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■椿姫ができるまで

■作曲:G・ヴェルディ, 監督:フィリップ・ベジア,出演:N・デセイ,J=F・シヴァディエ,L・ラングレ ■シアター・イメージフォーラム,2013.9.28-(2012年制作) ■昨年の MET「 椿姫 」 はまだ覚えている。 これは2011年夏のエクサン・プロヴァンス音楽祭での創作風景を撮った作品よ。 指揮者と演出家と歌手の三つ巴を見せてくれるのかと期待したけど、素人でも想像できる範囲内でまとまっていたの。 誰も舞台裏は見せたくないわよね。 でも面白かったわ。 ナタリ・デセイは動きのあるエネルギッシュな歌手だけど練習風景でもそんなに変わらない。 指揮者ルイ・ラングレも並のことしか言っていない。 それより演出家シヴァディエの歌手への演技指導場面は一番興味が持てたわ。 感情移入ではナタリも戸惑っていたから、それなりの戦略を持っていそうな演出家ね。 最初に雨が降るシーンがあったけど上演はできたのかしら? ともかく彼の演出でこのような野外劇場とシンプルな舞台で椿姫を観てみたい!、と言いたくなるような作品だった。 *映画COMサイト、 http://eiga.com/movie/78716/

■ヤマトタケル

■ 作:梅原猛,演出:市川猿翁,出演:市川猿之助,市川中車 ■ 新宿ピカデリ-,2013.9.28-(新橋演舞場,2012.6収録) ■ ヤマト政権を<米と鉄を持ってきた外来民族>として描いている。 ヤマトタケルはなぜ熊襲や蝦夷を討伐するのか? それは熊襲や蝦夷の制度や民の考えが古くなりすぎて時代にそぐわないからである。 彼は熊襲や蝦夷の神的パワーを獲得しながら成長していく。 結果、腐敗したヤマト政権はあらゆるものを取り込んで新たに成長していく雑種民族として描かれることになる。 舞台衣装や激しい立ち回りはまるで京劇のようだ。 台詞は簡素で分かり易いし、ストーリーは静と動が混ざり合って飽きさせない。 市川猿之助はスポーツカーを匠に運転しているような演技である。 抑制が効いていてパワーが必要な個所はちゃんと出している。 そしてヤマトタケルとしての言葉と行動が見事に一致する為物語にリズム感が出ている。 先日の彼が出演した「ヴェニスの商人」を観逃したのは残念! *シネマ歌舞伎第19弾作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/22/#sakuhin

■月光のつつしみ

■ 作:岩松了,演出:岩井秀人,出演:劇団ハイバイ ■ 神奈川芸術劇場・大ホール,2013.9.20-26 ■ このような姉や妻や恋人を持ったら人生大変だな、と観ていて感じました。 でもこの見方は「大人になっていない証拠だ!」、と姉に言われそうです。 弟も姉にそう言われていましたね。 病気と健康の境界線が見えない舞台は多いのですが、しかしこれは病人だと意識させてしまう芝居です。 登場人物たちは他人を上手く受け止められませんし、自分を上手く差し出すことができません。 姉の意味への拘りや深読み、弟の突発性激怒、妻の姉への苦手意識、幼友達はまだしもその恋人の自殺の図り方・・、感動への一線を超えそうで超えられない。 脳障害等を持った病人の真似事をしているようです。 現実が混在したような舞台になっています。 ところで姉のセリフが棒読みのようでしたが、他役者との関係からもう少し自然にしたほうが面白さがでたはずです。 演出だとおもいますが、これも超えられない原因の一つです。 それと大ホールは声が響く為舞台は冷めた感じになっていました。 この感じが客観性を呼び込ん でしまったのもまた原因です。 *劇場、 https://www.kaat.jp/event/20570

