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■ドン・キホーテ

■ 指揮:K・ローズ,振付:R・ヌレエフ,出演:D・ジルベール,K・パケット ■ みゆき座,2013.2.20-3.7 ■ ライブビューイングが流行りになったようね。 MET、ロイヤルバレエ、そしてパリ・オペラ座。 早速オペラ座ではなく「みゆき座」へ行ってきたわ。 舞台は遠くに城壁や水車小屋があるのでとても風通しの良い感じ。 しかも広いバスティーユ劇場だから余計ね。 この舞台は物語性が弱いの。 だからバレエを観ているという感じよ。 多くの場面では見物人が周りにいるので雑踏というか広場で踊っているようにみえる。 この無目的な群衆のため物語はより薄められている。 カメラワークはとても良かった。 舞台全体を写す場面と少しアップの場面が9割近くもあったから。 これで一層、感情表現からバレエ自身に比重が移ったということ。 でもパケットは不調だったんじゃないかしら? 動きに切れが無かった。 残念ね。 *作品サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/13_opera/donquixote.html

■歌舞伎、江戸の芝居小屋

■感想は、 http://ngswty.blogspot.jp/2013/02/blog-post_23.html

■ロミオとジュリエット

■原作:W・シェイクスピア, 振付:K・マクミラン,音楽:S・プロコフィエフ,出演:L・カスバートン,F・ボネッリ,ロイヤル・バレエ団 ■ワーナーマイカル系,2013.2.20(ROH収録) ■ 芝居を観たという感じだわ。 バレエシーンはあまり覚えていないの。 原因は二つ。 一つはプロコフィエフの音楽が重力を意識させるからよ。 この曲ではダンサーは跳べない! でもジュリエットだけは重力から逃れられた。 中でもバルコニーと寝室場面の官能的な踊りは最高。 ここの振付は言うことなし。 さすがマクミランだわ。 二つ目は、誰もがシェイクスピアから逃れられない。 物語を強く出したい為に16場面もあるの。 決闘場面は芝居以上だわ。 しかも舞台の色は赤系統のみ。 緑色を出さないのはイタリアを思い出すからよ。 たとえヴェローナでも英国一色にしたい、と言うこと。 英国バレエの極致ね。 *英国ロイヤル・オペラ・ハウス2012シネマシーズン作品

■隣人ジミーの不在

■ 作・演出:神里雄大、出演:岡崎藝術座 ■ 横浜赤レンガ倉庫一号館ホール、2013.2.17-18 ■ http://www.festival-tokyo.jp/program/12/2012/12/14/FT_tojitsu_04_Neighbor%20Jimmy.pdf ■ 不倫の子供では? ダンス批評や不倫関係図、鶏料理の場面は笑えますが、夫がなぜ妻への猜疑心を持つのかよくみえません。 途中休憩がありましたが、その後は休息前とは関係のない競馬や保険の話、そしてつまらない落語で幕が降りてしまいました。 「無駄な時間や事ばかりが起きるロードムービーならぬロードシアターを・・」とチラシに書いてありました。 しかし面白いロードムービーは時間や事が無駄として輝きます。 それは異空間の存在が前提です。 この舞台には異空間がみえません。 同空間の中で逃げられない人ばかりが登場します。 だから無駄が見窄らしくみえてしまうのです。 ロードシアターがあの輝きの無駄を持つのはまだ先のようですね。

■1/2PAナイッ!?(ハンパないっ!?)

■ ディレクタ:宮永琢生、演出:杉原邦夫 ■ 神奈川芸術劇場・ホール、2013.2.13-14 ■ http://www.tpam.or.jp/showing/tpamdirection/miyanaga/311/ ■ 客の移動が3回ある。 初めにホール客席に座っていたが、次に舞台上の座布団席に、終わりのZEN-LA-ROCK演奏時は舞台後方に移動する。 劇場や役者をいろいろな角度から観られるので目が新鮮になる。 中学生コウジは<特別>らしい。 失語症?のようで喋らない。 だから家族は心配だ。 ラップが好きで友達とよく聞いている。 でも彼の心の内がよく見えない。 芝居の途中MCのフリートークが入ったりする。 そして疾走?した父のラップLIVEへコウジたちは行くことになる・・。 今年のTPAMは3人のディレクター作品が上演されたが観たのはこれだけである。 あらゆる人・物・方法を導入し舞台を創造するのがテーマらしい。 この舞台も芝居の結末は有耶無耶だが、ZEN-LA-ROCKの歌と踊りに集約させて上手くまとめてある。 芝居とラップの結合が素直すぎる感もあるが。 他二人のディレクター小倉由佳子、大平勝弘の作品を合わせたらもっと深さのある発見が持てたかもしれない。

■COVER

■ 作・演出:倉持裕,出演:ペンギンプルペイルパイルズ ■シアタートラム,2013.2.2-17 ■ 脇道が多いですね。 特に幕開きのカーチェイスは凄い!! しかし話の本筋がみえません。 終幕近くの鯉の引越しもです。 兄弟同士の紹介ばかりしているような芝居ですね。 でも何か異様な感じもします。 人間関係が大人びていますがギクシャクしているところです。 しかも高校演劇を上手くまとめたような張りぼて感もあるので尚更です。 最後に手紙の中身が明かされますが観ていても何が書かれていたのかよくわかりませんでした。 弟の隆輝?が千都と慎平の子供であることも然もありなんです。 チラシを見て「何も見当たらないところにドラマを探す・・、予感されるものとはかけ離れたドラマを起こす・・」とありましたがナルホドと納得しました。 しかしこれはドラマが有るかのように水増ししている芝居です。 *チラシ、 http://setagaya-pt.jp/theater_info/upload/file/pppp_pm_pdf_dl_file.pdf

