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■盲人達

■作:モーリス・メーテルリンク,演出:岡本章,出演:櫻間金記,鵜澤久,清水寛二ほか,舞団:錬肉工房 ■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2021.6.24-27 ■引率の老神父が急に姿を消してしまい盲人達が道に迷ってしまう話だ。 舞台は暗く8人の盲目達が蹲っている。 修道院生活が長いのだろうか? 黒っぽい頭巾を被っている。 床を這いまわり、照明がうっすらと射しはじめて顔が浮かび上がる。 彼らは置かれている状況を喋り出す。 それは神父から離れてしまったこと、落ち葉の匂い、海の風、波の音、そして眠り、空腹など、身体の内と外の観察を言葉にしていく。 神妙な雑談のようだ。 しかし声はしっかり、言葉もはっきりと伝わってくる。 詩になる前の言葉が集積していく。 そして立ち上がり、歩き回り、立ち止まる。 コロス劇である。 能のようで能ではない。 ゴトーを待っているようで待っていない。 起こるようで起こらない。 「死だけが、我々の中で生きる」、「死だけが、永遠のものだ」、「死の中では、誰も死なない」、・・。 終幕、すべての言葉はこの地謡の声に集約していくようだ。 動きは少ないが緊張感が途切れなかった。 科白は身近な語彙が多いがこのほうが身体に響く。 難しい語句は一瞬だが意味解析を脳に譲るためリズムが狂う。 中央に一人座って最後まで声も出さず身動きもしなかった人物が老神父だろうか? 舞台が暗かったので何とも言えないが・・。 良くまとまっている作品だ。 ブログを書いている今でも舞台の声が聴こえる。  *錬肉工房創立50周年記念公演 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/moujintachi

■猫を探す

■作:永山智行,演出:山口浩章,出演:広田ゆうみ,二口大学,劇団:このしたやみ ■こまばアゴラ劇場,2021.6.25-27 ■「男が火事の焼け跡から日記を見つける・・。 その家に住んでいた人の50年前の日記だった。 見つけた男はその日記に合わせるかのように自身の生活を変えていく・・」。 登場する役者は男と女の二人だが二人数役を熟す。 ト書も役のように喋るので不思議な感覚に落ちていく。 久しぶりに小説を読んでいる気分だ。 小説を観ているというのが正解だが。 舞台背景は三好達治からチェーホフ、そしてクリームが話題になるので昭和だが明治にも飛ぶことができる。 主人公の初老の男が<先生>と呼ばれるのを聞いて夏目漱石まで遡ってしまった。 時間巾を広げられる戯曲だ。 そして主人公に近づく女たちはどこか謎を持っている。 彼女たちは動物報恩譚に登場する動物が遠い祖先かもしれない。 猫も時々現れるがこれに沿っている。 東京で上演する京都の劇団の質が良いのに気付いていた。 「劇団このしたやみ」も京都出身とあったので観ることにしたのだが、はたして期待を裏切らない面白さだった。 *劇場、 http://www.komaba-agora.com/play/11164

■キネマの天地

■作:井上ひさし,演出:小川絵梨子,出演:高橋恵子,鈴木杏,趣里,那須佐代子ほか ■新国立劇場・小劇場,2021.6.10-27 ■女優4人が次々と登場してくる幕開きは舞台の楽しさを満喫できます。 しかし先輩後輩 4 人の間には上から目線、嫉妬や下心ある称賛、殺意?黙殺などなどが渦巻いている。 女優たちが女優役で女優生態論を語る勢いは凄まじい。 久しぶりに声を出して笑ってしまいました。 前半はこのまま突っ走ります。 4人を集めたのは松竹小倉監督で、彼の妻を殺した犯人を捜す為です。 女優たちの中に犯人が・・? チラシに「推理喜劇・・」とあったので急展開は驚かなかったが後半に入った途端、前半の舞台をそっくり省いても成り立つような飛躍がある。 2本立てと言っても良い。 それでも女優4人の達者な口数は衰えない。 一人一人が犯人扱いされても4人が団結して反論していく。 「演劇賛歌の物語」と書いてあったが、彼女らの科白から賛歌を納得しました。 そして犯人はもう一人の呼び出されていた男優らしい・・。 以降、作者得意のどんでん返しが華々しく続いていく。 監督が女優たちを集めた真の理由も幕切れに分かる。 いや、お見事でした。 映画「キネマの天地」は「蒲田行進曲」とごちゃまぜにして記憶していましたね。 いま記憶を再整理しました。 ところで、今日の舞台では前半と後半でぷっつり切れていたのが勿体ない。 殺人を早々と匂わせたらどうなるか? この間を巧く繋げられていたら言うことなしでした。 *NNTT演劇2020-シーズン作品 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/kinema/

