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6月, 2026の投稿を表示しています

■みんな我が子

■作:アーサー・ミラー,演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ,出演:ブライアン・クランストン,マリアンヌ・ジャン=パブティスト,パーパ・エッシードゥ他 ■TOHOシネマズ日比谷,2026.6.19-(イギリス,2026年収録) ■舞台に入り込めなかった。 その理由は、演出が物語の具体性を意図的に削ぎ落としていたからだと思う。 大木だけがそびえる舞台装置、その背後に浮かぶ月のような円形の窓は、どこか 「ゴドーを待ちながら」 を思わせる抽象性を帯びている。 だが、その抽象性が ジョー・ケラー家の物語 を立ち上がらせる方向には働いていない。 人物描写も分かり難い。 喜怒哀楽の演技は程ほどに有るがどこか抽象気味で謎を持つ。 隣人やディーバー家との関係も、イメージとして自然と湧き起ってこない。 そのため、舞台はほとんど 科白だけで駆動する世界 となる。 科白に集中し、自分の持つ知識を総動員して補おうとするが、ひとつ聴き逃すと途端に理解の糸が切れてしまう。 初見の観客ならなおさら 珍紛漢紛 だろう。 何度も観ている私でさえ、今回は戸惑いを覚えた。 戦中・戦後という時代背景は、すでに観客の共有する「現在のリアリティ」から遠ざかっている。 イヴォ・ヴァン・ホーヴェは、ミラーの戯曲を20世紀の神話=ギリシャ悲劇 として再構築しようとしたのだろう。 しかし、その抽象化は、物語の土台となる社会的・歴史的具体性を薄め、結果として作品の核心に触れにくくしてしまったように感じた。 *NTLナショナルシアターライブ2026作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/105883/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ ・・ 検索結果は10舞台 .

■レディエント・バーミン

■作:フィリップ・リドリー,翻訳:小宮山智津子,演出:白井晃,出演:清原果耶,井之脇海,池津祥子 ■シアタートラム,2026.6.8-7.5 ■フィリップ・リドリーの作品は、つねに予測不能な方向へ転がっていく。 本作でも、何が飛び出すのか分からないまま、呆気にとられつつ舞台の表層を滑るように楽しむことができた。 歯切れのよいリズムが観客に思考の余白を与えず、物語は加速し続ける。 ホームレスの登場を含め、題材としては重さを帯びうる要素を、作品はコメディホラーとして巧みに反転させる。 白一色の舞台は、アメリカンドリームを思わせる室内や庭園、さらにはスポーツカーへと自在に変貌し、観客の視覚的想像力を刺激する。 白井晃の演出と三人の俳優の身体性は、ストーリーテラーであり視覚芸術家でもあるリドリーの特質を、舞台上で最大限に解き放っていたと言える。 作品の毒と軽やかさ、その両方が鮮やかに立ち上がる上演だった。 *劇場、 https://setagaya-pt.jp/stage/31083/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、白井晃 ・・ 検索結果は20舞台 .

■りんごが落ちる

■作:ノゾエ征爾,演出:金澤菜乃英,出演:浜田学,山口森広,梅舟惟永,宮川安利,大西多摩恵 ■新国立劇場・小劇場,2026.6.13-28 ■「・・嘘がないところを探っていこうとすると、演劇の現場を書くことになる」。 作者ノゾエ征爾はそう語っている。 私は舞台の仕事をしたことが無い為か、演劇の裏側を題材にした作品には強い興味を覚える。 関係者は舞台裏で何を考え、どのように世界を支えているのか。 本作では、主人公と思しき俳優が初日の舞台で科白を忘れてしまったらしい。 舞台芸術において科白を飛ばすこと自体は珍しいことではない。 私がよく観る能楽では、シテが科白を忘れれば地謡や後見が小声で伝え、囃子方もそれに合わせて進行する。 観客も大きく動揺することはない。 オペラにはプロンプターがいる。 こうした事故は、能やオペラが持つ強固な構造を揺るがすほどのものではない。 しかし現代演劇は違う。 科白の欠落が作品全体の意味や構造を大きく変えてしまう可能性がある。 作者はさらに「・・現場の生々しさを描写するのではなく、普遍的に捉えたい」と述べている。 その言葉どおり、終幕に向かうほど舞台は分かり難さが増したように思う。 演劇自体を劇中劇として扱い、その<普遍>を探ろうとする試みは刺激的だったが、演技・戯曲・劇団・劇場といった要素に確固たる<構造>を持たない現代演劇が<普遍>を語ろうとすると、どうしても発散してしまう。 それを作品は<日常>で包み込み、なんとか収束させていたように思う。 普遍に対する具体=日常=現場が突破口と考えるのも、現代演劇における一つの方法かもしれない。 作者の意図とした普遍は現場の中にはたして見つけられたのだろうか? 何とも言えない観後感を持った。 *劇場、 https://www.nntt.jac.go.jp/play/nozoeseiji-newplay/ *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、ノゾエ征爾 ・・ 検索結果は6舞台 .

