2017年6月26日月曜日

■ジゼル

■音楽:A・アダン,振付:J・コラリ他,装置・衣装:V・オークネフ,照明:沢田祐二,指揮:A・バクラン,演奏:東京フィルハーモニー交響楽団,出演:木村優里,渡邊喬峻郁ほか
■新国立劇場・オペラパレス,2017.6.24-30
■「ジゼル」は梅雨時の季節にとても良く似合う。 二幕、墓地でのウィリの群舞は最高だわ。 うーん、ヒンヤリしてきた! 美術も特に照明は効果抜群ね。
でも音楽や振付はどちらかと言うと率直なの。 だから感情移入するにはダンサーの力が必要。 ロマンテック・バレエの特徴かもね。 今日のジゼルとアルベルトは少し神経質だった。 それよりもっと存在感を増すことね。 そうすればグッと来るはずよ。
やっぱバレエを時々観ないと心身が緩んでしまう。 ほーら、元気がでてきた。
*NNTTバレエ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/giselle/

2017年6月21日水曜日

■三文オペラ

■作:B・ブレヒト,脚本:S・スティーヴンス,演出:R・ノリス,出演:R・キニア,R・クレイグ,H・グウィン
■TOHOシネマズ六本木ヒルズ,2017.6.16-22(オリヴィエ劇場,2016年収録)
■ぐいぐいと引き込まれるゥウー。 歌詞に潜んでいる性と暴力を歌手が直截に歌うから力強い舞台になっている。 役者たちの切れ味も良い。 このため舞台上すべての輪郭がクッキリ現れるので頭にビシビシ響いてくる。 当時の貧民街のヤクザや乞食、警察や娼婦の世界が想像できるの。 親子や結婚の意味付け、戦争仲間などの人間関係もね。
だから恩赦の場面は気が抜けてしまう。 緊張を持続させるためには終幕をテキパキ処理して上演時間は3時間にすべきね。 これをみると日本製舞台はぬるま湯に浸かっている感じがする。 「三文オペラ」の深層に辿り着いたという確信を持てたわ。
*NTLナショナル・シアター・ライヴ作品
*映画comサイト、https://eiga.com/movie/86630/

2017年6月20日火曜日

■ブリッジ

■作・演出:松井周,劇団:サンプル
■神奈川劇術劇場・大スタジオ、2017.6.14-25
■舞台は円形劇場風で中央にカーテンのような緞帳が下がっている。 役者たちは司会者の真似をしたり寸劇を入れたりして時には観客を笑わせながら進めていきます。 テレビのバラエティ番組をスタジオで観ているようですね。
ストーリーは単純なようですがまとめ難いのでチラシの一部をそのまま載せます。 「モツ宇宙(コスモ)という腸の世界を宇宙の始まりと考えるコスモオルガン協会の信者たちによる、・・」。 要約すれば「救い」の話です。 悩みを持っている人々が悩んでいる理由や教団ジョージと出会った経緯などを話し演じながら入会していくところを描いていきます。
「人々は「やや神」がいたらいいなあと思っている。 そして国家も科学も中途半端な神でしかないことはなんとなく分かっている」。 そこに「やや人間」を向き合わせる。 つまりフィクションを演じていく人間です。 「名前を貼り付け、衣装をまとい、家族や友人のように振る舞い、言葉を操り、ルールに従う・・」。
劇団サンプル10周年記念作品ですがここで活動を休止するらしい。 常に「変態し続けてきた・・」と演出家も言っていますが、動物の成長過程・植物の器官変形そして今回の舞台でも多彩に演じられた性欲嗜好としての「変態し続ける」ことこそが「やや神」と「やや人間」が出会う為の原動力です。
*劇場サイト、http://www.kaat.jp/d/the_bridge