■虹む街

■作・演出:タニノクロウ,美術:稲田美智子,出演:安藤玉恵,金子清文,緒方晋ほか ■神奈川芸術劇場・中スタジオ,2021.6.6-20 ■これはテーマパークか!? 場内に入った途端、薄汚れた街並みに眩暈がしました。 ・・しかし舞台は何も進まない。 男が乾燥機を回し、洗濯物を畳み、女が自動販売機で買食し、中国人親子が歩き回り、車椅子での散歩、アラブ人が路上賭博で、ママとギター弾きがフィリピンパブで歌い、親分がウロウロ・・。 事件といえば、女がコインランドリーを閉店することぐらいでしょう。 美術の路上観察に従い街並観察劇と言っても良い。 古びた街並みを行き交う人々、商店街の様子、町内の小さな出来事を観客は眺めている。 映画でときどき出会う方法です。 それはミニマムなリズムが心地よい。 しかし飽きてしまいました。 このリズムを演劇空間に巧く変換できなかった。 凝った美術は汚すぎる。 脇役に一般人?を登場させたのは面白いのですが。 細かい日常の演技が大げさすぎる。 過剰でリズムが蒸発してしまった。 男と女、二人の行動に謎がみえたのは救いでした。 謎とは思いやりのようなものでしょう。 それは街中に漂っていた。 ところで戦後には、自動販売機やコインランドリー、もちろん洗濯機や乾燥機、携帯電話は無かった。 この舞台は戦後の福富町から未来(現代)を描いたSF作品だったのでしょうか? 長塚圭史の挨拶文でブレードランナーを話題にしていたのでこの解釈もできそうですね。 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/nijimumachi

■Ko Murobushi、室伏鴻

□Ko Murobushi ■監督:小松浩子 ■THEATRE for ALL.WEB(コロンビア国立大学,2010年収録) ■室伏鴻が2010年にコロンビア共和国で開催した講演と公演を記録した映像作品。 前半は舞踏教室の風景が映し出される。 二十名近い生徒は一般市民かな? 室伏の解説は哲学的だ。 「身体の中心とは・・」「体の中の境界を探す・・」「バランスとは、エッジとは?」「NNつまり名の無い死体・・」「Nはニュートラル・・?」 次に大学らしき庭先で生徒たちの実践が入る。 後半は室伏の舞台が上演される。 残念ながら断片で映像の質も良くない。 「美貌の青空」などのオムニバスかもしれない。 鋼鉄のような身体に腕が生き物のように動く・・。 ここに映った当時の言葉と身体は室伏の集大成とみてよい。 そして彼の活動の広さにあらためて驚く。 *作品サイト、 https://theatreforall.net/movie/ko-murobushi/ □解説動画「Ko Murobushi」 ■監督:小松浩子,出演:大谷能生,金村修 ■THEATRE for ALL.WEB ■音楽家大谷能生と写真家金村修の対談。 「室伏鴻の舞台は録画した映像で見ても何故に新鮮に伝わってくるのか?」などがテーマだ。 コロナ禍のため舞台を録画映像で観ることが多くなった。 タイミングの良い対談と言える。 「(室伏は)身体を記号化させるのが巧い」「身体を(物質に)変換できるので、映像が持つ生の有無を区別しない特長が活かされている」などなど。 なるほど。 *作品サイト、 https://theatreforall.net/movie/ko-murobushi-learning/ □Ko&Edge「Ko Murobushi」 ■出演:小松浩子,タカザワケンジ ■THEATRE for ALL.WEB ■3本目の映像は写真家小松浩子とタカザワケンジの対談。 最初にみた「Ko Murobshi」は既に撮られていた映像を小松がかき集めて編集したものらしい。 舞台を撮った映像作品の位置づけとは? その映像を編集した新しい作品の意義は? 今回の3作品は蜜に繋がっている。 久しぶりに室伏鴻の舞台を考えてしまった。 *作品サイト、 https://theatreforall.net/movie/komurobu