■能楽堂六月「貰聟」「雲雀山」

*国立能楽堂六月普及公演の二舞台□を観る. □狂言・大蔵流・貰聟■出演:大藏弥右衛門,大藏教義,上田圭輔 □能・観世流・雲雀山■出演:寺井榮,則久英志,野口能弘ほか ■国立能楽堂,2026.6.13 ■プレトーク「中将姫受難の物語」(高橋悠介解説)を聴く。 「古今和歌集」や「和漢朗詠集」などからの引用箇所を具体的に示しつつ、能「当麻」や世阿弥「申楽談儀」との関連を解説した。 また、中将姫に弟がいたこと、姫が七歳のときに母は亡くなったこと、姫は二度にわたり捨てられたこと、姫と継母の関係など、姫の出生と家族環境を丁寧に遡っていく内容であった。 能「当麻」は今年二月に当劇場で鑑賞しており、中将姫についてもその際に調べていたため、今回のプレトークは理解しやすく、親しみをもって聴くことができた。 能「雲雀山(ひばりやま)」は、シテ・ワキの計算された入退場、子方である中将姫の存在感、鷹匠や犬遣による寸劇など、変化に富んだ舞台であった。 シテの侍従は後場になると性格の強さが際立ち、頼もしさを感じさせる<姉御>のような人物像が立ち上がる。 父娘の再会で幕を閉じる構成も温かく、後味の良い一曲であった。 シテ面は「曲見(しゃくみ)」。 狂言「貰聟(もらいむこ)」も以前に当劇場で観ている作品である。 「夫婦・親子の人情の機微を描いた佳作」と評されるだけあり、上演機会が多いのも頷ける。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85010/

■ミッドナイト・ソウルズ

■振付:カロリン・カールソン,音楽:エリック・ソイヤー,フィリップ・グラス,出演:ユーゴ・マルシャン,キャロリーヌ・オスモン,ユハ・マルサロ他 ■NHK・配信,2026.6.1-(アヴィニョン教皇宮殿中庭,2025.8収録) ■「現代アーティスト、ジャン・ミシェル・オトニエルの作品をもとに創作された特別なダンス」とクレジットに表示される。 教皇宮殿と思しき高壁の前には、レンガを積み上げた廃墟のような彫刻作品が広がり、その表面は金塊のように光を放っている。 これがオトニエルのインスタレーションなのだろう。 男性ダンサーがその廃墟の中で踊り始める。 手や指先の細かな動きを中心に、仕草とも記号ともつかない振付が連なっていく。 強い風が吹いているらしく、衣装が大きくなびき、宮殿と廃墟の風景に不思議な生命感を与えていた。 舞台が進むと女性ダンサーが加わり、デュオが展開する。 さらに数名のダンサーが背景を歩き回り、そのうちの一人はレンガを抱えて移動している。 日常の所作を抽出したような振付だが、具体と抽象が交錯し、激しい動きも混じり、雑多さがむしろ魅力となっている。 観後に調べると、マレーネ・イヨネスコ監督の映画「至高のエトワール、パリ・オペラ座に生きて」でも、カールソン振付の「シーニュ」が紹介されているという。 照明は明暗の対比が鮮やかで、宮殿と彫刻作品を幻想的に浮かび上がらせていた。 そこに風が吹き込むことで、ダンスがまるで<生きている>かのように感じられる。 カメラワークも的確で、美術作品との60分にわたる共演は成功したと言えるだろう。 *NHK、 https://www.web.nhk/tv/an/premium/pl/series-tep-MRQZZMYKMW/ep/ZY28X44P69

