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■解体されゆくアントニン・レーモンド建築旧体育館の話

■作:オノマリコ,演出:稲葉賀恵,劇団:趣向 ■シアタートラム,2015.2.26-3.1 ■女子大学生9人の入学から卒業するまでの話です。 観ながら高校時代のことを思い出してしまいました。 文学部系は高校の延長のようで楽しそうですね。 9人は性格や行動に沿ったあだ名で呼び合うので、一人一人の輪郭が浮かびあがり大学生活は断片ですが具体的に感じられます。 背景に旧体育館の解体話があるので時間は過去にも飛びます。 学園での4年と体育館の歴史が共時的に重ね合わされ、散文詩のような台詞が持っている爽やかさと共に、ささやかですが一つの青春群像劇が出現します。 ところでアントニン・レーモンドは関西学院大学校舎などの建築家だと思っていました。 今調べたらウィリアム・ヴォーリズだった。 違う建築家の作品を想像しながら観てしまった。 旧体育館は東京女子大学校舎とのことです。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/02/post_386.html

■太陽

■演出:塩谷智司,出演:大駱駝艦 ■壺中天,2015.2.16-22 ■舞踏というより美術作品に近い。 肉体そのものを優先しているからである。 その肌は白塗り黒塗りそして金粉も登場する。 色づく肉体が動きシュールな舞台を現前させる。 そこにコミカルな振付を導入し意味を生じさせ舞台の方向を混乱させる。 この混乱で物語性も希薄になり、より美術に近づいていく感じだ。 太陽とは母親のことを言っているのか? よくわからなかった。 塩谷智司の振鋳は初めて観た。 大駱駝艦の振付・演出は自由度を大きくしても作品として成立する何かが有るようだ。 ある意味いい加減だと言うことかもしれない。 しかし向雲太郎、田村一行、我妻恵美子、そして塩谷など次々と登場する振付家の舞台はどれも個性豊かで面白い。 このような環境を受け入れる組織力を持っているのだろう。 *作品サイト、 http://www.dairakudakan.com/rakudakan/kochuten2015/taiyo.html

■メリー・ウィドウ

■作曲:F・レハール,演出:S・ストローマン,出演:R・フレミング,N・ガン,K・オハラ ■東劇,2015.2.21-27(MET,2015.1.17収録) ■ブロードウェイのバックアップは最強! ストローマンにオハラだもんね。 オペレッタと言うよりブロードウェイ・オペラだわ。 そして駆引きやすれ違いが沢山あって飽きさせないストーリー・・。 歌われる結婚観も的をついている。 衣装も場面ごとに彩を添えていたし、ダンスも最高よ。 METの豊富な資源が舞台にばら撒かれた作品ね。 このニューヨーク・スピリットにはヨーロッパもお手上げかも。 ところでダニロのように愛の告白ができない男性は結構いるものよ。 中年の恋愛は大変ね。 *METライブビューイング2014年作品 *主催者サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_06

■仲代達矢「役者」を生きる

■監督:稲塚秀孝,出演:仲代達矢,無名塾 ■ユーロスペース,2015.1.31-2.20 ■仲代達矢の舞台は一度みたことがある。 「セールスマンの死」だ。 癖のある役者だったと記憶している。 それよりも黒澤明など映画のほうが馴染み深い。 映画は彼の過剰な演技を抑えているので傑作が多い。 前半は仲代主演の「授業」を、後半は無名塾塾生主演「ロミオとジュリエット」の作成過程が描かれている。 「授業」では膨大な台詞を書き写して部屋の壁々に貼り暗記する姿が映しだされる。 32年生まれだから今年83歳である。 素晴らしい気力体力である。 「ロミオ・・」では脇役に回り主役たちを援護している。 というのも彼は無名塾が心配なのだ。 後半はこの俳優養成所の話に集約されていく。 組織が消えてしまうのもあり得ると彼は考えているようだ。 役者を成長させる方法論や組織論は映像では語られないが、彼には困難な課題が多々みえるのだろう。 仲代はカリスマ性が強い。 これは塾生を見てもわかる。 しかし道楽で始めた役者である。 このまま道楽で押し通すしかない。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/81463/