2017年6月19日月曜日

■部屋に流れる時間の旅

■作・演出:岡田利規,音・舞台美術:久門剛史,出演:青柳いずみ,安藤真理,吉田庸,劇団:チェルフィッチュ
■シアタートラム,2017.6.16-25
■小さなダイニングテーブル、その花瓶には淡いピンクのバラ二本と水の入ったコップ、近くに椅子が二つ、床には扇風機のような轆轤のようなオブジェたちが静かに動いたり止まったりしている。 背景の青白いカーテンが時々風にゆらいでいる。 雑音が何かの清音のように微かに聞こえてくる。 透き通った静けさに満たされた水の中に居るかのようです。
死んだ妻の幽霊が夫に話しかる。 でも二人は互いに視線も身体も知らん振りです。 妻はあの時のことを夫の身体を掠めて話し続ける。 あの時とは震災の日の前後です。 幾つもの些細な行動に対して妻は夫に相槌を求めます。 ・・どう思った? ・・どう感じたの? ・・。
夫は新しい恋人を家に連れてきます。 妻は恋人にも知らん振りです。 夫と恋人は視線は合わせますが動きは緩慢です。 2人の時間は植物が成長するようにゆっくりと前進していく。 でも妻の時間は言葉に変換され声として響き続けているだけです。 「永遠の希望、死者への羨望、そして忘却・・」。 妻の声が美術や音響・照明とシンクロされ舞台に深みを与えていました
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201706heyaninagareru.html

2017年6月17日土曜日

■君が人生の時

■作:ウィリアム・サローヤン,翻訳:浦辺千鶴,演出:宮田慶子,出演:坂本昌行,野々すみ花,丸山智己,橋本淳ほか
■新国立劇場・中劇場,2017.6.13-7.2
■チラシの粗筋も読まないで劇場に向かいました。 サローヤンは中学?の授業で読んだ記憶がある。 日常風景を描いていた作家なので素面で観たほうが面白いと思ったからです。
幕が開いて、じわじわと冷や汗が出てきました。 役者と役者に距離感があり過ぎる。 科白も孤立している。 話がまとまらない。 人物が規則正しく間を置いて登場する為もある。 広い舞台が閑散としています。 一人ジョーがシャンパンを飲みながら勝ってに騒いでいる。 しかもカネを皆にバラまきながら。 近づき難い舞台です。 そのうち客席から鼾が聞こえてくる。 隣席もウトウトしています。 私が演出家なら不安で劇場から逃げ出したでしょう。
それにしても酒場の客はビールを美味そうに飲みますね。 こちらも喉がムズムズしてくる・・。 喉が乾いても今日は頭が冴えていたので我慢して観ていました。 そして中休みへ。 観客の8割は若い女性です。
後半に入り何とかリズムが合ってきました。 時代に翻弄されてきた人種の違う多くの人々が登場する。 湾港では労働争議が起きますが酒場はいたって呑気です。 売春を取り締まる警察との衝突も他問題と切り離されている。
「不穏な時代に謳い上げる人間賛歌」というのはガラーンとした舞台のようなものだと感じました。 役者も科白もモノも空間にばら撒き漂わせる。 得体のしれない緊張感を伴いながら、社会問題も乾燥した響きのある空間の中で分解していく。 米国1939年の風景が舞台にみえました。
*NNTTドラマ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_007982.html