■未練の幽霊と怪物ー挫波、敦賀ー

■演出:岡田利規,音楽・演奏:内橋和久ほか,歌手:七尾旅人,出演:森山未來,片桐はいり,栗原類ほか ■神奈川芸術劇場・大スタジオ,2021.6.5-26 ■能の形を取り入れた音楽劇と聞いて期待して劇場へ向かう。 休憩を途中に挟んで「挫波ザハ」と「敦賀つるが」の2作品を上演。 囃子方は3人、見慣れない楽器で聴き慣れない幽玄的な演奏が面白い。 歌手七尾旅人が一人で地謡を受け持つ。 「挫波」はまとまっていたように思う。 科白をゆっくり喋りながら独特な手足の動きをするワキがなんともいえない。 演出家の得意とする振付だ。 囃子の流れに乗った地謡の声も舞台に溶け込んでいく。 アイで登場した片桐はいりの早口の喋りがまた楽しい。 囃子、舞、謡の三拍子が揃った独特な雰囲気が恍惚感へ導いてくれた。 能に似た感動を得ることができた。 ザハ・ハディドは成仏できただろうか? 「敦賀」はワキとシテの役者が替わっただけで前作と同じような構成だ。 文殊菩薩と高速増殖炉を繋げようと試みているらしい。 しかし亡霊がヒトでないため空洞に居るような体感がおそってきた。 亡霊とは何者か? 不思議な舞台だ。 舞が長くて全体の調和が崩れたようにみえる。 横浜駅へ向かう帰りには作品のいろいろなことを考えてしまった。 刺激的な舞台だった。 ところでアイの科白が多過ぎて諄く感じた。 少し省くと面白さに深みがでる。 それとギクシャクした動きの多い舞に見えた。 弛緩と緊張の間の動きが速すぎるのかもしれない。 久しぶりに楽しめた舞台だった。 *第72回読売文学賞受賞作品 *劇場、 https://www.kaat.jp/d/miren2021

■夜への長い旅路

■作:ユージン・オニール,台本:木内宏昌,演出:フィリップ・ブリーン,美術:マックス・ジョーンズ,出演:大竹しのぶ,大倉忠義,杉野遥亮,池田成志,土居志央梨 ■シアターコクーン,2021.6.7-7.4 ■麻薬や酒を舞台に乗せる作品はツマラナクなることが多い。 これに頼ってしまうからです。 朦朧としたり酔う演技をするしないのではなく、上手く言えないが、瞬時瞬時にこれを昇華した演出演技ができるか?ということです。 この作品は誇張した作者の記憶を科白が持っているようにみえる。 出来事の一つ一つが彼の身体を通しているから、その誇張が重みに変る。 役者達はこの変化を演じることができたと思います。 前半の父ジェイムスと兄ジュニア、母メアリーと弟エドモンドの長い対話を聞きながら少しずつ精神が集中していくのを感じました。 途中のメアリーと召使キャサリンの対話も楽しい。 後半になると対話の充実度がより増したようにみえます。 過去に2度みていますが、作品の面白さが今回やっと分かりました。 *劇場、 https://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/21_yoru/ *「ブログ検索」に入れる語句は、オニール

■外の道

■作・演出:前川知大,出演:浜田信也,安井順平,盛隆二ほか,劇団:イキウメ ■シアタートラム,2021.5.28-6.20 ■いろいろなことを頭に浮かべながら観てしまった。 この劇団はいつもそうだが。 「気がついたらここにいた・・」。 認知症を考えてしまった。 認知状態をリアルに想像できる舞台だ。 そして意識ついて。 それはいつ獲得したのか? 子供の頃のある夕方、自宅近くで「ここにいる」と自身の存在を初めて意識したことを覚えている(たぶん)。 ヒトは3歳頃に意識を獲得することが既に知られている 。 また三島由紀夫の産湯の話から記憶の取得は意識より早いのが分かる。 そしてガラスの破片を脳内に挿入できるか? 原子を野球ボールの大きさにすると電子は数百mも離れて原子を回っているらしい。 つまり原子や電子を取り巻く空間はスカスカなのだ。 物質間に働く力を無視すれば挿入も可能だが・・。 後半に入ると<無>が登場する。 これは厄介な言葉だ。 ある物理理論の話だが、空間も時間も物質からできている。 それを取り除けば、・・以下省略。 <無>の描き方が具体的過ぎる。 想像力が緩い。 しかも終幕に死を持ち出すのも突飛だ。 なぜ<死>に繋がるのかがみえない。 いつもの科学と非科学の境界に横たわる謎を詰め込み過ぎてしまった。 話題を絞ればよい。 この作品の一番は「気が付いたらここにいた」意識の覚醒だと思う。 ヒトはいつもここに戻る。 「我思うゆえに我あり」より日本的なところがいい。 美術、照明、音響は余分を捨てて物語のリズムを助長していた。 そして役者全員が退場しないで舞台に居続ける方法も面白い。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/performances/20210506sotonomichi.html

