投稿

4月, 2026の投稿を表示しています

■トリスタンとイゾルデ

■作曲:W・R・ワーグナー,指揮:ヤニック・ネゼ=セガン,演出:ユヴァル・シャロン,出演:リーゼ・ダーヴィドセン,エカテリーナ・グバノヴァ, マイケル・スパイアーズ他 ■新宿ピカデリー,2026.4.24-30(メトロポリタン歌劇場,2026.3.21収録) ■オペラ作品にはしばしば妙薬が登場するが、本作における<愛の妙薬>の効き目は群を抜いている。 ドニゼッティのそれとは比べものにならず、妙薬を飲んだトリスタンとイゾルデは現実から遠ざかり、抽象的な内面世界へと沈み込んでいく。 動きは次第に少なくなり、舞台を支えるのはほぼ歌唱のみとなる。 そのためか、演出家は二人の感情世界を可視化しようと、映像表現に大きく依存してしまう傾向がある。 本公演でも、象徴性の強い映像が多用され、観客は迷路に迷い込んだような感覚を覚える。 生の舞台であればまだしも、映画館で舞台上の映像をそのまま観ると、どうしても距離が生じてしまう。 この状況を打破するのは、結局のところ映像を吹き飛ばすほどの歌唱と演奏だ。 今回もその期待に十分応えてくれた。 ヤニック・ネゼ=セガンの細部まで行き届いた指揮、トリスタンとイゾルデの二人、そして忠実な従者ルヴェナールと待女ブランゲーネ、さらにマルケ王の安定した歌唱力が作品を力強く支えていた。 こうしてみると、『トリスタンとイゾルデ』は、物語の核心である内面の葛藤と音楽そのものが前面に出るセミステージ形式こそ、最も相性が良いのかもしれない。 *METライブブューイング2025年作品 *MET、 https://www.shochiku.co.jp/met/program/6908/

■マライの虎、ハリマオ

■演出:モハマド・ファレド・シャイナル,出演:シティ・カリジャ・ザイナル,ガフィル・アクバル,北川麗,杉山賢,ダレン・クォ ■静岡芸術劇場,2026.4.25-26 ■プレトーク(大澤真幸解説)は作品の背景を簡素にまとめたもので観劇の助けになった。 今回の舞台は、1943年に古賀聖人監督が撮った映画「マライの虎」を再構築し、現代の視点から立ち上げ直す試みであるという。 この映画は当時の少国民に人気が高かったと聞く。 イギリスの植民地支配、日本軍の占領、戦後のマレー人と中国人の対立など、現代マレーシアを形づくった歴史が、日本軍の視線を通して凝縮されている点が、この題材を選んだ理由なのだろう。 劇中では日本はアジアを解放したのか?という問いが発せられる。 「日本は資源(石油)が欲しかっただけだ」「この映画の結末は行き止まりだ」と言った、当時のプロパガンダを相対化する台詞も挿入される。 また「中国人は抵抗、マレー人は協調」といったステレオタイプを扱いながらも、断定を避け、歴史の複雑さに触れる姿勢が貫かれていた。 終盤で語られる「歴史そのものを守りたい。 歴史は無限に改定されていくために開かれていなければならない」という言葉はこの舞台の核心だろう。 同時にそれは現代マレーシアの姿にも重なる。 一方で、客席からしばしば笑いが起きていた。 緊張と諧謔が交錯する独特な演出意図によるものだろう。 ハリマオと言えば、私にとってはテレビドラマ「怪傑ハリマオ」の記憶がまず蘇る。 小学生の頃、夢中で画面にかじりついていた。 主題歌はいまでも耳の奥に残っている。 そして舞台を観ながら、ふと父のことを思い出した。 父は陸軍兵士として南方の各戦線を転戦し、最後はシンガーポールでイギリス軍の捕虜になった。 「イギリス軍の弁当は一つで二食分あり、それぞれに紙で包んだ煙草が二本入っていた」。 煙草好きの父は、小学生の私にその話を何度もしてくれた。 それだけ、イギリス兵から受け取った<煙草付の弁当>が強烈な印象だったのだろう。 日本軍が敗北した理由の一つに、兵站の欠如にあると言われている。  父は弁当をみてそれを感じ取ったはずだ。 食料は現地調達に頼り、戦況が悪化すると略奪や暴力へと転じ、最後は餓死に至る。 この構造は資源や食料の確保が不安定な現代日本にも、どこか通じるものがある。 大災害...