■ラ・バヤデール

■音楽:L・ミンクス,振付:M・プティバ,指揮:A・バクラン,出演:小野絢子,米沢唯,V・ムンタギロフ,新国立劇場バレエ団 ■新国立劇場・オペラハウス,2015.2.17-22 ■今年みるのは二度目*1。 二幕の舞台美術は素敵だった。 蓮の絵の垂れ幕は開放感溢れていたわ。 衣装も春の軽やかさが一杯ね。 これで三幕の暗さ冷たさがとても引き立った感じがする。 でもダンサーが切り立った岩場から登場するのはちょっと幻滅。 三幕はもっと抽象力が必要なの。 今回は音響がとても立体的に聞こえたわ。 楽器の位置を変えたのかしら? 音響は課題にして欲しいわね。 ダンサーたちは突出感も無く熟されていて調和が取れていた。 ムンタギロフは目立ったけど主役級男性は彼一人だからしょうがないかもね。 楽しかったわ。 *1、「 ラ・バヤデール」(ボリショイ・バレエ団) *NNTTバレエ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150217_003720.html

■マーキュリー・ファー

■作:P・リドリー,演出:白井晃,出演:高橋一生,瀬戸康史ほか ■シアタートラム,2015.2.1-22 ■登場するゲストは快楽殺人者とでも言うのでしょうか? 性的倒錯を一歩進めたホラーと紙一重の内容ですから難易度が高そうですね。 過去の記憶を物語風に幾つも挿入し語られていきます。 子供時代の拳銃ゴッコは男の子なら分かりますよね。 役者たちは素直と僻みが混ざり合って新鮮です。 そしてバタフライやパーティの謎が舞台を牽引します。 現代の米国のようですが終幕に軍隊が攻めて来るのは驚きでした。 でも倒錯世界では戦争は切り札です。 その軍隊を率いるゲストはベトナム戦争の話はしますがそれ以上は語らない。 ここでパゾリーニの「ソドムの市」を思い出してしまった。 傀儡政府権力者たちが倒錯行為や拷問を繰り返すその空には爆撃機編隊の姿という圧倒的場面をです。 この舞台は段取りが出来ているのにこの圧倒場面が形だけになってしまった。 精神的狂気と社会的狂気の結合が未完成だったからでしょう。 しかもゲストを殺し「正常」を探すところで幕が降り、狂気と正気はすれ違いのままになってしまった。 結合できたら演出家はパゾリーニのようになってしまうかもしれません。 たぶん作者も「正気」の道を表現したかったのでしょう。 舞台の湿気と役者たちの乾気が衝突し独特の生気が漂っている面白い作品でした。 *劇場サイト、 https://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/02/mercury_fur.html

■ニュルンベルクのマイスタージンガー

■作曲:R・ワーグナー,指揮:J・レヴァイン,演出:O・シェンク,出演:M・フォレ,J・ボータ,A・ダッシュ,J・M・クレンツレ ■東劇,2015.2.7-13 ■神も死者も登場しないワーグナーよ。 それも結婚をかけた歌合戦とは。 でも平安時代の歌合せとは違うみたい。 「神聖ローマ帝国が消えてもドイツ芸術は残るだろう」とザックスが言っているように、歌やその背景に高尚さを求めているようね。 歌合せを材料にするとはワーグナー余裕の非凡さがでているわ。 オペラとのネスティングになるからよ。 対話や掛け合いが芝居や歌曲に混ざりこんで重層的な面白さが出ている。 歌合戦に出場する騎士ヴァルタは一幕に靴職人徒弟ダフィトから歌規則を、三幕には歌匠ザックスから結婚を例に歌の作り方を教えてもらうの。 観客は歌合戦の知識を得るから物語がぐっと近くなる。 でも解説的になってしまったのは致し方ない。 日本語訳だから尚更ね。 ベックメッサの2幕「セレナーデ」と3幕「本選歌」の場面は笑わせてもらったけど、彼は裏の主役として印象深かった。 ヴァルターの歌唱は伸びがあって素晴らしい。 エファは田舎娘のようで適役だけど声に量があれば尚良かった。 そしてヨハネ祭は舞台美術の巧さと民衆の動きで本当にお祭り現場にいるようだった。 ワーグナーはいつも意味深な何かを持ってくるの。 市井の話でも寓話などが感じ取れるからよ。 舞台を観ながらこの気配に浸るには6時間近くの上演時間が必要ということね。 *METライブビューイング2014作品 *作品サイト、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2014-15/#program_05