■余韻 Only the Sound Remains 

■作曲:カイヤ・サーリアホ,指揮:クレマン・マオ・タカス,演出:アレクシ・バリエール,振付・ダンス:森山開次,出演:ミハウ・スワヴェツキ,ブライアン・マリー他,演奏:東京文化会館チェンバーオーケストラ,コーラス:新国立劇場合唱団 ■東京文化会館・大ホール,2021.6.6 ■サーリアホは「遥かなる愛」以来かな。 今日の舞台は能から採ったから楽しみね。 ・・っと直前に、サーリアホが私の席の二つ後ろの列に着席したの。 この時期の来日は大変だったでしょう。 第一部は「経正」で上演は45分。 黒シャツ姿の僧行慶が気軽な足取りで登場するから調子が狂う。 でも演奏は幽玄調と言ってよいかしら? 次第に経正の影が濃くなっていく。 青山を奏でるところからダンスが入るの。 けっこう激しい振付で再び調子が狂う。 ダンサーは琵琶の分身なの?それとも経正の分身なの? そして修羅道に堕ちた苦しみで経正は静かに消えていく・・。 歌詞は原作を相当省略している。 歌唱や演奏でエコーを多用している(?)ためか人物心情が無機質な空間で漂っているようにみえる。 <幽玄とは何か>を北欧の自然で答えたのかな? 死者との出会方にも違いがあるようだわ。 休息後の第二部「羽衣」も上演45分。 シテとワキは「経正」と同じ歌手。 歌詞は自然描写が多い。 ダンサーも落ち着いた振付で天女に連係できる。 でも前作品と同じくエコー(?)が効いていてどこか掴み切れない。 タイトルの「余韻」はここから来ているのかしら? 能を観たときの自然と人間が溶けあう感覚とは違うわね。 両者が互いに響き合う感じかしら? 厳しい自然観が背景にあるようにみえた。 *劇場、 https://www.t-bunka.jp/stage/9159/ *「ブログ検索」に入れる語句は、サーリアホ

■鰯賣戀曳網 いわしうりこいのひきあみ

■作:三島由紀夫,演出・振付:藤間勘祖,出演:中村勘三郎,坂東玉三郎ほか ■新宿ピカデリ,2021.6.4-24(歌舞伎座,2009.1.-収録) ■深刻さを隠したさっぱりした喜劇ですね。 エッジの効いた五条橋を背景に、鰯売の猿源氏と父親である遁世者海老名なあみだぶつのリズムある台詞回し、博労六郎左衛門と栗毛のユーモアある動きで直ぐに舞台に入っていけました。 遊女が並ぶ遊興の座敷に傾城蛍火が登場する場面も絵になっている。 猿源氏の魚介類合戦譚や寝言、そして蛍火の隠し事がほどけていく問答は親密なリズムを保っている。 商売人の声が気に入るのも蛍火実は丹鶴城の姫らしい。 そして「伊勢の国に阿漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」の合唱で終わるのが楽しい。 これは三島由紀夫の<大人の童話>かもしれない。 深刻さを隠したと書きましたが、限りある人生あたって砕けろしかないということでしょう。 *シネマ歌舞伎第37弾作品 *シネマ歌舞伎、 https://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/45/ *「ブログ検索」に入れる語句は、三島由紀夫