■マチワビ

■ 演出:登米裕一,出演:キリンバズウカ ■ 東京芸術劇場・シアターイースト,2013.9.19-25 ■ 寂れていくわが町を活性化させる話です。 それには少しばかり喜劇を持って男女が結ばれることです。 これが芝居の結論です。 保守的ですが時代の流れかもしれません。 主人公は三人姉妹で皆が超能力を持っています。 しかしSF感はあまり出ていません。 それは日常の物語の中にSFが修飾語のように収まっているからです。 この超能力が上手く働いて、ストーリーの先が読めなくなり目が離せませんでした。 スピーカからト書きのような補足説明が数回ありました。 これは舞台の質を落とします。 無くすべきでしょう。 そして自殺志願の若者の財布を次女は返却しなかったり、戻ってきた次女の恋人の一千万円を放置してあるのも首を傾げてしまいます。 カネをこのように扱う意味がわかりませんでした。 この二点はしかし体勢に影響はなく、最後はまとまって安心が残った芝居でした。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage37072_1.jpg?1380016171

■トリスタンとイゾルデ

■作曲:R・ワーグナー, 指揮:J・レヴァイン,演出:D・ドルン,出演:D・ヴォイド,M・デ=ヤング ■ 東劇,2013.9.21-23(MET,2008.3.22収録) ■ 「媚薬」の効き目が強すぎる!! これで全てが壊れてしまった。 ワーグナー自身も媚薬を飲んですっ飛んだ感じのような作品だわ。 もはや愛は抽象世界。 二人の歌唱量を楽しむだけの舞台だった。 そして動きの少ない舞台の為、映像クリエーターが出しゃばってしまったの。 画面分割はシラケるだけね。 特に終幕にマルケ王が登場した時の分割はいただけないわ。 人物も物語もバラバラになって終わってしまったからよ。 ここでのイゾルデの顔はアップでまるでテレビの歌謡曲のよう。 せめて歌う場面は歌手の身体全体を写して欲しいわね。 *METライブビューイング2007作品 *作品サイト、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2007-08/#program_06

■魔笛

■作曲:W・A・モーツァルト, 指揮:J・レヴァイン,演出:J・テイモア,出演:Y・ファン,E・ミクローザ,M・ポレンザーニ,R・パーペ ■ 東劇,2013.9.21-22(MET,2006.12.30収録) ■ テイモアの美術は楽しさが一杯ね。 黒子を使うんだけど文楽と違って見せないの。 これで背景を暗くするから照明に強弱が出て昼と夜つまり魔笛の背景に見事に一致するの。 さすがライオン・キング。 パパゲーノの夢や悩みがとても具体的なところが時代を越えてもこの作品が支持される理由だとおもう。 それは食欲や性欲そして結婚についてだから。 ルネ・パーペは前半ちょっと固かったようね。 英語だから感じが違ったのかしら。 カーテンコールで一同が揃った時の衣装の形と色の素晴らしさにはまいっちゃった。 *METライブビューイング2006作品 *主催者、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2006-07/#program_01

■蝶たちのコロナ

■ 演出:笠井叡,出演:天使館 ■ 国分寺市立いずみホール,2013.9.19-20 ■ 羽衣を着て蝶のように舞うオイリュトミーを時々観たくなる。 なぜなら疲れた身体と精神が癒やされるからだ。 今回はダンサーが詩「遺された黒板絵」を朗読し他ダンサーが踊る構成である。 オイリュトミーでの朗読舞は初めて観る。 宇宙の言葉と身体の結合を表現しているようだ。 18章の詩の朗読とピアノ・チェロの演奏7章がうまく混ざり合っている為、言葉と音楽の相乗効果がでていた。 鯨井謙太郒の長身を生かしたダイナミックな踊りは素晴らしい。 この公演の観客は独特の雰囲気を持っている。 初めてのオイリュトミー公演で劇場に入った時の衝撃は忘れられない。 宗教に近い何ものかがあるようだった。 劇団「ミームの心臓」という公演の時も観客に独特の雰囲気があったことを覚えている。 これは宗教的ではない、ある種の静かさのようなものだった。 このように、場内をひとつとしてみた観客が年齢・性別・職業を越えた独特な雰囲気を持っているのに時々だが出会うことがある。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/48873