■こうもり

■作曲:J・シュトラウス2,指揮:A・エシュヴェ,演出:H・ツェドニク,出演:A・エレート,A・ラインプレヒト,H・ラムネク,M・レオンハルツベルガ,村上公太ほか ■新国立劇場・オペラハウス,2015.1.29-2.8 ■ダンスや芝居も入ったゴッタ煮の喜劇オペラね。 日本語が沢山入っていたから自由度の大きい作品にみえる。 当時のウィーンでもウケたのが分かる。 ファルケ博士のアイゼンシュタインへの復讐喜劇なの。 登場者の多くが復讐に加担していたことが終幕に語られ和解と共に物語の大団円を向かえる。 この緩やかな構造と男女間の駆け引きを積み重ねて嫌味のない軽やかな作品にしているのは素晴らしい。 日本人歌手も前面に登場していて楽しかったわよ。 重量級に対抗するには太太しくならないとダメね。 これを持ったアルフレードの村上公太は安心して観ていられた。 それとアデーレ役のジェニファ・オローリンは声もカラダも脂が乘り始めて素敵だった。 二人は混沌の舞台を引き締めた名脇役ね。 美術はハリボテのようで繋がりがみえない。 1幕は郊外にある中流住宅、2幕はホテルの宴会場、3幕の刑務所は古い物置のようだわ。 アルフレードが新国立劇場の歌手だと言ったらおカネを恵んでもらう場面もあったけど、これでは舞台に費用は掛けられないわよネ。 *NNTTオペラ2014シーズン作品 *劇場サイト、 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150129_003713.html

■縁会2012-3中島みゆき

■出演:中島みゆき ■新宿ピカデリ,2015.1.24- ■「 夜会 」はちょっと残念だったけど、今回はコンサートだから少し違う。 しかし記録映像のような内容だ。 楽しみたいなら会場に来い!と言いたいのだろう。 20曲も聞けたから満足だが。 4曲目から調子に乗ってきたようだ・・。 衣装は白のスーツ、黒のドレス、ワインドレス、最後は白ブラウスと紺ベスト。 ブラウス以外はネットリし過ぎている。 ムード歌謡の出で立ちである。 八代亜紀が登場しそうな雰囲気である。 バックは演奏7人にコーラス3人。 いつもの構成に近い。 最後に彼女が挨拶をしたが形式的である。 コクのある静的な舞台だった。 笑顔は変わらないが、このコクが彼女に似合ってきたのかもしれない。 時代が回っていくのがわかる。 *作品サイト、 http://www.enkai-movie.jp/

■人形の家

■原作:H・イプセン,演出:鹿島将介,劇団:重力/NOTE ■横浜人形の家・あかいくつ劇場,2015.2.5-7 ■「人形の家」で「人形の家」を上演するなんて語呂が良すぎますね。 舞台はフロアスタンドとピアノと椅子そして絨毯が敷かれています。 黒系衣装でゆっくりした歩きや身振りの5人が登場します。 喋り方も変わっています。 「演出への質問」に、身振りが日本的にならないようにするためと書いてあります。 これでテキストを直球で投げ受け止めることができる。 効果は終幕にノーラが家を出ていく場面に表れています。 ここは照明が一層暗くなり言葉だけが舞台に漂っているようでした。 これだと究極はリーディングのほうが良いことになってしまいます。 身振り有ったからこそテキストも生きていたはずです。 舞台はムンクの絵そのものです。 ひょっとしたら描かれた人々もこのような喋り方をしていたのではないのか? そんな雰囲気が伝わって来ました。 舞台の陰が一層深まりました。 イプセンとムンクは表裏の関係かもしれません。 *劇団サイト、 http://www.jyuuryoku-note.com/?page_id=1903

■グスコーブドリの伝記

■作:宮沢賢治,脚本:山崎ナオコーラ,演出:宮城聰,劇団:SPAC ■静岡芸術劇場,2015.1.13-2.1 ■グスコーブドリ以外は人形。 文楽に似ているけど人形遣いが科白を喋るの。 絵で描いただけの簡素な顔。 表情が付けられないから言葉と身体の結びつきを想像力で補わなければならない。 結果、言葉がハッキリと見えてくるの。 中高生鑑賞事業作品だから言葉が練れているのも理由かもしれない。 「言葉を一杯知ると孤独になる」「今できることをして、あとは未来にまかせろ」「未完成が完成」「出来ない事は笑ってやり過ごすことも必要」・・。 農業を気候や火山という一段高い自然のレベルで考えようとしている科白に聞こえる。 両親の墓前で「宇宙の塵になったのは良いこと・・」と言うのも同じ。 これがそのまま彼の死に繋がっていくの。 自然と一体化した輪廻感が背景にあるけど、ある種の諦念もみえて分かり難いところがある。 でも彼の死がとても澄みきっているのは余分な全てを削ぎ落とした結果ね。 崇高さのある舞台でジーンときてしまったわ。 グスコーブドリは美加理が演じたけどボーイッシュと言うより中性的な容姿や動作が素敵ね。 ズボン役の登場作品は中高生にとって意味深い記憶が残るはずよ。 この舞台を観た若い人は宝塚ファンになりそうね。 *CoRich、 https://stage.corich.jp/stage/60268