2017年6月13日火曜日

■ヒッチコック/トリュフォー

■監督:ケント・ジョーンズ,脚本:セルジュ・トゥビアナ,出演:デビッド・フィンチャー,ウェス・アンダーソン,黒沢清ほか
■フランス・アメリカ合作,2015年作品
■書店の映画コーナーで必ず目にする本「映画術ヒッチコック/トリュフォー」を10人の監督が語る映画である。 本の評判は耳にしていたが実は読んでいない。 トリュフォーがヒッチコックにインタビューをしてまとめたものらしい。
登場する10人の監督はヒッチコックをベタ褒めする。 「この本を読んで映画の撮り方が変わった・・」。 様式の美学、サイレントの魅力、アクターズ・スタジオ出身俳優の位置付け、カイエ・デュ・シネマで展開した作家主義の適用等々が話題になる。 後半は「めまい」と「サイコ」に時間を割いている。
監督たちの話には頷いてしまうが、何故今頃になってこのような映画を作るのか?の疑問は消えない。 ヒッチコックの面白さは別格だが時代は変わっている。 監督たちの話も新鮮さがない。 トリュフォーも付け足しにみえる。 本を読んでいないので大きなことは言えないが。
ヒッチコックの作品は1930年代後半からしか知らない。 「レベッカ」を観た後に監督がヒッチコックだと知って驚いたことを覚えている。 いつものヒッチコックとは別の面白さを感じたからである。 彼の作品からは真摯な娯楽性が感じ取れる。
トリュフォーの作品はほぼ全て観ている。 私版ベスト3は「大人はわかってくれない」「突然炎のごとく」「緑色の部屋」。 「突然炎のごとく」を初めて観た時の衝撃は大きかったが十数年後に再観したときの失望も大きかった。 多くは最初に出会った印象がいつまでも残る。 映画も一期一会である。
*映画com、http://eiga.com/movie/84626/photo/

2017年6月12日月曜日

■ザ・ダンサー

■監督:ステファニー・ディ・ジュースト,出演:ソーコ,リリー=ローズ・デップ
■新宿ピカデリー,2017.6.3-(2016年作品)
■登場するダンサーはロイ・フラーとイサドラ・ダンカン。 でも二人ともよく知らない。 絵画や短い映像でしか見たことがないの。 主人公ロイ・フラーの踊りは衣装や照明、舞台装置の重視からパフォーマンスに入ると思う。 でも何故その方向へ進むのか彼女の心情が伝わって来ない。 舞台芸術家として全てを統合したかったのかもしれない。 「私のダンスは衣装が全て・・」「あなたの踊りはダンスではない」。 フラー自身とダンカンの言葉よ。
いまWIKIを読んだらフラーの社会への関わり方が凄い。 化学系や照明関係の特許を沢山取得したり、科学者との交流に励みフランス天文協会会員にもなり、第一次世界大戦ではルーマニア支援や戦後美術館建築援助までしている。 日本舞踊団に興味を持つのも道具を駆使するパフォーマーの触覚感からね。
映画としてはまあまあだけどフラーの実話としての物語は初めてだったのでとても興味を持って観ることができたわ。
*作品サイト、http://www.thedancer.jp/

2017年6月8日木曜日

■ヴェニスの商人

■作:W・シェイクスピア,演出:蜷川幸雄,出演:市川猿之助,中村倫也,横田栄司,高橋克実
■新宿バルト9,2017.6.3-9(彩の国さいたま芸術劇場・大ホール,2013.9収録)
■シャイロック役は市川猿之助。 彼の演技が他役者とは別次元にみえる。 先日の「ジュリアス・シーザー」は役者間の均衡が何とか保たれていたがこの舞台はそうならない。 ここまで差がでてしまうと諦めるしかない。 猿之助は見事な過剰だが他役者たちが歌舞伎の真似をするのは頂けない。 ポーシャ役の中村倫也はオールメール・シリーズとしては適役で面白いが土俵が違う。 役者で左右される芝居はそれなりに楽しいのだが・・。 「じゃじゃ馬馴らし」は観ていないが演出家の役者に対する考えが複雑にみえる舞台である。
「間違いの喜劇」と同じように舞台中央の通りが建物に囲まれて背景彼方へ続いている。 これをみて再びヴィチェンツァのオリンピコ劇場を思い出してしまった。 世田谷パブリックシアターの客席天井の青空と白雲をみた時も同様な記憶が蘇ったことがある。 両作品は古代ローマやイタリアに深く関係しているので舞台を真似たのであろう。 このような真似を探すのは楽しい。
録音が自然に近くなっていたが響き過ぎの感もある。 蜷川幸雄一周忌で3本も観ることができて嬉しい。 どれもシェイクスピア科白の歯切れの良さが耳に残った。
*一周忌追悼企画蜷川幸雄シアター作品

