような豊かな時間を持てた。 終幕の鹿踊りは、あの世とこの世の境界を浄化するような力を感じさせた。 いつものダンスを観たという感動とは異なり、神々がもたらしてくれたような深い充足感を得ることができた。 *Kバレエ・オプト第3回作品 *劇場、 https://toshima-theatre.jp/event/001211/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、森山開次 ・・ 検索結果14舞台 .

■養生

■作・演出・美術:池田亮,出演:本橋龍,黒澤多生,丙次,劇団:ゆうめい ■神奈川芸術劇場・大ホール,2025.12.19-28 ■美大生である主人公がアルバイトや就職を通して経験した社会の現実を舞台に乗せ、現代の若者が抱える生活の一面を鮮やかに描いていた。 誇張された場面もあったが、全体として楽しんで観ることができた。 前半は登場人物3人によるコントのような掛け合いが続く。 やや単調に感じ始めた頃、同期が著名作家になったことへの社会的批判が語られ、そこから舞台はコント的な軽さを抜け出し、本格的な芝居へと転じていった。 私自身、美術には多少の興味があるものの、美大生の就職について深く考えたことがなかった。 美術作品は主観や嗜好に左右されるため、一般の商品と違って評価が一定しない。 劇中でも、主人公が良かれと思って製作した作品が教授には不評で、美大生が<自信>を持ちにくい状況が描かれていた。 就職してからも揺れ動く評価と自信の間で疲労していく姿に、彼らが背負う重荷を強く感じさせた。 演出家の挨拶文には「・・忘れられずにある「否定されたもの」をもう一度肯定するために「養生」を上演する」と記されている。 終幕で、主人公は仕事の納期を守れなかったにもかかわらず、同僚を庇う行動を選ぶ。 彼は何を肯定したのだろうか? 私には、それが人間関係そのものの肯定に至ったように見えた。 社会に根強く存在する芸術作品の評価システムを舞台上で覆すことは難しいかもしれないが、その中で人がどう生きるかを問いかける作品だったように思う。 *ゆうめい10周年全国ツァー公演 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/yojo *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、池田亮 ・・ 検索結果2舞台 .