■フェイクスピア

■作・演出:野田秀樹,出演:高橋一生,川平慈英,前田敦子ほか ■東京芸術劇場・プレイハウス,2021.5.25-7.11 ■恐山イタコのもとに古き同級生が亡き父の口寄せを依頼するところから物語が始まる。 厚化粧のイタコ役白石加代子はともかく、同級生役だがそのまんまの橋爪功が登場したので現実に戻されてしまった。 これも異化効果かな? イタコはリア、オセロ、マクベス、ハムレット、そしてシェイクスピア本人から彼の子供?の霊まで呼び出す。 しかも言葉に謎を持たせ後場面でそれを解く演出家独特の方法で進めていく。 もちろんシェイクスピアは野田秀樹が演じているが、まさにフェイクスピア。 ・・次第に、同級生の父(高橋一生)の声が舞台に滞留していく。  <劇中劇>と<コトバ中コトバ>を掛け合わせたメタ・メタシアターと呼んでもいいだろう。 その展開は夢と現実の境界を溶かし、空間と時間を飛び越えてしまうメタメタさがある。 言葉にのめり過ぎて芝居が観念的になったようにも思えた。 しかし、それを一掃する終幕がやってくる。 神々の使者やコロスのようなカラスが探していた<声の箱>はなんとボイスレコーダーだったのだ。 そして舞台は一転、ボーイング747の機内を再現する。 機長だった父が叫ぶなか飛行機は乗客と星の王子様を連れて高天原山の樹海の中へ消えていく・・。 木々が倒れる幕開き、父の声「頭を下げろ!」「頭を上げろ!」、神々の登場と高天原、「大切なものは見えない」星の王子様、・・全ての謎がここで消える。 747機内の場面だけを切り取って一つの作品を作れるくらいだ。 コトバで充満していた舞台がここで初めて身体を得たように感じた。 *NODA・MAP第24回公演 *劇場、 https://www.geigeki.jp/performance/theater273/ *「ブログ検索」に入れる語句は、野田秀樹

■黄金の馬車  ■マダム・ボルジア

□黄金の馬車 ■原案:プロスペル・メリメ,ジャン・ルノワール,演出:宮城聰,出演:阿部一徳,石井萠水,大内米治ほか,劇団SPAC ■観劇三昧・WEB(舞台芸術公園・野外劇場「有度」,2013.6.15収録) ■日本の戦国時代、旅芸人一座がとある農村で演じる劇中劇の構成を取っている。 一座の演目が日本神話、イザナギとイザナミに始まりアマテラスやスサノオなどなど神々が総登場します。 その芝居を観ている農民が観客の仲介者となり劇中劇が一体化されている。 まさに舞台と現実が溶けあい主人公の科白「人生は芝居か?芝居こそが人生か?」に繋がっていく。 原作映画は観ているが記憶が無い。 当時の記録には「ルノワールにしてはツマラナイ」と書いてあった。 ルノワールの作品は観るほどに味がでてくるので、今なら別評価になるかもしれない。 ところで今回は役者たちの声が殆ど聞き取れなかった。 舞台中央で喋る時はハッキリ聞こえるが周辺では呆けてしまっていた。 舞台映像は画質だけではなく音質も重要です。 途中に2行ほど字幕が表示されたが日本語字幕があれば助かります。 *ふじのくに・せかい演劇祭2013作品 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/45835 □マダム・ボルジア ■作:ヴィクトル・ユゴー,演出:宮城聰,出演:美加理,阿部一徳,大内米治ほか,劇団:SPAC ■観劇三昧・WEB(駿府城公園・紅葉山庭園前広場,2019.5.5収録) ■ついでにもう1本観ることにする。 野外それも公園での上演だが、先ほど観た「黄金の馬車」よりずっと音質は良い。 最期まで役者の声がはっきりしていた。 音響技術の違いでしょうか? ギリシャ神話から題材をとったような母と子の近親相姦に近い物語です。 その背景は多国が混ざり合ったような戦国時代になっている。 緊張と弛緩が交互にやってくるリズム展開は良く出来ていますね。 しかし緊張感が散ってしまう。 公園より劇場が合っている作品かもしれない。 映像ではなんとも言えないもどかしさもある。 生舞台とは違います。 *ふじのくに・せかい演劇祭2019作品 *劇団、 https://festival-shizuoka.jp/2019/program/madame-borgia/index.html