2017年6月7日水曜日

■東海道中膝栗毛<やじきた>

■作:十返舎一九,演出:市川猿之助,出演:市川染五郎,市川猿之助,松本金太郎,市川團子ほか
■東劇,2017.6.3-(歌舞伎座,2016.8収録)
■東海道を駆け足ですね。 途中ラスベガスに立ち寄ったことでその風景は遠のいてしまった。 それでも東海道は箱根の山より川岸での場面や海の眺めが印象に残る。 ハチャメチャですがまとめ上げています。 信夫の若君伊月梵太郎と供侍伍代政之助の純真さが舞台を引き締めていました。
*シネマ歌舞伎第27弾作品
*作品サイト、http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/34/

2017年6月5日月曜日

■ジークフリート

■作:R・ワーグナー,指揮:飯守泰次郎,演出:G・フリードリヒ,演奏:東京交響楽団,出演:S・グールド,A・コンラッド,T・ガゼリ,C・ヒュープナ,C・マイヤ,R・メルベート
■新国立劇場・オペラパレス,2017.6.1-17
■「ラインの黄金」も「ワルキューレ」もどのような舞台だったか2幕迄みても思い出せなかった。 でも3幕の炎を見たとたん記憶が蘇ったの。 1・2幕では根気よく待ち続ける作品なのね。
炎が消えた後はジークフリートとブリュンヒルデの心の動きが手に取るように分かる。 怖れや愛おしさを痛いほど感じる。 去っていくヴォータンの背中が何であるかも。 そして母親との関係もいろいろ考えてしまう。 3幕でこれほど感動したのは初めてよ。 後半の抽象化してきた舞台や日本語字幕も影響しているかもしれない。
この感動の始まりは2幕後半のジークフリートを導く小鳥たちの歌声から始まったようね。 小鳥たちはこの劇場の特性を掴んでいる。 ある条件での発声はこの広い劇場空間を通すと心身を豊かに振動させるらしい。 エルダやブリュンヒルデはこの特性を意識しないで歌っていたとおもう。 建物としての劇場構造はとても影響する。
早く「神々の黄昏」をみたい。 また全てを忘れてしまいそうだから。 でもこれは演出家の意図かもしれない。 前半、歌手の動作は細々しているし日常小道具で溢れている。 たくさん観ている舞台の一つとして直ぐに埋もれてしまうからよ。 でも条件が整えば再び思い出せる。 ワーグナーの心の動機で繋がっているから。
*NNTTオペラ2016シーズン作品
*劇場サイト、http://www.nntt.jac.go.jp/opera/siegfried/
*「このブログを検索」キー、ジークフリート・飯守泰次郎

2017年6月2日金曜日

■ABSOLUTE ZERO,絶対零度2017

■出演:勅使川原三郎,佐東梨穂子
■世田谷パブリックシアタ,2017.6.1-4
■舞台をみて勅使川原三郎はプロと言うより職人ダンサーを感じます。 彼の振付や動きはもはや職人芸です。 作品は4章で構成されている(?)。 
1章は二人の精密な腕の振りを中心にした速い動きで進みます。 佐東もピタリと彼に付いていきます。 痺れますね。 2章へ行く前に女性のワンピース姿の白黒連続写真が映し出されるのには戸惑います。 古さを感じます。 2章では音楽がピアノに変わり二人の動きはスロウダウンしていく。 最初はぎこちなかったが途中からシックリしてきました。 3章以降は勅使川原のソロになります。 手を加えた動きで身体や顔を撫でたりしてパントマイムを見ているようです。 見事と言うしかない。 天井から大きな女性の写真が下りて来る。 そして背景が青一色にかわり長い静止状態を組み込んだフィナーレで終章をまとめます。
見応えがありました。 特に1章は息を呑みました。 長いスパンでは年齢を感じるが瞬時瞬間にはそれを意識させない。 佐東が後半登場しないのはもったいない。 満足度十分ですが観後のスッキリ感が訪れない。 観客の自由度が少なかった為だと思います。 映像や写真は意味付を強要します。 絶対零度ですから意味も凍らせてほしかった。
*劇場サイト、https://setagaya-pt.jp/performances/201706absolute.html