■アサッテの人

■原作:諏訪哲史,構成:劇団7度,演出:伊藤全記,出演:山口真由,飴屋法水 ■調布市せんがわ劇場,2026.6.3-7 ■場内案内係の関西弁らしき特徴のある発音を聞いた瞬間、係が役者の山口真由であることを思い出した。 そして、久しぶりに見る飴屋法水のかすれた声や不自然な足取りは、果たして演技なのだろうか。 判断に迷うほど素直で、しかし二人は観客に寄り添うようにフレンドリーな空気をまとい、やがて、おもむろに幕が開く。 物語は、主人公である<私>が行方不明の<叔父>を語る流れらしい。 山口真由が<私>を中心に演じつつ、時に複数の役柄を軽やかに切り替える。 一方、飴屋法水は小道具や楽器を用いて擬音を生み出し、舞台の背景を描きながら、ときには<叔父>そのものにもなる。 叔父が「キツツキ」という声を発するのに苦労する場面がある。 それまで叔父が発していたオノマトペが何を意味していたのか不思議に思っていたが、この瞬間、叔父の謎がひとつ解けたように感じられた。 しかし舞台はそこで終わらない。 吃音を抱える叔父は、発声という武器を使って日常世界に裂け目をつくり、その境界へと観客を導いていく。 うまく言えないのだが、かつてロラン・バルトを読んでいたときに覚えた、言語が世界の割れ目を露わにするような不思議な感覚に近い。 ただし今回は、それが読書ではなく舞台からやってきたのだ。 このような感覚を与えてくれる舞台は滅多にない。 飴屋法水の崩れた身体から発される<叔父>のオノマトペと、山口真由の独特な発声の<私>の科白が、なぜか不思議と溶け合い、劇的な瞬間を立ち上げていた。 普段は気にも留めない声の不思議さ、言葉の不思議さ、そして日常世界そのものの不思議さを考えさせられた。 <アサッテ>とは、おそらく世界の割れ目の向こう側のことなのだろう。 アフタートークは諏訪哲史と演出家(名前を忘れた)だったが、都合で聴くことができなかったのは残念である。 そして原作を読むべきかどうか。 「観たら読まない、読んだら観ない」をモットーにしているのだが、今回はそれが揺らいでいる。 *第15回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ受賞作品 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/444704 *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、伊藤全記 ・・ 検索結果は5舞台 .

(キャンセル)■能楽堂六月「呂蓮」「氷室」

*国立能楽堂六月定例公演の2舞台□をキャンセルする. □狂言・大蔵流・呂蓮■出演:松本薫,茂山千五郎,島田洋海 □能・金春流・氷室■出演:櫻間右陣,伊藤眞也,北山晴彦ほか ■国立能楽堂,2026.6.3 ■台風6号のため観劇は諦める。 まっ、仕方ない・・。 *劇場、 https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2026/85009/

■古城でコラボ

■振付・ダンス:勅使川原三郎,佐東利穂子,演奏:庄司紗矢香(無伴奏バイオリン・パルティータ第2番(バッハ),無伴奏バイオリンソナタ(バルトーク)) ■NHK・配信,2026.5.25-(フランス・シャンプラトゥル城,2026.2.16収録) ■フランスの古城を舞台にした、ダンスとヴァイオリン演奏のコラボレーション映像である。 前半は絵画や彫刻が飾られた豪奢な室内、後半は地下の牢獄を思わせる空間へと移り、二人のダンサーの身体は場の質感とともに変化していく。 しかし、カメラは演奏者とダンサーを頻繁に切り替えながら追うため、画面が目まぐるしく変化し、舞踊の連続性が断片化されてしまった。 結果として振付の像が十分に立ち上がらず、身体の流れがつかみにくい。 演奏と舞踊の双方を等しく捉えようとする意図は理解できるが、その<欲張り>が、舞台映像で定評のあるはずのNHKらしさをかえって弱めていたように思う。 古城の空間と二人のダンサーは背景として処理され、最終的には庄司紗矢香の演奏が主役として強く残る構図となり、コラボレーションとしての均衡が崩れてしまったが、それでも十分楽しめた。 *NHK、 https://www.web.nhk/tv/an/premium/pl/series-tep-MRQZZMYKMW/ep/WJNP8PRMZM *「ブログ検索🔍」に入れる語句は、勅使川原三郎 ・・ 検索結果は10舞台 .