■夏の終わりの妹

■ 作・演出:宮沢章夫,出演:遊園地再生事業団 ■ あうるすぽっと,2013.9.13-22 ■ 朗読劇のようね。 役者5人はリズムがあるとは言えない動きだけど、言葉は明快で台詞が心に整然と蓄積していく感じがするの。 舞台美術はドアと椅子のある長い通路が5セット。 役者たちは一人づつその中だけで動きまわる。 戯曲を5人に配分して交互に喋っても、身体同士が離れているから視覚より聴覚として物語が観客に記憶されたのかしら。 でも役者の動きの多くは面白みがないわ。 「夏の妹」は観たことがあるけど内容はすっかり忘れていた。 誰もがそうだったのね。 インタビューの寺山修司と夏の妹の大島渚の組み合わせは奇遇ね。 戯曲が優位に感じられた二つ目の理由かもね。 帰りはシルバー仮面を歌いながら池袋駅迄歩いちゃった。 *劇場サイト、 http://www.owlspot.jp/performance/130913.html

■OPUS/作品

■ 作:マイケル・ホリンガ,演出:小川絵梨子 ■ 新国立劇場・小劇場,2013.9.10-29 ■ 幾何学的な舞台は新国立劇場の顔になりましたね。 弦楽四重奏団という組織は興味津々です。 どのCDジャケットをみても団子4兄弟のようですからね。 科白も動きもコメディ調です。 ヴィオラ奏者の交代、癌との闘い、ゲイや女性奏者との関係、そしてリーダともいえる第一バイオリン奏者の更迭など話が進んでいきます。 しかしテレビ昼ドラのような中身です。 二つの人事闘争もありますが多数決に毛が生えた程度です。 演奏や楽器に関する話しは素人には新鮮でした。 演劇的感動はありませんでした。 しかし観後の充実感はあります。 全体がまとまっていたためです。 <作品>としての存在感は小粒ですがあります。 多分演出家の上手さでしょう。 *劇場サイト、 http://www.atre.jp/13opus/

■ジャンヌ

■ 作:G・B・ショウ,演出:鵜山仁,出演:笹本玲奈 ■ 世田谷パブリックシアタ,2013.9.5-24 ■ 紅一点のジャンヌはとても初々しい。 比例して老人ばかりが目立ってしまった舞台ね。  司祭や貴族は<神の声→教会の声→自身の行動>を求めているのに、ジャンヌは<神の声→自身の行動>なの。 これが出過ぎると異端に取られる。 権力者は初めジャンヌを泳がせるけど、実績を出し続けるので恐怖を抱き異端にしてしまった。 チラシに「なぜ火刑台で死ななければならなかったのか?」とあるけど、悔い改めても終身禁固刑だと知ったから、が答えでしょ? なぜなら彼女の公式、<神の声→行動>が素直過ぎるのと同じだから。 想像力不足かな? 終幕、多くの登場者がジャンヌに詫びの頭を下げている場面も彼女の素直な純真さに敬意を表しているようにしかみえない。 これが「聖女ジャンヌ・ダルクの真実」かもしれない。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2013/09/20139.html

■臆病な町

■ 作・演出:玉田真也,出演玉田企画 ■ 三鷹市芸術文化センタ・星のホール,2013.8.30-9.8 ■ 中学校卓球部合宿の枕投げで始まり終わる。 この時代は誰もが経験しているので自身の記憶と混ざり合い久しぶりの思い出が舞台に現れる。 「青春物語」は反復のカタルシルがやって来るので楽しい。 しかし中学時代は微妙である。 幼さが残っているからである。 この面白さの一つだが、役者の髭面が時々舞台に現実を持って来ていた。 また面白くする為に先生の酒盛場面を挿入せざるを得ない。 もちろん女性を引き込んでのことである。 プロフィールには忘失の驚きとニヤリを表現したいとあるから、青春物語が萎んでしまってもしょうがない。 チラシの出演者をみたら多くは青年団所属のようだ。 青年団の芝居は言葉と身体の微妙な関係が面白いのだが、この舞台は言葉の代わりに視線や微細な又は過激な動作を身体に関係付けようとしている。 この関係付けが不安定なので台詞は置いてきぼりになり漫才のような場面が多くなってしまった。 上級下級生の喧嘩の大事な結果も人形に喋らせてしまっている。 科白と身体の面白い結びつきはまだ見えない。 「臆病な町」はよくわからない題名であった。 *チラシ、 http://stage.corich.jp/img_stage/l/stage37523_1.jpg?1378595237