■能楽堂四月「枕童子」「柑子」「松風」

*国立能楽堂四月特別公演の三舞台□を観る. □仕舞・宝生流・枕慈童■出演:大坪喜美雄,佐野弘宣,佐野由於,金井雄資,藤井秋雅 □狂言・和泉流・柑子■出演:野村萬,野村万蔵 □能・観世流・松風(見留)■出演:観世清和,観世三郎太,宝生常三,野村万禄ほか ■国立能楽堂,2026.4.24 ■「枕慈童(まくらじどう)」は、まるで日本酒の宣伝作品のように感じられた。 「・・酔ひに、引かれてよろよろよろよろと」という詞章が象徴的で、さらに薬としての効能まで説くのだから面白い。 観終わったその晩は、つい晩酌の量が増えてしまう。 なお、プログラムでは地謡四人と記されていたが、実際は三人であった。 「柑子(こうじ)」では、太郎冠者が三つ目のミカンを食べてしまった理由を、俊寛僧都が鬼界島に残された故事になぞらえて釈明する。 「三個とも六波羅(=腹)へ帰すべきだ」という言い訳の飛躍が愉快で、引き合いに出した物語との落差が笑いを誘う。 今日の「松風」は、舞台の隅々にまで緊張感が張りつめた、密度の高い上演だった。 地謡は情感の起伏を明確に描き、大鼓は囃子全体を牽引する。 シテの声はよく通り、これらが一体となって観客へと迫ってくる。 まさに統合力の賜物であり、この力こそプロフェッショナルの証と言えるだろう。 面はシテが「節木増」(越前出目作)、ツレが「小面」(大和作)。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85004/

■能楽堂四月「岡太夫」「鞍馬天狗」

*国立能楽堂四月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・大蔵流・岡太夫■出演:善竹隆司,善竹十郎,野島伸仁,善竹大二郎 □能・宝生流・鞍馬天狗■出演:辰巳満次郎,内藤瑞駿,飯冨雅介,善竹隆平ほか ■国立能楽堂,2026.4.11 ■プレトーク「鞍馬山という名所からみる牛若丸と鞍馬天狗の出会い」(中尾薫解説)を聴く。 鞍馬寺で過ごした義経を「平治物語」から、鞍馬山の歌枕を「古今和歌集」から引きながら話が進む。 鞍馬(くらぶ=暗部?)という土地が持つ幽暗なイメージと、敗者としての源氏の影が重なり、そこに山伏というダークヒーローが現れる構図が面白い。 一方で、この作品は桜の名所が紹介され、花見の場面では多くの子役が登場するため、明かるい趣向も多い。 舞台は暗→明→暗→と反転しながら展開し、終幕では源氏再興を予感させる語りで締めくくられる。 作者は室町時代の宮増と伝わるが確証はない、などの解説を受けた。 能「鞍馬天狗(くらまてんぐ)」は十五人もの役者が登場するが、そのうち七人が子方で、四歳ほどの幼い子もみえる。 その一人、牛若丸は溌剌として声も澄み清々しい。 対して山伏は太く落ち着いた声と風貌で、両者の対比があまりにも鮮やかで戸惑うほどだったが、舞台全体は変化に富み楽しく観ることができた。 すっかり忘れていた、子供時代に出会った嵐寛寿郎の鞍馬天狗を思い出したりもした。 後シテの面は「大癋見(おおべしみ)」(是閑作)。  天気が良かったので和服姿の観客も多く、劇場は和やかな雰囲気に包まれていた。 今日は脇正面席に座ったが、演奏や声の響きが良くて、正面席より音響が優れているように感じる。 視覚的に観るなら正面席、音を味わうなら脇正面席だろう。 狂言「岡太夫(おかだゆう)」は「和漢朗詠集」からの引用が多い作品である。 聟が舅宅へ挨拶に訪れた際の玄関でのやり取り、酒宴の席での振舞が整然としていたのが印象的だ。 嫁と聟との教養の差が、どこか皮肉として浮かび上がる舞台でもあった。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85002/