■あ、ストレンジャー

■原案:アルベール.カミュ, 作・演出:藤田貴大,出演:マームとジプシー ■ にぎわい座・のげシャーレ,2013.2.9-12 ■ 原作がカミュだとは知らなかったわ。 海岸へ遊びに行くことと母の死、そして生きることに理由など・・。 ここでカミュだとわかったの。 でも何故友達を撃ってしまったのか、その理由がわからない。 本で読んだ時は人生として納得できたけれど、この芝居ではこれを追求せざるを得ない。 この理由が知りたくなるところがこの芝居の少し残念なところかもね。 マームとジプシーはいつ観ても肉体から来る精神の解放があるの。 それは役者が疲れるから。 ミラーニューロンのせいかしら? でも今回は役者の疲れからくる叫びのような発声だったので少し不満だわ。 役者は抑えないと身体が異化しないからよ。 これが二つ目の残念部分。  途中マイクを使ったのはいいけど音量が高すぎたし・・。 音が籠もる劇場かも。 そして今回は<時刻>が目障り耳障りだった。 劇場が少し狭かったのがいけない。 観劇後、桟橋で海をみながら芝居のことを考えたけど、同時にカミュのことなどもおもいだしてしまったの。 原作への想像力をジワッと刺激する舞台だったわ。 *吉祥寺シアターサイト、 http://www.musashino-culture.or.jp/k_theatre/eventinfo/2012/11/post-9.html

■ゼロコストハウス

■ 作:岡田利規,演出:ダン・ローセンバーグ, 出演:ピッグ・アイロン・シアターカンパニー ■KAAT・大スタジオ,2013.2.11-13 ■ 役者が観客に向かって喋るところはチェルフィッチュのようです。 でも観客との共感を求めている目です。 チェルフィッチュは観客をみる目がキツイですからね。 この違いは英国シェイクスピアの芝居の歴史から来ているのではないでしょうか? 大勢の観客が入場した時は、舞台には一人の黒人俳優が座っていましたがとても驚いた様子でした。 シンプルな舞台で役者一人ひとりの人間味が伝わってきます。 舞台ではワタリウム美術館で見た「学習机の家」の話がありましたが、 H・D・ソローと坂口恭平「 新政府展 」 との関係はよくわかりません。 しかし3.11で岡田利規がこの両者を結びつけたことが舞台に生き生きと表れています。 そしてこの劇団を媒介とした理由もわかる気がします。 *劇場サイト、 http://www.kaat.jp/d/tpamplus

■二人の主人を一度に持つと

■ 原作:カルロ・ゴルドーニ、作曲:萩京子、演出:加藤直、出演:こんにゃく座 ■ 世田谷パブリックシアタ、2013.2.8-10 ■ http://setagaya-pt.jp/theater_info/upload/file/konnyakuza_pm_pdf_dl_file.pdf ■ ミラノ・ピッコロ座を観た記憶がある。 細かいことは忘れてしまったがシャープな身体と科白でマイッテしまったのを覚えている。 今回は台詞を歌うのでホンワカな舞台になっている。 楽士もヴァイオリンやアコーディオンが入っていてスローな感じである。 客席には子供の姿も多く見られたがローテンポのため子供たちも理解できたろう。 ピッコロ座を換骨奪胎というか逆さまにしたような面白さが有る。 ただし物語は愛より結婚重視の流れになっているので保守的にみえた。

■マリア・ストゥアルダ

■作曲:G・ドニゼッティ,指揮:M・ベニーニ, 演出:デイヴィッド・マクヴィカー,出演:J・ディドナード,E・V・D・ヒーヴァ ■ 新宿ピカデリ,2013.2.9-15(MET2013.1.19収録) ■ イングランド女王のエルザ・V・D・ヒーヴァがとても似合っていた。 MET初出演がよかったのね。 新鮮さやギコチナサが不安や神経質さを招き寄せ、それが歌唱や顔に政治や宗教の深みとなって表れていたからよ。 二重唱の連なりが対話の流れになり物語が進んでいくの。 エリザベッタとレスタ、レスタとマリア、そして一幕終わりのエリザベッタとマリアの対決。 演出家マクヴィカーの言う「演劇としてのオペラ」の実例そのものだわ。 二幕は全てが処刑台に向かう準備だけど、対話は途切れない。 死ぬ心構えや覚悟の話が続くからとても重たい。 でも終幕でのエリザベッタを許すところは突飛過ぎて感動から外れてしまったようにみえる。 しかしこれがなければヨーロッパの宗教舞台は終われないはず。  役者が役柄と噛み合っていたので「 アンナ・ボレーナ 」 より面白かったわ。 *METライブビューイング2012作品 *主催者、 http://www.shochiku.co.jp/met/program/s/2012-13/#program_08

■地下室

■ 作・演出:松井周,出演:劇団サンプル ■ こまばアゴラ劇場,2013.1.24-2.3 ■ 家族や性を抽象的空間や時間の中で描いてきた今までとは違ってストーリーが見える舞台です。 初演が2006年ですから古い作品のようです。 共有や分配・贈与とか信じるなどの行為で人間関係の難しさが滲み出てきます。 社員が集まり反省等を述べ合う場面は面白い。 息子と新入社員が好きになっても周囲が潰してしまう。 疲れる擬似家族です。 疲れることが最悪なのに皆そこへ行ってしまう。 演出家がチラシに「・・このコミュニティに希望を託す気配を感じ取ってほしい・・」と書いてありますが、正に気配を感じ取ることができました。 でも希望はみえません。 前に進むしかありませんね。 *劇場サイト、 http://www.komaba-agora.com/line_up/2013/01/sample/