■シモン・ボッカネグラ

■作曲:G・ヴェルディ, 指揮:J・レヴァイン,演出:G・デル・モナコ,出演:P・ドミンゴ,A・ペチョンカ,M・ジョルダーニ,J・モリス ■ 東劇,2013.9.5-20(MET収録) ■ ストーリーが込み入っているけど、ヴェルディの中年力で乗り切っている感じね。 舞台・衣装は重厚で歌唱もジックリ聞くことができたわ。 それは紅一点のアメーリアを含め歌唱時に歌手が舞台上で激しく動きまわらなかったからよ。 今朝の新聞に独身の初老が結婚を決意する漫画があったけど、相手に孫がいるから結婚するの。 これをみて笑っちゃつた。 舞台を思い出したから。 <家系>が将来に続く為の手段というよりも現在を豊かにするためにある。 ヴェルディが現代人に受ける理由かもね。 終幕「神の御声に涙を流す」「偉大なる神よ」の、シモンとフィエスコが娘つまり孫娘に無償の愛情を注ぐのを見届けたので観客は満足できるの。 *METライブビューイング2009作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2009-10/#program_07

■毛皮のマリー

■戯曲:寺山修司, 演出:高野美由紀,出演:劇団☆A・P・B-Tokyo ■ザムザ 阿佐ヶ谷,2013.8.30-9.2 ■ 複雑な関係ですが母と子の物語です。 母が男優、男の子が女優であることが不思議世界の入口です。 母子関係を豊かな情感に包み込んで舞台にのせていました。 劇的さは少ないのですが濃い味がありました。 寺山修司の作品は母子場面がとても難しいように感じます。 多くはギクシャクしてしまいます。 これを乗り越えて豊かな感情を観客に与えてくれる数少ない劇団です。 話は変りますが、この劇場は客席が急勾配です。 RSCやNTのシェークスピア劇では役者が観客特に天井桟敷に向かって、しかも上を向いた姿勢で台詞を喋ることが多々あります。 これがなかなかの感動モノです。 この劇場で観る芝居が面白い理由の一つではないかとおもいます。 *劇団サイト、 https://www.apbtokyo.com/about

■美輪明宏ドキュメンタリー-黒蜥蜴を探して-

■ 監督:パスカル=アレックス・ヴァンサン ■ 東京都写真美術館,2013.8.31- ■ 語りが仏語で驚いてしまったの。 監督をみたらフランス人。 しかもヌーベルバーグ初期の軽快なテンポを持っているわ。 これで「愛と闘いの記録」が薄まって三輪明宏を現代絵画のように浮かび上がらせている。 ゲイ文化は江戸時代までは嗜好という日常世界だった。 でも明治以降は国家がこれに介入してきた。 この闘いと支えてくれた人々との記録よ。 宮崎駿との対話場面があったけど、「ハウルの動く城」の魔女の顔は誰もが三輪を思い出してしまうよね。 同じように横尾忠則、北野武の対話があったら最高だった。 三島由紀夫や寺山修司はしょうがない。 三輪の凄いところはやっぱ中性の凄さだとおもうの。 男性や女性を演じていてもベースに中性という性を意識させてくれる。 これが長く活動できている秘訣かもね。 *作品サイト、 http://www.uplink.co.jp/miwa/